黄昏の姫と緑の勇者   作:nocomimi

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カカリコ・ゴロン鉱山編
次なる冒険へ


リンクはフィローネの泉の傍らでしばしその平和な風を感じ、林から聞こえるのどかな鳥の声を聴いていたが、やがて日がだいぶ傾いてきたことに気づいた。

 

今夜をどこで過ごそうか?一旦村に帰ることも考えたが、自分の家は荒れ果てたままだし、子供たちを連れ戻すと村人たちに誓って出てきた以上、手ぶらで帰るよりかは一日も早く捜索へ出発したい。

 

ふとリンクは思いついた。今夜あの油売りの若者の小屋に泊めてもらうことはできないだろうか?リンクは泉から洞窟を抜け、突き当たりで左に折れてあの小屋がある広場に向かってみた。

 

青年は以前と同じように小屋の前の焚火の後ろに座っていた。

 

「ええ?うちにっすか?」

 

キコルはリンクの頼みを聞くと驚いた顔で答えた。

 

「まあいいっすけど...汚いとこだけどそれでもいいって言うならオレは構いませんよ」

 

青年はすんなりと承諾し家に入れてくれた。リンクは礼を言い中に入った。

 

「まあなにしろオレしか使ってない家だし本当に汚いんですけどねぇ..」

 

キコルはリンクを空き箱の上に座らせながら言い訳した。心の中でリンクは(もう知ってるよ)と呟いたが、もちろんそれは秘密だ。キコルは、表の焚火にかけてあった鍋からスープを汲んできて振舞ってくれた。

 

キコルのスープは微妙な味だった。リンクは儀礼上少しだけ頂くと、自分がジャガーからもらったパンを取り出し、二人で分けあって食べた。

 

滅多に来ない客人を迎えて青年は嬉しかったのか、いろいろと身の上を話してくれた。彼はリンクが推測したとおりもともとラネール地方の出身なのだという。両親は富裕な資産家で、いくつもの地所をゾーラ川周辺に持っており、そこでさまざまな商売を営んでいた。やがて両親が引退すると、二人の姉たちとキコルがその商売を引き継ぐことになったが、彼自身はその商売が好きではなかった。

 

「いったいどんな商売なんですか?」

 

リンクが口を挟んだ。

 

「まあ、アミューズメント施設ってやつっすかね?」

 

「アミューズメント?」

 

リンクには全く聞いたこともない言葉だった。

 

「客に釣りをやらせたり、ボートで川を下らせたりね。それで二十ルピーとかを取るやつですよ」

 

「釣りと川下りで?二十ルピー?」

 

キコルの答えを聞いてリンクは目を白黒させた。そんなことはわざわざルピーを払わなくてもトアル村でもできそうなのに、本当に客が来るのだろうか。リンクはラネール地方というのは不思議な場所だと思った。

 

「まあ客商売って奴ですからね。十分楽しませないと文句を言われたり、中には面倒な客もいますしね。それでオレどうも好きになれなくって。それに..」

 

「それに..?」

 

「いやね。オレ姉が二人いるんですけど、二人とも性格がキツいっつうか...怒らせると最悪っつうか....」

 

「目が据わっちゃって何を言っても聞いてくれなくなる、みたいな..?」

 

リンクはイリアのことを思い出し、試しに聞いてみた。

 

「そう!それそれ!女ってやつはどうしてああなんでしょうねぇ....それでオレも疲れちゃって、自分で自分の商売やりたいって言ってね、親に金借りて、それで油屋を始めたんっすよ」

 

リンクと青年は夜更けまでよもやま話に花を咲かせた。キコルは一見ずぼらな男のように見えたが、根は善良だとわかり、リンクは好感を持った。青年は床に敷くマットと毛布をリンクに貸してくれた。

 

昨晩は野宿だったから、あばら屋同然の小屋とはいえ屋根の下で寝られるのはありがたい。リンクは装具を解いて毛布に潜り込むと、やがて心地よい眠りに落ちていった。

 

「リンク....リンクよ.....」

 

夜半、声が聞こえてきてリンクは目覚めた。いや、夢の中なのだろうか?リンクは自分がいつの間にかフィローネの泉の前に立っていることに気づいた。周囲は真っ暗で、空には星がまたたいている。

 

「勇者よ.......ハイラルに広がる影の領域はまだ残っています」

 

フィローネの精霊の声だった。リンクは泉の上に目を上げた。白い光の塊が漂っている。しかし、以前見たときのようには揺らいではいない。すっかり力を取り戻したのだろう。

 

「西のほうにあるオルディンの地に行きなさい。そなたが探し求める者たちもそこにいるはずです....」

 

なんだって?リンクは驚きと喜びに目を見張った。イリアと子供たちに会えるのだ。リンクはもうすぐにでも荷物をまとめて出発したいという気になった。

 

「ただし、その地もまた黒雲に覆われた影の領域となっています....ひとたび足を踏み入れたらそなたは獣の姿となってしまうことを覚悟せねばなりません」

 

やがてその声が次第に遠のいていき、リンクの周囲の風景もぼやけてきた。

 

「さあ勇者よ..オルディンの地へ...」

 

そこまで聞いた瞬間、リンクは目を覚ました。まだ夜明け前だが、ずいぶん深い眠りだったらしい。小屋の中を見回すと、キコルはベッドに見立てた台の上の毛布でまだ寝息を立てている。窓の外は暗い。

 

リンクは起き上がり毛布を畳むと、装具を身に着けた。財布から十ルピーを取り出すと、布に包んでキコルの机の上に置いておき、扉を開けて外に出た。

 

「ミドナ、聞こえるか?」

 

リンクはミドナに話しかけてみた。

 

「ああ?いったいこんな夜中になんだよ、こっちはまだ寝てるんだぞ」

 

ミドナの不機嫌な声が聞こえた。

 

「ごめんごめん。次の目的地がわかったんだ。子供たちがいるのは西のオルディン地方だって精霊が教えてくれた」

 

「そうか、そりゃ手間が省けてよかったな。当然助けに行くんだな?」

 

「ああ。一刻も早く探しに行きたいんだ」

 

「じゃああの黒雲を探すことだな。まあ心配するな。お前がまた狼になったら私が面倒見てやる。じゃあ私はまた寝るぞ」

 

リンクは小屋の北のほうを見やった。かつてこの周辺に住んでいた者たちがハイラル平原からの魔物や侵略者を防ぐために立てたと思われる高い柵が並んでいる。その先には左右を岸壁に挟まれた小道が伸びている。

 

リンクは以前見たハイラルの地図を思い出した。確かここからハイラル平原に向かい、北西に方向をとればオルディン地方に着くはずだ。高木と低木の混ざった木立を歩いていくと、夜明け前の涼しい空気が頬を心地よく撫でる。虫の鳴く声がそこここから聞こえた。やがて柵に辿り着くと、鍵などはかかっていなかった。リンクはそれを開けて外に出ると、元通りに閉めておいた。

 

いよいよフィローネ地方から出るのだ。左右の岸壁は三メートルくらいの高さでその上には針葉樹が立ち並んでいる。その上の星空は、次第に青みを増している。太陽が昇る時刻が近づいているらしい。リンクは順調な足取りで小道を進んでいった。小道は緩やかな角度で左右にくねっているのでその先にあるはずのハイラル平原はまだ見えない。

 

だがリンクは異状を感じて立ち止まった。前方遠くに二つほどの人影が見える。夜明け前に出発し目的地へ急ぐ自分のような旅人でなければ、悪鬼か追いはぎだ。

 

リンクは歩調を落とし、盾を左手に持ってからゆっくりと近づいていった。夜明け前の暗さで人影の顔は見えないが、その歩き方は先を急いでいるといった風情ではない。肩に武器のようなものを担ぎぶらぶらと歩いている。

 

食人鬼だ。リンクは背中から剣を抜いた。油断ない足取りで接近していく。鬼どもは、旅人を待ち伏せするいつもの段取りを始めようとしているのか、身を隠せる岩や路傍の木を物色しているようで、まだリンクには気づいていない様子だ。リンクは二十メートルほどの距離に近づくと、剣で自分の盾を叩いて音をたててみた。相手が戦う気がない場合は余計な血は流したくはないと思い、相手の出方を見ることにした。

 

だがボコブリンどもはリンクに気づくと、すぐさま歯を剥きだし、鉈を構えながら迫ってきた。やむを得ない。先にこちらに走り寄ってきた一匹目との距離を素早く見計らうと、そいつが鉈を振り上げた瞬間、気合を発してジャンプ斬りを叩きつけた。さらに回転斬りで深手を負わせる。崩れ落ちる悪鬼の脇をすり抜け、二匹目の悪鬼に向かってダッシュする。仲間を殺され怒りの喚き声を上げると、そいつも鉈を振り上げる。リンクは前転しそいつが横に払った鉈をかわすと深々とその腹に剣を突き刺した。思い切り押し込んで転倒させると、剣を逆手に握ってジャンプし敵の胸に突き立てとどめを刺す。

 

ボコブリンたちの死体はみるみる真っ黒になっていった。リンクは剣を草でよく拭って鞘に納めると、また北に向けて歩き始めた。左右の岩壁はまだ続いているが、空は東のほうが茜色になってきたのが木立越しに見えてきた。

 

一刻も早くイリアに、コリンに、そしてタロ、マロ、ベスに会いたい。会って無事を確かめたい。リンクの心は逸った。歩調を早めると、やがて前方遠くに岩壁が切れる場所が見えてきた。ハイラル平原だ。リンクは覚えずして走り始めた。

 

五分ほども走ると、小道から平原に出た。出口周辺にはいくつかの高木が立ち並んでいるが、その先は見渡す限り広い野原だ。リンクはトアル村とフィローネ地方以外を見たことがないから、こんなにも広々とした草原は初めてだった。

 

ちょうど夜が明けるところだ。東の空が茜色に染まり、平原の南から南東にかけてのフィローネとの境となる森林群の上に顔を出した太陽が、周囲の風景を照らし出しはじめていた。遠く数キロ先には岩でできた小高い台地がそこここに見える。さらに遠くに目を向けると、はるか先には見たこともないほど高い山脈がそびえたっていた。

 

リンクはしばし立ち尽くして周囲を見回していた。とにかく想像もしたことのないほどの広さだ。喉がかわき、ジャガーからもらった水筒の水を飲み干した。風景は太陽が昇るにつれその色を刻一刻と変えていく。やがて空は茜色から深い青色へ移り変わっていった。

 

だがリンクはまた異状に気づいた。北西のほう、そして北東の方角、本来青空があるべき場所に、巨大な椀を伏せたような形の黒雲が広がっている。その黒雲にはところどころ金色が混ざっていて、その雲の内部にはまるで夕暮れどきのような光が広がっていることをうかがわせた。

 

あれが影の領域か。リンクには見当がついた。早速北西に進路をとって歩き始める。

 

歩き続けていると、やがて太陽が高くなり気温が上がってきた。それにしても広大な平原だ。地形の変化に富んだトアル村で育ったリンクにしてみると、歩いても歩いても全く風景が変わらないように感じられた。ふと遠く北のほうをみやると、大きな鳥が飛んでいるのが見えた。南のほうには岩壁がそそり立っていて、平原の南端を示している。数時間ほども歩いたところでリンクは空腹を感じたので村で買った干し肉を一つ食べた。目的地まであと何日かかるだろう?リンクはそれを考え、残りあと数枚の干し肉をこれからは少しづつ食い延ばすことにした。

 

だが塩の強い干し肉を食べたせいでまた喉が渇いてしまった。失敗したと思いつつもまた歩を進める。右手には高い木を頂いた岩の台地がいくつか連なっている。さらに数時間歩いたとき、リンクは遠方にボコブリンがいるのを見つけた。だが、必要もなく体力を費やしたくはないので、リンクは姿勢を低くし、近づかないように迂回することに決めた。

 

ボコブリンは一匹で行動しているようで、他に仲間は見当たらない。草の陰に隠れるようにして時折その様子を伺っていると、台地のほうに向かってぶらぶらと歩いていってしまった。

 

喉が渇く。夏の太陽に照らされるとさすがに汗が出る。リンクは再び歩調を早めたが、どこかで水を補給しないと目的地までもたないかも知れないと思い始めた。昔地図を見たときの記憶では、確かハイラル平原には小さな湖があったはずだ。リンクは北のほうにやや進路を変えた。さらに三時間ほど歩き、右手にあった台地の一つの脇を通り過ぎる。日も傾き始めたころ、遥か北の遠方に低い盆地のような場所が見えた。ところどころ水面が光っており、橋がかかっているのが見える。水だ。

 

リンクは自分を鼓舞すると、水場らしき場所に真っすぐ歩いていった。そこに着いたころには日没近くなっていた。夕暮れどきの光であたりを探索すると、豊かに水の流れる川ではなく、そこここに川の名残であったごく細い水流があり、その周辺には滞留した水で沼のようなものができているだけの場所であった。立派な橋がかかってはいるが、もはや川を渡るのに橋は不要なほど水量が少ない。

 

リンクはため息をついた。だが水があるだけましだ。リンクは周辺を歩き回って枯れ枝や枯草を一抱え集めると、カンテラを取り出し火をつけ、その火を移して焚火を作った。カンテラの傘の部分を取り外し、汚れた水をそこに汲んで焚火の上に置くとやがて沸騰してきた。薪を取り除いて沸騰した水をさまして飲む。不味かったが仕方がない。

 

リンクはそこで野宿することにした。だが今回は危険を知らせてくれる仲間はいない。結局思案したうえ、川の近くにあった岩を背後にしてそれに寄りかかり、剣を抜いて右側に置いてから寝ることにした。だが夜がふけると今度は気温が下がる。平原だから風を遮るものがない。リンクは、目立つことで悪鬼を呼び寄せてしまうかも知れないとも思ったが、結局また薪木を集めて自分の前で焚火を焚いておくことにした。

 

焚火を見つめながら物思いにふける。イリアや子供たちはオルディン地方のどこにいるのだろう。魔物たちに捕らわれているのだろうか?リンクはもはや悪鬼たちを怖いとは思わなくなっていた。奴らも一匹二匹を相手にするなら問題ない。

 

だが一方で、ミドナが探しているという「影の結晶石」のことも考えた。あれは一体何なんだろう?それにあと二つの石も、あの化け物花と同じような怪物に守られている可能性が高いだろう。あのときは幸運も手伝って勝てただけだ。自分はもっと強くならないといけない。

 

「リンク、眠れないのですか?」

 

ゲイルが突然話しかけてきた。

 

「ゲイルか、びっくりしたよ。起きてたのか」

 

リンクはブーメランを取り出すと、話しやすいよう目の前の地面に置いた。

 

「私はいつも起きていますよ。精霊ですから眠ることもありません」

 

「それは便利だね。僕もできれば寝ないで先に進みたいよ」

 

「それはお勧めできませんね。人間には休息が必要です。時として休まず戦う必要がある場合もありますがそれは一時限りのこと。休みは良き戦いの一部です」

 

「知恵の言葉だね。ゲイルは今何歳くらいなの?」

 

「さあ、おそらく今生きているどの人間よりも年上でしょう。しかし一方で精霊も永遠に生きるわけではありません」

 

「そうなのかい?てっきり精霊って絶対に死なないのかと思ってたよ」

 

「いえ、人間のように死ぬというわけではないのですが、いつかは神から与えられた役目を終えるのです。そのときには私たちはこの世界を立ち去ります」

 

「それはどんな感じなの?」

 

「私は経験したことがないのでわかりません。もしかすると全く別の新しい世界に行くのかも知れないし、あるいは消えてなくなるのかも知れませんね」

 

「できれば君に消えてほしくはないな」

 

「ありがとうリンク。でも私は今まで好きなように生きてきたのでここを去ることを怖いとか惜しいとか思ったことはありませんが、その前に君の全ての冒険が完了するのを見たいものです」

 

全ての冒険の完了とは一体どんなものなんだろう?リンクはそれを聞いて考えた。イリア、コリン、タロ、マロとベスを取り戻し村に連れ帰ること。その一方で「影の結晶石」をあと二つ見つける必要がある。あと二人の精霊を影の領域からよみがえらせること。

 

それから「影の王」と戦うことも含まれるのだろうか?リンクには想像もつかないことだった。影の王はハイラル城を侵略したのだ。王城もその兵士たちも勝てなかった相手とどうやって戦うというのだろうか?

 

だがミドナは驚くべき魔法の力を持っている。その力をもってすればあるいは勝つことができるかも知れない。だが、その肝心のミドナはいったい何者なのか、それもまたリンクには謎だった。

 

だがリンクは自分の冒険が自分だけのものではないことを理解しつつあった。自分にわからないことは運命にゆだねていくしかない。リンクはゲイルにおやすみを言い、ブーメランを仕舞うとチュニックの襟を立てて体を丸めた。

 

気がつくと東の空が白んでいた。途切れ途切れではあったが眠れたようだ。あまり体は休まってはいなかったが贅沢は言ってられない。リンクは消えかけた焚火を踏んで消すと、支度を整えて立ち上がった。川岸まで下り、水筒に水を入れると、また西に向かって歩き始めた。

 

ときおり振り返ると、雄大な平原の上の空が茜色に染まっている。その風景そのものは息を呑むほど美しかった。だがリンクは一方で、この広大な平原を徒歩で旅する自分の無謀さにも気づき始めていた。あと何日かかるのだろうか?

 

リンクは迷ったが、力が出ないと困るので干し肉をまた一つ頬張った。あと残りわずかだ。西に向かって歩を進める。途中また遠くでボコブリンが歩いているのを見て、昨日と同じようにやり過ごした。

 

昼時まで歩き続けたとき、リンクは足元の草地がいつしか踏みならされた土の露出した道に変わってきていることに気づいた。道は真っすぐ北西に向かっている。進路に沿って目を上げると、あの巨大な黒雲がはるかかなたに広がっている。どうやらオルディン地方に続く道のようだ。リンクはやや力を得て、歩調を上げて歩き始めた。また空腹を感じたが、もう少し我慢することにし、時折休息を交えながら歩き続ける。

 

やがてはるか西のほうで、南からの岩壁と北からの岩壁が出会う場所でハイラル平原が終わっているのが見えてきた。見えてきたといっても途方もない距離があるのがわかる。だが、足元の道が真っすぐ北西に向かっているところを見ると、どうやら方角に間違いはない。リンクが歩を進めていると、やがて目指す方角から人影が近づいてくるのが見えた。

 

ボコブリンだろうか?リンクは一瞬警戒したが、違うようだ。周囲はまだ明るく、相手の服装は明らかに悪鬼ではないことがわかった。人間の男のようだ。軽快な足取りでこちらに向かって走ってきている。

 

向こうもリンクに気が付いたようだ。大きな声をあげ挨拶すると、手を振ってきた。リンクも手を振り返す。その男はペースを落とすことなく走ってくると、やがてリンクの前にやってきた。

 

男はいかにも珍妙な出で立ちをしていた。赤い帽子に、白い袖なしシャツを着て、ごく短い白いズボンを履いている。足はサンダル履きで、背中には四角い箱のようなものを背負っていた。

 

「この先はダメですよ。黒い壁のようなものがあってね」

 

男は、リンクがオルディン地方に向かっているのを察したのか、親切な口調で教えてくれた。リンクは自分の名を名乗り出身地を言った。

 

「ああ、申し遅れました。私はさすらいの郵便屋でしてね。人は私をポストマンと呼びます。詳しくはこの手紙を読んでください」

 

そう自己紹介した男は背中の箱を下ろし、中から紙片を取り出すとリンクに渡してきた。

 

「それじゃまた!」

 

ずいぶんと忙しいようだ。せっかくこの広い野で人間どうし出会ったのに、結局一分も会話しないまま男は行ってしまった。男がくれた紙には、郵便屋に手紙を頼む方法や料金などが書いてある。結構な高値ではあったが、もしイリアたちを見つけられたら、この方法でボウや村人たちに先に知らせることができるかも知れない。

 

リンクは再び歩き始めた。行先の上方にある巨大な黒雲が一段と大きく見えてきたのがわかる。だが日が傾きかけてきてもなかなか風景は変わらない。リンクはもう一泊の野宿を覚悟し、歩きがてら枯れ枝を集め始めた。一抱え分も集めてしまうと、リンクはどこで夜を明かそうかと考えたが、周囲にはなにぶん身を寄せるものが何もない。前方をみやると、あと数時間頑張って歩けば、ハイラル平原の西の端である岩壁のところまでは行けるかも知れないと思えた。

 

リンクはもうひと踏ん張りすることにした。歩調を早める。夕暮れが近づくなか歩き続けると、また前方に何か動くものが見えた。今度は、人間でもボコブリンでもなく動物のようだ。二本脚ではあるが、大きさは人の腰あたりくらいしかなさそうだ。それはまるで、鳥のようなしぐさでちょこちょこと素早く歩くと歩を止め、またすぐ歩く。

 

鳥だろうか。鳥だったら仕留めて食料にできるかも知れない。リンクにそんな考えが浮かんだ。リンクは集めた枯れ枝を地面に捨てると、剣を抜いて慎重に近づいていった。

 

その生き物は立ち止まったときには地面をときどき嘴のようなものでつついている。ますます鳥のように思えてきたが、リンクがさらに近づいてみると夕暮れの光の中でも鳥とはまったく違う異形の生物であることがわかった。そもそも、胴体と頭があるのではなく、胴体そのものの横にぎょろりとした黄色い目玉がついている。その胴体は甲虫のような甲羅で覆われており、その両脚もまた鳥というよりは虫のように節ばっていた。

 

魔物だろうか?それとも何かの野生動物だろうか?リンクが判断しかねていると、その生き物はリンクに気づいたのか、何かの丸い塊りをポトポトと落としながら遠くに走り去ってしまった。

 

もしかすると卵だろうかと思いリンクはその生物の落とし物に近づいた。五メートルほどの距離に近づくと、それは丸い黒い塊とわかった。ただの糞か、とリンクががっかりして立ち去ろうとすると、いきなりその塊が爆弾のように爆発し、心底びっくりさせられてしまった。あの神殿で見た緑の虫といい、なぜトアル村の外の世界では本来爆発するはずのないものが爆発するのだろう?

 

やれやれと溜息をつき、捨てた薪木を拾い集めると、リンクはまた目的地に向かって歩き始めた。本当なら、前方の空は燃えるような夕焼けの色になっていなければならないはずだが、その代わりあの巨大な黒雲が空を覆っている。黒雲の合間に、奇妙なあの金色の光がところどころにじんでいるが、それは朝から変わずそこにある不自然なものだった。あの影の領域を必ず取り去ってしまわないとならない。リンクは心にそう誓った。

 

ようやくのことでハイラル平原の西端に着いたときにはもう夜もだいぶ更けてきたころだった。リンクは手に抱えた薪木を岸壁の下に放り出すと、カンテラの火をそこに移した。干し肉をもう一枚食べ、カンテラの傘で不味い水を沸して飲んだ。

 

またブーメランを取り出してゲイルとしばらく話をした。彼は木が枯れた葉を入れ替えられるよう風を吹き付けたり、生まれたばかりの子蜘蛛を運んでやったり、あるいは羽毛のついた植物の種をできる限り遠くに連れていくことを無上の喜びとしていたと語った。

 

そんな彼の唯一の心得違いは、魔力を帯びたブーメランの中に入ってしまったことだった。彼は、当初それとは気づかず、風により高く飛翔したり回転して軌道を変えたりするその玩具にすっかり夢中になってしまった。だがそれ自体が罠だったのだ。彼は影の王の仕掛けた呪いによってそこから出ることができなくなってしまった。そしてリンクに助けられるまで、あの狂ったボス猿に奴隷のように使役されていたのだ。

 

「だが今私がこうしているのも神の不思議なお計らいだと思うのです」

 

ゲイルは言った。

 

「私は確かにヘマを犯しました。ですが、そのおかげで今は勇者よ、君の冒険を間近で見ることができます。これは精霊たちの間でも珍しいことなのですよ」

 

「そうなの?でも僕みたいなただの人間より精霊のほうがよっぽど偉いんだろう?」

 

「それはものの見方によります。確かに精霊は人間のように堕落したり罪を犯したりはしません。その点だけを取れば人間より偉いように見えることもあるでしょう。しかし、精霊もまたこの世界と人間とに仕えるために造られたものです。神は人間が自らの本当の力を発揮しこの世界を良く治めることを望んでおられるはずです」

 

「僕にはわからないよ」

 

リンクは答えた。

 

「僕はただの田舎の若者だし、城の人たち、いやそれどころかゼルダ姫さえ、あの『影の王』って奴に勝つことはできなかったんだろう?人間の力なんていうちっぽけなもので、この世界を良く治めることなんてできるのかな?」

 

ゲイルはしばらく黙ったあとこう言った。

 

「それは私にもわかりません。しかしハイラルが創造されて以来、危機は何度も訪れました。そのうちのいくつかは明らかに人間たちの責に帰するものでした。ですがそのたびに人間たちはそれを苦しみながらも乗り越えてきたのです」

 

リンクが相手の言葉を反芻していると、ゲイルがまるで子に語りかけるような口調で言った。

 

「さあ、もう寝ましょう。明日にはおそらくオルディンの影の領域に着くでしょう。長い一日になりますから」

 

リンクは素直に従った。焚火を見つめながら体を丸めると、少し野宿に慣れたのかすぐ眠りに入ることができた。

 

翌朝はやや気温が下がったらしい。焚火も消えてしまったのか、肌寒さを感じてリンクは目が覚めた。夜明け前だ。身支度を整えると、景気づけに最後の干し肉の小さな一切れを頬張り、草の上に降りた露を少し舐めてどうにか喉の渇きを潤した。

 

岸壁に挟まれた小道に入った。黒雲はまだまだ遠くにあるように見える。リンクは歩調を早めることにした。左右両側の岸壁は見上げるような高さだ。道を進んでいるうちに太陽が背後に高く昇ってきたが、道が少し曲がると岸壁に阻まれて途端に陽光が差さなくなる。ボコブリンや、例の奇妙な生き物を見かけることもなくなった。それどころか、道端に草さえあまり生えていない。普段から日当たりが良くないのだろう。

 

喉がまた乾いてきた。だがあの水筒の水をそのまま飲むわけにもいかない。リンクは我慢して歩き続けた。だが、二、三時間歩いたところでいよいよそれまで我慢していた空腹感と渇きが一段と強くなって戻ってきた。

 

目を上げると黒雲はいよいよ大きく目の前上方を覆っている。影の領域まではもうすぐだ。立ち止まって少し休憩すると、リンクはまた早い歩調で歩き始めた。ともかくイリアと子供たちの無事を確かめたい。それさえできれば、後は何とでもなる。そう自分に言い聞かせて足を動かし続ける。

 

昨日までの平原と違い左右の岸壁以外何も見えない単調な風景が続く。どれくらい進んだだろうか。リンクはいつしか空腹で足がふらついてくるのを感じた。今ボコブリンに出くわしたらまずいかも知れない。影の領域に行き着くまで体がもつだろうか?そんな心配がだんだん脳裏をよぎるようになってきた。

 

だが、右足を前に出したら左足を、左足を前に出したら今度は右足を、それだけをひたすらに考えて歩き続けていたリンクは、自分の前方数百メートルのところに突如として黒い壁が現れたのが見えた。

 

上を見上げると、あたりを覆いつくさんばかりに黒雲が広がっている。影の領域だ。リンクは気を取り直すと、ふらつく足を踏みしめて前に進んだ。以前フィローネの入り口で見たのと同じように、影の領域へ通じる壁は、左右の岸壁の間の小道を塞ぐようにして立ちはだかっていた。周囲はすっかり光を失って、まるで夜中のような暗さだ。それなのに、黒い壁と岩との境目にはオレンジ色の奇妙な光が見え隠れしている。

 

「なんだ、意外と近かったな」

 

いつのまにかミドナが半透明の姿で傍らに浮いていた。

 

リンクが近づいていくと、黒い壁に奇妙な文様が浮いているのがわかった。この壁の先は、あの思い出すだけで陰鬱な気分になる影の領域だ。昼夜問わず夕焼けを思わせる微弱な光と、胸が苦しくなるような黒い霧が立ち込めた、あの場所だ。人は全て白い光のような魂となり、巨大な黒い悪鬼が跋扈する、あの領域だ。だが、イリアと子供たちを取り戻すため自分は行かないといけない。

 

「さ、もうわかってると思うが一歩ここに足を踏み入れたらお前は狼に逆戻りだぞ」

 

ミドナは言った。

 

「必ず人間に戻れるって保証もないからな。それでも行くんだな?」

 

リンクが頷くと、ミドナは空中を移動してするりと壁の向こう側に抜けていった。しばらく待っていると、壁の中から巨大な手がにゅっと現れた。ミドナのオレンジ色の髪の毛が手の形になって動いているのだ。

 

それはリンクの体をいきなりつかむと、壁の中に引きずり込んだ。

 

以前ミドナが同じようにしてくれたときに比べると、異様な不快感を感じた。壁を抜けるとたちまち周囲の空気が重苦しくのしかかり自分の耳がおかしくなったような気がする。それに加え、身体じゅうを小さな雷が駆け抜けている。すると途端に大きな雷に体を貫かれたような感じがした。激しい痛みにリンクは叫び声を上げて体をのけ反らせ、意識を失っていった。

 

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