七海建人は暇がない   作:七海さんの腕時計が欲しい

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地上

 

 

「ふぅぅぅ……………」

 

 

 長い、長いため息。

 幸せが逃げるのではなく、幸せが猛ダッシュで逃走するかのような長く大きいため息だ。

 

 そんなこの世で一番眉間に皺の寄ったような硬い表情をしているのは誰あろう、七海である。

 

 

「ご注文の品です」

「ありがとうございます。リオンさん」

「いえ、仕事なので」

 

 

 七海は再び、『豊穣の女主人』へ来店していた。それも『遠征』明けの次の日の昼間からである。

 

 昼はお酒を出さない普通の飲食店として営業している『豊穣の女主人』。しかし、夜と変わらず料理は美味い。

 七海はお気に入りのサンドイッチを黙々と食べる。

 

 客も今は七海しかおらず、あまりにも知り合いが不機嫌そうなので堪らずリューは口を開いた。

 

 

「今日はいつもよりも表情が険しい。何かあったのですか?」

「大したことでは……と、言っても説得力がありませんね。端的に言うと、『遠征』で大赤字を出しました」

 

 

 七海の話は、今回の『遠征』で部外者に語ってもいい部分だけを抜き出した曖昧な話だったが、言いたいことは本当だ。つまり、大赤字を出してしまったということ。

 

 七海は【ロキ・ファミリア】の財務を担当している。彼は『遠征』から帰ったその日に凡その費用と収益を算出し、絶望した。

 一番損害の大きかった出来事は、やはり『新種のモンスター』による酸のような攻撃で被った被害。武器は勿論、ファミリアの備品(キャンプ道具、調理器具、ポーション類など)のほぼ全てが壊された。それを再び買い直すとなると、まず今の財政では不可能。

 

 あの『新種のモンスター』の攻撃で、七海も愛用していたミスリル製の片手斧を破壊された。長年七海の呪力に浸されていたそれは呪具となり、重宝していたものだがドロドロのグズグズに溶けた。もう修理がどうとかできない、ただのミスリルの塊である。

 組織は大赤字、個人としてもほぼ全員が赤字になった最悪の『遠征』であったと七海は思う。

 

 次の武器は、『バロール』からドロップしたあのアイテムを使って作ろうと考えているが、まだ構想の段階。金が無いので、今は回す首がないのである。

 

 

「……大変だったのですね。今回の『遠征』は」

「そうですね。ですが、どちらかといえば後始末の方が大変です。今も団員総出で方々から金を集めているでしょう」

「あなたはいいのですか? こんなにもゆっくりしていて」

「私の分は昨日、既に売り払いました。ですから今日はお休みです」

 

 

 仕事の早い男である。

 

 七海とリューはその後も雑談をしながら、サンドイッチを食べ終えた後は『黄昏の館(ホーム)』へ戻った。

 

 その頃には眉間の皺がすっかり取れていた。

 

 

 

◾️

 

 

 

「そんじゃあ皆、ダンジョン『遠征』ご苦労さん!」

『乾杯ぃッ!!!』

 

 

 カァーン! 木製の盃をぶつける音が鳴り響く。

 

 それは【ロキ・ファミリア】の宴会。

 懇意にしている『豊穣の女主人』の席の多くを予約し、ギリギリ団員全員を収容できている。

 

 因みに、この大宴会を店員たちは嫌っている。「仕事が忙しくなるニャんて最悪ニャー!」と、どこぞの猫人(キャットピープル)が嘆いているらしい。店員だろ、お前。

 

 

「ナナミさん! 自分がお酒お注ぎするっス!」

「ありがとうございます、ラウルくん」

「あ、ラウル先輩ズルい! 俺がナナミさんの隣座りたかったのにぃ!」

「はぁ゛?! ナナミさんだって男に寄り付かれるよりも女の子が隣にいた方がいいでしょ! ってことでナナミさん、隣に行ってもいいですかぁ〜♡」

 

 

 ただでさえいつも喧しい酒場が、今日はそれ以上に騒々しかった。【ロキ・ファミリア】が原因である。

 

 酒場にいた客は彼らに畏怖を、あるいは憧憬を向け、いつもより少し音量を小さくして酒を飲み話す。誰でも、モンスターよりも怪物(モンスター)している化物達に目をつけられたく無いのだ。

 

 そして、そんな些細なことを【ロキ・ファミリア】は気にしない。慣れているから、平常運転である。

 中年小人(フィン)恋盲目蛇少女(ティオネ)に貞操的な意味で喰われそうになるのも、禁断妖精(レフィーヤ)天然少女(アイズ)に百合の花を咲かせているのも、高貴妖精(リヴェリア)変態親父女神(ロキ)にセクハラされそうになるのも、全て日常(いつも)のことだ。

 

 …………【ロキ・ファミリア】は非常に愉快な集団である。

 

 その中でも七海は、自分の好物であるアヒージョと酒をゆっくりと嗜む。あまりどんちゃん騒ぎが好きではない七海だが、こういう場には必ず出席する。生来の生真面目が現れているのだろう。

 

 

「そういえば、ナナミさんって本当に強かったんですね! 僕、まだファミリアに入って日が浅いので知りませんでした!」

 

 

 そこに、新人冒険者が頑張って七海へ声をかける。

 

 生真面目以外にも、実は後輩と親しくなる機会とも考えているのかもしれないが、彼の真意は不明だ。

 

 七海はまだ子供である新人冒険者に視線を寄せる。

 

 

「ありがとうございます。ですが、大したことはありません。君は今いくつですか?」

「え、じゅ、14です! 『学区』で昔から冒険者を目指してて、今はLv.2です!」

「そうですか。私は27歳で『神の恩恵(ファルナ)』を授かり、冒険者になりました。今から9年程前のことです」

 

 

 七海の年齢を知らなかった新人冒険者は瞠目した。

 

 ―――それより、え……! 27歳で冒険者になった!? それって……

 

 

「遅い、と思ったでしょう?」

「え、いや!! ……は、はい。思いました」

「素直なのは美徳です。そう、私は他の人よりもスタートが遅れました。それでも、堅実に努力を重ねてここまでやって来れました」

 

 

 七海は淡々と語る。子供が間違った道に進まないよう、慎重に言葉を選びながら。

 

 

「それを考えれば、若くして自分の人生を決めている君は私よりもすごい、と思います。だから上を見て焦るのではなく、今は自分を大事に育てなさい」

 

「君は若い。時間はたっぷりある。ゆっくり着実に育てば、君はいつか私を超えるでしょう」

 

「あと、子供がお酒を飲んではいけません」

 

 

 そう言って、新人冒険者が持っていた酒を取り上げて話を締める。

 

 

「ナナミ! お主もこっちに来い! 久しぶりに飲み勝負じゃあ!」

「そりゃええな〜。ナナミィ〜ハリーアップ!」

「……呼ばれているようなので席を移ります。それでは」

 

 

 席を立った七海は、ガレスとロキのいるテーブルに移動する。この3人が【ロキ・ファミリア】の『酒豪三人衆』であることを知る者は少ない。

 

 一方、七海が移ったテーブルでは団員達が身体を震わせていた。

 

 

「くぅぅ……カッコいいっス。ナナミさん!」

「マジで俺、将来はあんな大人(ヒト)になりてぇ……」

「ぁぁ……いい男過ぎて、腰が抜けちゃった」

「僕、皆さんがナナミさんのことを『大人オブ大人』って言ってた理由、わかった気がします……」

 

 

 どうやら感動で震えていただけのようだ。

 

 オラリオではいまいちパッとしない評価の七海は、【ロキ・ファミリア】では不動の人気を誇る理由がこういう振る舞いにあるのかもしれない。

 

 なお新人冒険者は次の日、一人称を「私」に変えて仲間(パーティー)から爆笑されるという黒歴史ができるが………それは蛇足だろう。

 

 

 

 宴会の様相も時間が経てば随分と変わってくる。

 

 いつも冷静で隙のないフィンは赤ら顔で酔っており、少しだけ隙のあるその格好は恋するアマゾネスの少女を熱く滾らせている。

 

 強くなること以外は基本的に興味がないアイズも場の雰囲気に当てられ、いつもよりも表情が柔らかく、それを見つめる百合の花を咲かせる妖精は恍惚とした表情だ。

 

 そしてお酒に強い七海も飲み過ぎでほろ酔いになっており、シャツを着崩した影響で偶に見える鎖骨に目をハートマークにしてガン見している者もいる。

 

 場が暖まってきた、そんな時だ。

 

 

「おーいアイズ! あの話をしてやれよ!」

 

 

 酔っ払ったベートは店中に聞こえる大声でアイズを呼ぶ。

 なんだろう、と思ったアイズは素直に「あの話……?」と聞き返した。アイズとしては、本当に何の話かわからなかったのだ。

 

 後にアイズは、聴かなければよかったと後悔する。

 

 

「アレだよォ! 馬鹿みてェにミノタウロスが上がっていって、そんで5階層で襲われてたあのトマト野郎ォ!」

 

 

 ―――やめて。

 

 

「傑作だったぜ? 男の癖にギャンギャン泣き叫びやがってよォ〜、鬱陶しいったらねェぜ」

 

 

 ―――あの子を……幸せな追憶(ユメ)を見せてくれた、白いあの子を馬鹿にしないで。

 

 

「それでよォ〜……ウチのお姫様、助けたその雑魚に怯えられて逃げられたんだぜ!? ギャッハハハハハハッ!!」

「それはオモロイなぁ〜! 冒険者怖がらせてまうアイズたん、マジ萌えー!」

「ふ、フフフ……ごめんなさいアイズ。ちょっと堪えられない」

 

 

 アイズの心の叫びは虚しく、その場の誰にも伝わらなかった。

 酔った者達は正常な思考ができず、それが普段はどれだけつまらなくても今は何でも楽しめてしまうのだ。

 

 しかし、酔っていない者にはその言葉が不愉快だった。

 

 

「いい加減、その口を閉じろ。ベート」

「ぁあ゛? なんだよリヴェリア」

「アレは我々の不手際だ。それを酒の肴にして笑っているお前達も、少し頭を冷やして反省しろ」

 

 

 しーん……静まり返る酒場。

 

 リヴェリア(ママ)の正論に少し真面な思考ができるようになった冒険者達は、今の自分たちの姿が都市最大派閥の振る舞いではないと自制しようとした。だが、ベートにそんなことは関係ない。

 

 元より、彼は弱い者が大嫌いだからだ。

 

 白熱する舌戦――酔っ払いと素面の見る価値なしの論争――は両者譲らずに、そのままベートは吐き捨てるようにして言った。

 

 

「ハッ、雑魚じゃあアイズ・ヴァレンシュタインに釣りあわねェ」

 

 

 ダッ! 店から飛び出すようにして白髪の少年が出ていった。

 アイズはその少年が件の人物と気づき、酒場の外に出る。

 

 酒場内は少し異様な空気になっていた。

 無銭飲食をした少年を笑う者、酔いすぎて調子に乗った気まずい者、雰囲気に呑まれている者、そして無関心とその様相は多様だ。

 

 そこにガタッと、席を立つ音がした。七海だ。

 

 七海は席を立ち、ベートの方へ歩み寄る。

 

 喧嘩か!? と、七海の生真面目さを知る者たちはいつでも止められるように構える。

 

 

「あ? ンだよインテリ眼鏡」

「……ベートくん、君は酔いすぎです。冷静になって、自分の発言を反省してください」

 

 

 そう言って七海は、手に持っていた()()()をベートの口に押し込んだ。「うおっ!?」とベートは驚き、吐き出そうとして手で押さえ込まれているため吐き出せず、その何かを飲まされた。

 

 瞬間、ベートの酒で混濁していた意識が復活する。つまり、素面になった。

 

 

「【ディアンケヒト・ファミリア】で買った最高級の酔い覚まし薬です。一錠で10,000ヴァリスする贅沢品ですよ」

 

 

 七海の声はベートの脳にはただの雑音として処理され、彼にははっきりと認識できていない。

 そんなことがどうでもいいほど、先ほどまでの自分の言葉が脳内で錯綜しているからだ。

 

 

『アイズゥ〜、テメェはあの雑魚と俺、どっちにメチャクチャにされてェんだ?』

『ハッ! 俺は強い女にしか興味ねェんだよ! アイズとかなァ!』

『あの雑魚と俺、番にするならお前はどっちを選ぶんだァ!?』

 

 

「ぁぁぁぁああああああああああッッ!?!?」

 

 

 ―――俺、アイズに告白してねェか!?

 

 ベートは死にも決して劣らない程の羞恥を覚えた!

 いや、ベートにとっては死んだ方がマシの恥辱ですらあるソレは、ベートから余裕と冷静さを奪い去り、彼を赤面するだけのムッツリ狼へと変えてしまう!

 

 

「さて、自分の言動が理解できましたか? ……それではアイズさん、先ほどベートくんが熱烈な告白をしましたが、貴女の返答を彼に聞かせてあげてください」

「ちょッ! や、やめろぉぉッ!!」

 

「……そんなこと言うベートさんとは、ごめんです」

「ガァアアアアアアアアアアッ!?」

 

「ベートざまぁああああああああッ!!」

「ふっ、いい薬だ」

 

 

 床に膝をつく狼! それを嘲笑う神! 無様だと笑う妖精! 周りもニヤニヤと赤面狼を笑っている!

 

 この場は完全に、ベートを弄る雰囲気にチェンジした。

 

 視線が可哀想なベート(いじられキャラ)に寄せられてから、目立たないように移動した七海はアイズに近づいた。

 

 

「先ほど酒場を出た少年は、貴女の知り合いだったんですか?」

「知り合いじゃなくて、さっき……ベートさんが馬鹿にしてた、冒険者の男の子」

「……なるほど、分かりました。その冒険者には私が対応します。君は引き続き、宴会を楽しみなさい」

「え……いや、私が追いかけた方が」

「ミノタウロスの件は我々の不手際です。そして尻拭いは大人の役目、気にしないでください。その冒険者はどちらへ行きましたか?」

「……あっち」

 

 

 示された先は、ダンジョンへ向かう方角。まだ未成熟な子供なら、馬鹿にされて自棄になって、自身を突き動かす衝動のままダンジョンへ行くことはあり得る。

 

 そう考えた七海は、危険な夜のダンジョンへと走る。

 

 

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