ウマ娘 ~英雄は東北より来たれり~   作:コングK

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次で最後です。


第16R「その日」

 一月三十一日。

 

 澄み切った青空の下、メイセイオペラの祖母である明美は盛装して関係者席に陣取っていた。府中にある東京レース場に詰めかけた観客は十万を超えるという。普段目にすることのない人の波に、くらくらする思いをしながら、彼女は持ってきた写真立てに目をやった。

「どうかあの子が無事に走り終えることができるように見守っていてくださいね」

 水沢トレセン学園の入学式で撮った写真の中では、亡き夫が笑っていた。ウマ娘を愛し、その援助も行っていた夫の義正のことだ。孫娘がフェブラリーステークスに出ると聞いたら、泣いて喜び、一も二もなく応援に駆け付けたことだろう。

 係に案内され、関係者席に座ると、写真立てを手に、レースの開始を待った。

 

 メイセイオペラの故郷である水沢トレセン学園では、講堂でのパブリックビューイングが行われていた。当初、在校生を集めての鑑賞会を考えていた学園側だったが、どこからかその話を聞きつけた近隣住民からの問い合わせが相次ぎ、急ぎ講堂を開放し、一般の観客も招き入れることとなった。

集まった多くのウマ娘達は、中央のGⅠという大舞台に立つ先輩の姿を目に焼き付けようと、真剣に画面に目を凝らした。

「全く。広いね、府中は」

 青空の下、緑の揺れるコースを見ながら、高橋は呟いた。盛岡のOROパークと比較しても、その規模と観客は段違いだ。さすがは中央の檜舞台だと思わざるを得なかった。

「バ場状態は良いようです。とすると、好位につけていく作戦が良いかもしれませんね」

 ミチノクシャーリーは眼鏡の奥で冷静に状況を分析した。逃げるキョウエイマーチがいる以上、いかに彼女に引きずられないかの勝負になるだろう。

「あーあ。応援に行きたかったなあ」

「堂々ともぐり込んどいて言う台詞がよ」

 ぶうぶうと文句を言うモーニングピコにアンジェラザントは呆れてものも言えなかった。申し訳なさそうに講堂で一緒に応援させて欲しいと頼んだ自分とは異なり、ミチノクシャーリーが気づかないのをいいことに、一般観客に紛れてやってきたモーニングピコだった。

「まさかこんな光景を見られるようになるとはな」

 会場中に渦巻く熱気を感じ、シアンは胸がいっぱいになった。報告では、盛岡トレセンでもまた、同じように在校生対象にした鑑賞会がファンを入れてのパブリックビューイングに変更されたという。地元出身のウマ娘が中央の檜舞台で戦おうとしている姿は、地元ファンにとっては過去の自分達を投影したものなのかもしれない。

都会に出て上手くいかなかった者もいるだろう。

都会に出ることが叶わなかった者もいるだろう。

けれど、ここにもまた、これまで一度たりとも叶わなかった中央制覇の夢を叶えようとする者がいる。

ならば、同郷の者として、声の限り応援しよう。

この寒空の下、雪ちらつく岩手から熱い思いを府中の空へ届けよう。

集まったファン達からの思いの籠った懸命の声援に、レースが始まる前からシアンは涙腺が緩むのをどうしようもなかった。

 

 朝八時に身体検査を済ませたメイセイオペラは、出走を待つまでの間、控室でじっとイヤホンをしながら、集中力を高めていた。前日までに佐々原から今日出走するウマ娘達のデータは知らされている。彼女達がどんな走りをするのかを想像し、脳内で繰り返しシミュレーションを行う。

 昨夜は思ったよりぐっすりと寝られた。寝るのに困った時には寝る事だけ考えろという佐々原のアドバイスのお蔭だろう。ゆったりと起きたためか、気持ちまで余裕がある。

(初めての中央のGⅠなのに。自分でもびっくりだ)

 不安がないと言えば嘘になる。船橋の英雄ロッキータイガーが言った通り、地方と中央の差は未だに埋まっていない。中央URAに所属するウマ娘達は、潤沢な資金の下、最新式の施設を使え、その人気は全国区だ。地方ウマ娘である自分が輝くためには、彼女達を倒し、地方の連中もやるなと思わせなければならない。

(でもやるしかない)

 地方代表と言われることに戸惑いはある。あくまでも自分は地方の一員で、代表と言うのなら船橋の帝王と謳われる彼女の方こそがなるべきだろう。

 けれども彼女はきっぱりと言い切った。記録を作ることに興味はない。あくまでも自分は記憶を作ることに興味があるのだと。

(だったら、やっぱり勝っておかないと)

 憧れの存在である彼女に、自分を意識してもらうにはそれしかない。確かに地元で勝つには勝った。だが、それ以外は全敗。通算成績は圧倒的に負け越しているのだ。

(よし)

 意を決して目を開こうとした瞬間、おでこに鈍い痛みが走った。

「痛っ! ちょっと何?」

 額を抑えながら抗議の声を上げると、続けてイヤホンが奪われ、室内に音楽が漏れた。

「何じゃねえ。何度呼んでも反応が無いから寝ているかと思ってな」

 佐々原はイヤホンから流れ出る音楽に耳を傾けると、にやりと笑った。静かな曲調の中に激しい情熱が溢れるその曲を佐々原もよく知っている。

「いい趣味じゃねえか」

「でしょ?」

 プロスポーツのない東北に娯楽をと岩手で旗揚げされたみちのくプロレス。そのエースであるザ・グレート・サスケの入場曲であるインテグラル・ハード。佐々原も会場で何度となく耳にしたことがある。サスケと言えば、日本プロレスの檜舞台である新日本プロレスのマットで活躍し、数多いインディー団体の一つでしかなかったみちのくプロレスの名を全国区に広めた立役者だ。

「今日にぴったりな選曲だが、意外だな」

「い、いいじゃないですか。好きなんです!」

 ふくれっ面をしながら、メイセイオペラは慌てて鞄の中にプレイヤーをしまう。

「クラシックだの、邦楽だの聞いていた奴は知っていたが、まさかプロレスの入場曲とはなあ」

「そんなの好き好きじゃないですか。テンションが上がるんですよ」

 真っ赤な顔でムキになるメイセイオペラを見て、佐々原は安堵した。この様子なら心配はなさそうだ。初めての中央の大舞台だ。がちがちに緊張しているかと思っていたが、思いの他リラックスしているではないか。

「もうすぐウォーミングアップの時間だ。コースに出たら、とりあえず芝とダートの境目を確認しておけ」

「はい」

「後はいつも通りだ。向こうさんに地の利はあるが、ダートを走り込んだ回数で言えば、確実に俺達の方が上だ」

 同じ場所をぐるぐるとただひたすらに走り込んだ日々が思い出され、メイセイオペラは口元を引き結んだ。坂路もウッドチップも最新式の施設などまるでない。最低限の設備を使いながらの練習では、多くの同級生が惨めさを訴えていた。

 そんな中、一人黙々と練習するアンジェラザントの姿にどれだけ励まされたことだろう。

(ピコも見ていてくれているかな)

 今やかけがえのない親友となったモーニングピコ。怪我が原因で、夢半ばで学園から去っていた彼女は、祖父が死に走ることのできなくなった自分を奮い立たせてくれた。 

(二人だけじゃない。シャー先輩に水沢トレセンのみんな、商店街の人たち、小山先生達テンコートレセンの人、応援してくれたみんなに今の自分がどれだけ成長したか見せたい。そして……)

 メイセイオペラはそっとカチューシャに手を触れた。

(天国のおじいちゃん。いつも見守ってくれてありがとう。これまでずっと応援してくれていてありがとう。どうか、今日は高い所から見ていて。最後に写真を撮ったあの時からどれだけ私が成長したのかを)

 

「よし、出番だ」

「はいっ!」

「思いっきりやってこい。そうすれば結果はついてくる」

「もちろんです!」

 そう言いながら、メイセイオペラは右手を掲げ、佐々原にも同じようにするよう催促する。

「佐々原さん! 手!」

「あ、お前。またあの恥ずかしいのをやろうってのかよ」

 マイルチャンピオンシップ南部杯で唐突にメイセイオペラが思い付きやらされた悪夢を思い出し、佐々原は顔を顰めた。

「何が恥ずかしいんですか! お陰で南部杯は勝てたじゃないですか!」

「いや、あの掛け声のお蔭じゃないだろう」

 佐々原のツッコミを無視し、メイセイオペラはいきますよと声を掛ける。

「けっぱっていきまーーーーっしょい!」

「「しょい!」」

 パチンと佐々原の手を痛いぐらいに叩くと、メイセイオペラはくるりと向きを変えた。

「それじゃあ、行ってきます」

「ああ、行ってこい」

 去っていくメイセイオペラの背中を見ながら、佐々原にはこれまでのことが走馬灯のように思い出された。初めての出会いから今日に至るまでには怪我もあり、挫折もあった。けれども、決して諦めず努力し続けてきた彼女の、その背中のなんと逞しく成長したことか。

(きっと義正さんも喜んでくれているだろう)

 URAに入れるつもりだった彼女の祖父と交わした約束を思い出す。

 彼女なら、メイセイオペラならきっと地方に夢を与えてくれる存在になる。そうした存在にして見せると。

(お前も見ていてくれよな、ニセイ)

 南部杯で連絡があったきり、うんともすんとも言わない元相棒にそっと心の中で呼びかけ、佐々原はスタンドへと向かった。

 

 東京レース場。東京の府中市にあることから業界関係者だけでなく、ファンからも府中という通称で呼ばれることのあるこの場所は、年に一度のウマ娘の祭典と呼ばれるダービー、世界各国のウマ娘を招待して行われるジャパンカップなど八つのGⅠレースを行う、由緒正しき日本一のレース場である。

 外側の芝コースはURAの全レース場の中でも新潟に次ぐ大きさを誇り、その内側に位置するダートコースもまた一周の距離、ゴールまでの直線距離は日本のレース場の中で最大を誇っている。芝もダートも共通しているのが、通称だんだら坂と呼ばれる最終直線残り五百メートル過ぎからの長い上り坂である。第四コーナーを過ぎてすぐにある上り坂の高低差は二・四メートルで、東京レース場の名物とも謳われていた。

 

 地下道を通る最中ぐにぐにと自らの顔の筋肉をメイセイオペラはほぐした。意識していないつもりでいたが、遂に始まるという思いが表情を固くしているのだろう。

(リラックス、リラックス)

 自らに言い聞かせるように地下道を抜けたメイセイオペラだったが、初めて見る噂の〝府中〟の景色に目を奪われた。これまで自分が走って来たレース場とはどこもかしこも違う。メインスタンドは明るくきれいで、入場した際の大歓声はこれまで受けたことがない程の熱狂に包まれていた。

(すごい人……)

 かつて、大野がトレーナーを務めたアイネスフウジンがダービーを逃げ切って勝った時に十九万人を収容したと言われるスタンドには、今日も多くの観客が詰めかけている。

「あ!」

 じっと目を凝らしながら、七階にある関係者席を探していると、そこには祖母明美の姿があった。レースがあることを伝えはしていたが、まさか遠く水沢から応援に来てくれるとは思ってもいなかったメイセイオペラは、勢いよく手を振って呼びかけようとし、慌てて口を噤んだ。

(すぐ声を掛けるなって、佐々原さんに注意されてたっけ)

 桐花賞の時ですら注目を集めたのだ。この東京レース場で同じことをしたらどうなるかは火を見るよりも明らかだろう。

 

「相変わらず緊張感のねえ野郎だな」

 そう話し掛けてきたのは、何度も対戦経験のあるエヌジェイタイム。

「たった一人地方から乗り込んで来たってのによ。気負いとかないのかお前は」

 出場するウマ娘十六人。スーパーダートダービーで十バ身差をつけられたグンシコウメイ、南部杯に出場したアカマスロング、更には帝王賞・南部杯と激突したリネアデバトラなどいずれもURA所属のウマ娘ばかり。地方からの参戦はメイセイオペラたった一人だ。

「今はここをどう走ろうかとそればかりです」

「成程。侮れないな」

 脇から会話に入って来たのはタイキシャーロック。

「普段通り。いや、それ以上に絶好調ということか」

 南部杯ではメイセイオペラに躱され二着に沈んだ上、コースレコードまで塗り替えられた彼女は雪辱に燃える瞳で地方からの刺客を睨みつけた。

 丁寧に慣らされた砂の上に、それぞれのウマ娘の足跡が記される。

 一歩一歩東京レース場の砂の感覚を確かめるように踏みしめ、徐々にダク、キャンターと速度を上げてウォーミングアップに移る。

(あれが、佐々原さんの言っていた切れ目か)

 途中、佐々原からの指摘にあった芝とダートの切れ目を入念に確認に行った。

東京レース場のダート千六百メートルのコースは特殊で最初には百メートルの芝を走り、ダートコースへと入る。ダートのみを走ってきたウマ娘はこの慣れない芝の感覚に戸惑い、ペースを狂わせることも多い。

(大丈夫。芝なら盛岡でも走ったことがある)

 奇しくも盛岡のOROパークは地方レース場の中で唯一の芝とダートの両方があるレース場であり、メイセイオペラは一度芝を走ったことがあった。

(もっとも、その時は酷い負け方をしたんだけど)

 祖父の死を引きずって走ったMIT杯のことを思い出し、ぽりぽりと頬をかく。あの時走ることを辞めていたら、今自分はここにはいないのだ。

(ピコのお蔭だよ。ありがとう)

 怪我したその身に鞭打ってまで走ることを促してくれた親友の顔を思い浮かべながら、メイセイオペラはゲートに向かった。

 

『柔らかい日差しが府中東京レース場に降り注ぎます。絶好のレース日和となりました、フェブラリーステークスです。一番人気はリンカーンスクエア。高松宮記念、東京盃を二着と好走。距離とダート適性を買われました。続いて唯一の地方からの参戦メイセイオペラ。事前の人気投票では圧倒的一位を獲得していましたが、初めてのGⅠということで、二番人気に落ち着きました。三番人気は関西からやってきましたテンザンロバリー。前走平安ステークスではエヌジェイタイムに競り勝ちました。四番人気タイキシャーロック。メイセイオペラには南部杯での借りを返すには絶好の舞台です。五番人気キョウエイマーチは一昨年の桜花賞を制し、秋華賞、マイルチャンピオンシップと芝の実績は十分です。そのマイル適性の高さをダートでも活かすことができるか。解説の西さんはどう思われますか』

『やはりここはリンカーンスクエアですかね。距離的な問題はありますが、状態としては万全です。かなり速いレース展開も予想されますから、長い直線で差し追い込みのウマ娘が一気に逆転ということも考えられます。とすると、六番のマチカネワラウカドも無視できません』

『注目のメイセイオペラの名前は出なかったんですが、西さん、これは』

『そうですね。キョウエイマーチとの兼ね合いだと思います。彼女のペースに乗ってしまうとそのままマーチが突き抜けて行ってしまうと思います』

『中々厳しい評価ですが、南部杯ではアブクマポーロ相手に勝利していますが』

『確かに元々先行型なのである程度は行くとは思うんですが、スタートしてからしばらく芝を走りますのでね。あまり芝を走り慣れていないですから』

「うるさいじじいだ!」

「引っ込め!」

 二番人気に上がったメイセイオペラに対する辛辣な解説に、講堂に詰めかけたファンや学生たちから大ブーイングが巻き起こる。

 あのアブクマポーロに勝っていようと、やはり中央からの評価は低いのかと、シアンは嘆息せざるをえない。地方でいくら勝ち星を挙げていても、彼等にとってはその程度としか見られていないのだ。

(だから頼む。こいつらに吠え面をかかせてやってくれ)

 シアンは皆から見えない位置で画面に向かって祈った。

 

 スターターにより赤い旗が振られ、場内に勇壮なファンファーレが鳴り響いた。世界的な作曲家によるその曲は、GⅠの開催時に使用されるものであり、ダービーやジャパンカップ等日本を代表するレースの際に、この府中の森の木々を揺らしてきた。

 紛れもなく、自分が今中央のGⅠ。その最高峰に出ているという感慨に、メイセイオペラは胸を高鳴らせた。ここから先はただ己の脚に従って走るだけだ。

 

『緑の向こうに広がる東京砂漠。マイルの果てに栄光は、オアシスか、蜃気楼か。ダートGⅠフェブラリーステークス、スタートしました!』

 

 ゲートが開き、各ウマ娘が一斉に芝コースになだれ込む。その中で、いち早く動いたのが一昨年の桜花賞を制したキョウエイマーチとマイルチャンピオンシップで二着に入ったグランマンデー。芝コースを得意とする両名はその優位を活かさんと先行する。

(やはりペースが速い)

 各ウマ娘の動きを見ながらメイセイオペラは即座に判断する。

 キョウエイマーチは桜花賞で二着のメジロドーベルに四バ身もの差をつけて逃げ切ったウマ娘だ。彼女のペースについていっては、ゴール前の心臓破りの坂とも呼ばれる上り坂でバテる可能性がある。

 これまでの自分は二、三番手につけて好位から追い抜くという戦法をとってきた。だが、今日はその戦い方では無理だ。瞬間頭の中に閃いたのは永遠の目標とも言えるライバルの姿。

『インコースを突いて、続くのはキネトースシデン、三番手につけているのはリネアデバトラ! 注目のメイセイオペラは前から五六番手といったところ。テンザンロバリーが外から行っている! その外を通って一番人気リンカーンスクエアが出てきている!』

 

 スタンドの一角に陣取った佐々原は、テンコートレセンからやってきた小山と共に、その様子をオーロラビジョンで眺めていた。

「大丈夫ですかね」

 隣からの心配そうな声に佐々原は

「あいつの作戦でしょう」

 平静を装い答えながらも、飲みかけのコーヒー缶を潰さんばかりに握り締めた。いくら中央の強豪勢といえどもいい勝負ができると思っていたが、初めての芝に戸惑ったのかメイセイオペラは普段とは違い五六番手の位置をキープしている。これまで二三番手の好位につけて直線で抜け出しを図ってきた彼女らしからぬレース運びだ。

「今日のバ場状態は良。雨の時よりはスピード勝負になりません。ましてや、ここは新潟とは違い、コース幅が広い。先を考えてのことでしょう」

「成程」

 小山は納得したが、佐々原自身そうあって欲しいという願望でしかない。彼女を送り出した以上、トレーナーとしてできることはただ一つ、その勝利を願うことだけだ。

 

 先頭に立ったキョウエイマーチはそのままの勢いでインコースをひた走る。続いて二番手に上がって来たのはグンシコウメイ。タイキシャーロックとエヌジェイタイムは中団に控えたままだ。スピード勝負かと思われたレース展開は予想に反し、速くも遅くもない平均ペース。五番手で走るメイセイオペラにとっては余裕ある展開だったが、それは他のウマ娘も同じだった。

 

 第三コーナーのカーブを曲がり、先頭は依然キョウエイマーチ。左手に見える大ケヤキはその根元に墓があり、移設しようとすると祟りが起こるとされている曰く付きのものだ。魔の第三コーナーと呼ばれるそこで、過去多くのウマ娘達が怪我を負い引退を余儀なくされた。

(でも、大丈夫。私にはおじいちゃんがついている!)

 前を行くキョウエイマーチはやはり大ケヤキの伝承が気になるのだろう。先程までよりも幾分かスピードを緩めた。その隙をついて、メイセイオペラや各ウマ娘はすかさずスピードを上げて追走に入り、縦長の展開が縮まる。

(でも、ここじゃない。まだ我慢)

 東京レース場の勝負所はただ一つ、コーナーを曲がり切った先にある直線五百メートル。

高低差二・四メートルの上り坂が三百メートル続くその坂に差し掛かり、先頭のキョウエイマーチ以下ひと塊になっていた集団が横にばらけた。それぞれのウマ娘が、ここが仕掛け所だとばかりに一斉にスパートをかける。

 

 ワアアアアアアアア!

 スタンドの歓声とどよめきが一際大きくなった。

 

 五番手でやってきたメイセイオペラは冷静に先頭を行くキョウエイマーチの動きを観察する。いかに桜花賞を制したとは言え、本来はダート向きではない彼女にとって慣れぬ砂での逃げは予想以上に消耗している筈だ。気合で粘ってはきたが、ここからの上り坂で息が切れるに違いない。

 二番手につけたキネトースシデン、グンシコウメイ、グランマンデーが続く。後方につけていたリンカーンスクエアは内側からメイセイオペラに並びかけて来る。さらには外側からは三番人気のテンザンロバリーが快足を飛ばし、先行集団に追いすがる。

 各ウマ娘が満を持して仕掛けてくる中で、メイセイオペラはじっと我慢する。ここで足を使ってはダメだ。

「府中の四コーナーは他のレース場の三コーナーだと思え」

頭の中で、中央トレセンで出会った大野のアドバイスが思い出される。東京レース場の直線は日本一長い。最終の直線に入ったからと言って早めのスパートをかけては必ずといっていいほどゴール前で足が鈍る。ダービーを逃げ切りで勝ったアイネスフウジンのトレーナーである彼の言葉に嘘はない。

 一斉に動き出すライバル達の中、じっと我慢をする自分の姿が記憶の中の彼女に重なって見えた。

幾度敗れたことだろう。

最終の直線、冷静に他のウマ娘の動きを読む、哲学者と呼ばれるその洞察力。

ここしかないという仕掛け所で一気に爆発させるその豪脚。

直線一気の差し切りで観衆を魅了する砂の王者。

永遠のライバル、船橋の帝王アブクマポーロ。

 

(アブクマポーロさんに勝った私が負ける訳にいかないんだ!)

 地方ウマ娘としてダート王者に君臨するアブクマポーロ。彼女に土をつけた自分が負けてしまっては、アブクマポーロまで弱かったと思われてしまう。いくら力があるといっても、所詮は地方ウマ娘なのだと思われてしまう。

 

 地方と中央には依然として差があると皇帝シンボリルドルフは言った。

 地方と中央の一と四分の三バ身差は未だに埋まっていないとロッキータイガーは嘆いた。

 それはそうだ。恵まれた環境。大勢の観客。才能豊かなウマ娘が綺羅星と集まり、芝にダートに華やかなレースを繰り広げる。

(それに比べたら私たちなんてお話にもならない)

 来る日も来る日も同じコースをぐるぐると回り、レースに出る面子も変わり映えしない。たまに出て来る元中央のスターにメインを取られ、却ってその方が観客も入るというジレンマ。トレセン学園関係者もファンも歯がゆい思いをしてきたのだ。

 

 残り三百メートル。上り坂を必死に耐えながら進む。

(心臓破りの坂が何だ。盛岡レース場の高低差は倍近い四メートル。この坂に鍛えられてユキノビジン先輩は桜花賞を戦ったんだから!)

 ダートの走り方、坂の走り方。これまで、佐々原と過ごしてきた日々が思い出される。

「地方でだって夢は叶う」

 そう彼は言った。地方から中央に移り、夢を叶えるだけではない。地方にいたままで夢を叶える。笠松の怪物と謳われたあのオグリキャップとは別の地方ウマ娘の夢の形。

(佐々原さんの夢を叶えるためにはここで踏ん張るんだ‼)

 後方のウマ娘達は様子を見ているのだろう。坂を上り切った先に動くのかもしれない。ぎりぎりまで我慢し先手をとるしかない。

 

 メイセイオペラが必死に控えていた時間はものの数秒だったが、スタンドで観戦する佐々原や明美、さらには遠く岩手で見守る者達にはそれがひどく長く感じられた。後ろから迫るタイキシャーロックを筆頭としたウマ娘が迫り、ゴールまで刻一刻と近づいている。このまま流れに埋もれてしまうのか。それとも、ここから行くつもりなのか。それならばなぜまたスパートしないのか。

 残り一ハロン。二百メートル。

 坂を上り切ったところで、前を行くキョウエイマーチの動きが鈍った。快速の桜花賞ウマ娘でも、慣れぬダートで坂を上り逃げ切るのは至難の業だったに違いない。

(予想通り!)

 我慢に我慢を重ねたメイセイオペラはここで一気に溜めていた力を爆発させた。

『キョウエイマーチ頑張った! キョウエイマーチ粘っている! グンシコウメイが外から迫る! いや、ここで外からメイセイオペラだ! メイセイオペラがぐんぐんと上がって来る! キョウエイマーチ頑張った! メイセイオペラが先頭か!』

 桜花賞ウマ娘の意地を見せ、必死に抜かれまいとするキョウエイマーチを捉えると、さらにメイセイオペラは加速する。

 ここで足を止めては駄目だ。あの東京大賞典を思い出せ。勝ったと思った瞬間、後方から来る彼女に一気に差されたではないか。

 青白いオーラをまとい、すぐ傍まで迫るライバルの姿がはっきりとメイセイオペラには見えた。

(負けない! 負けない! 負けない!)

 豪脚を轟かせて迫りくるアブクマポーロの幻影に負けまいと、メイセイオペラは必死になった。祖父の死に大怪我。思えば色々なことがあった。それでもこの体はついてきてくれた。元から全力勝負だ。だが、彼女に、アブクマポーロを相手にするのであればそれ以上を出さなければ勝てはしない。

「負けて、たまるかあああああああああ‼」

 雄叫びを上げた瞬間、メイセイオペラは目の前の景色がゆっくりと進むように感じられた。

「な……」

 その瞬間、府中に詰めかけた大観衆は見た。一筋の白い流星が瞬くのを。

「メイセイ! メイセイ!」

「メイセイ! メイセイ!」

 府中に盛岡に、こだまするメイセイコールがその背中を押す。

 このままではアブクマポーロに差し切られる。とにかく足を動かさないと。もがくように、懸命に脚を動かし続け、メイセイオペラはもう一段加速する。

 

『外を通ってエヌジェイタイム! さらにはその内タイキシャーロック! 先頭は依然メイセイオペラ! 先頭は依然メイセイオペラ! 完全に抜け出したのはメイセイオペラ!』

 

 後を追ってくるウマ娘達の足音が遠ざかるように感じながらも、メイセイオペラは遮二無二掛け抜ける。目指す背中は手を伸ばせば届くそこにあった。

 

(並んだ!)

 追い抜こうとするアブクマポーロの幻影と重なったと感じた時。

 メイセイオペラは自らがゴール板を駆け抜けたことにようやく気が付いた。

 

『抜け出したのはメイセイオペラだ! メイセイオペラがやりました! メイセイオペラ歴史に名前を刻みました! 地方所属のウマ娘が初めて中央のGⅠを制しました‼』

 

 スタンドからは割れんばかりの拍手喝采とメイセイコールが巻き起こる。

 その様子を見ながら、明美は涙ながらに亡き夫の遺影をコースに向けていた。

「あなた見た? 見ていた? やったよ。あなたの孫娘がやったんだよ!」

 孫娘の才能を信じ、デビューだけを見届けて逝ってしまった夫が見れば、どれほど喜んだことだろう。

「私ばっかりいい思いをしてごめんね」

 遺影に呼びかけながら、明美は勝利の余韻から呆然とする孫娘に向かって手を振り続けた。

 

「やってくれたか」

 スタンドの一角で見つめていたロッキータイガーはじっと目を閉じた。中央と地方の間にあった差をメイセイオペラが埋めてくれた。

「やってくれたよ」

 隣に誰かが座る気配を感じ、彼女が目を開けると、そこにいたのは誰あろう皇帝シンボリルドルフ。

「才気煥発な子だとは思っていたが、まさかしてやられるとは思っていなかった」

「傲岸不遜な皇帝様でも見込み違いはあるんだな。ざまあみろと言っておこう」

「私は影を踏ませたが、彼女は影すら踏ませないと豪語して成し遂げた。有言実行とはこのことだろう」

 口の端に笑みを称えながら、シンボリルドルフはターフのメイセイオペラを見つめる。

「ジャパンカップでの最終の直線での最後の一伸び。どうして出せたか分かるか?」

「知るもんか。手を抜いていたのか、それとも地方から出てきた田舎者には負けたくなかったか。どちらかだろうさ」

「君のお蔭だ、ロッキータイガー。地方ウマ娘として敢然と戦う君の姿に、私は地方ウマ娘の未来を感じたんだ。だからこそ、限界を超えた」

「どういうことだ」

「仮にも皇帝とも呼ばれる者が簡単に負ける訳にはいかないだろう。この身にはURAのウマ娘の頂点に立つ者としての威信がかかっているのだから」

「なぜそれを今言う?」

「地方だ中央だと言っても、同じウマ娘。互いに切磋琢磨し研鑽を積んでいくのが肝要だ。君の後輩はそのことを教えてくれた。ダートのGⅠで敗れた分、今度は我々が君らを追う番だ」

 シンボリルドルフは右手を差し出した。

「芝では未だに地方所属で勝てた奴がいないのを知ってて言っているのかよ」

 舌打ちをしながら、ロッキータイガーはその手を握り返した。

「上等だ。中央のお嬢様達が砂まみれになるのを楽しみにしているぜ」

「ふふ。我々も君たちが芝に挑戦してくるのを楽しみに待っているよ」

 

 メイセイオペラがゴールした瞬間、佐々原は空のコーヒー缶を思い切り踏み潰した。隣では、小山が興奮のあまり前の観客の頭を持っていた雑誌でポカポカと叩いていた。

 ようやく我に返り、うるさいぐらいに鳴り続ける携帯をとった。

「佐々原ざあん、やっで、やっでくれましたねえ!」

 いの一番に聞こえてきたのは柴田の涙交じりの声だ。いや、彼だけではない。大勢のメイセイコールと共に、すすり泣く声も混じっていた。

「佐々ちゃん、おめでとう……」

 替わって出た高橋もまた、すんすんと鼻を鳴らしていた。

「佐々原さん! オペはいないの、オペは!」

 大声で後ろから怒鳴っているのはモーニングピコだろう。

「あいつが今ここにいる訳ないだろ。これからウイニングライブの準備だよ!」

「よぐやっだ!」

 あの気の強いアンジェラザントまで涙ぐんでいる。

(こんな調子じゃ、向こうはすごいことになっているだろうな)

 感激にむせび泣くシアンをなだめすかし、ようやく電話を切った佐々原はそこで、メールが届いていることに気が付いた。

『GⅠ初制覇おめでとうございます。素敵な後輩を持てたことを誇りに思います。お陰で胸がすく思いがしたとお伝えください』

(あいつ……)

 かつて共に中央と戦ったトウケイニセイ。同志とも言える彼女の分まで背負い戦っているつもりだった。その思いが遥か北の大地にまで届いたことを知り、佐々原はこれまでの苦労がいっぺんに報われた気がした。

 

「メイセイ! メイセイ!」

「メイセイ! メイセイ!」

 スタンドいっぱいに響き渡るメイセイコール。

 大観衆を前に、力いっぱいウイニングライブを踊り切ったメイセイオペラは、ぺこりと一礼するとインタビュアーの前に進み出た。

「本日は誠におめでとうございます。日本一のダートレースに地方所属のウマ娘として初めて勝利し、歴史に名を刻みましたね。次の抱負をお聞かせください」

「ありがとうございます。日本一のダートレースに勝てて嬉しいです。でも、ダートの日本一にはなっていません」

 メイセイオペラの発言にスタンドからどよめきが起きる。

「今日本一のダート王であるアブクマポーロさんに勝ち越してこそ、ダートの日本一だと思っています。帝王賞、東京大賞典。これまで彼女に負けてきたこの二つのレースで是非借りを返したい。今はその思いでいっぱいです」

 中央勢を無視するかのようなその言葉に色めき立つ周囲のウマ娘達を、タイキシャーロックは諫めた。

「敗者が息巻いても仕方あるまい。我々は今日負けたのだから」

「負け犬の遠吠えって奴だよな」

 エヌジェイタイムはその通りだと手を打った。

 この悔しさをバネにして立ち上がればいい。彼らができて自分達にできない筈がない。

 

 一月三十一日、この日メイセイオペラはウマ娘の歴史に名前を刻んだ。

 

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