登山道は緩やかな勾配の上り坂だった。リンクは狼の足で飛ばしていった。途中、所々にひとかかえほどの岩がいくつも転がっている。左右にくねる道を駆け抜けていくと、道はいくつかの段差を下るようになった。
やがてリンクは前方に広場を見渡す場所に出た。広場の大きさは縦百メートル、横二百メートルほどで、高い岸壁に三方を囲まれている。山側は、十メートルほどの高さの鉄骨に補強された段差が組まれ、その先にもさらに同じくらいの高さの段差がもう一つあるようだ。
リンクの目の前の道は人の腰ほどの高さの段差が巨大な階段のように刻まれて広場まで下っている。
そして広場の左側にはあの黒い巨大悪鬼たちがいた。影の使者。今度は四体いる。
「へえ、急遽数を増やして対応しましたってわけか。猿知恵を効かせたな」
ミドナが嘲笑った。
「おい、どうせ奴らに近づいたら魔法結界で閉じ込められることになるんだろうが、問題ないだろ。早く片付けて先にいくぞ」
そう言われたリンクも異存はなかった。段差を快速に飛び降り、影の使者たちの待ち受ける床に降り立った。
使者たちは一体が山側に、三体がその反対側を巡回している。だが、三体それぞれが動き回るにつれ、群れが散るタイミングがあることがリンクにも分かった。
リンクはまず三体の群れの一匹を、次いで孤立した山側の一体を狙っていくことに決めた。気づかれないうちに距離を詰めるべくダッシュする。
周囲に、重い物が落下するドスンドスンという音が響く。結界を発生させる柱が落ちてきたのだ。リンクは悪鬼たちとともに結界に閉じ込められた。だが想定済みだ。
三体のうちこちらに一番近い一体に急接近する。そいつが振り向いた瞬間肩口に飛びついて牙を激しく突き立てた。さらに、空中で体を一回転させそいつの仮面を自らの体で打ち、目をくらますと、地面に降り立ってミドナに合図する。その悪鬼が気を取り直したときには結界がその身体を包み込んでいた。
リンクが宙を飛んで襲い掛かる。悪鬼は動けない状態で喉を裂かれ瞬時に絶命した。着地するなり、リンクは山側で孤立している個体に向かって突進した。
だがその刹那、リンクは見えない壁に突き当たって跳ね飛ばされ、地面に転がった。慌てて立ち上がるが、目の前に半透明の壁があるのが見えた。
「あいつ小細工したな!おい、進路変更だ」
ミドナが叫ぶ。複雑に入り組んだ魔法結界が張られた中にいる山側の一体は、他の三体が全滅したときの保険として保護されていたのだ。リンクはその一体へ行き着く経路を探ろうと目を走らせた。目を凝らし、柱が立ててある箇所から推察すると、山側を右に見て正面の突き当たりの岸壁の手前のようだ。
しかしその時には既に二体の影の使者たちがこちらに気づき、足音を響かせながら接近してきた。これで作戦が潰れた。近いほうの一体が手を振り上げて距離を詰めてくる。ここでこの二匹を倒しても、残りの一匹によって甦らされてしまう。
リンクは二体の悪鬼の間を走り抜けた。そのうち一体の攻撃が背後をかすめる。リンクは隔離された一匹のほうへ駆け寄ろうとしたが、立ち並ぶ魔法結界の柱に一瞬惑わされた。どこを抜ければいい?
その刹那、背後にいた二体が追いすがってくる。一体が振り下ろした手を反射的にかわしたが、もう一匹の横殴りの攻撃を避けきれなかった。リンクは吹き飛ばされると奥の岸壁に叩きつけられた。
「おい大丈夫か!」
ミドナが叫ぶ。リンクは素早く立ち上がったが、体中が痛い。骨が折れなかったのは幸運だった。振り出しに戻るかたちになるが、この二匹を片付けるしかない。
リンクは体の痛みをこらえ、なおも迫って来る悪鬼たちの間をダッシュしてすり抜けた。ミドナに合図を送る。悪鬼のうち一匹の足元にいるリンクから真っ黒な結界が広がる。リンクはもう一匹のほうに進み出て二体ともが結界に入るよう位置取りした。
次の瞬間跳躍したリンクは魔法の力の助けにより稲妻のような角度で二匹の悪鬼の間を飛びまわった。両方ともが崩れ落ちる。だがその途端に、魔法の壁で隔離されていた一匹が恐ろしい咆哮をあげた。
耳を籠する吠え声にリンクは思わず体がすくんだ。倒した三体が一斉に起き上がる。
隔離された一匹を何としてでも倒さねばならない。気を取り直したリンクは自分がさっき叩きつけられた岸壁に走り寄った。三体の影の使者たちがこちらに迫って来る。奴らが間合いに入る前に、隔離された一匹への突破口を見つけなければ。目を走らせると、岸壁の手前にある柱からその先に進める間隙が見える。リンクは弾かれたように跳躍すると、右左に動きまわり敵を攪乱した。目の前の悪鬼がついてこれず動きを止めた瞬間に、見つけた突破口から、隔離された一匹のいる場所に飛び込む。即座にミドナに合図を送る。
結界に相手が包まれた瞬間飛び掛かる。急所を切り裂かれた悪鬼が倒れる。まだ三体が残っている。リンクは、今倒した一匹が隔離されていた魔法の壁の内部にわざと留まった。残り三匹の悪鬼たちはこちらに殺到してくる。
これは好機だ。リンクはほんの少しのあいだ動きを止めタイミングを見計らうと、魔法の壁の内部から飛び出した。ミドナへ合図を送る。
結界が円形に広がっていく。リンクを叩き潰そうと集まってきた悪鬼どもが全て赤い雷で包まれる。リンクは牙を剥いて跳躍した。悪鬼たちは首を切り裂かれ次々と倒れる。
やがて彼らの骸がボロボロ崩れたかと思うと、上空に現れた渦巻きに吸い込まれていった。
リンクは荒い息をついた。四体の影の使者を倒した。壁を形成していた柱は魔力を失ったのか消え去っている。リンクは体の痛みをこらえ、自分に言い聞かせた。先に進まなければ。周囲の気配を探ると、鉄骨で補強された壁の途中にあの闇の蟲が取りついている。壁に近づくと、思ったより高い場所にいる。
息を整えながら蟲を見上げた。結界も届きそうにない。その刹那、地響きがしたかと思うと遠くから爆発音が聞こえた。
リンクが目をあげると、影の領域特有のオレンジ色の空の片隅に赤い火のような色が広がっていた。すると、風を切るような音がして、リンクの周囲にパラパラと石が落ちてきた。
「まずいなこりゃ。火山弾だ」
ミドナが呟く。だが、リンクはその意味がわからなかった。蟲のほうを見ると、周囲の騒ぎに刺激されたのか、壁から飛びたった。リンクはミドナに合図した。
「おい、あんまり長居はできないぞ」
ミドナはそう言いながらも結界を出す。広がった結界が空中の蟲を包む。リンクは飛び上がって蟲を噛み砕いた。地に落ちた蟲から光の雫が浮かび上がる。
降りてきた雫をミドナが掬い上げた。そうしている間にも、また地響きが起こった。再び石がパラパラと落ちてくる。西側の壁際にある低い岩の台から先に登れそうだと判断すると、リンクはそこに飛び乗ってミドナに合図した。ミドナは鉄骨で補強された壁の上に浮かび上がった。壁からはまた蒸気か噴出している。リンクはその蒸気が止まった一瞬を見計らって飛び上がった。
段の上には白い光が揺らめいていた。だが、今確かめている余裕はない。目の前にはもう一段、五メートルほど上の高さの段差がある。蟲の気配はその方角からだ。
地響きが一層強くなる。と、また風を切る音が聞こえる。次の瞬間、リンクの目の前三メートルほど右に、灼熱に赤く色づいた、一抱えもありそうな大きさの岩が落ちてきた。
目の前の段差を登る方法を探さなければ。見ると、昔作られたと見える崩れかけた壁が今いる崖の縁に連なっている。
リンクはその壁の残骸の上に登った。上の段を見上げると、やはり壁から蒸気が吹き出している。小さな火山弾がまた周囲に降り注いだ。ヒューと風を切る音が聞こえる。リンクは一心に壁から吹き出す蒸気を見つめた。もう時間があまりないことはわかっている。蒸気が止まった瞬間にミドナに合図した。浮上したミドナの後を追ってさらに上の段の縁を補強した鉄骨に飛び付く。
どうにかして鉄骨に前足をかけると、上に這い登った。蟲の気配が向こうから感じられた。前に進むと、すぐ先がまた崖になっており、地面が大きく下に下がっている。
いや、地面と見えたのは水面だった。リンクは迷わず前に飛び込んだ。
降り立ってみると、そこは人手で堀りこんだ水浴場のような広い場所だった。ごく浅い水が張ってある。地響きに辺りが揺れるなか、蟲の気配を探した。だが、気づくとあの蛸のような化物が水中のそこらじゅうを這いまわっている。
さらにラッパ音が聞こえた。あの怪鳥が上空を周回している。
蛸の怪物がリンクを認めると襲いかかってきた。反射的に体を一回転させる。二、三匹の魔物が撥ね飛ばされた。火山弾が落ちてくる。リンクが飛び退くと、蛸の化物の一匹が潰された。
そこに怪鳥がリンクを狙うように爪を広げて高度を下げてきた。
「しっちゃかめっちゃかだな、こりゃ」
ミドナが言った。
「おいリンク、一旦撤退するぞ。こんなところにいつまでもいたら身体がいくつあっても足りない」
だが、リンクはこの混沌のなか、浴場の壁に取りついた蟲の姿を目の隅でとらえていた。ミドナのほうを見ると軽く首を振る。
「ったく往生際の悪い奴だな。三十秒だけ待ってやる。それ以上は駄目だぞ」
リンクは怪鳥の攻撃を横っ飛びにかわし、その肩口に飛び掛かって牙を立てた。地面に引き倒すと、激しく首を振って肉を食いちぎる。時間稼ぎが出来ればいい。
虫がいた方向に向き直る。この騒ぎで蟲も安心していられなくなったのか、壁から離れて床に降りていた。ミドナに合図を送る。結界が広がっていくと同時に、リンクは五メートルほど先にいる虫ににじり寄った。
また火山弾が落下する音がする。リンクはギリギリまでこらえると、虫の身体に赤い稲妻が走った瞬間に飛び掛かった。さっきまでリンクがいた地面を大きな火山弾が直撃する。同時にリンクの牙が蟲をとらえた。
蟲が潰れてひっくり返ると、中から光の雫が浮かび上がってきた。怪鳥が起き上がると、ラッパ音を立てながら羽ばたきし、再び飛び上がった。光の雫は一旦浮き上がるとまた高度を下げた。怪鳥がまた爪を広げて襲いかかってくる。リンクは雫に目を注ぐと、狙いを定めて飛び上がった。
ミドナが精霊の器に雫を掬い上げた。
すべての雫が揃った。
途端にリンクの身体からまばゆいばかりの光が溢れ出る。いや、あの器からだろうか?リンクに襲いかかろうとしていた怪鳥は、光を見て恐れをなしたのか、方向を変えて飛び去った。
周囲にまた大小の火山弾が降り注ぐ。だが不思議なことに、リンクの周りに透明な壁ができたかのように、その落下音が遠くなった。空全体が次第に明るくなる。と思うと急に周囲が真っ暗になった。そうか。ミドナの魔法で移動しているのか。リンクは気づいた。意識がやや遠退いていくと同時に風が吹くような音がして、リンクは自分がよく晴れた青空の下に突然投げ出されたのを感じた。
あたりを見回す。どうやらカカリコ村入り口の泉らしい。リンクは浅い泉の水の中に尻餅をついていた。右手に高い岸壁が、正面には最初ここに来たときに侵入した礼拝所のような建物がある。
リンクは立ち上がると、自分の両手を見た。籠手をはめた人間の手だ。自分の頬を触ってみる。やはり人間だ。
リンクは心底ほっとした。ミドナが「上手く人間に戻れれば」などと不安になる言い方をしていたから、万一戻れなかったら、という心配が頭の隅にあったからだ。
念のため、リンクは自分のシャツを捲ってみた。腹も毛むくじゃらではない。ああよかった。だが同時におかしなことに気づいた。
シャツのボタンが一つも留まっていない。少し体を揺すると、鎖帷子の止め金も全て外れていて背中ががら空きになっているのがわかった。おまけにズボンもずり落ちそうになっている。帽子は頭に載せただけでリンクが動くと水面に落ちてしまった。
「もとに戻れてよかったな、狼男さんよ」
いつの間にかミドナが傍らに浮いている。影の領域の中でとは違い半透明だった。
「ありがとうミドナ、と言いたいところだけど」
リンクは水面から帽子を拾い上げ、水滴を払って被り直しながら言った。ズボンを引き上げてポーチのベルトを締め直す。
「この服の着せかた、もう少しなんとかならなかったのか?」
「調子に乗るなよ下僕。私がお前の母親みたく丁寧に服を着せてくれるとでも思ったか?預かってもらっていただけでもありがたく思え」
ミドナが冷たく答える。リンクはやれやれとため息をつきながら、泉の岸まで歩いた。地面に一旦剣と盾を下ろし、チュニックと鎖帷子を脱いでシャツを着直した。
「お前はこれからあのガキどもと感動の再会ってことになるんだろうが、一つ言っておくぞ」
「なんだいミドナ?」リンクはシャツの裾をズボンに入れ、鎖帷子を頭から被りながら聞いた。
「お前の本来の仕事は影の結晶石を手に入れることだ。それをくれぐれも忘れるなよ」
「わかってるよ。忘れてない」
鎖帷子の止め金を止め、チュニックを着て帽子を被る。剣の鞘のストラップを背中に回し、盾を引っかけてやっと身支度が完了した。
「私も鬼ではない。ガキどもと過ごす時間は一日くらい与えてやる。いわばリフレッシュ休暇だ」
「感謝するよ、ミドナ」
「感謝いたします、ミドナ様、だ」
「感謝いたします、ミドナ様」
「よろしい。休暇が終わったらまたバリバリ働いてもらうぞ」
ミドナはどこかに消えた。リンクは空を見上げた。眩しい太陽が照り付けている。気温もトアル村より高い。それと同時に狼になる前に感じていた恐ろしいほどの空腹と渇きが襲ってきた。泉の水源に向かうと、清冽な水が小高い岩の台から湧いてきている。リンクは口をつけて貪るように水を飲んだ。次に水筒を取り出して中をよく洗ってから、泉の湧き水で満たした。
ようやく人心地ついたが空腹感はまだひどい。だが、子供たちの顔を見なければ。リンクは泉から出ると礼拝所に向かった。だが道を横切る前に礼拝所の扉が開く。
中からタロとベス、そしてコリンが出てきた。リンクの姿を認めるとコリンの顔が輝いた。だが、タロがコリンを押しのけるようにして道に飛び出してきた。
「リンク!」
ベスもこちらに走ってくる。リンクはタロとベスを抱き寄せた。目線を上げるとコリンもおずおずと近づいてくる。リンクはコリンにも手招きして、その頭を撫でてやった。
コリンは自分のことを信じてくれていたのだ。あの影の領域での子供たちの会話を自分が聞いていたことは秘密だ。だが、どうしてもコリンに感謝の気持ちを伝えたかった。リンクはコリンの顔を見るとウインクした。コリンは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにうれしそうな笑顔になってリンクの腕にしがみついてきた。
戸口から、マロがちょこちょこと歩いてくる。リンクは両手を広げてマロに歩み寄ると高く抱き上げた。
「よせ、そんな挨拶をされると赤ん坊に戻った気分がして不愉快だ」
マロは眉一つ動かさずに言う。精神年齢がますます上がっているようだ。リンクが笑いながらマロを地面に下すと、祭司の服を着た男と、黒髪の娘が姿を現した。
祭司はリンクに手を差し出した。
「君がリンクか。子供たちから聞いたよ。私はレナードだ」
リンクは自己紹介した。祭司の手は細長い指が特徴的だったが握手は強かった。肌の黒い顔に微笑を浮かべている。
「君たちがまさか遠いラトアーヌ地方から来ていたなんて思いもよらなかった。ああ、こちらは私の娘のルダだ」
レナードは黒髪の娘を紹介した。父レナードと対照的な白い肌に黒目勝ちの大きな目をしていた。ルダは笑顔を見せると軽く膝を曲げて挨拶した。すると扉の奥からあの頭の禿げあがった中年男が出てくる。
「いったい何がどうなってるんだ」
中年男が左右を見回して呟く。レナードは中年男を指した。
「こちらはバーンズ。バーンズ、こちらはトアル村から来てくれたリンクだ」
「あ?ああ、どうも」
バーンズは適当な挨拶を返すと、今度は空を見上げた。あの影の領域が消え去ったことをいまだに信じられない様子だ。
「この村は今朝まで奇妙な黒い霧に包まれていたんだ。それが突然晴れたので皆少々驚いていてね」
レナードが説明する。
「だがしばらく前からこの村を魔物たちが行き来するようになってしまった。ここも子供たちにとって安全とは言えない。君が来てくれてよかった。できればトアル村に連れて帰ったほうがいい。私たちはここを離れるわけにはいかないが」
だが会話しているとリンクのお腹がグウと鳴った。
「これは失礼した。長旅で疲れたろう。粗末なものしかないがこっちで食事をしてくれ」
レナードはリンクを礼拝所に招き入れた。ルダは竈に火を起こすと、スパイスの効いた豆入りのスープを調理して椀によそってくれた。久しぶりのまともな食事にありついたリンクは心ゆくまで食べた。ルダは食後に干した果物まで出してくれた。
食事をしていると、外で遊んでいた子供たちが戻ってきた。黒い霧のせいでしばらく太陽の光を浴びていなかったので久しぶりの外出だったのだが、今度はトアル村に比べ格段に強い日差しで暑くなってしまったようだ。
果物を食べながらリンクはレナードと話をした。レナードはこの村の礼拝所を管理する祭司であり、また医術師でもあるそうだ。リンクは、どのような経緯で四人の子供たちがこの村で匿われるようになったのか尋ねた。レナードは神のご加護のおかげで、と言葉を濁していたが、そこにタロとマロが割り込んできた。
「リンク、レナードって凄いんだよ!」
タロとマロが話すところによると、彼らが助けられたのはこのようないきさつであった。
ブルブリンの一味は、トアル村を襲撃し子供たちを誘拐してからのち、戦利品を運びながら北を目指して二昼夜連続行軍していた。彼らはやがてカカリコ村に到着したところで小休止し、泉の前の広場で勝手に荷物を広げ野営の準備を始めた。突如現れた悪鬼の集団に震え上がった村の住人たちは皆家の戸を固く閉ざしてしまったが、レナードは礼拝所の窓から外の様子をうかがっていたのである。
彼はブルブリンたちの荷物の中に両手足を縛られた子供たちが四人いるのを見つけた。(これがコリン、タロ、マロそしてベスである。)
レナードは立ち上がると驚くべき大胆な行動に出た。彼はまず礼拝所の裏口からこっそりと抜け出して、斜向かいの既に主が逃げ出した宿屋に行き、その倉庫の中から強いラム酒の瓶をありったけ持ってくると、大きな甕の中にそれをぶちまけ、その上からラネールケシのエキスを一瓶注ぎ入れて丹念に掻き混ぜた。ラネールケシというのは北東のラネールの山のふもとに自生する麻薬性植物で、レナードは外科手術をしなければならない時などはこのエキスを患者に飲ませていた。これは甘い香りがするのだが、二、三滴口に入るだけでたちまち深い眠りに落ちてしまうという強烈な麻酔薬である。
次に、祭司はその特製カクテルを入れた甕と干し肉や塩をまぶした乾燥芋などを携え、悪鬼どもの宿営の前にうやうやしく進み出て口上を述べた。
「実に偉大なるブルブリン一族の戦士たる貴方がたにいつまでも神の加護がありますように。私レナードはカカリコ村を代表する祭司として貴方がたへの歓迎の意を表するためこの貢物を持参したのです。どうか偉大なるブルブリン一族の権勢がとこしえに続き、またあなた方の偉大なる王もまたこの村にお慈悲を垂れてくださいますように」
ブルブリンどもは、当然のことながらレナードが何を言っているかを理解することはできなかったが、彼の恭順な態度から敵意はないことだけは理解できたらしかった。何匹かの悪鬼どもは、レナードが着ている祭司用の上等なリネンのガウンに目をつけ、彼を小突き回して服を剝ぎ取ろうとしたが、喉の乾いていた一匹のブルブリンが酒の甕を開けて味見を始めるとその他の鬼どももたちまち甕の周りに群がってきて、それぞれ手に持ったコップを中に突っ込みグビグビとあおり始めた。レナードの特製カクテルは大好評で、ブルブリンどもは皆何杯もおかわりしただけでなく、甕が空になってもそこに頭を突っ込んで内側を舐め回す者が出るくらいだった。
やがてすっかり酔いの回った悪鬼どもは一人また一人と眠り始めた。最後の一人が眠ってしまうと、レナードはサンダルの裏に隠した小刀を取り出し、四人の子供たちの縄目を解いて礼拝所に連れていき、自分の娘のルダと一緒にその地下室に隠れさせたのである。
レナードの算段はこうであった。礼拝所の地下室の扉の開け方は、自分とルダ以外は誰も知らない。だから、レナードさえ口を割らなければ悪鬼どもが子供たちを見つけ出すのは不可能であった。そしてルダには、もし自分が殺されたら地下室に蓄えてある食料を食べながら生き延び、ブルブリンどもがいなくなったのを見計らって裏の墓地に通じる竪穴から地上に脱出し村人の助けを呼ぶようにと言い含めておいたのだ。
やがて夜が明けると、酔いの醒めたブルブリンどもが礼拝所になだれ込んできた。彼らはレナードを裸にひん剥いて両手足を押さえつけると拷問しはじめた。一言何かを喚き、レナードが黙っていると棘のついた棍棒で小突くのである。(そのときの傷跡が彼の右目の上にまだ生々しく残っている。)しかし彼が小一時間ほど頑張っていると、やがて鬼どもは礼拝所から出ていって、荷物をまとめてどこかに行ってしまった。
レナードは全身に傷を負っていたが幸いにも深手ではなかった。彼は服を着て外に出、悪鬼どもが本当に立ち去ったことを確認すると、子供たちを地下から出し温かい食事をとらせた。幼いマロは特に衰弱が懸念されたので薬湯に入れて体を温めたり木の実と果物を磨り潰し蜂蜜を混ぜた栄養たっぷりのペーストを食べさせるなどしてようやく元気を取り戻させた。
ブルブリンたちは立ち去ったが、彼らのこれまでの行動パターンからして、ハイラルを南北に移動する際の中継地点としてこのカカリコ村を使っているのは明らかだった。彼は油断せず、しばらくの間は子供たちを礼拝所から出さないように心がけていた。また、彼らの話を聞いてトアル村の出身だとわかり、旧知の仲であるボウの手に戻すまでは自らの手で魔物どもから守り抜くことを決意したのである。
だがそこに、あの黒い霧が襲ってきた。村を照らしていた太陽の強い輝きは消え去ったうえ、村の上空にはあの怪鳥や吸血蝙蝠、広場には天をつくような背の高い悪鬼どもがうろつくようになってしまった。そこで祭司は、バーンズとともに子供たちを礼拝所に匿いそこで籠城していたのである。(バーンズというのは村で有名な爆弾職人であるそうだ。彼はリンクたちが会話している間店の様子を見に行くと言って立ち去った。)
タロとマロが話している間、レナードはほとんど口を挟まなかったが、タロが彼のことを英雄のように言いそやすと、やや居心地が悪そうだった。
「神のご加護ゆえだよ。私の力ではない」
祭司はそう言うと、食器の片づけをしているルダを手伝いに行ってしまった。マロは洗い場で立ち働くレナードに顎をしゃくるとリンクに言った。
「あれは大した人物だよ。こんな田舎村の祭司にしておくには惜しい」
リンクも同意した。もし、選ばれた勇者になれるような人物がいるとしたらむしろそれはレナードではないか、と思ったほどだ。
「少々宗教臭いのが玉に疵だがな」マロは、レナードの人物評に一つまみの嫌味を加えることも忘れていなかった。
満腹になると、リンクは眠気を催してしまった。涼しい礼拝所のベンチで昼寝をする。目覚めると、今度はルダが夕食を用意してくれていた。
リンクは、先ほどは子供たちに遮られてしまったので、今度は夕食を頂きながらゆっくりとレナードと話をした。
このカカリコ村というのは数百年、あるいはそれ以上の歴史のある古い村で、おそらくは古ハイリア人が天空から地上に降りたときから王家に仕えていたシーカー族が開いたものだという。だが現在のカカリコ村にはそのような神秘の面影はなく、村に活力を与えているのは何と言っても北方にあるゴロン鉱山との交易であった。
ゴロン鉱山には亜人ゴロン族が住む。彼らは人間をはるかにしのぐ膂力と体格、そして岩のように頑丈な皮膚を持つ勇壮な種族である。活火山の過酷な環境に適応できる彼らは、鉱石の採掘と運搬を受け持っていた。この鉱山は実際、鉄鉱石、銅、銀、さらには高額ルピーまでもが採掘される宝の山と考えられており、ゴロン族は採掘した物を人里に持ち込み、現物あるいはルピーにより報酬を受け取っていた。
一方で、彼らは鉱山の機械設備を保守修理する技術を持っていなかった。そこで時折人間が鉱山に立ち入り、錆びついた動力機械に油を差したり、摩耗した部品を取り換えたりしていたのである。人間とゴロン族はこのようにして持ちつ持たれつの関係であった。
バーンズは、この鉱山から採掘される硝石を原料に爆弾を作成している職人である。彼は爆弾づくりの腕だけではなく商才もあった。無尽蔵といえるほどの爆弾の原料をゴロン族から仕入れるかたわら、彼は爆弾の効用をゴロンの若者たちに説き聞かせた。
ゴロン族はもともと、力の強さこそが人の価値を決めるといった極端なマッチョイズムを伝統とする種族である。彼らは素手で岩石を粉々に砕くことができるのを代々誇りとしていた。ところが、バーンズは爆弾を使った効果的な採掘を提唱した。人間たちは当たり前にやっていたことである。しかしバーンズの辛抱強い働きかけの結果、ゴロンの若者たちの間では爆弾を使って「スマート」に仕事を済ませる風潮が高まってきた。かくして、バーンズは原料を安定的に手に入れつつ長期の顧客を獲得するという二重の利益を得ることになった。いっぽうでゴロンの族長や長老たちは素手で岩を砕くことを厭う若者が増えていることに嘆くことしきりであったらしい。
しかし、いずれにせよ人間とゴロン族の間の協力関係は長年にわたりおおむね友好的だったのである。それが変化したのは半年ほど前のことである。まず、カカリコ村にブルブリンたちが出没するようになった。すると今度は、ゴロン族の態度がおかしくなってきた。人間を鉱山に入れないと言い出したのである。交易はその後しばらくは続いたが、やがて途絶えてしまい、ゴロン族は緘口令でも敷いているのか内部の事情を一切人間に明かさなくなった。
ブルブリンが頻繁に出没するようになって村の雰囲気は一変した。魔物が来るたび各戸の主は固く扉を閉ざし、ひたすら災厄が過ぎるのを待った。やがて経済は停滞し、暮らし向きは悪化した。鉱山の技師から店の従業員たちまで、かつては数多く住んでいた住民たちの大半が村を離れた。そしてとうとう村の目玉施設であった商店と旅館までもが、その主たちの離村により閉鎖されてしまった。
この村には村長といった役職は存在しなかったが、村人たちの間ではレナードがそれに相当すると思われていた。彼は祭司としての学識を持っていただけではなく医術を能くし、怪我や病気に苦しむものは分け隔てなく無償で治療したため、自然とそのような尊敬を得るに至ったのである。そして、そのような地位にいたからこそレナードはこの村を離れないことを決心していた。彼はこの村を廃村にすることを良しとしなかっただけではない。鉱山に住むゴロン族は今なんらかのトラブルに見舞われている、というのが彼の見立てであった。人間と長年友好関係にあったゴロン族との絆が失われてしまうこともまた、この村だけではなくハイラル全体に対する損失となる、と彼は考えていた。
「ゴロン族は誇り高い種族なのだよ」
レナードは言った。
「彼らは他種族に弱みを見せることを良しとしない。生来は信義と誠実を重んじる善き者たちなのだが、意地を張り過ぎるところがある。だから人間に助けを求めることを好まないのだろう。だがここまで断交が長く続いてしまうと私も心配だ。私にできることがあるなら助けてやりたいのだが」
「ねえ、リンクが行ってゴロン族の話を聞いてきたらいいんじゃないかな?」
タロが口を挟んだ。
「そうよ、リンクだったらきっとゴロン族とも仲良くなれるんじゃない?」
ベスも賛成した。
「彼らには独特のしきたりがある。いきなり訪ねていくのは私はお勧めしないな」
レナードはそう忠告を加えると、子供たちに寝るように言った。リンクもまた祭司からマットを受け取り床に寝転がった。礼拝所内部の気温はちょうどよく、毛布がなくともよく寝られそうだ。
リンクはイリアのことを考えた。四人の子供たちは無事で見つかった。それは掛け値なしに嬉しかった。だがイリアがいない。レナードはブルブリンたちの集団を広場で見たとき、そこに十代の娘の人質はいなかったと言っていた。イリアだけが引き離されたのはなぜだろう?リンクは考えているうち、イリアに対してブルブリンたちが加えたかも知れない恥ずべき行為を思い浮かべ吐き気がしそうな気分になるのを慌てて抑え込んだ。
違う、イリアはきっと無事だ。どこか別の場所にいるだけだ。リンクは必死でそう念じた。旅の疲れを感じつつも、イリアへの心配で胸が塞がれる思いでなかなか眠れなかったが、夜半になりようやくウトウトとしてきた。
「勇者よ.........」
リンクは呼びかける声を聞いた。夢の中なのか現実なのか、彼はあの泉の傍に立ち、水源の上にたゆたう光の塊を見上げていた。それはいつの間にか、翼を広げた巨大な梟のような形になっていた。
「そなたが求める黒き力...それは誇り高き種族たちの聖地に隠されている..」
リンクにはピンと来た。やはりそうだったのか。だが、もしかするとあの森の神殿みたいに、その魔力が影響して悪い変化が起こっているのだろうか?
「だがその地もいまや邪悪の地となっている...そこに赴き....洗い清め..」
そこまで聞くと、声が急速に遠くなった。泉の幻影が揺れ動き、やがて見えなくなる。リンクは礼拝所の中で横たわっている自分に気が付いた。
薄っすらとした火鉢の灯りが礼拝所の広い床を照らすなか、祭司とその娘、そして四人の子供たちがそれぞれの場所で眠っている。だがイリアはいない。そして精霊の言葉の中にイリアのことはなかった。リンクはやや気落ちした。ミドナがくれた「休暇」はもう終わりだ。夜が明けたら影の結晶石を探しにいかなければならない。
リンクは皆が目覚める前に身支度を整えマットを畳んだ。子供たちが起きてしまうとミドナと話すのも気を使わなければならないからだ。
音を立てないようそうっと礼拝所の扉を開けて外に出る。ハイラル平原に通じる道を見やると東の空が白みがかっている。
「ミドナ、おはよう」
「おはよう。そしてよく戻ってきた、しもべよ」
リンクが話しかけるとミドナがふざけて厳かな口調で答えた。
「休暇は楽しんだか?今日からまた仕事だぞ。容赦せずビシバシ行くから覚悟しとけよ」
「わかったよ。それより、精霊が言うには結晶石はどうも鉱山にあるらしいんだ」
「やはりな。私にはだいたい見当はついていた」
「本当に?」
「本当だ。考えてみろ。鉱山の中で何か重大な事態が起こっているのは間違いない。トラブルあるところにお宝もありだ」
「やっぱりミドナって頭がいいね」
「当たり前すぎて誉め言葉にもならん」
リンクが褒めても全く効き目なしだった。とりあえずリンクはゴロン鉱山に向かうことにした。村の目抜き通りを北に歩いていく。狼だったときに見た通り、右手には商店と立派な宿屋、左手には廃屋となった下宿街が立ち並んでいる。
下宿街が切れたところに、バーンズ爆弾工房がある。リンクは、入り口扉に通じる階段に誰かが腰かけているのを見つけた。あの中年男だ。リンクは近づいてあいさつした。
「あ?ああ、トアル村の兄さんか。おはよう」
男は気の抜けたような返事をした。リンクはバーンズからも何か情報を得られないかと思い、世間話を持ち掛けた。
「どっちにしてもこの村はもう仕舞いだよ。俺の店もな」
バーンズは気のない返事をするだけだ。ひどく打ちひしがれていた。昨日見たときは、影の領域の消失に困惑してはいてもまだ元気がある様子だったが、今日はえらい変わりようだ。どうかしたのか聞くと、彼は大きなため息をついた。
「倉庫がやられちまったんだ。あそこにあった道具も材料もな」
倉庫?リンクは最初どこかにある倉庫が魔物に荒らされたのだろうと思った。だが会話しているうち気づいた。
崖の上にあるあったあの物置だ。リンクが闇の虫を追い立てるため竈に火を入れたことで、大爆発を起こし全焼したあの建物だ。
リンクは次第に自分の額に冷や汗が浮かび、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。まさか自分の不用意な行動が、この男の商売を、そして身代そのものを潰してしまったとは。
男のもとを辞すると、リンクは歩きながら自分の頭を両手で覆った。どうしよう。自分のせいであの男は破産するかも知れない。どう償えばいい?狼の姿だったとはいえ自分の行動の帰結だから誰のせいにもできない。
「おい、ひとつ忠告しておくがあの男のことは気にしないほうがいいぞ。それより仕事に集中しろ」
爆弾工房から離れるとミドナが言った。
「でも僕が悪いんだ。あの人の店が潰れたら僕のせいだ。どうしよう。どうすればいい?」
「知らん。というか私にはどうだっていいことだ。下々の人間の商売がどうなろうと知ったことではない」
ミドナは冷たく言い放つ。リンクはその冷厳たる語調に一瞬返す言葉を失った。
「ミドナ、どうしてそんなことが言えるんだ?相手は同じ人間じゃないか」
「ほう、ならお前が一生働いて償うか?」
彼女は面白そうな声でからかった。
「そうするべきかも知れない」
リンクは歩きながら下を向いて呟いた。
「なら好きにしろ。だが全ては結晶石を集め終わってからだ。それを完了するまでは勝手な行動は許さんからな」
ミドナはそう言い渡した。リンクは心に生じた新たな悩み事にため息をついた。ともかくこの冒険が終わったら彼に本当のことを話して償いをしよう。だが狼の姿だったなんて信じてもらえるだろうか?
考えごとをしながらしばらく歩いていると、いつの間にか村の北端に着いていた。右にはオルディン大橋に至る村出口、左にはゴロン鉱山と標識が出ている。
ともかくもリンクはゴロン鉱山に向けて歩を進めた。仕事を完了しなければ償いもできない。緩やかな上り坂を一心に登っていく。太陽が昇ってきたが、左右の高い岸壁に阻まれて直射日光が当たらないため気温は涼しかった。
小一時間も歩くと、やがて道が金網のかかった崖にぶつかっている箇所に出た。昨日はこの上でゴロンの青年の魂を見たのだ。
昨日様子をうかがった印象では、見張りにあたっていた青年の職務態度は熱心とは言い難かった。ことと次第によっては先に進ませてくれるかも知れないし、もしかすると居眠りをしているかも知れない。
リンクは金網に手をかけてみた。錆びついているとはいえ太い素材でできている堅牢なものだ。手で体を引き上げ、足をかけると容易に登ることができた。
登り切って崖の上に出ると再び岸壁に挟まれた小道だ。だが二十メートルほど先に件のゴロンの青年がいた。
ぼんやりと立ったまま虚空を見つめていたが、リンクが近づいていくととたんにこちらを見据えて眉をひそめた。
「おい、なぜここにいる?人間は立ち入り禁止と言ったはずだぞ」
右手の人差し指を突き付けて詰め寄ってきた。人間と話すときは標準語に切り替えるらしい。
「ちょっと話を聞いてほしいんです」
リンクは両手を上げ敵意がないことを示すしぐさをした。
「ゴロンの皆さんが困っていることがあったら、なにか助けてあげられないかと」
だが、そこまで言うと、相手がこちらの言葉を聞いていないことに気づいた。
「いますぐ出ていけ。出て行かないなら出ていかせるまでだ」
ゴロンはそう言うと、今度は前屈して体を丸め始めた。
一体何をするつもりなのだろう?リンクが驚いて見ていると、相手はまるでアルマジロのように丸い形に変形してしまった。まるで人の背より大きな丸い岩の塊だ。
次の瞬間、その岩の塊がこちらに転がってきた。下り坂で急速に勢いを増す。リンクは咄嗟に腰を落として両手を前に出した。岩の塊となったゴロンが衝突する。
跳ね飛ばされた。身体が宙を浮く。まずい。これは本当にまずい。リンクは思った。
背後は崖だ。リンクは跳ね飛ばされた自分が落下していくのを感じた。どうにか着地の衝撃を和らげなければ。だが次の瞬間には何かをする前に下の地面に叩きつけられていた。
痛みで呼吸ができない。こんな高所から飛ばされて地に叩きつけられるのは初めてだ。
「人間の力でゴロンに勝てると思ったか?」
崖の際に立ったゴロンが大声で言った。
「わかったらもう二度と来るんじゃないぞ」
そう言い捨てるとゴロン青年は姿を消した。
リンクはやっとの思いで体を起こした。浅い呼吸を必死に繰り返す。打ち付けたのは左肩のほうらしい。腕も上がらない。左の腰もひどい痛みだった。どうにか右腕と右足だけを動かして立ち上がると、村のほうに向けて歩き始めた。
「こりゃずいぶんな歓迎ぶりだ。お前も災難だったな」
ミドナは大して心配もしていない様子で言った。
「やっぱりレナードの忠告を聞くべきだったね」リンクは辛うじて答えた。
「そうだな。お前は以前から私が言ってるとおり思慮深さに欠けているのが難点だ。よく自覚しとけ」
足を引きずりながら歩いていると、前方から人が走ってくるのが見えた。ミドナは素早く姿を消した。
「リンク!」
近づいてくるのはレナードだった。息を弾ませながら駆け寄ってくる。
「大丈夫か?怪我はないか?」
レナードは手際よくリンクを崖際にもたれかからせて座らせた。上半身の服を脱がせて身体の具合を点検する。打撲のみで骨折はしていないことを確認すると安堵の息をつきながらまたリンクに服を着せた。リンクを立ちあがらせると、村に向かって歩くあいだ肩を貸してくれた。
「君の姿がなかったからもしかすると鉱山に行ったのかと思ってね。大きな怪我がなくて安心したよ」
「すいません。せっかく忠告してくれていたのに」
リンクは謝罪した。
「異種族の性質というものは実際に交流してみないとわからないものだよ。まあ君はその身体で覚えたのだからもう二度と忘れないだろうがね」
「そうですね」
レナードの言葉にリンクも笑った。この男の冗談は上品だがやや際どい。
「ゴロン族は力というものを最も尊敬する。だから自分たちより弱い者の言葉に耳を傾けることはないんだ。君はここまで一人で旅してきたくらいだから、おそらく通常の人間の中ではかなり強い部類なのだろうが...」
「じゃあゴロン族と交渉するにはまずゴロン並みに強くならないといけないってことですね」
リンクはそう引き取った。
「手短かにいうとそういうことだ。だがそんな人間はなかなかいるものじゃない」
祭司はそこまで言うと言葉を止め、また思い出したように続けた。
「そうだ、君の出身のトアル村の村長、ボウだ」
「ボウがどうかしたんですか?」
リンクは尋ねた。
「彼は私の旧友なのだが、彼はよくゴロンたちと相撲をとっていたのだよ」
それを聞いてリンクは仰天した。
「ゴロンと相撲を?」
「そうだ。しかも実力はほぼ互角で、時には勝つこともあったらしい」
リンクは目を見張った。養父のボウが家に道場を作るほどの相撲狂なのはよく知っていた。リンク自身も、剣術に切り替えるまではその道場でボウに相撲の基礎を叩きこまれたものだ。だがあのゴロンに勝つなど一体どうやって?想像もつかない話だった。
「リンク、どうだろう。ボウにこのことを相談してみてくれないか?それに子供たちの無事も君の口から彼に知らせてやったほうがいい」
レナードの言うとおりだった。そんなボウなら、ゴロン族と交渉する手を思いつくかも知れない。それに子供たちの無事を知らせることもそうだ。だが、まだイリアが見つかっていない。そのことがリンクの心に重くのしかかっていたが、この状況を打開するにはレナードの案に乗るしかなさそうだ。
リンクとレナードは礼拝所にたどり着いた。リンクの行動を知ったタロとベスは大騒ぎだった。
「ごめんよリンク、俺があんなこと言ったせいで」
「私のせいよ。ああリンク、かわいそうに」
タロは駆け寄ってきてリンクの手を握った。ベスは目に涙を浮かべる始末だった。レナードは改めてリンクのシャツを脱がせると、薬草で作った湿布をあててくれた。痛みがやや引いて呼吸がしやすくなり、やっと人心地つくことができた。
休息しているとマロが寄ってきた。
「リンク、ゴロンとの交易は再開できそうにないみたいだな」
「見てのとおりだよマロ。誰でも鉱山に入ったらこういう目に遭うからね」
リンクは湿布だらけの自分の背中と肩を指し示した。
「打開策はあるのか?お前のことだ。何か手はあるんだろう?」
「察しがいいな。今はまだ効くかわからないけどあるにはある。とりあえず一旦村に戻ってボウに相談しようと思うんだ」
「なるほど。僕も聞いた。村長はレナードと知り合いらしいな」
「マロ、ジャガーに何か伝えることはあるかい?」
「ああ、それなんだがな。この村に潰れた商店があるという話は聞いただろ?僕はそれが気になってな」
「気になってるって、どういうこと?」
リンクは怪訝に思って聞き返した。
「いや、あくまで気になっているというだけだが...親父には僕がすぐにも村に帰るっていうふうには伝えないで欲しいんだ。元気でやっているとだけ言ってほしい」
言いたいことがよくわからず、リンクは首を捻ったが、マロがそう言ったきり席を立って外に行ってしまったのでとりあえず言われたとおりに伝えることにした。
レナードは、怪我もあるから出発する前にここで二、三泊して様子を見るよう提案してくれた。確かに徒歩でトアル村に帰るのもまた大仕事だ。だが一方で、リンクとしてはできるだけ早くジャガー、セーラ、そしてモイ夫妻に子供たちの無事を知らせたかった。イリアのことが重く心にのしかかっていて、ボウにはどう伝えればいいかわからなかったが、それは旅の途中で考えることに決めた。
結局リンクはあと一泊だけして出発することにした。打撲の痛みはあるがそれは主に肩と背中で、歩くのに大きな支障ではない。その夜、レナードは一人用の天幕とマットを用立てて渡してくれた。コリンがやってきて、リンクの打撲した箇所にそっと手をあてた。
「リンク、リンクって本当に強いんだね」
「そうかな」
「そうだよ。こんな目に遭ってもまだ諦めないでしょ?」
リンクは笑った。確かに、今の自分にとって崖から跳ね飛ばされたことくらいは大したことには思えなかった。体の痛みはあっても、それをはるかに越えるような苦境をいくつか通ってきたのだ。
「ねえリンク、僕は元気だってパパとママに伝えて?心配はいらないって」
「ああ、伝えるよ」
「二人とも心配してると思うんだ。二人ともいっつもそうだった。僕が弱いから」
リンクは黙った。息子が剣士向きの気質ではないことをモイが内心がっかりしていたことをリンクは知っていた。それをコリン本人には気取られないようにしていたのだが。
「でも僕絶対強くなるよ。今は洗濯とか畑の手入れとか沢山手伝うようにしてるんだ」
「それは凄いな。きっとウーリが感心するよ」
「ねえ、リンク。リンクならきっとイリア姉ちゃんも見つけられるよね?」
リンクは、疑うことを知らないコリンの信頼を感じ胸が痛かった。自分はまだまだとても勇者の器ではない。ここまで来れたのも精霊が教えてくれたからだ。イリアに繋がる手掛かりは今は全くない。それでも、リンクはコリンのためにもイリアを絶対見つけなければと心に誓った。
珍しくコリンは饒舌だった。他の子供たちが寝てしまってもしばらくはコリンと話をし、リンクはその後寝床に就いた。
翌朝は深い眠りからすっきりと目が覚めた。リンクが早朝礼拝所から出ると、他の子供たちがまだ眠っているなか、コリンはレナードとともに見送ってくれた。
「本当なら子供たちを連れ帰ってもらうのが理想なんだが、馬車もなく平原を渡るのは危険だからな」
レナードが言った。
「ボウに宜しく伝えてくれ。その時が来るまでは、このカカリコ村で子供たちのことは私が預かっているからと」
リンクは頷いて礼を言い、荷物を背負うとレナードの手を握った。コリンの頭を撫でてやり、ハイラル平原に至る道を歩き始めた。
だが、道の先から何か異様な音が聞こえた。
なんだろう?馬が早駆けするような蹄の音。しかし、それにしても早い。
曲がった道の向こうからその音の主が姿を現した。
馬だ。ほぼこれ以上は出せないというほどの全力で走っている。
百メートルほどに近づくと、リンクはその様子がきわめておかしいのに気づいた。口を大きく開けて泡を吹いている。まるで何かに怯え、それから逃れようとするかのように首を振りながら、ほとんど蹄を壊してしまいそうなほどの勢いで駆けていた。目は赤く血走っている。
距離が縮まると分かってきた。その前髪の形、顔、体つき、背に背負った鞍。
それはエポナだった。