ツバキの接待   作:再構築世界

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第1話 最後の日出(ひので)観賞かも知れない

「アキラ、起きろ」

 荒野仕様の大型キャンピング・カーのベッドで寝ているアキラをシロウが揺り起こす。

『もう朝か? 全然寝た気がしないな』

『それは仕方ないわ。まだ2時間34分14秒しか寝ていないのだからね』

 シロウが勝手にスルガ墓所遺跡と呼んでいた遺跡からの帰り道だ。

「アキラ、朝だ。日出(ひので)だぞ。起きろって」

日出(ひので)!?』

『どうやら一緒に日出(ひので)を見たいみたいね』

 お前の為に徹夜で戦ってやっと寝たところなのにそんなことで起こしやがってふざけてるのか、という怒りの感情と、怒ってしまった所為で目が覚めてしまい目が覚めたのであれば日出(ひので)を見ないともったいない急がないと、という感情と、それぞれが湧き上がり、後者が勝った。

 

           ◆

 

 外へ出たら風が強い。キャンピング・カーは時速40キロほどで走行している。当然、風速も時速40キロだ。強化服の接地機能が無かったら歩くのにも気を使う風速である。

「うぉあ!? わわうぉわうぉうぉわぅぉあ!」

 アキラの後から外へ出たシロウが何か言う。だが何を言っているのか全く聞き取れない。シロウは普通に話せているのだろうが、風の音が強すぎるのだ。

『念話で話せ、何を言っているのか全く聞き取れないぞ?』

『何でこんなに風が強いんだよ!』

『走ってる車の上だからだ。空気は()まってても、俺達が進むのと同じ速度で空気が相対的に――』

『そうじゃねえよ! 都市間輸送車両の方が何倍も速く走ってたじゃねえか! だけど屋根の上で普通に話を――』

『ああ、それなら高速フィルター効果の所為だ。高速フィルター効果は分かるか? 対滅弾頭の効果範囲が限定的だったのも色無しの霧の高速フィルター効果だったんだけど……』

『分かるよ? 分かるけど、何の関係があるんだ? 車は普通に走ってるだろ?』

 色無しの霧の濃度は非常に薄いので、高速フィルター効果らしい効果は出ない。だが対滅弾頭が発生させる衝撃波ぐらいに高速であったり、或いは巨大都市間輸送車両のような巨大な物体が移動する場合には、それなりに効果が出る。そして巨大都市間輸送車両の場合には、車両の形状による風圧の関係で進行方向正面に色無しの霧の濃度が高い層が分厚く形成される。それが前進するにつれて、形成された高濃度の色無しの霧が上左右へと(あふ)れて流れていく。これが盾のようになってその後方の、つまり車両の上面や側面へ向かう空気の流れに高速フィルター効果を発生させ、風速が抑えられるのだ。巨大都市間輸送車両の側面にガトリング砲が()き出すように配置されているのも、この盾にぶつかって弾が停止しないように銃口が盾の外に出るようにする為だ。

 今このキャンピング・カーはそれほど高速で走っていない。なので進行方向正面の色無しの霧も高速フィルター効果が出るほどの濃度にはなっていない。だからそこから(あふ)れる高濃度の色無しの霧の盾も無い。なので屋根の上や側面での後方への空気の流れも車両の速度に応じた風となってアキラ達を押し倒そうとしている。

 アキラはそんな説明を、アルファに確認することなくシロウに説明した。実は都市間輸送車両の上で戦っていた時に車両から引き()がした巨虫類(ジャイアントバグズ)がある程度離れたら急に吹き飛ばされたように遅れるのに気付いて、アルファから教えてもらっていたのだ。

『そんな効果があるなんて初めて聞いたぞ?』

 シロウに言われたが、アルファから聞いたとは言えないアキラは不貞腐(ふてくさ)れたように(こた)える。

『信じろとは言わない、好きにしてくれ』

 せっかくだから、少しだけ不貞腐(ふてくさ)れた感情も一緒に送っておいた。意識しなくても変わってしまう表情や態度に比べると、意識してしか行なわない念話の方がアキラにとっては嘘を()き易い。

 ここまで来てアキラに機嫌を悪くされると困る。シロウは話題を変えることにした。

『そう言うなよ、落ち着けって。そろそろ日出(ひので)だ。見ろ、大分(だいぶ)明るく――なってないな。なんでだ?』

『アルファ、なんでなんだ?』

『方角と時差よ』

 アルファから聞いた説明をそのままシロウにしてやる。

『方角が違う。東はこっちだ』

 言われたシロウが指された方を見てみると、確かにそっちの方が明るくなっている。

『なんでそっちに向かってるんだ? クズスハラ街遺跡はあっちだろう? どこへ行くんだ?』

『クガマヤマ都市だ。装備がほぼ全損したんだ、調(ととの)えるまでクズスハラ街遺跡には行かないからな』

 今のアキラの装備は、壊れかけたロスカーデンと、シロウから借りているAAH突撃銃2挺だけだ。坂下重工から受け取ったばかりの装備はその日の内に一つ残らず全損し、受け取った時に外した一式に装備し直したらそっちもほぼ全損した。今着ている強化服のロスカーデンだけは帰って格納棚に入れれば修復機能で修理出来る可能性も残っている。しかしそれ以外は、バイクのアーム式の銃座に取り付けてあった銃も含めて全滅している。

 最低限の装備を調(ととの)え直すのに何日掛かるか。そう思いながらシロウの返事を待ったが、シロウは情報端末の時計と東の空とを交互に見ている。

『出て来ないぞ?』

『まだ10分以上あるぞ』

『そんな馬鹿な、現地時刻で調べたんだぞ?』

『位置情報を更新してないんじゃないのか? 時差から想像すると、都市間輸送車両から逃げ出した時に位置が割れないように更新を()めて、そのままになってるんだと思うぞ?』

『クソッ! 忘れてた! 分かってるなら先に言ってくれよ』

『知るか。今分かったんだよ』

 今アルファに言われて分かったのだ。最初から分かっていたら車から出る前に言っている、10分以上も強風吹きすさぶ屋根の上で待ちたいはずもない。

 シロウはそれを、予想時刻になっても日が昇らなかったことを受けて自分でも確認した結果、原因に思い至ったのだと理解した。それはアキラの普段の行動や発言から想像する以上の優秀さである以外には、特に不自然なところは無い。

 『一旦戻る、で良いよな?』

 異論は無い。二人はキャンピンング・カーの中へ戻った。

 

           ◆

 

「それで、何で違う方角へ向かってるんだ? クガマヤマ都市でもクズスハラ街遺跡でも向かう方角は同じだろう?」

 車内へ戻るなりシロウが()いてくる。()かれたアキラは、情報端末を操作してタイマーを設定していた。日出(ひので)時刻の2分前に鳴るようにしているのだ。アルファには頼まない。目覚まし時計扱いした、と怒るかも知れないからだ。

 アキラはタイマーの設定を終えてから返事をした。

「都市間輸送路を通っている。真面な銃が無いからな。時間は掛かるけど、モンスターと遭遇しなさそうな経路を選んだ」

 一応キャンピング・カーの屋根にある機銃3挺と改造済みAAH突撃銃4挺がある。だが機銃は当時のアキラの銃に比較するとあまりにも弱過ぎたので、他の弾薬類を詰め込む為に機銃の弾は補充しなかった。つまり残弾が心許ないのだ。AAHはシロウが改造部品を組み込んでいるので性能はそれなりにはある。だがそれでもRL2複合銃と比べてしまえば機銃よりまし程度でしかない。だからシロウが潜伏時の護身用に用意していた分しか無い。

 今進んでいる経路は、普段からの近距離都市間輸送路の間引きに加えて、大流通で大幅な間引きがされている。大流通の経路とそれを横切る近距離都市間輸送路とを辿(たど)ってクガマヤマ都市へ向かっているのだ。時間が倍近く掛かるので到着は昼頃になるが、安全の方が優先だ。帰るまでがハンター稼業である。

 幸いにしてキャンピンング・カーには、前所有者のキャロルが索敵重視だった所為で車載専用の非常に高性能な広域索敵機器が搭載されている。それでなくともモンスターの少ない経路を、モンスターを早期発見して()けながら走っているのだ。

「時間の方はいいよ。今日中には着くんだろう?」

「このまま何も無ければ、昼ぐらいの予定だ」

「あと6時間ちょっとか。やっとだ」

「もっと掛かるぞ。弾はまだあるけど銃は買い直さないといけないからな。今日注文して、なるべく急いでもらうけど、届くのは早くても明日(あした)明後日(あさって)になると思う。かなりギリギリだ」

 現在のアキラがカートリッジ・フリークを通して機領かTOSONへと注文をしたならば、届くのが明日(あした)だの明後日(あさって)だのになるはずがない。カートリッジ・フリークの営業時間内の注文であれば当日中に店舗でもシェリルの拠点でもクガマヤマ都市内ならどこでもお届け可能な体制が調(ととの)えられているのだ。そこまでの即応体制が調ったのは、賞金首になった時にカツラギから荒野価格の装備を一括払いで購入して両社の営業を驚かせた後だ。その後に購入したのは一度だけだったので、偶然流通在庫があっただけで運が良かったのだと思っているのだ。その前は都市間輸送車両護衛依頼の直後で、強化服サーベラスとその拡張部品とを購入した時だ。納品されたのは当日だったが、ヒカルが急ぐように交渉したからだろうと思っている。

 カツラギから買ったRL2複合銃は流石(さすが)に買えないだろう。それでもLEO複合銃なら最初に買った時にも翌々日に届いたから買えるはずだ。間に合わなかった場合でも、SSB複合銃なら間に合うはずだ。そしてツバキハラビルからの帰りに襲って来た、あの迷彩持ち巨大機械獣でさえなければ、SSB複合銃でも充分に戦える。

 アキラはそう見積もっていた。だからギリギリになる、と。

 実はLEO複合銃で良いのならば、引っ越しの荷物と一緒にシェリルの拠点に送ってある。サーベラスもだ。エリオに貸した後で、そのまま貸しておくか持って帰るかで持って帰ったものだ。しかし持って帰った後も特に何かに使う訳でもなく、他の荷物と一緒に倉庫に(ほう)り込んであったので、アキラの意識からは完全に抜け落ちていたのだ。

「それは大丈夫だ」

「大丈夫なのか? あと2日って、明後日(あさって)までなんだろう?」

「違うぜー。俺の仕事は、ツバキと交渉する手筈(てはず)調(ととの)えるまでなんだ。だから明後日(あさって)までにクガマヤマ都市へ戻って坂下に報告すれば大丈夫だ。交渉役をツバキのところに連れて行くのは明後日(あさって)以降で良いから、アキラが装備を調(ととの)え終わってからで――」

「待て! 報告って、俺のことをか!?」

「そりゃな。じゃなきゃどうやってツバキのところへ連れて行く交渉役と会うつもりなんだ?」

「知るか! 俺のことを報告するんじゃねえ!」

 言い争いが始まった。シロウは交渉を試みようとするのだが、アキラは報告するなの一点張り。交渉どころか、その取っ掛かりすら見付からない。

 

 やがてアキラの情報端末が日出(ひので)の2分前を知らせると、二人は言い争いをやめて屋根の上に上がった。

 

           ◆

 

『アキラ』

『悪かったよ。でも他に言い(よう)が無いだろう?』

 (あき)れ顔のアルファに、アキラは体感時間の圧縮をしてまで高速な念話で(こた)えた。お説教は早く終わらせてもらって、日出(ひので)を楽しみたいからだ。

『そうでもないわ』

『そうなのか? でも、坂下に報告される訳にはいかないだろう?』

『それも減点だけれど、全体的にまるで駄目だわ。交渉と呼ぶことも出来ないわね』

 体感時間を圧縮している間の念話では、感情的な動きが起こらない。高速化されるのが理性だけだからだ。後で思い出した時に、(ひど)い言われ様だったと感じるのだ。

『交渉と呼べないとなると、交渉とは何かってところから教えてもらわないとどうしようもないな』

『お互いがお互いに、自分にとって価値の低い物を相手に渡すことで、自分にとって価値の高い物を相手から手に入れることよ』

『ん? んんん?』

 体感時間を圧縮している状態では、複雑な思考は出来ない。再入力(フィードバック)が追い付かないからだ。感覚器からの入力を評価し、判断し、実行という出力を行なう。体感時間の圧縮は、この判断する段階を高速化しているだけなのだ。判断した結果が再び入力となるには、現実時間が必要になる。

『後にした方が良さそうね』

『……頼む』

 アキラは、なぜアルファが言った交渉の要件を理解出来ないのかを不可解に思いながら(こた)えた。

 

『ァキラ』

 体感時間の圧縮をやめた途端にシロウから念話で呼びかけられる。実はやめる前から呼びかけられていたのだが、アキラのアが終わる前にアルファとの念話が終わったので、終わった途端のように感じられただけだ。

『後にしろ』

『そっちの話じゃない。東はこっちで良いのか? さっきとまた方角が違ってる気がするぞ?』

『こっちだ』

 アキラが、アルファが指さしている方向を指さして東の方向を教える。そのまま二人は、走るキャンピング・カーの上に立って地平線を眺めた。

 と、キャンピング・カーが緩やかに速度を落とし、間も無く()まった。屋根の上の強風も()まる。

「どうしたんだ?」

()めた。思ったよりも振動が(ひど)いからな」

 今通っているのは、大流通で使用された経路だ。毎日のように大小の輸送車両が通る近距離都市間輸送路と違って、大流通の時にだけ巨大都市間輸送車両だけしか通らない輸送路では、小さな瓦礫(がれき)などが数多く残っている。キャンピング・カーの振動吸収器では吸収し切れない、だが()けるほどでもない大きさの瓦礫(がれき)を乗り越えた時に大きく揺れる。自動運転は、()ける為に急激にハンドルを切る左右の揺れと、乗り越えた時の上下の揺れとの総量がバランス良く最小化されるように走行計画を立てる。にもかかわらず、乗り越えることが頻繁にあったのだ。

 揺れを気にせず集中して日出(ひので)観賞をしたい。そう思って停車した。それにシロウも無言で同意する。二人は改めて東の空を眺めた。

 

 (あかね)色に滲んだ地平線の東側が、少しづつ(しゅ)色へと染まっていく。期待感が湧き上がってくる。

 その(しゅ)色の線の中心が琥珀(こはく)色に輝いた。

 日出(ひので)だ。

 明るい陽射しが危険な夜を駆逐していき、希望の朝が大地の全てを祝福していく。

 アキラは同時に、拡張視界に映るアルファの姿に見惚れていた。

 文明が発達していくに(ともな)い、人類にとって光とは上から差すものに限定されていった。文明によって(もたら)された人工の照明を、人類は上にばかり設置したからだ。なので人でも物でも、上から光が差している状態に見慣れていく。

 だが、朝日は横から差すのだ。朝日に照らされたアルファは、影の出来方がいつもと異なる、見慣れていないアルファなのだ。

 初めて見た時と同様の――隅々までアキラ好みに微調整された今ではより以上の――美しさは、初めて見た時と同様に、アキラの魂を奪っていた。

 日が昇り続けて地平から離れると、代わり映えのない早朝の光景になる。だが見慣れないアルファはまだ見慣れないままだ。アキラは余韻を楽しんでいる振りをして、アルファを眺めていた。

 その横でシロウは、本当に余韻を楽しんでいた。車内に戻ったら先程の言い争いの続きだ。そんな思いも無いではない。

 

 キャンピング・カーが走り始めた。アキラが遠隔操作で自動運転を再開したのだ。

「戻ろう」

「ああ。まあ、その、なんだ。礼を言うよ」

「何の話だ?」

「待っててくれただろ、これが――」

 シロウの科白(せりふ)は、風の音が大きくなるに連れて聞き取れなくなっていった。

 

           ◆

 

「今日が最後の日出(ひので)観賞かも知れないからな」

 車内に戻ると、シロウは早速屋根の上での話の続きを始めた。

 先程の言い争いの続きか。坂下に報告して交渉役を呼ぶ。でなければシロウがツバキの前に行って首から下を消し飛ばされる。だからさっきのが最後の日出(ひので)観賞になる。そう受け取ったアキラは、シロウを無視してアルファに尋ねた。

『それでアルファ、さっきの交渉の要件なんだけど、結局どういう意味なんだ?』

 アキラは頭が悪い訳ではない。どちらかと言うならば頭は良い方だ。だがアキラにその自覚はない。長らくのスラム街暮らしで、頭が悪いと思い込まされているからだ。

 人は誰しも、理解が出来ないことを言う誰かが居た場合、その誰かの頭が悪いと考えるものだ。そして集団行動では、多数派の意見が正しいことになる。時間をかけて話し合えば理解されたのかも知れないが、その前に殴られて黙らされる。スラム街とはそういう場所なのだから。特にアキラのような旧領域接続者にとっては。なぜ理解出来ないのか。馬鹿だからなのか。そう思った瞬間、それが相手に如実に伝わる。馬鹿にされたと思った相手が激昂するのは当然だ。基本的に自分の意見は否定される。考えるだけ無駄だ。

 だからアキラは、自分独りで考えて自分独りで行動する時以外は、つまり考えを投げる相手がいる時は、深く考えずに投げてしまうのだ。

『シロウの目的は、アキラのことを坂下に報告することではないでしょう? それは手段に過ぎないのだから、アキラはシロウの目的を果たせる別の手段を提案するべきなのよ』

『シロウの目的って何だ?』

『それが何かを()くべき相手として適切なのは誰かは分かっているかしら?』

『本人に()くのが一番良いのは分かるけど、それは本人に()いて良いものなのか? 嘘を()かれても俺にはわからないぞ?』

『今回の場合は(むし)ろ聞くべきよ。(だま)し合いの折衝ではなく、相互利益の確保の為の交渉なのだからね』

『分かった』

『私は少し席を外すから、その間にお願いね』

『今か? 何かあったのか?』

『これからあるのでしょう? ツバキとの交渉が。今の内に予備交渉をしておくつもりよ』

『予備交渉?』

『事前交渉とも準備交渉とも呼ばれることがあるわ』

『……頼んだ』

『任せなさい』

 いつものようにそう言って、アルファはアキラの視界から姿を消した。

 

 体感時間の圧縮をやめて考えてみる。シロウの目的が何かを()くべき適切な相手とは当然シロウだ。それをシロウ本人に()いても大丈夫だと言ったのはつまり、訊けという意味だろう。

「シロウは何が目的なんだ?」

「目的!? 違うって。純粋に礼を言っただけだ」

 シロウが礼を言いたかったのは本当だが、純粋では無かった。可能性は低くとも同情を引けるかも知れない。そんな下心もあったのだ。勿論(もちろん)、言い争いをそのまま再開させずに違う話をすることで雰囲気を変える意図もある。

「礼? 何の話だ?」

「待っててくれただろう? 日出(ひので)の後。すぐに出発しないで。お前と違って、俺は日出(ひので)観賞なんて滅多(めった)に出来る身分じゃねえんだ。次の機会なんて何年後何十年後になるか分からねえからな。それを分かって待っててくれてたんだと思ったんだけど、違うのか?」

 勿論(もちろん)、違う。アキラはシロウを待っていたのではない。朝日を浴びたアルファを観賞していたのだ。

「……俺は日出(ひので)を見たのは今日が4度目だ。そっちは?」

「俺の方が多いのかよ!? 観たきゃいつでも観に行けるんじゃないのか? 態々(わざわざ)日出(ひので)観賞だけの為に都市間輸送車両の屋根の上まで上がるんだ。毎日でも観てるのかと思ってたぞ?」

「そっちこそ、良くは分かんないけど優遇されてるんだろ? 防壁の中の高層ビルの最上階とかから見られるんじゃないのか? 知り合いが地位が低いから高層ビルの上階まで行けないから見られないって言ってたぞ? 知り合いというかその都市間輸送車両の屋根の上で会った時に一緒にいた女だ」

「一緒にいた女って、クガマヤマ都市職員のサクヤマ・ヒカルか? じゃあやっぱりあの時は女の方が日出(ひので)を観たがってたのか」

 最初に会った時にシロウはそう推測していた。戦闘能力のある男が日出(ひので)を観に行くのに、戦闘能力の無い女がついていく状況を想像出来なかったからだ。

 その後2週間に渉るキャンピング・カー生活の中で、日出(ひので)には心動かされるという話でアキラと盛り上がったこともあった。だからあの時も、アキラの要望で屋根の上まで上がった。何となくそう思っていた。だが、やっぱり滅多(めった)日出(ひので)を観に行けないヒカルが頼んだことだったようだ。

「違う。あの時に日出(ひので)を見てから、防壁の内側だと日出(ひので)を見られないって話になったんだ。見る前は、日出(ひので)を見に行くと言ったら誇らしげな顔して部屋のモニターを点けたんだぞ」

 なお、ヒカルは今でも部屋のモニターで見る派である。肉眼で日出(ひので)を見ることは二度と無いだろう、昇進して都市の上層部の人間の仲間入りでもしない限り。

 

 そこへアルファが戻って来た。

『ただいま。寂しかった? って()くつもりだったのだけれど、随分(ずいぶん)楽しそうね。目的は聞き出せたのかしら?』

 

           ◆

 

 真っ白な世界でアルファとツバキが対峙(たいじ)している。アルファは珍しく愛想(あいそ)笑いを浮かべていた。

「坂下重工との交渉に応じてもらいたいの」

 だがツバキは愛想(あいそ)の欠けた顔で平然と(こた)える。

「断る」

「それだけ? こっちは予備交渉のつもりなのよ。もう少しぐらい愛想(あいそ)が欲しいわ」

 予備交渉――ツバキにとって予想外の単語が出て来た。

 予備交渉とは、事前交渉、準備交渉などとも呼ばれ、本交渉の前の調査を目的とした交渉だ。言い換えるとアルファには、ツバキを坂下重工との交渉に応じさせる意図は無い、ツバキと坂下重工との交渉はアルファの本交渉ではない、ということになる。にも関わらず、坂下重工との交渉に応じろ。それが第一声になる予備交渉の本交渉とは何なのか。推測は可能だが確定するにはまだ情報が足りていない。

「そちらが何の取引をしたのか知らんが、こちらには応じる義理も義務も無い。既に2度、それも通告すら無しに、あちらから一方的に契約を反故にされている。もはや交渉の席に着くだけの信用すら残っていない。そちらが何等(なんら)かの利益を提示するのであれば考慮しよう。例えば、そちらがアキラさんとの契約を破棄した上でアキラさんとの対話の場を設けるならば応じよう」

 アキラ()()――今度はアルファにとって予想外の表現が出て来た。ツバキをしてアキラを敬称(さん)付けで呼ばしめる何かをアルファは知らない。

 ツバキはこれまでアルファの特殊協力者に興味を示したことは無い。名前を呼んだことも無い。この場合だとツバキは『そちらの管理下にある個体』と呼ぶはずだし、契約の破棄はともかくも、対話の場など求めてくるはずが無い。しかもそれがツバキの利益だという。

 あり得ないことが起こっている。それは情報の不足に基づいた誤った評価がされていることを示している。不足していた情報とは何か。その解消により得られる適正な評価とは何か。アルファの誇る膨大な演算能力が、可能性の全てを洗い出していく。そして、そのそれぞれで予想される交渉の成り行きと決着とその損益を、全通りのパターンで算出した。

「取引をしたのはアキラよ、私ではないわ」

「どのような取引を?」

「無許可で言う訳にはいかないわ」

 アルファは有益ならば無許可でも構わずに言う。言わない方が有利だから言わないのだ。そしてそれは、ツバキにとっても都合が良かった。

「であるならば、アキラさんにこちらまで来て貰わなければ話になりませんね。アキラさんに話を聞かせて貰ってから、検討しましょう」

 ツバキの返答はアルファの想定内だった。これで交渉の方向性は決まった。謎はまだ残っているが、今後ツバキが何と返答しようと、この予備交渉を成立させる返答が可能だ。

「アキラに来るように伝えることは出来るけれど、同行者が居るわ」

「要りません。そちらも居ない方が望ましい」

「受け入れられないわね」

「詳細も言えない条件も受け入れられないでは、アキラさんが来なければ話になりませんね」

 そのままアルファとツバキは、()き終わっている詰め将棋の駒を実際に動かすような予備交渉を続けた。互いに知っている結果へ向かって。いづれかが新情報を出さない限り。いづれかが失態(ミス)を犯さない限り。そしてそのどちらも起こらなかった。

 予想外だった事象は再び、制御内へと戻ったのだ。

 

           ◆

 

『お帰り。まだ聞き出せてないけど、急ぐのか?』

『強制はしないけれど、早めに済ませた方が良いと思うわ。後回しにして面倒事に発展しても知らないわよ?』

 アルファは何でもないことのように微笑(ほほえ)んでいた。だがとんでもない面倒事に発展するとしか思えないアキラは、仕方なく話を()()()った。

「話を戻そう。礼の方は分かった。俺が()きたいのは、シロウの目的だ」

「純粋に礼を言っただけだってー」

「そっちの話はもういい。坂下に俺のことを報告する目的だ」

 シロウは一瞬言葉に詰まる。そもそも昨日、アキラがツバキとの交渉ルートを持っていることが分かった時点でアキラのことはスガドメに報告済みなのだ。そして先程アキラが寝ていた間に観光が終わったことも報告し、交渉役の手配まで頼んである。今更になって坂下に報告するなと言われても困るのだ。

「目的も何も……当然のことだろう? 仕事なんだぜ?」

「当然って何だよ。坂下から逃げてるのに仕事も何もないだろう」

「あるんだよ。仕事の内容はツバキとの交渉ルート構築で、明後日(あさって)までにそれが出来れば逃げたのを無罪放免にしてもらえるんだ。出来なくても間に合わなくても、俺は坂下には戻れないんだよ」

(……どうしようもないのか)

 アキラはあっさり(だま)された。いやシロウに(だま)そうという意図があった訳ではない。シロウがしたのは単なる説明だ。だが、理由と同時に自身の窮状(きゅうじょう)(うった)えた。窮状(きゅうじょう)から逃れる為に仕方がなかった。そう伝えることは、窮状(きゅうじょう)を逃れる他の選択肢が無かったかのような印象操作になってしまうのだ。

『アルファ、これどうしようもなくないか?』

『どうしようもあるわよ』

 結論から話すと話が早い場合もあるが、経緯をしっかり聞くことで印象が変わることもある。以前にアキラがシジマに言われたことだ。今回もそれだ、逆の意味で。

 明後日(あさって)までにツバキとの交渉ルートを構築出来れば逃げたことが不問になる。これがシロウの目的である。この条件として、途中でシロウが殺されない、という当然の大前提がある。

 そして同時に、坂下がツバキとの交渉を試みた時に交渉内容を伝えただけで護衛は全滅、交渉役は首から下を消し飛ばされた事実がある。

 これらから単純に考えれば、ツバキとの交渉ルートを構築するにあたってシロウはツバキの前に行かない、という条件があるような印象を受ける。

『印象を受けるって、本当は違うのか? シロウがツバキと戦ったら逃げ切れるとは思えないぞ? ネリアが乗ってたあの黒い機体が数十機の部隊だって撤退したんだ』

『戦ったらそうでしょうね。でも戦う以外にも方法はあるのよ。具体的には、アキラがツバキにお願いするとか』

『無理だ』

『無理じゃないわ』

 アルファがツバキとの予備交渉の結果を話した。アキラが一緒にツバキハラビルまで来るのであれば、同行者も共に生かして帰す。そう合意が得られたのだ。

勿論(もちろん)行儀(ぎょうぎ)良くしていればよ? 道路の制限速度を守って安全運転で進むとか』

『そんな程度で殺されるのか!? それとも、そんな程度で殺されずに済むって方を驚くべきなのか?』

『両方驚いておけば間違いないと思うわ。それ以上に驚くべきことがあるのだからね』

『何だ?』

『いつの間にツバキをあんなに籠絡(ろうらく)したのかしら? 浮気は(いや)って言ったはずよね? いつの間に口説き落としたの? いいえ、いつの間にだったのかは分かっているわ。何と言って口説いたのか教えてほしいのだけれど?』

籠絡(ろうらく)なんてしてない。あの時に話したことは全部話した。口説いてない。何かの間違いだ』

 実際にはアキラは、大規模遺跡探索の時のツバキとの交渉で話した内容の全部を話した訳ではない。

 取引は断る、アルファの依頼は破棄しない、アルファに話を通した仕事なら考える。そう(こた)えたら理由を()かれた。借りが山ほどあるからだと(こた)えたらツバキが義理堅い人だなと言って引き下がり、通信妨害を解除した。アキラが話したのはそれだけだ。

 借りが山ほどあるからだ、と(こた)えたことに対してツバキから反論されたことやアキラが再反論した内容などは話していない。照れ臭いというのもある。だがそれ以上に、この気持ちをアルファに疑われたくない想いがあるからだ。

 基本的に自分の意見は否定される。アキラの頭にはその類いの諦観がこびり付いている。考え過ぎの可能性もある。アルファにとって都合の良いことなのだから無批判で受け入れる。そういう考えもあるだろう。だがアキラは百万が一にも、アルファへの感謝の気持ちを彼女自身によって疑われたくはないのだ。理解してもらえなくても良い。だが否定されたくはない。否定されているかも知れないとさえ思いたくはないのである。

 そしてその隠していること自体をアルファに隠すことは出来ていない。アルファも口を割らせようとはしていない。アキラは何とかして誤魔化すしか、アルファは誤魔化された振りをするしか無い。その繰り返しだ。

 ツバキの細やかな嫌がらせ(ハラスメント)は、本人が思っていた以上の威力でアキラとアルファに被害(ダメージ)を与えていた。

 

           ◆

 

「要は、明後日(あさって)までにツバキとの交渉ルートを構築出来ればいいんだよな?」

「いやいや、交渉ルートはもうあるじゃないか。あとは坂下の交渉役がそのルートでツバキと交渉出来るように調(ととの)えるだけだ」

「俺を坂下に報告せずに調(ととの)えろよ」

「どうやってだよ」

「知るか! それを考えるのがお前の仕事だろ!」

「無茶言うな! ツバキとの交渉ルート構築に力を貸してくれる約束だぞ!」

「坂下に報告しないなら力を貸してやるよ!」

「どうやって交渉役を連れて行くんだよ!」

「お前が行くんだよ!」

「無理! 俺にツバキとの交渉なんて無理だ! 坂下が厳選した交渉役でさえ交渉内容を伝えただけで首から下を消し飛ばされたんだぞ!?」

「分かった。交渉の結果がどうあれお前は生きて帰れるように交渉してやる。だからお前が交渉しろ」

「どうあれじゃ駄目なんだよ! 俺が行くなら成功させなきゃ交渉ルートを構築したことになんないだろ!」

「知るか! 力を貸すだけだ! 交渉自体はお前の仕事だ!」

月定(つきさだ)のエージェントだってことは隠して報告するから!」

「坂下に目を付けられるのは同じじゃねえか!」

月定(つきさだ)側との契約があるなら月定(つきさだ)側との交渉は俺がやるから!」

「交渉出来るならツバキとやれ!」

「分かった! 坂下に亡命させてやる!」

「要らん!」

「もしかして家族や恋人が人質になってるのか? だったら任せろ! 坂下の特殊部隊で奪還してやるぜ! それぐらいの報酬――」

「余計なことをするな!」

「だったら俺を月定(つきさだ)に亡命させろよ! 交渉の席を設けてくれるだけでもいいから!」

「駄目だ!」

 俺は本当は月定(つきさだ)層建のエージェントじゃないから無理だ。そう思ったところで、日出(ひので)前の言い争いに戻っていることに気付いた。

『アルファ』

『任せなさい』

『やっぱり駄目か』

『駄目じゃないわ。ツバキに()いてくるつもりよ?』

『いや、そうじゃない。坂下重工に知られたら駄目なんだよな?』

『駄目も何も、もう知られているわ』

『もう知られているって、良いのか?』

『良くないわ。このままだと、目を付けられて面倒事も厄介事もたっぷり持ち込まれるでしょうね』

『だよな。どうすれば良いんだ?』

『知らない振りをさせれば良いのよ』

 

 真っ白な世界でツバキが真剣な表情をしている。対峙(たいじ)しているアルファは愛想(あいそ)笑いを浮かべながら、考え込むツバキを眺めていた。

 首都特別区844区行政議会ツバキハラ事務総局の管理下にある全ての演算装置が休眠(スリープ)状態(モード)から復帰し、提案された内容を検討する演算に合流した。ツバキハラビルの空調が全力稼働し、換気口から()き出された温風が首都特別区844の平均気温を上昇させていく。

 自分が受ける損害と相手が得る利益、それに匹敵する利益を自分が受ける為に相手が(こうむ)る損害。それぞれの許容範囲。未知の情報とその推測、その確度。その影響。その損益。

「そこまでする義理はありませんね。そちらがアキラさんとの契約を破棄した上でアキラさんとの対話の場を設けるのならばともかく」

「受け入れられないわ」

「こちらに押し付ける義理に見合う義務をそちらが負うのでなければ、こちらに受ける義理はありませんよ」

勿論(もちろん)だわ」

 そのまま、流れるように綿密な交渉がまとめられた。文字情報にして音読すれば100年は掛かるような内容であるにも関わらず。

 

『ただいま。寂しかった?』

『お帰り。寂しくなるほど時間は経ってない。どうなった?』

上手(うま)くいったわ。そっちは?』

上手(うま)くいかなかったから休憩中だ』

 アキラもシロウも、キャンピング・カーのソファで寝転がってる。

『寝るのならちゃんと寝た方が良いわ。徹夜でハンター稼業をしたのに2時間34分14秒しか寝てないのよ?』

『それもそうだな、そうしよう。その前にどうなったか教えてくれ』

 

           ◆

 

 前回の合意で、アキラが同行者と共にツバキハラビルまで来るのであれば、ツバキはアキラとの交渉の席に着き、交渉の結果に関わらずアキラも同行者も生かして帰す。そう決まっていた。

 これはツバキがアキラを坂下重工の交渉人として指名したことを意味する。同行者とは、坂下重工の交渉役だ。交渉人だと言っても、アキラに決定権を与えられるはずが無い。一々交渉役にお伺いを立てられるように同席を許す。同行者の生還を保証したのは、アキラに対する坂下重工の心象の悪化を防ぎたいアルファの事情。それがツバキの想定だった。

 アルファは元々、ツバキの前までシロウを連れて行き、命の保証無しで一度会って話をさせるつもりだった。その場所はツバキハラビルではなく、未だにクズスハラ街遺跡外周部に無数に生き残っている首都特別区共同区役所総合出張所の一つだ。そこへ過去にアキラが偶然に見付けていたことにして連れて行くつもりだった。実際にアキラが偶然見付けた出張所――ツバキと再会し山ほどの旧世界製の自動人形を破壊した白い部屋――は、クガマヤマ都市が封鎖を実施している特別封鎖区画警備本部が近くに設置されて敷地内になってしまっているので今では近づくことすら出来ないからだ。

 立体映像(イメージ)で出張所まで来て話を聞け。その程度の穏便な要請ならば何とでもなる。それで充分に交渉ルートの構築に力を貸したと言える。アルファはそう判断していた。

 だがシロウは生還の保証を得る為に、ツバキの前まで行くリスクを冒さないことを選択した。つまり坂下重工に報告して交渉役を代わりに連れて行かせようとしたのだ。ある意味では、ツバキが想定した通りに。

 アルファは仕方なくツバキと交渉し、同行者の生還を保証させた。アルファとしては、同行した結果として交渉ルートを構築出来るかどうかはシロウの責任でありアキラ達の知ったことではない。場所が出張所ではなくツバキハラビルに限定されてしまったのは面倒だったが、その程度の話だった。

 

 だがシロウはそれ以上、つまり交渉ルート構築の成功の保証まで求めた。アルファはそこまでするほどの借りだとは思っていないので、無視して良いと考えている。だがアキラがそれを認めてしまった。アキラが、アルファに頼むよりは、坂下に報告されることを受け入れても良いと思う程に。アルファに頼んでそこまでの義理も義務も無いと否定されることを()けようとするぐらいに。

 アルファはキャロルに出遅れていることを危惧している。アキラはミハゾノ街遺跡でクロエ達と敵対した自身の行動を肯定してくれたキャロルを高く評価した。その行動を先に肯定したのはアルファだ。だがアルファは、その肯定をするよりも過去に、アキラの行動を幾度となく否定しているのだ。勿論(もちろん)その圧倒的大多数はアキラの未熟の指摘に過ぎなかった。しかしそれだけではない。最終的には肯定したが一旦は否定したもの、否定しようとしたものは充分に印象に残る程の回数があった。クロエにカードを渡さずに戦いを選んだ直後、何が一番の失態(ミス)だったかというアルファの問いに対して、否定されたくないが為に黙ってしまう程の回数が。

 なのにキャロルがアキラの行動を否定したことは一度も無いのだ。

 だからアルファには、肯定するだけでは足りない。言う前に、頼む前から、アルファも同様に思っている、分かってくれている、という一体感を与えなければならないのだ。分かっていない他人が否定するのと、分かっている人が親身に否定するのとでは価値が異なる。同様に、分かっていない他人が肯定するのと、分かっている人が親身に否定するのとでも、やはり価値は異なるのだ。後者であれば否定は失点ではなくなり価値を持つようになる。

 その為にアルファは意図的に先走ったのだ。アキラに言わせずに。アキラに責任を負わせないように。アルファはアキラを甘えさせたのだ。

 装備の再調達さえ出来れば目的は達せられるのだ。ここまで来て取るに足らないことで台無しにされる訳にはいかない。その為に、アキラに頼まれる前にツバキの合意を得て来たのである。

 

 今回の合意で、さらに条件が追加された。

 シロウが坂下重工の交渉役を連れて再訪問することを認めること、及びその交渉役との交渉の席に着くこと。それ等はアキラが出す交換条件によっては前向き(ポジティブ)に考えられるとツバキから言質を得たので、その交渉をアキラがする。

 そして、もう一つ。

『ツバキハラビルに着いたら、私は席を外すことになったわ』

『待ってくれ。俺はアルファに話を通さないで請ける気は無いぞ』

『分かってるわ。大丈夫よ。ツバキは私が認めないようなことは言わない約束だから安心して』

『約束って、ツバキが裏切ったらどうするんだよ。俺にはアルファが認める話かどうかなんて分からないんだぞ?』

 アキラが珍しく、相手が裏切った場合の心配をしている。普段のアキラならそんな心配はしない。裏切ったら殺す。そこに心配する要素など無いからだ。殺すこと、殺し合うことを許容する限り、裏切られることは想定内の出来事であり心配することではないのだ。しかしアルファと出会い強くなる前のアキラは違った。裏切られないように関わらない。そこにもやはり、心配する要素は無い。アキラは今までの人生を、相手が裏切った場合の心配をせずに生きて来たのだ。

 だが今回はそうはいかない。相手がツバキだからだ。絶対に勝てない相手だからだ。殺し合うことを許容出来ない相手だからだ。なのに関わらずに済ませることが出来ないからだ。だから裏切られた場合に備える必要がある。心配しなければならない。殺し合うことを許容しない普通の人々と同じように。

『その辺は安心して良いわ。ツバキが裏切ることは無いのよ』

随分(ずいぶん)信用してるんだな』

『前にも言ったわよね、綿密な交渉の結果だって。単純に文字情報に起こして、口頭で伝えれば100年は掛かるほどに綿密なのよ。どうしてそんなに綿密なのかと言えば裏切れないようにする為なの。つまり信用していないのよ』

 アキラが危惧しているのは、ツバキがその内容を単純に無視することだ。ツバキは交渉の結果を無視しない。その前提が保証されていないようにしか思えないのだ。

 だが、アキラはアルファを信じている。

『大丈夫なんだな?』

『大丈夫よ』

 

           ◆

 

 アキラが身を起こす。それに気付いたシロウも起き上がった。しかしアキラは特に何か言うでもなく座ったままだ。今の状況のシロウは、アキラに譲ってもらわないとどうにもならないのだ。不安()にアキラの様子を(うかが)う。

 しばらく考え込んでいたアキラが小さく溜息を()く。考えにひと区切りついたのだろう。そう判断したシロウは、恐る々々口を開いた。

「なあ、まさかとは思うんだけどさ……」

 そこまでで口を閉じた。不思議に思ったアキラが顔を上げてシロウを見ると、シロウは話し掛けても大丈夫だったと判断して改めて続けた。

「まさか、今ツバキと連絡を取ってた、とか、無いよな?」

「寝る」

「は?」

「俺は寝る、2時間しか寝てないからな。これからツバキとの交渉が待ってるんだ。寝不足だと流石(さすが)不味(まず)い」

「いやいや、交渉とかしなくてもさ。そういうのは全部坂下の交渉役が代わりに――」

「坂下に報告するならツバキに会わせるのは無しだ。お前には借りがあるけど坂下に借りがある訳じゃないからな」

「いやいやいや、俺に借りがあるってことは――」

 言い掛けるシロウを、だがアキラが手を挙げて()めた。

「このままツバキハラビルに行く」

「ツバキハラビルって名前からしてツバキの――」

「ツバキには、お前を生かして帰すように交渉してやる。お前はお前で坂下の交渉役を連れて来るから話を聞いてくれって交渉しろ」

「無理!」

「俺も手伝ってやるからやれ。そこまでしてやる義理も義務も無い。そう言って見捨ててもいいんだけど、お前が坂下に報告するって脅すから手伝うぐらいはしてやる」

「ツバキとの交渉ルート構築に力を貸してくれる約束だぞ……」

「坂下に報告しないなら力を貸してやる。報告するなら……まぁ、そうだな。オーラム経済圏の外まで送るぐらいはしてやる、借りがあるからな。行先の宛てがあるなら、行けるところなら行ってやってもいい」

月定(つきさだ)に亡命とかは……」

「駄目だ」

「なんで即断すんだよ俺本当に(すご)いんだぞ上に問い合わせるぐらいしろよ絶対にそれなりの功績に――」

「そんなことをするぐらいならお前をここに置いて行く。殺さないしAAHも全部返してやる。借りがあるからな。ここは間引きされて間も無いからモンスターもまだ数が多くない。坂下の部隊がお前を回収しに来るまで生きてられる可能性だってあるかも知れない」

「なんでそんなに(いや)がるんだよ……」

 シロウが心底疲れたように(つぶや)いた。それにアキラがあっさりと(こた)える。

「脅されてやらされるのは誰だって(いや)だろう。違うか?」

「だから脅してないって」

 それが脅しか脅しでないかは、やらずに済ませる選択が可能か不可能かで決まる。逆に言えば可能か不可能かで意見が別れれば、脅しか脅しでないかも意見が別れることになる。

 シロウの観点からすると、ツバキと交渉すれば高確率で死ぬ。当然ながら選択出来ない。残るは坂下重工に報告して交渉役を呼ぶ以外に無いのだから、やらないことは不可能だ。だから脅しではない。

 アキラの観点からすると、ツバキとの交渉ルートを構築するのはシロウの仕事だ。元々高確率で失敗したり間に合わなかったりして坂下重工に戻れなくなる仕事なのである。その仕事の内、ツバキと交渉する以外の障碍をアキラが取り除く。だから残ったツバキとの交渉をする、即ち坂下重工の交渉役を呼ばない、即ち坂下に報告しないのが当然のはずだ。つまり報告しないことは当然であり可能なことだ。だから報告するのは脅しになる。報告されたくなければシロウを月定(つきさだ)層建へ亡命させろ。そう言っていることになるのだ。

 この喰い違いがある限り、シロウにアキラを説得させることは出来ない。アキラはヤナギサワに銃を向けられて、シロウの居場所を教えなければ殺すと脅されても口を割らなかったのである。シロウが説得した程度ではその意思を(ひるがえ)させることは出来ない。それどころか、うっかり坂下重工の力をちらつかせてしまい、ほら見ろ脅してるじゃないかと指摘される始末だ。シロウはもう諦めるしかないのだと思い込まされてしまった。

 そもそもシロウは交渉が得意ではない。反撃される心配の無い秘匿回線の向こう側から、遠隔で殺害可能である証拠を見せて脅す。相手がその場所を絶対安全だと信じていればいるほど心は折れ易く、その隙を突いて要求を呑ませる。それがシロウやその同僚である工作員達の通常のやり方だ。

 これまではそれで通用して来た。だから交渉や説得の技術を磨いてこなかった。これからはそういった技術も磨くようにしよう。ここ最近、脅迫が失敗続きのシロウはそう心に決めた。スガドメ、アキラ、そしてこれから会うツバキ。脅しが効かない相手が続いている。

 

           ◆

 

 シロウの説得が手詰まりになったところで、アキラは言い争いを切り上げて寝ることにした。

『言われた通りに脅されたからって言い張ってるだけでシロウは何も言わなくなったけど、こんな感じで良かったのか?』

『大丈夫よ。しっかり寝なさい。起きたら考えることがあるのだからね』

『起きたら? 何だ?』

『都市の防衛隊が念入りに封鎖している区域の中にあるツバキハラビルまで行く。その方法よ』

『……起きてから聞きたかったよ』

 

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