史実準拠の設定です。
感想でいただきましたが、もちろんアブクマポーロは後々出てきます。
佐々原とメイセイオペラが出会って一か月が過ぎた。
未だ門別のクロイワクラブに所属しているメイセイオペラはあくまでも三月になってから水沢トレセン学園に通うことになるため、トレーニングと入学の準備のために門別と水沢を往復するという忙しい日々を送っていた。
「悪いが、この日は絶対に空けておいてくれ」
そう佐々原に念を押されたのは十月十日の体育の日。メイセイオペラがやってきたのは、正面に岩手山の絶景を望む地方唯一の芝コースを併設する盛岡レース場。
「緑が多いですね」
「ああ。正面に見えるのが岩手山。その右にあるのが安比高原スキー場のある前森山の辺り。左にあるのが雫石スキー場のある高倉山。周り一面山ばかりだな」
「でも、すごい人……」
盛岡レース場は山の中のレース場とも呼ばれ、市街地から離れたところにあった。そんな通いにくい場所に続々と人が集まっている。以前聞いた佐々原の言葉や漠然とした知識から、閑散としたレース場の様子を想像していたメイセイオペラは意外そうに周囲を見回した。
「今日は南部杯だからな。そりゃ人も集まるさ」
マイルチャンピオンシップ南部杯。北日本地区のウマ娘の交流競走、北日本マイルチャンピオンシップ南部杯として創設された同レースは昨年中央と地方の交流レースに指定され、一気に注目を集めることになった。
岩手の魔王として無敵を誇り、北日本マイルチャンピオンシップ南部杯を連覇していたトウケイニセイが中央からやってきたライブリマウントに敗れたのは記念すべき名前を変えた第一回。岩手中のウマ娘ファンが集まったと言われている。
「いやー。今日もまた、すごい人出だな」
「ああ。去年と同じくらいいるかもな」
傍らを通り過ぎて行ったファンの呟きに、佐々原は口を真一文字に引き結んだ。
認めたくはないが、彼等の言う通りだった。地元の雄トウケイニセイと中央の強豪ライブリマウントとの対決並みの人混みだ。
「さすがは中央のスター様って訳だ。大人しく芝を走っていて欲しかったもんだが」
訪れた観客の多くのめあてはたった一人。
ドワアアアアアア!
一際大きい歓声と共にターフに現れたそのウマ娘を見て、佐々原はごくりと唾を呑み込んだ。
「砂の女王……。ホクトベガ……」
その左耳の水色のメンコが砂に一際映える。静かに歩を進める彼女からは威圧感というものがまるで感じられない。
「あれが、ホクトベガ……」
けれど、メイセイオペラは知っている。彼女こそ、中央の芝GⅠエリザベス女王杯を勝ち、桜花賞、オークスの二冠をとったベガの三冠を阻み、
『ベガはベガでもホクトベガです!』
との名実況を生んだ立役者であることを。
安田記念や天皇賞にも出走しながらもその後ダート路線に転向。一月の川崎記念を皮切りに地方・中央問わずに砂の戦場を駆け抜け六連勝。今や並ぶものなき砂の女王と謳われ、ドバイWCへの参戦まで期待されるウマ娘だということを。
「地方のレース場はそれぞれ砂質もその深さも違う。芝路線を歩いて来たあのお嬢ちゃんが川崎のエンブレス杯に出ると聞いた時は思わず地方を舐めるなと吠えたもんだ」
芝を走って来たウマ娘がダートに転向する際、多くの場合第一関門となるのが砂の扱いだ。超人的な脚力で走るウマ娘達は当然多くの砂を巻き上げる。目を保護するためのコンタクトやレース後の点眼などの対策を講じていても、実際に対戦相手の蹴った砂がかかり、呆然自失とするウマ娘も少なくない。特に中央からの参戦組や転籍組にそれは顕著で、毎年一人はそうしたウマ娘の姿がどの地方レース場でも見られる。
「だが、あいつは違った」
撒き上がる砂をものともせず、川崎、東京、船橋、高崎、大井と中央・地方の区別なく勝ち星を積み重ね、一度の負けもなくこの盛岡へと乗り込んできている。
特に佐々原にとって忘れられないのが一月の川崎記念だ。
昨年の南部杯で自分達が敗れた相手であるライブリマウントはその後日本最強のダートウマ娘として、ドバイWCに挑戦を表明し、川崎記念はその壮行レースと言われていた。当然、ライブリマウントは皆の期待を一身に集めており、中央のレガシーワールドや船橋のアマゾンオペラなど中央・地方のダート巧者たちを尻目に堂々の一番人気を博していた。
「誰もが勝ちを確信していたよ。事実第三コーナーを先頭で走ってきたのはライブリマウントだった」
違ったのは、その脇をすり抜け、さらに加速して行く者があったこと。
ゴール板を一番に駆け抜けたのはホクトベガ。二着に六バ身差をつけての圧勝だった。
「ライブリマウントに至っては七バ身差の三着。とんだ壮行レースになったと陣営が大騒ぎになったと言うぜ」
世界を目指すウマ娘を向こうに回しての堂々たる勝利の後、ホクトベガの進撃を止める者は誰一人として現れなかった。
「だが、この盛岡は他のレース場とは訳が違う」
盛岡レース場のダートコースの一周は千六百メートル。その高低差四・四メートルは地方レース場の中では一番あり、緩やかに続く上り坂を昇りきった先には直線入り口に向けて緩やかなカーブを描きながら四メートルの急こう配の下り坂が控えている。初めて走る多くのウマ娘がギアの切り替えに苦戦するところだ。
「ほらよ。これでも食え」
「あ、すいません」
佐々原が持ってきたのはどこにでも売っているような焼きそば。だが、昼から何も食べていないメイセイオペラにとっては何よりのものだった。あっという間に一個目を空にすると、すかさず二個目に箸をつける。
「腹が減っていたんだったら、そう言えよ」
「いやー。さすがにそこまでは申し訳ないかなって」
門別と水沢間を往復する際の旅費は全て佐々原がポケットマネーとして出している。普通デビュー前のウマ娘に対してそこまですることはない。
「遠慮するな。大したことじゃない」
そう言って、佐々原は自分の分の焼きそばもメイセイオペラに手渡した。
「あれ⁉ 佐々原さんは食べないんですか?」
「そんな気分になれなくてな」
「食べないと体がもちませんよ」
そう言いながらも、三個目の焼きそばをあっという間に平らげるメイセイオペラに佐々原は笑いをこらえる。言っていることとやっていることが違う。どうにも、本能には逆らえぬらしい。
「そろそろだ」
持ち込んだラジオから流れる実況に佐々原は耳を傾けた。
『さあ、昨年のライブリマウントとトウケイニセイの一騎打ち。あれを越えるレースはしばらくないだろうと思っていた岩手のファン。しかしそれと互角の盛り上がりを見せている今回のマイルチャンピオンシップ南部杯です。主役は何と言ってもこのウマ娘! その参戦が話題となりました。一月の川崎記念からダートで負けなしの六連勝! 砂の女王ホクトベガ! 菅さん、いかがでしょうか』
『このウマ娘はある程度自在の脚を持っていますからね。行けると思えば行くと思いますが、無理だなと思えば好位置をキープして仕掛けるという感じだと思います。後は四番のホウエイコスモス。これもかなり速そうですので、彼女が引っ張るような形になるんではないでしょうか』
勇ましいファンファーレの音が響くと共に、場内に大歓声が響き渡る。
係員がゲートから離れ、一瞬の静寂の後。
『スタートしました。まずまず揃ったスタートになっています。ヤングエブロス先頭に立ちました。二番のホクトベガはまだ控えています。コースの中央へと向かっていく各ウマ娘。まず……、おっと! ここでホクトベガが行きました。二番ホクトベガが先頭に立ちました!』
「な……!」
ぐびりと缶コーヒーに口をつけた佐々原は予想外の展開に目を見開いた。
先行有利の盛岡レース場。するすると先頭に立ったのはなんとホクトベガ。二番手につけたヤングエブロスがやや遅れてその後を追走する。
『ゆったりと先頭を走ります、ホクトベガ。二番手はクラスターカップで二着につけました、ヤングエブロス!』
向こう正面残り八百メートルを切って、ぐんぐんと三番手以降との差は広がっていく。
「おいおい。冗談じゃないぞ」
『第三コーナーをカーブしていきます。残り六百メートルの標識を通過しました。七連勝なるか、ホクトベガ! やはり強いのか! その走りは全く乱れていません。第三コーナーから第四コーナー。ここでもまだ余裕がある!』
「ヤングエブロスは第四コーナーで仕掛ける気なんでしょうか」
「いや、違う」
佐々原の手元から缶が滑り落ち、足元に黒い染みが広がった。
「ちょ、さ、佐々原さん!」
慌ててメイセイオペラがハンカチを出してそれを拭こうとするのを、
「そんなものいいから、あれを見ろ!」
興奮しながら遮り、佐々原はターフを指差した。
「一体何ですか……」
そう言ったきり、メイセイオペラは言葉を失った。
『さあ、直線に向きました。残り三百メートル。二番のホクトベガ、ホクトベガが強いぞ! ホクトベガがどんどんどんどんと離していく! 後ろからはヤングエブロスがやってくるがその差は縮まらない! 強い、強い、やはり強い、ホクトベガ!』
二番手で来ていた筈のヤングエブロスは第四コーナーを曲がるも直線で追いつかれてみるみる後退し、集団に呑まれていた。先頭を走るホクトベガに無理にペースを合わせ、そのせいで最後に伸びる脚を失ったのだろう。
そんなヤングエブロスを尻目に一人涼しい顔で先頭を独走するホクトベガ。
『強い、強い、強い! ホクトベガ、女王様とお呼びとばかりの圧巻の走り! 二番のホクトベガ、大観衆に迎えられ、圧勝‼ やはり強かった、ホクトベガ! 大きな星を七つ目! この南部杯でも一等星の輝きを岩手のファンに見せつけました!』
ラジオの実況者がたまらず叫ぶ程、まさしくお前たちとは格が違うとばかりに圧倒的な走りを披露し、二着以下に大差をつけてのゴール。
「そんな……」
思わずメイセイオペラがため息を洩らすほどの勝ち方だった。
二着以下のウマ娘達は疲労困憊し、中にはその場に倒れ込む者もいる。
それだと言うのに、当のホクトベガはというと、まるで疲れを見せず余裕の笑みを浮かべ、スタンドに向かって手を振っていた。
「化け物か……」
初めて目の当たりにするその走りに佐々原は圧倒されていた。
マイルチャンピオンシップ南部杯に出走するウマ娘達がただのウマ娘な訳がない。各地区から選ばれたダートの精鋭であり、砂の走りを最も得意としている者達だ。そんな彼女達をまるで赤子の手をひねるかのように簡単にねじ伏せてしまった。ダートのウマ娘はホクトベガかそれ以外かしかいないとでも言うかのように。
「一分三十八秒三だと……」
ホクトベガのタイムを見て、場内がざわついた。これまでの南部杯のレコードはトウケイニセイのもつ一分三十九秒五。平坦な水沢ではなく、起伏のある盛岡でそのタイムを縮めてくるとは。
佐々原はごくりと唾を呑み込んだ。
このレース場にやってきた観客の中にはユキノビジンのエリザベス女王杯の制覇を願っていたファンも多い筈だ。東北出身のウマ娘としての夢。それを打ち破ったホクトベガの実力はどの程度なのかと鵜の目鷹の目でやってきていた筈だ。そんな岩手のファンたちを、ホクトベガはその強さで一瞬にして黙らせ、味方につけてしまった。
「悲しいが、これが現実だ」
常識を外れた強さは時に好悪を越え、諦めさえ抱かせる。
打倒中央を誓ったトレーナーやウマ娘達の多くが、何度中央のウマ娘達の前に屈し、涙を呑んできたことか。
「どうだ。これを観ても水沢に来られるか? 今ならまだ間に合うぞ」
佐々原の言葉に、メイセイオペラは意外そうに首を傾げた。
「えっ⁉ わたし、水沢に行くんじゃないんですか?」
「もちろん、そのつもりだ。だが、考えが変わることもあるだろう」
知識として知っているつもりでも、実際に現実を見て、それ以上に感じることはある。
ホクトベガの圧勝劇に衝撃を受け、メイセイオペラが水沢行きを断念しても仕方がないという佐々原なりの配慮だった。
だが。
「わたしの考えは変わりません」
メイセイオペラはじっと佐々原を見つめると、きっぱりと言い切った。
「佐々原さんについていきます」
「俺は中央に一泡吹かせたい」
拳を握り、佐々原はウイニングランを行うホクトベガへと向けた。
「あいつらばかりがウマ娘じゃない。地方のウマ娘だってやるんだってところを見せてえんだ」
「それはわたしも同じ気持ちですよ」
ぐっとメイセイオペラも佐々原と同じポーズをとった。
大観衆に応えるホクトベガは二人に気づかない。
「いいさ、今はそれで。だが、いずれ意識させてやろうぜ。あの女王様にもな!」
「ええ!」
力強く答えたメイセイオペラだったが、その拍子に腹が鳴り、赤面する。
「おいおい。さっき食ったばっかりだろう」
「いや、あの。いつもこんなことないんですよ。今日はたまたまお昼ご飯を食べなかったので」
「まあいいや。戻ってどこかで飯でも食うか。レース場の飯も上手いが、ウマ娘は体が資本だ。がっつり食わないと力も出ないだろ」
「佐々原さん、太っ腹! ご飯抜いてきてよかった~!」
「こいつ……。真面目そうかと思ったらちゃっかりしてやがんなあ」
思わぬ本音が出たメイセイオペラに、佐々原は眉をひくつかせた。