これはあくまで確認作業であって   作:古守

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噛み合えば相性良し


恋焦がれて、結び

 ────ど、どどどうしましょうっ……!

 

 生徒会副会長である石動に呼び止められたのは、岩巻からのメッセージを確認するため、玲が意識を手元へ向けた数秒の出来事であった。

 

 これでは急いで教室を出た意味がなくなってしまう。そんな逸る気持ちは玲の足を数歩後退させたが、今日こそは逃さないとばかりに石動の手が離れた距離を引き戻す。「急いでいますから……放していただけますか」と即座に伝えても、聞こえているのかいないのか、自分の世界に入ってしまっている石動はもう何度目かも分からない話を熱く語り始めてしまった。

 優秀な人とは気が合うなどという台詞を聞いたこともあるが、玲からすれば気持ちが届いたり、通じたことは一度もない。そう断言できるほどに、石動という人物とは馬が合わなかった。「君ほどの力があれば今からでも決して遅くはない」「勿論協力は惜しまないよ」との熱心な誘いは本来ありがたいことなのだと思うが、複数回断りを入れた上での勧奨は強要と大差なく、可能な限り避けようと思うほどに、玲は石動を相手にすることが苦手だった。

 

 だからこそ振り切るのに手間取り、手間取ったからこそ意中の相手に助けてもらうというとびきりのシチュエーションを得たのだが。

 

 ────ああぁぁぁっ、~~~本当にっ わ、私はどうすれば……っ!

 

 本来であれば間違いなく歓喜一色に染まっていただろう状況も、今の玲にとっては問答無用で大渦潮のど真ん中に放り投げられたような、混迷を極めた展開であった。

 繋がった手を辿り見慣れた背中を視界に入れると心臓は分かりやすく跳ねるが、同時にいたたまれなさで潰れそうにもなる。駆け出す前に楽郎が強調した一週間前を思い浮かべた玲は、情けないような締りのないような顔を赤色や青色に染めながら走る。

 

 

 

 遡ること一週間。

 楽郎との会話を図らずも終了してしまった玲が目を覚ましたのは自室だった。薄暗い室内で視線だけをゆっくりと動かし、障子越しの清光から夜であると認め、それから静かに上体を起こし数秒。

 

 何を、していたんだっけ。ああそうだ、確か楽郎君と話を……して?

 

 熱がある時のような、ぼんやりとした思考を巡らせながら丁寧にひとつずつ記憶を辿る玲は、楽郎が告白をされたという事実に一度考えることを止める。息が詰まるような感覚を覚えており、思い出した今もまた自然と手に力が入っていた。速く打つ心音を落ち着けるべく何度か呼吸を繰り返し、家政婦の気遣いだろう座卓へ置かれた玉露──ではなく水を手に取り、乾いた喉を潤す。

 ずっと喉が乾いていた。驚いた拍子に楽郎に貰ったお茶を落とし、拾い上げてもらったのに受け取る余裕すらなかった。ペットボトルはふたりの隙間を申し訳程度埋めるように置かれて、結局最後まで飲むことは叶わなかった。

 それでも何かに急き立てられるように、或いは使命感に駆られるように頭の中にあった言葉を掻き集めて組み立てた記憶がある。他ならぬ楽郎の頼み事であったから、玲は朧気ながら「伝えなくちゃ」と思ったのだ。

 

「そう。それで……私がいつも、そういつも、思ってい、る……こ、とを……、……?」

 

 え。と、玲の思考が再び途切れた。

 あははまさかそんなわけ……と水を一気に飲み干しなけなしの抵抗を試みるが、胸のあたりから頭のてっぺんに向かって血が昇るような感覚は収まらず、全くもって意味を成さない。

 

「え、あっ  う、そっ……わ、わたし、えっ らくっろ、く……に、っ」

 

 火でも出ているんじゃ、と思うほど顔が熱い。冷ましたくて添える手まで燃えている。そんなあり得ない錯覚をしてしまうほどに、玲は思い起こした自分の記憶が信じられなかった。

 

 彼は、私のことを恋愛対象として見てはいない。期待を持たせるような彼の言葉には、友情以上の気持ちは含まれていない。勘違いをしてぬか喜びするのは私なのだから、決してひとりで舞い上がり先走ってはいけないと、玲は何度も何度も自分に言い聞かせてきた。

 だからだろうか──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のは。

 いっそ届いてしまえばいいと思いながら、きっとゲームの話だと思われるに違いないと高を括っていた。散々はぐらかし逃げ続けてきた自分を棚に上げ、楽郎はなんてひどいことを問うんだと当たり散らすような物言いまでして、嫉妬深くて欲深い、内側に隠しておくべき昏い感情まで晒してしまった。

 そして玲の頭が都合の良い捏造をしていなければ、転がり出た言葉のいくつかを拾い上げたうえで、楽郎はそれらを拒絶するどころか────

 

 認めて、受け入れてくれたのではなかったか。

 

 伝わらないと半ば自棄になっていた玲にとって、これ以上ないほど喜ばしいことである。夢が叶った瞬間とも言えようか。目を向けてくれたことに心の底から安堵し、その一瞬を逃すまいと、楽郎に並びたいと、出来る限りで言葉を尽くした。

 

 しかし、ひとりで振り返る時間は同時に玲を臆病にもした。正しく思い出そうとすればするほど、幸せな気持ちを邪魔するように不安や疑念に足を引っ張られるのだ。それは玲が『勘違いしないように』と極端に自己を抑え続けた防衛本能の残痕であって決して楽郎を否定するものではないのだが、彼女にとっては生活の一部と言えるほど当たり前の思考。

 言ってしまえばただの弊害でしかない、盛大な空回りである。

 

「いつ意識が飛んでもおかしくなかった、から……私のも、妄想の可能性も……っ」

「いっいいえ! ら、楽郎君はっ……リアルだから確認してるんだって、ちゃんと、」

「……で、も……友人の私がこうも、急に意識……され、?」

「ううんっ……期待してるって、楽郎君が! ……い、言ってくれた、よね……」

「……時間を削りたくない、は、友達にも当てはまるけど……でも、でも、~~~~っ!」

 

 頭を抱えたり拳を握ったり、首を捻ったり立ち上がってみたり。ぐるぐる自問自答を続けて、玲は最終的に俯せで布団へ倒れ込み声にならない声を上げた。

「付き合うってことでいいんだよね」が、玲の中でリフレインする。時間差でやることに意味があるのか分からないが、頬を抓れば痛く、楽郎の声が確かに耳に残っていた。だからきっと、その言葉を聞いたことは夢でも幻でもないのだ。

 熱が集まる顔を枕に押し付け足の甲でぱたぱたと布団を叩く姿はまさに有頂天。かと思いきや、ものの数秒でピタリと静止した玲の顔からは静かに血の気が引いてゆく。理由は簡単。なにせ、記憶が残っているのは()()()()()()()()()

 

 常の玲を思えば、かなり長くもった方ではある。楽郎ですら余裕がない状態だったのだから、あわや失恋かと底まで落ちた玲には、そこで思考停止をせず言葉を紡ぎきっただけでも奇跡に等しい。詰めが甘い。そういうところよ玲ちゃん。と岩巻の声が聞こえてきそうだが、前向きに捉えればそこまでは進んだとも言えた。

 楽郎も玲も、恋愛という意味で核心を突いた発言はしていない。結果だけを見ると、形を変えるかという問いに対しても答えを出せていない状況だ。

 

「……不安もある……けど」

 

 今までにないほど近い距離に立てているという実感も、間違いなくある。

 如何に恋愛力の乏しい玲とはいえど、それを勘違いだと疑い、なかったことにはできなかった。当然、したくもなかった。

 

 告白をすれば全てがはっきりする。あともう一歩なんだ。

 その一歩こそが高難度かつシビアなタイミングを要する今まで超えられなかった高い壁であるのだが、玲は、ついに気持ちを固めるまでに至る。

 強く意気込み、考えに考えを重ね頭を使い、ジェットコースターのように感情を揺らしそして──翌日、熱を出した。

 

 自ら出端を挫いてしまった玲だが、しかしその翌日には改めて想いを告げようと確かに強い気持ちを持っていた。タイミングを見計らい楽郎を視界に捉えいざ……というところまで進み、それでもできなかったのには勿論理由がある。

 誤算があったのだ。本人も視界に入れるまで全く予想だにしなかった大きな誤りが。

 

(~~~~っ!? ひづ、らっ、楽郎君、て……ああああんなに格好よっ、~~かッ!?)

 

 話すようになってからは色眼鏡を外し、生身の楽郎を少しずつ見られるようになっていた。楽郎が眩しい存在であることに変わりはないが、玲自身も徐々に慣れを感じていたし、以前に比べれば見違えるほどまともに楽郎の顔を見て会話もできていたのに。

 楽郎が他の女子生徒に見つけられたせいか、それとも楽郎が少なからず玲を意識していると知ったからか。ふたりの距離が近付いたことを認めたからかもしれない。もしかすると勇気が出ない言い訳を無意識に作りだしたなんてこともあり得るし、欲深さを知られた羞恥心や気咎めの線も大いにある。

 はっきりこれとは定められないが玲には兎に角楽郎が格好良く映り、そんな彼の前に自分が立つことを考えると頭が沸いた。遠目に姿を確認するだけでも口から心臓が飛び出しそうになり、極度の緊張により潜伏を選んでしまった。

 まさかのふりだしに戻る、である。

 

「そういえばさ、玲が休んだ日に陽務くん会いにきたよ」

「そっ……うなんですね」

「……いいの? 話さなくて」

「……~~っぅ、その……か、」

「か?」

「かっこよくて、今はちょっと、直視がっ……!」

「えぇ……先週までと変わらないじゃん」

 

 更に追い打ちをかけたのは「陽務くん告られたらしい」という噂だ。聞くところによると女子の間で「斎賀さんじゃなくてその子と付き合いはじめたとか?」なんて実しやかに囁かれており、間接的に噂の的となった玲は余計に身動きが取れなくなってしまった。

 あらかじめ断るという言葉を聞いていたことで冷静でいられたが、結局は楽郎に出くわさないルートを選び、目立たないことに注力して一週間を過ごした。頭を占め沸かしてくる雑念も払う必要があった玲は、隠れると同時に部活にもうち込んだ。

 

 全ては、心も頭も整えたうえで楽郎に想いを告げるために。

 

 

 

 

 

 

 

「あ゛ーーー……流石につっかれた」

「……、っ」

「玲さんやっぱ体力あるね。俺ももうちっと鍛えとかねぇと」

 

 ほぼ休みなく駆け抜け、漸く腰を落ち着けたのはロックロールのスタッフルームだった。来店に気付いた真奈によって半ば強制的に押し込められたその部屋は、中央に置かれた簡易机を挟むように椅子が二脚。壁際の棚には在庫らしきゲームソフトが並び、積まれたダンボールも数箱あることから倉庫兼作業部屋だろうと当たりがつく。

 部屋に入る際、楽郎が「俺が岩巻さんに頼んだ」と言っていたからつまりはそういうことなのだろう。用意されていた緑茶のペットボトルを傾けた後疲労を訴える楽郎を正面に、玲は机の下で固く手を握る。合わせられない視線は、自分の近くのペットボトルあたりを彷徨う。

 

「……~~あ、ぁあのっ! ……ぁそ、の……先程は、間に、入っていただっ、いただきっ」

「ああいいよいいよ。俺が、玲さんに話あるのは本当だし」

「ぅ、ぅあ、ありがとう、ござい、ます。……っお、お話、とは」

「分かんない?」

 

 少しの間もなく返る楽郎の声に、玲の肩はびくりと跳ねた。相手に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど強く大きく、心臓が鳴っているのも分かる。

 いくら部活で心身を鍛え整えても、走ることに集中する間に先の言葉をまとめても、いざ楽郎を前にすれば全てがいとも容易く崩れてしまう。体裁などあってないようなものだ。

 

 声が、いつもより強張っているように感じた。もしかして怒っているのだろうか。話の途中で意識を飛ばし、以降話す機会を先延ばしにしたのだからないとは言い切れない。焦りと不安で額に汗が滲み、唾を飲み込む音もやけに煩く聞こえる。

 分からないわけではないが正解たる言葉が見つからず、玲は震える唇を引き結ぶ。早く何か、なんでもいいから伝えなくてはと思うほどに思考も鈍る。顔が見たい。瞳の色を確かめたい。そう思うがもしもを考えると結果視線は上げきれずに、再び口を開こうとするとどうしても声が詰まってしまう。

 

 そうこうしている間に玲の耳に深く長い溜息が届いた。相手はひとりしかおらず瞬間緊張が全身を駆けるが、続けて聞こえたのは「やっぱ今のなし」という撤回の一言だった。

 

「ごめん。気が急いていたとはいえ言い方ってもんがあるよなぁ」

「…………へ?」

「この間もそれで……あ、玲さんもお茶飲みなよ。あれだけ走った後だし、水分とった方が喋んの多少楽になると思うけど」

 

 普段と変わらぬ楽郎にそう言われ無意識に喉元に手を添えた玲は、確かにそうかもしれないと思い、小さく頷きだけを返す。不安と驚き、緊張の連続で息を整えるのもそこそこに楽郎の一挙一動ばかりに意識を向け、喉の乾きなど二の次だった。

 美味しいと心地よいを同時に感じるくらいには水分を欲していたようで、一度に半分ほどを減らしペットボトルを置く。少しだけ窺い見えた楽郎の表情は矢張りいつもどおりで、最初声に強張りを感じたのは勘違いか、或いは楽郎が言った「気が急いていた」からなのだろうと思えた。水分補給の時間で少しばかり冷静さを取り戻した玲は、視線を控えめに合わせたり外したりしながら今度こそ口を開く。喉のつかえは、とれていた。

 

「ぅ、んっ……す、すみません、喉、とても乾いていました」

「そりゃそうだろうよ。マシになった?」

「はい。ありがとう、ございます」

「いいえ。諸々含めあとで岩巻さんにお礼言っとこ」

「……っそう、ですね。……あ、っの、……話は、私の思い違いなどで、なければ、分かります」

「うん」

「わ、私も……私も楽郎君に、お話がありっ、ありまして」

「あーそれじゃあさ、一個ずつ思ってることと考え話してすり合わせるというか、気張らずゆっくり、ちゃんと確認してこっか」

「はっ……はい!」

 

 焦らず言葉を選びたい玲にとっては心底ありがたい提案であった。心頭滅却に向けた一週間で多少まともになりはしても、楽郎を前にしては常に暴発の可能性を孕んでいるのだから時間的余裕はあればあるほど望ましい。

 俺から先いい? と寄せられた問いかけに、玲は居住まいを正し首を縦に振る。

 

「確認も確認なんだけど、この間の夜のこと覚えておいでで?」

「は、い……途中から夢心地でし、たが……意識を飛ばすまでは……っ」

「んー、夢心地ってことは記憶が曖昧な部分があるとか」

「いっいえ、あの、私の気持ちの上がり下がりが激しくは、あったのですが……それはその、楽郎君の言葉が、嬉しくて……っ、もし都合の良い夢なら……どう、どうしようかといった、内容の……」

「……話した内容そのものは記憶していると。じゃあ、玲さんが俺に言ったことも覚えてるって思っても?」

「はい、問題ない、です」

「よし。なら重ねて聞く」

 

 楽郎からの言葉も自分の発言も覚えている。丁寧に解くような問いにそう答えた玲は、当日の夜楽郎に見せられた表情を自然と思い浮かべていた。

 悪戯を思いついた子どものような顔をしたかと思えば突然意地悪く口角は上がり、とぼけたように片眉を上げたと思った次の瞬間には一変少し神妙なかんばせ。惑いの乗った困り顔、諦め参ったと言いたげな自嘲めいた笑み。それから、決心を瞳に乗せ真っ直ぐ見据えて、納得したように笑った顔がとても優しく、楽しそうで────

 

「一週間経った今でも、玲さんの中にはあの時と同じ気持ちがある?」

「っ、あります! なくなるわけがありません!!」

「……ふ、っはは。即答ぉ」

 

 そう、丁度()()()()()

 

 反射的に肯定し、あれ? と思った時には玲の視線はしっかり楽郎を捉えていた。顔を上げさせて、視線を奪うのが上手い。まただ、と思いながら玲はおずおずと視線を下げるが、逸らす前の楽郎の表情から随分と硬さが抜け落ちているように見え、またそっと盗み見る。

 そして、何がそうさせたのか分からない玲の思いを補完するように、楽郎本人の口から「()()()()」が転がり落ちた。なるほど不安が解消されたのだと理解はできる。できるのだが、楽郎の持つ不安の見当がつかず、玲は不思議でならなかった。

 

「安心……安心、ですか?」

「そうでございますが」

「……? 楽郎君、何か不安だったということで、しょうか……」

「………………ウソだろ? 玲さ……いや落ち着け。こういうのが後々響くって俺知ってる自業自得だと思え」

「? えっと、」

「取り敢えず先に言えるのは俺には不安に思っていたことがあった、ということ。そんでそれはさっきの問答でほぼ解決したってこと。ここまでオーケー?」

「オーケイ、です」

「よっしそれじゃあ何が不安だったかって話だけど玲さん」

「はい」

「原因あなたですね」

 

 実にシンプルな「()()()()()()」をくらった玲は、その言葉を理解するのに十秒を要し、そしてそれが驚きに変わるまで五秒かかった。なぜなら玲は、楽郎を怒らせる可能性は考えても、不安にさせることなど思考の端に引っかかりすらしなかったのだから。

 

「え、……え? なぜ、ですか?」

「もしかして避けてた自覚ない?」

「避け……やむを得ない事情はありましたが、……楽郎君にしてみれば、避けていると言われても仕方がないかと、思います」

「そういうことです」

「……ですがそれなら、苛立ちや怒り、になりませんか?」

「……何でそう思うの?」

「楽郎君、……楽郎君は、その、私のことを恋愛対象として見ていません……よね」

 

 考え、優先してくれて、今後に期待をしてくれた。それはとても大きな進歩で、今後育つ可能性を秘めていることも確かであろう。しかし玲には、楽郎のことをずっと見てきた玲には、あの日の楽郎に恋慕の感情はないという確信に近い思いがあった。

 

 柔軟な思考と順応性の高さがあったとて、それまでの考えが一夜で一変するとは思えない。何よりあの日、他の女性の話を持ち出し、付き合うことも視野に入れていたのが楽郎という人だ。幾度となく「友達」という肩書を与えられている玲は、隣に立たせてもらえることが増えたからこそ、楽郎は自分の核たる感情とは異なる気持ちで接してくれているのだと痛感している。

 あの夜の感情は、共感や共鳴といった類のものではないかと玲は思っている。傍で見つめてきたからこそ、そう簡単に変わりはしないと分かってしまうのだ。

 想い募らせ形ができあがっている自分は言うまでもなく一喜一憂するが、楽郎にはそれがない。であれば不安を感じることもないだろうと、玲は純粋な疑問を呈し楽郎を見据えた。

 

「それ、正しいよ玲さん」

「……はい」

「でも俺は事実不安を感じていたわけだから。半分不正解、ってことじゃない?」

「……そ、れは……そう、なのでしょうか?」

「うーん目で見えないってのはこういう時不便だよなぁ」

 

 そう言って立ち上がった楽郎は、椅子ごと玲の斜め前まで移動する。僅かに距離が縮んだことに驚き、余計に疑問が生まれた玲は困惑を露わに自然と身構える。

 

「玲さんちょっと手出して」

「へぁ? 手、ですか……?」

「そう、手は開いて立てて、こう……胸の前に突き出す感じで」

「……? えっと、はい。これでぇッ!!?!?!」

「……どう?」

「ドッ、どどどっど、ぉっ!?」

「玲さん確認確認。あくまで確認作業だから、これ」

 

 言われるがままに突き出した玲の掌は、楽郎の胸の中心へぴったりとくっついている。説明しながら軽く身を乗り出していた楽郎に掴まれた瞬間にはもう、ぴったりと。身構えていてこれなのだから、この人は本当に何をしでかすか分からないし心臓に悪い。自分では思いつかないような突飛さで気付けば遠い前を走っている。

 本当に、ほんとうに分からないはずなのに。掌から伝わる熱や振動は、玲が何をせずとも勝手に意識させらるものだから敵わない。

 

「……っ、し、心音、が……」

「ん」

「……ても、……っとても、はや、い、です」

「緊張してるからね、わりとずっと最初から」

「っらく、ろ……君も、」

「ですね。ま、そんなわけで理由はともかく状態は三ミリくらい伝わったと思うんだけど」

 

 一度言葉を切り玲の手を放した楽郎はきまり悪そうに頬を掻き、それから、瞳の奥を覗き込むように、境界線を探るように視線を合わせ心の内を明かしはじめた。

 

 言われたとおり、俺は玲さんのことを恋愛対象として見ていなかった。そう言われても、玲はひどく気落ちしたりはしない。悲しくないわけではないが、ああやっぱり、という気持ちが一番最初にやってきてすぐに納得することができる。事実として受け入れるだけの時間は十分すぎるほどにあったのだから、寧ろそう言われる方が先のような疑問も抱かずに済むくらいだ。

 それを理解したうえで、向き合うと告げてくれた楽郎に胸を打たれての今だ。何も問題はなく、気持ちとしては完全に嬉しさが勝っている。ただ「不安」と言った楽郎にだけ違和感を覚え、玲はそのズレの正体が知りたくなってしまった。

 

「俺自身はっきりこうだとは言えないしまさに今只中にいるわけだけど。一週間会えなかったの、すげぇ効いたんだよ」

「……話の途中で……、その、結論を出さないまま、先延ばしにしたから、でしょうか」

「もちろんそれもある。けどそれだけだとなんつーか、たかが一週間じゃんって話で。丁度ほら、ルルイアスの時みたいな」

「はい。あの……楽郎君を掴ま、……見つけにくいことはそう珍しいことではなく、一週間程度なら、よくあります、よ?」

「あーいや、この場合の一週間ってのは俺が玲さんを見つける側の話」

「楽郎君が……私を」

「結局自力では見つけらんなかったけど。だから余計に、ああいつもは玲さんが俺を見つけて、声かけてくれてたんだって知れた」

 

 それは、玲にとっては当然のことであった。当たり前すぎる日常で、好きでやっていることだから別段気にしたことがない事実。校内で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()までをも把握している玲には本当に今更であるが、だからこそ驚きもした。

 真奈の言う「クソゲーが脳にぶっ刺さっている」「人間性の欠落」を今になって正しく理解したかもしれない。恋愛力に乏しい自分が言うのもなんだが、こんなに鈍かったんだ。と、玲は数秒呆気にとられ瞬きを繰り返す。

 

「……エッ、ラクロウクンニブスギィ……とか思ってるな?」

「はっ……あっい、いえあの、そ、そのような、ことは……っ」

「いいよ事実だし。それに、ひとつ分かればそこから色々思考も伸ばせるわけで」

「……え?」

「玲さんが声かけてくれるようになったのいつからだっけ、とか。どもったりフリーズしてたのもやっぱ関係あんのかな、とか」

「! っそ、それは」

「その驚きから察するに今まで散々見逃してきたんだろ。……仮にあの夜答えまでもらっていたら、多分だけど、俺まだここまで自覚してなかったんじゃねぇかな」

 

 逃げたり失敗したり、遠回りをしたり、沢山ヘタれて詰めが甘いと言われながらも、玲は進むことだけは止めなかった。考え悩み、時に暴走し舞い上がり、自分の中でも楽郎を見つけて話しかけることが当たり前の日常だと思えるまでに、継続して。

 

 それを、今眼の前の楽郎が見つけて、拾い始めているということだろうか。

 

「玲さんの厚意を……この場合は厚情の方ね、思いやりや親切の方。それをさ、俺はマジでなんの苦労もなく受け取ってただけなんだよ。言い換えると、良い友人が隣にいるのが当たり前だと思ってたし、それが自然で、何故かなくならないって感覚を持ってた」

「……」

「いやホントビックリするほど傲慢で恥ずかしい限りなんだけど、俺の中での斎賀玲って子はそういう立ち位置で、それがなくなるのが嫌だってのはあの夜言ったとおり。……玲さんの気持ちが俺のより深いものだってなんとなく理解した気になって、まあ向いてる方向は同じだから良いだろうってことで付き合うかっていう話を持ち出した。でもそれ、玲さんを軽んじたもので、ズルだったかもって」

「違います! そんな、ことっ……~~っ、わたしは、嬉しくて、」

「ん。だから最初に確認して安心したって言った。手放したくないって惜しんで引き止めたはずの人に次の日から避けられてるわけじゃん? 疑問と不安でいっぱいよ」

「……っ、」

「おかげさまで俺はこの一週間玲さんのことを考えっぱなしでしたとさ。……現在進行系でそれで良かった、とも思ってる」

 

 陽務君がシャンフロを始めた時に少し似ているかもしれない。

 楽郎の言葉を噛み締めながら、玲はすごいなぁという懐かしい気持ちを抱いていた。だって()()()()()()()()不安を抱くほど多くの情報を探し集めて、思案して、言葉にまでしてしまうのだから。

 想いの大きさで負けることなどないと強く信じていた玲にとって、今の楽郎は計り知れない脅威である。

 

「一般的な恋愛感情とはまだ違う、と思うんだけど。見落としていたものが知りたいし、それに気付いて得た時に、玲さんどんな顔すんだろってのも楽しみなんだよ。……だからまぁ、流石にここまできて逃す気はないし、それでも逃げようもんなら全力で追って取っ捕まえんぞってのが今言えるすべ──て、で」

「ふくっ……ん、……っ、ふふっ」

「……しまった気取りすぎたか」

「ん、ふっ……いえ、いいえ。……そうではなく、」

 

 脅威であることに間違いはない。

 しかしそれは同時に玲を突き動かすプラスの要素でもあり────吹っ切れて先を見据える陽務楽郎こそが、玲が前に進むためのこの上ない原動力であった。

 

 まっすぐ交わる視線が心地よく、紡がれた言葉で胸がいっぱいで、玲の瞳も唇も柔らかな弧を描く。血が巡ってゆく。玲に彩りを与えるのは、いつだって楽郎だ。

 勇気が出なかったのが嘘みたいに、作り変えられたみたいに、内側から溢れる気持ちはもう留め置くことなどできやしない。

 

「恋焦がれて、楽郎君を追いかけ続けているのは私なのに、と。ふふ、」

「は──……ぇっ」

「逃げませんよ。許されるなら今までと同じ、当たり前の隣が……嬉しい、です」

「そ、れは願ったり叶ったりで俺こそ、大変に喜ばしく……いや、ちょ」

「好き、です。楽郎君こと、ずっと、ほん、とにずっと前、からっ……わたし、」

「────ッま、待った待った!! 思い知ってる! から! いったんっ、一旦待とう? 玲さん泣いてる、し」

「…………へぁ? ……っは、ぁれ……、?」

 

 楽郎君も少し顔が赤い。今日はちゃんと、全部届けたいな。届くといいな。

 

 考えていたのはそれだけで、何をどう伝えるかを玲は意識してはいなかった。

 長く胸の内に秘めていた想いは気付けば自然とこぼれ出ていたから。何にも堰き止められることなく、確かに楽郎まで届いた。

 

 ただ、楽郎に引っ張り上げられ無理やり動いたに等しい玲のキャパシティは疾うにいっぱいいっぱいでもあった。泣いていることを指摘されはじめて気付くほど目の前の楽郎に集中していたとも言えるし、振り切っていたとも言える。

 頬を濡らす涙に触れた玲は、顎先まで伝った粒を手の甲で拭う。それでは溢れ出たものを拭いたに過ぎないからと目元に指先を滑らせてみるが、矢張り止まらない。泣いていることには気付いているのに、涙腺が壊れたように両眼からぽろぽろ涙が流れ出る。それは決して嫌な涙ではなく流している本人からすれば不思議と温かみまで感じるものであったが、ぱたりと落ちた涙を服が吸う度に楽郎の表情にも焦りが浮かんでいるように見え、玲は取り繕うように目元を擦った。

 

「あの、……これはっその、感情が、上手くっ……」

「お、おう……それ嬉し泣き、と思っても?」

「おそらく、そう、なのですが……と、止め方が、とま、止まらず……ご、ごめんなさ、い」

「謝る必要は全くないけど、玲さんさ、そんな擦ると目赤くなるから」

「で、でも」

「いいからストップ」

 

 擦っていた手を掴まれ強制的に止められたことで玲の心臓はまたも跳ねる。控えめに腕を引いてみるが、楽郎も放すつもりはないらしい。繋がったまま、覗かれる。

 

「ほらもう赤くなってる」

「……っあの、あまり真正面から、見られるのは……っ」

「あ。ごめん、玲さんでも泣くんだと思うと、つい」

「……人前では、……泣きません、し、ここまで感情が溢れることも、なかった、ので」

「ん゛ん、そっかぁ。……いやつくづく思うわ、この手の特別仕様に弱いって」

「らく、ろうく……ん?」

「玲さん涙止めたい?」

「はい、」

「オーケー」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 溢れる感情の止めどころが分からないならひと思いにバグった方が良いんじゃないか? そんな考えが浮かんだのは相手がフリーズを常備している玲さんだったからに違いない。

 掴んだままでいた腕を引き寄せ自らも半身を寄せればその背に空いている方の腕が届く。椅子がガタリと音を立て机も少々軋んだが、気にせず二回。玲さんの背中を宥めるように軽く叩いてからゆっくりと離れた。掴んでいた腕も解放し表情を覗くと案の定硬直もしていたが、涙も止まっているようだった。

 

 静かに、不思議そうに涙を流す玲さんはいっそ清々しいほどにきれいで。その気持ちがもう既に不謹慎であるのに、人前では泣かないとか、感情が溢れるとか言い出すから堪ったもんじゃない。しかも、とびきりの高火力で好意をぶちまけた後にだ。いやいやいやいや、俺にどうしろと……? 寧ろ俺をどうしたいの玲さん、と問いたい。

 聞いてダメージ受けるのは恐らく俺なので聞きませんけど。

 

「ふしゅッ、ぷぁ」

「あ、良かった戻った」

「…………だ、きゅッ! なんっ、ら、くっ! 何て、こ、とをっ……するんですかッ!?」

「いやあ盛大に驚かせたら涙も止まるかと、ね?」

「とっ……、あれ、止まっ? ……と、止まりました、けれどっ」

「結果オーライ」

「あ、荒療治すぎ……です、よ」

 

 まあ確かに許可なく抱きしめるような体勢になったのは良くはなかったが、一回リセットを入れたのはある種意趣返しでもあり、自分の熱を沈めたかったからでもある。今後を考えるなら、寧ろ慣れてもらわなければならないのも事実で。

 今の今まで忘れていたらしいハンカチを取り出しいそいそと目元や頬を拭う姿を見つめながら、細く息を吐き、努めて冷静に次の言葉を選ぶ。一度意識してしまうと視覚から得る情報量だけで潰れそうにもなるし、下手に突けば藪蛇が目に見えている。油断は命取りだ。

 

「時に玲さん」

「はい」

「お互いの不安要素を潰すために改めてあの夜と同じことを聞こうと思うけど、今伝えても大丈夫そ?」

「……っ! もっ……問題、ないです!」

「ん、それじゃあ……俺と玲さん、付き合うってことでいいんだよね?」

「っんぐ、ぅ、~~~~っは、……い。よっよろしく、おねがいしまふゅッ!!」

「──……っすぅぅぅぅうああ……はい。こちらこそよろしくお願いします」

 

 机に額をぶつけん勢いで頭を下げた玲さんから、一週間待っていた返事が確かに。

 不安はないだろうなんて返しには心底肝が冷えたが、紆余曲折を経て収まるべきところにすっぽり着地できた充足感たるや。ちぐはぐなようで、結果過不足なく済んでいるのは玲さんの許容ありきのものなのだろう。

 達成感というよりは安堵感が強く、全身の力が抜けていくような程よい疲労も含むこの開放感はなんて言うんだったか。カタルシス? そう例えるならば()()()()()()()()()()()()()()()()()…………、

 

「クソゲーじゃねぇか」

「……クソゲー?」

「待て待てスペックを考えるとどう見積もっても神でしかないだろ」

「ら、楽郎君?」

「高スペックながらも光り輝くクソ(バグ)を内包した……なるほど道理でぶっ刺さる」

「あのっ! ……一体何の話を、」

「いやいやこっちの話。攻略しがいがあるなって」

「………え……ああ。ふふ、新しいゲームを見つけたんですね」

 

 合点がいったようにくすくすと肩を揺らした玲さんは、部屋にあるゲーム棚を一瞥したあと嬉しそうに目を細める。それから「楽しそうだから、分かります」と覗き込んでくるその瞳は、まるで全部知っていると言いたげな確信を持っていて────同時に、間違いなく今日イチと言えよう楽しげな、期待に満ちた色で輝いた。

 

 漠然とした一週間は、果たしてすとんと腹へ落ちた。

 悔しいほどの有効打で思い知らされ続けた俺はもはや机に突っ伏すよりほかなく、短くともあと数十秒は、玲さんの呼びかけに応えられそうになかった。




お読みいただきありがとうございました。続きはおまけです。
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