知らない間にGI7個獲ったことにされてた馬 作:タケノコランバス
特に何かあった訳ではないけど投下。
3/24 追記
本作で登場するエイジの主戦騎手の来歴に、若干手を入れました。
今話内にて当人のデビュー戦と描写したレースは、8月開催のものと考慮して描写していたのですが、一般的に中央騎手のデビューは競馬学校卒業後の3月頭とされていたためです。
どうやら、本番はすぐそこまで迫っているらしい。
騎手を乗せての運動量が目に見えて増加した様から、元人間のサラブレッド──もとい、今はチェンジオブエイジという名を授かっている彼はそう悟っていた。
(色々あったが、まあ順調だろう)
近況を振り返ったエイジはそう総括する。それは、苦慮していた騎手との連携が改善されてきていることに起因していた。
(あれから大分好き勝手させてくれるようになった、ならば)
噛まされた金具による制動、たまに臀部へ響く衝撃──。そういった邪魔が入ることは、最近になってめっきり無くなった。誰かに入れ知恵されたのか、自分の苦戦ぶりに配慮してくれたのかは察せなかったが、こちらにとってやりやすいことは確かだ。
(ずっと前に立って、ずっと自分のペースでやる)
人と違って、何をしでかしてくるか分からない動物──今は同族だが──に囲まれて走ることを嫌った彼は、先頭で調子を崩さず走ることを企んでいた。
タイムトライアル的なその考え──これを逃げという戦術を指すことをエイジは知らない──を実行する者は、見聞きするには少数派らしい。ならば邪魔が入ることも少ないだろうと、そんな打算も含まれていた故の決断だ。
(もう一度死ぬのは御免だからな、やれるところまでやってやる)
ある日、大型車に乗せられて連れて行かれた先は、なにやら人が多く入った場所だった。
紐に引かれながら一回りしているそこは、こじんまりとしたトラックコースのようにも見える。
「あの馬は──が──」
「──の張り具合が──」
そう柵の向こうで呟く人々は、どうやら自分たちを品定めしているようだ。
賭け事だからだろう、そこそこにギラついた視線を意識へ入れないよう努めつつ、引かれるままに歩き続ける。
馬の肉体で出せる力は、ここしばらくの間に掴んでいる。距離は聞いていないが、一周回る程度であれば走り切るだけの自信はある。
(先頭で走る先頭で走る先頭で走る)
妄執に等しい復唱を脳内で紡ぎながら、確かめるように足元を見やった。
「じゃあ調教のときと同じでいいんだな?」
「ああ、負けたら責任は取ってやる」
舞台は小倉競馬場。控え室にて体重確認を終えた騎手の言葉に、調教師は頷く。
馬の機嫌のまま先頭を行かせる──。それが、今までのエイジの気性を推し量った上での戦術。今より走るのが1200mの短距離走であることも手伝い、逃げの一手を打つことはすんなりと決まっていた。
緊張からか頭を掻く騎手へ、調教師は表情を崩さないながらも懐かしい感情に浸る。
(俺のときはほろ苦く終わったが、お前はどうかな)
息子の初陣を前に、自身のそれを思い返してしまうのは親心というものなのだろうか。
しかし、間もなく彼はかき消すように首を振った。既に息子は競馬学校の卒業から間も無く負傷を強いられており、同期からかなり出遅れてのデビューとなっていたからだ。
(始めがどうであろうと、糧にして飛んでいけ。お前たちには、それができるはずだ)
出走するだけでも、人馬ともに狭き門だ。その上で一勝を求めることすら一握りというのだから、競馬界は残酷と呼んで差し支えない。しかし彼らなら、という思いは確かにあった。
「まずは無事に帰ってこい。それが出来て初めて、騎手として一人前だ」
「……ああ」
忙しない様子で頷く騎手は、間もなくかかった騎乗合図とともに控え室を出て行った。
一礼ののちエイジのもとへ向かう彼の背を、調教師はただ目に焼き付けていた。
(……これ何の時間?)
トラックコースらしき芝の上へ連れられたエイジは、ゲートの前で輪を描くように歩んでいた。周りの馬がやっていた手前合わせていたものの、はっきり言って退屈だった。
(まだ始まらないの? アレに入ってスタートするんでしょ?)
鉄製の仕切りのようにも見えるゲートを時々見やりながら、内心で愚痴をこぼしていた。
少し前に発走の練習らしき作業をさせられたそれは、スタート地点であることに違いない。
(上の人も変だしなぁ)
ついでに言えば、騎手たる人間にも若干不安があった。
ヘルメットなりゴーグルなりを着けているが、今まで乗ってきた者と同一人物ではあろう。ただし、どうにも雰囲気が硬いし、ブツブツと独り言までこぼされている。
「馬なり、馬なり、馬なり……」
うわ言のように呟く鞍上に、エイジが怪訝な視線を送っていたところで、ようやくスタートのときはやってきた。
ゲートに入る場所は個別で決められているらしく、何者かに引っ張られながら『8』と記された枠へ収められると、いよいよ空気感が変わったのが察せられた。
「──がっ」
頭上から聞こえたぐぐもった声とともに、エイジのレースは始まった。
タイミングを知っていた訳ではなかった。しかし開いたゲートに合わせドンピシャで飛び出すことができた彼は、これ幸いとターフをただ駆けていく。
(誰も来ない? なら)
振り向かずとも後ろを覗ける視界の広さ故に、若干のリードをもって先頭に立てていることは察せられた。
順調、と言うには拍子抜けするほどの滑り出しだ。
(逃げ延びてやる、追いつかれるまで)
注意を前面に絞ると、ギアをひとつ上げる。
その後1分、誰1頭も視界に映ることはなかった。
「馬なりで放置、馬なりで放置、馬なりで放置──!」
逡巡する心を収めるように、父から預かった言葉を繰り返す。
スタートで合図を送って以来、微動だにせず跨がるのみだった新米ジョッキーは、内心でこの状況を呪っていた。
負ければ責任は自分が取る、とも言い添えられていたが、彼には気休めになっていなかった。
結局、レースをするのは現場のジョッキーたちだ。敗れた際に他者の指示をどうこうとのたまおうとも、なぜ翻さなかったのか、と叩かれるのが落ちである。
特に馬なりとは、一見して何もしていないように映るスタイルだ。それを貫いて負けたとなれば、心証は推して知るべしである。
(だが、鞭を使えばどうなるかも分からん)
一方で、自分にはそれしか選択肢がないのは確かだ。この馬の気性は自分も知るところであり、追い鞭を行った際に数分も微動だにしなくなったのはよく覚えている。
それでも、スパートも何もかもを馬に任せて待つ、というのは非常にストレスのかかる状況だ。
(あの人の捻くれぶりも、存外笑えないな)
かつてグランプリホース・メジロライアンを駆った先輩の顔を浮かべ内心で苦笑していると、1200mの旅路は最終直線を迎えていた。
背後から鞭を振り回す音が耳に届き、同時にプレッシャーがのし掛かる。
「何もするな、何もするな、何もするな」
そう繰り返しながらも、鞭を握る右腕がわずかに手綱から浮いてしまうのは未熟故か。しかし新米ジョッキーは間もなく、この馬の真髄を目の当たりにすることとなる。
「ん? おい、こりゃあ──!」
視界の隅の景色が、目に見えて素早く流れていく。それがスパートを意味していたことは、今の今まで逃げを打っていると自認していた彼には驚きをもって受け止められた。
『なんとそのまま逃げ切った! 8番チェンジオブエイジ、ゴールイン!』
アナウンスの最中、目に入ったゴール板にも構わず、この馬の世界に浸っていた彼。
騎手としては落第以下の振る舞いだったが、客観視するだけの平常心は残されていなかった。
「──ぉおい、待て待て」
レースが終わっても未だ速力が衰えないエイジに、慌てて手綱を絞ってみれば、驚くほどすぐに止まってしまった。
「止まるな、流せ」
後続の手前、停止までは望んでいなかった騎手が首元をポンポンとはたいてみれば、これまたすぐに走行を再開してくれた。
(勝った、のか)
ここに来て一息つくと、目の前の事実を認識し直した騎手。
人馬ともに一度しかない初戦を勝利という形で終えたことは最善と言えただろうが、嬉しさとは別の感情が胸中を占めていた。
(俺は何もしていなかった、それであれか)
ただ乗っていて逃げ切っただけならば、馬なりという我慢を通した自分を褒めることもできよう。しかし鞍上で見せつけられたエイジの強みは、明らかに自らの手を完全に離れたものだ。
「……とんでもない馬に当たっちまったな、こりゃ」
オープン、重賞と勝ち上がっていく当馬の姿を幻視し、思わず騎手はそう洩らしてしまう。
名だたるトップジョッキーたちには、もれなく運命の出会いが存在していたというが、無論それに最初から当たるとは思ってもいない。怪我で出遅れた分、と考えるにはあまりにも大きすぎるこの体験を、畏怖にも似た興奮を覚えながら受け止めるほかなかった。
祝・初出走、祝・初勝利!
投稿順に(つまりウマ娘編→競走馬編を交互に)読んでも成立するように、と考えるあまりスローペースになる今日この頃。
しれっとウマ娘編1話の、エイジのレース展開を改変してます。まだ執筆開始時には逃げウマ娘にする、と考えてなかったので。