広間の左端の向こう側の壁際に十代後半の少女が座っていた。短めに切った金髪に白いチュニック。間違いない。イリアだ。イリアは生きていたのだ。
「テルマさん.....この子、助かりますか?」
イリアは呟くように言った。横から見ていても、その目には涙が浮かんでいるのがわかった。
「落ち着くんだよお嬢ちゃん。今医者を呼びに行かせてるとこだからね」
テルマは励ますように言ってイリアの肩を抱いた。
イリアとテルマの前には、ベンチにしつらえた即席の寝床に小柄な少年が寝かされていた。
だがその少年の姿を見てリンクは驚いた。年のころはタロやコリンと同じくらいだろうか。端正な顔立ちは人間と全く同じだったが、肌が銀灰色に光っているのだ。見慣れない装束を身に着けていた。体中に細かな傷があり血がにじんでいる。気を失っているのか眠っているのか、目を閉じたままだった。
「それにしても珍しいね、ゾーラの男の子なんて。道で倒れてたんだろ?よくよく不思議なことがあるもんだね」
テルマが言うとイリアが答えた。
「私、この子を助けてあげたいんです。他人とは思えなくって」
「わかったよ。私も協力するよ。これも縁だからね」
そう言ってイリアの背中を叩くと、テルマは後ろを振り返った。
「それにしても最近奇妙なことが多すぎるね。湖の水が枯れたって噂もそうだし」
テルマの視線の先には、カウンター奥の客室にたむろしている兵士たちがいる。リンクはそちらに歩いて行ってみた。分隊長らしき大柄な男が、数人の部下を相手に話している。酒を飲みながらくつろいでいるのかと思いきや、どうやら作戦会議らしい。
「ハイリア湖の精霊の泉に参拝に行けないという苦情の件でお前たちには現地に向かって調査してもらう。場所は地図に示したとおりだ」
分隊長が整列した部下たちに言った。
「分隊長、質問があります」
一人の兵士が手を上げた。
「なんだ?」
「現地は普通の交通手段がない場所です。湖まで降りるにはどうすればいいでしょうか?」
「橋からロープを下ろせばいいんじゃないか?」
別の兵士が言う。するともう一人の兵士が口を挟んだ。
「バカ言え、あれだけの高度だぞ。途方もない長さのロープが必要になっちまう」
「確か、トビーとラッカの水上遊園地で鶏の足に捕まって降りるアトラクションがあったはずだ。それで降りればいいだろう。帰りはトビーの大砲で上げてもらえ。料金は立て替えてあとで申請しろ」
分隊長が言った。すると一人がおずおずと申し出た。
「分隊長、自分は...その....高所恐怖症なのであります」
「分隊長、自分もです」
別の一人も言い出す。すると次々と兵士たちが手を上げて同様の申し立てを始めた。
「ええい、とにかく調べてこいという上からの命令なんだ。地図の場所を覚えたら明朝には現地に出発しろ!わかったか!」
分隊長の号令に、兵士たちはめいめい渋々ながらの元気のない返事をした。リンクはテーブルに広げられた地図を覗き込んでみた。
城下町から出て平原の東にある小道に入ると、それが南下してハイリア湖の上を通る橋に繋がっているようだ。リンクは客室を出るともう一度振り返ってイリアの後ろ姿に目を向けた。
「感動の再会..てわけにはいかなかったみたいだな」
リンクの背中でミドナが呟いた。
「まああの女もここにいれば安全だろう。お前も今は仕事に集中しろよ。兵士どもが精霊の泉がどうとか言ってたからまずはそこに行ってみることだ」
リンクは頷いた。扉を通って酒場を出ると、うらぶれた広場から階段を登って目抜き通りに戻る。露天商たちの声が聞こえるなか通りを北上し、ハイラル城前の広間で右に曲がった。
何よりもイリアが無事であったことがリンクを安心させた。女給の仕事をしているというのが本当ならそれはそれで心配だが、あのテルマという女主人の様子を見ているとイリアに酷い扱いをしているようには見えない。今は精霊を蘇らせるのが先決だ。
邸宅の並びを左に見て城下町出口に向かう。門から外に出ると橋の上にまた白仮面の鬼が二匹いるのが目に入った。来たとき倒したのに、もう湧いて出たのか。リンクは唸り声を上げると手近にいる奴に突進した。こちらに気づいて棍棒を振り上げようとした瞬間に肩口に噛み付いて引き倒す。もう一匹がこちらに走り寄ってくるまでの数秒で滅茶苦茶に噛みつくと、いきなり向き直って新手の鬼にも突進した。押し倒して地面に叩きつけると首筋に牙を立て、体を左右に捻ってできるだけ大きく肉を噛み千切る。最初に倒した奴がよろよろと立ち上がったのが視界の隅に映った。足に噛み付いて引き倒すと、上半身をズタズタに引き裂いて息の根を止めた。
「おい、気持ちはわかるが無駄な戦いはたいがいにしとけよ」
リンクが荒い息を鎮めているとミドナが背中から声をかけた。
「こいつら雑魚をいくら倒したところで大勢は変わらないんだ。いくらでも補充は利くからな。それに私たちの力を知られれば知られるほど相手は対策を強めてくるぞ」
ミドナは少し間を置くと続けた。
「わかるかリンク?お前のやっていることは敵をむやみに警戒させるだけの効果しかないんだ。少しは頭を使え。これは戦争なんだぞ。勝つためには感情と戦略は別に考えろ。最短の時間で大将の首を狙うのが結局は一番犠牲が少ないんだ」
リンクはミドナの言葉を頭の中で反芻した。確かに理にかなっていた。少しでも鬼の数を減らせばそれだけ人々は安全になると思っていたが、それは間違っていたのだろうか。
物思いを振り払って頭の中であの地図を思い出し、東に進路をとった。すると左手から火矢が飛んできた。また白仮面の鬼だ。距離が遠く狙いも不正確だった。リンクはあえて無視し、走る速度を上げていった。
ところどころ高木の立つ野原を駆け抜ける。濃い草むらの脇を抜けると真っ黒なデクババが顔を出した。リンクは構わず走り続けた。やや左手に低い岩壁に挟まれた小道が見える。リンクはそこに向けて進路をとった。
小道に入ってしばらく走り続けると、道が右に曲がり、南に下っていく。すると白仮面の鬼がまた向こうから一匹現れた。だが今のリンクの足なら引き離すのは容易だ。リンクは突進して衝突しそいつを押し倒すと、また走り出した。
道は左に分岐している。その分岐した先にも鬼が一匹立っていた。こちらに気づくと慌てて弓を構え矢をつがえた。さらにダッシュする。背後から火矢が頭上高くを通過していった。
だが南に下る進行方向にも鬼が一匹いた。リンクはそいつに走り寄ると思い切り跳躍して頭上を飛び越え走り続けた。
肩越しに振り返ると、引き離された鬼どもが悔しそうに武器を振り上げている。
「街道を誰も往来させるなって命令を受けてるんだろうな」
ミドナがリンクの背中で言った。
「どうやらあいつの考えが読めてきたぞ」
ミドナの言葉に、リンクは走りながらやや首を曲げて彼女の顔を見上げた。
「なあに、ちょっとしたことさ。いずれお前にも教えてやる。今はほれ、精霊の泉に行くのが先だ」
リンクは前を向いて走り続けた。しばらく走ったところで左右の岩壁がなくなり、視界が開けた。
右手前方に壮麗な造りの門がある。どうやらハイリア湖の上を通る橋の入り口のようだ。正面に高さ三メートルほどの岩があり、そのたもとに看板が立っていた。
「ハイリア湖の新名所・トビー&ラッカのワクワク水上遊園:アトラクション・トリトリップは左手へ直進」
看板にはそうあった。リンクは左に向かってみた。しばらく進むと柵のかかった崖に行き着いた。柵沿いに進んでいくとやがて左手は岩壁、右手は柵に挟まれた小道になり、その突き当たりに建物の扉がある。扉は閉まっていた。
「もう時間が遅いからな。別の経路を探そう」
ミドナが言った。リンクは小道を逆戻りすると、今度は橋のほうに向かって進んだ。
橋はオルディン大橋に似た構造だった。同様に大理石製だが、より手の込んだ装飾が施された見事な造りだ。もうひとつの違う点は、百メートルほどの通路の左右に石積みの壁がしつらえられており不意の転落を防ぐようになっているところだ。それでいて、壁のところどころに覗き窓がついており、観光客がはるか眼下のハイリア湖の風景を楽しめるように配慮されているようだった。
橋に入ってみると、リンクは奇妙な臭いが鼻をつくのに気づいた。
立ち止まってミドナの顔を見上げる。
「どうした?」
言葉を発しようとしても当然ながら唸り声しか出ない。リンクは前方に目を凝らした。特に怪しいものはない。橋の上には誰もおらず、行商人の馬車から落ちたのか、箱が一つ転がっているだけだ。
橋の通路を進むにつれて、だがその奇妙な臭いは強くなっていった。リンクが嗅いだことのない、鼻を刺すような臭いた。
「なんか変な臭いがするな」
ミドナも言った。リンクは改めて地面に鼻をつけて臭いをかいでみた。明らかにおかしい。普通の往来で嗅ぐような臭いではない。何かがありそうだ。
その瞬間、橋の終端あたりに人影が姿を現した。あの白仮面の鬼だ。弓矢を携えている。
鬼は火矢をつがえると高く狙いをつけて放った。矢はリンクの頭上をはるか高く越えて後方に着弾した。下手くそめ。噛み砕いてやる。そう思ってダッシュしようとリンクが身をかがめた瞬間、ミドナが叫んだ。
「おい、まずいことになった。逃げるぞ!」
反射的に矢が着弾したあたりを振り返ると、路面に炎がメラメラと燃え上がっている。と思う間もなく、前方の鬼が自分のすぐ前の路面にも火矢を放ち、そそくさと逃げ出した。
いまや橋の通路はリンクの前方も後方も高く燃え上がる炎が立ちふさがっていた。それだけではない。炎は次第にリンクたちのいるところに迫ってきていた。
「くそっ、ヤバイじゃないか。早く脱出しろ」
ミドナが言う。リンクは咄嗟に左右を見回した。壁の近くに転がった空き箱に走り寄ると、頭で押して壁際に寄せた。その上に乗って壁の上に飛び乗った。
だが下を見ると、頭がくらくらするほどの高所だった。いくら高いところが得意なリンクでもこれは想定外だ。橋の路面を舐める炎がみるみるうちにリンクたちに近づいてくる。下を見ると、地図でみたハイリア湖の形とは大幅に異なるが、渇水した後に残された湖の残滓のような水面が見える。
リンクは思い切って跳躍した。ちょうど炎が橋の全面を覆いつくした瞬間だった。
リンクとミドナは落下した。思わず声が、狼の吠え声にしかならないが、口から漏れる。
何秒が経っただろうか?途端にリンクはザンブと水面に落ちた。数メートル水中に潜る。必死で犬かきして浮上し、やっと水面に顔を出すと、ミドナがリンクの背で言った。
「おい、生きてるか?」
リンクは返事の代わりに唸った。犬かきしながら手近な岸を目指した。
「あいつら小賢しい真似しやがって。下が水だったから助かったな」
岸まではそれほど遠くはないようだ。周囲は暗いが、岸のあたりにもいくつか白い光が浮かんでいる。
「それにしても水が少ないな。地図と全く違う」
ミドナがまた口を開いた。
「まあいい。精霊の泉はこの周辺にあるはずだ。探してみよう」
リンクは岸に上がると、体を振って水を飛ばした。岸とはいっても最近まで湖底だったのだろう。草一本生えてはいない。手近に浮遊していた二、三の白い光に近づいてみると、どれも見慣れない形をしていた。
目を凝らし、五感を研ぎ澄ます。すると、銀灰色の肌をし、細身で筋肉質の体つきをした男たちが見えた。奇妙な形の兜を被っていて顔は見えない。手にはこれまた見たことのない形の槍をそれぞれ持ち、足に魚の水かきのようなものがついている。
酒場で寝かせられていたあの少年と同族だ。リンクは直感でわかった。ゾーラ族。リンクは話でしか聞いたことがない。魚同然に水中を自由に泳ぎ回ると聞く。ラネール北部に住んでいる亜人たちだ。
興味を引かれて耳をそばだててみる。すると彼らの話す声が聞こえた。
「くそっ....このままではハイリア湖が消滅するのも時間の問題だな」
左側で湖の残滓を見つめていた一人が呟いた。その背後にいる二人が互いに話し合っている。
「上流から全く水が流れてこないんだ。こんな異変は聞いたことがない」
「里が心配だ。なんとかここから戻れる方法はないのか?」
「何しろ川がないんだ。歩いていこうにもどれだけ時間がかかるかわからんぞ」
リンクは周囲を見回した。ゾーラ族が住む北の地域にも異変が起こっているというのが気になったが、まずは精霊の泉を探さなければ。目を上げると、前方遠くに建造物のようなものが見える。そこにも白い光が浮いていた。
リンクが走って近づくと、その建物は縦に尖った形をした小屋だった。木の板でできた土台の上に乗っており、その戸口の前に浮いている白い光をよく見ると、背の曲がった老人だった。
だが老人の姿は枯れ果てたような風情ではない。むしろ肉付きがよく、サーカス芸人
を思わせる派手な服装をして化粧までしている。
老人は湖を眺めながら自棄気味に足元の土を蹴って独り言を言っていた。
「湖の水がこんなに低くなっちまった日にはこちとら商売あがったりだぜ全く」
彼はそう言うと北のほうを見上げた。
「上流のゾーラどもがなんかやらかしたか?それとも精霊の祟りか何かか?」
しかし、そう言ってから老人は溜息をついた。
「ま、精霊の洞窟もあんな高い場所になっちまったら文句も言いにいけねえわな。夏はかきいれどきだってのにまったくツイてねえったらありゃしねえぞ。ああ客がせめて一人でも来りゃあなあ..」
その時、老人が湖の残滓の北側の岸に目を向けた。
「お...客か?」
リンクもその方向に目を向けた。人影が岸にある。だがリンクは雰囲気でわかった。あれは人ではない。鬼だ。
老人もどうやら同じ印象を受けたらしい。最初は手を上げて差し招くそぶりをしかかっていたが、途端に気づいて手を引っ込め、両腕で頭を覆った。
「やべえ...ありゃ化け物じゃねえか...」
怯えた老人が震え出す。リンクは鬼の姿のほうに真っすぐ向かって走った。ミドナに説教されたばかりとはいえ、ここまで人間の近くに鬼がいたらやはり放置はできない。
「リンク、上を見ろ」
ミドナにそう言われ走りながら上空を見上げると、あの黒い怪鳥が悠々と飛んでいる。
「あいつと戦おうとしたら空からあの鳥が襲ってくるって寸法だ。どうしてもと言うなら戦うのは構わんがその時になってから慌てるなよ」
リンクは頷いて走り続けた。みるみる鬼の姿が近づいてくる。相手もリンクの姿に気づいて弓矢を上げた。白仮面の弓兵だ。リンクは停止して身構えた。最初の矢を躱してから一気に距離を詰める作戦だ。
だが鬼は一旦弓矢を下げると、何かを口に当てて吹き鳴らした。その瞬間、上空から羽音がして黒い巨大な影が近づいてくる。
怪鳥だ。
だがその大きさは今まで見た怪鳥より群を抜いていた。遠くから見ただけではわからなかったが、こうしてみると翼の長さだけでも小舟くらいの大きさはありそうだ。
巨大怪鳥は旋回したあと地面をかすめるように低空飛行してきた。鬼は横から器用にその首を掴んで飛び乗る。リンクは転げるように横に飛びのいて怪鳥を逃れた。
鬼はその巨大怪鳥を操るすべを心得ているらしい。まず高度を上げると、リンクの上空に滞空させた。
「ったく面倒なことになったな」
ミドナが忌々しそうにつぶやいたあと、思い直したように続けた。
「だが私に考えがある。こいつを奪えば役に立つかも知れないぞ。あの鬼を叩き落せ」
リンクは唸りながら敵を見上げた。白仮面の鬼は弓に矢をつがえ放ってきた。上から矢が高速で降ってくる。辛うじて横に飛びのいて避けた。また次の矢が襲ってくる。
続けざまにバックホップして矢の連射を躱した。矢が当たらなかったことを見て取ったのか、鬼は怪鳥を旋回させ一旦離れると、今度は低空飛行でこちらに突進させてきた。巨大怪鳥の爪が迫る。リンクは向きを変えるとダッシュして回避した。
攻撃を逃げるのは可能だ。だが倒すのは簡単ではない。リンクは焦れて相手を見上げるとまた唸り声を上げた。
怪鳥が再び旋回してこちらに向かってくる。だが、高高度からの射撃では当たりづらいと判断したのか、今度は高度を下げて怪鳥を滞空させてきた。鬼が火矢を放ってくる。その軌道を見極めサイドホップした。矢が体から数センチのところをかすめる。二の矢三の矢が襲ってきたのをリンクは辛うじて回避した。
こちらが反撃できないと油断しているのか相手は怪鳥を低い高度で滞空させていた。矢を何本か放つと、一旦怪鳥を旋回させて離れ、再びこちらに向かってくる。
「リンク、気づいたか?」
ミドナが言う。
「あいつ、絶対お前の攻撃が届かないと思ってるぞ。油断させて引きつけてから一気に襲いかかれ」
リンクは頷いた。次がチャンスだ。怪鳥がまた高度を下げる。こちらに覆いかぶさるように下降してきた。
相手が矢をつがえる前にリンクは思い切り跳躍した。怪鳥の腹に届く。首を曲げて怪鳥の胴体に牙を突き立てる。顎だけで相手にぶら下がると、傷の苦痛と失われたバランスのせいで怪鳥が苦しげにもがき始めた。
「おい、鳥は殺さないようにしろ!」
ミドナが叫んだ。無茶なことを言う。リンクは心の中で唸って顎を開き、飛び降りて着地した。予想外の反撃を受けたことに驚いたのか、鬼は一旦怪鳥を駆って遠くに退避した。だがやがて戻ってきて、再び上空から射撃を開始する。
リンクは一計を案じた。湖の残滓の池に向かう斜面を駆け下る。水面近くにまで下ってからそこに陣取ると、相手の射撃を誘った。
矢がたちまち飛来する。ギリギリで躱すとまた飛んでくる。ここは我慢のしどころだ。一本の矢が背中をかすめて毛皮を焦がした。数本の矢をリンクが躱すと、また鬼は怪鳥を旋回させた。
リンクは斜面の底で待った。遠くから羽音がする。その途端リンクは斜面を駆け上がった。同時に巨大怪鳥が再び斜面の上に姿を現す。
高度はいくらもない。リンクがまだ斜面の底にいると速断した鬼が最初から高度を下げてきたのだ。
跳躍して目の前に迫った怪鳥の肩口に噛み付く。体を思い切り暴れさせると、さしものの巨大怪鳥も飛んでいられず、傾いてたまらず地面に胴体着陸した。
ここを先途とリンクは襲い掛かった。慌てて矢を向けようとしてた鬼に体当たりして怪鳥の背中の上から叩き落す。地面に転がった相手の足の肉を噛み千切ると、四つん這いで逃げようとするその後ろ首に噛み付き、骨を思い切り噛み砕く。
「おい、そこで待ってろよ」
鬼が息絶えてしまうと、ミドナがそうリンクに声をかけて空中に浮遊した。巨大怪鳥は立ち上がると、また羽ばたきしてそこから逃れようとしている。ところが、ミドナがその頭の傍らに留まって手をかざすと、途端にそいつは大人しくなり羽を畳んでその場に座った。
「お前もうちょっと手加減できなかったのか?もう少しでこいつ使い物にならなくなるところだったぞ」
ミドナが笑いながら戻ってきた。どういうことだろうか?リンクは彼女の顔を見上げた。
「こいつはもう私の手下だ。これに乗って湖の水源を辿ってみるぞ」
そう言うとミドナは巨大怪鳥の背中に飛び乗った。かと思うと、怪鳥が羽ばたきして飛び立つと、今度はリンクに向かって飛んできた。
「ほらじっとしてろよ!」
ミドナが言う。怪鳥の爪がリンクを鷲掴みにする。怪鳥は一気に高度を上げる。
かつてハイリア湖だった広大な窪地が眼下に広がる。ミドナの操作によるのか、巨大怪鳥は急旋回すると北に頭を向けた。窪地を囲む極めて高い岩壁のうちに、以前は湖に流れこむ滝だったとおぼしき箇所が幅百メートル近い大きな溝のようになっている。怪鳥はそこに向かって飛んだ。
水源を辿るのだ。やがて怪鳥はリンクを掴んだまま巨大な洞窟に入っていった。洞窟の中もまた影の領域に特有の黒い霧に満ちている。しかし、それがゆえにかえって暗闇であるはずの巨大洞窟の中にもオレンジ色の光が漂っていた。
だがリンクはその洞窟の光景に目を見張った。
そこかしこに白仮面の鬼どもがいる。本来ならば轟々たる水の流れを支えていたであろう洞窟は、今は底の方に細々とした流れがあるのみだ。その壁についた木組みの足場や岩棚の上に鬼どもが陣取って何事か作業している。
怪鳥は時折羽ばたきながら巨大な洞窟の中ほどに高度を保ちながら進んでいった。矢が風を切る音がする。その途端爆発音がして、前方の天井から下がった巨大な鍾乳石が落下した。ミドナが怪鳥を操作したのか、鳥はグイっと旋回し落下物を避ける。見ると、鬼どもは矢の先端に爆弾を仕込んで片端から洞窟の壁や天井を爆破しているようだ。
「ずいぶん勤勉な連中だな。水を枯らしたうえで破壊工作か?」
ミドナが言った。足場にいる鬼どもから矢が次々と飛んでくる。だが高速で飛んでいる目標に当てられるほどの射手はいないようだ。矢が後方遠くを通り過ぎていく。しかし、また爆発音がして、洞窟内に立った高い岩の柱が急激に倒れてきた。ミドナが鳥を操作して旋回し辛うじてかわした。
洞窟は左右にくねった。すると、かつては滝があったであろう高い崖が目の前に現れた。怪鳥は急激に高度を上げさらに水源へと飛行していく。崖の上も同様の洞窟だ。遠くから空の光が見える。リンクは長い間影の領域にいて時刻の感覚が狂っていたが、もう夜が明けたのだろうか。
怪鳥が上昇しようとすると、目前に巨大な岩の柱が倒れ掛かってきた。怪鳥が地面ギリギリに高度を下げ、柱に当たる寸前で右に旋回した。岩同士がぶつかる衝撃音に続いて凄まじい地響きがする。
怪鳥が続けて羽ばたきし高度を上げた。右に曲がっていく洞窟の中、左手の壁には多数の木組みの足場が設けられていた。洞窟は巨大なクレバスのような縦長で横に狭い形状になっていった。怪鳥はやや高度を低めに取りながら進む。
足場にいた白仮面の鬼たちからは視認されるのを免れていたが、そこここの岩棚にいる鬼どもから矢が飛んでくる。矢の一本が再び天井の鍾乳石に当たって爆発した。落下する岩塊が怪鳥の右側をかすめる。
だが、やがて遠くに空からのものと見られる光が丸く形作る洞窟の出口と思われるものが見えた。怪鳥は続けて羽ばたいて高度を上げていく。飛んでくる矢も散発的になってきた。
出口に向かって斜め上に上昇する。リンクたちは途端に洞窟の外に出た。周辺を岸壁に囲まれた広い盆地だ。怪鳥がリンクを手放し地面に落とした。リンクが草地の上に身軽に着地すると、今度はミドナがその背中にどっかりと腰かけた。
巨大怪鳥は羽ばたくと高度を上げて遠くに飛び去っていった。周囲を見渡すと目の前に川床があり、左手にある小屋の下の岩壁に突き当たっている。岩壁にはよく見ると木の格子が嵌った水路が口を開けている。
「思ったより早く着いたぞ。さすがは空の便だな」
ミドナが言った。
「それにしても寒いな。早くゾーラ族の村を探すぞ」
小屋から草地に下る階段には白い光が浮かんでいる。リンクはそこに近づいて感覚を研ぎ澄ました。見えてきたのは縮れた黒髪の若い女だった。
「本当にもう川の水が全部なくなるっていったいどういうことなのよ?」
その女は寒そうに両腕で自分の肩を抱きながら呟いた。
「これじゃ仕事にならないわよ。ああもう、ゾーラたちは一体何やってるの?」
どうやらゾーラの村はここではないようだ。リンクは踵を返して川床の走る先の方向を見た。小屋の下から走る川床は正面に真っすぐ続く流れと右に大きく曲がる分岐とに分かれている。リンクは思い切って川床に飛び降りてみた。草地から三メートルほど下の川床には水が全く流れていない。
進んでいくと、右への分岐には小屋の下と同じように木の格子がかけられているのが見えた。そこで真っすぐに進んでいくと、リンクは驚くべきことに気づいた。
川床に氷が張っている。それどころか、高さ二メートルもあろうかという氷の柱が川床のそこここに立っている。
幅が十メートルあまりの川床を走っていくと、それはしばらく左右にくねり、やがてかつては滔々と水をたたえていたであろう広い窪地に出た。周囲の岩壁には何層かの岩棚が人の手で彫りこまれているようだ。一キロほど先だろうか、正面には高い崖の上から巨大なつららがいくつも下がっていた。
「完全に凍り付いてやがる」
リンクが意外な光景を前に覚えず立ち止まると、さすがのミドナもそう言ってしばらく絶句していた。
「どうなってるんだ?ここにはゾーラの集落があるんじゃないのか?一人の姿も見えないぞ」
彼女は左右を見回したが、やがてリンクに顎をしゃくった。
「あの崖を登ってみるぞ。もしかすると上に誰かいるかも知れない」
リンクは頷いた。巨大なつららの見えるほうに向かって走る。上を見ると真っ黒な蝙蝠が何匹か低空を飛んでいる。リンクがつららの足元に来て停止すると、一匹がこちらに気づいたのか頭上を旋回し始めた。
だが、そいつが襲ってくる前にミドナが浮上すると手近にあった背の高い氷の柱の上に移動した。リンクが彼女目掛けて跳躍すると、魔法の助けで一挙に飛び上がり、狭い氷の足場に着地する。周囲には複数の氷の柱が立っている。ミドナとともに一段づつ高い柱に登っていき、最終的に川床から三十メートルほどの高さの岩棚に降り立った。
岩棚から凍り付いた滝の裏側に向かって走る。足元は完全に凍り付いていた。突如上から大きなつららが落下して数メートル先の床に突き刺さる。リンクはそれを回避すると滝の裏を抜けて反対側の岩棚に辿り着いた。
そこからまたミドナが浮上する。凍り付いた滝から下がるつららに何か所かある出っ張りに取りつくとそこからリンクを差し招く。リンクが跳躍すると、彼女も先導するように次々と上の足場に移っていった。
その刹那、リンクの足が滑った。反射的に必死に足場にしがみつく。眼下は川床までもう五十メートル以上の高さだ。落下して固く凍り付いた地面に叩きつけられたらひとたまりもない。
ようようのことで足場の上に登ると、再びミドナが浮上しはじめた。もう一か所の足場を経由して、凍り付いた滝の上に着地する。
そこからは、氷結した流れのもともとの源と思われる方向に明らかに人手によって建造されたとみえるゲートが、水源に至ると見える岩壁に開いた巨大な穴にしつらえてあった。蔓草模様に装飾された壮麗なものだ。
だが周囲は静まり返っている。頭上を飛び回る真っ黒な蝙蝠よりほかに生き物の気配がない。リンクはゲートのほうに走り寄った。凍り付いた川床の左右は石造りに装飾の施された歩道になっている。かつては相応に文化的な種族が住んでいたのは明らかだ。彼らは一体どこへ?
ゲートを抜けると、凍った水路が蔓草模様の装飾でぐるりを囲まれた広間に出た。天井は開いており空の淡い光が差し込んでいる。だが先客もいた。あの影の使者たちが三体。
リンクは唸り声を上げダッシュした。途端に次々と落下音がして、奇妙な文様の描かれた柱状の物体がリンクたちを封じ込めるかの如く周囲の床に刺さった。だが構わず近くにいた一匹に飛び掛かり首筋に噛み付いた。相手が振り払おうと暴れるところを、体を捩じって牙を喰い込ませる。だが視界の隅に異状を見つけ、リンクは噛むのを止めて凍った床に降り立った。
傷を受けた影の使者が怒りの吠え声を上げこちらに向き直ると同時に、もう一匹が走り寄ってくる。今や周囲は魔法結界で囲まれていた。だがその魔法結界の形が奇妙だ。こちら側の二匹と隔離されているかのごとくもう一匹がこの広間の真ん中を区切る魔法結界の向こう側にいた。いま近くの二匹を倒したら向こう側の一匹に蘇生させられるだけだ。
こちら側の二匹が同時に手を振り上げ襲い掛かってくる。唸りを上げ迫ってくる巨大な悪鬼の手を後ろに飛びのいて躱す。その間にも、広間を分割する魔法結界の隙間を探して目を走らせた。
悪鬼のうちの一匹が手を振り上げ、今度は横に払おうとしてくる。見えた。向かって右端に、広間を区切る結界と囲む結界の間隙があった。リンクはダッシュして悪鬼の脚の間を通った。背中の辺りを悪鬼の長い爪がかすめるのを感じながら、急激に右に進路を変えた。間隙に飛び込むとミドナに合図する。たちまち広がった黒い結界が、向こう側にいた一匹の巨大悪鬼をとらえ、その身体を赤い雷が包んだ。そいつが攻撃態勢を取る前に飛び掛かる。突如時間を停止させられたかのように動けなくなった悪鬼は急所を深く切り裂かれ崩れ落ちた。
リンクは着地すると向きを変えた。再び魔法結界の間隙から二匹の悪鬼どもがいるほうに戻る。だが相手は手ぐすね引いて待ち構えていた。手傷を負ったほうの一匹が近くにいた。そいつが攻撃しようと手を上げてきた途端リンクは立ち止まりバックホップした。悪鬼の手が結界にぶち当たる。リンクは再びダッシュして跳躍し相手の脇腹に噛み付くと、手傷を負わせるだけにとどめて床に降り立った。無傷のもう一匹も手を振り上げて迫ってくる。リンクは一計を案じて広場を区切る結界ギリギリに走り寄ると、そこで相手の攻撃を誘った。案の定、手で薙ぎ払うため悪鬼は手を斜め上に上げた。リンクは相手が動いた瞬間跳躍し、その手を飛び越えて肩口に飛びつくと首筋に牙を立てた。
暴れる相手に顎の力だけでしがみつく。リンクを振り落とそうともがく相手が向こう側を向いた瞬間素早く滑り降り、ミドナに合図を送った。
ミドナの黒い結界が広がる。今しがた噛み付いた相手の足元から、もう一匹の悪鬼の方に向かう。たちまち近くにいるほうの悪鬼の体が赤い雷に包まれる。もう一匹もリンクの姿を補足して攻撃態勢に入った。だがミドナの結界が包むのが一瞬早かった。そいつの体が結界に入った瞬間リンクは動いた。
空中に躍り上がったリンクの牙が触れると、正面にいた悪鬼の首筋がバックリと割れる。リンクはそのまま跳ね返されるようにもう一匹の悪鬼の胸元に飛んだ。同様に急所を切り裂かれたその悪鬼も、おびただしい黒い血を吹き出しながら倒れた。
やがて三匹の巨大悪鬼たちの体がボロボロと崩れ始めた。天井の隙間から見える上空に出現した黒い渦巻に悪鬼たちの身体の残骸が吸い込まれていく。
「ようやくポータルが開いたな」
ミドナがリンクの背中から言った。
「今回はかなりの長丁場だ。光の世界に出て休憩したければそう言え。どうだ?休みたいか?」
リンクは迷った。影の領域に入って二昼夜がたとうとしているが、まだ精霊に会ってさえいない。渇きはともかく飢えの感覚が襲ってくる。だが一方でエポナのことを考えると気が気ではなかった。結局リンクは首を振った。
「まったく向こう見ずな奴だ」
ミドナはため息をついた。
「だが私はもうじき休むぞ。お前と違って野獣じゃあないからな。どこか隠れられるところを...」
そこまで言ってからミドナは何気なく下を見、そして大きく息を呑んで絶句した。何事だろう?リンクは首を曲げてミドナの顔を見上げた。
「おい...リンク!下だ!下を見ろ!」
辛うじてミドナが言った。リンクは足元を見てみた。
もともと水だったのが凍り付いた床を覗き込んでみると透明なガラスのように下がよく見える。ここはもともと水深の深い大きな泉であったようだ。
そしてその水が凍り付いた中に無数の何かが閉じ込められているのが見える。
リンクが感覚を研ぎ澄ますと突如その姿が見えた。
それはおびただしい数のゾーラたちだった。湖畔で会った男たちと同様の装束をつけ、槍を持った兵士たちだ。皆氷の中に閉じ込められ微動だにしていなかった。