ツバキの接待   作:再構築世界

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第5話 ネリアの債務

「おお、何か(すご)いのが出て来たぞ」

 フルーツを食べ終わると、透明な球が上下に二つ重なったような何かが出て来た。その下の方に、水差しから水を(そそ)ぐ。さらに円盤を横に付けた筒のような物。カミーユがその中に黒い粒を沢山入れて蓋を閉じ、円盤部分にある把手(ハンドル)で円盤を廻した。ゴリゴリとしばらく音を立てたら、筒部分の下の方にある引き出しから粉を透明な球の上の方へと入れる。するとふんわりと良い香りが漂って来た。

 間も無く水が透明な球の下から上の方へと上がって来た。上に来た水が琥珀(こはく)色に変わる。カミーユがその水を平たい棒で掻き混ぜると、はっきりと良い香りが漂って来た。しばらくしたら透明な球の上から下の方へと戻る。

 その透明な球の下の方だけを取り外し、配膳台車(サービス・ワゴン)に戻した。

「ブティフールでございます」

 そう言ってアキラの前に焼き菓子とコーヒーカップを置いた。そのカップに、さきほど取り外した透明な球の下の方から淹れたてのコーヒーを(そそ)ぐ。

「カフェでございます」

 カミーユはアキラの後、シロウ、ネリア、ツバキにも同じことをした。

 食後のコーヒーだ。

 

「これがブティフール。ブティフールってのは焼き菓子のこと。だからこれは焼き菓子のはずだ」

「焼き菓子だろ?」

「美味しいわよ? 甘いし柔らかいし」

「焼き菓子って、もっと硬いというか、歯(ごた)えがあるもんなんじゃないのか?」

「歯(ごた)えがある方がお好みでしたか?」

「そうじゃないんです。柔らかいんで驚いてしまって。これってケーキみたいだなって」

「ケーキだって焼き菓子よ? 生クリームをかけるから生菓子になってるけど、焼き菓子に生クリームをかけてるのよ?」

「そうだったのか……」

 アキラが勘違いしたのは、菓子らしい菓子を食べたことがクガマビルのレストランのデザートぐらいしか無く、菓子の分類を知らないからだ。生菓子という分類も知らなかったほどだ。それでも焼き菓子という分類を知っていたのは、ハンター向け携帯食の安価な物が歯(ごた)えのある焼き菓子風になっているからだ。水分量が少ないので重量比で栄養価に優れる上に保存性にも優れる。加えて満腹感を覚え易くなるように、故意に歯(ごた)えを持たせてある。それが焼き菓子風携帯食と呼ばれて売られているのだから、焼き菓子は歯(ごた)えがあるものだと誤解したのも仕方ないだろう。

 なお、シェリルの徒党の拠点で出される茶請けも、そこそこの歯(ごた)えがある焼き菓子だった。日持ちするので、古くなった売れ残りの焼き菓子を安くまとめ買いしていたのだ。最近は料理の材料と一緒に材料をまとめ買いして、構成員が大量に作り置きしている。日持ちさせる為に、歯(ごた)えのある焼き菓子を。

 

 能天気な話をしているアキラの横で、シロウは生涯最高に満腹となった胃に、内容物を超えた重みを感じていた。もうすぐ交渉が始まるからだ。

 だがその重さまでは生涯最高ではなかった。交渉が不調に終わっても命だけは助かるからだ。アキラはシロウを生かして帰すように交渉すると約束している。ツバキのアキラに対する態度は、それが可能だと思わせるには充分だった。

 失敗すれば坂下重工には戻れない。他の五大企業に亡命する伝手も無い。オーラム経済圏の外へ逃げても、その後にどうすれば良いのか。

 防壁の外で、金も無く、何の伝手も無く、戦闘能力すら持たない、旧領域接続者が。

 その絶望的な未来がシロウの胃を重くしていた。

 

           ◆

 

 ネリアがコーヒーの香りを嗅ぎ、口を付ける。

「んー、美味しいわ。こんな高級コーヒーが飲み納めなんて悲しくなりそう」

 少しも悲しくなさそうな口調と表情で言う。完全義体者だから――ではない。過去を振り返らない主義は、未来を悲観させることも無いのだ。

 ならば何故(なぜ)このようなことを言ったのか。それは義体が戻されることを話題に出す為だ。いきなりツバキに頼めば、そうして欲しくて(たま)らないと知られれば、交渉は不利になる。なるべく自然な流れで交渉の余地があるかどうかを()き出し、そして交渉へと移りたいのだ。

「なんだ、ヤナギサワは高級コーヒーの一杯も飲ませてくれないのか?」

 それをシロウが茶化した。雑談は情報収集の(きっ)(かけ)を作る作業でもある。情報は少しでも欲しい。ヤナギサワの話題は、ヤナギサワやクガマヤマ都市へのツバキからの好感度の多寡を(うかが)える。

 今飲んでいるコーヒーに匹敵する高級コーヒーは現世界でも再現されている。値が張るのは確かだが、オーラム払いで飲めるのだ。

 ヤナギサワはそれさえ飲ませないような吝嗇家なのか。そんな話題でツバキの反応を見れば、上手(うま)くツバキの好感度を稼げるかも知れない。そうすれば、この絶望的な状況を少しでも改善出来るだろう。

 雑談を引き延ばすことで絶望的な交渉の時が来るのを遅らせたい。そんな思いも無いではないが。

「私の義体は飲食出来ないのよ」

「いやいや、今飲んでるじゃないか」

「この義体ではね。でも私の義体がさっきの病院に保管されてるの。元の義体に戻されに行かなきゃならないのよ。後でね」

 

 シロウは困惑した。ネリアが元の義体に戻される。それは予想外の情報だからだ。

 確かにシロウは、ネリアの義体が飲食不能であることを理由にネリアを交渉の場から外させようと考えた。その思惑を外したのが、ツバキが提案した義体の換装だ。それを返す。ということは、ツバキはネリアを交渉の場に残すだけの為に義体の換装を提案したことになる。だがネリアが居ることに何の意味がある? ネリアが来ることになったのは予定外だったはずだ。だからネリアを居させる選択をするのならそれはアキラで――いや違う。ツバキハラビルに来た時、既にツバキは俺達が交渉しに来たことを知っていた。つまりアキラが面会予約(アポイントメント)を取った時に、交渉の為だと伝えていたのだ。例の脳死させられる程の高速念話で。それならば連絡していたのを俺が気付かなかったのも納得が出来る。同じようにネリアが同行することもアキラが――いや違う。知らせたのはヤナギサワだ。そしてネリアの同行というか傍聴(ぼうちょう)の許可を得た? 俺がそれを妨害しようとしたから、義体の換装を提案した? 換装費用は経費としてヤナギサワに請求する。だからネリアには請求しないと――

「何か誤解があるようですね」

 ツバキの言葉に、シロウの思考が中断された。

「元の義体を持ち帰っていただく為に保管しているのです。申し訳ありませんが、私もいろいろと規則に縛られている身でして、相応の理由がなければ義体の処分費用や2度目の手術費用まで負担することは出来ないのです。そこは御理解をお願いします」

「とてもありがたいお話なのだけど、この義体のまま帰ってしまって良い。そういうことで間違い無いのかしら?」

「はい、間違いありません。代金は後でアキラさんから受け取りますので、アキラさんに返して下さい」

「俺!?」

 

           ◆

 

 シロウは必死に考えている。予想外の情報が連続しているからだ。だが予想外とは好機(チャンス)でもある。この絶望的な状況での交渉を少しでも有利にする情報が無いか、有利にする道筋が無いか。シロウは必死で考えている。

 

 ネリアも考えている。問題は(かえ)って悪化した。アキラは(わず)か10万オーラムをスられた報復にスラム街の2大組織の一つに殴り込んだのだ。それがコロン、それもコロンオーラムではない実コロンとなったらどこまで追いかけて来るのか。アキラと戦うことが(いや)な訳ではない。だがこの義体にはアキラに攻撃を出来ないように調整されている疑惑がある。さきほどアキラに攻撃しようとしたら動きが()まったからだ。その疑惑が当たっていた場合、アキラの借りを踏み倒すことはただの自殺だ。踏み倒す選択肢は無い。何とかして責任を逃れなければ。何とかして責任を他の誰か、或いは他の何かに押し付けなければ。

 具体的にはヤナギサワか、クガマヤマ都市かにだ。

 

「誤解させてしまったのならごめんなさい。とても残念なのだけど、私はクガマヤマ都市に債務があるのよ」

 ネリアがツバキに説明する。

 アキラに返せるものなら返したいと思っている。しかし今は財産が一切無いどころか債務償還の為に強制労働をさせられている。債権者であるクガマヤマ都市に自由を奪われているので、働いて返そうにもアキラに会いに行くことさえ出来ない。

 爆弾と発信機を除去して貰ったが、このままクガマヤマ都市に戻ればこの義体は取り上げられ、都市側に使用者よりも高い権限が設定されている義体に戻される。そしてまた爆弾と発信機を取り付けられて、ヤナギサワがボタンをポチッと押すと頭が吹っ飛ぶようにされてしまう。

 そうなれば歩くどころか指一本動かすにもヤナギサワの許可が必要になり、何とか出し抜いて上手(うま)(だま)して動く許可を得られても、常に居場所を把握されているのですぐに捕まることになる。捕まるまいと抵抗すれば頭を吹っ飛ばされて殺されるのだ。

 だからアキラに返そうにもクガマヤマ都市、より厳密にはヤナギサワの許可が無ければ返せないのだ。

勿論(もちろん)、都市に戻らないで逃げ出してしまえば自由なままだし、ボタン一つで殺されることもないわ。でも都市から逃げてしまったらアキラに返すことはやっぱり出来ないのよ。私もアキラに返せるものなら返したいと思っているわ。でも、出来ないのよ」

 

 ここでネリアは、ヤナギサワか都市かに返すように言え、と言うことも出来た。だがそれは言わない。それを言った場合、都市から逃げられなくなるからだ。ネリアが都市から逃げれば、都市はツバキが逃がしたと主張して代金の支払いを拒むだろう。それどころかネリアの債務をツバキに押し付けようとするはずだ。そうなれば状況は単に踏み倒したよりも悪化することになる。

 ではどうすれば良いのか。それはネリアも分からない。ただその過程で発生するであろう折衝の中で交渉に持ち込んで、義体の管理者権限を使用者のみにしてもらおうと考えている。

 

           ◆

 

 アキラはネリアの説明を半ば唖然(あぜん)としながら聞いていた。(ほう)っておけば代金を誰が払うかの決定から閉め出される。それにすら気付かない。

 元々アキラは、誰かが話し合っていると口を(はさ)まずに会話の推移を追う癖がある。基本的に自分の意見は否定される。口を(はさ)んでも混乱が増すだけだからだ。

 

 シロウは焦っていた。ネリアの説明が終わったからだ。何かを言って会話の主導権を奪わなければ。これが最後の好機(チャンス)だ。

 出来るかどうかの検証はまだ終わっていない。見落としがあるかも知れない。そもそも不可能なのかも知れない。失敗するかも知れない。

 だが急がなければ。ツバキが解決策を提案する前に、ツバキが解決する為の交渉を始める前に、ツバキが口を開く前に。今すぐに。

「アキラ! 任せろ! 貸してやる! 5千億オーラム!」

「はあっ!? 何だって? 5千億オーラム?」

「そうだ。ネリアさんの債務の残額だ。待ってろ」

 驚くアキラに言いながら、シロウは席を立った。そのまま窓へ向かって歩く。ポケットから取り出したイヤホンを情報端末につけて耳に。そのまま情報端末を操作。窓に背を向けると情報端末を持ち上げて自分に向けた。

 外の景色を背景に通話しようとしているのだ。

 

「イエーイ、スガちゃん見てるー?」

 シロウは片手でVサインをして言った。

「俺は今ツバキハラビルの最上階にいまーす。後ろに見えるのがツバキさんが管理してる街だ。この辺、ここにクガマヤマ都市があるんだぜー」

 さらに情報端末に映る自分の指の位置を確認しながら、クガマヤマ都市の場所を示す。

 だがすぐに慌てた。

「緊急、緊急、超緊急。緊急に決まってんだろう!? 滅茶苦茶緊急だよ。今この場で何等(なんら)かの返事をしたいんだ」

 そして用件を伝える。

 クガマヤマ都市からネリアの債権を買い取れ。その債権の持参人式債権譲渡契約書を都市に作らせろ。債権は残額が大体5千億オーラムのはずだ。もしも額面が過剰請求だとかで都市にしか登記出来ない場合は、ハンターオフィスで登記出来る額まで下げさせたものを要求しろ。

「人型兵器と義体はまだあるから債権だけで良い。あ、いや待って。爆弾と発信機は――」

 シロウは言いながらツバキを見た。ツバキは首を横に振った。

「爆弾と発信機は無い。だから債権とは別に弁償しなきゃならない。でも人型兵器と義体はクガマヤマ都市に返せる。どうだ? 出来るか?」

 

 シロウが情報端末越しに誰か――シロウの上司か坂下重工の交渉役か――と通話している。

 だがアキラには内容が良く分からない。シロウがネリアの負債を坂下重工に払わせようとしていることまでは分かる。つまりネリアの義体代と現在の負債との二つの負債を一本化(クリアリング)しようとしているのだ。そうすれば坂下重工がツバキに義体代をコロンで払えば済む。後は都市に代わって坂下重工が義体代を含めた負債額の分だけネリアを()き使うだけだ。

 そこまでは分かる。だがシロウが貸してやる、と言った理由が分からない。アキラが何かを借りる必要はどこにも無いからだ。分からないのだがシロウは話し中だ。話し中に邪魔しても混乱が増すだけだ。

 何かの勘違いか。アキラに貸すのではなくネリアに貸すということか。多分そうだろう。それなら話が分かる。

 アキラは黙って、会話の推移を追っていた。聞いていればその内に話が分かるものだからだ。

 

 ネリアはシロウの意図に気付いていた。だから嬉しそうに聞いている。飛行型に輸送された大型を倒した時の連携の相性に加えて旧世界製の義体があることを考えれば、アキラは債権をどこかに売るよりも自分を戦力として使うことを選ぶだろう。アキラと一緒にいるのは楽しそうだし、ヤナギサワに比べればアキラを出し抜くのも簡単だ。上手(うま)く言い(くる)められれば、事実上の自由になれるのだ。

 

 ツバキはアルファから睨まれていることに気付いているが、素知らぬ顔をしている。どちらもシロウの目論見に気付いている。それを()めたいアルファと、このままアキラが黙っていた方が都合の良いツバキ。(ほう)っておくとネリアの負債を肩代わりさせられるかどうかの決定から閉め出される。そうアキラに声を掛けたい。だがアルファは口を出さない約束なのだ。状況の操作はしたが偶然の要素が強く、意図的にアルファが認めないような状況にしたのではない。

 敵を敵として、時には味方をも敵として(だま)し、殺すアルファと、敵を裏切らせ味方として遇し報酬を与えて敵に当たらせる裏切りを誘う亡霊との、状況の動かし方の違いが現状の差となって現れている。敵を滅ぼす軍事系と、味方に尽くす統治系との差。外交の一部に過ぎない戦争を司る軍事系と、地方自治体とは言え外交全体と本質としては等価な内政を行なう統治系との差。規模にも権限にも大きな差がある二人だが、その本質が持つ差に変わりは無い。敵が居なければ無価値な外交と、味方にこそ価値がある内政との差に。

 

           ◆

 

「イエーイ、スガちゃん見てるー?」

 緊急要件用の専用回線に掛かって来た通話要求に出たら、シロウが画面の向こうでVサインをしていた。スガちゃん? 

「俺は今ツバキハラビルの最上階にいまーす。後ろに見えるのがツバキさんが管理してる街だ。この辺、ここにクガマヤマ都市があるんだぜー」

 背景に映るのは、かなり高い位置から見た旧世界の遺跡。ツバキの管理区画だろう。その中の一箇所を上を指すように指さしているが、手振れでどこを指しているのかはっきりしない。

 封鎖区画に入れさせろと連絡が来てから随分(ずいぶん)時間が経っているが、やっと交渉が終わったのか。そう思って出たのだが、そうではないようだ。一見すると機嫌が良さそうだが緊張している。となればまだ交渉中で、権限的な問題が起きたのだろう。念の為に中断が難しい仕事をキャンセルしておいたが、正解だったようだ。

 スガドメは(あき)れた声で返事をする。

「こちらの回線でかけてきておいてそれかね? 私も忙しいのだ。緊急でないのなら後にしたまえ」

「緊急、緊急、超緊急。緊急に決まってんだろう!? 滅茶苦茶緊急だよ。今この場で何等(なんら)かの返事をしたいんだ」

 シロウは大慌てで言って、用件を伝えた。

「人型兵器と義体はまだあるから債権だけで良い。あ、いや待って。爆弾と発信機は――」

 シロウは言いながら視線を外した。すぐに視線を戻す。

「爆弾と発信機は無い。だから債権とは別に弁償しなきゃならない。でも人型兵器と義体はクガマヤマ都市に返せる。どうだ? 出来るか?」

 誰かに爆弾と発信機の現状を目配せだけで()いて、教えられた。それが誰かは分からない。報告にあった月定(つきさだ)の工作員のアキラか、ツバキ本人だろう。となれば(わざ)と聞かせている。それでいて会話の内容は調整したい。イヤホンをしているのはそういうことだろう。スガドメが話した内容を聞かせないように調整している。つまり何等(なんら)かのパフォーマンスだ。

「出来るか出来ないかで言えば出来ることは分かるだろう。それが緊急かね?」

「緊急だ。今この場で何等(なんら)かの返事をしたい」

 出来るかどうかではなく、坂下重工にやる気があるかどうかを尋ねている。しかも、目の前でやると言わせたい状況。となると交渉中で、ツバキ側の譲歩を引き出せるかどうかの瀬戸際なのだろう。

「ネリアというのは?」

「ネリアさんは、封鎖区画に入る時に居たB42の人型兵器に乗ってた兵士だ。封鎖区画の中に入ったらついてきた。ヤナギサワの直属護衛をしていた元犯罪者で、都市に債務がある。その債務の話だ」

「勝手についてきたのであれば、死んでもこちらが責任を負う必要性を認める訳にはいかんな」

 スガドメは、マツバラの護衛が殺された時と同じようにツバキが殺したのだと思っている。ツバキとの伝手があるというアキラまでは殺していないだろう。マツバラの時もヤナギサワは生きて帰って来た。だからアキラがシロウの首を持って帰って来ることになるはずだ。しかし坂下もアキラも、互いの伝手をシロウ以外に持っていない。となるとスラム街にあるアキラの居住地に直接乗り込むか、クガマヤマ都市に頼むことになる。その上、シロウには首だけになっても生きていられるほどの緊急時の生命維持処置をしていない。それをすると旧領域接続能力が失われる可能性が高いからだ。だからシロウの首をアキラが持ち帰っても、適切な処置がされていないのだから生ゴミでしかない。

「それは坂下と都市との間の問題であって、ツバキさんには関係無いだろう?」

「彼女が要求しているのかね? だがヤナギサワへの配慮ならば持参人式債権譲渡契約書など不要のはず。それ以前に殺さなければ済んだ話のはずだ」

「違う、要求されたんじゃない。ツバキさんが困っているから坂下が助けてあげようって話だ。持参人式債権譲渡契約書ってのはその為の、俺からの配慮だ」

 スガドメは考えるが、状況が分からない。決定的な情報が何か不足している。

「彼女を助けることが有益であることは理解しよう。だが持参人式債権譲渡契約書が必要とは、どういう状況なのかね?」

 

 持参人式とは、契約者の一方が無記名で、契約書の所持人が無記名の方の契約者であると看做す形式だ。小切手や約束手形のように一方が1回だけ権利のみを享受する形態の契約の場合に頻繁に使われる。預かり証や引換券、入場券、整理券などがこの形式だ。

 持参人式債権譲渡契約書とはその名の通り、所持人を譲受人とした、債権を譲渡する契約書である。普通は作らない。紛失すると大変だからだ。もしも作ったとしても、譲受人は速やかにハンターオフィスに持ち込んで債権を登記するだろう。ハンターオフィスは統企連の子会社――厳密には五大企業各社が共同出資した会社――であり、どの都市にも存在していて、統企連の統治機構の一部である。だから中立公正な第三者機関としてハンターとは無関係な証書の作成や登記も受け付けている。都市などの統治企業も登記などを扱っているのだが、都市を相手取った係争では都市に不利な証拠としては使えなくなるのが実情だ。だから都市を相手取る心配が無い案件の登記などでしか利用されない。また正当性などの見解がハンターオフィスと相違した場合、銀行の口座は差し押さえられても、ハンターオフィスの口座は差し押さえられなくなる場合が多い。代わりにハンターオフィスよりも手数料が安いので、都市が絡まないような中小零細企業同士の契約などで頻繁に利用されている。今回は譲渡人が都市なので、ハンターオフィスで登記せざるを得ない。

 債権譲渡だからそんな手間が必要になる。単なる更改にすれば良い。そういう考え方もあるだろう。だが東部では更改など滅多(めった)に行なわれない。その借金、その額面の正当性を証明し直すのがあまりにも二度手間だからだ。特に借金となった和解金や損害賠償を発生させた出来事自体が昔のことなので、正当性を証明する物証が失われていることが多い。

 ならば借り換えだ。そう思うかも知れない。確かに借り換えならば正当性の証明は不要だ。準消費貸借ではなく消費貸借だからだ。だが借り換えの場合は、旧債権者に対する旧債務の償還の為に新債権者から借金をしなければならない。ならば持参人式ではない普通の債権譲渡契約で充分だ。態々(わざわざ)持参人式なのは、新債権者を匿名にする為なのだから。

 

「状況はややこしい」

「説明したまえ。簡潔にだ」

 

           ◆

 

 1ヶ月前に他の五大企業からの目を誤魔化す為に坂下重工からシロウが脱走したことにして、ツバキに伝手を持つ人物を探し始めた。その人物に坂下重工の交渉役を会わせて、ツバキとの交渉を仲介してもらう。それが当初の計画だった。

 その仲介人がやっと見付かったのだが、仲介人は坂下重工に身元を知られることをとても(いや)がった。当然、坂下重工の交渉役と会うこともだ。幸いにしてシロウに関しては信用をしてくれたので、昨日になってようやく、坂下重工に知らせない条件でシロウをツバキと会わせてくれることに決まった。その席で坂下重工の交渉役と交渉してくれるように交渉すれば良いだろうと。

 それで今日になってシロウが自費で雇った護衛のハンターを連れてツバキに会いに来た。ところがクガマヤマ都市が封鎖していて入れなかった。そこで護衛のハンターが、知り合いが居るからとネリアのところに行って話をした。しかし当然のように駄目だった。都市に知られないように護衛が一人で入ったように見せ掛ける予定だったが諦めた。

「で、さっき連絡したって訳だ」

 スガドメは黙って聞いていた。シロウの説明は事実と異なる。それをスガドメは知っているし、シロウもスガドメが知っていることを知っている。そういうことにする。そういう宣言であると共に、シロウと一緒にその場に居る誰かへの状況説明でもある。

「続けたまえ」

 入れてくれる代わりにクガマヤマ都市はネリアを監視役としてついて来させた。蹴りたかったし護衛の実力を考えれば物理的に蹴ることも可能だったが、ツバキの管理区画で暴れて被害を出して心証を悪くしたくなかったので連れて来た。

 ここから話がややこしくなる。

 シロウと言うか坂下重工側としては、どちらかと言えばネリアが死んでくれた方が都合が良いが基本どちらでも構わない。坂下重工がツバキと交渉したがっていることも、交渉しに来たことも既に都市に知られてしまっている。その上、シロウがするのは交渉してくれという交渉だ。次の坂下重工の行動で結果は知れる。だからどちらでも構わない。

 護衛は知り合いなのでネリアに死んで欲しくない。しかも巻き込んだのだから、かなり責任を感じている。護衛が誰だかは入る時に都市に知られたから調べればすぐに分かるが、坂下重工としても無駄に敵にしたくはない相手だ。

 ツバキは仲介人が仲介した席なので誰も殺したくない。

 そして当然、仲介人は坂下重工に知られたくないのと同様にクガマヤマ都市にも知られたくないはずだ。確認はしていないがシロウもツバキもそう考えている。だが仲介人のことを口にせずに交渉など出来ない。だからネリアを生かしておくと交渉が出来ない。

「交渉が出来ないと俺も困るんだけど、ツバキさんだって仲介人の手前、交渉しませんでしたとは言い難いだろうと思うんだよ。そんな誰もが困っている状況で颯爽と登場する坂下! ネリアさんの債権を全て仲介人に譲渡! そうすればネリアさんは交渉中に聞いた仲介人の情報を都市に持ち帰らなくて済む! 仲介人を助けた坂下にツバキさんも好印象! 全て解決! 八方万事丸く収まる! 全員ハッピーラッキーオッパッピーオカチメンコゲーッツ! どうだい!? こんなにも良い解決策が他にあるか? 天才的だろう? もっと褒めてくれても良いと思うぜ? 雇った護衛料は自費だったけど経費にしても良いよな!?」

 情報端末の向こうでシロウが興奮したように熱弁している。そのスガドメの拡張視界にシステムからの通知が表示された。ライブラリー・ヒット:オカチメンコ=提案無用、丸飲みか拒絶か選べ。

(オカチメンコ……工作員の暗号か。オカメチンコではないのは(わざ)と言い間違えたということか)

 提案無用……条件の変更は受け付けられないという意味だ。

 確かに、単に仲介人の名を呼ばずに、それこそ仲介人と呼ぶだけで済む話ではない。例えば何等(なんら)かの交換条件として坂下重工から仲介人に利益を渡すことになった場合、その利益の種類によってはシロウの行動を追跡するだけで仲介人が誰かを知ることが可能になる。だから交渉ではその種類の利益を仲介人に渡す全ての交換条件が使えなくなることになってしまう。

 だから何も考えずに聞いていれば、シロウの主張はとても合理的に聞こえるだろう。しかしこの問題は、単にネリアを別室に隔離するだけで解決する。つまりこの話は全面的に嘘なのだ。実際、シロウが嘘を()いていることは表情からも分かる。

(この場でこれ以上を問い(ただ)すことは難しいか)

 言い換えるならばシロウは、今の話の他に存在するツバキ側の事情を坂下重工に隠したままでこの件に対応しようとしている。それを分かった上で協力しろと言っているのだ。

 となればすべきことは費用対効果の計算だ。つまりシロウを巻き添え被害(コラテラル・ダメージ)として埋没費用(サンク・コスト)に含めるかどうか。このままこれ以上の事情を知らずに、目を瞑ってハイかイイエと(こた)えることであり、その一方を選択する為に必要な計算だ。

 最終的にツバキと取引が出来た場合、5千億オーラムなどすぐに回収出来る。流石(さすが)に端数にもならないとまではいかないが、気にするほどではない。それによる経済効果の大きさの所為で、直接の利益は小さくとも副次的な利益が大きいからだ。つまり成功を前提とする限り、詳細がどうであれ請けるのが正しい。

 だが現実には成功するとは限らない。つまりリスクが存在する。そして事情を知らないということはこのリスクの評価が発生率100パーセントと評価せざるを得ないことになる。坂下重工が事情を知らないままでも問題は起こらない。そうシロウが評価していて且つ、その判断が適切である場合。それだけが考慮に値する条件になる。

 しかも今のシロウが行なっている交渉は本交渉ではない。それどころか、ツバキハラビルからシロウが生きて帰る。そういう内容に過ぎない可能性さえある。封鎖区画に入ってから今までの時間にされた交渉が不調に終わった。仲介人と護衛とは同一人物のアキラであり、一緒にあの場にいることが分かっている。その状況で起こりそうなこと……

 最悪、シロウの命を助けるだけの為に5千億オーラムを払うことになる。

 冷徹な営利が、シロウの命の価格を計り始めた。

 

           ◆

 

「区外の更地化、なぜ俺に()く!? イナベに廻せ、あいつが勝手にやり始めたんだ、責任は――」

「主任! 坂下重工様のスガドメ専務から直通の通話要求が来ています」

「――あいつに取らせろ……またかい?」

 ヤナギサワは再び、情報漏洩(ろうえい)対策済の小さな執務室へと向かった。

 

 ヤナギサワは立体映像(イメージ)のスガドメに向かって腰低く言う。

「いえいえそんな、どうかお気になさらず。弊社の判断で弊社が勝手に行なったことでございます。お役に立てましたならば望外の喜び。死体は捨て置いていただいて構いません」

 しかし立体映像(イメージ)のスガドメは申し訳なさそうな表情で否定した。

「そうもいかんのだよ。当社の側に付いたのだ。それを勝手にしたこと、と報いないなど、当社の沽券(こけん)に関わる。無論、本当に株価が動くものでもなかろうが、塵も積もればの言葉もある。信用もまた積み重ねていくものなのだ。当社が委託している人員に無償で護衛をつけてくれた。その厚意を蔑ろにするような拝金主義者ではないのだよ」

 それが本心ではないことは分かっている。では嘘かと言うとそれも違うからややこしい。ツバキとの交渉の巻き添えで死んだネリアの損害賠償をする。そうすることで器を誇示したいのだ。それは必要な時に見せる横暴と傲慢とを、その時に許容させる為の重要な布石だ。

(クガマヤマ都市からの恩は着ないということか? 横暴も傲慢も、借りがあるとやり辛いからな)

「そういうことでございましたら、お手数をお掛けしますのも心苦しいです。単に弁償していただくのみで構いません」

「ああ、実は当社としてもそうしたいところなのだが、そうもいかない事情がある。先程も伝えた通り、クガマヤマ都市が発行した持参人式債権譲渡契約書が欲しいのだよ。最終的にハンターオフィスで登記するだろうと予想しているので、相応に書式が整っていてもらわねば困る」

 スガドメは繰り返した。どうあっても債権譲渡をしたいらしい。

(どういうことだ? 債務者は死亡していて財産も無い。債権を譲渡しても意味は無いんだが……)

 一応、ネリアに隠し財産がある場合には意味がある。だがその隠し財産が4千億オーラムを超えなければ意味が無い。1千億オーラムは、実は都市の担当者が損害金を少々過剰に見積もったもので、都市の登記の担当者がそれを少々過剰だとは思いながらも許容範囲内だと認めたものだ。そのままハンターオフィスに持ち込めば、正当性に疑義があるとして差し戻される可能性が高い。ハンターオフィスでも正当性が認められる額や利率まで減額しなければならない。それが相応に書式が整っているという言葉の意味だ。つまり良くある、やり過ぎなければ黙認されていることなのだ。

(可能性としてはあいつに賠償請求をして、交渉材料にする? あいつが気にするはずがないからそれは無いと思うが……このタイミングだ。可能性はあるな。確認しておきたいところなんだが……)

 実はヤナギサワは、ツバキと念話することが出来ない。旧世界製の情報端末で通話するのだが、この場でする訳にはいかない。

「いやー、そうおっしゃられましても……実を申しますと、人型兵器と義体は彼女の私物ではなく都市の備品なのですよ。ですので債権として処理しますと色々と、いえ不可能な訳ではないのですが時間がですね……」

「義体と黒狼については心配は無用だ。都市へ返却しよう。おっと、爆弾と発信機は破壊されている。それは債権とは別に弁償しよう」

 それを聞いてヤナギサワは驚いた。黒狼が無事なのはわかる。黒狼に乗ったままツバキハラビルの中に入ったはずが無いからだ。しかし義体も無事とはどういうことだ。

(やったのはあいつではなくシロウか。それも何か口を割らせようとした。恐らくは俺がネリアだけを連れて単独行動した時のことを。例えば、ミハゾノ街遺跡のセランタルビルでのこととか。だから機密漏洩(ろうえい)に反応して爆発した。ネリアの私物である頭部が吹き飛ばされても都市の備品である義体は無事なはずだ。それならビルの中に入ってから死んだこととも辻褄が合う。あいつはビルの中を血で汚すのは(いや)がるだろうからな)

 そう考えて納得しかけた。だが引っ掛かる。

(まさか……警告なのか? 対再構築(アンチリビルド)機関の調査員を呼んだ上で、情報収集をしていると俺に知らせている? 可能性はある。あの場所に何があるのかを知っているのは俺だけのはずだが……しかし過去の契約者の中には、あの場所には行けなかったが何があるか、どんなものがあるかを聞いた者が居たかも知れない。だとすれば坂下が邪魔している、或いは一枚咬ませろと言っている? いやそこまで確信を持っているとは思えない。俺がセランタルにツバキと複数の管理人格と取引を成立させた。それは俺が遺跡側、旧世界側、再構築側の立ち位置だから。そう疑いを持った? だから対再構築(アンチリビルド)機関の調査員を呼んだ? それはそれで厄介だな)

「分かりました。そういうことで次の幹部会で稟議にかけることをお約束します」

「稟議にかけるのかね? ならばライオット議長に訊けば早いかね?」

(俺からの恩なら着る気がある。そういう意味なら、考え過ぎかな? シロウが俺の秘密を探ろうとして損害を出した。だから都市はシロウに損害賠償を請求して身柄を確保することになる。だが坂下重工はシロウの身柄を都市、というか俺に渡す気は無い。だからそうと悟られないように先んじて債権を得ておく。坂下からシロウに請求する形にしたい。これだろう。スガドメが一言も損害とか被害とかネリアが死んだとか言わないのも、死んだら債権ではなく損害賠償になり、改めてシロウの債権にする手間が掛かるから。都市が発行した譲渡契約書にするのもその所為だろう。最悪、貸出が反故にされる可能性もあるのか……)

 恩に着るのも接待の内だ。スガドメはヤナギサワに手間を掛けさせて、それを恩に着ようとしている。請けないならその恩は議長のものになる。それを貸出を反故にする分の補填にするということか。

「いえいえいえ、ライオット議長でも同じですよ。そうですね、分かりました。何とかいたしましょう。1時間ほどいただけますでしょうか」

「1時間か、分かった。(よろ)しく頼む。ところで今更だが、債権の額面は幾らぐらいなのかね?」

「確認しませんと細かいところは分かりませんが、今日までで返済された分を含めますと概算で4千億オーラム程度だったと思います。どんなに記憶違いがあっても5千億オーラムに届くことはありません」

 

           ◆

 

「そんな誰もが困っている状況で颯爽と登場する坂下! ネリアさんの債権を全て仲介人に譲渡!」

「なんだと!?」

 今頃になってシロウの目論見を理解したアキラが飛び上がる。慌ててシロウを()めようと声を上げるが、向かい側に座ったネリアが手を振って()める。

「しーっ! 通話中よ」

 ()めたのはネリアだけだ。ツバキも()めたいところだが、それをするとアルファが認めないような状況を意図的に作ることになってしまう。

「それに、今乱入した所為で仲介人が誰かバレたらアキラの所為よ?」

 楽しそうな笑顔で言うネリア。仲介人はアキラ。それはネリアにバレている。そしてアキラが通話に乱入してしまえば、通話の相手にもそれがバレる。そう言っていることはアキラにも伝わった。

 だがアキラは何とか()めたい。助けを求めてツバキを見てみる。ツバキはにっこりと微笑(ほほえ)んだ。

「どうしました?」

「いえその、えっと……いいんですか?」

「私の身勝手な都合で(よろ)しければ答えられますが?」

 そう言ってツバキはアキラの返事を待った。

「あ、はい。それで」

 深く考えずにアキラは(こた)えた。これでツバキにもアキラを()めることが出来るようになった。

「そうですね。シロウさんの目論見が上手(うま)くいくと、私にとっても都合が良いです」

「えー」

 味方が居ない。全員掛かりで面倒事を自分に押し付けている。アキラがそう感じた瞬間を見計らってツバキが続けた。

「誰にとっても都合が良いはずですが? 勿論(もちろん)、アキラさんにとっても」

 驚いたアキラが()き返そうとする。ツバキの期待通りに。だが邪魔が入った。

「よっしゃー! アキラ! 待ってろ! 今坂下が都市に掛け合ってるからな!」

 通話が終わったシロウだ。ネリアの債権の買い取りをスガドが認めたのだ。勿論(もちろん)、アキラを雇った護衛料500億オーラムを経費にすることまでは認められなかった。

 

 目論見通りにいってご機嫌なシロウと、嵌められたことに気付いて不機嫌なアキラ。他に客が居たらとても迷惑だったに違いない大声で言い争い。幸か不幸か他に客が居ないのでウェイトレスのカミーユは()めなかった。

 興奮気味に大声を上げるアキラを前にしてもシロウは平気な顔だ。アキラが暴力に及ぶ性格ではないことを知っているから――ではない。確かにアキラは思い通りにいかなかった程度のことで暴力に及ぶような性格ではない。だが、シロウはそれを知らない。単に防壁の内側の感覚で、暴力に及ぶ可能性に思い至っていないだけだ。企業統治社会の価値観では、相互利益を得られる可能性がある相手に対する暴力沙汰は遺失利益を生む、つまり損失だからだ。

(むし)ろ俺に感謝するところだぞ!? なんでそんなに怒ってんだよ! ツバキさんに仲介してくれたのはアキラ以外の誰かってことにしたじゃねえか!」

「俺のことを報告するなと言ったはずだぞ!?」

「無茶言うな! クガマヤマ都市の警備部隊の前であんだけ派手に騒いだんだぞ!? 何も言わなかったら逆に怪しまれるぞ! 叩けば埃が出る身で贅沢言うな! 叩かれないようにしてやっただけありがたいと思えよ! 俺が何も言わなかったらお前があの場に居たことを都市から聞いた坂下がお前のことを根掘り葉掘り調べるぞ。お前は護衛として雇われただけの、何も知らないハンター。俺の機転のお陰でそういうことになったんだからな? 言っておくがこれは5千億オーラムとは別の、俺からの個人的な貸しだぞ!? お前の為に坂下に虚偽報告したんだからな!」

 

 虚偽報告した。そう言われてアキラは(ひる)んだ。

 ハンター稼業を始めて1年半。流石(さすが)にアキラも統企連が支配する東部の価値観に染まってきている。

 善悪という価値基準の一つに、犯罪かどうかがある。東部で犯罪とは何かといえば、統企連への敵対行為だ。統企連への敵対行為とは二つある。統企連の支配力を脅かすこと。これは全ての権力に共通した当然の敵対行為だ。東部での健全で公平で自由で平和な経済活動を阻害すること。これが二つ目の敵対行為だ。統企連の理念、統企連の理想、統企連の正義に対する違反行為だ。

 統企連の正義に違反する重大な犯罪の一つとして詐欺がある。しかし難しい問題もある。詐欺か詐欺でないかを識別する絶対の基準が無いことだ。それが故意か、或いは過失か、それとも事故か。被害者にとってはどれでも同じだが、加害者にとっては全く異なる。どれでも詐欺だ犯罪だ、となれば、それ自体が健全な経済活動を畏縮させてしまう。だから自然発生的に生まれた。健全な経済活動を推し進める商人達によって。詐欺であることを確定する絶対の基準が。

 嘘。

 誤解をしたのはそっちが無能な所為だ。俺は悪くない。そう言えるのは、嘘を言っていない時だけだ。嘘を()いたなら誤解ではない。故意に(だま)した。必ず詐欺だ。絶対に犯罪だ。間違い無く悪だ。

 だから東部では、嘘を()いた方が悪者だという認識が広まっている。嘘は言っていない。それは最低限の倫理観を失っていないことを確認する、良心の言い訳の言葉なのだ。

 その嘘を()かせた。それも敵にではなく所属する企業に。アキラは、シロウにさせてしまったことを重く受け()めた。この押し付けられた面倒事を受け入れなければならない。それだけの借りだ。

 アキラは頭が悪い訳ではないが、考えを投げる相手がいる時は、深く考えずに投げてしまう。そしてアルファは、深く考えさせることなく使役することには()けている。だが考えようとしない者に考えさせることには()けていない。アルファのスパルタ教育には、アキラに自分で考える癖を付ける訓練は含まれていなかった。

 だからアキラは、この面倒事への対処を投げてしまうことにした。投げるのに適した相手がいるからだ。

 

 アキラは知らないが、実は防壁の内側などの高い教養を持つ人達の間では、嘘=悪とはなっていない。損害を与えて初めて詐欺であり犯罪となる。嘘を()いただけで犯罪になるはずがない。嘘を()いて(だま)した。それが悪なのだ。高い教養がその違いを理解させる。

 だからシロウは虚偽報告をした。この嘘は誰にも損をさせない。この嘘は坂下重工の大きな利益になる。この嘘はツバキの想定を維持させる。この嘘はネリアの境遇を良くする。この嘘はアキラの要望に沿っている。

 坂下重工にアキラのことを知らない振りをさせる。その為に必要な建前に過ぎないのだから。

 

           ◆

 

 アキラが黙ったので言い争いが一時停止した。と、シロウの情報端末に通話要求が届く。シロウが慌ててイヤホンを付けて立ち上がり、窓際(まどぎわ)に移動した。

「どうだった!?」

『ヤナギサワが了承した。やはり水増しがあったのだろう。書類は1時間ほど掛かるそうだ』

「よし!」

『これで大丈夫かね?』

「ああ、助かった。これで全員ハッピーだぜ」

『交渉役はもう待機させてある。彼女の予定が合えばすぐにでも向かわせたい。マツバラだが、大丈夫なのかね?』

「え? なんでだ? マツバラさんだと何か懸念があるのか?」

()いているのはこちらだ。交渉役が前回と同じでも彼女は気分を害さないのかね?』

「あー、なるほど。前回交渉に来た交渉役と同じ人を交渉役として待機させてるけど違う人の方が良いかどうかってことか。それは交渉が上手(うま)くいったらツバキさんに()いておくよ。あ、いや待って」

 シロウは情報端末から視線を外して、ツバキの横の汎用表示領域に描画された文字を読み上げた。

「不愉快なのは内容であって人ではない、だそうだよ。マツバラさんで大丈夫みた――待って」

 シロウは、今度は読み上げなかった。

「はは。マツバラさんで大丈夫みたいだよ、うん。ただその大丈夫には、今度も生きて帰れるって意味はまだ含まれてないみたいだけどね」

 スガドメはシロウの様子と言い方から、ツバキが文字を書いて見せているのだろうと考えた。紙に書いて見せているにせよ、その他の何かに書いているにせよ、威厳や威圧を伴った接し方だとは思えない。どうやら気安く接してもらえているらしい。彼女との円滑な交渉に役立つ。ヤナギサワはそう言っていたが、想像以上に円滑のようだ。

『ならば、それが次も生きて帰れるという意味を含むように交渉したまえ。君の交渉は予備交渉の意味もある。彼女の確執や条件、不満、要望などを充分に調査しておいてもらおう』

 

           ◆

 

「じゃあ進展があったら連絡する。期待して待っていてくれ」

 シロウが溜息と共に通話を終了させた。

「アキラ! 上手(うま)く行ったぞ! 都市っていうかヤナギサワが承諾した。5千億オーラムより減額されるみたいだが、要するに全額だ。書類が出来るのは1時間後だけど問題無いよな?」

 だがアキラが何か言うより早くツバキが(こた)えた。

「問題はなさそうですね。今後問題が起こるようでしたら私の方からクガマヤマ都市なり坂下重工なりに報復しましょう。これで、ネリアさんの問題は解決ですね?」

「ええ、全部解決したわ。何よりもこれでヤナギサワの言うことを聞かなくて良いと思うと最高の気分よ」

「あのいつ裏切るか分からないような男に尽くさなければならないとは災難でしたね」

「本当よ。あのへらへら軽薄に笑っている裏で何を考えてるのか分からないもの」

「あんな男よりもアキラさんに尽くしたいです」

「アキラの方がずっと良い男だもの」

「「ねー!」」

 ツバキとネリアが、声を揃えて笑顔で頷き合った。

 それからしばらく、ツバキとネリアのヤナギサワへの不満を言い合い共感を示し合う場になった。

 その所為で誰の意識からも流されてしまった。ここで問題が起これば、ツバキは区画外へと報復しに行くことが可能になる現実が。

 

 ツバキとネリアがヤナギサワへの不満を言っている中で、ネリアが強い男が好みだという話に言及した。それにアキラが反応する。

「いや待て。ヤナギサワは俺より強いぞ?」

「強い男が好みだけど、強ければ誰でも良いってわけじゃないのよ?」

「強さは最低条件です。弱ければ話になりませんから」

「アキラは相変わらず女の扱いがなってないわね」

()い男とは女心が分からないものなのですよ」

「あら、そうだったの? それじゃあアキラの女の扱いがなってないのは仕方ないのね」

「いや待て! 何でそうなる?」

 思わず言ったアキラの肩を、シロウが掴んで()めた。アキラが見るとゆっくりと首を振っている。

「女の話には下手に口を出さない方が良いぞ」

 シロウの助言に、アキラもそういうものなのかも知れないと思い始めた。

「なぜ()い男に女心が分からないかと言いますと、女心が分からなくとも女に好かれる程に()い男だからです」

「なるほどー、(すご)く説得力あるわ」

 

           ◆

 

 ツバキとネリアが飽きるまでヤナギサワへの不満を述べたら、ツバキが次の話題へと変える。

「ネリアさんの問題が解決しましたので、次はシロウさんの問題ですね」

「それは大丈夫です!」

 シロウは叫んで立ち上がり、アキラの肩を叩いた。

「俺の問題はこのアキラが解決してくれます! 今すぐ! さあ! 頼んだぞ、アキラ!」

「な!?」

 驚いたアキラだが、5千億オーラムと虚偽報告をさせてしまった分の借りがある。

「まあ、5千億オーラム分だ」

「5千億オーラムは減額されるけど、ネリアさんの身柄もだからな! ヤナギサワの魔の手から救い出してやったんだぞ!」

「きゃー! シロウさんありがとー! 減額っていくらぐらいかしら?」

「書類が上がって来ないと分からないな。でも多分4千億オーラムぐらいになると思うぜ?」

「何で減額なんてされるんだ?」

「都市が水増ししてたのさ」

 ハンターオフィス以外、具体的には都市で登記をすることで水増しが可能なことをシロウは説明した。大体2割増しが、ハンターオフィスが介入するより黙認する方を選ぶ相場だという。

「俺がハンターオフィスで登記するって言ったからな。そのままの額面や利率だと登記させてもらえないから登記させてもらえる額面まで減額して新しい利率で再計算するのさ。相場の2割なら利率や返済分とかも含めて逆算すると減額した後は4千億オーラムちょっとになる」

「きゃー! シロウさんありがとー!」

「ははは。礼はアキラに言ってやってくれ」

「アキラありがとー!」

 嵌められた面倒事を受け入れるとは決めたが、それで不機嫌が収まるものでもない。少し(いや)味っぽい言い方をしてみる。

「ありがとうって、今度は俺が強制労働させるんだからな?」

「アキラなら死ねとは言わないと信じてるわ」

 しかし予想以上に重い言葉が返って来てアキラは言葉に詰まった。以前にキャロルから聞いて知っていた。負債額が増えるほど倫理に欠けた扱いを受けるものだと。その実例がネリアなのだ。

 

 実はネリアはそこまで(ひど)い扱いを受けていなかった。負債が一定額を超えれば、貸した側もちゃんと返済してもらう為に債務者に便宜を図るものなのだ。ヤナギサワも例に漏れず、有能な債務者を、その能力にふさわしく、その負債の返済に役立つ使い方をしていた。ネリアほどの実力者を新薬の人体実験に売り飛ばすほどヤナギサワは愚かではない。

 しかしアキラはそれを知らない。それでも感覚的には誤っていない。

 アキラもスラム街出身者として、ごく当たり前に強者への信奉(しんぽう)がある。アキラの中では強いことと自由であることとは同一であった。虐げられることの多かった不自由な状況から抜け出す為に成り上がる。そう求めた時、成り上がって自由になることと、実力を身に付けて強くなることとの間に、何か違いがあるなどとは想像することさえ出来なかった。自分以外の何者も入ることの無い自分だけの家に住むことさえ想像の外だった。

 ネリアほどの実力者が身体の自由すら奪われて強制労働を無期限に強いられる。初めてそれを聞いた時、だからアキラは不満のような感情を覚えたのだ。強いのに無期限に自由を奪われる。それを理性では自業自得と理解した。だが感情では、とても不当で理不尽な処遇だと感じていたのだ。

 

「さあ、アキラ! 返してもらうぞ! 今! この場で!」

 東部では、借りた方は理不尽で(ひど)い目に遭わされるものなのだ。

 

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