その日は朝配信を2時間ほどで終わらせて、家から出た。今日はお買い物をしたいという要望だったので電車で東京の北東部に向かう。夏休みということとオリンピックを開催している関係で通勤時間を過ぎているはずなのに電車がすっごい混んでいる。
学生と外国人の数が目に見えて多い。もう終わった競技の人とかは東京観光をしているようだ。SNSで金メダルを取った人がパフェを食べていたとかで話題になっていた。観戦のための移動とか、純粋にイベントごとが多いから向かってるとかそういうことだろう。
外国人が並行して日本の甲子園を見に行っているというんだから凄い話だ。オリンピックで来日したついでに日本の学生スポーツの全国大会を見に行っているらしい。そこで有力選手がいたらオファーを出すプロもいるようだ。
何ともまあ、夢のある話だ。スポーツの種類によっては早い段階で海外チームに所属できるとかもあるので夢への第一歩を踏み出した人もいるだろう。
オリンピックが開催されていることもあって、今日本ではスポーツ特需だ。世界的にそうなっているかもしれないけど、スポーツ関連の広告が多く、実際に手を出す人も多い。その特需に惹かれた人が身内にいるわけで。
「リリちゃん、一緒に野球道具買いに行こ!」
そんなメッセージが数日前にFORの専用チャンネルに投稿された。水瀬さんがドロッセル先輩の『ウルプロ』配信を応援している内に自分が活躍する姿を見て野球をやってみたいと思ったそうだ。外野として凄く頑張ってるからなあ。
水瀬さんの家の近くのスポーツショップに集合だ。待ち合わせ場所に行ってみると既に水瀬さんと霜月さん、外だから陽菜ちゃんと真紀さんと呼ぶべきか。2人がいた。
FORのチャンネルに投稿されたということは3人で集まるということ。東京でもかなり大きい、それこそ地下も含めて7階建てで全部スポーツ関連という有名なスポーツショップに来ていた。本当に道具を揃えようとしたら専門店に行った方が良いんだろうけど、俺たちはあくまで身内で楽しむくらいだからこういう大型店舗で十分だ。
「あ、ユーゴ君!おはよう!」
「おはよう、陽菜ちゃん。真紀さんも。お待たせしましたか?」
「ううん、わたしたちもさっき来たところ。行こっか」
「あたしスポーツショップも縁なかったから新鮮!」
「わたしもだよ。そんなスポーツ少女でもなかったから」
運動着とか運動靴を買うために俺は何回か来たことがあるけど、体育くらいしかスポーツでやらない人には結構無縁な場所だよな。最近はそういうシューズや運動着がオシャレとか、観戦用のグッズを買うためにスポーツをやっていなかった人でも来るらしい。
大型ショッピングモールにあるスポーツショップだと品揃えが微妙なことが多くて正直初めてでいく場所ではない。
まずは時間がかかるためにグローブを探すことにする。ファミリー用のレジャー用グローブもあるけど、あれは何というか素材の皮が薄いようでキャッチボールをしていたら手が痛くなってしまうようだ。だから今回は避ける。
「グローブはこっちの、軟式用かな。軟式少年用は小さいから手に入らないだろうし、硬式用は高校野球とかプロで使われるものだから物凄く高い。あと、ただの運動で硬式のボールを使うのは危ないから軟式用だね」
「りょーかい!こっちは……キャッチャーミット?へー、これが!初めて見た!こんな形なんだ」
「ミットってこんなに大きいんだ」
陽菜ちゃんと真紀さんがミットを持ったり、手に嵌めてみて感触を確かめている。親しい野球部に見せてもらったり、自分から野球場に近寄らないと野球道具なんて見ることはないだろう。
キャッチボール用にグローブを買うなら、ミットである必要はない。せっかく来たのだからと確認はするが、買うことはなく普通のグローブのゾーンにいく。
3段もある棚に何個もグローブが展示されている。黒や茶色という一般的な色からピンクやオレンジに青、赤など多色を用意されている。確か色によっては公式戦で使えないとか制約があった気がしたけど、今もそうだろうか。
「うわー、いっぱいある!あのピンクの可愛い!」
「圧倒されちゃうね……。この中から選ばないといけないの?目移りしちゃって迷っちゃいそう……」
「ああ、大丈夫ですよ。結構考慮外にしていいグローブがありますから。まずはこっちの投手用。まあ、これでも良いんですけど、ちょっと事情があるのでこれはやめておきましょう。どうしてもこのデザインが好きなら選んでも良いですけど」
ピッチャー用のグローブは相手打者にボールの握りを見られないように、グローブに編み目がなく捕球する場所のメインの部分が全部埋まっている。これはこれでかっこいいんだけど、今回は除外でいいだろう。
次に俺が持ったのは内野用。これも実はキャッチボールに向かない。投手用も持って2つを並べて見せる。
「この内野用、全体的に小さめなんだよね。ほら、投手用の方が全体的に長くてこっちの方がボールを捕れそうでしょ?ポジションごとにグローブって特徴があるから、キャッチボールしか考えないならこの辺りは除外していいかな」
「ホントだ、ちっちゃい!なんでちっちゃいの?大きい方がボール捕れるよね?」
「内野って素早い動きが要求されるから、動きを速くするためにあえてちっちゃくされてるんだって。ファーストミットは逆にしっかりボールを捕れるように長く設計されてるんだよ」
「やっぱりちゃんと理由があって形が違うんだね」
かっこいいと思ったらこの内野用でもいいんだけど。やっぱりモチベーションの維持こそが高い買い物に必要な大きな理由なので、どうしてもこれがいいと思ったら俺も強く止めない。
俺がグローブを買った理由なんてひどいもんだし。
「で、今日の俺たちの目当てのオールラウンダー用のグローブ。昔は外野手用と分けられていたんだけど、今だとほとんどこの形になってるみたい。これはグローブの作り的にも大きくなってるし、キャッチボールならこれが一番良いよ」
「随分違うね。陽菜ちゃん、これにしよっか」
「待って真紀ちゃん。ユーゴ君、そっちはなに?」
「こっちはプロモデルグローブ。今活躍してるプロ野球選手が使っているグローブのレプリカ品かな。もしかしたら聞いたことのある選手のモデルもあるかも」
オールラウンダー用の説明をした後、説明しなかった棚について気になったようで陽菜ちゃんが指を指す。説明せずにそっちが良かったと言われても困るからちゃんと説明をする。
プロモデルグラブ。憧れの選手がいるのならこれを買うべきだと太鼓判を押すほど出来がいい。選手の有名さと企業努力からかなり品質が良いのは事実。
ただしかなり高い。
一般的なグローブが1万円くらいなのに対して、プロモデルは3万円を超える。硬式用グローブは底値がその辺りと考えると、やはり高いだろう。
硬式用のプロモデルグラブは8~10万円くらいするのでまさしく桁が違う。
「あ、宮下モデル!ユーゴ君が絡まれてた人だ。オレンジでかっこいい!……5万円⁉︎」
「今だと下手したら一番有名な選手かもしれないから。あ、やっぱりあった。これ羽村さんモデルのキャッチャーミット。6.5万円だって。今が旬のメジャーリーガーの物は凄いな」
「プロの人と同じような物だから、プレミアがついていると思ったら納得できるお値段、なのかな?」
「ハイエンドモデルではあるので、納得の値段ではありますよ」
一通り種類を説明して2人はグローブと睨めっこ。使いやすさは今は無視してデザインで決めていいと伝えるとそれなりに悩んだものの2人はグローブを選んだ。
真紀さんが横浜のショートで活躍する大田原さんのプロモデルグラブを、陽菜ちゃんが宮下智紀さんのプロモデルグラブを選んでいた。
2人ともオールラウンダー用ではなく見た目で選んでいた。真紀さんは『ウルプロ』で自分がモデルになっていることから、陽菜ちゃんはただただ見た目のかっこよさで選んでいた。真紀さんの物は内野用グローブにしては先が長いので他の内野用グローブよりは使いやすそうだった。
野球初心者の初めての買い物じゃないんだよなあ。
2人が左利きでなくて良かった。左利きだとどっちも買えなかった。
「なんで全員プロモデルグラブにしちゃうかなあ。2人ともいいの?高いけど」
「せっかくだからOK!」
「祐悟くんが萩風選手のプロモデルグラブを使ってるって聞いたら欲しくなっちゃって……」
本人たちが値段に納得しているなら良いやと、まずはグローブだけで会計をする。その際に店員さんに型付けはどうしますかと聞かれた。
「「カタツケ?」」
「ボールを捕りやすいようにグローブにポケットって呼ばれる形を付けるんですよ。すみません、2つともお願いします」
「かしこまりました。1時間ほどお時間をいただきますので、店内でお買い物をされるか、またこちらに戻ってきていただけますか?」
「わかりました。お願いします」
店員さんにグローブを預けて、買い物を続ける。あれに時間がかかるから先にグローブを買っておきたかった。
スポーツシューズや運動着が欲しいということだったので別のフロアに行って買い物を続行。2人とも運動するための物を何も持っていないということだったので靴から服から一式揃えていた。その後はまた野球を取り扱っているフロアに戻ってきた。
キャッチボールをするためにボール本体が必要で、あとはグローブをつける方の手を守るための守備用グローブ、いわゆる守備手が必要だ。
ボールは少年野球用の小さい奴ではなく一般球を。守備手はデザインから色から何でもあるのでお好きな物を選んでもらう。
「ピンク!絶対ピンクにする!めっちゃ可愛い!」
「でもこの守備手?ってグローブでほとんど隠れちゃうよね?」
「そうですね、真紀さん。だからそこまで拘らなくて良いと思いますよ」
守備手は真紀さんが白い物を、陽菜ちゃんが宣言通りピンクの物に決めた。ボールは3個入りが安かったのでそれを買って2人で分けてもらう。あとはグローブを入れて保管するグローブ袋を買って、陽射し対策に帽子も好きな物を買っていた。
陽菜ちゃんがとにかく道具を揃えようとしてバットやバッティンググローブまで買おうとしていたのは止めた。バッティングセンターにバットは置いてあるし、バッティングセンターで遊ぶくらいならバッティンググローブも要らない。
高校生なんだから、収入があっても散財はしないでほしかった。
俺もついでに今度のオリンピックでの応援用に萩風さんの日本代表ユニフォームと応援タオルを買う。これで応援の準備はバッチリだ。これで決勝に日本代表がいなかったらどうしよう?
その時は記念品として飾っておくのも良いだろう。うん。
改めて購入した時には2人のグローブの型付けが終わっていたので、受付表を見せてグローブを受け取る。
買い物が終わったので、2人が運動着に着替えてバスで移動。河川敷に来て早速キャッチボールをすることになった。大きなグラウンドでは少年野球をやっていたが、フリースペースとして貸し出されている場所は誰もいなかったのでそのままキャッチボールをする。
都内だとキャッチボールをするのも一苦労なんだよな。ボール遊びが禁止されていたり、ネットがないから暴投した時が怖かったり。後はレンタル料がかかって気軽に使えなかったり。陽菜ちゃんの家の近くに自由貸し出しの河川敷があったからこそ彼女も誘ったんだろう。
「準備運動OK!じゃあやろっか!」
「ちなみにボールの握り方って知ってる?」
「知らない!」
自信満々に返されてしまったので2人にわかるようにボールの握りを見せる。いわゆる
ついでに投げ方もわからなかったようでフォームを教える。『ウルプロ』だと3頭身くらいなのでちゃんとはわからないだろう。左足を上げてから前に出して腕を振ってという動き方を見せてまずは10mくらいから始める。
俺は後ろに暴投しても良いようにフェンスの方に立って、2人には反対側に立ってもらう。
まずは陽菜ちゃんからだ。
「とりゃああ!」
「おっと」
最初から上手くできるとは思っておらず、ジャンプするようなボールが来た。なんとか捕球して、すぐに陽菜ちゃんへ返す。ボールを捕球するのも初めてだろうから緩く返す。
グローブが最初から柔らかくて型付けもしたからか陽菜ちゃんはしっかりと捕球できていた。
「おおー、捕れた!」
「動画で見たけど、投げたい方向にちゃんと足を向けると結構投げられるらしいよ」
「へえー」
陽菜ちゃんは真紀さんにボールを渡す。投げ方を2人で確認してから、真紀さんが投げる。山なりではあったけどしっかり俺の胸元に届く。
「おおー、ナイスボール」
「真紀ちゃんうっま!」
「た、たまたまだよ」
俺が返球しても慌てながらもしっかりと捕球していた。最初から捕球できるのは運動神経が悪くない証拠だ。
2人とも動けると知ったら運営さんは喜ぶんじゃないだろうか。3Dになったらダンスを踊ることも多いVtuberだ。ダンスを踊れると評価が上がりやすい。ショート動画投稿のネタが増えるから方向性としてはありがたいだろう。
「2人とも体育の成績が良かったのでは?」
「あたしずっと5だった!走るの好きだよ!部活は何もやらしてくれなかったけど」
「わたしも目を付けられたくなくて部活はやらなかったから……。体育も忖度してたからどうだろう?」
「これだけ形になっているのは凄いことですよ。お世辞抜きで」
さらっと闇を見せてくるのをやめてほしい。
俺たちは誰も学生時代に部活動をやってこなかったらしい。俺は劇団に行くために、真紀さんは魔女との関係で。陽菜ちゃんは家庭の事情。今はVtuberもやっているから部活動をする時間もないだろう。
それから1時間ほどキャッチボールをして終了。夏の暑い時間にやったから全員汗だくだ。水分補給をして近くの喫茶店に行って、お昼にする。今後FORの3人でやりたいことなどが決まっていって、あとは今日のことをSNSに上げるということを話して、のんびりと過ごして解散。
俺は前から萩風さんのグローブを持っていたことを伝えつつ、真紀さんと陽菜ちゃんが『ウルプロ』に感化されてグローブを買ってキャッチボールをした話をする。それにドロッセル先輩とポラリス先輩が反応してくれた。
「V事甲を応援してくれてありがとう!いつも3人には試合で助かってます!」
「オレも呼べよ!グローブ持ってるからさ!あ、でもFORの邪魔か?」
そんな反応もあって、3人でキャッチボールをしたことは別に炎上したりしなかった。同期で何かしたら炎上を警戒しないといけないっていうのがおかしな話なはずなのに。
月末に花火大会に行くことがバレたら炎上するんだろうなと、思ってしまった。
色々な秘密はリスナーには教えられないなと改めて思う。