北国の冬は長い。十二月末の白菊賞を終えた後は、いくつかの例外を除き、レース場は閉鎖される。
この間各トレセン学園に所属するウマ娘達は冬でも雪が積もらず、レースが開催可能な南関東を中心に転戦する形となるのが普通だった。
年明け。大晦日の宣言通り、大井へと転籍していったアンジェラザントを見送ると、メイセイオペラは決意を新たにトレーニングに没頭した。
中央と違い最新式の設備も専用の施設もない水沢ではできるトレーニングは限られる。だが、かつて同じ道を通ってきた先輩たちの残してくれたトレーニングのメモは無数にあった。スクワットやストレッチといった下半身を鍛える基本的なものから、プランクやプッシュアップといった上半身を鍛えるものまで。事細かに記されたメモを参考に、メイセイオペラは器具を使ってより効果を上げてさらに筋力強化を図った。
笠松の怪物オグリキャップが行ったと言われる足首を鍛えるトレーニング。
岩手の魔王トウケイニセイが取り組んだと言われる股関節を鍛えるトレーニング。
それら先人が歩んだ道を淡々と追いかけながら、ダンスや歌といったレースに出るウマ娘として必須のレッスンにも臨んでいく。
「そうだ。そこからスパートをかけろ。相手を見て作戦を考えろと言っているだろう! いつもいつも同じパターンが通用するとは限らない。レースは水物だ。展開を読む力も必要だぞ!」
レース勘を鈍らせないように定期的に開催される模擬レースにも積極的に参加し、レースの駆け引きを覚える。
「前がブロックされるかどうかは気配で分かる筈だ。そのまま突っ込んでも相手に合わされ、ペースを乱されるだけだ。自分自身でレースの流れをコントロールしろ!」
息を整えながら、佐々原の指示にメイセイオペラは頷く。
一面真っ白い雪化粧をしたコースでは、普通に走るだけで体力を奪われ、専用のシューズを履いていないと転倒の危険があるが、そんなことは言っていられなかった。
単身大井に乗り込んだアンジェラザントは南関東の強豪や中央の精鋭たちに揉まれながら頑張っている。彼女に負ける訳にはいかないと、メイセイオペラは来る日も来る日も黙々とトレーニングに励んだ。
そして、迎えた二年目の春。
冬の間のトレーニングの成果は如実に表れた。
『メイセイオペラ、ダイヤモンドカップも制した! これで昨年の十一月から何と無傷の六連勝! どこまで勝ち星を伸ばすことができるのか。期待しましょう!』
水沢レース場に春の訪れを告げるスプリングカップを勝利すると、そのままダイヤモンドカップまで三連勝。昨年の不振後から数えれば六つの勝ち星を挙げ、未だ負けなしという快挙を成し遂げた。
だが、盛り上がる水沢トレセン学園内にあっても、佐々原とメイセイオペラはあくまでも冷静だった。
「前哨戦にいくら勝っても仕方がない。おれ達が目指すのは東北ダービーだ」
地方ウマ娘の中でもそのコースの規模、そして所属するウマ娘の強さの序列が存在する。広大な大地でその素質を開花させることの多い北海道のウマ娘や、都心にアクセスが近く南関東への遠征が容易な新潟のウマ娘達と比べ、冬季にレース場が閉鎖される盛岡・水沢のウマ娘たちは一段低く見られている。
「その前提を覆す。持ち回りで行われる東北ダービーは今回新潟で開催される。敵地に乗り込んでいって、目にもの見せてやろうじゃないか」
新潟トレセン学園は独自に新潟皐月賞や新潟ダービーと銘打ったレースを行い、各地から強豪を呼び込み、所属するウマ娘達のレベルアップを図っている。ダービーの名に恥じず、鍛え上げられたウマ娘達の中でもトップの成績の者達が出走する。
「これまでの相手とは訳が違う。おまけに向こうのホームグラウンドだ。事前にコースの動画をよく見ておけよ」
新潟レース場はURAが普段使用しているレース場だが、東京・中山のレース場が使用されている際にローカルシリーズが行われる。そのため、芝の内側に砂が敷かれたダートコースがあり、そこを使って新潟ダービー等のレースは行われている。
「盛岡よりも高低差が少ない……」
メイセイオペラが動画を観て最初に気づいたのが、その平坦なコースである。地方レース場屈指の高低差を誇り、天然坂路トレーニングなどと言われたこともある盛岡レース場と比べ、コースそのものの起伏はないに等しい。
「でも、直線が長い。それにコーナーがきついな」
新潟レース場はURAでも有名な、直線のみで行われる通称千直が行われているレース場だ。当然その長い芝の直線の内側にある砂のコースもまた長い。その上で曲がるコーナーは角度がきつく、コーナーワークを意識する必要がある。
「コーナーがきついから皆内をとる。当然逃げ先行が有利だが、差しや追い込みを得意とする奴の中には大外をまくってくるような奴も少なくない」
「はい」
「そこで、このコーナーを克服するための対策をとる」
佐々原に連れていかれた校庭でメイセイオペラが目にしたのは、土のグラウンドにラインで引かれた一周四百メートルのコースだ。
「これって……」
「新潟を走った連中に協力してもらって作った。少なくともコーナーの角度は同じぐらいある筈だ。繰り返し走ってコーナーの走り方を身に付けろ」
「えっ。わざわざみんなに聞いてくれたんですか」
「ああ」
何を当り前のことを言っているんだと言わんばかりの佐々原の態度に、メイセイオペラは胸にぐっと来るものがあり、思わずそっぽを向いた。。
(全く、この人は。そこまで期待されたらやるしかないじゃない)
ぱんぱんと頬を張り、描かれたコースに向かうと、メイセイオペラはわき目もふらずに走り続けた。
新潟レース場。URAの所有するレース場でありながら、ローカルシリーズも開催されるこのレース場は、地方レース場の中でも比較的スタンドが綺麗で訪れる観客も多かったが、それは中央主催のレースがほとんどであり、同じ新潟県内の三条レース場と共に、ローカルシリーズの観客の動員は寂しいものがあった。そんな中でファンの注目を集めていたのが、東北地方のウマ娘が一同に会する重賞、新潟ダービーである。当然、地元新潟勢のこのレースに掛ける意気込みは凄まじく、新潟トレセン内でもトップクラスのウマ娘が出走を予定していた。
「お前達の目的はこのダービーを制覇して新潟ウマ娘の実力を北海道・東北の連中に知らしめることだ。分かっているな」
新潟トレセン学園の理事長は居並ぶ三人のウマ娘と彼女達のトレーナーを前に訓辞を垂れる。
「はいはい。分かっていますよ。そのためのこの面子でしょう?」
ダイブスイーツはけだるそうにあくびをしてみせた。
「そんなに警戒しなくても平気でしょ。ここを一番走り込んでいるのはあたしたちなんだし」
「ダイブの奴の言う通りだよ。直線の長さとコーナーのきつさは他の地方のレース場とは比べるべくもない。来てすぐにはいそうですかと勝てるとは思えないね」
腕組みをしながら、シズノローリーはそう静かに答えた。
「じゃが、そんなものは分からんぞ。いかに中央の連中が出ないとはいえ、相手はあの佐々原だ。奴のシルバークロスの前に我が新潟の新潟ダービーウマ娘タカオガンバは敗北を喫したのだ。引退したトウケイニセイのような怪物も出てきているとも限らん」
「確かに彼女は強かった」
出走表をじっと見ながらつぶやいたのはレモンルイス。
「でも、それは地元岩手限定のもの。地元開催である以上、普段ここを使っている私達の有利は動かない。それに」
「それに?」
「地方トレセン学園の中でも弱いと言われる岩手の連中には負けられない。こちらにも意地がある」
「レモンの言う通りだな」
シズノローリーは立ち上がった。
「皐月賞だの有マ記念だの、中央のレースを模したものを作ったのも全ては新潟のウマ娘のレベルアップのためさ。それなのにあたし達が負けていちゃ意味がない」
「遺憾ながら同感」
軽く伸びをすると、ダイブスイーツはぐるぐると肩を回した。
「岩手の魔王様が健在の時にはけちょんけちょんにやられたんだもの。こっちもやり返さないと不公平だしね~」
「相変わらず性格が悪い女」
「あんたに言われたくないんだけど」
揉め始めるシズノローリーとダイブスイーツの間にレモンルイスは立つと、二人の頭を叩く。
「「痛っ!」」
「先ほどの理事長のお話を聞いていなかったのか。私達の目的を忘れるな」
「そんなこと言ったってルイスちゃんだって岩手の連中は大したことないって言っていたじゃない」
「私が言ったのは、ここでは負けられないという意思表示だ。相手を侮れとはいっていない。その大したことない相手に既に私達は敗れている」
レモンルイスは再び出走表を眺めると、とあるウマ娘の名前に目を落とした。
「注意すべきはこいつだ。メイセイオペラ。担当はあのシルバークロスとトウケイニセイの佐々原トレーナー。しかもわざわざ直々に出向き、中央入りを阻止したとか」
「何それ、もったいない」
「それほどの逸材がどうしてまだ岩手にいるんだよ。普通は南関東で戦ったり、中央に行ったりするもんだろ」
「仔細は不明だ」
メイセイオペラのデータに目を通しながら、レモンルイスは小さく息を吐いた。
「だが、ここまで地元で六連勝。勢いに乗ってやってくる。決して油断していい相手ではない」
「自分の庭で油断などするものかよ」
不満げに鼻を鳴らすシズノローリーをよそにレモンルイスはトレーナーに一言断ると、手にした資料を持って控室を後にした。
水沢から新潟までの道のりはおよそ四時間半。東北自動車道をひたすら直進し、郡山JCTで新潟・猪苗代方面の標識に従い、磐越自動車道を今度は新潟方面へとひた走る。新津ICで出て、国道四六〇号を新津方面に向かって進み、阿賀浦橋を渡ったら後は阿賀野川に沿って道なりに進む。走行距離三百七十九キロ。東京から仙台の距離よりも長い。
途中休憩を挟みながらも、何とか到着したメイセイオペラと佐々原はそのまま新潟レース場へ直行し、急いで受付を済ませた。
ここでメイセイオペラは佐々原と分かれ、明日のレース当日まで携帯機器を預け、一人で過ごすこととなる。
「あんた、水沢のメイセイオペラだろ」
夕食後、談話室でお茶を飲んでいたメイセイオペラにいきなり声を掛けてきたのは、山形は上山トレセン学園出身のカザファミリアとブリリオデソルの二人だ。
「驚いたよなあ、ここの施設。あたし達ん所とは段違い」
「うんうん。この間浴場で蜘蛛が出て大騒ぎだったもん」
「確かにそれは言えてるね」
カザファミリアの言わんとすることはメイセイオペラには痛いほど分かる。今やどこの地方トレセン学園も赤字経営で、設備投資に回す余裕がない。そのため、施設は老朽化し、レースに出場するウマ娘のための調整ルームなどは真っ先に経費を削られる始末だ。中央の施設である新潟レース場はその点別格であり、地方出身の三人からすれば別世界と言えた。
「まさか一人ずつ部屋使っていいなんてびっくりだよな」
「先輩から地方はどこも二人三人相部屋だぞって言われてたんだよね~」
「あ、そうなんだ」
「あたし達も山形から出るのは初めてだからさ。先輩にどうなんですかって訊きまくってきたんだよ」
カザファミリアは陽気にそう話すと、すっと手を差し出した。
「まあ、同じ東北勢、同じ初心者同士頑張ろうや」
「こ、こちらこそ」
メイセイオペラが慌ててその手を握り返すと、カザファミリアは途端にぎゅっと力を入れる。
「ちょ、ちょっと痛い痛い!」
「こら、カザ! くだらないことしないの!」
ブリリオデソルが急いで二人の手をひっぺがす。
赤くなった右手をさすりながら、顔を顰めるメイセイオペラを前に、カザファミリアは悪びれもせず、
「へへっ。明日のレースでは油断するなよ!」
ニマニマと笑いながら談話室を出て行った。
床についたメイセイオペラは目を瞑ると、水沢で見た新潟レース場のコースを思い浮かべ、イメージトレーニングを繰り返した。
「あ……」
ふとメイセイオペラは夜半に目を醒ました。
布団に入り、呼吸を整えてぐっすりと寝るつもりだったが、予想以上に気持ちが昂っているらしい。
窓の外からは微かに雨の臭いがした。新潟レース場は水はけがよい事で知られているが、降りようによっては重バ場となることだろう。
芝と違ってダートは重バ場の方がコースが締まり、タイムの良くなる傾向が強い。ただでさえ、急こう配のコーナーを回るために先行有利の新潟レース場だ。先の取り合いになることだろう。
(駄目だ、寝ないと)
メイクデビューの時以来の緊張感にメイセイオペラは再び床に入ると無理やりに目を閉じた。ここまでの頑張りが花開くかどうかは今日の走りにかかっている。とにもかくにも体調を万全にしなければ話にならない。
寝ろと寝ろと体に言い聞かせたのが功を奏したのか、メイセイオペラが目を醒ましたのは六時過ぎの目覚ましによってだった。
簡単な朝食の後に計量を済ませると、前日に準備しておいた勝負服に袖を通す。
岩手の民族衣装をモチーフにして作られた服に、祖母から送られた赤いカチューシャを着け、前髪を整える。
明正と祖父母の名前の一文字が入ったそれは、年明けに祖母から託されたものだ。
(きっとおじいちゃんは見守ってくれている)
そうでなければ、年が明けても未だ敗れずの六連勝は出来過ぎだ。
「おじいちゃん、おばあちゃん。私、頑張るね」
ぱんぱんと両頬を張って気合を入れ、メイセイオペラは選手控室へと向かった。
「よお。よく寝られたようだな」
控室の佐々原はいつものジャージ姿ではなく、スーツを着込んでいた。
「どういう訳か地元の連中を差し置いてお前が一番人気だとよ」
「な、なんで……」
「負け知らずの六連勝。それだけ聞けば期待するからねえ」
声のする方を振り向けば、そこにいたのは新潟トレセン学園を代表して出る三人のウマ娘。
「ノックもせずに他人の控室に入って来るのは感心しないな」
「これは失礼。シズノローリーは御覧の通り礼儀を知らない奴でして。私はレモンルイス。シルバークロス、そしてあのトウケイニセイを担当した佐々原トレーナーにお会いできて光栄です」
「ダイブスイーツよ。よろしくね」
「新潟ダービーに新潟皐月賞と活躍した君たちが一体何の用だ?」
「ただの挨拶さ。どんなウマ娘かと思ったが随分と平凡な顔つきだな」
「なっ!」
「まあ、そこは同意だな」
「ちょ、ちょっと佐々原さん!」
メイセイオペラの抗議の声を無視して佐々原は言葉を続けた。
「だがな、こいつの走りはそんじょそこらの一山いくらの連中とは訳が違うぜ。よく目に焼き付けておくといいさ」
「なんだと!」
詰め寄ろうとするシズノローリーの腕をレモンルイスはがっちり掴むと、
「覚えておきましょう」
それだけ言って部屋を出て行った。
「それじゃあね」
ダイブスイーツはぷらぷらと手を振りながらその後を追っていく。
「奴らがこの新潟のエースだ。誰よりもこのレース場を走り込んでいることは間違いない。今回のレース、要注意だぞ」
佐々原の言葉にメイセイオペラはこくりと頷くと、ペットボトルの水に口をつけた。
『さあ、本バ場入場です。第二十回を数えます、伝統の東北ダービー。岩手、山形、新潟のウマ娘が一堂に会する夢の一戦が遂に始まります。明け方から午前中一杯降り続いた雨のためバ場状態は不良となっています。一番人気は岩手から参戦、水沢のメイセイオペラ。目下六連勝中の勢いを繋げることができるか。二番人気は山形のブリリオデソル。こちらも地元では二連勝中です。おおっと凄い歓声です。新潟ダービーを制した地元のダイブスイーツは三番人気。この順番はやや不満といったところでしょうか。四番人気地元新潟は三条出身のユニコンストーム。重バ場を得意としています。五番人気のシズノローリーは新潟ダービー二着、六番人気レモンルイスは新潟皐月賞で一着の好走を見せました。地元のウマ娘を応援しようと集まった大観衆の人気に応えることができるか。注目の一戦です!』
足元のぬかるみ具合を確認するためにメイセイオペラは軽くステップを踏む。噂通り水はけがよいコースのようだ。
各ウマ娘がゲートに入り、手拍子と共にファンファーレが鳴る。
岩手の民族衣装を基調にした勝負服を着たメイセイオペラは大きく息を吸うとゆっくりと吐いた。
『各ウマ娘スタートしました!』
スタートの号砲と共に、大歓声が沸き上がる。
先行したのは山形代表ブリリオデソル。内側有利の事前情報通りにそのままインコースを先頭で走る。
直線が長く、コーナーの角度がきつい新潟のコースでは先行したウマ娘同士でインの取り合いになることが多い。千六百メートルという距離と平坦なコースゆえに、先行したウマ娘が潰れることなく、足を残してそのまま逃げ切ることも可能だからだ。
だが、じっと前を行くブリリオデソルの様子を見たメイセイオペラは違和感を抱いた。攻略法通りのインコース攻めだが、ペースが早い。なぜかと目線を足元に向け、脳裏に浮かんできたのは、レース前に見た動画だった。
「新潟レース場は内側有利。最初の長い直線で先頭争いが起こる。だが、当日重バ場だったなら、先頭を行くのは控えろ」
「どうしてです?」
「新潟レース場の砂質は重く力を使う。だが、あそこは水はけがよく砂が締まる。普段通りだと思って走ると、予想以上に軽いバ場で面食らうんだ」
周囲のウマ娘の動きをよく見、前を行くカザファミリアの後ろにつけて、三番手で直線からコーナーを曲がる。盛岡に比べて起伏はないものの、確かに急角度のカーブだ。
『第二コーナーを曲がって、依然先頭は山形代表のブリリオデソル! ブリリオデソル逃げる! このまま逃げ切ることができるのか!』
先頭を行くブリリオデソルの快走にどよめく観客とは逆に、レモンルイスはほくそ笑む。
雨を吸ったコースは確かに普段よりも好タイムを刻むが、新潟の砂質は重く力強い踏み込みを必要とする。勢いに乗ってスピードを出し過ぎれば、最後の直線でバテるに決まっている。
『後に続くのは十番のカザファミリア。メイセイオペラは中団につけた! 新潟代表の三人は中団やや後方に控えています! 今日のバ場状態を見越しての作戦か!』
「ここ!」
第三コーナーを回っても、依然粘るブリリオデソルだったが、ややその速度が弱まったのを見てとったメイセイオペラはするすると進出を開始した。
「何っ⁉」
これに驚いたのがシズノローリー。最終直線に向けて、角度のきついコーナーで一息をついた所で仕掛けようかと考えていたが、それより早くメイセイオペラが動いたために、必然的にその後を追わざるを得ない。
「何で動くのよ!」
ダイブスイーツは不機嫌そうに吐き捨てた。最後の直線へと入る第四コーナーで三人並び、メイセイオペラに外を回らせる作戦が台無しだ。いや、それよりもこのままでは最終直線に入った段階で千切られる可能性もある。
「焦るな! まだ早い!」
レモンルイスはじっと我慢し、先頭のブリリオデソルとカザファミリアの山形コンビに目を付ける。不良バ場のためにスピードが出すぎ、最初の直線とコーナーで足を使ってしまった二人は最終直線で捕まえることができる。問題は前を行くメイセイオペラだ。じりじりと順位を上げつつも、足を溜め、絶妙なポジション取りをしている。
『第四コーナーを回ってここで仕掛けてきたのは岩手のメイセイオペラ。メイセイオペラが先頭と変わりました! 二番手はどうか。二番手は山形のカザファミリアが粘っている!』
メイセイオペラにまくられ、先頭を行っていたブリリオデソルは戦意を喪失したのかずるずると後退する。同じ山形出身のカザファミリアは雄叫びを上げながら、何とか二番手をキープしようとする。
「頃合いか」
「ここだろ!」
『あっと、ここで出てきました。真ん中からするするとやってきたのはレモンルイス! いや、それだけではない。そのすぐ横には新潟ダービーを二着と好走したシズノローリーが上がってきているぞ!』
長い新潟の直線。足を残せず、ずるずると後退していく山形コンビを尻目に、新潟の三人は溜めていた力を爆発させ、ぐんぐんと順位を上げていく。ここまでは戦前の作戦通りだ。
だが。
『先頭のメイセイオペラ、その脚色は衰えない! シズノローリー懸命に食らいつく。この新潟の直線を走り込んできた筈だ! 三番レモンルイスも後に続く! だが、強い! メイセイオペラ強いぞ! ぐんぐんと後続との差を開いていく。これは強い! これは強い!』
「そんなバカな……」
レモンルイスは目を疑った。前を行くメイセイオペラの背中がどんどんと小さくなっていく。雨の不良バ場でスピードが出過ぎることを見越し、敢えて中団に控え、最後の直線でまくる筈だった。
それなのに、あのウマ娘は何だと言うのか。
「畜生。ふざけんな!」
シズノローリーが懸命に脚を動かす。何度となく走り込んだ庭のようなコースだ。自分達以上に上手く走れる者はいないと思っていたのに、前を行くあいつは一体何者なのか。
「冗談じゃないわよ……」
ダイブスイーツは悔しさに唇を震わせた。格下と侮っていた相手に新潟のエース三人が手も足もでない。正直これが現実とは認めたくなかった。
『ここまで六連勝のメイセイオペラ! その星にこの東北ダービーの勝ち星も加えるのか! シズノローリー届かない! メイセイオペラ今一着でゴール! 岩手の怪物メイセイオペラ東北ダービーも制して七連勝を飾りました!』
勝ったと分かった瞬間、ふっと肩の力が抜けるのを感じ、メイセイオペラは自分が思ったよりも緊張していたことに気が付いた。
スタンドを見れば、口元に笑みを浮かべた佐々原がサムズアップをしてこちらを向いていた。
「佐々原さん! やりましたよ! 私、やりました!」
心の中一杯に安堵感が広がる。
昨年の不振から無我夢中でやってきたことが結実し、言い知れぬ達成感が体を包んでいた。
「ありがとうございました!」
どよめきが巻き起こっていたスタンドに向かって、メイセイオペラは頭を下げた。きっと地元ファンは自分達が普段推している新潟のウマ娘達の活躍を見たかった筈だ。せめてもの感謝のつもりだったが、その心配は杞憂だった。
「よくやったぞ!」
「強いじゃねえか、岩手の!」
スタンドの観客たちは口々にそう叫ぶと、拍手を送っていた。
初の遠征ということで、敵地ということばかりを意識していた自分をメイセイオペラは恥じた。よい走りをすれば、ホームもアウェイも関係なく、ファンは賞賛の拍手をくれるのだ。
「すいません、ありがとうございます!」
申し訳ない気持ちで何度もぺこぺこと頭を下げるメイセイオペラにスタンドからは笑いが起こる。
「馬鹿! 米つきバッタじゃあるまいし、もっとどっしりしていろ!」
遠征で勝った場合の態度についてレクチャーする必要があるなと佐々原は嘆息し、控室へと急いだ。
「くそっ‼」
ゴール板を駆け抜けるや、力なくその場で両膝をついたシズノローリーは息を荒げながらも、観客に向かって手を振るメイセイオペラを悔しそうに睨みつけた。
「やられた~」
寄って来たダイブスイーツはさばさばした表情だった。ああも実力の差を見せつけられれば、正直に兜を脱ぐしかない。
「一分五十二秒四。コースレコードまで持っていかれたのか」
電光掲示板を見ながら、レモンルイスは口惜しそうに呟いた。仕掛けは完璧だった。相手が強すぎたのだ。
「にしても、メイセイオペラ。どうしてこれまで名前を聞いたことがなかったのだ」
ここまで強いウマ娘とは思っていなかった。きっと今日の勝利で、その強さに気づく者が現れることだろう。
(叶うならばいつの日にか再戦し、雪辱を果たしたいものだが)
思いながらも、同時にそれは厳しいだろうなとレモンルイスは断じた。これほどの強さを秘めたウマ娘だ。ならば、今後は南関東の重賞レースを狙って転戦していくに違いない。新潟を中心としてレースに出場する自分達とは違う舞台を戦っていくはずだ。
「行こう。敗者はいつまでもいるべきじゃない」
歓呼に迎えられるメイセイオペラを横目に、新潟代表の三人のウマ娘は静かにスタンドに礼をし、ターフを去って行った。
レモンルイスの予想は当たった。
この東北ダービーの勝利を受け、無名だったメイセイオペラの名は瞬く間に全国のローカルシリーズ関係者の間に轟くこととなった。