烏野高校排球部の夜は、遅い。
第二体育館を一つの部で占拠していることと顧問の情熱から、最終下校時刻ぎりぎりまで自主練を行うことが多い。春高本戦への切符を手にしたばかりの時期ともなれば尚更だ。
その日も、排球部は第二体育館で自主練を行っていた。
「もう、一本!」
日向の声に影山からのボールが上がる。
その隣では月島が澤村や菅原とレシーブ練をしている。東峰と西谷は田中と一緒に第一体育館へ行った。山口はその光景を見て、サーブ練習のために嶋田マートに行くため、少し早めに自主練を切り上げて荷物をまとめた。
「お疲れ様です」
邪魔にならないように小声で挨拶すると、谷地が気付いてぺこりと会釈を返した。その動作に会釈を返し、部室に向かって踵を返す。
丁度、部室棟への曲がり角をまがった時。
体育館の影から誰かの腕が山口の頭を掴み、ぐ、と口の中に布を押し込んだ。両手首を手際よく纏め上げると、複数人なのだろう。ビニール紐で手を合わせるように固定される。がちゃり、と黒光りする鉄をこめかみに当てられ、耳元で低い声で囁かれる。
「判っているだろうが、暴れれば殺す。魔法を使っても殺す」
山口は状況を理解し、体を強張らせた。その隙に、方にスポーツバッグを遠ざけられる。尻ポケットを確認され、スマートフォンを抜き取られる。
先日、影山が襲撃された。彼らはその時の犯人たちの仲間なのだろう。あの時、山口の固有魔法が戦闘系ではないのは明らかだった。
拘束は短時間で速やかに行われたため、第二体育館の中に異常は伝わっていない。
「ナイッサー!」
きゅ、とバレーシューズの擦れる音が響く傍らで、男たちは山口を余所に何やら相談を始めた。
――こうなったら……を……して……
――……はいないから……拘束……
時折物騒な単語と仲間内の隠語が混じる。結論を出したのだろう。一人の男が立ち上がり、山口を引っ張り上げ、立たせた。乱暴な素振りに、手首の紐が皮膚と擦れる。顔をしかめるが、犯人たちは構うことなく背中に冷たい金属を当てた。
そのまま、体育館に向かって歩くよう指示される。
体育館の出入り口近くまで行くと、犯人グループのうち一人が何やら声高に演説を始める。我々は、通常人世界における魔法使いの専横を許すことができないので云々。どうやら彼らは一般人で、固有魔法を持たないらしい。日向が何かを言いかけるのを、澤村が遮った。
「俺たちにそれを言って、どうするんだ」
堂々とした声を腹の底から出す。部長の声により、部員に冷静さが戻る。一方、侵入者たちはその声に気圧された様子だった。
「おっ、落ち着け! こいつがどうなってもいいのか!」
リーダー格の男が慌てたように言う。山口の近くにいた男が襟首をつかみ、体育館の中へ押し込んだ。腕を縛られているため、勢いのまま膝をつく。
「山口!」
声を上げたのは菅原だ。そちらを向いて、安心させるように一つ頷くと、菅原は山口の元気そうな様子にほっと息をついた。そのまま、周囲を見回す。日向は何が起こったかとっさに理解できない様子で目を丸くしていた。影山と澤村は、険しい目で犯人たちを睨んでいる。月島は、山口を険しい目で見つめていた。
大丈夫。
もう一度僅かに笑いかけると、月島は眉間の皺をより一層深めた。その間も、澤村と犯人たちの会話は続く。
「それで、俺たちを――魔法使いを人質にして、どうするんだ。俺たちだって、魔法覚醒者なんだぞ?」
「そのための人質だ」
犯人たちは下卑た笑みを浮かべた。代表者なのだろう、対話の中心となった男が山口を蹴り、うつ伏せにする。ぐ、と肺から空気が漏れた。
「山口!」
日向が声を上げた。影山は眉をしかめ、谷地は顔を背ける。がたがたと震える少女に清水が寄り添った。
「大丈夫……」
表情が引き攣るのを自覚しながらも言うと、犯人たちのリーダーが山口に向かって拳銃を向けた。
「黙れ」
ひくり、と山口の喉が鳴った。バレー部員に緊張が走る。山口は周囲を見回した。体育館は煌々と明かりがついている。もっとも逃亡向きの日向は足が竦んでいる。影山の魔法で影の獣を出したところで、ここまで明るい場所では意味を持たないだろう。月島は論外だ。澤村の魔法は攻撃には使えなかったはずだ。菅原やマネージャー二人も攻撃向きではないと聞いている。
まだ、最終下校時刻まで二時間ほど。この場にいる全員を拘束して有り余る時間だ。顧問の武田は会議があるから最後に顔を出すと言っていた。烏飼は自主練開始から三十分ほど様子を見ていたが、もう帰ってしまった。助けが来るとは、思えない。
リーダー格の男が長広舌を垂れている。崇高な目的があり、魔法使いを排除したいのだそうだ。そのためには未熟な魔法使いを人質にする必要があったのだという。非覚醒者を巻き込むのは忍びないが、覚醒者ならば構わないらしい。
犯人たちの一人が、日向の腕をとらえた。
「触るな!」
日向が抵抗し、影山が獣を顕現させる。漆黒の獣が日向と影山を守るようにうなりを上げた。犯人達が騒ぎに気を取られた脇で、澤村はマネージャー二人の傍に移動した。
菅原も月島の腕を取り、澤村達の方へ移動しようとしたその時、リーダー格の男が苛立たしげに山口の背を蹴った。ぐは、と呻きにも似た音が漏れ、菅原の足が止まる。
「その場から動くな。一歩動くたびに蹴るぞ」
げほげほとえずく山口に、菅原が顔をしかめる。一方月島は大きくため息をついた。
「それで、どうしたら山口を解放してくれるんですか?」
テロリストは格下であるはずの高校生からかけられた言葉に不快感を露わにした。
「解放する訳がないだろう」
「でも、山口は回復魔法を使えるって訳じゃないから、そのままだと死んじゃいますよ? それに、あなたたちは山口がどんな魔法を使うのかも知らない。どんな魔法を使うのかも知らずに、非覚醒者が覚醒者に勝とうなんて言うのが愚策です」
山口が人質にとられているという負い目を全く気にすることなく語る月島に、リーダーは逆上した。
「ふざけるな! 俺は、俺たちは」
「そもそも言っておきますが、山口は小学三年の時に初めて魔法を発動させて、直後に魔法保護司の管理下に置かれています」
冷静な月島の口調に、山口は目を閉じた。事実だった。
魔法保護局。未成年が犯罪を犯したら少年院に入れられるように、覚醒したての魔法使いが犯罪を犯したら魔法保護局に入れられる。いわゆる過失・事故の類で魔法を使った事件が発生した場合、保護観察処分ということで、魔法保護司のもとに定期的に通うことになっている。
月島は、山口が魔法を使って意図せぬ犯罪を犯したとそう言っているのだ。
リーダーの男の顔は恐怖に染まっているのだろう。それは、昔よく見た表情だ。小学生のころ、大抵のクラスメイトは山口に対して怯え、その裏返しのように虐げていた。当然のことだった。山口は自分の魔法が忌まれるのは当然だと考えていた。
烏野の彼らに同じ表情をされるのが嫌で、山口は自分の魔法について語ることはなかった。保護司も、それでいい、と言った。
「凶悪な魔法を使う覚醒者は死ぬべきというなら、まず山口が該当しますね。この場にいる中で、最も凶悪な魔法使いは貴方の足元にいます。口に出すのは躊躇われる程の、どう考えても世のためにはならない魔法です」
くすくすと、月島は言った。嘲笑するように。彼が嘲笑っているのはテロリストに対してか、山口に対してか。
山口は目を細く開いた。月島の意図はわかっている。山口に魔法を使わせたいのだ。
「ツッキー……やめてよ」
月島の、その場にいた全員の視線が自分に集中するのを感じた。
「やめてよ……」
「黙っててよ、山口」
「でも、だってツッキー、俺このままだと……」
視界が涙でにじんだ。ず、と鼻水をすする。
「魔法、使いたく、ないけど……」
使っちゃうよ、とささやかな弱音が漏れた。その言葉にテロリストたちは大げさなほど動揺し、拳銃を山口に向けた。
「う、う、うご、」
「で、あなたたちはどうしますか?」
月島は山口から視線を外し、テロリストに問いかけた。
「魔法使いを人質にするとは、そういうことでしょう?」
月島は怒っているのだろう。その証拠に、彼の周りをふよふよと光球が浮かんでいる。蛍火と山口が名付けた、月島の魔法だ。
「そんな覚悟もなくテロリストなんて生ぬるい」
「うるさい」
「ああでも、一般の学校を占拠したら新たな覚醒者が現れるかもしれませんね?」
「うるさい、黙れ」
「ところで貴方たちは自分が非覚醒者だと思い込んでいるようですが、本当にそうなんですか?」
「黙れ……」
「貴方たちの仲間に魔法使いが混じっていないと、どう証明できるのですか」
「……っ、黙れ! 撃つぞ!」
逆上したリーダーの言葉に月島は肩をすくめた。
「どうぞ? ああでも、僕を撃つとまず間違いなく山口が魔法を使いますよ」
「ならお前より先にこいつを殺すだけだ!」
男は山口に向かって引き金を引いた。
ばちん、と音が響いて、山口は、自分が魔法を使ったことを自覚した。
*
月島=月が出ている時間帯に「蛍火」を出す。固有魔法的には影山と相性がいい。自然光と同じ性質の光なので日向の支援もできる。月島は基本的に光を扱う魔法使いの家系で、兄も魔法を使う。蛍の火なので熱くなく、伝承のジャック・オ・ランタンの火に近い。ウィル・オー・ウィスプ。イグニス・ファトゥス(愚者火)。狐火に比べて熱くなく、鬼火に比べて揺らがない。バレーに影響のない魔法。また、精神操作の性質も持つ。人の精神に幻惑の魔法をかけて、道を迷わせたり、危険な道に誘い込んだり、自分の元へ連れてくる能力。他者をトランス状態にして、無防備な状態で引き寄せることも。また、他人を無気力にしたり、絶望を感じさせたりもできる。逆に感動を与えることもできる、表現者としての能力でもある。及川・影山の魔法と少し似ている。悪用方法がいくらでも考えられるため、人前で魔法を行使するのは避けている。