ウマ娘 ~英雄は東北より来たれり~   作:コングK

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方言の表現は方言変換ソフトを使っています。作者は方言が大好きなので馬鹿にする意図は全くありません。


第4R「水沢トレセン学園」

年が明けてもレース場に休みはないと言われる。

 だが、そんな中で例外とも言えるのが、雪国にある各地方レース場である。

 一夜にして数メートルは積もることもあるその雪と寒さの前にレースの開催は一部を除いて行われることはなく、所属する地方ウマ娘達はただひたすらに春を待つか、他のレース場への転戦を強いられる。

 門別で冬を過ごしたメイセイオペラは開けて翌年の春、正式に水沢トレセン学園に入学を果たした。

 

「ど、どうですかね?」

「ああ、まあ似合っているんじゃないか」

 真新しい制服を着てくるりと嬉しそうに廻ってみせるメイセイオペラに感想を求められ、佐々原は頭を掻いた。

 地方トレセン学園では、自由な服装を許可する所が増えている。そんな中、水沢トレセン学園が制服に拘っているのは、生徒勧誘のためというのがその理由だった。中央志望のウマ娘ばかりが増える中、何か手はないかと協議した結果、少しでも話題を集めたいと有名デザイナーの手による制服を採用することにしたのだ。出来上がった制服はセーラー服を基調とした中央トレセン学園とは逆に紺のブレザーにネクタイを締めるお嬢様然としたもので、学園の上層部は太鼓判を押したが、中央トレセンを意識し過ぎだと佐々原達トレーナー陣からは不評だった。

「えへへ」

 そんな佐々原の内心を知る由もないメイセイオペラは、校門の所にいる祖父母の所に飛んでいった。

「おお。よく似合っているじゃないか」

 嬉しそうに声を上げる義正に、うんうんと隣では祖母の明美が頷いている。仕事で忙しい両親の代理でやってきた二人だったが、孫娘の成長に相好を崩した。

「ホントにねえ。お母さんに似て器量よしだよ」

「ちょ、ちょっとおばあちゃん! 止めてよ!」

「いいじゃないか。本当のことだ」

「お、おじいちゃんまで! 恥ずかしい……」

 顔を赤くし、そっぽを向くメイセイオペラを尻目に、義正は校門の所で写真撮影をしたいと佐々原にせがんだ。

「せっかくの孫のハレの日なんで、記念に……」

「お任せください。こう見えて、写真には自信があるんですよ」

「それはありがたい。是非お願いします」

 前髪を整えるメイセイオペラのネクタイを明美が優しく締め直す。孫娘が可愛くて仕方がないといった二人の様子に佐々原は笑顔でカメラを受け取った。

「もうちょっとくっついた方がいいかな」

「す、すいません。佐々原さん」

「なあに、お安い御用だ。そんなことよりスマイルスマイル! デビューしたら大勢の前で笑顔を見せて歌うんだからな」

「そりゃ楽しみだ」

「ぜひ応援に行きたいねえ」

 微笑む祖父母の真ん中に立ち、メイセイオペラは、

「重賞レースで勝って絶対二人の前でウイニングライブに立つからね!」

 笑顔でそう約束した。

 

「今年の子達はどうかしら」

 体育館で行われる入学式に登壇したのは水沢トレセン学園理事長南部シアン。一応に緊張を浮かべる新入生達だが、この中で腰掛けではなく、この水沢トレセン所属として残る者はどれくらいいるのだろう。盛岡と水沢。岩手県内に二つあるトレセン学園はその両方を岩手ウマ娘組合が経営しているが、近年OROパークを中心に大改修をされた盛岡とは異なり、水沢は既存の施設の修繕が主で、少しでも力のあるウマ娘は皆盛岡を選ぶと聞く。

(やりきれんな、全く)

 入学の訓示を述べながらも、シアンは虚しさを感じざるを得なかった。同じ岩手の中でもはっきりと序列がついている。いくらスタンドを改修し、強いウマ娘が現れるように様々な賞を創設しても、結局才能のあるウマ娘は中央に集まるのではないか。

(今も昔も我々は中央のおこぼれをもらうための存在なのか)

 かつて、この岩手で人気があるウマ娘と言えば、中央で走った者達の名ばかり挙がっていた。トウケイフリートやスイフトセイダイの活躍で、岩手のウマ娘の名が売れるようになったが、それまでは南関東の下のレベルと同程度と言われていたのだ。

(果たして、この中から彼女達のような存在が現れるのだろうか)

 願望を込めて、シアンは新入生たちを見回し、壇上を後にした。

 

水沢トレセン学園は地方で開催されるエンターテイメントシリーズ、ローカルシリーズで活躍するウマ娘を指導・育成するための施設である。総敷地面積はおよそ二十五万平方メートルに及び、三百人弱のウマ娘達が在籍。そのほとんどが地元東北出身のウマ娘だった。

「メイセイオペラです。門別から来ました。よろしくお願いします」

 おおっと教室の中がざわついた。席に着いたメイセイオペラの肩を後ろの席のウマ娘がこづく。

「あんだ、やだらかっこづげでらな」

「え⁉」

「わんどなんて眼中にねってごどが」

 南部弁を早口でまくしたてるそのウマ娘は、目を白黒させるメイセイオペラを尻目にアンジェラザントとだけ名乗ると、不機嫌そうにどっかりと腰を下ろした。

(な、なんなんだろう)

 何が相手を怒らせたのか分からないとメイセイオペラは混乱した。そもそも自分はただ挨拶をしただけだ。それがどうして挑発にとられたのだろうか。

「気にしないでいいさ。そいつ、怒りっぽいんだ。あんたが標準語しゃべっているのが気に食わないのさ」

 隣にいたウマ娘、モーニングピコがはははと笑いかけてくる。

「え⁉ でもみんな標準語をしゃべっているじゃない」

「あたしらはそのつもりだけどね。イントネーションが微妙に違うって都会から帰って来た連中によく言われるよ。耳が慣れちまっているからね。仕方ないんだ」

「そう言われれば、確かに」

 級友たちのしゃべり言葉は一見標準語のように聞こえるが言葉の端々のイントネーションが微妙に訛っている。それが気にならなかったのは、メイセイオペラが故郷の方言が好きだからだ。門別で幼少より過ごした際、周囲は都会からの移住者が多かった。その影響で自然と標準語のイントネーションでしゃべっているメイセイオペラからすれば、逆に標準語の平坦なイントネーションが好きではない。

「でも、これは生まれつきみたいなもんだし」

 申し訳なさそうにするメイセイオペラに対し、後ろのアンジェラザントはふんと鼻を鳴らし、

「構わないよ。標準語でも南部弁でも大阪弁でも」

隣のモーニングピコはぷらぷらと手を振った。

 

「一人かい? あたしとご飯行かないか」

 昼時になりそう声を掛けてきたのは、モーニングピコだ。

せっかく誘ってくれたのだからと腰を浮かし掛けたメイセイオペラだったが、隣のアンジェラザントが視界に入ると、ぴたりとその動きを止めた。

「なんだ? 何が不都合でもあるのが? わんどどはご飯食われねえのが」

「こぉら、アンジェ。いい加減にしてけろ。おらがせっかぐ仲直りするべーと……」

「誰もそったごど頼んでね」

 吐き捨てるように言うと、アンジェラザントはモーニングピコが止めるのも聞かず、すたすたと教室を出て行った。

「ごめんな。悪い奴じゃないんだ」

「う、うん」

「どうかしたかい?」

 どことなく先ほどまでと態度が違うメイセイオペラに、モーニングピコはああと頷いた。

「あたしとアンジェは同じ中学でさ。どうしても興奮すると生まれた盛岡の言葉が出ちまうんだよ」

「あ、そうなんだ」

「レースに出るんだったら訛りをどうにかせいと中学で散々言われたんだけどねー」

「でもユキノビジンさんは中央に行ってもそのままでいたじゃない」

「あんな有名人と同じにされるなんて恥ずかしいね。ま、同室同士仲良くやろうや」

「え?」

 にっこりと微笑みながら、モーニングピコはメイセイオペラの肩をばしばしと叩いた。

 

 放課後、メイセイオペラはゴロゴロとスーツケースを転がしながら、水沢トレセン学園の寮を探していた。トレセン学園に入学した者達は一部の例外を除き、皆寮から通うことになっている。寮生活を過ごすことで、自然と集団としての規律を養い、デビューに向けて練習三昧の日々を送ることになる。

 教えられた場所には木造の校舎がぽつんと建っているだけで、周囲にはなにもない。これはモーニングピコに担がれたかと来た道を引き返そうとすると、扉が開き、中から眼鏡のウマ娘が顔を出した。

「貴方は間違っていませんよ。一見ボロボロの校舎のように見えるこの建物は、実際に古くなった校舎を寮として再利用しているボロボロの寮なのです。青雲荘というのが一応の名前ですが、その名で呼ぶ者はいませんね。皆あれとか寮とか言っています」

 いきなり一気呵成にまくし立てられ、メイセイオペラは反射的にこくりと頷いた。

「佐々原トレーナーから話は聞いています。さ、入ってください」

「あ、あの。私のこと、知っているんですか」

「無駄な質問です。私は最前佐々原トレーナーから話を聞いていると言いました。貴方のことを知らなければそのような発言はありえません。そうではないですか、メイセイオペラさん」

 とうとうと淀みなくしゃべるウマ娘はメイセイオペラが口を挟む隙を与えない。

「申し遅れました。私はミチノクシャーリー。ミチノクさんでもシャーさんでも好きなようにお呼びください。ああ、ただしみっちゃんと呼ぶのだけは禁止です」

「は、はあ……」

「寮の門限その他規則についてはこのプリントに全てまとめてあります。部屋に入り、荷物を整理したら読むように。朝食は六時から七時まで。朝練等トレーニングがある場合には前日の十五時までに寮母さんにお願いすれば特別におにぎりを作っていただけます。寮母さんのお知り合いの方のお米らしくて中々に美味ですよ」

「はい」

「洗濯物については一階と二階にそれぞれ洗濯機が一台ずつあり、基本部屋干しです。都会の方ではドラム式の乾燥機なるものがあるそうですが、そんな便利なものはここにはありません。レース用の一張羅については近所にある花丸クリーニングが一番お安いでしょう。店の人もここの学園に対して好意的なのでポイントをおまけしてくれます」

「はい」

「寮の門限は六時です。早いと思うかもしれませんが、冬場は早めに戻ってこないと普通に死にます。まあ、門別にいた貴方に言う必要はないかもしれませんが、この辺でも深夜は十月でも二度ぐらいまで下がる日もあります。油断しているととんでもない目に遭います。用心してください」

「ええと……」

「ああ、お風呂ですか。お風呂については非常に微妙な大浴場が一つあります。ボロイとも綺麗とも言えない程度のものですが、一番右のシャワーが故障しているので使わないでください。お湯が出ません。ゆっくり使いたいのなら休みの日に近くの柳湯に行くのをお勧めします。こちらの女将さんも我々に対して非常に好意的な方で、時々フルーツ牛乳をおまけしてくれますよ」

「す、すごいですね……」

「ええ。風呂上がりの一杯は格別です。と、ここ。二〇一が貴方の部屋です」

「あ、すいません」

 どうやら悪いウマ娘ではないらしい。ぺらぺらとしゃべりながらもミチノクシャーリーはメイセイオペラを部屋へと案内した。よく見ると、部屋番号の上にはメイセイオペラの名前と共に、モーニングピコの名前が書かれた紙が貼り付けられている。

「ピコ、いるんですか? 扉を開けますよ」

 ノックをしたミチノクシャーリーだったが、返事がないのが分かると、やおら扉を開いた。

「おじゃましま~すって、えええ?」

 中に入り、メイセイオペラはその煩雑さに思わず声を上げた。六畳ほどの室内には二段式のベッドが鎮座し、その上を埋め突くすように段ボールが山積みされていた。

「あのう、私、どこで寝れば」

 ベッドは上下ともに段ボールで埋まっている。メイセイオペラの分の荷物はスーツケースのみであるから、確実にこれはモーニングピコの分だ。

「あの子ったら。昨日のうちに片づけなさいとあれ程言ったんですがね。探してきます。その間、申し訳ないですが、あなたはそこの椅子にでも座っていてください」

 ミチノクシャーリーが指し示したのは部屋に二台置かれた机の内の一つ。申し訳程度に間仕切りがされたそれはどう見ても小学生の学習机のお古だった。

「ああ、大丈夫です。そんな見た目ですが、結構頑丈ですよ」

 微妙な顔をしているメイセイオペラに気づき、ミチノクシャーリーがフォローする。

(いや、そうじゃなくて……)

 寮になぜ学習机があるのか。つっこみたい衝動に駆られたメイセイオペラはぐっとそれをこらえた。

「何か困ったことがあったら相談なさい」

「ありがとうございました」

 メイセイオペラが礼を言うよりも早くミチノクシャーリーは部屋を飛び出していった。モーニングピコを連れ戻しに行くのだろう。

「やれやれ……」

 一人になり、積まれた段ボールをどうしたものかとメイセイオペラが途方に暮れていると、突然下のベッドの段ボールが動いた。

「ふい~。なんとか行ってくれたかあ」

 段ボールの山の下から出て来ると、モーニングピコは大きくあくびをした。

「あれ、いたんだ」

「いたいた。シャー先輩、いい人なんだけど説教が長いからさあ」

「言われるようなことしなけりゃいいじゃない」

 メイセイオペラが段ボールの山を指差すと、モーニングピコは渋面で返した。

「別にあたしがやった訳じゃないんだよ。あたしの持ち物なんかリュック一つだからね。恨むならうちの父ちゃんを恨むんだね」

「モーニングピコのお父さんが?」

「ピコでいいよ。その代わりあたしもあんたをオペって呼ぶからさ」

 モーニングピコは肩を竦めて見せると、一番近くにあった段ボール箱を開けた。

 中に入っていたのは土のついた紅い色のにんじんだ。

「あっ、にんじん。でもなんか色が薄いね」

「新しい品種らしいよ。あたしがここに入るってのが決まったって伝えたら父ちゃんが喜んでさ。知り合いの農家のおっちゃんたちが喜ぶだろうとやたらに送って来てこのざまさ」

「へー。にんじんパーティー開けそうじゃない」

 差し出されたにんじんにぱくついたメイセイオペラだったが、途端に口の中に広がる辛味にぺっとその場に吐き出す。

「なあ⁉ な、何これ! 辛っ!」

 メイセイオペラが慌てふためく様にモーニングピコはげらげら笑いながら、水のペットボトルを手渡した。

「あんた、本当にこっちのことあんまり知らないんだね。岩手の安家地大根って言ったら有名だよ。そばの薬味とか後は凍み大根によく使うんだ。煮ると甘くなるんだけど、そのまんまだとご覧の通り」

「ご覧の通りじゃない!」

 ポカポカとメイセイオペラに叩かれながらも、モーニングピコは楽しそうに手を差し出した。

「まあ、同室同じクラスってことでこれからよろしく」

「よろしく……」

 口をへの字に曲げながらも、メイセイオペラはその手を握り返した。

 

 水沢トレセン学園に入学してから一か月も過ぎると、入学してからの熱は一気に冷め、厳しい現実をメイセイオペラは目の当たりにすることになった。

 校舎を筆頭に水沢トレセン学園の施設は老朽化が目立ち、中には隙間風が吹く所もあった。寮のシャワーがしょっちゅう故障するために、頻繁に銭湯に通わなければならない。

 肝心のトレーニング環境もまた同様で、トレーニングをするためのコースと言えば、レースに使用するダートコースがあるのみ。その他には準備練習用の校庭しかなく、ウッドチップや坂路コースなどといった気の利いたものは一切存在しない。

(これじゃあ、クロイワの方がマシかも……)

 これまで通っていたクロイワクラブは私立の名門クラブで、中央入りするウマ娘を育てるために施設の充実には力を注いでいた。そのクロイワクラブから来た彼女からすれば、水沢トレセン学園の何もかもが足りなく見えて仕方がない。

(でも、決めたのは私だ)

 泣き言を口にしそうになるのを、精一杯のプライドでメイセイオペラは押し止めた。地方から中央を目指すという言葉に惹かれてやってきたものの、予想以上の環境にショックは大きかった。だが、誰かのせいにすることはできない。祖父が言った通り、決めたのは自分自身なのだ。

 

 雨が降り、室内トレーニングを言い渡されると、皆は一目散にトレーニングルームに駆け込む。

トレーニングルームには一通り機器はそろっているのだが、数が少なく、あるのはダンベルやバーベルばかり。先輩たちが選別代わりに置いていってくれた二台のルームランナーはいつも奪い合いになり、そのうちの一台は最近調子が悪いともっぱらの噂だ。

「あーあ、失敗した」

 黒髪のウマ娘、ミモットが大きな声で呟いた。ルームランナーがとれず、腹を立てたのかと思った周囲が耳にしたのは、水沢トレセン学園に対する不平不満だった。

「腰掛けでいいからって制服に釣られて来てみれば、何よこれ。そこらのジムの方がよっぽど設備が整っているじゃん。これなら盛岡にしておけばよかったよ」

「水沢の方が後腐れが少なそうだから、水沢にしようって言ったの、ミモットじゃん」

 そう言ったのはミモットと中学時代からの付き合いだというスターメルボルン。

「あたしは盛岡にすればって言ったのにさ。こっちと全然違うらしいよ」

 盛岡と水沢では同じ岩手県内にあるとは思えない程天と地の差がある。OROパークと名付けられ、地方レース場唯一の芝コースがある盛岡トレセン学園と異なり、水沢にはダートコースがあるのみ。しかも一周千二百メートルと狭く、少しでも中央を目指そうとする者は皆盛岡を選ぶと言われている。

「本当、ミスったよ。試験が楽だからって入ったの。やってられんわ、こんなの」

「仕方ないよ。先輩達から代々受け継いでいるもんが多いからね」

 スターメルボルンががけらけらと笑う。中央のトレセン学園と違い、資金が潤沢ではない地方トレセン学園では、新しい機器を導入するだけでも手間がかかる。そのため、今あるものを補修・修繕して使うしかなく、真新しいものは一つとてありはしない。

「見たでしょ、理事長室の前にあった先輩たちの写真。勝負服なんてボロボロじゃん。ボロは着てても心は錦なんて言わないでよ?」

 水沢トレセン学園の理事長室の前には歴代の卒業生達の写真が飾られている。だが、その勝負服は一つとしてきれいなものはない。ローカルシリーズを戦い抜いてきた激戦を物語るかのように袖口がほつれたり、中にはツギハギが目立ったりするものあった。

「一番大事な勝負服にすら金を掛けられないなんて。どうなってんのよ、全く」

 詐欺だと喚くミモットに、室内にいたウマ娘達は下を向く。中央のトレセン学園では、勝負服は何着も用意され、レースの度に学園がクリーニングを請け負ってくれるという。勝負服は基本一着で、クリーニングも自前という自分達とは待遇が雲泥の差だ。

 漂う暗い雰囲気を一変させたのは競い合って響く金属音。

「百十一、百十二!」

「百十、百十一!」

「ぐっ!」

 カシャン。メイセイオペラは持ち上げたバーベルを金属製のスタンドへ置く。その脇でアンジェラザントは涼しい顔でトレーニングを続けている。

「何やってんのよ、あんた達」

 自らに同調しない二人に、ミモットは不快感を示すが、アンジェラザントの返答は素っ気ない。

「トレーニングの時間にくっちゃべってる暇があるが?」

「はあっ⁉ そんなことして何の意味があるのよ」

「くだらね。トレーニングは自分のためにするもんだ」

 黙々とトレーニングに励むアンジェラザントに、メイセイオペラは初対面の時の印象を改めた。

 

 地方も中央もトレセン学園で習うことに大差はない。

通常の一般教養の時間に加え、レースへ向けての基礎的な体力トレーニング、そしてウイニングライブ用の歌唱・ダンスレッスン。

 一昔前までは地方レース場でのウイニングライブと言えば、ポータブルラジカセを使用してのもので、口の悪い中央の関係者からは演歌だの盆踊りだのと陰口を叩かれたものだった。その状況が一変したのは、オグリキャップを代表する地方出身ウマ娘達の活躍により、中央と地方の交流が活発になったからに他ならない。洗練された中央のウマ娘達のダンスを目にした地方トレセン学園関係者は一様に焦りを覚え、これまで予算の削減を理由にそれぞれのウマ娘の自主学習に任せていたその分野に本腰を入れることとなった。

「そんなこと言っても、あたしたちのは所詮盆踊りだけどな」

 ダンスレッスンが終わり、床に倒れこんだモーニングピコはそう言うと、愉快そうに笑い転げた。

 中央で引退したウマ娘がダンス講師としてやってきているが、細かいステップが苦手なモーニングピコはその都度目をつけられ、宿題を出されていた。

「まーた、下の階のシャー先輩に怒られるよ」

「それはピコが夜中にやるからじゃん。ベッドの上でも時々やっているでしょ。下に響いているし」

「しょうがねえべ。あたしは不器用なんだから」

「そんなことないよ。ピコのステップ、私は好きだけどなあ」

「オペぐらいだよ。そんなこと言ってくれるの」

 一月余り寝食を共にするうちに、メイセイオペラとモーニングピコは互いにあけすけに語り合える仲になっていた。

 だが、その一方で、まるで関係が変わらないままの者もいる。

「腹立だねのがい。都会者さ馬鹿にされでさ」

 横から口を挟んできたアンジェラザントだ。初日の自己紹介で絡まれて以来、何かある度に突っかかって来られ、その度にメイセイオペラは聞かぬふりをする必要に迫られていた。

「いよいよデビュー戦か。オペには負けられないな」

 この二か月の間に選抜レースを走り、スカウトを受けた者達は無事七月に行われるデビュー戦への出場が決まっている。メイセイオペラのトレーナーは当然のように佐々原となったが、モーニングピコとアンジェラザントのトレーナーは高橋が勤めていた。

「私もピコには負けないよ」

「言うじゃない。これは気を引き締めていかないとね」

 アンジェラザントは二人に挑戦的な眼差しを向けた。

「くだらね。仲良しこよしじゃあらねぁし。ウマ娘だったらレースさ勝だねどしょうがねでねが」

「なんだい、そりゃ。おらが勝づ気がねぁーずーのがい?」

「ちょ、ちょっとピコ」

「少なぐどもわにはそう見えるわな。そいづのようにわんどは特別でね」

「特別? わたしが?」

「ああ。コネで選抜レースもなしだともっぱらの噂よ。違うんがい?」

 メイセイオペラは口を噤んだ。

 実際にはクロイワクラブでの実績が考慮され、選抜レースへの出場が免除されたのだが、それを正直に言ったところで、選抜レースでスカウトを勝ち取ったアンジェラザントからすれば大した違いはないだろう。

「おめには絶対さ負げねすけな」

 そう言い放つと、アンジェラザントは体育館から出て行った。

 

「どうしたらいいんでしょう」

 放課後ジャージ姿でトレーナー室を訪ねたメイセイオペラは、開口一番そう口にした。

 デビュー戦が近づくにつれて、教室の中には刺々しい雰囲気が流れている。特にアンジェラザントだ。初日に目の敵にされて以来、気まずくなる一方だった。

「あの子も根はいい子なんだけどねえ」

 古びて穴の開いたソファに腰を下ろし、高橋は真新しいティーカップにお湯を注ぐと、目の前のメイセイオペラと佐々原に手渡した。手元にあったインスタントコーヒーの瓶から直接粉を入れる佐々原に、メイセイオペラは目を丸くする。

「気が急いているんだよ。オペちゃんと違ってあの子は地域のクラブに通いながら一人で地道にトレーニングをしてきたみたいだし」

「ここじゃあ、それが普通さ。オペみたいのは珍しい」

 器用にふたを使い、コーヒーの粉を入れようとしていたメイセイオペラはぴたりと手を止めた。

「そうなんですか」

「ああ。クロイワクラブみたいな名門クラブに入るには金がかかる。そんな恵まれた立場の奴がどうしてここへってそりゃ思うだろうな」

「元々の原因は佐々原さんじゃないですか」

 他人事のように言う佐々原に、メイセイオペラは頬を膨らませる。

 元々中央へ行こうかという話は出ていたのだ。それが直前になって変更になったのは、佐々原の熱心な勧誘があったからだ。

「気にするなとしか言えないな。これが現実だ」

 地方と中央の差以上にウマ娘達を悩ませるのが自らの生まれた家庭環境だ。本格化するまでの間の基礎トレーニングは重要で、ウマ娘の今後を左右するとも言われている。幼少期から鍛えることは常識だが、それをいかに効率的にやるかに皆が頭を悩ませている。体力トレーニング以外にもダンス・歌と必要なことが多いウマ娘達は必然的に多くの習い事を幼少期より受ける。高額なレッスン費用を補うため、独学で学ぶアンジェラザントのようなウマ娘は多い。孫娘のためにと惜しげもなく何百万という大金をつぎ込んだ義正のような人物の方が珍しいのだ。

「そんなこと言われても気にはなりますよ~」

 指先でくるくると髪をいじるメイセイオペラに、佐々原はそう言えばと話題を変えた。

「おじいさん、体調大丈夫なのか」

「なんか、ここ最近体調が悪いとかで、検査のために入院するっておばあちゃんが。ちょうどいい機会だからあちこち検査しようって……」

 乱れた髪先をゆっくりと整え、メイセイオペラは小さくため息をついた。

 つい先日、ゴールデンウイークに実家に帰ろうとした際、メイセイオペラは義正の入院を知った。すぐに病院に駆けつけようとした彼女を、デビュー前なのだからと押しとどめたのは祖母の明美である。

「おじいちゃん、私のデビューをすごく楽しみにしているみたいで。観には行けないけど、ビデオが欲しいって言っていました」

「そうか。それじゃいいビデオカメラを用意しないとな」

「お願いします」

 メイセイオペラはぺこりと頭を下げると、佐々原からトレーニングメニューを受け取り、出て行った。

「佐々ちゃんが言っていた通り、素直で真面目な子ね」

「ああ、まあな。素直過ぎるきらいもあるが」

 佐々原は胸ポケットから煙草を取り出すと、灰皿を引き寄せた。

「おたくのアンジェやピコの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ。あいつは少しぐらい図太さを身に付けた方がいい」

「トレーナーは十分図太いんだけどねえ」

 煎餅を頬張りながら、高橋が呟く。

「悪かったな」

 誰のせいだと言いたくなったが、ぐっとこらえ、佐々原は煙草に火をつける。

「にしても、あの子のおじいさん。心配だわね。変な病気じゃなきゃいいけど」

「大丈夫だろう。四月に会った時は元気そうだったし。高齢であるから何かの持病かもしれない」

「だったらいいんだけど、検査って割には長いと思ってさ」

 確かにその通りだ。通常の検査であれば二、三日で済むのに大分長い期間入院が続いている。

「せっかくの機会だからとあちこち診てもらっているんじゃないか?」

「あり得なくはないけど」

 続く言葉を高橋は呑み込んだ。せっかくトウケイニセイという稀代のウマ娘の引退と共に抜け殻のようになって、日々をなんとなく過ごすだけだった佐々原がやる気になっているのだ。水を差すべきではない。

「さてと、それじゃ私もあの二人の所に行きますか」

 煎餅の袋を仕舞い、高橋が立ち上がると、佐々原は慌ててタバコの火を消した。

「あら。別におたくのオペちゃんはトレーナーがいなくても平気なんじゃない?」

「そんな訳ないだろ。あいつはまだひよっこだぞ。いくらクロイワクラブにいたからって、レースはまた別だ」

 

 水沢トレセン学園の練習コースはレース本番でも使用するレース場をそのまま使う。中央トレセン学園にあるような練習用のコースなど存在しない。練習でも本番でも同じ場所を使うため、代わり映えはしないが、コースの特性に慣れることはできる。

 

 佐々原がコースに出ると、メイセイオペラは砂地の感覚を確かめるように脚を高く上げ、ダクを踏んでいた。

「よし。ピッチ走の後はキャンターでゆっくりと五周廻ってこい」

「はい」

 唯々諾々と従うメイセイオペラの姿に、佐々原はこの一月の成長を感じる。

 

名門クロイワクラブの出身ということもあって注目を浴びたメイセイオペラだが、初めてのダートデビューは散々なものだった。

「うおおおお!」

「負げねーよ!」

モーニングピコとアンジェラザントが全力の並走トレーニングで汗を流している脇でただひたすらダクを踏み、ピッチ走とキャンターで流すのはどうなのか。

つい不満が顔に出て、佐々原からそれなら走って見ろと言われたメイセイオペラは意気揚々とゲートに入った。

「よし、とりあえず走ってみろ!」

(二人に負けないようにしないと!)

 意気込むメイセイオペラだったが、ゲートが開き、走り始めて違和感に気づく。力強く踏み込んでいる筈なのに、力が逃げてしまう。そのために上手く加速することができず、トップスピードに至ることができない。焦れば焦る程足は動かず、クロイワクラブでの記録よりも大分遅いタイムでゴール板を駆け抜けた。

 

(なんなの、これ)

 普段よりも疲労感が酷く、汗が滝のように流れる。

(まさか、ここまでなんて)

自らの想像以上の芝とダートの違いに、メイセイオペラはただただ困惑するしかなかった。

 

「お前が今やるべきなのは砂に慣れることだ」

 肩で息をして戸惑うメイセイオペラに対し、佐々原は木の枝で図を描き説明を始めた。

「クロイワクラブで夜間もトレーニングを行ったことで、お前は基礎的な体力については十分ある。だが、ここで問題なのが、これまでのトレーニングは基本的に中央を見据えたものだったということだ」

 中央と地方の一番の違いはその走るコースにある。中央のメインレースはそのほとんどが芝であるのに対し、地方で芝コースがあるのは唯一盛岡だけで、地方レースと言えばダートコースというのが常識だった。

「当然芝とダートの走り方は違う。一番の違いは、砂は芝よりも走るのにコツがいるということだ」

 砂は後ろに蹴ろうとすると、力は当然砂ごと後ろに抜けていってしまい、大きく前に進めない。芝が得意であるのに、ダートが苦手なウマ娘に多い特徴で、地面を極端に大きく蹴るタイプとは特に相性が悪い。

 佐々原が指示した通りにダクを踏んだメイセイオペラは芝との違いに驚きながらも、感覚を掴むために二度三度と繰り返す。

「ダクを踏んで分かってきたと思うが、砂は垂直方向に力を伝えづらい。砂に着いている足の力だけでは地面を押して進むには不十分だ。身体全体を上手に活かして、力を伝えていく必要がある。そこで、大事になるのが地面に着いていない方の脚の使い方だ」

 佐々原は右脚で地面を踏んだ瞬間に素早く左の腿を挟み込むように遅れずに引き出した。

「こうすることによって、地面への垂直方向に力を伝える補助としろ」

「踏む、出すのリズムですね」

「そうだ。だが、今のではただ腿を上げているだけだ。もっと切り返しを意識しろ!」

 

「踏む、出す。踏む、出す。踏む、出す……」

リズムカルに腿を上げるメイセイオペラの姿は一月前とはまるで違う。

「もっと足で砂地を掴む感じだ!」

 佐々原の檄が飛ぶ。

 地面に支持脚を着き、逆の脚を引き出す動作を繰り返す。芝に比べて力の入れ具合が違うダートではこうした練習だけでも身体にかかる負担は段違いだ。汗まみれになりながらも腿上げを繰り返すメイセイオペラを、コースを走るアンジェラザントは鼻で嘲笑った。

「いづまでそった基礎的な練習やってらんだが」

 一か月余りの間、メイセイオペラは砂に慣れる練習を中心に行っている。そんな様子では、実戦練習を中心に行っている自分達二人の敵ではないだろう。

「向ごうは向ごうで考えでらんだべ。おらだづはおらだづでやっていぐべー」

「はん。仲間意識がつえいごどで」

「なんだ。妬いでんのが?」

「馬鹿へってらんでね!」

 モーニングピコのからかいに、吐き捨てるように言うと、アンジェラザントは速度を上げた。

 

 夕方。部屋に戻ったメイセイオペラは、ベッドの上にうつ伏せに寝るモーニングピコを見つけた。

「ちょっと、ピコ。ジャージのままじゃ風邪引くよ」

「……ああ、オペかあ~。今は……九時? 晩飯食べ損ねたかあ」

「寮母さんにおにぎり頼んできてあげるよ。時間外だから怒られると思うけど」

「ごめ~ん。ついでにもう一人分お願いしていい?」

「もう一人分?」

 メイセイオペラが聞き返すと、モーニングピコはアンジェラザントの分だと答えた。

「アンジェの分? でもまだ戻ってなかったけど」

「え⁉ あのバカ」

 がばと跳ね起きるや、モーニングピコはよれよれのジャージ姿のままに寮の廊下へと飛び出し、その後にメイセイオペラが慌てて続く。

「早く探さないと、またシャー先輩の説教だよ」

「一緒に帰って来たんじゃないの?」

「あんな練習馬鹿に付き合えるわけないさ。まだやりたいって言うからあたしだけ先に上がったんだけどさ」

 靴を履き、外に出ようとした二人の前でおもむろに扉が開いた。

「練習馬鹿で悪がったね」

 戻って来たアンジェラザントは泥まみれだった。その異様な姿に、モーニングピコは持っていたタオルで慌てて彼女の顔を拭き始める。

「どした?」

「転んだだけだ」

「トレーナーに無茶するなって言われでらだべ!」

 年の離れた姉のように注意するモーニングピコに対し、アンジェラザントは素っ気ない。

「負げたくねだけだ。こいつにはな」

 じろりとメイセイオペラを睨むと、すたすたと廊下を先に歩いて行った。

 

 

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