サークルシンドローム   作:穏健派

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02 螺旋の首飾り

 

 

「ずっと…… ずっと待ってたよ…… 」

 

 舌の根が凍りついて声が出ない。

 なんだ?何が起こっているんだ? なんで俺は見ず知らずの女の子に抱かれているんだ? なんで彼女は泣いているんだ?

 唇が震え、言葉を紡ごうとしても上手く口が動かない。

 

「ごめんね…… 今度は…… ちゃんとやるから…… 」

 

 首筋に滲んだ冷や汗が軍服の中で背筋を伝い、腰の方へ流れ落ちていく。

 そんな感覚を機敏に感じ取れるほど、身体は恐怖と困惑で熱を失っていた。

 

「…… は?」

 

 麻痺したように動かない口からなんとか搾り出した一言。

 その声を聞いた少女は、ふと我に帰ったように腕を解いてニトから身体を離した。端正な顔がみるみる青褪めていく。

 

「ご、ごめんなさい!いきなり抱き着いたりなんかして……!えっと、その…… あっ、怪我はないですか!?」

 

 その問いにニトはコクコクと頷くことしかできなかった。

 

「よかった…… 怪我してたら大変ですから…… 」

 

 少女は顔を綻ばせ、ホッと息を吐いた。

 

「………… 」

「………… 」

 

 だがそれも束の間。両者の間に重苦しい沈黙が訪れた。

 ようやく思考力を取り戻したニトは細い息を吐きながら、気まずそうに俯いて視線を泳がせる少女を見た。

 

 見れば見るほど美しい女性だった。

 黄金に煌めく髪を背中まで伸ばし、くりんとした大きな緑眼は地面を向いている。

 白い肌には金糸のような髪の毛が貼り付いており、端正な顔立ちは憂いを帯びていた。

 ニトが身体へ視線を滑らせると、袖から覗く両腕に目を奪われた。

 細い。まるで武器なんて人生で一度も持ったことのない村娘のような腕だ。

 

 こんな可憐な白い腕の、一体どこにパイルハンマーを持ち上げるほどの力が隠れているのだろう?

 

 そんなことを考えていると、突然少女は何かを思いついたかのようにバッと顔を上げた。

 

「あのっ」

「……な、なんですか?」

「えっと……あなたの名前を教えてくれませんか? 私はアユリアといいます!」

 

 突然何を言い出すかと思えば、そんなことか。

 ニトは拍子抜けしたように思えた。 突然見ず知らずの輩に抱きついてくるような女が、まともに自己紹介をするとは考えていなかったからだ。

 

「俺はニト。要塞都市ナゼルの警備兵をしている者です」

「……へへ」

 

 ニトの名前を聞いた少女、アユリアは突然笑みを零した。

 

「……俺の名前がそんなに変ですか?」

「いや、そういうのではなくて……なんだか、素敵だなって」

「……俺が?」

 

 アユリアは満面の笑みで頷いた。ニトはそれを鼻で笑う。

 

「…… 趣味悪いですね」

「そんなことありません! ニトくんはとっても素敵な人です!」

「へ、へぇ……そうですか…… 」

 

  浮わついた言葉を真正面から何の臆面もなく言われ、ニトは思わず顔を赤らめた。

 生まれてこのかたロクな恋愛経験がなく、女性への免疫が弱いニトにとってアユリアの人懐っこい態度は劇薬に等しいものだった。

 気恥ずかしがるニトを、アユリアはニコニコと笑って穏やかな目で見つめていたが──。

 

「あ、そうだった」

 

 突然、何かを思い出したかのように立ち上がった。

 彼女は上着から円筒状の手榴弾を取り出すと、振り向きざまにピンを抜く。

 そしてそれを、なんの躊躇もなく超越者の方へと投げつけた。

 アユリアの手を離れた手榴弾は綺麗な放物線を描き、やがて地面に触れた瞬間。

 

『pugaaa………ッ!!』

 

 すぐ後ろまで忍び寄っていたミミズのような触腕を巻き込んで爆発した。

 

「なっ……!」

 

 ビチビチと血を撒き散らしながら、焦げ付いた肉塊が地面に飛び散る。

 

 まさか、死んだと見せかけて、背後から騙し討ちするつもりだったのか?

 

 卓越した生命力と伶猾な知能に背筋が凍りつく。

 だが、そんな起死回生の目論見も無駄に終わったらしい。 胸を撫で下ろすことも忘れ、ただただニトは呆気に取られていた。

 

「そうだった」

 

  一切容赦のない冷徹な声が響く。

 

「こいつは一発じゃ死ななかったんだ」

 

 アユリアがゆっくりとこちらへ振り向いた時、彼女は能面のような無表情を浮かべていた。

 しかしニトの姿を見た瞬間、彼女は一転して太陽のような満面の笑みを浮かべた。

 

「はい、これで討伐完了です!」

「え……あ、あぁ……」

「ああいう大きな超越者はしぶといですから、これくらい念入りにしておかないと死なないんですよね〜」

「そう、ですね……」

「そういえば、さっき至近距離で爆破しましたけど大丈夫でしたか? あ、足から血が。逃げてる時に転んだんですか?今 ちょうどガーゼを持ってるので貼っておきますね」

「……え、えぇ……?」

 

  ズボンの破れ目から覗く足の擦り傷を見つけると、アユリアは有無も言わさずズボンの裾を捲った。

 

「あ、その前に消毒しますよ」

 

 腰に提げたポーチから褐色のビンと刷毛を取り出し、手慣れた動作でビンの液体を擦り傷に塗り始めた。

 ツンと染みるような感覚に一瞬身体が跳ねる。

 

——な、なんだコイツ……?

 

 アユリアの怒涛の勢いにニトは気圧されていた。

 

 パイルハンマーを難なく振り回す膂力と瞬発力から、彼女が凄まじい実力を有していることは判る。きっと今まで数多の超越者を屠ってきたのだろう。

 だが、なぜ見ず知らずの自分にハグなんかを?

 記憶にある限り、この少女——アユリアとの面識は一切ない。一方的に知られるほど名前が売れたこともない。 ニトは見ず知らずの彼女に、涙を流しながら「ずっと会いたかった」と言われるようなことは何もしていないのだ。

 状況が把握できず困惑しつつも、とにかく助けてくれたお礼を最優先に言うべきだと思い立った。

 

「……あの、アユリアさん」

「アユリアでいいですよ。それと敬語も使わないでくださいね」

「そ、そうか。……なぁ、アユリア。助けてくれて本当にありがとう。お前があの超越者を倒してくれなかったら、今頃俺は死んでいた」

「いいんですよ! 偶然通りがかっただけですし、へへへ……!」

 

 彼女は嬉しそうに蕩けたような笑みを浮かべる。

 お礼を言われるだけでそんなに嬉しいのか? ますます彼女のことが分からなくなる。

 そんなことを考えている間に、アユリアは手早くガーゼを貼り終えた。

 

「はい、これで大丈夫。立てますか?」

「ああ。さっきは腰が抜けてたけど、もう大丈夫」

 

 ニトは緩慢な動作で立ち上がると、大きく伸びをした。

 再び地面に足を着けて立てるとは夢にも思っていなかったからか、靴裏越しに感じる確かな感触に涙が溢れそうだった。

 

「……うん、生きてる」

「ええ。ちゃんと生きてるんです。ニトくんも、私も、みんな」

 

 噛み締めるように口にした言葉に、アユリアは力を込めて答えた。

 ふと空を仰ぐと、分厚い雲の隙間から差し込んだ陽光が地上へ降り注いでいた。

 その黄金に輝く光の、透き通るような眩しさが目に染みた。

 

「ニトくんはこれからどうするんですか?」

「とりあえずナゼルに帰るよ。ここに来るのに使ったバスはあの超越者に壊されたから、歩いてな」

「それじゃあ私も付いていっていいですか? 私もナゼルに用事があるので」

「ああ、いいぞ。ちなみに、その用事っていうのは?」

「パイルハンマーの整備と消耗品の補給です。旅をしていると、何もしなくても武器にガタが来るので定期的に整備しないといけないんです」

「へぇ…… 旅ね…… 」

 

 世界が荒廃し、都市間での往来が難しくなったこのご時勢で、旅という単語は行楽の意味を失った。

 旅とは行商──商業的な意味を持つ場合がほとんどで、自分探しやバカンスといった理由では決して行われない。

 ひとたび都市の外に出れば、超越者のような怪物が跋扈する地獄に足を踏み入れることになるからだ。

 

 それゆえに旅は莫大な利益を、そしてそれ相応のリスクを伴うものだ。

 だがニトには、アユリアが商人特有のぎらついた雰囲気を帯びているようには見えない。

 だからこそ、ニトは彼女が旅を続ける理由が気になった。

 

「アユリアはどうして旅をしているんだ?」

「……気になりますか?」

「ああ、もちろん」

 

 そう答えると、アユリアは突然シャツの一番上のボタンを緩めた。

 困惑するニトをよそに、アユリアは自らの胸元に右手を突っ込んだ。

 

「旅の理由……ですか」

 

 何かを探すようにまさぐった後、引き抜いた手の指先には銀色に輝く何かが挟まれている。

 視界に入ったそれの正体を悟った瞬間、ニトは絶句した。

 

「……まさか」

 

 それは『螺旋の首飾り』と呼ばれる装飾具。

 

「それは私が『巡礼者』だからですよ」

 

 一人の少女が背負うには重すぎる使命を表すには十分すぎる代物だった。

 

 

 

 

 

 世界がゆっくりと、しかし確実に変わり始めたのはおよそ百年前のことだったという。

 

 最初は野山に奇妙な小動物がポツポツと姿を見せる程度だった。

 角の生えたウサギ、顔のない鳥、イノシシほどの体躯を持つバッタ。

 今では当たり前の存在になった異形の生物も、その頃に突如として出現したものらしい。

 

 人々がそれらの出現に驚き、研究し、ようやく日常のものとして慣れた頃——。

 

 

 突如として人間に対し敵対的な未知の生命体、通称『漂流者』が現れた。

 

 

 彼らは現世界の生態系や人間社会を喰い荒らし、蹂躙した。

 人々が都市を強固な壁で囲わなければ、人類は一瞬にして絶滅に追い込まれていただろう。

 

 なんとか生き永らえた代償として人類の版図は大幅に減少し、数多の国家は分断された。

 急速に発展しつつあった機械工業は頭打ちされ、石油や石炭といった資源の不足から、兵器産業や壁材の加工技術などの軍需産業だけが異常に発達することとなった。

 

 だがそれでも、強大な力を持つ怪物たちには手も足も出ないというのが世界の現状だった。

 

 世界が緩やかに破滅へと向かう中、人々はようやくそれらの存在が異世界から流入してきたものであること。

 そして世界を隔てる障壁の礎であった『神』の力が消えつつあることを突き止めた。

 

 人間が生きる現界、そして魑魅魍魎が棲まう異界。

 異なる二つの世界を断絶する扉のような役割を果たしていた神。それが数千年という悠久の時を経て、ついに『消費期限』を迎えたのだ。

 世界に溢れつつある漂流者や未知の病も、開きつつある扉の隙間を煙のようにすり抜けてきた異界の住民だったのだ。

 

 だが、原因が判明した頃には既に草原では三つ頭の馬が闊歩しており、銀細工の鈴蘭が揺れ、触手を生やした狼が駆け回っていた。

 世界は異界の化け物どもに侵蝕されつつあったのだ。

 

 これ以上漂流者の侵入を許し、事態を悪化させないために捻り出された妙案。

 それが神の鎮座する神廟へ赴き、自らが新しい神として成り代わるという暴挙だった。

 

 神話の世界のみで語られる大罪、神殺し。

 

 

 そんな夢物語を実現させ、世界を救う使命を持った者を人々は巡礼者と呼んだ。

 

 

 

 

──そんな使命を背負ってるのは思えないな。

 

 ニトは疑り深い目でアユリアを見た。

 彼女は暢気に鼻歌を歌いながら、ニトの一歩先を軽やかに歩いている。まるで祭り囃子に合わせて舞う村娘のようだ。

 

 紺色の衣装も、一見すると簡素な女物の給仕服にしか見えない。急所を護る金属製の胸当てや膝当てといった最低限の防具は付いているものの、 やはり軽装だ。

 だが、その背に輝く巨大なパイルハンマー。先ほど目の当たりにした信じられぬ身のこなし。

 何より、白い首元に輝く巡礼者の証がアユリアの使命を表していた。

 

 螺旋の首飾り。

 

 二つの世界を繋ぐ聖地に赴き、自らが神と成るその使命を、遺伝子の二重螺旋構造に見立てたものだ。

 英雄ジロマ、鉄血のサーヴェン、酔いしれるドイモ。その凄まじい武勇から様々な英雄譚に名を残す偉大な先人たちも、それと同じ首飾りを掛けていたという。

 だがそんな彼らでも神廟に辿り着き、使命を果たすことは叶わなかった。

 

 誰かの願いは巡り巡って、また誰かの元へ受け継がれる。そうして巡礼の旅は脈々と繰り返されてきた。

 きっとアユリアの肩には数え切れないほど沢山の願いが掛かっているのだろう。

 

 ニトの目元ほどの背丈しかない彼女の身体が、心なしかとても大きく見えた。

 

 

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