ウマ娘としてレースの世界で生きて行こうと考えた者にとってはその日は生涯にたった一度の晴れ舞台だ。
地方でも中央でも、ウマ娘に等しく訪れるその日。
メイクデビューと名付けられたそのレースは、今までレースに出ることを許されなかった半人前のウマ娘がようやく一人前として巣立つ日である。
(あの時と全然違う)
昨年の南部杯の時と比べ、閑散としたスタンドを見てメイセイオペラは唇を噛んだ。中央のスターであり、ダートで六連勝を飾っていたホクトベガが出走するとあって、人の波は唸り、熱気に包まれていた。
「にしても、この人出はないわ」
入念に柔軟を行うメイセイオペラの横で同じレースを走るミモットが観客の方を指差しながら愚痴をこぼした。
中央のウマ娘達ならば、トレセン内のコースだけではなく、URA所属の各地方レース場で満員の観客に迎えられて華々しくデビューを飾ることもできる。だが、地方では所属のトレセンのレース場で行うのが常で、観客も関係者を除けばいつも通い詰めている常連の姿がちらほら見えるくらいだ。水沢トレセン学園は提携している盛岡トレセン学園が所有する盛岡レース場を使用させてもらい、大々的にメイクデビューレースを行っているものの、それでもその客の入りは寂しいものだった。
「まあ、あたし達のやる気はあっちでしょ」
ミモットの勝負服の裾をちょいちょいと摘まむと、スターメルボルンはスタンドの一角に向けて顎を突き出して見せる。
そこにいたのは中央から派遣されてきたトレーナー達。
オグリキャップを筆頭とした地方出身ウマ娘の台頭は、中央のトレセン関係者に衝撃を与えた。
未知なる地方ウマ娘を発掘し、そのトレーナーとなれればオグリ二世も夢ではないと、毎年のように通い詰める者も多く、今や地方トレセン学園のメイクデビューは有能な若手の草刈り場となっている。
「いい所見せて、さっさとおさらばしたいもんね」
「そう言うこと」
笑い合う二人は、静かに見つめるメイセイオペラの視線に気づき、目を細める。
「何? 悪い?」
「別にみんな思っていることじゃん。口に出さないだけっしょ」
それは確かにそうだ。地方と中央。あまりにも両者には差が付きすぎた。レースの規模、施設の質、観客の多さに知名度。ウマ娘としての待遇が明らかに良いのは中央で、地方に残る必要は感じられない。
「あたしらが中央の連中からなんて言われているか知っている?」
ローカルシリーズのことを中央のウマ娘やトレセン関係者の中には草と呼ぶ者がいる。
その昔、今のような立派なレース場ができる前、草っぱらを簡単に整地した所に柵を立ててレースをしていた。所詮、地方はその時と同じ。草レースと変わらないのだと揶揄する言葉だが、それは地方出身ウマ娘が活躍するようになっても残り続けている。
「ローカルじゃダメなんだよ。トゥインクルじゃないと」
「ミモットの言う通りさ。何が草だ。草じゃなくて砂だっての。こんな砂ばかりの所なんかずっと走っていられないよ」
スターメルボルンは砂が敷き詰められたターフを踏みつけた。
「ウマ娘としてレースに出るんだったら、中央の芝で走りたい。そう思うのは間違ってないだろう?」
大勢の観客の前で活躍したい。それはウマ娘にとっては夢だ。誰もがそうなりたいと願っている。ただ、それが叶う者はごく僅か。ローカルシリーズを走る者達の名が中央まで届くことは滅多にない。怪物とでも呼ばれない限り。
メイセイオペラが口を噤んでいるのが興に乗ったのか、尚も言いつのろうとする二人の前にすっと立ち塞がった者がいた。
「ぺらぺらとよく口が廻るもんだな」
「な……」
「アンジェ……」
アンジェラザントだ。すでに軽くダクを踏み、体を慣らしたのかその額からは玉のような汗を流している。
「ウマ娘ってのは口を動かすもんだったか? 足を動かすもんだと思ってたがな」
「あんただって中央入りを目指してるんでしょうが。知っているんだからね!」
その迫力に怯んだのが悔しかったのだろう。ミモットは吐き捨てるように言った。
地方トレセン学園に入りながら、中央入りを目指すウマ娘がいるのは今や公然の秘密だ。誰もが分かっていながらも、それを止めることはできない。せめて、ウマ娘達の良識に合わせ、表立って口にしないことだけを地方トレセン学園関係者は生徒たちに伝えている。
「だからどうした。そんなのはあんたに関係なかんべ」
「アンジェの言う通りだよ」
そうメイセイオペラの背後から声を掛けたのはモーニングピコだ。
「中央だろうが、地方だろうがどこで走ろうと関係ねえ。そいづの自由だ」
「ピコ……」
「おめえたちが中央を目指すのは好きにしろ。だけど、あたしらみたいなひよっこをわざわざ観に来てくれているファンのことを悪ぐ言うんじゃね」
「ちっ」
ミモットとスターメルボルンはバツが悪そうにくるりと三人に背を向けると、そそくさとゲートの方へと向かった
「ありがとう」
礼を言うメイセイオペラに対し、ふんと鼻で笑うと、アンジェラザントはすたすたとゲートへ歩いていく。
「すまんね。ああいう奴なんだ」
「うん」
「まあ今日に向けてあたしもバッチリ体調を整えてきたし、いっちょオペに目にものみせてやろうかね」
ぐるぐると肩を回しながら、宣言するモーニングピコにメイセイオペラは笑顔を見せる。
「私だってこの三か月、ただ練習してきたんじゃないもの。ピコにもアンジェにも負けないから」
『さあ、明日を夢見るウマ娘にとってはハレの日がやってきました。水沢トレセン学園メイクデビューレース。一番人気は入学前から前評判の高かったアンジェラザント。順調な仕上がりを見せています。門別クロイワクラブ出身のメイセイオペラは四番人気。その実力は未知数と言ったところでしょうか』
ゲートに入ったメイセイオペラはちらりとスタンドの方に目をやった。
スマホを片手にこちらを向く佐々原と視線が合い、思わずこくりと頷く。
(きちんと撮っておいてくださいよ、佐々原さん)
検査入院だと言われていた良正だったが、病気が見つかったとのことで、付き添いである明子共々応援に来ることはできなかった。そのため、メイセイオペラは佐々原に頼み、レースの動画を二人に送ることにしたのだ。
(おじいちゃん、おばあちゃんにいい所を見せないと)
TVから流れるウマ娘の活躍。熱気あふれるレースに人びとを魅了するライブ。目を奪われたメイセイオペラのレースに出たいという何気ない一言に祖父母は喜び、クロイワクラブでのトレーニング料を負担してくれた。そんな二人に自分の活躍を見せて喜んで欲しい。
静かに息を吐き、目の前のコースを見つめる。
あのホクトベガが、そしてトウケイニセイが走ったコースだ。そう考えるだけで自然と胸の鼓動が早まる。メイクデビューを前にきれいに整備された盛岡レース場は、いつも走っている小柄な水沢レース場とは違い、ひどく大きく感じる。
ダートの距離千メートル。バ場状態は良。出走するウマ娘は八人。
「おめには負げねえよ」
アンジェラザントは前を向きながら、そう呟いた。
「まあ、なるようになるさ」
モーニングピコはいつも通りとばかりに自然体だ。
とんとんと胸元を叩き、メイセイオペラは自分を落ち着かせる。
ここが始まり。ここがスタートだ。
練習してきた全てを出し切るだけ。
『各ウマ娘、一斉にスタートしました!』
透き通る空の下、ゲートが開く。
まず、仕掛けたのは二番のスターメルボルン。
ダートレースの場合、先行するウマ娘が有利と言われることが多い。
後続のウマ娘は前を行くウマ娘が跳ね上げた砂を浴びることになり、集中を切らしたり、酷い場合走る意欲を失ったりするためだ。
「あたしの蹴った砂でも食らっていな!」
そう豪語しながらハナを奪ったスターメルボルンだったが、すぐに外からやってきたウマ娘がその前に割り込んだ。
「何だと!?」
それがメイセイオペラだと確認する間もなく、後にアンジェラザントが続き、スターメルボルンは三位へと後退する。
「ふ、ふざけるな!」
何とか追いすがろうとするも、二人のスピードについていくことができない。
先頭に立ったメイセイオペラはレース前に佐々原から掛けられた言葉を思い出す。
デビュー戦の作戦について尋ねたメイセイオペラに対し、佐々原はそんなものは必要ないと言い切った。
「脚質とか距離適性とかまるで無視ですか!」
通常中央のウマ娘はデビューするまでにある程度その脚質と適性を見定められ、それに見合ったメイクデビューレースに出場する。
「だが、ここではそんなことはないl
とりあえず走ってみて脚質を見定め、その後に様々な距離のレースを走るうちに、適正距離が分かってくるのが地方だ。
「おまけにデビュー戦は千メートル。先行タイプのお前は序盤から飛ばしていけ」
「飛ばしていくってスタミナ配分は? 水沢と違って盛岡でしょう?」
平坦なコースの水沢と違い、盛岡レース場は地方レース場で最も高低差があることで有名だ。
「南部杯のホクトベガの走りを覚えているな? 盛岡レース場の一周は千六百。この水沢よりは長いが、基本的には先行有利のレース場だ。まあ新潟の千直と違って直線勝負じゃないから、コーナーの曲がり方に注意することと、後は坂の走りだな。これについては慣れが必要だが考えがある」
『メイセイオペラが先頭に立った! メイセイオペラが先頭だ! 続いて七番のアンジェラザントが食らいついているぞ!』
(なんで差縮まらねの)
前を行くメイセイオペラの後ろ姿を見ながら、アンジェラザントは歯ぎしりする。
嫌になるほど水沢レース場を走り込んだ自分が、ダクばかり踏んでいたメイセイオペラに負けることがあってはならない。
(こったばがな話があるが)
内心の苛立ちを足先にぶつけ、とにかく前に前にと進もうとするが、なかなか思うように進めない。
(凄い。佐々原さんの言った通りだ)
メイセイオペラは一か月前の佐々原との会話を思い出した。
「盛岡レース場とこの水沢の違いは坂だ。上り下りの走り方は意識しないと上手く走ることはできない。」
「でも、うちにはウッドチップのコースなんかありませんよ」
中央で取り入れられている坂路トレーニング用のウッドチップのコースはウマ娘の能力を劇的に鍛え上げると言われているが、財政難の地方トレセンにそんなものがある筈もない。
「必要ない。ウッドチップはなくても山がある」
そう平然とのたまうと、佐々原は戸惑うメイセイオペラを連れて、近くの山へと直行した。
(上り坂では目線と姿勢に気をつける……)
上り坂の場合、どうしても猫背になりがちで視線も下がってしまいがちだ。するとどうしても胸郭が狭まり、息苦しくなってしまう。そのため目線は正面から上を意識する。
『第三コーナーをカーブしていきます、メイセイオペラ。続いて二番手、アンジェラザント!』
盛岡レース場の第三コーナーは緩やかなカーブだが、直線入り口まで高低差四メートルという急こう配を下る。
(下り坂の時には腕振りと脚をまっすぐ着く……)
自然とスピードが出てしまう下り坂ではやや前傾姿勢を取りながら、腕振りによってリズムをとり、スピードをコントロールすることが重要となる。足をまっすぐ着くことを意識することで、太腿や膝へのダメージを防ぎ、坂に沿う形での走る姿勢をとることができる。
「この二つを意識していないと、最後の直線で足が残らない。初めてのOROパークだ。楽しんでこいと言いたいが、いい所を見せたいだろ。絶対に忘れるなよ!」
大きくなりがちなストライドを腕振りによって意識して調整し、スピードに乗る。
意識の中にあるのはあの時のホクトベガ。スマートでありながら、誰の追随も許さない、まさに女王としての走り。
『ぐんぐんとスピードに乗っています、メイセイオペラ! 二番手アンジェラザント、頑張っていますが、段々とその差を開いていきます!』
「ぐっ!!」
尚も加速を続けるメイセイオペラの背をアンジェラザントは追う事しかできない。
(なして、なしてだ! なしてわが負けるんだ!)
『直線に入ってアンジェラザント届かない! メイセイオペラ一着メイセイオペラ一着! メイセイオペラ、四バ身差の逃げ切りでメイクデビューを勝利で飾りました!』
「おめでとう」
ゴール板を駆け抜け、呼吸を整えるメイセイオペラは肩を叩かれた。
振り向けば、立っていたのはモーニングピコだ。
「ありがとう」
笑顔を浮かべようとしたメイセイオペラだったが、悔しそうに項垂れるスターメルボルンやミモットに気づくと、口元を隠した。
「何やってんだか」
モーニングピコはあきれ顔でメイセイオペラの手を取ると、スタンドの方へと顔を向けさせた。
「ほれ、勝った奴が顔を隠していちゃしょうがないよ」
「で、でも……」
ゴール後、うずくまったままのアンジェラザントが気にかかり、メイセイオペラはその場で立ち止まる。この三か月。事あるごとに因縁をつけられてきたが、同じレースを目指す者として、どこかしら戦友のような絆を感じていた。
「放っといてやんな。そうした気遣いがいらない奴もいるのさ」
「ピコは悔しくないの?」
「あたしは元々踏ん切りをつけるためのレースだったんだもの」
「どういう……」
「そんなことより、初めてのウイニングライブだろ? トチらないようにしなよ!」
どんと背中を押され、メイセイオペラは観客の前に立つ。
スタンドには空席が目立ち、人はまばら。あの南部杯の時のような熱気はない。
新人のウマ娘のデビューなどこんなものなのかもしれない。
いや、それとも。中央を選んでいれば、こんな光景を観ることは無かったかもしれない。
けれど、これが自分の選んだ道だ。
にっこりと笑顔を作りながら、観客席に向かってお辞儀をする。
スタンドでビデオを回していた佐々原と目が合い、ガッツポーズをして見せた。
今日来られなかった祖父母はきっと喜んでくれるに違いない。
いつか、二人を重賞レースに招待したい。
仄かな期待を持ちながら、初めての勝利をメイセイオペラは喜んだ。