黄昏の姫と緑の勇者   作:nocomimi

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影の結晶石のこと

薄暗い通路はすぐ突き当たっていた。リンクが手探りすると、どうやらそこも扉になっているようだ。手に力を入れると扉はゴロリと横に動いた。

 

リンクが扉を通り抜けると、それは大きな音を立てて閉まった。あたりを見回すとそこは直径百メートルほどもありそうな広場だった。天井も極めて高い。東西の壁の高い場所には、通気口とおぼしき穴が開いており、その間をつなぐようにロープが渡されている。だがそれ以外の壁はほとんどが自然木の状態のようだ。この部屋そのものが、人手で作られたのではなく、元々巨木の洞であったのかも知れない。なるほど古代の礼拝所としてはふさわしい場所だったのだろう。

 

だが、リンクは前方に目をやると眉をひそめた。部屋の向こう半分ほどが沼になっているが、その水の色が異様なのだ。汚れているといった問題ではなく、毒々しい紫なのだ。リンクはあのフィローネの盆地で見た霧を思い出した。何にせよこの沼には足を踏み入れないほうがよさそうだ。沼の上には二本ほど大きな倒木が浮いており、それぞれの上にあの爆弾虫が顔を覗かせていた。

 

「こりゃまた天晴なほど怪しい場所だな」

 

ミドナが傍らに現れて呟く。

 

「リンク、あの沼からです。恐ろしいほどの魔力を感じます」

 

ゲイルも話しかけてきた。しかし、リンクが何か答えようとする前に、軽い地響きのような振動が床を揺らし始めた。

 

「来るぞ、抜かるなよ」

 

ミドナが言う。リンクは盾を背中から下ろし剣を抜いた。沼のほうを注視していると、水面が泡立ち、波打っている。やがて沼の水面、右と左になにか巨大なものが浮上してきた。

 

水を跳ね上げ飛び出してきたものは、二本のデクババだった。いや、デクババと言っていいのかわからないほど巨大だ。ヘビババよりも、そしてリンクが前に猿を助けるため戦った超巨大デクババよりもさらに大きい。その頭の大きさはゆうに大人ひとりをすっぽり呑み込めるほどだ。その表皮は岩のようにゴツゴツしていて、顎には肉食獣のような牙がいくつも生えていた。茎も、ほとんど茎とは言えないほど太く、しかもおとぎ話のドラゴンの首を思わせるようなうろこ状の葉で覆われている。

 

「ババラント」

 

ゲイルがいかにもおぞましいものを見たという声を上げた。

 

「古代の怪物。影の王がこの神殿を利用して造り上げたのです」

 

リンクは左手の盾をしっかりと構え、剣を握り直した。こんな巨大な化け物相手に果たして剣が通じるのか自信がなかったがそれ以外に方法が思い浮かばなかった。しかも相手は沼の上にいる。こちらから仕掛けるのではなく、攻撃してきたところを斬りつけるしかない。隙のない構えを保ちながらリンクはじりじりと沼のほうに近づいた。だが両方に襲われたら打つ手はない。リンクは左のほうからおびき寄せることにした。沼の手前の左側まで来ると、ババラントの片方はリンクに気づいたようだ。頭をこちらに向けると、鎌首をしならせて襲い掛かってきた。

 

「リンク、よせ!避けろ」

 

ミドナが叫ぶ。リンクは咄嗟に横に飛んだ。ババラントの顎がそれまでいた空間にバクンと噛み付く。リンクはその巨大さに目を見張った。もはや盾や剣で何とかできるレベルでは全くない。ババラントの頭は空振りに戸惑ったのか、少し首を振るとまた元の位置に戻っていった。

 

「いつもの戦い方じゃダメだ!頭を使え頭を!」

 

再びミドナが言った。だが頭を使うといってもどうやって?そう考えた瞬間リンクは閃いた。剣を納めながら壁際まで後退し、ブーメランを取り出しゲイルに話しかけた。

 

「ゲイル、あの爆弾虫を取ってきてくれ」

 

「了解」

 

ブーメランを投げると、それは左手の倒木の上にいた爆弾虫を掬い上げ、リンクのほうに戻ってきた。爆弾虫を受け取ると、リンクは左側のババラントに向かって走り出した。

 

自分が喰われずに爆弾だけを相手に喰わせるなど至難の業だがやるしかない。リンクは沼の際まで到達すると爆弾虫を両手に高く掲げ叫んだ。

 

「化け物、こっちだぞ。餌はここにあるぞ」

 

爆弾が爆発するまではたった数秒しかない。リンクの額に冷や汗が浮かんだ。ババラントの頭は再び反応してきた。こちらを向くとまた鎌首をもたげる。爆発までに間に合うだろうか?リンクは一刻も早く爆弾を放り出したい衝動に駆られた。だがまだだ。

 

次の瞬間ババラントの頭が襲ってきた。リンクは爆弾をトスするように放り上げ横っ飛びに転がる。巨大食人植物の顎がバクンと閉じる。その途端爆発音がした。

 

ババラントの頭は内側は脆いらしい。内部組織を破壊され萎んでいく。リンクは内心快哉を叫んだ。後ろに下がってブーメランを回収すると、今度は右側の個体に向かって走り出す。

 

ブーメランを投げ、倒木の上の爆弾虫を引き寄せる。だが残ったほうのババラントの頭が早くも反応し始めていた。リンクが爆弾虫を受け取った瞬間、鎌首をもたげ襲ってきた。リンクは慌てて爆弾虫を放り出し横に転がった。ババラントの頭はリンクがさっきまでいた地面を大きく削り取った。その傍らで爆弾が爆発する。ババラントはいささかも気にしない様子でまた元の位置に戻った。その頭は外側は頑丈なのだ。

 

リンクは気を取り直して立ち上がると、ブーメランを拾ってやや後退した。相手に攻撃させるのが早すぎても遅すぎても駄目だ。慎重に心の中で時間をはかり、もう一度ブーメランを投げる。戻ってきたブーメランから爆弾を受け止めた瞬間、再び生き残りのババラントに向かってダッシュした。沼の際に立つと、リンクは相手の気を引くため大声を上げながら何度か飛び跳ねた。

 

ババラントは再び鎌首をもたげ攻撃態勢に入った。来る。リンクはもう一度ジャンプすると爆弾虫を軽く上にトスした。着地し、素早く横に逃げようとした瞬間、足が滑る。沼に近づきすぎて地面がぬかるんでいたのだ。超巨大食人植物の頭が迫ってくる。喰われる。リンクは思わず両腕で頭を覆ってうつ伏せになった。

 

リンクの頭上十センチほどを物凄い勢いでババラントの頭が通過したのがわかった。と思うと爆発音がした。顔を上げると、化け物の頭が元の位置に戻っていく。顎の間からは煙が噴き出している。見ていると、巨大食人植物は萎れるようにして沼の水面に倒れ水しぶきをあげると、ブクブクと泡を立てながら沈んでいった。

 

荒い息をつきながらリンクは立ち上がった。倒したのだ。身体についた土を払い、地面に落ちたブーメランを拾う。猿たちの思いにも応えてやることができてうれしかった。

 

「おい待てリンク。油断するのはまだ早いかも知れないぞ」

 

ミドナが声をかけてきた。

 

「その通りです。沼から発する魔力はまだいささかも衰えていません」

 

ゲイルまでがそう言ってくる。リンクは困惑した。魔力がいささかも衰えていないって?じゃあ今度は一体何が出て来るというんだ?

 

その刹那、再び地響きがした。今度はさっきのものより大きい。沼の水面が全体的に泡立ち、波打っている。倒木の上に顔を出していた爆弾虫たちまでもが、怯えたようにコソコソと穴の中に隠れていった。

 

地響きは数秒間続くと突然おさまった。部屋の中に静寂が走る。

 

次の瞬間、沼の水面中央に何かが浮上してきた。

 

水を跳ね上げ顔を出した巨大なそれは、一輪の花のような形をしていた。しかしここまでおぞましい花は想像できないというほど醜い形をしている。茎の根元のほうはまるで巨大な木のような太さで、両生類生物の腹のようにぶよぶよとした皮膚で覆われている。そこから先端までが二十メートルほどの長さ。先端の花弁は三枚に割れた分厚い肉質のもので、その大きさは一枚一枚が牛一頭分くらいはありそうだ。それに加えて、新手の二本の食人植物の頭も左右に浮上して飛び出し、鎌首をもたげてきた。

 

その「花」は蛇のように体をくねらせたかと思うと、茎を曲げて先端の花弁をリンクのほうに向けてきた。花弁が大きく開く。その中には人間の胴体ほどの太さの蕊が一本生えていて、その先には大きな目玉がついていた。そう、目玉だ。

 

その目玉は人の頭ほども大きい。ぎょろりと辺りを見回すと、侵入者を発見したかのようにリンクを見据えた。そして花そのものが激しく体を震わせて吼えた。植物が本当に吼えられるのかはわからないが、それはまるで地獄の底から聞こえてくるような声を発して威嚇してきたのだ。

 

リンクは反射的に盾を構えた。だが、倒したと思ったババラントの頭に新手が現れたうえ、この花は一体何者なんだろう?どうすれば倒せる?リンクは爆弾虫を探して沼の水面に目を走らせた。だが既に倒木そのものが水に沈んでしまったらしく、一匹も見当たらない。

 

盾を構えながらもリンクはじりじりと後退した。だが、「花」の目玉がぴったりとリンクを見据えているのがわかった。

 

右側の頭が首をもたげリンクに迫ってきた。横に飛んで避ける。すると左側の頭が顎を開いて襲い掛かってくる。リンクは後ろに飛びのいて再び避けようとした。だが岩のような食人植物の頭部に当てられ吹き飛ばされた。間一髪で顎の一撃は免れたが、トアル山羊に体当たりされたときの十倍以上の衝撃だ。数メートル後ろの地面に叩きつけられたリンクはそれでもふらつく足で立ち上がった。またババラントの頭たちが鎌首を伸ばして攻撃態勢に入ろうとしている。頭を振って遠のく意識をはっきりさせながら、リンクは部屋の後ろ側に向かって走った。

 

「おい、生きてるか?」

 

ミドナが言った。

 

「何とか」

 

沼の反対側の壁際にもたれかかってリンクが辛うじて答える。あの「花」が現れたことにより、ババラントの頭たちの攻撃が恐ろしいほど正確になった。あの目玉がこちらの姿をはっきりととらえているのだ。

 

爆弾虫はもういない。剣であいつを倒すのは無理だ。一体どうすればいい?

 

その時だった。猿の鳴き声が聞こえる。こんなところにどうして?だがよく耳を澄ますと、普通の猿たちの声より太く、深い声だ。

 

鳴き声が近づく。やがて円筒状の部屋に猿の声が響き渡った。リンクが顔を上げると、右の壁の高所に設けられた通気口から顔を覗かせる者がいる。

 

あのボス猿だ。

 

ボス猿はまた鳴き声を上げると、リンクの方を向いて、左手に持った何かを差し上げた。目をこらすと、爆弾虫の足を器用に束ねて逆さに吊り下げている。彼は再び声を上げると、今度は両足でその爆弾虫の足をつかみ、手で反対側の通気口とつながったロープにぶら下がった。リンクを助けようとしているのだ。

 

ボス猿はロープを器用に滑り、みるみるうちに反対側の通気口に達した。そして、早く爆弾を使えとばかりにリンクに鳴きかけたあと再びロープにぶら下がり、また右側の通気口に戻っていく。

 

「ゲイル、あの爆弾虫を持ってきてくれ」

 

「お安い御用!」

 

リンクはブーメランを投げた。ブーメランはたちまち飛んでいき、ロープに下がって移動しているボス猿の足から爆弾虫を受け取る。つむじ風に乗って飛んできた爆弾虫を両手で受け取ると、リンクは奇怪植物たちに向かって走り始めた。

 

相手が正確に攻撃してくるということは、その動きも予測しやすいはずだ。リンクはそう考え、左手の沼の際の地面に陣取り、爆弾虫を置いた。自分も身を低くし、相手が動き出すのを待つ。

 

近くにいたババラントの頭がたちまちリンクに向かって鎌首をもたげ、襲い掛かってきた。リンクは素早く横に転がる。ババラントの頭はリンクがいた地面に土ごとバクリと喰いついた。途端に爆発音がして、そいつは牙の間から煙を吐きながら萎れていった。

 

だが次の瞬間だった。新しい頭が水面から飛び出してきた。すぐにリンクに狙いを定める。まずい。リンクは必死で横に走った。新手の頭が凄まじい勢いでリンクの背中を掠めた。まるで巨人の棍棒の一撃がかすったかのような衝撃がする。リンクはふらついて倒れたが、それでも必死で立ち上がり、ほうほうの体で後方の壁際に後退した。

 

ボス猿は再び爆弾虫を捕まえてきてくれたらしい。右手の通気口に現れ、リンクに鳴きかけたかと思うと爆弾虫を吊り下げてロープを渡り始めた。だが頭を倒してもまた新手が出てくるなら、同じ戦い方ではダメだ。

 

「リンク、さっきから頭を使えって言ってるだろ。どういうことか分かるか?一番大事なのは頭なんだよ!」

 

ミドナが叱咤してきた。大事なのは頭?そうだ!

 

リンクは前進して落ちていたブーメランを拾い上げた。ババラントの頭たちが再び反応する。リンクが素早く後退すると、どちらも攻撃を空振りさせ元の位置に戻った。リンクは壁際に戻りゲイルに話しかけた。

 

「ゲイル、あの爆弾虫をボス猿から受け取ったあとあの花の親玉にぶつけることはできるか?」

 

「やってみましょう」

 

ブーメランを投げるとそれはロープを渡るボス猿に向かっていき、爆弾虫を受け取ったあと、方向を変えた。だが化け物花の方に向かう途中で爆弾が壁にぶつかって爆発してしまった。リンクが手を伸ばすとブーメランはその手の中に戻ってきた。

 

「私のつむじ風に乗った爆弾が壁に近づきすぎると難しい。あの猿がロープの中頃にいるとき到達するように投げてもらえると助かります」

 

ゲイルが言う。リンクは頷くと、ボス猿の再登場を待った。彼はほどなく右の通気口に姿を現した。ボス猿がロープを渡り始めてすぐリンクはブーメランを投げる。ブーメランは爆弾虫を風で掬い取るとまっすぐ怪物花の花弁に向かっていった。

 

爆音が響く。強烈な爆風を浴びた怪物花は後ろによろめいた。次の瞬間、そいつは前のめりに傾くと、リンクのいる側の地面に向かって首をうなだれるようにして曲がり、地響きを立てて倒れた。

 

「今だ!行け!」

 

ミドナが叫ぶ。リンクは剣を抜くと怪物花に走り寄った。「花」はだらしなく花弁を開き、その間からあの目玉が顔を覗かせている。リンクは雄たけびを上げるとその目玉に向かってジャンプ斬りを叩きつけた。

 

手ごたえがあった。その瞬間怪物花は苦し気な吼え声をあげ、目を覚ましたかのように体を起こし、先端を高く上げた。まだまだ生きている。だが傷を与えたのは確からしい。

 

ちょうどブーメランが戻ってくる。リンクは剣を一旦納めると手を伸ばしてブーメランをつかんだ。そのときゲイルが叫んだ。

 

「リンク!私を投げて!早く!早く!」

 

見ると、怪物花がまるで何かを吐き出そうとするかのように体の下部を膨らませたかと思うと、その膨らみを上部に移動させている。反射的にリンクがブーメランを投げた瞬間、怪物花はリンクにその花弁を向けて何かを吹き出した。

 

それは毒々しい紫の液体だった。液体が一直線を描くようにしてリンクに向かってくる。リンクは辛うじて横に身を躱し直撃を避けた。たが、その液体は地面に落ちるとたちまち霧を発生させた。紫の霧があたりに立ち込める。それを吸い込んだリンクは激しく噎せ始めた。気が遠くなる。立っていられなくなり、がっくりと片膝をついた。

 

「バカ野郎!寝てる場合か、起きろ!」

 

耳元でミドナが叫んだ。小さな手が頬を何度も叩くのを感じた。リンクが噎せながらも辛うじて顔を上げると、ブーメランは怪物花の前に滞空し、速度をあげながら回転してつむじ風を作り出していた。怪物花は先端をこちらに向け毒液を吐き続けている。だがつむじ風はみるみるうちに大きくなり、それらの毒液を全て吸収していった。

 

怪物花が毒液を最後まで吐いてしまうと、そのつむじ風が巻き上げた大量の液体が元の持ち主の上に滝のように降り注いだ。怪物花は怒りの吼え声を上げた。

 

ブーメランは、こちらに戻ってくると同時にリンクの周囲にあった霧を打ち払った。手を伸ばしてブーメランを受け止めると、またボス猿が鳴きかける声が聞こえる。

 

リンクはようやくの思いで呼吸を整えた。特大デクババたちがまたリンクの姿を探し求めるように頭を左右に動かし始める。リンクは攻撃を食らわないうちに後方に退却した。怪物花も、怒りに燃えたかのように先端を左右に振っている。だが、目に傷を負っているのか、以前よりも正確にリンクの姿をとらえられていないようだ。体内に蓄えた毒液もあらかた吐き出してしまったらしい。

 

肺が焼けるように痛かったが、この代価は支払わせてやるとリンクは心に誓った。ボス猿の動きを見極め、再びブーメランを投げた。飛んで行ったブーメランは爆弾虫を持ち上げ怪物花の方に向かう。

 

先端に再び爆弾攻撃を喰らった怪物花はよろめき、前のめりに倒れた。リンクは剣を抜いて全力でダッシュした。怪物の花弁から顔を覗かせた目玉に殺到し、縦斬り、横斬り、さらに回転斬りを喰らわせる。怪物花は激痛に目を覚まし、攻撃を逃れようとするかのように身もだえして先端を高く持ち上げた。

 

「流れが変わってきたみたいだな。リンク、そろそろ奴の頭を剪定してやれ」

 

ミドナが言った。リンクは剣を左手に持ち替え、後ろに下がりながら、戻ってきたブーメランをつかむ。

 

またボス猿が爆弾虫を下げて通気口に現れた。あの猿の群れを率いるこいつにも応えてやりたい。リンクは彼がロープを滑り始めた瞬間を見定め、ブーメランを投げた。

 

爆弾虫を掬い取ったブーメランが怪物花の先端へ飛んでいく。爆弾をぶち当てられた化け物は再び気を失い、ゆらゆらと揺れた。リンクは相手が倒れるのを待たず、剣を右手に持ち替えると猛ダッシュした。

 

リンクが進む先の地面に怪物花が地響きを立てて倒れ込む。その花弁の間の目玉は意識を失ったかのように虚空を向いていた。だがリンクが目の前まで来た瞬間そいつは目を覚ましたかのようにギロリとこちらを向いた。その胴体がまたもぞもぞと動き始める。

 

逃がすか。

 

リンクは剣を逆手に握ると飛び上がった。柄に左手を添え、花弁の目玉の付け根に向けて落下する。思い切り突き立てた切っ先が相手を貫き通し地面にまで達した。途端に怪物花がビクンと震え、その胴体をうねらせはじめた。まるで大蛇のようだ。だが渾身の力を込めて剣を押さえつける。リンクが歯を食いしばり全体重を剣にかけると、怪物花は標本のようにピン止めされた状態から逃れようと必死で暴れた。

 

次の瞬間、何かが引き千切れる嫌な音がした。リンクの剣に刺されたままの怪物花は、暴れ過ぎてその目玉と胴体とを結ぶ蕊が切れてしまったのだ。

 

怪物花は上を向いて苦し気な叫び声をあげた。まるで地の底から響くような声だ。次いで、身体に残っていた毒液の残りを吐き出しながら、右、左と大きく体を振り回し始めた。

 

ひとしきり暴れたあと、化け物は最後の力を振り絞って体を直立させたが、やがて動きを止めた。見ると、下のほうから徐々に、水分が抜けたかのように急速にしぼみ、枯れ始めている。先端までが枯れてしまうと、体色がみるみるうちにどす黒くなっていった。

 

怪物花はやがて枯れ木のように細く硬い、真っ黒な残骸になり果てたかと思うと、その体がボロボロと崩壊し始めた。魔力を失ったのだ。途端に、目の前の沼の毒々しい紫が退き始め、水は清らかな澄んだ色に変わっていった。

 

倒した。倒したんだ。リンクは剣を地面に落とすと、がっくりと両膝をついた。さっき吹き飛ばされたときの打撃で体中が痛い。呼吸は落ち着いてきたがまだ肺がゼイゼイと鳴る。

 

「やりましたね」

 

傍らに落ちたブーメランからゲイルの声が聞こえた。

 

「勇者よ、あなたの力になれたことを光栄に思います。この地方の動物たちを苦しめていた魔力の源がこれで消え去ったのですから」

 

「ありがとう、ゲイル。君のおかげだよ」

 

リンクはまだ咳き込みながらも礼を言った。ブーメランを拾い、泥を払って仕舞う。

 

「いえいえ、私はただ飛んで風を起こしたり、いたずら半分で物を吹き飛ばしただけです。いつもやっていたようにね」

 

リンクの懐でゲイルは茶目っ気を出して答えた。リンクがまた地面に座り込むと、ミドナは空中に浮かび上がり、沼のほうに飛んでいった。

 

しばらくしてミドナは戻ってきた。その右手の上に、黒い土器の破片のようなものが、左手の上にはハート型のガラスでできた器が乗っている。

 

「こいつはお前にやるよ」

 

ミドナは左手の器をリンクのほうに放り投げた。受け止めると、中には薄赤色の液体が入っている。

 

「なんだいこれ?」

 

「魔法薬さ。ま、珍しくいい仕事をしたご褒美ってとこだな」

 

ミドナは答えると、右手を差し上げた。その上には謎めいた黒い破片が浮かび上がっている。

 

「そして私が探していたものがコレさ」

 

その破片には見たこともないような文様が掘り込まれている。リンクは、それがミドナがかぶっている冠の模様と同じだと気づいた。

 

「影の結晶石。あの精霊は『黒き力』と呼んでいたがな」

 

ミドナがそう言うと、そのオレンジ色の髪の毛が手の形に広がり、破片をつかんでどこかに隠してしまった。

 

「あの精霊はこいつがあれば影の王と対抗できるとかなんとか言ってたみたいだけど、そんな生易しいもんなのかねぇ」

 

思わせぶりに呟くミドナにリンクは尋ねてみた。

 

「ミドナ、それは一体ぜんたい何なんだい?」

 

鼻を鳴らすと、ミドナは答えた。

 

「影の結晶石はあと二つある。お前の仕事はあと二人の精霊に会い、その場所をつきとめて手に入れること。それができたら教えてやるよ」

 

リンクは少し困惑していた。これが冒険の目的の一つなら、その結晶石というのはどのように役立つんだろう?そもそもミドナは一体何者なのだろう?

 

「ま、やっこさんのことだから私たちがここに来るってことを最初から分かってたんだろうな。だからわざわざこの場所にあんな化け物を拵え上げて近寄れないようにしたってとこなんだろう」

 

ミドナは誰にともなく言った。まるで「影の王」を個人的に知っているかのような口ぶりだった。

 

「そのお陰でかえって探し物のありかが分かりやすくなったがな。奴にとってはまさに裏目に出たってやつだ」

 

そこにゲイルが口を挟んだ。

 

「あの怪物はまだ成長途中でした。もしここに来るのがもう少し遅かったら手がつけられなくなっていたかも知れません」

 

「そんなことは最初から知っていた。だからこの頼りない若造をろくに訓練もしないまま連れてきたんだ」

 

ミドナがそう答えるのを聞いてリンクはため息をついた。こんな大きな敵を倒したばかりなのに、ミドナはまだ一人前として見てくれていない。だが、リンクは自分の戦い方を振り返ってみると、とても万全とは言い難いということを痛感していた。この二人の時宜を得た手助けと助言がなければ今頃死んでいただろう。確かに自分はまだまだだ。そう考えながら手元を見ると、ガラスの瓶の中身がキラリと光る。

 

「ミドナ、これはどう使うんだろう?」

 

リンクが聞くとミドナは答えた。

 

「治癒系の魔法薬だ。発散する魔力により持ち歩くだけで回復力が高まる。だが荷物を増やしたくないんだったら今飲んでしまったほうがいいぞ」

 

だが答えを聞いてリンクはまた困惑した。この容器はガラスを丁寧に彫りこんだ美しい形をしていたが、さっきまで魔物がいた沼の中から拾ってきたものだ。ハートの谷間にあった栓を抜いて、恐る恐る鼻を近づけて嗅いでみる。臭いらしきものは特にない。

 

するとミドナが人差し指をリンクに向けて軽く動かした。リンクは弾かれたようによろめいて思わず天を仰ぐ。そして瓶が勝手にその頭上で傾き、中の薬液が一気にリンクの口の中に降り注いだ。

 

猛烈に辛い。リンクは再び激しく噎せ始めた。呑み込んだ液体が喉を通り過ぎ胸がカアっと熱くなる。

 

ところがその途端、ババラントの頭から喰らった打撃による体の痛みが嘘のように引いていった。今までの冒険の疲れも完全に吹っ飛んだ気分だ。それどころか、あの化け物がもう一度現れても戦えるくらいの元気が湧いてきた。

 

「まったく雇い主の私がお前に毒なんか飲ませるわけないだろ。田舎者はこれだからイライラするんだよ」

 

目を白黒させているリンクに向かって毒づくと、ミドナは人差指を地面に向け、右手を鞭のようにしならせた。すると地面にたちまち黒い点が現れ、それが広がると、やがて直径一メートルくらいの渦巻になった。

 

「ここから出るぞ。もうやり残したことはないな?」

 

「やり残し?何だいそれ?」

 

リンクが聞き返すとミドナは大きくため息をついた。

 

「やっぱり本当にお前は頭が悪いな。こういう場所には気づかない場所にいろいろなお宝が隠れているものなんだ。私はお前が個人的にそういうものを集めるのを邪魔だてするつもりはない。だが仕事が終わった以上ここに長居するつもりもない。わかるか?」

 

分かったようなわからないような気がしたが、リンクはとりあえずやり残したことはないと答えた。

 

「わかったのならいい。これからはそれも踏まえて効率的に動けよ」

 

ミドナはそう言うと、渦の上に空中移動してリンクに手招きした。

 

リンクは別に金持ちになりたくてこの冒険を始めたわけではないから、お宝にもそれほど興味はなかった。(だが、彼はこの後別の理由で後悔することになる。)とにかく今日は長い間薄暗い神殿の中にいたので早く外に出たかった。

 

リンクは剣を拾い上げて鞘に納め、渦の上に進み出た。途端に周囲の視界が揺らぎ、ぼやけ始めたのを感じた。何か早い風が吹いているような音がしたかと思うと、一度周りが真っ暗になり、それから再びうっすらとした光が戻ってきた。

 

気が付くと、リンクはフィローネの泉の傍らに立っていた。日は傾き始めていたが、まだ周囲は明るい。広場を囲む木立の間から鳥の鳴き声が聞こえる。

 

リンクはその風景に心からの安堵を覚えるとともに、実感した。

 

やっとこの地での冒険を完了したのだ。

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