エルフ転生(仮題) 作:naruto
魔族という名の毒虫を、私はひどく憎んでいた。もともと私がエルフの集落に流れ着くきっかけというものが、魔族にある。両親を目の前で惨たらしく殺されたのだ。
あの日は、確か母が必要だという素材を家族で探していた。両親ともエルフで、父は戦士、母は魔法使いだった。その時、魔族は、茂みから不意に現れて父の頸に齧りつき、口の端から血を零しながら、子供の無邪気さと大人の醜悪さを足し合わせたような笑みを私に向けた。その直後に、母の行使した魔法の余波に体を飛ばされ、意識を失った。気が付いた時には、もうすべて手遅れだったのだ。
魔力の粒子となって消え行く魔族と、身体の半分を失って見る影もない母、目を見開いたまま動かなくなった父。
私には戦いの才能はなく、魔族への復讐こそ考えなかった。それでも、魔族への恨みの程は集落でも随一だった。
「嫌な夢を見たなぁ」
久々に両親が死んだときの夢を見てしまった。
何が嫌って、愛しの父母と同じくらいに、あの時の魔族の笑みが頭から離れないのだ。一生解放されないのかもね。
横穴式に土を掘って作った私の家を出て、集落の人間と時折雑談を交わして、川の方へ出る。今朝も小鳥の鳴き声が綺麗だった。
川は澄んで、冷たい。私がいつも座っている岩に、持って来た布を敷いて、パンの入ったバスケットを陰に置く。メークリヒを取り出して、魔力を微弱に、細心の注意を払って注ぐ。いつからか綺麗な音色を出せるようにはなった。ただ、一つの音を鳴らすにも時間がかかって、演奏するにはまだ時間が足りない。音階練習をしてから、短い曲をゆっくりとした速度で練習する。
一通り鳴らし終えると、
「だいぶうまくなったね、クレーエ」
「? フリーレン? こんなところで何しているの?」
「別に何も。ただ、その音がしていたから」
フリーレンも鳴らしてみる? そんな意味を込めてメークリヒを差し出すと、フリーレンは小さく首を横に振った。
「私はあまり興味がないから。聴かせたい相手もいないし」
「私もいないよ? あ、でも、死んだ後に女神さまに聴いてもらって、恥ずかしくないようなものがいいな」
「女神ね」
「あ、今馬鹿にしたでしょ!」
「馬鹿にはしていないよ……私は信じていないけれど」
「まあ、信仰心を押し付けるような事はしないよ…………じゃあ、フリーレンがいつか私の演奏を聞いてね」
なぜだかフリーレンは戸惑った。その理由が私にはわからなかったが、詳しく聞いてもいけない気がして、川に近くに落ちていた葉っぱを落とす。岩に激しく叩きつけられて渦を巻くそこに落ちて、しばらく藻掻くように暴れて、何かのはずみで流されていった。
「そうだ。私は少し出かけるから」
「どこに行くの?」
「大した用事ではないんだけれどね、魔法の研究に使う素材を……」
フリーレンは途中で言葉を中断して、私を見て、安心したように息を吐いた。
「とにかく行ってくるから」
「う、うん……行ってらっしゃい。気を付けてね」
フリーレンを見送ってから首をひねる。しばらく考えてからようやく、私に気を使ったのだと気が付いた。集落の皆は、私が両親を失ったその時の状況を知っている。当然フリーレンも知っていて、素材採集に行くというのを失言のように感じたのだ。今更そんなことで傷つくことは無い。
「むしろ、フリーレンにそんな気遣いみたいなことが出来たとは……」
驚きの感情の方が勝った。
昼時になれば持って来たパンを食べる。
いつの間にやら近くに降り立って、こちらを物欲しそうに見つめる小鳥に、一欠けら分ける。と、どこからかそれを見ていたらしい、何羽もの小鳥が集まってきて、結局三分の一ほどやることになった。お礼を言っているのか、ちょろいもんだぜと馬鹿にしているのか、騒がしく泣き喚きながらパンをつつく小鳥たちに、笑ってしまう。
この集落にやってきて本当に良かった。
日が山の向こうに隠れ始めたので、集落の方へ戻る。煮炊きの煙がそこら中に立ち上っていて、団欒の声が響く。食材の香りが複数混ざって寧ろ不快感になりそうな、独特のにおいが好きだった。これだけ多くの幸福にあふれている景色は、人間の里の方が規模が大きいと知っていても、他にないのだと思える。
ここは私の故郷だ。生まれた場所ではなくても、ここが私の本当の故郷だと誓って言えた。
夜になって集落に灯される火が、この集落にしかない色をしていた。特別な火ではないし、特別な燃料でもない。それでも、私が以前訪れた事のある人間の里や、あるかもしれない他のエルフの集落の見たことのない火の色とも違うのだ。帰るべきふるさとに灯る光は、魂に届く。その火影の蠢きすらも、私には愛おしかった。
「……?」
強大な魔力を感じた。フリーレン? それにしては、何か違って。
他のエルフたちも不審がって家々から出てきて。
急速に近づいてくるそれに、近づいてくるその方角を向いた。何かが見えた。
「クレーエ……?」
寝返りを打った。いつのまに寝ていたのか分からない。やけに寒くて、何か布でもないかと寝返りを打ち手を伸ばした。その手が握られて、熱くて振りほどこうとしても、力が入らない。
「な…………」
なにが起きたんだろう。今は朝か昼か。ゆっくりと目を開けると、フリーレンの顔が目に入ってきた。
「フリーレン? どうかしたの?」
「クレーエ。喋るな。私がどうにかするから」
「フリーレン? 何を言っているの? 何があったんだっけ……」
頭がやけに重い。重石を乗せられたみたいだ。首が強烈に痛んで、身体がはねた。何かが零れ落ちるような音がして、フリーレンの喉が音を出す。状況がとことんわからなかった。
「あ……きれいだよ、みて、フリーレン。火がいっぱい……でも、なんで?」
いたるところに焚火があった。何か祭りでもしているみたいで、綺麗だ。
フリーレンは何も喋らなかった。
徐々に頭が回るようになった。フリーレンは素材を取りに行ったのではなかったか。それを見送って、私はメークリヒの練習を続けた。それから集落に戻って、確か強大な魔力を感じて。
「あっ……魔族…………!」
魔族が襲撃してきたんだ。私は、そんなに強くないけれど、それでも死力を尽くして抵抗して。
「もう殺した」
「そうなの……? フリーレンが、やってくれたの?」
「うん」
「良かった……じゃあ、安心だね」
「……うん」
それならと体を起こそうとして、私の腕がない事に気が付いた。左手は肩から抉れるようにして無くなっていて、右腕は前腕の半あたりからない。起き上がろうとした際に断面が地面と擦れて、感じたことのない痛みが走った。溶けた鉄を血管に流し込まれたみたいで、脳が爆ぜた。鼻の奥が響いて、目からは何かが溢れて。
「ゕ。ぁ……」
思い切り叫び声をあげたつもりなのに、掠れるような音が生じただけだった。何かがおかしいと、首だけ擡げてみると、私の左腹部に大きな穴が開いてそこから鮮やかな色が零れている。淡い色をした臓器と、強烈な赤。鮮血という言葉がまさに相応しい、見事な色彩だった。それに加えて、どこの何かは分からない、どす黒く濁ったものが、他の鮮やかな色を引き立てていて美しい。わずかに黄み掛かった脂肪と、大腸内にあったらしい便のようなものが零れているのを、恥ずかしいと思った。
「あー……死んだねこれ」
もうすぐ死ぬのだと思えば、痛みが消えた。徐々に脳の奥から麻痺していく。それが快感に変わって、断面の痛覚が消失。今際の際では視界が霞むものだとなんとなく思っていたのが、逆だった。
フリーレンの溢れる魔力は極彩色に輝いて、集落中の火の中の、小さな粒が煌めくのが良く見えた。フリーレンの髪の一本一本が、それぞれ光を反射して、ハッキリと区別できる。代わりに音ばかりが、だんだん遠のいて、ついには何も聞こえなくなった。途端に瞼も重くなって、脳の奥で暴力的な快感が広がった。熱を持って、溶けだしているみたいだ。飴を溶かしているみたいだった。
「――――――――」
フリーレンが何かを言った。悲痛そうな、そんな表情は初めて見た。珍しい物を見れたけれど、私からも何かを。
何か言う事はあっただろうか。何か、何か、何か――
「あ、うる……えん……ふくしゅうとか……いい……ら、なが……いき」
案外、死の瞬間というのは苦しくないらしい。痛みは消え、世界は美しく咲いて、大切な友人は涙を流した。
§
「なんでこんなところにいるんだっけ?」
気が付けば、私は一人森の中にいた。よくよく観察してみると、私の住んでいるエルフの集落に他ならない。ただ、僅かな痕跡を残すだけで、まるで数百年もの時が過ぎ去ったみたいだ。そこにあったはずの小屋は影も形も無くなって、例えば私の家のような、土を掘って作っていた家だけが、かつてそこにあったことを知っているものだけが分かる程度に残っていた。
「? 何があったんだっけ? 死んだような気もするんだよね」
不思議なくらいに冷静だと自分では思っているけれど、大声でそんなことを言って周囲を窺う。隠していた動揺や不安が、急に滲む。
「人、人を探そう……」
私は、特にあてもなく、ふらふらとその場から歩き出した。