七海建人は暇がない 作:七海さんの腕時計が欲しい
「――なぁよ、こんな噂知ってるかい?」
「なんだよ?」
「【ロキ・ファミリア】には第一級冒険者を倒せる第二級冒険者がいるって話」
「なんだそりゃ! 胡散臭すぎるぜ!」
ここは『豊穣の女主人』。
客は冒険者が多く粗雑で、煩く、されど皆酒を飲み楽しむ盛況な酒場。
そこで冒険者2人が、酔いもそこそこに根も葉もない噂話で盛り上がる。
酒場では良くある光景だ。
「大体よぉ、第一級冒険者ってのは全員化け物だぜ〜? それをレベル差無視して倒せるなんて、不可能だろうがよ〜」
「そらそう思うよな! でも定期的にこの噂が出てくんだよ、だから俺は思ったわけさ……この話、
「無理無理無理ッ! あそこの第二級冒険者って【
赤ら顔で語り合う2人は、酔っているのも相まってどんどんとヒートアップしていく。
その酒場に、ある男が入店する。
男は冒険者ばかりがいる酒場に不似合いな、やり手の商人のようなスーツをぴちっと着用し、不機嫌と言えるような眉間に皺の寄った表情で奥のカウンターを目指す。
周りの冒険者達は新たな客人を暫く目で追い、そして興味をなくしたかのように目を離しすぐ騒ぎ出す。
「ご注文は?」
「魚介のアヒージョと付け合わせのパン、あと白ワインをいただきましょう」
「承りました」
慣れた注文、慣れたウェイトレス。それだけで、この人物はよくこの酒場を利用しているというのがわかる。
厨房へオーダーを行った鈍色の髪をした
「今日もお疲れ様です、ナナミさん。今日は、ダンジョンに行かれてたんですか?」
「いえ、ファミリアの帳簿を作成していました。うちにはこういった作業を行える人が少ないですから、残業して先ほど済ませてきたところです」
「あはは……それは本当にお疲れ様です」
苦笑いをして、その看板娘は去っていった。
「ご注文の品です」
さほど時間を経ず、料理が
男――七海はやってきた魚介のアヒージョを木のフォークを使い、丁寧に口へと運ぶ。
味付けは塩と
「ふぅ……」
1日の疲れを吐露するようなため息をする。
眉間によっていた皺が解け、不機嫌な雰囲気も霧散していく。その姿を見るのが楽しみだというのは、店員達だけの秘密だ。
今度はパンの上にエビを乗せ、一口食べる。ニンニクの効いたエビとパンの相性は抜群だ。そしてそれをもう一度白ワインで流し込もうと口を付け―――
「――ナナミさぁぁぁんッ!! 大変っス〜!!」
ようとし、途中で止める。
至福の時間を止められた七海は怒ってはいないが、少し、また眉間に皺が寄った。
「……ラウルくん、お店で叫ぶのはやめなさい。迷惑ですよ」
七海の言葉が正しいかのように、厨房からドワーフの女将がラウルへ睨みをきかせる。それに気づいたラウルはビクリと肩を浮かせる。
「あ、すみませんっス! 皆さんもすみませんっス!」
ラウルは丁寧に、いっそ腰が低いと思えるほど酒場の客と店員に謝る。とても一般的には大成した第二級冒険者とは思えない、まるで
「それで、慌てていますがどうしましたか?」
「そ、それがそのー……」
七海は嫌な予感がした。ラウルの目がこれ以上ないほど不安に泳いでいるからだ。
―――しかし私は大人だ。緊急の報告、依頼、救援……その他の可能性も考慮すれば、聞かなければいけないでしょう。
聞きたくないという気持ちをぐっと堪えて、ラウルに視線を合わせ、続きを促す。
ラウルはぐっと唾をのみ、冷や汗が垂れるのを自覚しながらゆっくり話す。
「えーと……てぃ、ティオナさんとベートさんが暴れて、ナナミさんが作った帳簿が破れましたっス……」
「その書類はロキさんに届けるよう団員の方に頼んでいたもの、全てですか?」
「は、はいっス。レフィーヤが運んでいたみたいっスけど、ベートさんに吹き飛ばされたティオナさんとぶつかって、その時に書類が……」
「ふぅぅ…………」
七海は大きくため息を吐く。ラウルはまた肩がビクッとする。
ロキがむかし「ナナミは大人オブ大人やから、理詰めの説教怖いで〜」と言っていたが、それが本当のことだと怒られたことのある団員は皆知っている。七海は団員達にとって、怒られたくない人物トップ3の1人――残り2名はフィンとリヴェリア――なのだ。
「すみませんっス……」
「ラウルくん、君が謝るような事ではないでしょう。悪いのはホームで喧嘩をしていた2人です。それに、帳簿だけであれば明日中に片付けられます。急ぐ必要はありませんでしたよ」
作り直す手間が面倒ではあるが、という内心は
しかし、不幸はこれだけではない。
「そ、それがそれだけじゃなくて……」
「………」
「ロキがアイズさんの胸を揉もうとして、それを察知したアイズさんが剣で、その〜」
「……………」
「い、勢い余って明日ギルドに報告するための書類を全部斬っちゃってっスね……ヒィッ」
「…………………」
七海はこのまま酒を飲んで酔い潰れたかった。現実逃避をしたかった。
というか、自分は既に酒を飲んでいる、そんな自分が今から仕事をする必要はないのでは? と考える。
「それと、団長から伝言っス」
「……聞きましょう」
「――『ラウル、ナナミを捕まえてきてくれ。恐らく豊穣の女主人でお酒を飲んでいるだろう。だから飲み終わった後でもいいから、書類の作成を手伝ってくれとね』……っス」
どうやらナナミの思考は勇者に筒抜けだったようだ。流石は
とても無駄な使い方ではあるが。
「……ラウルくん、とりあえず君も食事を取りませんか? 今夜は長いのですから、奢りますよ」
「あ、ありがとうございますっス!」
その後ラウルともう一杯だけ酒を飲み食事を楽しんだ後、七海は徹夜で書類を作成した。ちなみに戦犯のティオナ、ベート、ロキ、アイズも罰として手伝わされた。
七海は後に、その人達を「正直、居ても居なくても変わらなかった」と評する。諸行無常。
◾️
そこは見渡すばかりに荒野が広がり、水の一滴もない不毛の大地。その大地には、門番の如くモンスターの大群がいた。
「「「ヴモォオオオオオオオッ!!」」」
「『
「もぉ! いつ見ても多すぎ〜ぃ!」
「馬鹿ティオナ、文句言ってないで行くわよ!」
「総員、陣形を整えろ! ガレスたち
『おぉおおおおおおおおおッ!!!』
それに対するは、モンスターよりも少ない数にも関わらず、次々にモンスターを撃破する都市最大派閥、【ロキ・ファミリア】。
モンスターはアイズの剣に斬り裂かれ、ティオナの
深層でここまで一方的に戦うことができるのは個人の強さもある。しかし、それを支える指揮官の存在や連携力もまた侮れない。
彼らは万全だった。ここに間も無く魔法も放たれるとなれば、もはや鏖殺でさえあっただろう。
―――しかし、
瞬間、フィンの親指が疼く。
「ッ! 親指が……何か来る!」
「ウォオオオオオオオオッ!!」
深層第二の階層主、巨大な身体を持った怪物、『バロール』が産み落とされた。
「『バロール』……ッ!」
「えぇぇぇッ!? 嘘ぉぉ!」
冒険者の嘆きなど耳に入らず、怪物達は進撃する。その間に、『バロール』も彼らの方へ近づく。
今はまだ距離があるが、いずれは『
フィンは後方にいる七海に振り向く。
「ナナミ、僕たちが『
「だ、団長ッ!?」
ラウルが悲鳴を上げる。
―――無茶っス! あの【
「了解しました」
「な、ナナミさん!」
「ラウルくん、今は問答している時間がありません。それでは」
ラウルの不安に満ちた眼差しを受けても、七海は何の気負いもなく駆け出す。
七海は先程まで使っていなかった、この下界では七海だけしか扱えない力、『呪力』をその身に纏う。
「はやッ!」
『呪力』で強化された七海は、先ほどよりも数段速く戦場を駆け抜ける。
しかし、いくら『呪力』で強化したとしても、今の七海は精々がLv.5中堅程度。Lv.7の階層主である『バロール』には何があっても勝てない。
七海が『バロール』の
七海はその間、一切反撃しない。ただ機を伺う。一撃躱すだけでも相当な神経を使うのか、既に額に汗が滲んでいる。
そのコバエのような鬱陶しさに業を煮やした『バロール』は、その巨腕を地面に突き刺す。
「ッなにを?」
不可解。
今までにない『未知』の行動に七海は疑問を持つ。しかしその行動の意味はすぐにわかった。
「グォオオオオオオオッ!!」
「――ッ!! 『バロール』が斧を……!?」
まるで武器自体が生きているかの様に脈動しているそれは、
本来なら冒険者の持つ武器とは比べ物にならない粗悪品だが、『バロール』が持つ斧は一目で別格と分かる質だった。
『バロール』はその斧を、地面に打ち付ける。
それだけで、49階層に幾筋もの亀裂が生じた。
「うわぁあああああああッ!!」
都市最大派閥たる【ロキ・ファミリア】に足手纏いなどいない。深層にいくともなれば、サポーターであっても最低Lv.2の上級冒険者達だ。オラリオの半数以上がLv.1という事を鑑みれば、非常に贅沢な人員だった。
しかし、そんな贅沢な人員も『バロール』からすれば大半は烏合の衆に過ぎない。攻撃範囲外にいたものでさえ、弱者は『バロール』の衝撃に耐えられず吹き飛ばされる。
「くっ!」
それを避けたとはいえ間近にいた七海には、数多の裂傷ができていた。『バロール』の斧が地面に衝突した時に生じた土塊に当たったのだ。
それだけで第一級冒険者並みの『耐久』を誇る七海に傷をつけた。これが【
七海はダンジョンでは使い道がないはずの腕時計を見る。
「2分経過……これ以上の時間稼ぎは厳しいですが、やるしかないでしょう」
その間、七海以外の【ロキ・ファミリア】の者たちも大量のモンスターに攻められている。
彼らの後ろに
七海は眼前の敵を見据える。
反撃なしの、弱者による泥臭い時間稼ぎが始まった。
『バロール』の斧による斬り上げを躱し、脚による踏みつけを躱し、巨腕の振り払いを躱し、突進を躱し、魔力砲撃を躱し―――
躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し躱し
七海は傷だらけになった。一度も攻撃を貰って無いとはいえ、風圧、衝撃や土塊などの副次的攻撃は防げなかったのだ。
それでも、普通の第二級冒険者には無理難題の無理無茶無謀な行為だが、七海は普通の第二級冒険者ではない。
しかしそれも、死が刻一刻と迫ってくるだけの時間稼ぎに過ぎない。他の第一級冒険者も、モンスターの大群を掃討するのに忙しく援軍は当分来ない。
七海の生存は絶望的―――
「ふぅ………5分経過」
―――突如、七海の『呪力』がありえないほどに膨張した!
「ッ!!?」
階層主『バロール』は困惑した。
いきなり、逃げるだけのコバエが竜に化けたかのような『錯覚』を覚えたからだ。
「言語が分からないあなたに言っても無駄でしょうが、今までは『縛り』で低い呪力量と出力で戦っていました。ここからは全力でいきます」
七海の『縛り』。
それは時間による『縛り』。5分間、逃走せず制限された『呪力』だけで耐えられたらその後、通常の120%の呪力量と出力を発揮できるというもの。
傷は既に、反転術式で治している。体力以外は万全の状態だ。
―――今の私は通常でも五条さん以上の呪力量を保有する。加えて虎杖くん以上の身体能力、これに私の『術式』を組み合わせれば……
自身の武器を納め、七海はネクタイを解き、拳に巻く。
そしてゆっくりと腰を落とし―――
「ふッッ!」
疾駆する!
疾風の如く、不毛の大地を駆け抜ける。今の七海は、Lv.6に勝るとも劣らない程に速い!
『バロール』は迎え打とうと拳を振るうが、敢えなくそれは空を切る。
そして七海は、遂に『術式』を解禁する。
「ふんッ!」
ズバッ! 何の抵抗もなく、バロールの脚が破壊された。
数巡、目を疑う。
次いで、途方もない痛みが『バロール』を襲う!
「グァアアアアアアアアッ!?」
痛みで悶絶しているモンスターなど、七海からしてみれば大きい的でしかない。
もう一度、拳を振るう。次は斧を持っていない方の腕が破壊された。
絶叫、いやそれは泣き声にも似た慟哭を上げる『バロール』。
遠くからそれを見ていたラウルは驚愕した。
「な……ッ! 『バロール』の硬く断ちにくい肉体を、あんな簡単にッ」
「それが、ナナミの『術式』だからね」
七海の『術式』――【十劃呪法】。対象の長さを線分した時に、7:3の比率の点に強制的に弱点を作り出す術式。
主神のロキからは「下界でもそうそう拝めん『未知』や!
しかし、そんな七海でも『バロール』の中で最も強固な部位、魔石が埋まった胸部を破壊することは至難だ。
それに『バロール』は自己再生能力持ち。時間をかければ魔力を消費して傷を治すことが出来る。
ならばどうするか?
「出すしかない。ここで、今――黒閃を」
回復も何もさせずに、一撃で殺す。
黒閃とは、打撃との誤差0.000001秒以内に呪力が衝突した瞬間、呪力が黒く光る現象のこと。威力は平均で通常時の2.5乗。
七海は『スキル』――【
実を言うと、この『スキル』は『バロール』の攻撃を躱す時に何度も使われていたが、本来は攻撃を避けるための『スキル』ではない。
加速した世界で、七海は集中する。
黒閃を、狙って出せる術師は存在しない。
―――それは違う世界の話だ。
ここは七海が前にいた世界とは違う。神がいる。モンスターがいる。なのに呪霊はいないし、呪力を持った人間も七海しかいない。
全てが七海の常識と異なる。ならば前の世界の常識は、この世界の常識ではない。
ならば出来るはず。そうやって、七海は『バロール』へと拳を繰り出す。
階層主『バロール』の胴が弾け飛び、ゴロンと大きい魔石と斧の破片がドロップする。
「はぁッ……はぁッ……はぁぁ」
類稀な頭脳の持ち主、【ロキ・ファミリア】団長フィン・ディムナは気づいていた。
階層主『バロール』の天敵が、七海であることを。
そうしてこの戦場で、一つの戦いに決着がついた。
◾️
―――こんな噂がある。
第一級冒険者を倒せる第二級冒険者がいるらしい。それは【ロキ・ファミリア】の団員のようだ。
―――噂では、そいつは【
嘘だ、嘘だッ、嘘だッ! 冒険者たちはその噂を否定し、笑う。
そんなものに騙されるのは新米冒険者だけだ!
ベテランは第一級冒険者の出鱈目さをよく知っている。だから、そんなデマには騙されない、と。
「か、階層主に、1人で勝っちゃったっス……」
―――しかし、【ロキ・ファミリア】の団員は知っている。
それは「大人オブ大人のあの人!」とか「きっっっびしいあの人だよね!」とか「そんなの一人に決まってるっス!」とか……
その噂に一切の疑問を持たずに、言い触らさないだけで、内心皆こう答えている。
『ナナミさん!』
七海健人。二つ名、【
下界でも特級の『未知』である、異世界からやってきた転移者だ。
あまりにも七海さんが好きすぎて書いてしまった、反省はしていない。