黄昏の姫と緑の勇者   作:nocomimi

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勇者の役割

橋の縁に必死でしがみついていた鬼の王は、しばらく体を震わせて頑張っていたが、やがてその姿が突然消えた。

 

落下したのだ。

 

リンクが橋から少し身を乗り出して覗き込むと、鬼の王がはるか下に落ちていくのが小さく見えた。

 

橋の下の谷間は、正午の短い時間帯以外は太陽の光さえ差し込まないほど深い。谷底のほうは既に真っ暗闇で、瞬きする間にはもう彼の姿は消えていた。

 

リンクは横倒しに倒れたままの白猪に近づいた。鞍から伸びたポールに縛り付けられているコリンの縄を切断し、少年をゆっくりと地面に横たえてやった。

 

縄できつく縛られていたせいで呼吸がうまくできていなかったのか、コリンの顔は真っ青だった。リンクが彼のチュニックのボタンを緩めて背中をマッサージしてやると、コリンは弱弱しく咳き込みながら目を開いた。

 

「リンク・・・・」

 

「大丈夫。みんなのところに戻ろう」

 

リンクは微笑みかけた。コリンに肩を貸し立ち上がらせた。

 

まだ仕事が残っている。あのブルブリンの騎兵の群れを突破してコリンを連れ帰るのだ。

 

リンクはゆっくりと注意深くコリンを馬に乗せて、自分も跨がった。橋の前後を塞ぐ丸太の火勢が弱まったら一気に飛び越えて強行突破するつもりだった。

 

だが、ふと目を上げるとリンクは驚きのあまり口を開けてしまった。

 

門の上にいたブルブリン弓兵どもも、数十騎もいた騎兵どもも皆いなくなっている。

 

リンクは拍子抜けしてしまった。ブルブリンというのはボコブリンと違って狡猾で悪知恵の利く生き物だ。もしかすると、ボスが死んでしまったのにこれ以上実入りのない仕事を続けても仕方がないと判断したのかも知れない。

 

門の入り口で燃え盛っている丸太の火勢が弱まるのを待ち、リンクはエポナを飛び越えさせた。それ以降は、コリンに負担をかけないようゆっくりと平原を歩かせながらカカリコ村に向かった。

 

村の北側にある門についたころには夜もすっかりふけていた。

 

門の前にはレナードが立っていた。彼はリンクたちの姿を認めると走り寄ってきて、コリンを馬から降ろすとその腕に抱えた。

 

「リンク、君なら必ず助け出してくれると思っていたんだ」

 

レナードは言うと、リンクの脇腹と太腿についた血痕に目をやった。

 

「君も治療が必要な様子だな。礼拝所に先に行っているといい。私の娘が食事を用意して待っているからまずは休憩していてくれ」

 

リンクが頷くと、彼はコリンを抱きかかえたまま、門を迂回する脇の山道を登っていった。リンクはエポナに合図し門を飛び越える。

 

すっかり寝静まったカカリコ村の目抜き通りを南に走り、礼拝所の前に馬を停め中に入ると、薄ぼんやりとした明りの中でタロ、マロ、ベスがベンチにマットを敷いて寝ていた。竈で鍋を見ていたルダがリンクに気づくと、彼は子供たちを起こさないよう、彼女を手で制しながら小さな声でコリンを助け出したことと彼女の父が今彼を安全に運んでいる旨を伝えた。ルダは大きく息を呑み安堵と喜びで目を輝かせながら頷くと、鍋から美味そうな臭いのするシチューをよそって、床に座り込んだリンクの前に置いた。

 

考えてみれば朝からほとんど何も食べていない。リンクが何杯目かのシチューをおかわりしているとレナードがコリンを抱えて入ってきた。祭司はコリンをマットに寝かせ、ルダがハーブを煮詰めた精のつくエキスを彼に飲ませている間その全身を点検し怪我がないかを調べた。コリンはシチューをほんの少しだけ食べたが、やがて昏々と眠り込んでしまった。レナードは彼にタオルケットをかけると、手を置いて何事か祈りの言葉を低い声で唱えていた。

 

リンクが様子を見ようとしてコリンに近づくと、レナードは言った。

 

「大丈夫。体のほうには大きな問題はないようだ。むしろ邪気当たりが心配だ」

 

「邪気当たり?」

 

リンクが尋ねるとレナードは答えた。

 

「何らかの理由で魔物と長い間一緒に過ごした者が魔物から発する邪気に影響を受ける精神的な症状だ。この少年は今後長い間悪夢や幻覚に悩まされることになるだろう。それに打ち勝つことができるかはこの子の心の力次第だ」

 

リンクが顔を曇らせてコリンを覗き込むと、レナードはその肩に手を置いた。

 

「だが安心してほしい。私は医術師として責任をもって彼を治療する。私は心に誓ったんだ。彼を無事に村に返すまではわが子同然に扱うとね......ああそうだ、今度は君の番だったな」

 

レナードはリンクをベンチに座らせ、服の上下を脱ぐようにと言った。ルダの手前躊躇いがあったが、脱がないと治療が出来ないので仕方がない。レナードがリンクの傷の状態を仔細に確かめている間、ルダが洗浄水や消毒用の強いアルコールなどを持ってきた。

 

レナードはリンクの太腿の傷を注意深く洗い清めて消毒すると針で縫合し始めた。だが、下着一丁のリンクが針を突き立てられ「痛てっ」と声を上げるたび、傍らに控えたルダがクスクスと笑う。そしてレナードがルダを見ると、彼女はぴたりと真顔に戻るのだった。そんなことが三回も続くと、リンクとルダは二人とも声を立てて笑い始めてしまった。レナードはもう手伝いはいいから先に休みなさいとルダを下がらせると溜息をついた。

 

「まったく若い娘というのはどうしてこうも笑い上戸なんだ。気が散って縫合ができやしない」

 

リンクがまだ笑っていると、手術を再開したレナードは上目づかいでじろりと睨みつけてきた。

 

「君もだぞ。あまり笑いが続くようならその唇も縫い閉じてしまうからな」

 

太腿の次は脇腹だ。こちらはすぐに終わった。二ヶ所の傷の上から包帯を巻きつけるとレナードは自分の替えズボンを貸してくれた。リンクは服を着て外に出た。ブルブリンどもの気配は本当にきれいさっぱりなくなっていた。エポナからすべての装具を外し、泉のほうに連れて行く。愛馬を洗ってやっていると、南ハイラル平原に至る道のほうから朝日が差し込んできている。エポナに好きなだけ水を飲ませてやることにして、自分は礼拝所のほうに戻るとレナードも外に出て伸びをしていた。

 

「リンク、君には本当に感謝しているんだ」

 

どちらから言い出すでもなく二人でしばらく夜明けの空を眺めているとレナードは言った。

 

「コリンがさらわれたとき、ルダはその光景を間近で見てしまい酷いショックを受けていたんだ。できれば私がコリンを助け出してやりたかったが、私には到底不可能だっただろう。これは君にしかできないことだった」

 

リンクは微笑んで肩をすくめた。思い返すと、あんなに熾烈な戦闘は冒険を始めて以来初めてだ。自分がキングブルブリンを倒すことができたのも、その後あんなにたくさんいた悪鬼どもが逃げ去ったのも、何か自分以外の大きな力が働いていたとしか思えなかった。

 

「こんなことを言うとおかしな風に思われるかも知れないが」

 

レナードは続けた。

 

「君を見ていると思い出すんだ。ハイラルに古くから伝わるあの勇者の話を」

 

リンクが驚いてレナードを見やる。

 

「いや、確かに緑色の服を着た剣士なら他にいくらでもいるだろう。だが君の行動を見ていると、何か特別なものに突き動かされているように見えてならない。それが何かは君にしかわからないのかも知れないが」

 

リンクは思い出した。フィローネの泉で出会った精霊は、もしそれが幻覚でなければ、確かにリンクを勇者と呼んだのだ。このカカリコの泉の精霊もそうだ。時々話し相手になってくれるゲイルも、リンクが勇者だと信じて疑わないようだ。だがそれでもリンクには確信が持てなかった。

 

「でも祭司様、僕はついこのあいだまで農村で毎日野良仕事をしていただけなんです」

 

リンクは前を向いたまま呟いた。

 

「確かに剣術こそ習っていたけど。でも勇者っていうのは本当にトアル村みたいなところから出るものなんでしょうか?」

 

「君が今まで故郷で懸命にやってきたこと、その全てが今日の君の働きを支えたんだ」

 

レナードは答える。

 

「それを起こすことができたのは確かに君自身ではなく神のお働きだと思うがね」

 

「でも僕は先生の針に縫われるのが怖いです。そんな勇者っているのかなあ」

 

リンクがそう言ってレナードの顔を見ると、彼は声を上げて笑い、若者の両肩を叩いたあと礼拝所の扉を開けて中に入らせた。

 

「それなら次に君が負傷したときは猿轡をかませてから縫合することにしよう。さあ、少し寝なさい」

 

リンクはそれから数日間礼拝所で寝泊まりした。ブルブリンの目撃情報は全く聞かれなくなったので彼は久しぶりに武装を外してのびのびとした気分を味わい、子供たちと遊んだりレナードの農作業を手伝ったりして過ごした。またレナードはコリンを廃業された宿屋に移し、大きなベッドでゆっくりと寝られるようにした。

 

ルダは小柄で幼く見えたが実のところリンクと同い年であった。彼女は優秀な看護師で、コリンに食事をとらせ、助け起こして厠に連れていったり、その全身を拭き清めるなどの作業を手際よく一人でこなし、コリンがよほど具合が悪そうなときでない限り、父の助けを借りずとも世話をすることができた。

 

リンクもまたたびたびコリンのもとを訪れ、彼が目を覚ましているときはその手を握って話しかけた。

 

「リンク、僕わかったんだ」

 

コリンは言った。

 

「前お父さんが僕に『お前もリンクみたいに強くなれ』って言ったんだ。でも僕は最初そんなの無理だと思ってた。だって僕剣術もできないしリンクみたいに早く走ることもできないから」

 

リンクが黙って聞いているとコリンは右手を伸ばして拳を作った。

 

「でもわかったんだ。強くなるって、力だけじゃなくて勇気を持つことだって」

 

コリンはしばらくそうしていたが、少し疲れたのか手を下ろしてまた目を閉じた。

 

「よく覚えていないけど、リンクが助けてくれたんでしょ?」

 

リンクが頷くとコリンは続けた。

 

「やっぱ凄いやリンクって」

 

コリンは眠りに入りながら呟いた。

 

「リンクなら鉱山にいるゴロン族の人たちも助けてあげられるよね?」

 

リンクが黙っていると、コリンは小さな声で言った。

 

「リンク、助けてあげてほしいんだ。リンクならきっとできるから‥‥」

 

コリンの寝顔を見ながら、リンクはその言葉を頭の中で反芻していた。今までのリンクにとっては、イリア、コリンとタロ、マロ、ベスを無事に連れ戻すということ以外は、全ての任務が二次的なものだと思えていた。影の結晶石を集めるというのも、あの魔力を持つ妖精の協力を取り付けるための交換条件に過ぎない。だが、いま子供たちは、リンクがより大きなことのために力を尽くすことを期待しているのだ。

 

自分の冒険は何のためなのだろう?リンクは改めて考えてみた。自分が選ばれた勇者だなどという確信はいまだに持てない。ゲイルから聞いた古の勇者の話を考えてみたら余計にそうだ。だが、そのような確信の有無とは関係なく、リンクは自分に与えられた、ほんの少しの、しかし他人とは大きく異なる力を、イリア、子供たちやトアル村以外のためにも使うべきだと誰かから言われている気がした。

 

その日夜が更けると、リンクは村の廃屋の影に回ってミドナに話しかけてみた。

 

「ミドナ、聞こえるか?」

 

「聞いている」

 

返事があったが、ミドナの声は冷たく硬かった。

 

「リンク、はっきりさせておこう」

 

リンクが何かを言う前に彼女は切り出した。

 

「お前は私の助言を無視した。お前があのデカブツを倒すことができたのも、あの橋から生きて脱出することができたのも、ほぼ幸運の結果に過ぎない」

 

ミドナはリンクに理解させるかのように少し間を置いたあと続けた。

 

「私は幸運に頼りながら仕事をするタイプではない。そういう奴は何度目かの幸運の後、運を使い果たして必ず死ぬ。私はそういう奴を何度も見てきた。お前が今後もそういう行動を続けるつもりなら、もうお前とはこれきりだ。だが‥‥」

 

そこまで話すとミドナは自分の半透明の姿をリンクの前に現した。その表情は案に相違して平静だったが、まったくの無表情でもあり、それが余計に彼女の機嫌を取り戻すのが容易でないことを物語っているようにリンクには思われた。

 

「だがお前の大事なイリアとかいう女はまだ見つかっていない。魔物どもに連れ去られたならそいつの居場所は明らかにまだ残っている北東の影の領域の中だ。そしてお前が影の領域に入るには私の協力なしにはできない。お前は私なしにはその女を探すことはできない」

 

ミドナは少し首を傾けると畳み掛けた。

 

「それでもお前が今後自分ひとりで行動するというなら勝手にしろ。私は自分で結晶石を探す。私がお前なしでは何もできないなどと思ったら大間違いだぞ。お前の代わりの下僕などいくらでも見つけられる」

 

「ミドナ、本当に悪かった。許してくれ」

 

リンクは謝った。だがミドナの表情は変わらない。

 

「ミドナ、本当に悪かったと思ってる。二度と君の助言を無視することはしないよ」

 

「口先だけならいくらでも言える。私がそんな言葉でほだされるような甘い女だと思ったら見込み違いだぞ」

 

リンクは地面にひざまづくと両手を広げた。

 

「ミドナ、本当だよ。僕は本当に実感したんだ。君なしでは僕は何もできない。二度と君をないがしろにしたりはしない。心から約束するよ」

 

「誓えるか?」

 

ミドナは少し黙ったあと尋ねてきた。

 

「誓える」

 

「なら今すぐ誓え」

 

リンクは誓った。何に誓えばいいかわからなかったが、とりあえずラトアーヌの泉とそこに宿る精霊にかけて誓った。

 

その翌日リンクは夜明け前に起床し、装備をしっかりと整えてから礼拝所を出た。ゴロン族と互角に戦うための秘密を話すわけに行かないので、レナードにも声をかけなかった。

 

エポナは泉のほとりで休ませたままにしておいた。徒歩で村の目抜通りを北に向かう。まだ暗い通りを歩き、誰も住んでいない下宿街を過ぎると、バーンズ爆弾工房が見えた。

 

その看板を見るとリンクは心が痛んだ。この店に灯がともる日は来るのだろうか?鉱山での冒険が終わったらすぐにでも様子を見に行こうとリンクは思った。

 

鉱山への分岐路に出た。北に歩を進める。崖に挟まれた小道をしばらく歩くと、前方上空に火山から吹き出す煙の塊が見えてきた。

 

以前来たときはよく観察していなかったのでわからなかったが、その煙の塊そのものが巨大な怪物のように見える。

 

リンクが足を止めてその雲を眺めていると、僅かにではあるが、地響きが聞こえてきた。火山が動いているのだ。

 

今度の冒険はあの森の神殿よりも困難なものになるだろう。リンクには直感でわかった。

 

だが、進もう。リンクは息を大きく吸い込むと、一歩を前に踏み出した。

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