ウマ娘 ~英雄は東北より来たれり~   作:コングK

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急展開過ぎるんですが、半分は史実です。


第6R「失意」

 茜色の空をじっと見つめながら、佐々原は煙草に火をつけた。

 つい、一年ほど前にも同じようなことがあったなと皮肉が心の内から頭をもたげていた。

 夏の初めに行われたメイクデビューから早二か月が過ぎた。

 夏場の練習も順調にこなし、さあここからだという時にメイセイオペラはぴたりと勝てなくなった。

 短めの距離ならどうかと千四百、マイルならどうかと千六百。それぞれ走らせてみても、どうしても途中で息切れをしたかのように脚が鈍くなる。

 

 胸の中のもやもやを吐き出すように盛大に煙を噴き上げていると、背後から声を掛けられた。

「どうするんですか」

 振り返った佐々原は、もう少しで煙草を落としそうになった。

 トレーナーにジーパンといった出で立ちのモーニングピコがそこにいた。

「久しぶりだな、元気だったか」

 自らの口から出た月並みな台詞に、佐々原は呆れる。

 何が、元気だったか、だ。

 モーニングピコが今どうしているのか。トレーナーである自分ならよく知っているだろうに。

「まあ農家は万年人出不足ですから。重宝されていますよ」

 薄い笑いを浮かべる今のモーニングピコの姿を見たら、トレーナーだった高橋はどう思うのだろうか。

 夢や希望を抱いて、トレセン学園に入学するウマ娘は多い。だが、その陰で人知れず夢破れて去っていくウマ娘の数が多いことは意外に知られていない。活躍し、スターになれれば名声を得ることができる。が、そうなることができるのは全体のほんのわずかだ。席の取り合いは苛烈であり、適性なしと判断されたものは競争から弾かれる。

「少し早すぎたんじゃないか? お前の決断は」

 デビュー戦の後、トレーニング中に怪我をしたモーニングピコが出した決断は日を置かずしての引退。養生しながら少しずつトレーニングをしていこうと考えていた担当トレーナーの高橋だけではなく、水沢トレセン学園の職員は皆一様に驚きを隠せなかった。

 中央とは違い、地方トレセン学園の特色はウマ娘の適性をゆっくりと判断したり、病気やケガで出遅れたとしても返り咲いたりすることができることだ。例えデビュー戦が振るわなくても、地道なトレーニングで着実に力をつけて活躍したり、ゆっくりと養生し復帰したりすることもできる。

 だが、モーニングピコは必死になって説得を試みる高橋に対して首を縦には振らなかった。

「佐々原さんだって分かっているでしょ。あたしには素質がなかった」

 すっきりとした表情で語るモーニングピコに、佐々原は驚きを隠せない。

 夢破れトレセン学園を去る者は、肩を落とし、己の現状について嘆くのが常だ。こうも達観していると逆に心配にもなってくる。ウマ娘として彼女達は超人的な体力を誇っているが、その内面は普通の少女と何ら変わりはないのだから。

「元々芽が出ないようならさっさと辞めようかなって思っていたんで」

「それにしたって、お前……。高い入学料を払ったんだろうが」

「あたしの話なんかどうだっていいでしょう。オペの奴、一体どうしたんです」

 モーニングピコの真剣な表情に、佐々原は携帯用灰皿を取り出し、タバコの火を消した。

「そうか。退寮しちまったお前は知らなかったんだな」

「どういうことです?」

「あいつのおじいさんが亡くなったんだよ」

佐々原の返答にモーニングピコは言葉を詰まらせた。

 

 メイセイオペラの祖父である義正は水沢トレセン学園で孫娘の入学式を見届けた後、病気が発覚し、入院を余儀なくされていた。そんな彼に対し、佐々原がメイセイオペラのデビュー戦のビデオを送ったところ、孫娘の晴れ姿に手を叩いて喜んだという。

 そんな義正の容体が急変したという報せがもたらされたのが、八月の半ば。ちょうど夏季特訓中だった佐々原達は予定を繰り上げ、病院に駆けつけるも一歩間に合わず、祖父の亡骸に対面したメイセイオペラは悲嘆の余りその場に泣き崩れた。

 門別で育ったメイセイオペラがクロイワクラブという名門クラブに入り、中央入りを目指すウマ娘同様の一流のトレーニングを受けられたのは義正の熱心な援助があったからに他ならない。仕事に忙しい両親に代わり、事あるごとにメイセイオペラが相談をしていたのは水沢にいる祖父だ。物心両面で頼りとしていた存在がいなくなってから以来半月。どこかうわの空だったかと思えば、急に鬼気迫るトレーニングを始めるなど精神面で不安定なメイセイオペラは、デビュー戦の後に勝ち星を挙げることができずボロボロの状態だった。

 

「まさか、オペがそんなことになっていたなんて」

 デビュー戦で強烈な輝きを見せたメイセイオペラの姿に自分との違いを感じ、ウマ娘として走る道を捨てたモーニングピコにとっては驚くしかない。

「しばらく休ませるという話も出た。だが、お前も知っての通りだ。あいつ、くそ真面目だからな」

 半月ほど休んだらどうかという佐々原からの提案にメイセイオペラは頷かなかった。

 体を動かしていないと、動けなくなりそうだというのがその理由であり、追いつめられた表情で訴えて来るメイセイオペラに対し、佐々原はその心中を察して好きにしろと伝えた。

「その後はまあ、知っての通りだよ」

初勝利後に行われた九月初めのレースでは八人中七位と惨敗を喫し、さんさんたる有様で、現在まで三連敗。

水沢であろうと盛岡であろうと勝てない。

「あたしがいたらもうちょっとは違ったのかな……」

 責任を感じるモーニングピコの言葉に、佐々原は首を振った。

「そりゃ多少は違っただろう。でも、悲しみの底にいる奴には他人の言葉はなかなか届かないさ」

 自分がそうだった。トウケイニセイの敗北の後、気持ちを持ち直すのに時間がかかった。桐花賞に向けて当の本人が前を向き、トレーニングを始めていたというのに。

「だから、今回の件もあいつ自身が乗り越えなきゃならないんだ。ご両親やおばあさんは辞めも続けるも本人次第でいいって言っているからな」

「もし、本人が辞めることを選んだら?」

「そりゃ決まっているさ」

 ぐっと拳を握り、佐々原は下を向いた。

「そこまでの奴だったってことだ。おれが見る目が無かったってことだな」

「冗談じゃない」

 途端にモーニングピコが声を荒げた。

 悩みに悩んでいた自分がこうして別の道を歩むことになったのは、あのメイクデビューでのメイセイオペラの激走があったからだ。それなのに当の本人が走ることを辞めるかもしれないという。

「それが担当トレーナーの言葉なんですか。随分と薄情ですね」

「誰が何を言おうと続ける奴は続けるし、辞める奴は辞めるもんだ」

 確かにそれは一片の真実であろう。だが、一時期同じ釜の飯を食った者が悩むのをモーニングピコは放っておけなかった。

「佐々原さんが何もしないんならあたしが勝手にしますよ」

「お、おい」

「誰のためでもないあたしのためです!」

 有無を言わせぬ調子のモーニングピコの背中を佐々原は黙って見送るしかなかった。

 

(おじいちゃん……)

 暗い部屋の中で、メイセイオペラは一人祖父の写真を見つめていた。

 トレセン学園の入学式の日に三人で撮ったもの。結果としてそれが、祖父と撮る最後の写真になってしまった。

記憶の中で、祖父はいつも優しかった。

 運動会に合唱コンクール。何かある度に応援に来てくれたし、仕事で来られない時にはビデオを観て、感想をくれた。

 どんなに自分が悩んでいても、祖父に訊けば適切な答えがもらえた。

 走っている自分を見て喜んでいる祖父の姿が何よりも嬉しくて。

 だからこそ、より走りたいと思ったのに。

(そんなのってないよ。そんなのって……)

 誰よりも自分の走りを見せたい。自分の走りで喜んで欲しい。そう願っていた相手が突然この世からいなくなってしまった。

 祖父のためにも頑張って走ろう。そう何度気持ちを切り替えようと思ったことだろう。だが、トレーニングが終わり、寮に戻って一人になる度に祖父との思い出が脳裏によぎる。

(駄目だ、これじゃ。おじいちゃんに顔向けできない。何とかして立ち上がらないと)

 腹に力を入れ、己の頬を張る。だが、力が入らない。穴の開いた風船に必死に空気を入れようとしているかのようだ。

(私、どうしたいのかな。どうすればいいのかな)

 佐々原は何も言ってくれない。自分自身で考えろとそう言ったきり、その日の練習メニューを淡々と渡してくるだけだ。

 自分の才能にさっさと見切りをつけて去っていったモーニングピコの潔さが羨ましい。

「ピコ……。私、どうしたらいいのかな」

 思わず言葉が口をついて出たのは、答える相手がいないのを分かっているからだ。あれほど足の踏み場が無かった上のベッドはきれいに整えられている。

 レース以外のことをして暮らす、そのためには一日たりとも無駄にできない。そう宣言し、その通りあっという間に退寮していったモーニングピコ。

「今、何をしているんだろう……」

「とりあえず、いじけて泣いている奴を見ているよ」

 突然聞こえた声に、メイセイオペラは弾かれるように立ち上がった。

 部屋の入口では、つい一月前に退寮していった友人がぷらぷらと手を振っていた。

「ピコ⁉ ど、どうして……」

 それ以上言葉が出てこない。色々と話したいことがあった。この一月の間様々なことが置き、その重さにメイセイオペラは押しつぶされそうになっていた。久しぶりに見る友人の姿に安堵し、涙が止まらない。

「どうしたもこうしたもあるもんか。あんたこそ、なんてザマだい」

 電気をつけ、室内を見回したモーニングピコは雑然とした下の段のベッドを見て眉を曇らせた。

 くしゃくしゃに丸められた布団に、マットからは微かにかび臭い臭いがする。湿気が強い寮では、晴れた日にマットを立てかけて干さないとすぐカビが生えてしまう。自分がいた時にはこんなことはなかったというのに。

「あーあー。ったく、マットにカビが生えているじゃないか。後でシャー先輩に謝っておきなよ」

「ごめん……。気付かなくて」

 実際は気づけなかったというのが正しい。毎日毎日学校にトレーニングに行くのが精一杯で、他のことに気が廻らなくなっていた。何日か分を溜めて洗濯するのが関の山。とても部屋の掃除をしようという気持ちになれなかった。

「あんたのトレーナーさんは放っとけって言うんだよ。もし辞めるんだとしたらそこまでの奴だったんだろうって」

 佐々原ならそう言うだろう。ベテラントレーナーである彼は、これまで多くのウマ娘を見てきている。中には途中で夢を挫折した者もいる筈で、彼等に色々とやってきた結果、そうした心境に至ったに違いない。

「仕方がないよ。情けないところばかり見せているもん」

 佐々原が愛想を尽かしたとしても何も言う事もできない。せっかく期待してスカウトしてくれたのに、自分はその思いを裏切ってばかりいる。

「何が仕方がないのさ!」

 突然、強い声が響いた。

 驚いて顔を上げたメイセイオペラが見たのは、怒りに顔を真っ赤にさせるモーニングピコの姿だった。

「あんた、ふざけてんのかい? 才能もあって、お金も出してもらって……。それでやる気が出ないから走れない? ウマ娘を、レースを舐めてんのか!」

「ピコには分かんないよ……。おじいちゃんがいなきゃ私……」

「ああもう、じれったい!」

 写真立てを持ち尚もじっと動こうとしないメイセイオペラをモーニングピコは無理やり担いだ。

「ちょ、ちょっと⁉」

「うるさい、黙っていな!」

 目隠しをされ、視界を遮られる。一体どこに連れて行こうと言うのか。駄目な自分をす巻きにして根性を叩き直すつもりなのだろうか。

 

 しばらく黙って揺られていると、ふいにどさりと落とされた。

「さ、着いたよ」

 突然視界が明るくなる。

 沈みかける夕日と対照的に煌々と辺りをライトが照らしていた。

「え⁉ ここは……」

 忘れるものか。今まで何度となく走った水沢のターフ。今日の放課後もダクとキャンターで廻り、汗を流したばかりだ。

「今日のノルマは終わったけど……」

「確かに終わっていますね。佐々原トレーナーには確認しています」

「シャー先輩⁉」

 いつの間にか隣に立っていたミチノクシャーリーに、メイセイオペラは驚いて飛び退いた。

「あたしが頼んだんだ。お陰でライトをつけてもらえたのさ」

「相変わらずですね、貴方も。突然いなくなったかと思えば、突然また現れる。合わせるこちらはいい迷惑です」

「そんなこと言いっこなしですよ。可愛い後輩の頼みなんですから」

 ぱちりと片目をつぶって見せるモーニングピコに、ミチノクシャーリーは大きなため息をついた。

「どこがです。貴方がいたのは正味半年もなかったのに、悩まされた回数が未だにダントツ一位なのですよ。元気にしているのですか? その後足はどうなのです」

「いやいや。今はこいつの話の方が先ですよ」

 矢継ぎ早の質問を軽くいなしながら、モーニングピコは本題だとばかりにメイセイオペラを指差した。

「わ、私⁉」

「オペ。あたしと勝負しな。千四百メートル勝負さ。十本走って多く勝てた方の勝ち。どうだい? あんたが勝ったら辞めるも続けるも好きにするがいいさ。あたしが勝ったらあんたはトレセン学園を辞めな」

 え⁉

 メイセイオペラは耳を疑った。

 モーニングピコが退学を選んだのはその右膝に怪我を負ったからだ。超人的な脚力で走るウマ娘にとって膝の怪我は完治までに時間がかかる厄介なもので、それだからこそ先のことを考えて学校を辞めたのではなかったか。

「何を考えているのよ、ピコ!」

 モーニングピコの無謀な提案に、メイセイオペラは本気で腹を立てた。

 何の目的があるか分からないが、怪我をしてからまだ一か月余り。日常生活は送れるだろうが、負担のかかるレースは何よりも厳禁な筈ではないか。

 だが、どれだけ言葉を尽くしても、モーニングピコは走るのを止めようとしない。入念にストレッチを繰り返すと、スタートラインに立ち、じっとこちらを見つめている。

 無理だ。走れる訳がない。

 適当な言葉を言って、レースを断ろうとしたメイセイオペラだったが、モーニングピコの真剣な表情はそれを許さない。やむなくスタートラインに立ったメイセイオペラの耳に、ミチノクシャーリーが鳴らしたホイッスルの音が響いた。

 出遅れた。

 そう思った時にはモーニングピコは動いていた。

「考えごとなんてしているから遅いのさ!」

「くっ!」

 判断が遅れ、先を行かれる。

 ゴール寸前外側から抜かそうとするメイセイオペラを嘲笑うかのように、モーニングピコは体をぶつけてきた。

「ちょ、ちょっと!」

「勝つためにはこんぐらいするもんじゃねが!」

 よろめいた隙に先行したモーニングピコは続けて狙いすましたようにメイセイオペラの顔に向けて砂を蹴り上げた。

「うわっ!」

 思わず反射的に避ける間に、半バ身早くピコの身体がゴールに滑り込む。

「そんぐらい平気の平左でいねえでどうするんだい! 情げね。とんだ見込み違いだった」

「ぐっ……」

「デビュー戦ボロ負げしたおらに勝でねぁーなんておめのじっちゃんが見てたらどう思うんだい!」

「おじいちゃん……」

「孫が孫ならじっちゃんもじっちゃんか? とんだ見込み違いだ。こんなんでよぐ中央を目指すなんて言えたもんだな」

 モーニングピコの言葉はメイセイオペラにとっては歯ぎしりするほど悔しかった。今の自分は祖父の期待に応えられていない。そんなことは嫌と言うほど分かっている。でも、脚が動かない。普段の力を出そうとしても出せない。走れば走る程タイムが落ちていく。

「べそかいてる暇などねぁーぞ」

 休む暇もなく笛が鳴る。

 二本目。先ほどと同じように体をぶつけようとするモーニングピコをすらりと躱し、メイセイオペラが一勝。

「ふん。これでようやくタイだ。ふりだしふりだし」

 三本目。スタートダッシュを決めたモーニングピコが再び砂を蹴り上げて視界を奪おうとするも、それを素早く躱し、メイセイオペラが二勝目。

「一対二。勝ちを先行されちまったか。だが、まだまだ。先は長いがらな」

 スタートラインに立ったモーニングピコは大きく息を吸うと、ぷうと頬を膨らませた。

「え⁉」

 突然の行動に驚き、メイセイオペラはスタートに出遅れる。

 また、砂を蹴り上げて来るのか。身構えた彼女が見たのは、脚を引きずりながら走るモーニングピコの姿だった。

「ちょ、ピコ! 何してんの!」

 レースであることを忘れ、メイセイオペラはモーニングピコに駆け寄った。

 膝が再発したのか。いや、治っていなかったのだ。この短い期間で走れるようになれる筈がない。そう思いながらも、走る友人の姿に安心してしまっていた。

「何って。おめど走ってるんだろが。勝負よ、勝負!」

「馬鹿なこと言ってないで! すぐにお医者さんを呼ばないと。いや、それよりもとにかく、シャー先輩! レースを止めてください!」

「レースで一度走り始めたウマ娘は止められませんよ」

 ミチノクシャーリーの声は冷静だった。

「ウマ娘自身がそのレースを諦めると速度を緩め、コース外に出るか立ち止まるか。その二つしかレースを止める術はないのです。それ以外では怪我や病気による不慮のアクシデントがあるのみ。そんなことは当然貴方も分かっている筈でしょう?」

「それは本番のレースの話です! こんな練習で……」

「ふざげるな!」

 走りを止めず、モーニングピコは並走するメイセイオペラに激しい怒りを向けた。

「おらにどってはこの勝負はどんなレースよりも真剣だ!」

「もう止めよう? 痛いよ、ピコ。治るものも治らなくなっちゃう。せっかくレース以外のことをして暮らすって決めたんじゃない。なんでこんな無茶するのよ!」

「無茶なもんか!」

 くるりと振り返ったモーニングピコの顔を見て、メイセイオペラは胸が張り裂けそうになった。額からは滝のような汗が流れ、その唇は痛みに震えている。それでも、勝気な表情を作り、自分は負けないとその目は語っていた。

「これでおらが勝てばイーブンよ。どちらが勝つか分からねえぞ」

「いいから! あたしの負けでいいから! もう止めよう。ね?」

「そしたらおめはここを退学すんだぞ!」

 腹の底から絞り出すような声で、モーニングピコはメイセイオペラに問いかける。

「本当にそれでええんかい? ええっ、オペようっ!」

「……」

「何のためにここに入ったんだ! じっちゃんのためか? それともみんなのためか?」

 ひょこひょこと右脚をひきずるようにしながら、それでもモーニングピコは止まらない。

「ピコ……」

残り七百メートルの道のりが遠く見えた。

 きっとピコは止まらない。痛む脚を引きずりながらも、ゴールすることだろう。それをただ黙って指を咥えて見ているのか。

 このままではこの水沢トレセン学園で初めてできた友達の脚が駄目になってしまう。そう考えた時、これまであれほど重かった脚が自然に動いた。

 早く、早くゴールしないと。

 ゴールすれば、このレースを終わることができる。

 そうすれば、次のレースまでの間に何としてもピコを説得しよう。

「ごめん、ピコ。先に行く!」

 インコースをゆっくりと走るモーニングピコを気遣いながら外側から抜き去ると、ぐんぐんと加速する。

「へっ。おらは置いてけぼりかあ」

 メイクデビューの日の再現とばかりに迷いのない走りを見せ、自らを抜き去っていくメイセイオペラに、モーニングピコは思わず笑みを零した。

 これだ。この走りだ。この走りを間近で見たからこそ、自分はレースから離れる踏ん切りがついたのだ。

 右膝が限界とばかりに痛みを訴える。

 よく頑張ったなと優しくさすりながら、モーニングピコはその場で立ち止まった。

 後悔がない訳がない。ウマ娘として生まれてきたのだ。

 一度でいいから大きなレースで走り、満員の観客の万雷の拍手に包まれたかった。

 でも、まあ。これはこれでいい。

 はるか先から聞こえるホイッスルの音に小さく頷き、モーニングピコは膝をついた。

 ゴール板を駆け抜けたメイセイオペラがそれに気づき、来た道を逆走し始める。

「戻って来るんでねぁーよ。おめは先を行ぐんだから」

 ゆっくりとゆっくりと。ラチ外に向けて歩きながらモーニングピコは血相を変えてやってくるメイセイオペラに呆れ顔で呟いた。

 

 

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