黄昏の姫と緑の勇者   作:nocomimi

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鬼たちの王

リンクの背後にある、たった今入ってきた橋の入り口は高い炎を上げる丸太で塞がれていた。炎の高さは三メートルほどにもなり、エポナではとても越えられそうにない。

 

リンクたちは完全に閉じ込められたのだ。 

 

「バカ、言わんこっちゃない」

 

ミドナはため息をついた。 

 

「まったくお前は本当に思慮の浅い奴だな。罠だとわかっていながら焚火に突っ込む羽虫みたいに入っていくやつがどこにいる?」 

 

「コリンを見捨てるわけにはいかないんだ」

 

炎の熱気に怯えたエポナが嘶き声を上げる。リンクはいったん剣を鞘に納め、愛馬の首筋を撫でて落ち着かせながら言った。周囲は既に夕暮れが近づいてきている。橋の上から見おろすと、深い深い峡谷の底は既に日が届かず真っ暗だった。

 

「おい、あのなあ」ミドナは堪忍袋の緒が切れたように口を開いた。 

 

「お前って本当にそんなに頭が悪いのか?それとも頭が悪い振りをしてわざと私を困らせようとしているのか?」

 

ミドナが半透明の姿でリンクの前に現れる。リンクが黙っていると彼女は続けた。

 

「だがそんなことはこの際どうでもいい。お前に最後の警告を与えてやる。これはお前を殺すために周到に計画された罠だ。お前はこの罠から自力で脱出することは絶対にできない。考えてもみろ」

 

ミドナは目の前に伸びる百メートルはありそうな長さの白大理石でできた橋の通路を指さした。

 

「お前が運よくあのデカブツを倒すことができたとしよう。だが身を隠すものの何もないこの橋の上でどうやって鬼どもの矢襖を耐えしのぐんだ?しかもお前にはもう身を守る盾もない。ていのいい標的だぞ」

 

そう言われてリンクが振り返ると、橋の門の上には弓矢を携えた悪鬼どもが鈴なりになっていた。今はまだ撃つなと親玉から指示されているのか、こちらに矢を向けてはいないが、彼らはリンクが自分たちの手の内に落ちたことに気をよくしたらしく余裕しゃくしゃくの態度で腕組みをしニヤニヤ笑っていた。リンクが目を移すと、門の後ろの平原には猪に跨ったブルブリン騎兵たちが五十騎ほど集まってきていた。どの猪も手綱を持った乗り手の後ろには弓兵が座っており、彼らもまた拳を突き上げて勝鬨をあげたり、リンクのほうを指さしてさも可笑しそうにゲッゲッと耳障りな笑い声をあげていた。 

 

次にリンクは橋の終端にいるキングブルブリンのほうに向きなおった。目をこらすと、その戦猪の鞍に取り付けられていてるポールにはコリンが縄でぐるぐる巻きに縛られているのが見える。遠目でみても、その顔が苦悶に歪んでいるのがはっきりとわかる。さらに、鬼の王の背後にある橋の出口にもうず高く丸太が積まれ、そこから火が燃え盛っていた。たとえ奴を倒すことができたとしても向こう側に出口はない。

 

だがリンクはたった一つのことを思った。

 

待ってろコリン、絶対に絶対に助け出してやる。

 

リンクは背中の剣を抜くとその柄を握り直した。

 

「リンク、今なら私の力でお前ひとりならここから脱出させてやれる。今だったらな。残念だが馬は置いていくしかないが」

 

ミドナはそう言うと自分の顔をリンクにぐいと近づけた。

 

「気の毒だがあのガキはもう助からない。だが今お前が命を落としたらあの祭司と残りのガキどもを守る人間が誰もいなくなるだろう。皆殺しだ。そうなるくらいなら今は撤退を選べ」

 

「ミドナ、少し黙っててくれないか」

 

リンクの静かだが有無を言わさないような語調に、ミドナは返答に詰まってしまったのか、少し黙っていたがやがて口を開いた。

 

「バカだバカだと思っていたがここまでだったとはな」

 

ミドナは自分の姿を畳んでリンクの影の中にしまうと言い放った。 

 

「もういい。お前ひとりで勝手にしろ。どんなことになっても私は助けないからな」

 

だがリンクはもうミドナの話を聞いてはいなかった。彼は左手で手綱を鳴らすとエポナを走らせ始めた。

 

橋の終端にはキングブルブリンが待ち構えていた。周囲が暗くなり始めた中でも、リンクにはその真っ赤な目の色がはっきり見えた。鬼たちの王は、どうやら橋の真ん中でリンクを迎え撃って谷底に叩き落とすつもりだったようだ。リンクがエポナを発進させると同時に猪の手綱を鳴らしこちらに向かってきた。その緑色の顔には嗜虐的な笑みが浮かんでいる。

 

彼我の距離が縮む。二十メートル。十メートル。その途端、鬼の王が自らの猪の手綱を操り、そいつの顔を思い切り右に向かせた。リンクは剣を振りかぶる。

 

その刹那、今度は巨大猪が急激に顔を反対側に振った。

 

猪の頭に装着された兜から伸びる、長く、牛の角のようにたわんだ角の先が真っ直ぐにリンクの腹に向かってきた。

 

リンクは咄嗟に体全体を鞍の上で大幅に左にずらしてかわした。かろうじて串刺しは免れる。だが、馬上に残っていた右脚の太腿を研ぎ澄まされた角の先端が引っ掛けた。ズボンが太ももの下から上まで裂けた。鮮血がたちまち流れ出る。

 

バランスを崩し、ほとんど落馬寸前の体勢になった。エポナが駆けつづける。負傷した右脚が鞍からずり落ちる。両腕でエポナの首にしがみついたリンクは必死でこらえた。ふと下を見ると、手すりも何もついていない大理石製の橋の縁から先は真っ暗で底の見えない谷だ。

 

リンクは歯を喰いしばってエポナの首に両腕でつかまり、橋の終端まで耐え抜いた。

 

橋の出口にしつらえられた門の上から、二、三匹のブルブリンたちが罵声を飛ばしてくるのが聞こえた。リンクは、左右に石造りの掩壁のある橋の終端で一度馬を降り、剣を鞘に収め、傷の具合を見た。血がまだ流れ出ている。だが、不思議と痛みはほとんど感じなかった。手拭いで太ももをきつく縛る。再びエポナに跨がり、敵のほうを見やる。

 

キングブルブリンは橋の向こう側の端に悠々とした様子で陣取っている。その猪に装着された角の威力に絶対の自信を持っているようだ。確かに、距離が遠いうちは、リンクはその角の長さを完全に見誤っていたのだ。横幅左右計三メートルは敵の攻撃範囲内。その攻撃をかいくぐりなおかつ剣で打撃を与えなければならない。しかも、分厚い皮下脂肪に包まれた相手の巨体に有効な一撃を加えるにはじゅうぶん接近する必要がある。相当の難行だ。

 

リンクは再びエポナに加速の合図をした。背中に手を伸ばし、剣を抜く。鬼の王もその猪を発進させた。

 

リンクの心に、この冒険が始まる少し前にモイから教わった稽古の内容が稲妻が閃くように想起された。

 

「リンク、もし相手が身体中を鉄の鎧で固めていたらお前ならどう戦う?」

 

リンクの家の前にある練習用の案山子を前に、モイは尋ねてきたものだ。

 

「なんだろう‥‥思い切り強く斬る?」

 

当惑した弟子に、モイは少し笑って答えた。

 

「いいかリンク。確かに剣で鎧を斬ることはできなくはねえが、それじゃ剣も持たねえし、相手の体には大した傷は与えられないんだ。だから俺だったらこういう場所を狙う」

 

そう言うと、モイは自分の肘関節の上あたりを指差した。

 

「どんな鎧でも人間の関節は守れねえ。そんな鎧を着たらそもそも動けねえからな。関節の周囲には必ず鎧の隙間がある。そこには剣が通るってわけだ」

 

リンクはエポナを加速させると右に寄せた。迎え撃とうとするキングブルブリンも右にずれてくる。

 

互いの距離が縮む。五メートル、三メートル。鬼の王は、今度は左の角でリンクを狙おうと、猪の顔を左に向けさせ攻撃準備をした。

 

来る。

 

その瞬間、リンクはエポナの進路を大きく左に曲げた。猪の角が背後を空振りする。慌てて鬼の王が猪に頭を振らせて右の角を突き立てようとする。だが浅い。エポナの速度を緩めずリンクは突進した。脇腹の数センチ先を角の先端が通り過ぎる。エポナを鋭く右にカーブさせたリンクはその刹那右に身を乗り出し手を伸ばして剣をはね上げた。

 

刃身が鬼の王の肘の少し上を切り裂いた。命を奪うような深手ではない。だが深さはじゅうぶんだった。

 

キングブルブリンは猪を向こうに走らせながら戸惑ったような唸り声を少しあげた。リンクも橋の向こう側まで馬を進ませる。リンクと鬼の王の二騎は再びそれぞれ橋の終端に陣取った。

 

リンクは敵のほうに目を凝らした。キングブルブリンは、少しの間自分の右手を持ち上げてためつすがめつしていた。だが腱を斬られ故障が起きていることに気づいたらしい。凄まじい怒りの咆哮を上げると、らんらんと光る目でリンクをねめつけてきた。

 

鬼の王は、自分の右手に手綱をぐるぐる巻きにした。どうにか手綱を操れる状態にすると、今度は猪の顔を連続して左右に振らせ始めた。リンクとエポナがどう近づいても角が刺さるようにするつもりだ。

 

リンクはもはや小細工をしないことにした。

 

「エポナ、頼んだよ」

 

リンクは愛馬の首を撫でると、手綱を鳴らし発進させた。今度は相手に真っすぐにエポナを向かわせる。馬の脇腹にかかとを当て、加速させた。

 

二騎の距離がぐんぐん狭まっていく。五十メートル、二十メートル、十メートル。

 

近い。キングブルブリンは猪の首を右に思い切り振らせると、エポナもろとも串刺しにしようと角を叩きつけてきた。

 

その瞬間エポナはヒラリと宙を飛んだ。その前足が角を避け、胴の下を角がかすめる。前足が着地すると同時にエポナは身軽に後ろ脚を上げ、角をかわしつつ優雅に降り立った。

 

リンクとエポナは敵の猪のすぐ右に着地した。すべての時間が止まったような気がした。二騎の距離は驚くほど近く、リンクは自分の肩がキングブルブリンの肩と接するかと思うくらいだった。キングブルブリンのぎょろりと血走った目がこちらを見る。その鼻をつくひどい体臭もはっきり嗅ぐことができた。

 

リンクは右手の剣を左上腕の後ろに回して回転斬りの構えをとると、思い切り相手の背中を斬り払った。剣の刃がキングブルブリンの後ろ首から右の脇腹にかけてを深く切り裂く。傷口から相手の脊椎や肩甲骨、そして肋骨が見えた。

 

キングブルブリンは驚きの声を上げて思わず左手の手綱を離し、傷口に手をやろうとした。だが、右手はリンクに腱を斬られているので手綱操作が甘くなり、猪は左右にフラフラと迷走しはじめ、やがてドウと音を立てて横倒しになった。

 

橋には手すりも柵も何もついてない。転げ落ちたキングブルブリンは大理石製の踏み石の上を滑って橋の上から外に出てしまったが、彼はすんでのところで両手を伸ばし橋のヘリにしがみついた。しかし、リンクに斬られた右手には力が入らない。キングブルブリンは左手だけでどうにか這い上がろうと唸っていたが、いくら怪力とはいえ数百キロはあろうかというその体重を支えるのは無理な相談だった。

 

リンクはエポナから降り止めを刺そうと近寄った。だがその必要は皆無のようだ。悪鬼のたちの王は全身を震わせながら必死でこらえていたが、橋のヘリを掴んでいたその指が少しづつ滑りはじめていた。リンクが上から覗き込むと目と目が合った。

 

キングブルブリンの目は、小さく、赤かった。リンクは、その目に込められた、これほどの憎悪というのが世に存在するのかと訝しむほどの激しい憎悪の色に一瞬射すくめられてしまったが、次の瞬間には怪物の姿は唐突に消えていた。

 

落下したのだ。

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