ツバキの接待   作:再構築世界

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第3話 ツバキハラビル

 区画844の周囲を取り囲む廃ビルに偽装した防壁に沿って、荒野仕様の大型キャンピング・カーを()めた。アキラが一度通話を切断し、情報端末を腕に装着する。その後に改めて接続した。今度は映像(イメージ)送信を無効にしたままだ。

 キャンピング・カーの後部扉を開いて、バイクで出て行く。後ろには迷彩機能で見えなくなっているシロウが乗っている。もうバレても大丈夫なはずだが、態々(わざわざ)バラすことでもないからだ。そのまま遠隔操作で後部扉を閉じた。キャンピング・カーは駐車しておいて、ここから先はバイクで行くのだ。

『しっかり掴まってろ。危ないから暴れるなよ』

『バイクぐらい乗ったことはある。大丈夫だ』

 アキラはどうやって向こう側に行くのかをシロウに伝えていない。せっかく自力で壁を登れるように訓練したのだ。シロウを乗せて壁を走って驚かせてやろう。そんなちょっとした悪戯心だ。

「ネリア、出発する。少し離れて後ろを付いてきてくれ」

 廃ビルに偽装した防壁のどれかに入り口があって、そこから中に入れる。入り口はキャンピング・カーで通り抜けられるほど大きくないのでバイクで行く。シロウはそう考えていた。だから走って行くのだろう。

 だがそんな入り口などどこにも無いことを知っているネリアは、分からないので()いた。

「良いけど、どうやって向こう側へ行くの?」

「走ってだ」

 アキラはそう言うとバイクを勢い良く走らせた。バイクの優秀な姿勢制御機能、衝撃吸収機能、接地維持機能が速度の割りに安定して落ち着いた運転を実現していた。この程度で掴まってろだの暴れるなだの大袈裟だな。シロウはそう思っていた。

 

「うあああああぁぁぁあぁぁぁああぁぁ」

 高速で走っていたバイクが適当な瓦礫(がれき)に乗り上げて吹き飛んだ。その先にあった廃墟と化したビルに激突するかと思ったらタイヤからビルの側面に着地して走り続けたと思ったらビルの壁の端から道路の上に飛び出してその向こうにある防壁が偽装している廃ビルに激突するかと思ったらまた壁に着地して側面を走って登って行った。

 かつてアキラが同じことをされた時は、運転席に座っていて、前を見てこれから何が起こるかを知っていた。だがシロウはアキラの後ろに乗っていて、前が見えていなかった。突然吹き飛び、急激な方向転換が3連続。それも最後のは横から上へだ。

 バイクの二人乗りでは、強化インナーの体勢維持機能を有効にしていると曲がれない。だから常識として無効化していた。そこへこれだ。驚いて体勢を崩しているところを予想外な方向へ方向転換されて慌てて体勢を整えようとしたらあり得ない方向へと方向転換されたことで振り飛ばされた。何とか強化インナーの力で掴まっているので振り落とされずに済んでいるが、辛うじて手で掴まってぶら下がっているだけだ。迷彩機能はほぼ無力化されて、残っているわずかなノイズ以外は姿が見えている。

 廃ビルの側面を垂直に駆け上がるバイクと、そのグラブバーにぶら下がって叫び声を上げている少年。とても目立っていた。

 

 防壁が偽装している廃ビルの屋根の上まではあっと言う間だ。そう言いたかったが、シロウがちょっとあを言い過ぎた。とにあれ、大した時間は掛かっていない。

 勢い良く上昇して来て、防壁の上端近くに来たら速度を落とす。前輪が上端を越えて後輪までが上端に来たところで()まる。そのままわずかに後進すると、車体が水平になり前輪が屋根に接地した。そのままのろのろと進んで、後輪も屋根の上に乗せる。バイクが安全な位置で停止した。その後、もう少し前進して、シロウにとっても安全な位置まで来てから改めて停止した。

 

 シロウに回復薬を飲ませていたら、ネリアの乗った黒狼が推進装置で宙を飛び、防壁の屋根の上まで来て着地した。

「何かと思ったら、壁面走行機能があるバイクだったのね。前にもビルの側面を走って――」

「無いぞ」

「ないって、壁面走行機能が? じゃあどう――」

「無いのかよ!?」

 復活しかけたシロウが叫び声を上げた。

「お前、ふざけんなよ! 死ぬかと思ったぞ!?」

 どうやらアキラが思っていた以上に驚かせられたようだ。思っていたのとちょっと違うけど。

 アキラは軽く考えているが、回復薬を飲ませなければならない段階で完全に事故である。しかも事前に伝えていればアキラの腰に掴まったりニーグリップで安定させたりして防げた事故だ。普通の感覚では大問題である。普通の感覚を持っている者が被害者一人しか居ないだけで。

 改めてネリアが()く。

「壁を走って登っておきながら壁面走行機能が無いの? もしかして壁面走行機能は無いけど壁面登攀機能ならあるとか、そんな感じ?」

「いや、違う。接地維持機能があるからそれを使っただけだ。強化服で壁を走るのと同じだ」

「待てよ、確かに接地維持機能で壁を歩ける強化服はあるけど、それって壁面走行機能があるってことだろ?」

「壁を歩けなくても壁を走れるのがあるだろ?」

「何だそれ?」

「何よそれ?」

「強化服の体勢維持機能と足場確保機能を組み合わせて使うんだけど……え? 知らない?」

 二人とも知らなかった。そんなマニアックな使い方を態々(わざわざ)訓練する変人はなかなか居ない。壁を走りたかったら壁を歩ける強化服を買うのだ、普通は。

 

           ◆

 

 シロウが精神的に復活するまで、防壁の屋根の上で小休止することになった。ネリアも通話を切断して黒狼から()りて来る。相変わらず、初めて会った時には長かった髪は短く切り落とされたまま。その義体も、もはや蠱惑(こわく)的でも肉感的でもなくなっている。それどころか義体と呼んで良いのか悩むほどにはっきりと生身でないことが分かるゴムや鋼の肌が見えている。いろいろと露出の多いボディースーツを着ているからだ。何の為に露出させているのかは本人にしか分からない。

「ネリアよ。初めまして依頼人さん」

「シロウだ。初めまして。ネリアさんは遺物強奪犯のネリアさんで良いのかな?」

「そう思ってもらっても私は全く構わないのだけど、肯定は出来ないわ」

 ネリアは特に気を悪くした風も無く(こた)えた。

「おっと、気を悪くさせちゃったかな? クガマヤマ都市長期戦略部の主任ヤナギサワの直属護衛のネリアさん?」

「そうよ。気を悪くした訳じゃないわ、大丈夫よ。危険物が爆発しないように発言に気を使っただけなの」

 ネリアはそう言って自分のこめかみを指さした。爆弾が埋まっているのは、実際には後頭部だ。だがシロウには伝わった。遺物強奪犯として捕まって債務を負わされ今も返済中であることを知っているからだ。ただ何を発言しないように気を使ったのかは分からない。

「シロウ。今更だけど、もうバレても大丈夫なんだよな?」

「うるせえ! だからっていきなりあんな無謀なことすんじゃねえよ」

 シロウは、壁を登る時に無様を見せた話かと思って恥ずかしさを誤魔化すように少し強い口調で言った。事故とはいえ、格好が悪かったことに変わりは無い。

「違う。さっき下でお前がキャンピング・カーの中で笑ったり踊ったりしてたから――」

「お前が笑わせるからだ。確定名アノアキラって何だよ」

「俺じゃねえ! あれは流石(さすが)にバレたと思うけど、大丈夫なのか?」

「そういう意味でも、もう大丈夫だ」

「そうか」

 答えたシロウも横で聞いていたネリアも驚いたことに、アキラはこれだけで納得した。なぜさっきは大丈夫じゃなかったのか。なぜ今は大丈夫なのか。そういうことが気にならないのだろうか。

 ネリアは気になったが、邪魔するなという命令に反する可能性もある。二人は随分(ずいぶん)と気安い雰囲気ではあるが、単なる雇われ護衛が知る必要の無い理由なのだろう。ネリアは勝手に同行している監視役なのだ。下手に()いて同行を拒否されても困る。

 バレたら不味かった理由は簡単だ。ヤナギサワはシロウを捕まえたいのだから、シロウが居ることが分かればミハゾノ街遺跡の二の舞になる。

 バレても大丈夫になった理由も簡単だ。ヤナギサワがシロウを捕まえても意味が無いことを知ったからだ。シロウが帰還予定、即ち坂下の制御下に戻ったのだから、ヤナギサワが捕まえても貢献どころか、拉致や妨害になりかねない。

 しかしネリアにはそんな事情は分からない。後で報告する為に、バレても大丈夫になったタイミングがあったことだけを憶えておくことにした。

 

 シロウがネリアとの雑談で精神的に回復してきた。

「そろそろ出発で良いか?」

「そうだな。いつまでも落ち込んじゃいられない。そろそろ行こう」

 シロウはそう(こた)えて溜息を()いた。今度は下りるのだ。

「俺達が下に着いたら連絡するから、それまで待っててくれ」

「分かったわ。忘れて置いてったりしたら追いかけるから大丈夫よ」

「悪いんだけどネリアさん、置いて行かないからそれは本気でやめてくれ。本当に危ないんだ」

 横からシロウが口をはさんだ。

「危ないのは知ってるわ」

「ネリアはツバキと戦ったことがあるからな。この中では一番危なさを良く知ってると思うぞ」

「ツバキと戦った!? じゃあネリアさんは何で生きてるんだ?」

 シロウが驚いてネリアを見た。

「アキラが助けてくれたからよ」

 今度は驚いてアキラを見る。

「偶然通り掛かっただけだ」

 アキラは致命的に言葉が足りていない説明をした。偶然通り掛かったので代わりにツバキと戦ってネリアを逃がした。偶然通り掛かったのでネリアと共闘してツバキを追い払った。偶然通り掛かったのでツバキにネリアを助けてくれるように頼んだ。偶然通り掛かったので――

 シロウの勘違いに気付いたネリアが補足した。

「一撃でやられたけど(とど)めを刺されずに放置されていたところにアキラが通り掛かって、安全地帯まで連れて行ってくれたのよ」

「何だ……驚かせんなよ」

 

           ◆

 

「先にアキラが下りるのよね?」

「そうだ」

()りるところを見たいわ。私はどこに居たら良いかしら?」

「うーん、こっち……かな?」

 アキラは言いながら、防壁の屋根の上を向こう端まで歩いて行く。それにネリアもついていく。特に理由は無く――何気なく――シロウもついていった。

 

「うおぉ! すげえ!」

 眼下には、万全に整備されている旧世界の街並みが広がっていた。規則正しく美しく並ぶ無数の高層ビルが、午後の日差しに照らされて白く輝きながら、中空を走る高速道路(ハイウェイ)で結ばれている。(はる)か下方に見える道路はしっかりと舗装されていてヒビも(ゆが)みも見当たらない。路面標示も色鮮やかで、カスレなど全く無い。崩れかけたビルどころか瓦礫(がれき)欠片(かけら)さえ落ちてはいない。

 外側とは雲泥の差がある世界。

 シロウが施設で教えられた旧世界の実物がそこにあった。見せられた資料には無かった存在感を持つ眼下の景色に、シロウは圧倒されていた。

 

 シロウがこれまでに行ったことのある各都市の防壁の内側も、口で言ってしまえばこんな感じである。確かに舗装されていない道もあったし、ヒビや(ゆが)みがあって修理待ちの道路もあった。或いはカスレて消えかけている路面標示がちらほらとあったりもした。それらは程度問題に過ぎない。

 だがシロウは今、アキラが初めてここに来た時に覚えた違和感を、アキラとは異なる形で認識していた。この街は他の現世界の都市とは決定的に異なる違いがある。アキラには気付けなかったそれがシロウを圧倒していた。

 街並みを決定するものは多岐に渉る。そこに住む人々の趣味嗜好、そこで事業を営む店舗の対象顧客、そこを守る警備会社の経営方針。だから現世界の街並みは常に、モザイクのように様々な思想が入り混じっている。

 だが眼下の街並みは異なる。唯一の意思によって設計され、一切の障碍無く計画され、たった一つの変更すら無く実施され、全く誤解無く完璧に管理されている、何もかもが統一された街並みなのだ。

 各人の事情に左右されて混沌雑多とした現世界の街並みとは根本的に異なる、合理性に支配され理路整然とした旧世界の街並み。多様性に富む人間らしさが失われた世界。アキラはそれを人影の無さから、シロウはそれを理路整然とした統一感から読み取っていた。

 合理的で理路整然とした統一的な思想を人間に強制させられる何者か――噂に聞く神と呼ばれる存在――が居るのではないか。そう思わせる何かがここにはあるのだ。

 

 シロウは、アキラがネリアに()りる道筋を伝え終わるまで、区画844の街並みを眺めていた。

 

           ◆

 

 ネリアが防壁の屋根の、ツバキハラ側の角に立っている。手を振って合図をした。

「行くぞ」

 アキラの宣言に、シロウはグラブバーとアキラの腰とにしっかりと掴まった。

 バイクが発進し、先ずはネリアが居ない方の角へ向かう。途中でツバキハラ側の端へ向かって大きく曲がると、ツバキハラ側の屋根の端をネリアの居る角へ向かってまっすぐ走った。

 と、バイクが外側へ横倒しになる。

 そのまま防壁の上端を、横倒しになったネリアを見ながら、水平から下へ向かって大きく曲がった。鏡面のように滑らか(スムーズ)な防壁の側面を地面へ向かって走る。

 自由落下手前の速度で走りながら再び下向きから水平へと曲がる。車体を極端に傾けて一瞬だけ前輪の回転速度を下げると後輪の荷重が下がった。後輪が滑る。前輪も滑る。バイクが操作不能に(おちい)った。だが操作不能でも制御下にある。想定通りの状態だからだ。想定通りに走行状態にあるので、想定通りに接地機能が壁面との静止摩擦を再獲得しようとし始める。それは車体横方向、地面方向への強力なブレーキとなる。それでいて車体前方、水平方向への走行状態は継続しているので接地維持機能も稼働し続ける。

 バイクは地面へ向かって横滑り(ドリフト)しながら地面とは水平方向に走行を続けている。横滑り(ドリフト)が収まった頃には、バイクは地面へ到着していた。防壁と歩道との接続部分を、どちらから見ても車体を斜めに傾けながら疾走している。

 やがて速度を落としながら、歩道が切り下げられている車両乗入部を見付け、そこから車道へと出た。

 

「あはははは! すごい! すごいわアキラ!」

 車道に出たらそのまま先程の防壁の前まで走行し、路肩に寄せて停車する。そしてネリアに通話要求。その第一声がこれだ。

「どうも。これから俺の後ろ――」

「格好良かったわ! やっぱり私と付き合いましょう! 貴方(あなた)となら絶対に退屈しないわ! 壁面走行機能が無いバイクであんなことするなんて、本当に頭がおかしいわよ!」

「何だよ、アキラ。モテモテじゃねえか」

「うるせえ!」

「ネリアさん、諦めた方が良いぜー。実はこいつ、こう見えて恋人が居るんだ」

「恋人が居るの? どんな人なの? 年上? 同世代? あ、もしかして貴方(あなた)なのかしら?」

「俺じゃないんだなー。同世代ぐらいの美人の女の子だったよ」

「おい、シロウ。あれはオペレーターだ。恋人じゃない。変な勘違いするな」

「サクヤマ・ヒカルの話じゃねえよ、サクヤマ・ヒカルも結構可愛(かわい)かったけどな。拠点の女の子だよ、安物の監視カメラで見ただけだけど、あれかなりの美人だよな?」

「あれは――」

 違う、と言おうとして躊躇(ためら)った。アキラはシェリルと懇意であることになっている。実際にその通りなのだが、それが気付いたら、対外的には恋人ということになっていた。いつの間にそうなったのかはさっぱり分からないが、否定するのは不味(まず)いだろう。では何と言えば良いのか……

 アキラが考えている間に、シロウが続ける。

「他にも年上の美人にモテモテだったぜー。賞金首になったアキラを助けに来たのとか、先々週のあの騒ぎの中にアキラを助けに飛び込んで来たのとか、色々居たぜー? サクヤマ・ヒカルも、人前で抱き着いたりしてメロメロだったみたいだしなー」

 

           ◆

 

 二人が満足するまでアキラを揶揄(からか)った後、ネリアに着陸位置を指定して降ろさせた。実際に飛行する前に、誤解の無いように慎重に。()りて来た後は、今後の移動時の動き方などを教える。

「そこの路面標示に書いてある40ってのがこの道路に規定されている制限速度、時速40キロだ。だから時速40キロ以上は出さないようにしてくれ」

 シロウが、かつて施設で教わった旧世界の法律を思い出しながら説明する。旧領域で時々発見される仮想都市などで図書館に行って旧世界の技術知識を持ち帰るには、道路交通法を始めとした日常生活で関係する法律の知識は極めて重要になる。特に新しく発見された仮想都市にあるであろう、無料で利用可能な図書館を探す時には。稀にそういう場所で募集している短期の仮想アルバイトに応募してちょっとした小遣い(コロン)を稼ぐ時にも。

「速度はそっちに合わせるわ。私は後ろをついて行くだけなんだからアキラに言えば良いわよ」

「いや、アキラは知ってるんだ」

「知らないぞ」

「え!? 知らないのか?」

「知らない。シロウが知っているのが不思議なぐらいだ」

 驚いてアキラへ念話を送ってみる。

『おい待て。本当に知らないのか? それとも月定(つきさだ)のエージェントだってことはネリアさんにもまだ教えていないから黙っておけって話なのか?』

『俺は護衛に雇われただけの普通のハンターだ。そうするって言っただろ。あと本当に知らないんだ。他はどうだか知らないけど俺は教わっていない』

 アキラから返答が返って来た。終わったと同時に、声でも返答がある。

「済まない。そういうのは()かない約束だったな」

 二人して黙り込んでしまったのをネリアが不審に思わないように誤魔化す為であることはシロウにも分かった。それはシロウに、アキラが確かに現場で働くエージェントである証拠だと思わせた。後方のオペレーターが現場のエージェントに連絡を入れる時に、念話の速度が遅い所為で長く黙っていることを不審に思われることが多いのだろう。だから必然的に誤魔化す技術が身に付いた。そう考えれば、アキラの普段の行動や発言から想像する以上に上手に気配りが出来たことにも、不自然なところは無い。

「ああ、まあ、そうだな」

 逆にシロウの方が不自然な態度になってしまった。少し様子を見てみたが、ネリアが不審がる様子も無い。アキラの気配りは適切だったようだ。

 

 当然、そんなはずはない。二重の意味で。

 アキラが気配り出来たのは、アルファがそうしろと指示したからだ。旧領域接続者だと知られることは許容範囲内ではあるが、広く知られることは歓迎出来ない。

 ネリアが黙っているのは誤魔化されたからではない。下手なことを言って同行を拒否されるのを()ける為だ。既に言われているのだ、ツバキの管理区画で騒ぎを起こされたら困るからという理由で同行を許すが指示には絶対に従え、と。勝手に追いかけて来た者が(あずか)り知らぬところで勝手に敵性行動を起こした。ツバキからそう見えるようにネリアを誘導して警備機械に襲わせる。そう罠に嵌めることもシロウには可能なのだ。変なのを連れて来て騒ぎを起こした。そうツバキの不興を買う方が、同行させるよりもましだ。そうシロウに思われたらネリアはそうやって殺される。だからシロウが同行を拒否したくなるような無駄な行動を(つつし)んでいるのだ。

 

「とりあえず、こんなもんかな? 俺達はここの交通管制の管理下にない。だから基本的に不審者なんだ。その上さらに交通法規を守らなかったら単なる狼藉(ろうぜき)者だってことで、警備システムに排除対象だと認識されることになる」

 シロウが説明のまとめに入る。1回2回は勝てるかも知れないが、向こうに逃がす義理が無い以上、勝つたびにより強い警備機械が来るようになるはずだ。最悪ツバキ本人が出て来る。だから絶対に守ってくれ。

 ツバキに攻撃したことの無い者が、ツバキに攻撃したことのある二人に向かって、そう説教して話を締めくくった。

 いよいよ3人はツバキハラビルへ向かう。

 

           ◆

 

 ツバキハラビルへの道程(みちのり)は順調だ。アキラがアルファの指示通りに運転しているからだ。

 信号が黄色に変わりそうな交差点に向かう時には少し速度を落として、黄色に変わってから停止線に到着するように調整する。そうすれば、追いかけて来るネリアの黒狼と分断されずに済ませられるし、信号を良く理解していないネリアが停止せずに追いかけて来て交差点に進入してしまう心配も無くなる。

 東部の都市では、防壁の中で自動車を運転する場合には交通管制システムに従わなければならない。だがクガマヤマ都市の下位区画のような防壁の外には、交通管制システムどころか中央線すら無い。路面標示どころか舗装すらされていないのが普通だ。当然信号も無い。クガマビル周辺の高級商店街のような、警備会社の経営方針で高級感を出して高額な警備料金を請求しようとしている警備区画などにある道路であれば、舗装されていたり中央線などの簡素(シンプル)な路面標示があったりすることもある。それでも信号は無い。

 ネリアは指示に従うと言っていたし、実際に従っている。だが意味が分からない指示には従えない。そして通常は、どういう意味か()き返す時間が足りない場合が多いものだ。指示自体は簡素(シンプル)で単純な内容にして、指示を出す側が細々とした調整をして誘導する。それは理解力の足りない者、無知なる者を有効に使役する秘訣(コツ)であり、アルファはそれに()けているのだ。

 

「シロウさん。これ、大丈夫なのよね?」

「どれだ?」

『右を見てから、気にするなと(こた)えろ』

『どうしたんだ?』

『いいから!』

 シロウは一旦右を見てから、もう一度アキラの腕に装着された情報端末に向かって言った。

「気にしなくていい」

『旧世界水準での迷彩機能で隠れている大型の警備機械が近くを並走している。それに気が付いたんだと思う』

『そんなのが居るのか!? 今!?』

『今だ。居る。右にそれぞれ一機づつだ』

 シロウが驚いて右を向いてきょろきょろと見回す。だが、全く何も見えない。シロウは光学迷彩の見破り方を教わっている。周囲の輪郭部分はどうしても光学迷彩が効き難いので、微妙に不自然になったりする。移動中であれば、さらに露見し易くなる。そう教わったはずだが、全く分からない。影の輪郭部分も不自然になり易いと教わったのでそっちも見てみる。全く分からない。人力では無理か。旧世界の水準での迷彩となると音響解析(パッシブ・ソナー)でもほとんど分からないと言われている。ならば反響定位(アクティブ・ソナー)か。こっちの位置は既に知られているのだから――

 シロウは普段の癖で対策を考えている自分に気付いた。アキラが大丈夫だと言ったので大丈夫だろう。そう思って気を落ち着かせていたらまたアキラから念話が来た。

『警備機械が離れたぞ。俺達が行儀(ぎょうぎ)良くしているから、すぐに何かやらかすことは無いと判断したんだと思う。両方とも速度を落として後ろへ離れて行った』

 今回はアルファが紋章を見せていない。見せる為には汎用表示領域に描画する必要があり、そうすればシロウにも見えたはずだ。

 前回は警備機械を突破することも条件の内だったが、今回はツバキの手を(わずら)わすことなく都市が封鎖する中に入ることが条件だ。だから警備機械には、ツバキから許可されている人物だと登録されていた。但し登録されていたのはアキラとその同行者だけでネリアが乗った黒狼は登録されていなかった。黒狼がアキラの同行者かどうかを確かめていたのだ。

『そりゃ良かった』

 シロウが安心していると、さらに指示される。

『安心してないでネリアに言えよ。ネリアは気付いてるんだぞ?』

「ネリアさん。もう居なくなったと思うんだけど、どうかな?」

「さっき下がって行ったわ。もしかして追い払ってくれたの?」

「残念ながら違うんだなー。俺達が狼藉(ろうぜき)者かどうか調べてたのさ。さっき言っただろ? 俺達は不審者なんだって。行儀(ぎょうぎ)良くしてるから単なる部外者なんだろうって判断して帰ってったんだと思うぜ。多分だけどなー」

 

           ◆

 

 数分ほど走ると、幹線道路と(おぼ)しき巨大な道路に出た。クガマヤマ都市がクズスハラ街遺跡に建設中の後方連絡線より広く、(はる)か上方を高速道路(ハイウェイ)が走っている。その幹線道路の終着地点は、その他のビルよりも一際(ひときわ)高く一際(ひときわ)大きなツバキハラビルだ。

 前回アキラが来た時に通った高速道路(バイパス)は上を走っている高速道路(ハイウェイ)とも別の、さらに違う高速道路(バイパス)だ。廃棄品倉庫の搬出入専用の高速道路(バイパス)だったのだろうか。アキラは何となくそう思った。実は違うのだが、アキラには分からない。

 地上を走っているアキラ達には分からないが、前回アキラが通った道路は現在、クガマヤマ都市への搬出が行なわれている。結構な数の輸送機械が新しく作られた処分場へと廃棄品を捨てに行っているのだ。梱包分別とその記録を残す手間は増えたが、処分に掛かる費用は大幅に減少した。ツバキハラビル全体の経費からすれば微々たるものだが。

 

 信号が変わって幹線道路に入れば制限速度も上がる。後は直進するだけだ。何度か信号で()まったが、数分でツバキハラビルの前まで到着する。ビルの前の信号を右へ曲がると、ツバキハラビルの前庭でもある乗降車場に入る車両乗入部がある。そこから乗降車場へと入って行った。そして曲がりくねった細い道なりに進んでいくと、ビルの正面入り口の階段の前に辿(たど)り着いた。

 ツバキハラビルに到着したのだ。

 

           ◆

 

『それじゃあ、アキラ。私はここまでよ。アキラがツバキハラビルから出るまで席を外すわ。そうそう、ツバキとの交渉が決裂しても戻って来るから、どうしても寂しくなったら交渉を決裂させれば良いわ』

『そうだな。どうしても寂しくなったらそうするよ』

『頑張ってね』

 アルファがそう言って手を振ると、姿が消えた。

 ここからは全てを自分で判断して自力で交渉しなければならない。アキラはこっそりと気合を入れた。

「ここ……なんだよな?」

 目の前の巨大なビルを見上げながらシロウが独り言のように(つぶや)いた。それにアキラが念話で(こた)える。

『ここがツバキハラビルだ』

「すげービルだけど、入る前に――」

 言い掛けたシロウが言葉を切った。目の前の階段を上がった先にあるエントランスから、人影が二つ出て来たからだ。

『黒いドレスの方が、ツバキだ』

「おい、()りろ。失礼だろ」

 念話で教えられて我に返ったシロウが、慌ててバイクから()りながら言う。乗ったまま話をするのは失礼に当たる。旧世界でも同じかどうかは知らないが、少しでもツバキの機嫌を(そこ)ねる可能性を減らしておきたい。

 だがアキラは、交渉の前にバイクをどこかに()めないといけないから、()める場所を聞こうと思っていた。乗ったまま話をすることは失礼に当たるのかも知れないが、失礼に当たったからって何がどうなるのかをアキラは知らない。今まで気にしたことは無かったし、気にされたことは無かった訳ではないが気付かなかったからだ。だから()りるのは単なる二度手間に過ぎないので()りようとも思っていない。それどころか、どういうことか()き返そうとまでした。シロウのことを、アキラはアルファほどに信じている訳ではないのだ。

 だがすぐ後ろで黒狼の背面が開いた音がしたのに気付く。ネリアが指示通りに()りようとしているのだ。指示に従え。そう言った側の自分が指示に従わないようでは色々と不味(まず)いのではないか。()りて、また乗る。ただそれだけのことだ。そう考え直してアキラもバイクから()りた。

 

 ツバキとその連れの女性が階段を()りてアキラ達の前まで来た。ツバキが肩から胸元までを露出したドレスなのに対して、連れの女性の肌の露出は顔だけ。手すら白い手袋をして露出していない。帽子から上下、靴まで色が揃えられている。制服なのだろう。普通に考えれば、ツバキハラビルの職員だ。

「失礼致します、お客様。お車の方をお預かりさせて頂きます」

 職員らしき女性がそう言って一礼すると、アキラ達とツバキとの間を通らないようにアキラ達の後ろに廻り、そのまま道の先へ歩いて行った。誰も何も操作をしていないのに、バイクと黒狼が女性の後をついて行く。

 ツバキが静かに尋ねた。

「交渉役は何方(どなた)で?」

 知っていたらアキラもネリアも冷静ではいられなかったかも知れない。1ヶ月ほど前にツバキはこの質問の直後に(こた)えた交渉役以外、坂下重工所属の護衛達を瞬殺したのだ。

 

           ◆

 

 アキラとシロウが顔を見合わせて肘で(つつ)き合う。その裏では念話で、交渉役を相手に押し付けようと言い合っていた。

 二人の念話は個人対個人で行なわれている。送信先がクズスハラの汎用表示領域に描画されているだけで存在していない美女だったりしないし、逆に送信元が汎用表示領域に構築されている仮想現実空間で再生された放送だったりもしない。だからその内容はツバキには聞こえない。

「あー、えっと、ちょっとややこしいんですが……」

 立場の弱さの所為で言い争いに負けたシロウがツバキに向かって言う。

「その、交渉自体は交渉役を呼びたいんです。で、今は交渉役を呼んできても良いですかっていう交渉と言いますか……」

 

 シロウの言葉が続くにつれて、ツバキの表情が不審()に彩られていく。考えているのだ。

 意図的明示的に設定の上書きを維持している間を除いて、表情や口調はその時の思考に沿った規定の状態が再生されるように設定されている。これは、人間(ナチュラリアン)に必要な非言語的意思疎通法(ノン・バーバル・コミュニケーション)人造人格(ビメイダー)に保証させる為の法定実装義務仕様に基づいている。

 ツバキの想定とは異なっていた。その想定は他者から供給された情報から構築されたものである。つまり情報の正確性に疑義が生じたのだ。その情報は正しかったのか? その他者に(だま)されていないか? それを考えている。つまり不審に思っている。そしてそれを隠そうとしていない。

 だからツバキは不審()な表情をしているのだ。

 

 ツバキはアルファと不必要に敵対する気は無い。だがそれは必要なら敵対するという意味でもある。もしもアルファが虚言を(ろう)する程にツバキのことを軽視しているのならば、例え負けると分かっていても、差し違える覚悟で敵対する必要がある。

 その時に敵対する対象はアルファである。しかしそれはアルファ以外の者、例えばシロウの安全を保証しない。シロウの安全を気遣う意味は無い。その時に偶然運悪く近くに居た。そんな理由で意味も無く殺される可能性がある。しかもその不審を向けている対象がアルファであることなど、シロウには想像することさえ出来ないのだ。

 

 シロウの目の前で、シロウを見ながら、シロウの言葉が続くに連れて段々と不審()に表情を変えていくツバキ。それはシロウには死のカウント・ダウンにしか見えず、当たり前のようにシロウの精神を摩耗させていった。

 元々シロウは、反撃される心配の無い秘匿回線の向こう側という圧倒的に有利で安全な環境下で仕事をし、敵と相対することなど無かった。そうでない環境下で相対するのは上司や同僚を始めとした社内の人間であり、命を脅かすような相手ではない。

 そのシロウが、ツバキという絶対強者と相対し、しかもその表情をシロウの言葉で不審()(ゆが)ませている。

 その抑圧(ストレス)にシロウの精神はあっさりと降伏した。

「で、ですね。俺のその交渉を手伝ってくれるのがこっちのアキラです。そして俺を生かして帰してくれる交渉もしてくれます」

「な!? シロウ!」

 

           ◆

 

「何言ってんだよ! お前の交渉だぞ!? お前が交渉役だろ!」

「生かして帰してくれるって約束だぞ!?」

「お前が交渉役だってのに変わりは無いだろ!」

「俺じゃ無理だって! 怒らせるだけだ!」

 その言葉にアキラも(たじ)ろぐ。確かにツバキの表情は不審()な、あまり穏便な雰囲気ではなかった。

 実はアキラも、不審()になっていくツバキを見て不安にはなっていたのだ。アキラ達を生かして帰すことに決まった。アルファはそう言った。だが不安が消えるものではない。

 アキラが不安()にちらりとツバキを見たら、ツバキは機嫌の良さそうな笑顔を浮かべた。

「お久しぶりですね、アキラさん」

「あ、はい。お久しぶりです」

 アキラは動揺しながらも(こた)えた。そして気付く。先程はツバキの方から交渉役が誰かを()いてきた。だが普通なら初対面ではない自分が初対面であるシロウとネリアとを紹介しなければならないところだ。気付く前に違和感を覚えてしかるべきところではあるが、自力で気付けただけ路地裏育ちの孤児だった頃よりも成長したと言えるだろう。

「えっと、紹介します。こいつはシロウ。坂下重工所属の……所属で、ツバキさんに坂下重工との交渉に応じてもらいたくて来ました。でもこいつが交渉するんじゃなくて、坂下重工の交渉役が別に居て、そいつと交渉してもらいたいんです」

「なるほど。ちょっとややこしいのですね」

 ツバキはアルファから聞いていて知っていたが、()えてそう(こた)える。アキラの説明が足りていないのか、アルファの交渉に問題があったのか、その後に状況が変わったのか。理由は分からないが、状況が想定と異なっているからだ。

 

 先ず、アキラとシロウだけではない。かつてクガマヤマ都市の――正確にはヤナギサワの部隊の一員として唯一ヤナギサワに次ぐ威力の、無力化は容易だったとは言え反撃に値する攻撃をした人員が居る。

 次に交渉人がアキラではない。少なくともアキラは自分から積極的に交渉する意思は無い。坂下重工の人員が図々(ずうずう)しくもアキラを軽視して、押し退()けて交渉の主導権を握ろうとしている。そんな可能性も疑ってみたが、そうではないようだ。

 最後に、交渉内容が異なる。シロウを生かして帰すという条件は、ツバキの手を(わずら)わせる(つまりツバキがヤナギサワにお願いする)ことなくアキラがツバキハラビルまで来て直接ツバキと会ったことで満たされている。なので余程のことが無ければシロウは生かして帰す。念の為に想定外の同行者であるネリアも帰すつもりだ。それは今や決定事項なので交渉内容には含まれていない。シロウが坂下重工の交渉役を連れて来ることを許す。それが交渉内容だ。そしてその交渉をアキラと行なう。そのはずだった。

 

「そしてそっちのがネリア。クガマヤマ都市の所属で、えっと……同行者? です」

「初めまして。ネリアと言います」

「初めまして、と言うのも微妙に思えますね。(よろ)しく、ネリアさん」

 特に気負った風もなく自己紹介したネリアは、指摘をされても変化は無い。驚いた様子も無く返す。

「厳密には初めましてではないかも知れないわ。でも黒狼、さっきの人型兵器から出て会うのは初めてだから、初めましてでも良いかと思ったのよ。気に入ってもらえなかったのなら訂正するわ」

「誤解をさせたようですね。貴女(あなた)と同じく初めましてと私が挨拶するのは微妙だ。そういう意味ですよ」

「そう。機嫌を(そこ)ねたのでなければ良かったわ」

 二人の様子に、アキラとシロウは何故(なぜ)か居心地の悪さを感じていた。だが別に何かが起こる訳でもない。ツバキもネリアも、感情的になって()ち壊しにする(たち)ではないからだ。

 

           ◆

 

「改めまして、シロウさん、ネリアさん。ツバキハラビルへようこそ。私は当ビルの管理人格を務めるツバキと申します」

「え?」

 シロウが思わず声を上げた。慌てて口をふさぐがもう遅い。

「どうしました?」

「あ、いえ、何でもありません……」

 シロウは消え入りそうな声で言った。区画管理を担当している統治系管理人格と交渉をしようとしているのであって、ビルの管理を担当している企業系管理人格と交渉したいのではない。アキラが何等(なんら)かの勘違いをしていたのだったら困る。だが、今から引き返す訳にもいかない。指定された通りツバキと名乗る管理人格だ。最悪、そう言ってスガドメには押し通そう。通じるかどうかは不安だが。

「アキラさんにはちょっとややこしい事情がおありだそうですね。事情をお伺いするにも玄関先で立ち話というのも無粋でしょう。交渉に入る前に、食事でもしながら少しお話をした方が(よろ)しいかと思います。いかがでしょう?」

 ツバキはそう言ってアキラの様子を見た。

 見られたアキラは、名指しされた上に見られているので当然自分に訊ねていることは分かる。俺!? と思わないではないが、ツバキにとっては知り合いらしい知り合いが自分しか居ないのだから仕方ない。

「あ、はい。大丈夫です」

「御案内します。どうぞこちらへ」

 ツバキはそう言って振り向くと階段を上りビルのエントランスへと入っていく。アキラ達もその後に続いて行った。

 

 エントランスは広く、吹き抜けになっていて天井も高い。その壁の一面が窓になっていて明るい。ツバキハラビルの周辺は高層ビルが無いので、日差しが入っているのだ。中に入った3人はその様子に圧倒される。このエントランスは、ビルの奥へ入る権限の無い来客と待ち合わせしたり応接したりする為の場所でもある。だからビルに対する威厳や威光、権威、親しみ易さ等の好印象を与えるデザインがされている。3人はその思惑通りに、ビルに対する深い印象を覚えていた。

 エントランスからさらに奥に入る。噴水や池があり、空中を流れる滝がある。植物が植えられている場所もある。さらに進むと長く広い廊下だ。横の窓からビル周辺の庭の景色が見える。

 エントランスも無人。その奥も無人。さらに無人の廊下を歩いている。圧倒されるやら緊張するやらで落ち着かなかったアキラも落ち着いて来て、余計なことを考える余裕が出て来た。例えば廊下の壁に目立つように貼られているポスターだ。【区長選挙間近! 立候補者受付締切迫る! 貴方(あなた)の正義で区844の未来を明るく照らしましょう! 区民が貴方(あなた)の立候補を待っています! お問い合わせは区行政議会ツバキハラ事務総局区長選挙管理委員会立候補者登録係まで! お気軽にどうぞ!】

 読む意味も無いポスターをうっかり読んでしまったのもその所為だ。その中に書かれている見慣れない選挙という単語が何だったかを思い出そうとしてしまったのもそうだ。そして、それを勉強したのがアルファに教わった時だったこと、それが体感時間の圧縮に初めて成功した日だったこと、その日の朝にネリアの夢を見たこと、その夢の中で最期にシュテリアーナの料理をもう一度食べたいと思ったこと、その前の日にネリアが遺物襲撃した理由を――

「そうだ、ネリアは食事が出来ないだろ。大丈夫なのか?」

「ん? そうね、この義体に食事の機能は搭載されてないわ。どうしてそんなことを知ってるの? 私言ったことがあったかしら?」

 

 シロウは、これは好機(チャンス)だと思った。ネリアはクガマヤマ都市からの――正確にはヤナギサワからの露骨な監視役だ。出来ることなら追い払いたい。交渉の結果はともかくも、経緯を知られることは危険であり、極めて良くない。だが交渉の概要は既に聞かれてしまっている。それに言ってしまえばこれはシロウ個人の交渉だ。だから大きな失点にはならないはずだ。だが気分が良いものではないし、交渉が得意ではない自分にとっては、余計な懸念は無い方が良い。その上、シロウは何とかして交渉をアキラに丸投げしたいと考えているのだ。アキラはネリアに月定(つきさだ)層建のエージェントどころか旧領域接続者であることすら隠している。ネリアが居たら交渉し難いはずだ。それどころかネリアが居る所為で踏み込んだ交渉が出来ずに不調に終わってしまう可能性もある。

 食事が出来ないのなら食事の場に居るのは色々と良くないだろう。そう難癖を付けて何とかして追い出したい。

 そうだ、食事をしながら予備交渉をしようという話なんだから、本交渉に関係無いネリアは居なくても良いのだ。しかもその上に食事も出来ないんじゃ居る意味が全く無い。そう主張しよう。

 しかしツバキは、そんなシロウの思惑を完全に外した。

 

           ◆

 

「食事が出来る義体に交換しますか?」

 ツバキが振り向いて提案する。

「当ビルには病院もありますので、このまま向かえますよ。確認してみましたが、今すぐならば予約が取れるそうです」

 予約は一件も入っていないし、これから入る見込みも全く無い。誰一人住んでいない都市なのだから誰も来ない。だから確認しなくても分かることだ。それでもツバキはきちんと確認した。

「ついでですから、爆発物と発信機の除去手術もしておいた方が良いのではありませんか?」

 ツバキとシロウとアキラの視線がネリアに集中する。アキラはネリアが狼狽する様子を初めて見た。

 ネリアは考える。爆弾さえ無ければ逃げ出せる。債務があるのはクガマヤマ都市だ。他の都市まで逃げられれば何とでもなる。そう思っているからだ。

 だが――

「それとも、生身に戻しますか?」

 ネリアの動揺は、さらに激しくなった。

 

 現世界の再生治療でも肉体の(ほとん)どを再生可能だ。例えば首だけになっても、生きていさえすれば再生治療で生身に戻れる。だが完全義体者は、現世界の再生治療では生身に戻れない。脳しか残っていないから肉体を再生出来ないからだそうだ。義体でもサイボーグでも、義体率がある程度以上になると現世界の再生治療を受けられなくなる。だから完全義体者になる手術の前には、戻れない覚悟は出来たか、と医者からしつこく確認されるのだ。

 ネリアは完全義体者になったことを後悔していない。生身では出来なかったことが沢山出来るようになった。それを活かして楽しく自由に生きて来た。アキラに負けるまでは。

 そしてアキラに負けた後の今も、巨額の借金持ちの末路としてはかなりましな境遇にある。都市の幹部の私設軍の隊員で、直属の護衛を主任務にしている。さらにそこそこの裁量を与えられている。生活環境の整備や休暇の割合も、労働効率が最大化されるように計算されている。自由と娯楽が無いことを除けば快適と言って差し支えは無いだろう。

 どれもこれも、完全義体者になった(ゆえ)にだ。生身に戻ろうとは思っていない。いないのだが……

 

「とても魅力的なお申し出なんだけど、残念ながらお金が無いのよ。コロン払いよね? あ、もしかしてクガマヤマ都市との取引があるからオーラムでも大丈夫なのかしら? でもオーラムも無いのよね」

 ネリアはとても残念そうに言った。実際、残念に思っていた。ヤナギサワを出し抜くのは難しかったので、もっと直接的に爆弾と発信機を除去して逃げる以外に無いと思っているからだ。

 これは直接的に爆弾と発信機を除去する好機(チャンス)である。だがその為に必要な金が無い。逃げるのだから借りる訳にも行かない。シロウは坂下重工の所属だと聞いた。坂下重工からの借りを踏み倒すなんて、オーラム経済圏の外まで逃げなければならなくなる。

 アキラからの借りならば、踏み倒しても都市から逃げるだけで済むだろう。そんな勘違いをするほどネリアはアキラのことを知らない訳ではない。アキラが10万オーラムを盗んだスリを殺す為に、スラム街の2大組織の一つに個人兵装で単身殴り込んだ上、最後には黒狼まで倒すほどに暴れまわって殺し(おお)せたことをネリアも知っている。都市の作戦行動として参加させられて、あの大規模抗争の場に居たからだ。アキラと殺し合うのも楽しそうだ。その頃はそう思えた。だが今では殺し合いになるのも難しいだろう。それほどの実力差がついている。強くなって背も高くなって、ますますネリア好みになってきている。なるべくなら戦わずに済ませたい。

 旧世界製の義体は高額だ。交換して都市へ戻れば都市が買い取るだろう。だが入手に必要な金を都市から借りるのであれば、爆弾の除去費用など出すはずも無い。逃げられないのであれば都市へ戻るしか無く、費用を都市が出したのだから物納して相殺ということになる。良くても運搬費用程度にしかならないのだ。

 だからどこからも借りられない。つまり金を用意する宛てが無いのだ。

 

「支払いを求めるつもりはありませんが」

「え?」

「え?」

「ん? それは……」

 ネリアは言いながら考える。だが、それも一瞬だけだ。この未曽有の好機(チャンス)を逃さない。それが最優先。他は全て、些事(さじ)に過ぎない。

 ネリアは心の底からの笑顔で(こた)えた。

「是非、ご厚意に甘えさせていただくわ」

 

           ◆

 

 ツバキが4人とも一時訪問客として申請していたので、全員が奥にあるゲートを通れる。アキラにも見えていないが、実はアルファも居るのだ。何十と並ぶゲートだったが、使い方も何も分からない。アルファ以外は、ツバキを追いかけるようにして一列になって同じゲートを通って入った。

 ゲートを通るとすぐにエレベーター・ホールだ。ゲートの外の、もっとエントランスに近い場所にもエレベーターはあるが、そちらは商業区フロアまでしか行かない。区行政議会庁舎フロアに行くには、こちら側のエレベーターを利用しなければならない。商業区フロアにも区の窓口はあるが、窓口に行きたいのではない。

 

 開いていたエレベーターにツバキが乗る。全員が追いかけるように入ると、扉が閉じた。一瞬、(かす)かな違和感を覚える。上昇し始めたのだ。

「え? これ、上がってるんだよな?」

 アキラが間抜けな声を出した。

「はい。そちらに現在通過中のフロアが表示されていますよ」

 それにツバキが(こた)える。手で指されたところを見上げると、現在の階数がカウント・アップされていた。

「速いな……」

 シロウが驚く。現世界製のエレベーターの何倍も速い。旧世界製のエレベーターなど普通は使わせてもらえないので、速さは知られていないのだ。ネリアはセランタルビルのエレベーターに乗ったことがある。それよりも速いが、態々(わざわざ)言うことでもない。あんなのと比べるな。そう気分を害される可能性もあるのだから。

 

 間も無く扉が開いた。床も壁も白で統一された待合室になっている。その割には観葉植物が置かれていて、色の統一感を台無しにしていた。或いは目を()くアクセントになっていた。

「病院です。こちらでネリアさんの手術を行ないましょう」

 ツバキがエレベーターを()りたので、全員()りる。間を置かずに、観葉植物がある正面の受付と(おぼ)しき場所から白衣の女性が出て来た。頭に奇妙な帽子を乗せていて、玄関で見た女性と同じように顔以外の露出が無い。アキラは良く似た服装を見たことがある。スカートも袖ももっと短かいものをアルファが着ていたことがあるからだ。ただ、それがナース服と呼ばれていること、看護師と呼ばれる職業の者が着る制服であることは知らなかった。

 きょろきょろと見回していると、看護師の女性が来てツバキに一礼し、そのままネリアに義体換装手術か全身再生手術か要望を尋ねる。

 ネリアはちらりとアキラを見た。

「何だ?」

「ん? アキラはどっちの方が良いのかなって思っただけよ」

「俺?」

「そうよ。アキラが私と付き合ってくれないのは、義体の女は好みじゃないから。そうかもしれないと思ったの。それで、どう?」

「どっちでも付き合う気は無い」

「こいつは恋人いるぜー?」

「強情ね。義体換装手術をお願いするわ」

 その後看護師は、新しい義体の外見に関する様々な質問をしてからネリアを連れて行った。

 質問は外見だけで、義体の性能や脳機能拡張手術、脳機能障害治療など、頼まれていない事柄への質問は一切しなかった。問診ではないし、頼まれたのは診察ではなかったし、支払者が当人ではなかったからだ。

 

           ◆

 

「手術が終わるまで15分程の見込みだそうです。そちらの待合室で座って待ちましょう」

 ツバキにそう勧められたら、従うより他に無い。アキラとシロウは、病院の待合室に座ってしばらくツバキと雑談――いや無理。アキラもシロウも同じ思いだ。二人の対人能力を超えた事態なのである。

 一応、アキラは以前にツバキと二人きりで話をしたことがある。その時は半ば自棄(やけ)になって自分語りなんかしちゃったりなんかしたが、後から考えれば危ないところだった。一応、今はアキラもシロウも身の安全が保証されているはずだ。だからと言って、また自分語りをする訳にもいかない。

 だが、何も話さないで居るのも()不味い。居心地の悪さを感じてしまう。

 

「あー、義体でも病院なんですね」

 アキラが変なことを言い出した。義体者が体の整備をする時には病院に行く。そういう常識を知らないのだ。

「そりゃそうだろ」

「義体は体ですからね」

 シロウが単に肯定しただけなのに対して、ツバキはアキラが覚えた疑問を推察し、その回答を示した。対話能力の差だ。

「そうでした。体を整備するのは病院ですよね」

「義体未対応の病院や生身対応の整備場もありますから、一概には言えませんが。当ビルの病院は区内随一(ずいいち)の設備ですので、義体にも生身にも対応していますし、高精度な診察も可能ですよ」

 ツバキはここで、アキラに診察だけでも勧めたいところだった。だが診察結果によってはアルファとの取引に触れる可能性がある。問題が見付かった時には治療を勧めざるを得ないからだ。治療薬一つであれだけの(いや)がらせになったのだ。正式に治療などしたら決定的な敵対行為になりかねない。

 だが、アキラの方から診察したいと言ってくれたならば問題は無い。しかもアルファに()めることは出来ない。それを期待して黙って待ってみた。

 残念ながら、アキラにその気は無いようだ。

 

           ◆

 

 ツバキに何と(こた)えれば良いのか分からないので何も言わないでいたら雑談が終わってしまった。当たり前だ。頑張って話題を探したのに1分も保たないとは……

 次の話題を探す。ふとキバヤシのことを思い出した。そういえば言われたな。あれは確か飛行型に輸送された大型モンスターの指令機のボスを、ネリアと一緒に倒して病院送りになった後にシュテリアーナに行った時だ。

「ツバキさん。この後行く食事って、もしかして高級店なのか?」

 シロウが驚く。それは高級店で奢れと暗に要求したから――ではない。アキラの言葉遣いだ。まるで(いぶか)しんでいるような、疑っているような……

「はい。当ビルでの最高級料理店になります。期待して下さいね。きっとご満足頂けますので」

 言葉遣いなど気にしていないように、楽しそうに嬉しそうにツバキが言う。

「一応、俺達を高級店へ連れて行く理由を()いても良いかな?」

「アキラさんを喜ばせたいからですよ。私からアキラさんへの敬意の表れと思って頂けると嬉しいです」

 ツバキは嬉しそうに言った。その表情や仕草を見て嘘を()いているとは思えない。(もっと)も、アキラにはそれを見抜けるだけの対人能力は無い。それ以前にツバキは遠隔操作の自動人形――厳密には、ツバキという人造人格に同期された別ユニットが外部インターフェースとして使用している自動人形――なのだ。義体者同様、表情筋の動作を完全に操作して、内心と表情とを完全に分離出来る。だからアルファが居たとしても、嘘かどうかは分からない。

 逆にツバキは、その(こた)えでは不満があることをアキラの表情から知った。

「そうですね。高級店である理由は先の通りですが、それ以前に食事に誘った理由の方が返答としては適切でしょうか」

 アキラの表情がわずかに変わる。興味はあるようだ。

「古来より、食事の後の交渉は上手(うま)くいくと言いますから」

 その簡素(シンプル)(こた)えに、初めて聞いたアキラはシロウを見てみた。シロウは首を横に振る。

 アキラは尋ねた。知っているか、と。

 シロウは(こた)えた。知らない、と。

 見ていたツバキにもそれは伝わった。

「統計でも有意差が出ていますから、間違いありませんよ。それに、とても簡素(シンプル)な理由ですからね」

 ツバキは二人が興味を持つのを一瞬だけ待ってから続けた。

「人間は空腹になると攻撃的になるものですから」

 ツバキの表情にも声音にも、気を悪くした様子は一切無かった。

 

 シロウは納得したが、アキラは納得した訳ではない。食事をする理由は納得したが、高級店へ誘うのが敬意の表れと言われても意味が分からない。

「勝利しなければ。そう思ってしまった時点で交渉は失敗します。ですが人間にとって本能の支配力はとても強力です。獲得しろ。そう空腹(ほんのう)に囁かれたら逆らえるものではありません」

 空腹になると苛立つことは多い。最近は苛立つほど空腹になることが無かったアキラは忘れていたが、かつてスラム街の路地裏で暮らしていた頃は確かにそうだった。起きて間も無く配給を食べる朝はそうでもないが、夕方の配給が近づく頃には空腹で苛立つ者は多かった。配給の列で喧嘩騒ぎが起きるのも大抵は夕方の配給の時だった。その経験はアキラの納得を強固にした。多分そうなんだろう、という納得から、間違い無くそうだ、という納得へ。

 そして同時に理解する。今自分は本能に支配されているのだと。疑念に警戒するという本能に(ささや)かれて、ツバキに疑惑を向け反抗的で粗野な態度を()っているのだ。前回のあの時と同じように。だが今はあの時とは違う。追い詰められている訳ではない。自棄(やけ)になる意味は無い。

「交渉というものが双方に利益を出す為の行為である以上、交渉が失敗するということは双方に損害があるということです。無用な損害を減らす意味でも、食事をして成功率を高めることは有用ですよ」

 ツバキは説明を続けた。

 これは伏線であり布石である。会話の何手も先を読み、やがて来る会話の流れの中で意味を持つこの言葉を準備しておく。その時にその意味を意識させる為に。

 だが次のアキラの言葉はツバキの予想から大きく外れていた。

 

「あーっと、すみません。何だか疑っているみたいになってしまって。実は最近――と言っても半年以上前なんですが、知り合いに言われたんです」

 交渉事が不得意なハンターを慣れない高級店へと(おび)き寄せて、場に飲まれて()(おく)れしている間に遅効性の猛毒をたっぷり含ませた交渉内容を飲ませる。そういう相手も居るから気を付けろ。そう言った知り合いはその後、交渉事の練習相手まで用意してくれた。

「だけどその練習も何だか微妙な感じで終わってしまって、あんまり練習にならなくて……つまり交渉事は不得意なままなんです。だから慣れない高級店に行って大丈夫なのか心配になりまして……」

 結局アキラは自分語りをしてしまった。自分の意見を相手の知識レベルに合わせて短く(まと)める能力が無いので、自分の意見を言おうとすると自分語りになってしまうのだ。

 シロウはアキラの言葉遣いが丁寧に戻ったことには安心した。だが、これから交渉する相手に自分は交渉が下手ですと自分語りをするアキラには不安を覚えた。

 

 アキラは全てを納得した訳ではない。だがツバキがアキラにも強く納得出来るように熱心に説明したことから、半分はそれだけ正当な理由があるのだろうと考え直し、残り半分はどうでも良くなって、ツバキへの疑念を晴らした。

 アルファが大丈夫だと言ったのだから、この交渉で自分が(だま)されたとしてもアルファに害は及ばない。最悪でも被害は自分まで。自分が割に合わない条件で何かをやらされるだけで済む。それなら(だま)された自分が馬鹿だったのだと許容出来る。だから極論としては、どうでも良いのだ。

「そうでしたか。アキラさんは良いご友人をお持ちですね」

「ご友人!? いや、友人というか……」

 アキラは意外な言葉に口籠(くちごも)ってしまう。キバヤシが友人? 

 その流れで、キバヤシはどんなやつかという話をすることになった。つまりまた自分語りだ。その間、ツバキは終始機嫌の良さそうな笑顔でアキラの言う内容を肯定したり、思ってもいなかった指摘をしてアキラ自身を肯定したり。相手から好意的に捉えられる話術、仕草、視線、表情を駆使してアキラからの好感を稼いでいった。それはアキラの緊張感を何となく(やわ)らげさせていく。

 その雑談に参加する勇気を出せなかったシロウは、横で黙って緊張したままだ。

 

           ◆

 

 ヤナギサワが上位区画にある隠れ家で飛び上がった。ネリアの発信機から送られてきている位置情報と生体反応測定信号(バイタル・サイン・チェック)とが両方とも途絶(とだ)えたからだ。最後に送信された場所は封鎖区画の中だった。本来であればそこまでしか分からないはずだが、ヤナギサワはその座標にツバキハラビルがあることを知っている。

(いや、驚くようなことじゃない。あいつは前にも坂下重工の交渉人の護衛を問答無用で()()微塵(みじん)にした。それをまたやった。それだけだ。封鎖区画に入れたからって同罪扱いされるんじゃなければ問題は無い。スガドメの説明が嘘じゃないなら大丈夫のはず……なんだが、まさかあいつは実は(いや)で、俺が()めるはずだと期待してスガドメに入るのを許したとか? いやいや、あいつはそんな可愛()のある女じゃない。考え過ぎだ)

 スガドメほどの重役が嘘を()くはずが無いから、問題は無いはずだ。あるとすれば、シロウが生きているかどうかだろう。今はまだ生きているだろうが、いつ死ぬか分からない。一緒に居たアキラもネリアと一緒に殺されただろうから、シロウが護衛無しの単独で帰って来るのは難しいだろう。

(まさか首だけ箱詰めにして遺物に紛れ込ませて俺宛に送って来る? そんな洒落た真似が出来る女だとは思えないが……それならそれで大丈夫か)

 いづれにせよ、この問題はこれで一旦は終わりだ。次に何等(なんら)かの出来事が起こるまで、状況は動かないはずだ。何等(なんら)かの出来事――つまりシロウが生きて封鎖区画を出ようとすることだ。

 シロウが封鎖区画を出るならば保護を求めて来るはずだ。その場合に備えて警備本部に指示を出しておこう。

 

 長期戦略部にある自分の事務室(オフィス)に戻ったヤナギサワは、警備本部に指示を出してから残っていた仕事に戻った。

 指示した時に、あのアキラの他にもう一人少年が居たと報告を受けた。知っている。そうヤナギサワが返した所為で、アキラ達が乗って来たキャンピング・カーが防壁横に駐車されていること、警備本部に立ち寄らなかったこと、物資引き渡し場所を通らなかったことはヤナギサワに報告されなかった。

「第2防壁、下位区画延伸の担当者は未定だ、まだ第2防壁の建造予定地も調整中だ、そっちが決まらないと延伸計画を立てることも出来ないから着手すら未定だ、文句はイナベに廻せ、あいつが建造予定地の調整を()めてたんだからな。次――」

 

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