「リンク、おいリンク」
ミドナの呼ぶ声でリンクは目を覚ました。
「いつまでも寝てないでそろそろ起きたらどうだ」
ミドナが再び言う。それを聞いたリンクは首を振り、体を起こした。すると、立ち上がろうとしても自分は四つ足でしか立てないことに気づいた。手を見ると、指が極端に短くて全てが毛むくじゃらだ。腕も肩も毛皮で覆われている。喋ろうとすると唸り声が喉から漏れてきた。
「やれやれ、どうにか上手くいったな」
ミドナが目の前に立っていた。
「まったく手を焼かせる。狼に変身したあと寝たままで起きないからどうなるかと思ったぞ」
リンクは改めて頭を振って意識をはっきりさせた。あたりを見回すと、左右を岸壁に挟まれた小道の風景は先ほどと変わらない。だが、周囲は夕暮れどきのような弱い光で満ちている。空を見上げても、まだ時刻はそれほどたっていないはずなのに日没前のようなオレンジ色だ。
すると、ミドナはまた当然のようにリンクの背中にどっかと腰を掛けた。リンクは抵抗しなかったが、これは何度されてもあまり心地のよいものではない。
「お前、あんな時代錯誤な服より狼のほうが似合ってるぞ。いっそ狼のままでいたほうがいいんじゃないのか?私も正直この黒雲の領域の中のほうが心地がいいしな」
リンクは返事の代わりに唸った。今の状態では嫌味を言い返すこともできない。
「ま、お前の服と装備一式は私が預かってやっているけどな。人間に戻れたら返してやる」
ミドナはリンクの耳を引っ張って念を押すように囁いた。
「うまく戻れたら、の話だがな。さ、出発だ出発だ」
走り始めてすぐ、リンクは気づいた。さっきまでは空腹と渇きでふらふらしていた。その空腹は変わらないのだが、今は野獣の力のおかげなのか、その状態がかえって自分に研ぎ澄まされた感覚と、激しく湧き上がる闘志を与えてくれていることがわかった。あの黒い背の高い悪鬼どもが現れてもたちまちその首を噛み砕いてやれそうなほどだ。
狼の足の速さは人間とは比べ物にならない。左右の岸壁が飛ぶようにして後ろに過ぎていく。ときおり、岸壁のふもとにある光の当たらない箇所にデクババが生えているのが見えた。以前フィローネの影の領域で見たのと同じ、真っ黒で紅色の奇妙な文様がついた奴だ。だがリンクは構わずにひたすらに先を急いだ。やがて一時間ほども走ったところで、岸壁の終わりが見えてきた。その先には平原が広がっているようだ。
リンクは突如として何かの臭いを感じて立ち止まった。トアル村の臭いだ。こんな場所ではあり得ない。
だが自分は今野獣の嗅覚を持っていることを思い出した。なぜここに村の臭いが?リンクは注意深く左右に首を振って鼻を効かせた。臭いの源を探して慎重に前進する。
臭いは次第に強くなる。数十メートルも進むと、道の真ん中に棒のようなものが落ちているのがわかった。近づくと、その形はどこかで見たことがある。固い樫の木でできており、人の手で丹念に削って作ったものだ。
木刀だ。モイから貰ったものをタロに貸したあの木刀だった。走り寄って臭いを嗅ぐ。タロとマロの顔が浮かんだ。どうしたわけかコリンとベスの臭いも混じっている。
間違いない、子供たちはこの先だ。リンクは再び走り始めた。左右の岸壁が終わり、平原に入る。上空は見渡す限り影の領域独特の微弱なオレンジ色で覆われている。道沿いに走っているとほどなく右手には登っていく斜面が現れた。正面には遠くに橋のような構造物が見える。進むにつれ右手の斜面が高くなっていき、その盛り上がった高台からの勾配がやがて急な岩壁になった。前方の橋から左手には高い柵が見渡す限りの範囲でかけられていた。
「おい」
ミドナの声でリンクは立ち止まった。
「見えるか?」
リンクが目を凝らすと、数百メートル先の橋のような構造物の前にうごめくものがある。
あの黒い悪鬼たちだ。三匹が一組となって、橋の前に陣取っている。
「先回りしたつもりなんだろうな。まったく間抜けな連中だ」
リンクは悪鬼たちの様子をしばらく観察したあと、一計を案じて方向を変えて来た道を戻り、左手の斜面を登っていった。
「おい、どうするんだ?」
ミドナが尋ねてくる。だが今のリンクは言葉で説明することが出来ない。リンクは立ち止まると、悪鬼たちの方角に顎を向けて唸り、ミドナの顔を見た。
「ほう、何か作戦があるってのか?」
ミドナは楽しそうに言った。
「面白い。見せてもらおうか。お前も私の教育....じゃなかった、調教が効いてきたみたいだな」
腹が立つのを堪えてリンクは斜面を登っていった。この腹立ちは悪鬼たちに支払ってもらうことに決めた。斜面を登り切り、悪鬼たちのいる場所が良く見渡せる崖の端まで進む。
よく観察していると、悪鬼たちは橋の前を思い思いに警備しているが、ときおりその巡回範囲が重なるときがあるのがわかった。リンクは鬼どもが一つ所に固まるときが来るのを待った。二匹が固まったところを結界で片付けても、一匹が残ってしまったのではまた蘇ってしまう。かといって、一匹を片付けてから残り二匹に取り掛かると、その時点で警戒されてしまい奇襲攻撃の利点を生かすことができない。
リンクは辛抱強く待った。幸い、相手には全く気付かれていない。やがて、黒い悪鬼たちが橋の前の広場の中央に集まる瞬間が来た。
崖から思い切り跳躍し、着地したかと思うと全力でダッシュした。百メートルもない距離だ。悪鬼たちの姿がみるみるうちに迫る。一匹がリンクに気づいて振り向く。リンクはもう一度思い切り跳躍すると、三体の悪鬼たちの囲みの真ん中に飛び込んだ。その瞬間ミドナに合図を送る。
リンクのほうを向いていた悪鬼が手を振り上げる。ほとんど膝を接するばかりの距離だ。後ろにいた敵に結界が届いたかは見えなかったが、もはや待っている猶予はない。前方の敵の身体に赤い小さな雷が走るのを見届けると、リンクはほんの少し後退し、それから目の前の相手に襲い掛かった。急所に致命傷を負った悪鬼が倒れる。そこからあり得ない鋭角で次の悪鬼に向かって飛んでいき、二匹目を倒す。結界は三匹目をも包んでいた。最後の一匹も喉を深くえぐられ、黒い血を吹き出しながら絶命していった。
黒い悪鬼どもの死体がみるみるうちに崩壊する。すると上空に黒い点が出現し、それがあっと言う間に大きくなって渦巻きとなった。悪鬼どもの死体の残骸が渦巻に吸い込まれていく。
「まったくあいつらつまらないことをしやがって」
ミドナが忌々しそうな声で言った。何事だろうと思いリンクがミドナの顔を見ると、彼女は橋のほうを指さした。見ると、橋は岸にかかっている構造部分を残し、その真ん中がすっぽりと欠落している。橋の下は底が見えないほど深い峡谷だった。
「私らを妨害しようとして橋をまるごと持っていきやがった。この距離はさすがに私でも渡れない。おい、橋を探しに行くぞ」
とんだ寄り道をさせられることになったようだ。だが橋を探すといってもどうやって?
「リンク、地図を出せ」
ミドナが言う。だが地図など今持っていないし、持っていたとしても広げることができない。
「だから頭の中で地図を出せっていうんだ。早くしろ」
再びミドナが言うので、リンクは言われたとおりにしてみた。だが何をするつもりなのだろう?
リンクが頭の中で、自分の知っているラトアーヌ地方、フィローネ地方と、さらにここに辿り着くまでに通過したハイラル平原の地形を思い浮かべると、その途端その頭の中の地図に青黒い形の小さな円がいくつか浮かぶのがわかった。これもミドナの魔法なのだろうか。
その円形は、今いる場所と、ラトアーヌの泉、フィローネの泉近くの広場、それに森の神殿に至る手前の広場の上に描いてあった。
「丸印はあいつらが開いてくれた出入口だ。私たちはポータルって呼んでるがな」
ミドナは説明した。
「要はやっこさんが影の使者--まあありていに言えば奴隷たちだな--をここに送り込むために開いた扉みたいなものさ。今度はそれを逆利用させてもらうって算段だ」
そう言うとミドナはリンクの顔を見た。
「あいつらが橋を持っていったってことは、ここと同じような自分たちの溜まり場に運んだって可能性が高い。それはわかるよな?」
そう言われてリンクは思い返してみた。溜まり場といえば、ラトアーヌの泉には影の使者は一匹しかいなかった。一方で、フィローネの泉の脇の広場は、リンクが通過したことで影の使者たちが出現した場所だ。彼らがそれより前から手をつけていたであろう場所は、この選択肢の中ではフィローネの森北の広場ということになる。
リンクが頭の中でフィローネの森北に注目すると、ミドナは満足そうに言った。
「ビンゴだ。お前も少しは物分かりが良くなったな」
そう言うと、彼女はリンクの背中から浮上した。すると、速い風が吹くような音がして、周囲の風景が揺らぎ始めた。ミドナのほうを見ると、まるで頭からつま先までの縦軸を中心に回転するように上空の渦巻に向かって浮上している。
途端に周囲が真っ暗になる。だがしばらくすると光が戻り、自分が別の場所に着いたことがわかった。
フィローネの森だ。あの森の神殿へ通じる回廊の手前にある広場だった。影の領域の外らしく、空は青く晴れている。だがそれを味わう間もなくミドナが目の前に現れた。
「普通影の領域からは滅多なことじゃ出られないんだぞ。感謝しな。さ、仕事だ仕事」
リンクは周囲を見回した。少なくともこの広場は岸壁に囲まれた内部は見通しがいい。何か所か、下草が高く生えている箇所はあったが、大きな構造物を隠せるようなものではない。もしそのようなものがここにあるなら、岸壁沿いに捜索すれば見つけられそうだ。
案の定、広場の北のきわに木でできた高い構造物があった。最初と二度目にここを訪れたときは、以前この周辺の住民が建設したやぐらか壁だと思っていたが、近づいてみてみると確かに橋を縦にしたような形をしている。
リンクはその構造物の前まで走り寄るとミドナを顧みた。彼女はリンクの傍らに浮上すると、腕組みして呟いた。
「こいつみたいだな。よし、運んでみるか」
ミドナが事も無げに言うのを聞いてリンクは思わず目を見張った。彼女が魔法の力を持っていることは知っていたが、この橋の長さは三十メートル以上もありそうだ。木でできているといっても並大抵の重さではないだろう。それをいったいどうやって?
「まあ見てな」
彼女はそう言うと、橋の中途あたりの空中に高度を上げて停止した。そのオレンジ色の髪の毛がまた魔法の力で大きな手の形をとる。
ミドナは意識を集中していたが、やがて重い物を持ち上げるために力を溜めているかのように息を詰めた。橋の構造物全体に一瞬オレンジ色の雷が走ったように見える。手の形となった髪の毛をまるで本当の手のように持ち上げると同時にミドナは気合を発した。
橋が重い音を立てて動いたかと思うと空中に浮いた。リンクが驚く間もなく、橋は広場の上空で横倒しになり、すぐにその色が真っ黒に変わって、その形が崩れていった。まるで破片のように細切れになり、上空の黒い渦巻の中に吸い込まれている。
それをポカンと見上げていたリンクも、自分の体もまた黒い破片のように細切れになっていくのがわかった。驚いているうちに周辺の風景がゆらぎ、風のような音が聞こえたかと思うとあたりが真っ暗になる。
すると、リンクは自分が先ほどまでいたオルディン地方の影の領域の峡谷の上に来ていることがわかった。いつの間にかあの橋がきちんと本来あるべき場所にかかっている。次の瞬間にはリンクはその木の床の上に降り立っていた。
「ほらぴったりだ」
ミドナはリンクの背中にどっかと腰を掛けながら言った。
「どうだ、影の力はすごいだろ?」
リンクは心底から驚いた。人の家ほど巨大な構造物を運ぶことができるとはいったいミドナの魔力はどれくらいのものなのだろう?
だが同時に、「影の力」という言葉が引っ掛かった。リンクがいつか戦うであろう究極の敵は「影の王」なのだ。だがミドナが「影の力」を使いこなす者なのだとしたら、ミドナと「影の王」はどういう関係なのだろう?同じような力を使いながらも互いに敵同士なのだろうか?
リンクはミドナに強く尻を叩かれ物思いから引き戻された。
「ほれ、先を急ぐぞ。出発!」
リンクは走り始めた。峡谷を渡るとそこも平原だ。狼の足で快速に飛ばす。また、ときおり立ち止まって鼻を効かせ、タロとマロの臭いが途切れていないかどうかを確認するのも忘れなかった。
しばらく走り続けると、足元の踏みならされた道が右手に分岐しているのが見えた。念のため足を止め、臭いを嗅いでみる。臭いの源は分岐のほうへは続いていない。少し前方に進んでみると、子供たちは明らかにこのまま西の方角へ連れていかれたことが分かった。
リンクは走る速度を速めた。この影の領域の中ではタロ、マロ、コリンとベスは白い光の塊である魂の姿になってしまっているかも知れない。だがそれでもなお安全を確かめたい。それに、精霊を見つけ出して影の領域から蘇らせることができれば、四人とも元通りになるのだ。リンクはイリアの臭いが感じられないことが気になっていたが、ともかくも先に進むことにした。
と、前方に何か人影が見える。この影の領域の内部で通常の姿をしていられるということは、まともな人間ではないのは確かだ。
リンクは速度を緩めず接近した。近づくほどにその異様な風体が目につく。全身が黒く、背の高さはブルブリンやボコブリンと大差ない。白い仮面をかぶっており、その仮面から一本の角が頭上に伸びている。リンクに気づくと、危険を察したのか手に持った棍棒を持ち上げようとした。
だが一瞬遅かった。リンクは思い切り相手に体当たりして地面に打ち倒すと、体を回転させ敵が手に持った武器を吹き飛ばした。さらにその首筋に思い切り牙を突き立てて体を左右に振り回す。動脈を噛み千切られ、その鬼は息絶えた。
だが背後に迫る足音が聞こえリンクは振り向いた。もう一匹同じ風体をした鬼が棍棒を振り上げて走り寄ってくる。リンクは迷わず進行方向に向けてダッシュした。今のリンクの足なら逃げ切るのは容易だ。戦いで体力と時間を無駄遣いするよりは早く子供たちの無事を確かめたい。
道を進んでいくにつれ、周囲の地形がやや変わってきた。ラトアーヌやフィローネで見るようなゴツゴツした岩ではなく、長年の風で削られたような丸い形の岩が平原のそこここに佇立している。正面には平原の終わりが見えてきた。はるか遠くだが、平原の終端を示す高い岩壁がそそり立っている。その岩壁も、蔦の一本も生えておらず黄色い色をしていて、これから訪れる地域がラトアーヌやフィローネと違って豊かな水源に恵まれていないであろうことを示していた。
リンクの狼の足が快速に飛ばす。一時間もしないうちに、リンクは平原の終端に到着した。高い岸壁が切れた場所に、「ようこそカカリコ村へ」と書いた看板が高く掲げられていた。その看板の下にはよくならされた道が続いている、はずだった。だが、今は巨大な門が設置されており道は閉ざされていた。
その門は太い木で組まれた極めて堅牢なつくりだ。しかも、門の上には鉄製の棘まで仕込まれており、その門の上に掲げられた看板の文句とは全く正反対の意図を示していた。何者かがこの村への出入りを禁じようとして建てたのだ。
門に接近してみると、木の隙間から向こうが見えてきた。先ほど見た奇妙な鬼が二匹、向こう側を警備している。
「あいつらこんな大層な門なんか建ててどういうつもりなんだろう?」
ミドナが独り言を言う。
「ま、お前には関係ないことだよな?怪盗犬リンクよ?」
またミドナが毒のあるセリフを吐いた。リンクは腹が立ったが今は自分が獣の姿であることを感謝すべきだということもわかっていた。感覚を研ぎ澄ませて門の手前の地面を鼻面で調べて回る。案の定、中央部分以外は道路がきちんと踏み固められていない。リンクは手ごろな一か所を掘り始めた。次第に穴が大きくなる。一心に掘り、やがて自分の体を穴に突っ込むことができるようになると、そこから一気に前方に掘り進めやがて門の下をくぐり抜けた。
リンクが門を抜けてしまうと、ミドナがまた現れてその背中に腰を掛ける。前方にいた奇妙な鬼二匹はまだこちらに気づいていない。まさか門を不正突破する者がいるとは思っていないようだ。それよりもむしろ、村の方面から脱出しようとする誰かを阻止するよう命じられているのかも知れない。リンクはダッシュした。鬼たちはたちまち気づいて喚いたが、後の祭りだ。狼の俊足で、みるみるうちに鬼たちをはるか後方に取り残していく。
両側を岸壁に挟まれた小道を進む。とはいえ、周囲の風景はハイラル平原からの道とは異なり、道端に生える草も少なく、岸壁も剥き出しの砂岩だ。しばらく走っていると、岸壁が終わる箇所が前方に見えてきた。村に到着したのだ。
リンクが進んできた小道は北方面に折れたあと広がって村の目抜き通りになっており、その左右には人の住んでいるらしき建物の群れが連なっている。一番手前の左にはお椀を伏せたような形のひときわ大きな建物があり、右手には岸壁のふもとに泉があるのが見えた。
そしてあの声が聞こえた。光を奪われ責めさいなまれる精霊の悲鳴だ。さらに、泉の前にある広場に例の先客が陣取っているのがわかった。黒く背の高い悪鬼。影の使者たちだ。
敵はやはり三体だ。リンクが岸壁の影から様子を伺っていると、その配置は、一体が遠く奥のほうへ、残り二体が手前にいることがわかった。さっきのように奇襲で全て片付けるのは困難だ。リンクは奥の一体を最初に倒すことにして物陰から飛び出した。
狙いを定めた一匹に殺到すると、そいつの後ろに回ってミドナに合図した。結界が広がって相手を包んだ瞬間に飛び掛かる。一瞬で首筋を切断され、悪鬼が倒れた。
残り二体がリンクに気づき、迫ってきた。それと同時に、周囲にドスンドスンと音が鳴り響く。柱状の物体がぐるりを囲んで配置されたのがわかった。魔法の壁だ。
だが逃げる気のないリンクには関係のない話だった。悪鬼たちが左右から襲い掛かってくる。一匹が巨大な鉤爪のついた手を払ってくるのを、頭を下げて躱し意表をついて正面突破する。そいつの後ろに回り込んでから飛び掛かる。髪の毛に噛み付き、思い切り体を振り回した。
頭を後方に引っ張られた悪鬼は思わずバランスを崩した。もう一匹が肉薄してきた途端リンクは地面に飛び降り、よたよたとたたらを踏んだほうの悪鬼の足首に思い切り噛み付いて引き回した。悪鬼はたまらず倒れる。だがとどめは刺さない。もう一匹が手を振り下ろしてくるのを視界の隅で察知すると、リンクは横に飛んでかわしてから向き直り、飛びついて首筋に思い切り噛み付いた。致命傷を与えないよう一回で止め、そいつが振り払おうと手を伸ばしてくるのを下に飛び降りて躱す。
転ばされたほうの悪鬼が立ち上がると怒りの声を上げた。リンクはそいつの両脚の間を通り抜けて後ろに回るとミドナに合図した。結界が広がる。立ち上がったばかりの悪鬼がくるりと振り返ったときリンクはもう一度そいつの脚の間を抜けた。意表をつかれリンクを見失った敵の身体を赤い色の小さな雷が覆う。リンクは首に傷を与えたもう一匹のほうに進んでいった。そいつは片手で血の流れる首筋をおさえながらもリンクを叩き潰そうともう片方の手を上げた。振り向くと、もう一匹がリンクの意図に気づいてこちらに向き直る。結界からは既に出ているが、例の雷はその体を覆っていた。次の刹那リンクは跳んだ。目の前の敵に致命傷を与えると同時に弾かれたように反対方向に飛んでいき、背後の敵に襲い掛かる。最後の敵も一瞬で命を絶たれて倒れた。
悪鬼どもの体の残骸が頭上に現れた渦巻に吸い込まれる。魔法の壁もたちまち消滅していった。リンクは、泉のほうに駆けよった。泉の上空に白い光の塊が浮かんでいる。そこから発している精霊の悲痛な声を、今のリンクははっきりと聞き分けることができた。
「狼に...姿を変えられた....勇者..よ..」
精霊は途切れ途切れの声で呼びかけてきた。
「わ...私は...精霊オルディン....勇者よ..こちらへ..」
リンクは泉の中に入ると白い光の塊のほうに向かって奥に進んだ。ラトアーヌやフィローネの泉と違い、清い水が浅く広い池のようになっており、その奥のやや小高い場所に水源がある。精霊はそこにいた。
「影の者たちに...奪われた..わが光を...どうか取り戻してほしい...」
精霊の声は苦しみと悔恨に満ちていた。守護すべき宝を奪われ、いまは処刑台に釘付けにされ死を待つばかりの虜囚が発するような声だ。一刻も早く救わねば、とリンクは思った。
「わが光..を...これへ..」
リンクの目の前に、フィローネで見たのと同様の、蔓の周囲に白いガラス状の球が寄せられた葡萄のような器が出現した。ミドナがリンクの上から手を伸ばすとその器を拾い上げる。
「わが...最後の力...で...光に取り憑いた闇の蟲..たちの..場所...を」
すると、リンクの頭の中にある感覚が湧き上がってきた。リンクはこの村の地形を知らないが、どの方向に何匹虫たちがいるのかを感じることができるのだ。
「砕け..散った..わが光を..どうか...どうか....」
精霊は続けて言った。リンクは頷いた。言葉で答えることはできないが、必ずあなたを助け出す、と心で念じたあと、踵を返して泉を出た。
泉の前の広場に最も近いのが西側に接した椀を伏せたような石造りの白い建物だ。窓はどれも固く閉じられている。ふと思い立って、周辺を歩き回りながら地面に鼻を近づけ臭いを嗅いでみた。あの平原からずっとここまで一本道だったから、タロとマロの臭いはこの辺りからたどれるはずだ。果たして、臭いは泉の手前の広場から、その建物の表の扉の下まで続き、そこで途切れていた。
タロ、マロ、ベスとコリンはこの建物に入ったのだ。最初の行先はこれで決まった。リンクは改めて建物の周囲を捜索した。裏手に回ると、人気のない薄暗い道が西に続いている。ぐるりと回って建物の北東あたりに戻ってくると、崩れかけた防壁のようなものの脇に壊れた荷車が放置されていて、その前には木製の庇が設けられていた。
「ここから行けそうだな」
ミドナが言う。リンクが彼女を顧みると、ミドナは空中を浮遊して庇の上に立った。リンクは後を追って跳躍する。するとミドナはさらに浮上して、建物の上へ達した。魔法の助けを借りてリンクもそこに飛び上がる。
建物の天辺には十メートル四方ほどの屋上があり、そこには木で組んだ枠の上に鐘が設置されていた。屋上の床をよく見ると、細木で作った骨組みの上に土を塗り固めた天井が崩れている箇所がある。リンクはその部分を前足でこじってみた。風化によって弱くなった土材がボロボロと崩れる。自分が通れそうなほどの穴を開け、顎でその内部の組み木を叩き壊した。
リンクはその建物の中を覗き込んでみた。背の高いわりには階層に分かれておらず内部の床は地上と同じ高さだ。注意深く見てみたが、魔物の気配は感じられない。リンクは思い切って飛び降りてみた。
床に降り立つと、そこは広い円形の集会場のような場所だった。中央に祭壇のようなものがあり、部屋のぐるりを少し高い石造りの壇が囲っている。祭壇の前には大きな火鉢があり、そこからの明りが部屋の内部を照らし出していた。
子供たちはここにいるはずだ。リンクが感覚を研ぎ澄ますと、部屋の片隅のベンチのあたりに白い光がいくつも固まっているのがわかった。
近づいてさらに意識を向ける。黒く長い髪をし、祭司のような寛衣を着た男が腰かけているのが見えた。その男に抱きついて顔を埋めている幼い少年がいる。タロだ。
さらに感覚を集中していると、見えてきた。タロの後ろにコリンがいる。男の左にはベスもいた。
リンクは安堵が心中に広がるのを覚えた。ベスの左には見知らぬ黒髪の少女が座っている。髪の長い男と同じような文様がついた服を着ていたから、男の娘なのだろうとリンクは見当をつけた。
マロは?マロはどこにいる?少し左に目を転じると、あの天才児が座り込んでいるのが見えた。マロも生きていたのだ。良かった。
だがイリアはいないのだろうか?さっき嗅いだ臭いの中にイリアの臭いは混じっていなかった。しかし万が一ということもある。リンクは念のため部屋の中を探し回った。だが、イリアの臭いが周辺にまったく感じられないことから、無駄だということは自分でもわかっていた。
通りに面した窓際までいくと、頭が禿げ上がった中年の男が窓の格子から外を覗き込んでいるのが見える。男は小柄だがたくましい体格で、鉱山労働者のような長いズボンをズボン吊りで吊り下げていた。
「あの黒い化け物どもが見当たらなくなったな....」
中年男は呟いた。
「だが安心できねえ。いつ戻ってくるかわかったもんじゃねえぞ。おまけに俺の手製の爆弾も効きやしなかったしな」
忌々しそうに首を振ると男は振り向いた。リンクは一瞬自分の存在を気取られたかと思ったが、すぐに影の領域の中では自分の姿は他人には見えないということを思い出した。
「なあレナード...知ってっか?雑貨屋のかみさんはあの化け物に襲われて姿を消したってえ話なんだが、どうなったと思う?」
しばらく間を置いたあと、中年男は言った。
「村人が見に行ったら、あの化け物がもう一匹増えてたらしい。てことはもしあいつらに襲われたら俺たちも...」
突然、髪の長いほうの男の脇に座っていたベスが声を上げて泣き始めた。
「バーンズ」
レナードと呼ばれたほうの男が静かな、しかし有無を言わせないニュアンスを込めて中年男に呼びかけた。中年男は射すくめられたかのような顔をして黙った。
「大丈夫だ。ここに居る限り奴らも入ってこれない」
祭司の服を着た髪の長い男がベスの背中をさすって慰める。だが中年男はまだ不満のようで、しばらくすると小さな声でまたしゃべり始めた。
「だが万一ってこともあるだろうよ..祭司様よ、どっか安全に隠れる場所はねえのか?」
少しの沈黙のあと祭司は答えた。
「地下室がある」
「なぜそれを先に言わねえ!で、どうやって入るんだ?」
中年男が俄然気を引かれたかのように聞いた。
「この礼拝所にある全ての燭台に火を点せば地下室への扉が開く...が」
「が..なんだよ?」
「私がさっき父の代わりに見に行ったんですが、あの大きな蟲が何匹もいて..」
黒髪の少女が答えた。
「ちぇっ...くそっ...」
中年男は舌打ちすると黙り込んでしまった。するとベスが再び声を上げて嗚咽しはじめた。
「私たちもうおしまいなんだわ」
祭司が再び慰めようとしたがベスは泣きながら押し出すように言った。見ると、あのタロまでもが今にも泣きだしそうな顔をしている。その一方でマロは醒めた顔をしてベスと兄の様子を見ていた。コリンは向こうを向いていて表情が見えない。
「もうおしまい。もう死ぬのね。もっとおしゃれしたり恋したりすればよかった。こんな年で死ななきゃいけないなんてあんまりよ」
ベスが顔をおおって嗚咽する。
「ベス、泣かないで。きっと大丈夫だから」
コリンがベスに駈け寄って両肩に手をかけた。だがベスは振り払うようにかぶりを振ると泣き続けた。
「ベス、大丈夫だよ。きっと助かるよ」
コリンは諦めずに話しかけ続けた。
「僕にはわかる。わかるんだ」
「わかるって何がよ?」
ベスが涙声で尋ねると、コリンは力強く言い切った。
「僕にはわかる。絶対に、絶対にリンクが助けに来てくれるって」