黄昏の姫と緑の勇者   作:nocomimi

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魂の群衆

壁を通り抜けたリンクは、以前のように影の領域に入った瞬間強い不快感を感じた。手の形に広がったミドナの髪の毛がリンクの体を離す。リンクは地面に落とされうつ伏せになった。反射的に立ち上がろうとする。だが、身体中を小さな雷が走っているような感覚がある。

 

服、鎖帷子、シャツ、帽子、その他身に着けていたもの全てが誰の手にもよらず取り去られ始めた。剣の鞘のストラップが外れ、盾、弓や矢立ても地面に落ちる。と思うと、それら全てがかき消すように無くなった。

 

次いで、大きな雷が体を貫いたような激痛が走った。大きくのけ反ると、リンクは自分の身体が変形していく何とも言えない嫌な感触を克明に感じた。顔は鼻と顎が突き出、耳が上に上がっていく。両手は指がみるみる短くなっていき、厚い毛皮に覆われた。後ろ脚で立ち上がれなくなる。四つ足立ちになってようやく落ち着いた。辺りを見回すと、灰色の岩肌剥き出しの崖に挟まれた不毛な道の風景ではあったが、周囲には黒い霧のような奇妙な物質がたちこめているのがわかった。時刻としてはもう日が傾いていてもよさそうだったが、それとは関係なく空にはオレンジ色の光が満ちている。

 

声もかけずにミドナがどっかと背中に腰を掛けてきた。

 

「ったくしょうがないな。お前の女探しも手伝ってやる」

 

乗り物のような扱いに不快を感じたが、唸り声しか出ないので文句を言ってもしょうがない。リンクは前を向いた。

 

「これで影の領域も最後だと思うと私にとってはなんだか残念な気もするがな。まあいい。出発しろ」

 

リンクは駆け出した。今朝から何も食べていない空腹感が、飢えの感覚となり、今や野獣であるリンクにとってはそれがむしろ神経と闘志が高ぶる要因となっていた。

 

馬ほどではないにせよ、人間の徒歩とは比べ物にならない速度で小道を駆けてゆく。いつしか道は左右にくねり始め、そこここに貧相ではあるが雑草が寄り集まった草むらが見えるようになってきた。次第に不毛の地を脱しつつあるのだろうか。

 

だがもう一つ異なる点があった。あの真っ黒な蝙蝠が時折低い空を飛んでいる。リンクは目を付けられる前に通過することを決め速度を緩めず先を急いだ。

 

周囲の岩壁がだんだん低くなってきている。その分だけ、空がよく見えるようになってきた。影の領域特有の奇妙な色に染められた空が見えるだけではあったが、それでも道程を進んできていることが感じられる。

 

道が右に曲がり、今度は左に、そしてまた右に曲がる。獣の俊足でリンクは飛ばしに飛ばした。イリアを見つけるだけではない。できるだけ早くエポナを迎えに行かなければ。喉が渇き、空腹感が迫る。だがリンクは逸る心に任せひたすら小道を走った。

 

突然何かの予感がしてリンクは弾かれたように停止した。ほんのかすかだが、トアル村の匂いがする。以前、タロや他の子供たちの匂いを見つけたときと同じだ。こんな場所ではあり得ない。リンクは心臓が早鐘を打つのを感じた。

 

今度は注意深く鼻を地面に近づけて嗅ぎまわりながらゆっくりと前進し始めた。獣の嗅覚でも気づかないほどごくわずかだった匂いの源を探す。

 

進むにつれ次第に匂いははっきりしてきた。間違いない。リンクは道を小走りし始めた。イリアだ。きっとこの近くだ。

 

もしイリアがこの道にいるなら彼女はどこかに倒れているのだろうか?リンクは道を進みながら考えた。左右に時折雑草の茂みが見える。だが匂いはそういった場所からは漂って来ていない。もしかすると無事でいて、いまこの道を歩いているところなのだろうか?リンクはそうも考え、心が躍った。

 

だが自分はこの影の領域では人からは姿が見えないということを思い出した。たとえイリアを見つけ出すことができても再会はできない。本当の意味での再会は影の領域を晴らすまでは叶わない。

 

その現実を想起して少し意気を挫かれたが、だがそれでもリンクは進み続けた。やがて突然匂いが鮮明になったかと思うと、道の真ん中に何かが落ちているのが見えた。

 

近づいてみると、その匂いでイリアの姿が克明に頭に映し出された。イリアがいつも身に着けていたポーチだ。彼女が誘拐される前交わした会話の内容さえはっきりと浮かんでくる。鼻をつけて嗅いでいると、背中に乗っていたミドナが言った。

 

「雌の匂いを嗅いで喜んでるってわけか?まったくお前って奴は分かりやすいな」

 

鼻で笑いながらミドナは続けた。

 

「ま、まずは手がかりが見つかったってわけだ。だがあれから随分経ってるからな。どうなってるかわからないぞ」

 

リンクは首を曲げてミドナを見上げた。一体どういう意味だろう?だが尋ねようとしても唸り声しか出ない。

 

「いや、大した意味はない。とにかくあまり期待し過ぎてあとでガッカリしないように気を付けたほうがいいぞってことだ。さあ出発しろ」

 

ミドナに言われリンクはまた歩き出した。鼻を効かせて匂いの痕跡を辿る。これを落とした本人はどうやら道なりに先に進んでいったようだ。

 

だが誘拐されたあとどうやってここまで来たのだろう?自分の力で脱出したのだろうか?それとも鬼どもに強いて移動させられたのだろうか?

 

ミドナが何気なく口にした言葉も気にかかってきた。確かに誘拐があってからもう二週間余りが経っている。リンクは道を進みながらも思いを巡らした。心は乱れた。もし無事でなかったらボウにはなんと言えばいいのだろう?最後にトアル村に帰ったとき、ボウはイリアもカカリコ村で無事でいると誤解したままだった。リンクはその誤解を解かずに出発してきてしまったのだ。

 

リンクは、時折匂いの痕跡が途切れていないことを確認しながら、少しづつ速度を上げていった。小道がやがて右に、すなわち南に曲がっていく。周囲の植生が少しづつ増え始めていた。

 

数時間ほど走っただろう。もはや時刻は夜のはずだ。それでも影の領域の中ではわずかな光の変化だけしかなく、空にいつでもオレンジ色の光が広がっているせいで奇妙に明るい。

 

突然左右の岩壁ががぐんと低くなってきた。走っているとみるみるうちに視界が開けてくる。眼前にはやがて大きな平原が見えてきた。ところどころ灌木や高木が立ち、草も豊かに生えている。はるか遠くは岩壁に囲まれている。かつて見た南ハイラル平原を思わせるような光景だ。

 

南東の方角を見ると、霞がかかるほどの遠くではあったが人工物が見えた。巨大な建築物だ。白い壁とほうぼうに立つ青い尖塔の屋根。リンクは立ち止まり、少し休んで息を鎮めた。

 

「やっとここまで来たか」

 

ミドナが呟いた。

 

「あの城が何か、言わなくてもわかるな?」

 

彼女は城の方角に顎をしゃくった。

 

「もう少しだ。頑張れよ、と言いたいところだが」

 

そう言うとミドナは含み笑いして続けた。

 

「これからは今までみたいに簡単には行かないと思え」

 

どういう意味だろう?リンクはまたミドナの顔を見上げる。

 

「考えてもみろ。ラネール地方はフィローネやオルディンよりもはるかに広大なんだぞ。それを全て黒雲で包んでいるということはこれまでとは比べ物にならないほどの仕掛けがあるってことだ。当然の話さ」

 

リンクは前を向いた。たとえ何があってもイリアを見つけ出し、影の領域を晴らして、エポナとともに連れ帰る。

 

再び走り始めた。今度は道はほぼ東向きになってきた。左右を崖で挟まれた小道と違い、広い平原で匂いを追跡しながら走るのは難しいと当初は思われたが、匂いはどうやら平原の中にかつて先ほどの小道の延長として昔作られた、擦り切れた石敷きの道の上をほぼ外れずに続いているようだ。しかも匂いの発生時点がまだ新しいのか進めば進むほど鮮明になってきており、リンクは走りながらでもそれを辿ることができた。

 

獣の足は速い。気が遠くなるほど広大な平原とはいえ、風景が徐々に変化していく。また、次第に標高が下がる下り坂なのも後押しとなった。灌木や高木が近づいてくる。ただ、はるか遠くの霞の中にあるハイラル城の大きさはなかなか変わらなかった。

 

時折ごろごろとした岩が道の脇に転がっている。それがあの不毛の土地の名残りを思わせたが、やがてリンクは左右に木の生えた街道を走っている自分を見出した。影の領域の中とはいえ、多少心が軽くなる光景だ。

 

もう夜通し休まず走り続けたらしい。リンクは獣の体とはいえやや疲労を感じ速度を落とした。だがいつか聞いたラッパ音がする。黒い怪鳥が近くにいる。

 

リンクは顔を上げた。あの怪鳥が二羽、低空を飛んで木の影からこちらに向かってきていた。リンクは牙を剥き出すと、助走をつけ近くにいた一羽に飛び掛かった。そいつは対応する間もなく肩口に牙を突き立てられ、慌てた様子でラッパ音を立てた。リンクは体を思い切り暴れさせ、ともに地面に落下すると、今度はその首筋に無茶苦茶に噛み付いた。

 

もう一羽がラッパ音を立てながら両足の爪を広げて攻撃してくる。リンクは後ろに飛び下がり、そこから高く跳躍した。頭から相手に覆いかぶさると後ろ首に噛み付いた。暴れる相手の首を万力のように顎で押さえつける。たまらず落下した怪鳥にところかまわず牙を突き立てた。

 

唐突に戦いが終わる。リンクは荒い息をしながら道に戻った。匂いの痕跡はまだ続いている。街道を歩いていくと、だいぶ先ではあったが小さな建築物のようなものが見えた。それと同時に、前方遠くに人影が見える。

 

イリアだろうか?一瞬そんな思いが浮かんだが、それはあり得ないとすぐわかった。彼女は今白い光の魂である魂に変えられているはずだ。ましてや今の時間こんなところを出歩いているのは鬼以外にない。

 

案の定、進んでみるとその人影はいつか見た黒い肌に白い仮面を被った鬼だとわかった。リンクにまだ気づいていないようだ。リンクは足音をひそめてゆっくり歩み寄った。

 

距離が十メートルほどになったとき相手が顔を上げた。途端にこちらに向き直って右手の棍棒を振り上げ走ってくる。リンクは一気に突進して敵を押し倒し路面に叩きつけると、首筋に牙を沈ませ体を左右に捩じった。

 

鮮血を吹き出して絶命した鬼を背にして先に進む。前方に見える人工物は、近づくにつれどうやら橋らしいとわかってきた。

 

橋ということは水源があるのだろうか。リンクは匂いの痕跡を見失わないよう注意しながら、街道を走り始めた。

 

しばらく走ってようやく橋の近くまで辿り着いた。思った通りだ。橋は豊かに水の流れる川の上にかかっている。リンクは川の側まで行くと、そこに設けられていた石の階段を伝って水面近くにまで降りた。

 

水に顔をつけてピチャピチャと水を飲む。渇ききっていた喉が潤った。だが、イリアを助け出し、エポナにこれを味あわせるまでは安心はできない。ひとしきり水を飲むとリンクは階段を上がった。全く寝ていないが、神経と気だけは逸っている。

 

橋のほうに登っていく。石敷きの床を蹴って走り始めた。

 

「おいリンク、少し休め」

 

少し進むとミドナが言った。

 

「もう昨日からぶっつづけだぞ。お前は良くても私が持たない。どこか見つかりにくいところを探せ」

 

そう言われ、リンクは辺りを見回した。街道沿いの、岩の隣に生えている灌木に近づくと、下草の中に潜り込む。全方位とは言えないが、多少はカモフラージュになるだろう。

 

ミドナは自分の空間に引っ込んだ。リンクは前足に顎を乗せてしばらくは目を覚ましていた。到底ゆっくりとは眠る気にならない。ほんの一瞬ウトウトしてまた目覚めることの繰り返しが続く。

 

どれくらいが経っただろうか。影の領域の中では時間の感覚が狂う。それでもリンクは何度か軽い睡眠をとったような気がした。ミドナもやがて起きてきてリンクの背中に乗った。やや疲れているのか、無口だ。

 

街道にイリアの匂いの痕跡があることを再確認して、再び走り始める。街道はやがて右に大きく曲がっていった。それと同時に、はるか遠くにあった左右の岩壁が次第に近くに迫ってきた。

 

岩壁の上にも高木が林立し、街道の左右にも木が散在している。岩壁がぐっと両側から迫ってきたところで立ち止まってもう一度匂いを確認する。間違いない。リンクは再び走り始めた。城は一旦見えなくなったが、かなり近づいているはずだ。

 

しばらくの間両側に岩壁が迫る小道が続く。だが、壁の高さは低く、左右に植生も見られる。今は誰もいないが、かつては人が行き来していたであろう雰囲気がうかがわれる。

 

すると岩壁が突然切れた。目の前に右側に城下町から続く長大な壁が見えた。途方もない長さで、はるか遠くまで続いている。その先に城下町の入り口があるのだろうか。

 

時折街道沿いに匂いを確認しながら走っていくと、木立の数が増えてきた。左右に散在する灌木や茂みも同様だ。

 

影の領域が広がる前は、この街道にも行商人たちの馬車や旅人たちが行きかうことがあったのだろうか?リンクはそんなことを思い浮かべた。だが前方に異状を感じてたちまち物思いから引き戻された。

 

五十メートルほど先にあの白い仮面の鬼がいる。しかも手には弓矢を携えていた。リンクは全力で相手に突進していった。見通しのいい街道上で相手もこちらに気づいたらしい。弓に矢をつがえると放つ。火矢だった。それが空中を真っすぐこちらに向かってきた瞬間、リンクはジャンプして体を横に一回転させた。矢はリンクの後ろ脚で弾かれ軌道を狂わせて明後日の方向に飛んでいった。着地するとさらに勢いを増して殺到する。二の矢をつがえた白仮面鬼は間に合わないことを悟って背を向けて逃げ出そうとしたが、そこへリンクが激しく衝突した。吹き飛ばされて路面に叩きつけられ、武器を手放した鬼にリンクは素早く覆いかぶさり急所を噛み砕いた。体を左右に揺さぶって肉を噛みちぎると相手は息絶えた。

 

この有様では城下町は一体どうなっているのだろうか?それにイリアがたとえ生きていたとしてもその安全が心配だった。

 

リンクは匂いの痕跡を確認しならが再び速度を上げた。右手には延々と城壁が続いている。ちらりと目をやると、その向こう側は濠になっているようだ。だが跳ね橋が上げられていない限り城下町には入口があるはずだ。イリアは城下町にいるとリンクは次第に確信し始めていた。

 

長い間走ってようやく街道が右に曲がり始め、右手の城壁に入口らしきアーチのしつらえられている箇所が近づいてきた。匂いを辿ると、やはりその入口に向かっている。

 

やがてリンクは低い階段を登ってアーチの下をくぐった。跳ね橋は降りている。だが橋にはまた白仮面の鬼が今度は二匹もいた。棍棒を装備している。リンクは歯を剥き出して唸ると姿勢を低くし突進しようとした。

 

だが同時に、あのラッパ音が後ろから聞こえてくる。振り返ると怪鳥が高度を低くして迫ってきていた。

 

リンクは肩越しに相手の姿を視界にとらえたまま、怪鳥が爪を立てようと飛来した瞬間体を一旦地面につかんばかりに低くした。怪鳥の爪が頭をかすめる。その瞬間飛び上がって相手の背中に飛び乗り後ろ首に激しく歯を立てた。たまらず落下した怪鳥の喉笛を噛み裂く。

 

白仮面の鬼が一匹が走り寄ってくる音が聞こえた。リンクは怪鳥にもう一度牙を突き立てると、その足音が止まった瞬間に体を横に一回転させた。顎と後ろ脚で鬼の武器が吹き飛ぶ。後ろによろめいた相手に飛び掛かって押し倒し、顔面と首を噛み砕いた。

 

顔を上げるともう一匹の鬼が一瞬ひるんだような仕草をしたが、それでも棍棒を振り回しながら迫ってきた。リンクは相手の動きをよく見極めるとバックホップして攻撃をかわし、鬼が一瞬たたらを踏んだところで跳躍して突き倒した。足を噛んで無茶苦茶に引っ張り、武器を手放させると、その腕を前足で押さえつけ首筋を深く噛み千切る。

 

周辺の敵は片付いたようだ。リンクは少し止まって荒い息を沈めると、跳ね橋を渡り始めた。

 

橋の終端には向かい側の壁から旗印が下がっている。そこかしこに鬼どもがうろついている状態なのに、王家の威光を示す旗がひるがえっているのがかえって滑稽に映った。壮麗なはずの城下町の壁も、影の領域の中の奇妙な光ではどこか物悲しげに見える。

 

橋を渡り切り、階段を下る。城の壁にしつらえられた両開きの門は片方が開いていた。その間を抜けると、城下町の中に入っていった。

 

匂いの痕跡を確認する。やはり中に続いている。リンクは歩調を落とすと石畳の街路を匂いに沿って進んでいった。

 

人の魂が白い光となってそこここに浮遊している。右手にある邸宅の門の脇に固まっている二つの白い光を見分けると、リンクはそこに近づいて聞き耳を立ててみた。

 

「そうなのよ、奥様。なんでもゾーラの子供が倒れてたっていう話なのよ」

 

片方が言った。どうやら婦人同士で立ち話しているらしい。

 

「ゾーラ?あらまあ、本当に?ゾーラって確かあれよねえ、川上のずっと上に住んでるっていう、あれよねえ」

 

「そうよ奥様。だからそんな生き物が...あらやだ、失礼。そんな人がここら辺にいるなんておかしいでしょう?一体何があったんだろうって私もなんだか怖くなっちゃって」

 

「それでその子供っていうのは今はどこにいるのかしら?」

 

「それがねえ、何でもテルマさんの酒場に運び込まれたってことなのよ」

 

「あらまあ。テルマさんのねえ」

 

奥様と呼ばれたほうはいわくありげに黙り込むと、声をひそめて囁いた。

 

「ねえ、テルマさんのお店って昔からあれでしょ?身元不明の女の子を働かせたりして、いろいろと噂があったんじゃないかしら?私の記憶違いだったらいいんだけど」

 

「まあ、奥様!本当よくご存知で」

 

もう片方の女が声を張り上げ、ここを先途と張り切って自らのゴシップ知識を披歴した。

 

「そうなのよ奥様。何しろね、以前あそこで働いていた女給の女の子、どこからともなくこの街にやってきたってことらしいんですけど、なんでもえらく不愛想だったっていうのね。その子は不人気でもう辞めたらしいんだけど、そしたら今度は別の子が来たっていうのよ。ところがね奥様、その子は愛想はまあまあいいらしいんだけど、自分のことを何一つ覚えてないっていうのよ!」

 

「それは変ねえ。どういうことかしら?」

 

「変でしょ?ねえ。だからね、奥様、私ちょっと考えすぎかも知れないけど、こんなこと想像しちゃって...」

 

「何なに?どんなこと?」

 

「ひょっとしたらあのテルマさんって、人さらいか何かから女の子を買ってきて...」

 

「ヒイイ...恐ろしいわ!」

 

「ねえ奥様、恐ろしいでしょ...!」

 

リンクはここまで聞くと、先に進むことにした。そのテルマの酒場というのは気になったが、いずれにせよ匂いを辿るのが一番確実だ。

 

右手には瀟洒な邸宅があり、左手にはサーカス芸人でもいるのか天幕が張られ、その先に歓楽街のようなものが続いている。だがリンクは匂いを追って真っすぐ進んだ。

 

先ほど婦人たちが噂していた酒場というものには若い女が複数出入りしているらしい。もしかするとそのうちの一人がイリアかも知れないが、決定打にはならない。第一イリアのような身持ちの硬い少女が酒場で女給をするなど、とてもリンクには考えられなかった。

 

通りはやがて広場に出た。中央には石できれいに囲った大きな円形の池のようなものが設置されている。リンクにとっては初めて見る代物だ。ただ、今は水が枯れているらしい。

 

右手はハイラル城に通じているのか、ものものしい回廊と繋がっている。左右に白い光が浮いている。目を凝らすと、見慣れた兵士たちの服装だ。

 

その他、広場は商店らしきものに囲まれていた。広場じゅうを、白い光の塊がうようよと動きまわっている。

 

「白い魂の群衆ってわけだ」

 

ミドナが久しぶりに口を開いた。

 

「こいつら、自分がどんな姿になったかも知らず、城がどうなったかも分かってない。あいも変わらずくだらん噂話に花を咲かせる毎日ってわけだ」

 

そう言うと彼女はせせら笑った。

 

「おいリンク、お前こんな無知で愚かな連中のために自分の命を賭けるなんて覚悟が本当にあるのか?」

 

リンクが彼女の顔を見上げるとミドナは続けた。

 

「考えてもみろ。こいつらは自分たちの城が征服されても自分が白い魂になっても我関せずで、日々娯楽と自分の安逸にしか興味がないんだ。だとしたら別に光の領域にいようと影の領域にいようと同じじゃないか?え?違うか?」

 

リンクは俯いた。さっきの婦人たちの噂話を聞いて心がムカムカした自分がいた。話には聞いていたが、都会人というのはなんと冷たいものなのだろうと感じた。トアル村の人間なら、村に流れついた身よりのない少女を女給にして働かせたりなんかしない。いや、第一自分ではその少女たちを助けもしないのに噂話ばかりしている婦人たちそのものがリンクには信じられなかった。

 

だがリンクは軽く首を振った。イリアを見つける。そしてここを影の領域から解放する。それが自分のやるべきことだ。リンクはまたゼルダ姫のことをも思い出した。彼女は獣であった自分を人間とまったく同じように扱ってくれた。それだけではない。ただ事件に巻き込まれただけの農夫である自分に対して謝罪までしようとしたのだ。

 

ゼルダ姫を城の中から救い出す力は自分にはないかもしれない。だが、この土地を覆いつくした黒雲を晴らし、せめて彼女にまた青い空の下の城下町を見せてあげたい。リンクは上を向くとまた歩き始めた。

 

「ま、今のはちょっと言ってみただけだ」

 

ミドナは言った。

 

「どっちにしろ影の結晶石を手にいれるには影の領域を晴らさないとならない。お前のそのやる気はなにが動機であろうと私には有用だ。せいぜい頑張ってくれよ」

 

リンクは匂いを慎重に辿るため歩調を落とした。池の囲いを越えると匂いは左に曲がっていた。リンクもそれに従って曲がる。ふと池の傍らで白い光が固まって止まっているのが見える。

 

「ねえ、兵士さん。ここの噴水の水どうしちゃったの?ここんところ枯れっぱなしじゃないの」

 

女が尋ねている。

 

「ええ、ああ、それはですね。城の水源であるハイリア湖の渇水が原因と思われまして」

 

「やっぱりねえ。どこでも水不足だって最近暮らしにくくて仕方ないわよ。それっていつ直るのかしら?」

 

別の女に尋ねられ、兵士は苦し気に答えた。

 

「ええ、いつと申されましても...そもそもハイリア湖は私の管轄ではないので..」

 

「頼りにならないわねえ本当に!」

 

最初の女が呆れたように言う。

 

リンクはまた足を進め始めた。どうやら匂いは広場西側に接続した通りに向かっているようだ。

 

広場から少しの階段を降り、西に向かう通りに入る。左右は住宅街のようだ。しばらく進むと、匂いは住宅街の端にある二階建ての建物の扉にリンクを導いた。だが奇妙なことに、その後また匂いがその扉から南側への通りに向かっている。

 

どうやらイリアはこの二階建ての建物からさらにどこかへ移動したようだ。建物の看板を見ると「診療所」とある。リンクは途端に目が覚めた思いがした。イリアは負傷したか病を得て、ここに運ばれて治療を受けたのだ。今は元気になっているのだろうか?再び気持ちが逸り始める。

 

匂いを追いながら南への通りに入る。そこは裏町のような場所で、普段から日当たりも悪そうな陰気な通りだった。時折通る白い光を横目にリンクは進んだ。途中で通りが東に折れる。店も何もなく、ただ殺風景な壁とボロボロの木の扉が連なっているだけだ。貧民街だろうか。一か所左手に柵のついた邸宅があったが、それきりでまたうらぶれた街並みが続く。

 

だが、やがて道は大きな目抜き通りに出た。雰囲気が一変し、広くにぎやかな通りは両側に果物や肉から花に至るまでさまざまな露天が並んでいる。時刻は夕刻だろうか。だが都会の夜は長いらしく、露天商たちはこれからがかきいれどきなようだ。めいめいが元気に声を張り上げて通行人の注意を引こうとしていた。

 

匂いはいよいよ明確になってきた。間違いない。イリアはこの近くだ。少なくとも今は彼女が魔物に囚われていないことを確信してリンクはほっとした。診療所を出た後の彼女の健康が気になるが、死んでしまっているのならここまで匂いは残らないはずだ。

 

露店を左右に見ながら通りを南下する。すると匂いは右に入る裏通りに続いていた。

 

リンクはその通りに入った。再びうってかわって物寂し気な裏街だ。しかし匂いは続いている。進むと、階段になっていて下に下っていく。やがて四方を壁に囲まれた殺風景な広場に出た。隅には箱や樽が放置されている。右手にはアーチ状のトンネルがあり、匂いはその中に続いていく。

 

リンクは引き続き匂いを追った。いよいよだ。いよいよイリアに会える。たとえ彼女はリンクを見れなくても、一刻も早く会いたい。胸が高鳴った。

 

再び階段を何段か下ると突き当たりに扉があった。扉の横には「テルマの酒場」と看板がある。

 

リンクは打たれたように立ち止まった。

 

あの婦人たちが噂をしていたのはやはりイリアだったのか。あのイリアが女給に?リンクは困惑した。どういう事情があったのだろう?それと同時に不安も感じた。それを知ったらボウは何というだろうという心配が浮かんできた。こんな場所で働いていてもしイリアの身に何かあったら。リンクは歩みよると、半分開いていた扉を鼻先で押し開け、中に入った。

 

中は思いのほか広い。向かって左にカウンターがあったが今は無人だった。正面奥にある客室に群がっている白い光はどうも兵士たちらしい。右手にも広間があってテーブルが立ち並んでいる。その広間の左端の向こう側の壁際に白い光が二つ三つ並んでいた。

 

リンクは駆け寄って目を凝らした。

 

一番左は中年の女だった。細かく編んだ黒髪を下げ、恰幅のよい体格をしている。これが女主人のテルマだろうか。

 

そしてその手前には十代後半の少女が腰かけていた。短めに切った金髪。白い袖なしのチュニック。リンクは思わず声を漏らした。

 

イリアだ。イリアは生きていたのだ。

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