『アウラ』
最初にそう呼んだのは誰だっただろうか。
初めて出会った魔族?
初めて殺した人間?
それとも自分から名乗ったのだったか。
人間は言葉の一つ一つに思いを乗せる。こと名前を呼ぶという行為は、その人物に向けられた思いが強く出る。
ならば魔族である私がそれを読み解くことは児戯に等しいものだった。
人間から向けられた感情の多くは、強い殺意と憎しみ。
仲間を殺されたことへの恨みか、それとも魔族全てへの憎しみか。
そういう人間は駒にした。私に立ち向かってくるということはそれ相応の実力があるからだ。
もちろんそうでない人間もいた。
泣き叫ぶ者、絶望に打ちひしがれるもの、見逃すよう懇願する者、そういう弱い人間たちは喰らい私の糧とした。
では彼は?
ハントは私の名前にどんな思いを込めていたのだろうか。
もちろん予想はつく、しかし確証は持てない。
だってそれは初めて向けられる想いだったから。
私は積極的に人間を捕らえて調べようとするような物好きではないが、かと言って何も知らないほど馬鹿でもない。むしろ生きた時間などを考えると並みの魔族よりは人の営みに詳しいはずだ。
だから分かる。その感情は私に向けられるべきじゃない。私に向けていいものじゃない。
だって私は魔族で、あなたは人間だから。それは人間が人間に向けるべきものだから。魔族が向けられることなんて決してないものだから。
私が私でなくなるような気がした。
薬というには強すぎて、毒というには甘すぎる。こんなものは初めてだった。私には縁のないものだと思っていた。
こんな曖昧で制御の出来ない危険なものは早く捨てるべきだった。頭ではそうわかっていても、それを捨てることができなかった。
捨てようと手を伸ばすほどそれは私の中へと深く沈んでいって、でもそれが心地いいと感じていて、それがとても怖かった。
だから見ないようにした。だってそうすれば気にならないはずだから。だってそうすれば忘れられるはずだから。
そうやって私は、それを私の中に沈んだままで蓋をした。
◇
「アウラ」
もう一度そう呼ぶ声で我に帰る。
一見するといつもと同じようで、でも少し違う。
それは彼が向けてくることは滅多にないもので、私にはひどく覚えのあるもの。
「……なにかしら?」
一抹の寂しさには気づかないふりをして続ける。
「なにかメニューの希望でもあるのかしら? あぁでも何も準備はしてないからあまり手間のかかるものは━━━━
「アウラ、来て」
私の話を遮って彼が言う。
普段見せない強引さに少し驚きながら近くに行く。
「座って」
言われるがままさっきまで座っていた椅子に座る。
「……顔を、見せてください」
彼の方に向き直る。
私は今どんな顔をしているだろう。おかしな顔はしていないだろうか。人に見せられないような顔はしていないだろうか。そんな心配をよそに彼は言う。
「やっぱり、いつみてもアウラさんは綺麗ですね」
「成長していないって言いたいの?」
つい嫌味で返してしまう。だってそうしないと蓋が外れてしまいそうだから。
「……アウラさんがこの家に来てから、俺の生活は一変しました」
おもむろにハントは語り出した。
「勿論人が増えたからっていうのもありますけど、それ以上に俺自身の心の持ち方が変わったように思います」
「……アウラさんが来る前の俺は、生きてるというより死んでいないって感じでした。その日のうちにやるべきことを設定して、その日のうちにやるべきことをやって寝る。ただその作業を繰り返しているだけで、生活をしてるとは言えなかったと思います」
「でもアウラさんと暮らすようになって、アウラさんのことが好きになっていって、アウラさんに喜んで欲しいって思うようになって、そうやっていくうちに自分の中でも変化が感じられるようになって、人間らしい暮らしができるようになったと思います」
「……アウラさんはどうでしたか?」
「…………」
沈黙が流れる。
ハントはそれ以上何も言わず、私も何も返さない。
私は少し考えてから返事をした。
「…………総合的に見るなら、ここを選んだのは失敗だったわね」
魔族は嘘つきだ。
「街が近いせいであまり大きな動きはできないし」
魔族が話す言葉に大した意味はない。
「素材も全然取れないから魔法の研究も碌に進まないし」
魔族は人を騙すために、
「まあ貴重な体験ができたことは良かったけど、それだけね」
もしくは自らの身を守るために、
「もっと早いうちに別のところに行っておけば良かったわ」
嘘をつく。
「……俺は、アウラさんと過ごす時間が楽しかったです」
また、ハントが語り出した。
「アウラさんの笑ってる顔を見ると自分も嬉しくなって、」
そのままハントが続ける。
「もっと笑ってもらうにはどうしたらいいのか考えるようになって、」
アウラは何も言わない。
「そしたらただの同じことを繰り返すだけだった生活がどんどん変わっていって、」
だって彼は優しいから。
「毎日が新しいことだらけになって、」
私が口を挟めば彼は話をやめてしまうから。
「自分でも驚くくらい自分が変わったのが分かるようになって、」
そうしなければ彼はずっと話続けてくれるような気がするから。
「すごく充実した人生になったように思います」
アウラは何も言わない。
「…………アウラさん、顔を見せてください」
「……いやよ」
「どうして?」
「…………」
断る理由が思いつかなかったから、渋々顔を上げる。
「……あぁ、やっぱり綺麗だ」
「お世辞ならいらないわ」
「本心ですよ」
一呼吸置いてハントは続ける。
「アウラさん、あなたのお陰で俺の生活は楽しいものになりました」
「……そう」
「あなたのお陰で、俺は幸せというものを感じることができました」
「……良かったわね」
「感謝しています、アウラさん」
「……どういたしまして」
「…………」
「…………」
また沈黙が流れる
窓の外を見て洗濯物がよく乾きそうなどと考えてみる。
そういえば、朝食の希望を聞いていなかったなんてことを思い出してみる。
「アウラ」
「……何よ、さっきからいきなり呼び捨てにしたりして」
「俺はあなたのことが好きです」
「……いきなり何よ」
「あなたが笑っているところが好きです」
「話聞いてるの?」
「あなたのその綺麗な顔が好きです」
「ちょっと」
「自分のことを誤魔化そうとするところは少し嫌いかもですけど」
「ねえ!」
「そういうところも含めて、あなたが好きです」
「………なんなのよ」
「……アウラ」
「………………なによ」
あぁ、駄目だ。これは駄目だ。これは無理だ。もう騙せない。もう誤魔化せない。
誰がなんと言おうと、私の声は、震えている。
駄目だ。
やめてくれ。
言わないでくれ。
今の私にそれは重すぎる。
きっと今の私じゃあそれを受け止めきれない、こぼしてしまう……!
きっと今の私じゃあそれを返せない!
「アウラ」
もう一度、彼が私を呼ぶ。
また下を向いていた顔を彼に向ける。
きっとひどい顔をしている。
でもあなたはきっとそれでも綺麗だというのでしょう?
わかってる。
だって!
だって私も! あなたのことが……!
「アウラ、愛してる」
それは、ひどく真っ直ぐな言葉で、どこまでも飛んでいってしまいそうなほど真っ直ぐで、とても純粋な、愛の言葉だった。
それなら、返す言葉は決まっている。
とても簡単なことだ。
同じ言葉を返せばいい、生まれたての魔族でも出来ることだ。
言われた言葉を返すだけ。
とても簡単なことのはずだ。
だから動け!
口を開け!
肺に息を入れろ!
声帯を振るわせろ!
「わ、わた、私も……!」
ひどく震えた声だ。聞けたものではない。
「私、も、あな、あなたの、ことが……!」
音も途切れ途切れで上手く発音できない。
「あなた、の、ことを……!」
それでも続ける。
だってこれは言わないといけないから。
だってこれは私の本当だから。
「私もあなたを、愛しています……!」
更新を待っていてくれた皆様へ、謝意と感謝を。
そしてこんな拙い文章のものをここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
一応続きは考えてなくはないんですが、一旦ここで区切りとします。
元々は5〜7話くらいでサクッとアウラの首が飛ぶところまでやるつもりだったんです。