リンクは石碑の前を離れると、ゾーラたちの広間の方面に向かって歩いた。進んでいくと、途中に数メートルの段差があり、水面とほぼ同じ高さの岸に降りるようになっている。リンクが飛び降りて歩き続けると、前方に白い光が二つ岸の上に浮いている。目を凝らすとゾーラ族の兵士たちだ。
「ラルス王子が向かったのはこっちの方角なんだな?」
近づいて耳をそばだてると、一人が話す声が聞こえた。もう一人が答える。
「ああ。間違いない。この水路はハイラル城に通じているからな」
二人は頷き合うと、水に飛び込んだ。足につけられたヒレを使って魚のような速さで泳いでいく。見ると、里のほうではなく、右手に分岐して南に向かう水路に入っていく。リンクたちが最初に来た時には渇水の中木の柵が邪魔して進むことができなかった方向だ。ゾーラ兵士たちの姿がみるみる見えなくなる。
「おいリンク、次下流に降りるときはこっちを使え。あの洞窟の激流を下るのは私ももう懲り懲りだ」
リンクは頷くと、蟲たちの気配する里の方角へ歩き始めた。岸の通路は岩でできた自然の架橋が川をまたいでおり、右側の岸に移るようになっていた。
水路沿いの歩道はトンネルを潜っていく。進み続けると、やがて目前に滝が見えてきた。
凍り付いていた前回とは違い、直角に豊かな水が流れ落ちる壮麗な滝だ。滝に向かって歩道を歩いていくと白い光がポツリポツリと見えてきた。ゾーラたちだ。水源が回復してしばらく経ちようやく氷結のショックから立ち直ったらしい。めいめい岸に立ち、あるいは何事か話し合っているようだ。
「おいたわしや...ラルス王子はまだ幼くあられるのにお母上を....」
一人のゾーラ兵士がそう呟きながら兜を上げて目を拭っていた。リンクが進んでいくと次々にゾーラたちの声が耳に入った。
「なあ....もしかすると女王陛下に続いて王子まで....?」
「縁起でもないことを言うな!王子はきっと生きておられるはずだ!」
「各分隊長は点呼を取れ!生き残りは何人だ?」
立ち直ったとはいえ、指導者を失ったばかりのゾーラ兵たちは騒然としていた。一刻も早く王子を、あの少年を助けなければ。疲労と空腹で押しつぶされそうだったリンクの気力が再び蘇った。
ふと左手を見ると、水面に蟲の姿が見える。二匹だ。
「いたな。だが水面では私の結界は使えないぞ」
ミドナが言った。だが目を凝らすと大きな睡蓮の葉が虫たちの近くに浮いている。それを足場にすれば狩れるかも知れない。リンクは水に飛び込むと、流れに逆らって睡蓮の葉に向かって泳いだ。水の流れは、水源が復活した直後よりも落ち着いている。しばらく泳いで睡蓮の葉に到達すると、蟲たちは警戒し始めたのか飛びながら雷を発し始めた。リンクは下手に手を出さず様子を見る。
すると蟲の一匹が雷を発したままこちらに飛び掛かってきた。リンクは慌てて水に飛び込む。立ち泳ぎしながら様子を見ると、再び蟲が飛びながら元の場所に戻っていった。
睡蓮の葉に登ると注意深く相手を観察した。敵を追い払ったと勘違いしたのか雷を発するのを止めて悠然と滞空している。リンクはミドナに合図した。結界が広がり、蟲の一匹にかかる。飛び掛かるとその蟲はたちまち砕け散った。光の雫が浮き上がる。
もう一匹が近くにいた。リンクが泳ぎながら見回すと、そいつはパニックになって飛び回っていたのですぐ見つけられた。しばらく水の中から観察し、相手が落ちついた頃合いでまた葉の上に登ると、リンクは狙いを定め跳躍し襲い掛かった。もう一匹の蟲も潰れ、水面に浮いた。次いで光の雫が浮き上がる。
ミドナが二つの雫を回収すると、リンクは念のためその周辺の蟲の気配を探った。対岸にいる気がする。
歩道のあった岸の反対側、川の中から縦長の岩が二つ突き出ている。目を凝らすとその先に狭いがなだらかな傾斜があり岸に上がれるようになっていた。リンクは泳いで近づくと、岩の脇を通り越して岸に上がった。
思った通りだ。傾斜の上の草むらに闇蟲がいる。リンクはそうっと足を忍ばせて近づき必殺の距離まで来るといきなり跳躍して襲った。
蟲が潰れ、光の雫が浮き上がる。ミドナがそれを掬ったのを見届けると、リンクは滝のほうに目を向けた。
「上に行きたいのか?」
ミドナに尋ねられ、リンクは頷いた。
「私のジャンプで行ける高さの足場を探そう。リンク、向こう岸に渡れ」
水に飛び込むとリンクは犬掻きで川を渡った。やや下流に流されながらも渡りきって岸に上がると、滝の下に近づいた。
滝に向かって歩道は三メートルほどの崖で行き止まりになっている。ミドナは浮遊して崖の上に立った。リンクがミドナに向かってジャンプする。ミドナの力で引き寄せられリンクも崖の上に飛び乗った。
そこから狭い岩棚を進むと、上方に滝の裏側の岩棚から伸びている張り出しがある。再びミドナの助けを借りてそこまで跳躍する。その岩棚は途中で切れていたが、そこもミドナの魔法で飛び越えて進むと、リンクたちはやがて滝を挟んだ向こう側に出た。
そこから、崖から突き出ている岩の出っ張りを辿っていった。ほんの一メートルほどしかない岩の突端をミドナに従って飛んでいく。身の軽い山羊でもできない芸当だ。そうして岩壁を登っているうち、やがて緑の蔓草が絡む狭い岩棚に光る物がいくつか落ちている場所に行き合った。
「おい、ルピーだぞ」
ミドナに言われてよく見ると、緑ルピーが地面から少し顔を覗かせている。全部で三つあった。
「一ルピーだからって見過ごすなよ。軍資金になる」
リンクがルピーを掘り返すと、ミドナがそれを回収していった。ルピーを追って岩棚を進んでいくと、数メートル低い所に、水路沿いに南に伸びる広い回廊があるのが見えた。
その方向に感覚を効かせると蟲の気配がする。リンクは回廊に飛び降りた。進んでいくと、蟲が空中を飛んでいるのがわかる。リンクが近づくと慌てて雷を発しながら逃げようとする。方向を追いつつも刺激しないようにし、雷を発するのをやめて止まったところで一気にダッシュして仕留めた。
雫を回収すると、ミドナが言った。
「この里は終わりか?」
リンクの感覚ではまだだった。首を振ると、回廊に降りるときに来た岩棚のほうに足を向けた。
ミドナの助けを借りて再び岩棚にのぼる。そこからまた崖から突き出る岩の突端をたどりって崖の上に出た。
以前来たとき飛び降りた、滝の東側の草地だ。そこからゾーラたちの広間に出られるはずだ。リンクは水路沿いに草地を走り、広間に向かう歩道に入った。
蟲の気配は広間にあった。リンクは蔓草模様のゲートを抜け、広間に入った。まだ多数の白い光が浮いている。動き回っていないところを見ると、まだ回復していない者が大勢いるようだ。
リンクは広間の外周となる歩道に沿って、蔓草模様の壁の裏側を進んだ。いる。泉を挟んで反対側まで行くと、壁に蟲が張り付いている。
リンクは壁に体当たりして様子を見た。途端に羽音がして、蟲が壁から離れた。蟲は滞空しながらこちらを伺っている。じりじりと近づこうとすると距離を取ってくる。リンクは相手が攻撃してくるのを待った。
やがて蟲は雷を発しながら突進してきた。リンクはバックホップした。さらに後じさりすると、蟲の攻撃は空振りに終わった。リンクを見失ったのか、雷を発するのをやめて地面近く滞空している。そこへ襲いかかった。蟲はひとたまりもなく潰れ、光の雫が浮かび上がった。
「よし、この里は終わりだろう。次はどっちだ?」
リンクは、以前精霊と話したとき城下町の情景が一瞬頭に浮かんだのを思い出した。その町にも蟲がいるということだ。
ミドナに伝えるため、リンクは南を向いて吠え、彼女の顔を見た。
「あと行っていない場所は..城下町か?」
リンクは頷いた。広間の歩道を水路沿いに南下すると、滝の脇の草地に出た。思い切って水面に向かって飛び込む。すぐに滝まで押し流されると、リンクたちは落下した。数秒後大きな水音を立てて着水したが、以前より滝から落下する水の勢いは落ち着いていた。リンクはすぐ浮上し、流されながらも犬掻きで泳ぎ、水路の左側の岸に上がった。
そこから川沿いに進み、以前ハイラル城に向かうゾーラ兵士たちを見た岸まで来ると、リンクは再び水に飛び込んだ。あの小屋に向かって左側の川の分岐に入る。
そこは前回川下りした天然の洞窟とは違い、よく整備された石造りのトンネルになっている。しかも壁に所々燭台が据付けえられているところを見ると、船で行き来する前提で整備された水路のようだ。
川の流れは穏やかではあったが力強い。リンクはさほど労せずして進むことができた。水を掻いて進むのをやめ、姿勢を保つための最低限の力で泳ぐことにした。飢えと疲れは酷かったが、もうすぐで全ての雫が集まり、イリアに会えると思うと気が逸った。
暗いトンネルではあったが、リンクが感覚を効かせると内部の様子を察することはできた。危険な生物や魔物はいないようだ。
数時間もしないうちにリンクの目の間が突然開けた。
狭い水路が広い川に変わる。それに伴い水流も遅くなった。はるか南のほうにはハイラル城が見える。数百メートル先には石造りの橋が見えた。
川の左右は平原で、ところどころ高木が立っている。影の領域に入ってから最初に休憩を取った場所だ。
リンクは川岸の階段を登ると、体を振って水を払った。もし城下町の蟲が最後なら、回収を完了したらすぐイリアに会えるのだろうか?そんな希望が浮かんでくると、疲れ切った体にもまだ力が湧いてくる。
リンクは以前走った街道に入ると城下町の方面に向けて走った。途中白仮面の鬼たちを二、三匹見かけたが、ミドナの忠告に従い、そのようなときは街道から外れ距離を取って、戦わず通過することにした。
街道の左右がやがて岩壁に挟まれる。そこをしばらく走ると、岩壁が切れて右手に城下町の壁が表れた。もうすぐだ。
ここでも脇の草むらに鬼がいたが、向こうを向いている間にダッシュして通過した。とにかくイリアに会いたい。その一心でリンクは走り続けた。
やがて狼の俊足で城下町入り口が見える場所まできた。さすがに疲労を覚えリンクは速度を落とした。
「言ったとおりだったろう。ラネール地方の影の領域は簡単にはいかないってな」
ミドナが言った。確かにそうだった。怪鳥の助けがあったとはいえ、この二日余りでゾーラの里を訪れる大旅行を二度もしたのだ。狼の姿であった間に見たゾーラの里の様子を村人たちに話して聞かせてやれないのが何とも残念だった。
「おそらくあと城下町にある分で最後のはずだ。だが私はちょっと嫌な予感がするんだ。こんなもので終わるはずがないってな」
リンクは思わず首を曲げミドナの顔を見上げた。
「いや、私の思い過ごしならそのほうがいい。だがこれほど広い地域の光をあれっぽっちの蟲たちで奪えるものなのかと不審に思ってな」
リンクは前に向き直って進みながらも考えた。確かにそうだった。この影の領域はフィローネやオルディンとは比べ物にならない範囲だった。もしかするとまだ多数の蟲たちが隠れているのだろうか?だが精霊がそれを知らせてくれないことなどあるのだろうか?
そうこうしているうちリンクたちは城下町入り口に着いた。跳ね橋に登る石段を上がろうとした瞬間、魔法結界の柱が落下してきて目の前に刺さった。進もうとしたリンクは鼻先が壁に当たって弾き返された。
次々と柱が落下してきた。直径三十メートルほどを囲まれている。すると、次に上空に黒い渦巻きが表れた。動物の出産を思わせる様相で、渦巻きから大きな黒い塊が一つ、二つ、そして三つ押し出されてくる。
塊が地面に無様に落下したかと思うと起き上がった。影の使者たちだ。
リンクは飛びすさると周囲を見渡した。魔法結界の形状は、ハイリア湖畔で戦ったときと全く同じだ。隔壁で一匹の使者を隔離し、一挙に殲滅されるのを防ぐという同様の作戦らしい。
「懲りない連中だ。片付けるぞ!」
ミドナが言うと、リンクも同意の吠え声を上げた。まず結界の内部を走り回り、もっとも孤立している悪鬼を見極めた。城下町に向かい、隔壁の左側の悪鬼が他の二匹と離れている。
悪鬼たちがリンクに向き直る。だがリンクは広い空間を利用して敵の間合いの外を動き、標的とした一匹に近づいた。
走り寄ると、相手が手を振り上げた瞬間リンクは左にサイドホップした。唸りを上げて飛んでくる巨大な悪鬼の手をあと数センチのところでかわすと、後ろに回り込んでミドナに合図する。途端にミドナから黒い結界が広がり悪鬼を包んだ。
リンクが跳躍する。悪鬼は後ろ首から完全に急所を切断されて息が絶え、崩れ落ちた。残り二匹の位置を見定める。一匹は隔壁の先端、もう一匹は向こう側だ。一匹が、隔壁が邪魔してこちらを攻めあぐねている間にリンクはダッシュしてその脚の間を通った。もう一匹がこちらに向いて手を振り上げた。滑り込むようにして相手の足元に入る。頭上を巨大な悪鬼の手がかすめた。そこから上を向いて一気に跳躍すると、首筋に噛みついて牙を立てた。だが深手を負わせず地面に飛び降り、足元から後ろに回ってふくらはぎに噛みついた。予測しがたいリンクの動きに翻弄された悪鬼は唸り声を上げてリンクを捕まえようとする。
リンクは急に方向を変え、隔壁の先端にいたほうの鬼に向かって走った。手傷を負わせた奴が追ってくる。ミドナに合図すると黒い結界が広がる。結界を張ったことで走る速度が遅くなった。そこで後ろから追ってきた悪鬼が手を振り上げる。だが相手の間合いということはこちらの間合いでもある。リンクは、隔壁の先端にいる奴が攻撃体勢をとりながらもミドナの結界に触れ、その身体に赤い雷が走ったのを見た瞬間、跳躍した。
二匹の鬼たちは次々と急所を引き裂かれて絶命し崩れ落ちた。三匹の巨大悪鬼たちの遺骸が上空の渦巻きに吸い込まれる。周囲を囲っていた魔法結界も消えた。
リンクは跳ね橋へと走り込んだ。大扉を抜けて城下町に入ると、蟲の気配に注意を払いつつ進んだ。噴水広場に出て左に折れ、目抜通りに入ってみる。
夥しい数の白い光が動き回っているが、今はいちいち感覚を研ぎ澄ませてその姿を見極める手間は取らず先を急いだ。
虫の気配が強くなってくる。露天の並びを横目に南下すると、以前訪れたテルマの酒場に通じる裏通りから強い気配を感じた。
右に折れて階段を降り、うらぶれた広場に出る。思った通りだ。隅に積み重ねられた箱から蟲の気配がする。
リンクは近づくと、思い切って箱に突進し顎で噛みついた。狼の一撃で箱の一つがバラバラになる。泡を食った蟲が雷を発して飛び出してきた。雷の一撃を顔面に喰らったリンクは思わず後ろ飛びすさって転がった。だがすぐ立ち上がると感覚を効かせて蟲の居どころを探した。
広場を逃げている。リンクは注意深くその後を追うと、動きを止めた瞬間に襲いかかって噛み潰した。
光の雫が浮上してくる。リンクの顔を一瞬雫が包んだ。先ほどの雷撃による痛みと痺れが消え、限界に近かった疲労がやや軽くなった。
「あれ?おかしいな」
雫を回収したミドナが呟く。これで全てではなかったのだろうか?リンクも首を曲げ怪訝な顔でミドナを見上げた。
「まだ残ってるってことなのか?」
彼女がそう言った瞬間にリンクは強烈な蟲の気配を感じ始めた。するとミドナも同じことを感じたらしい。
「おい、なんかヤバそうな気配がしたな、いま」
リンクはミドナの顔を見ると軽く吠えた。今までの蟲と同じ質の気配ではあるが、強さが格段に違う。一体どういうことだろう?
「なるほど、女王蟲のお出ましってわけだ」
ミドナが唇の端を曲げて微笑した。
「子蟲どもが全滅したことで怒った母親が姿を表したってことだろう。こいつは面白い」
リンクは唸った。それならすぐにでも行って戦いたいところだ。気配は南東からしていた。おそらくハイリア湖だとリンクには直感でわかった。精霊ラネールから力を吸いとったあとその膝元である湖を我が物顔で飛び回る。いかにも魔物の考えそうなことだ。
「方角は見当ついているな?」
そう尋ねられ、リンクは南東を向いて何度も吠えた。
「わかった、だがおい、もうだいぶぶっ続けで動いたろ。少し休まないか?」
ミドナの提案にリンクは首を振った。イリアとの再会を前にしては休む気になど到底なれない。
「まったくどっちがご主人なんだか....まあいい。つきやってやるか」
ミドナがそう言って浮上すると、その身体が回転し始めた。リンクの周囲の景色が消えていく。しばらくすると、リンクは自分が草地に立っていることに気づいた。
辺りを見回すとハイリア湖畔だ。影の使者たちと戦った広場だった。湖の方から尋常ならぬほど強い蟲の気配が感じられる。
北西の方角だ。リンクは走ると湖に飛び込んだ。遠くから雷鳴が聞こえてくる。空気が湿っぽく、今にも雨が来そうだ。
「おいリンク、女に会いたくて発奮してるところに水を差すようで悪いが今までの蟲みたく簡単に行くとは思うなよ」
ミドナがリンクの背で言った。
「おそらく親玉だ。大きいんだか強いんだかはわからんが、子蟲どもとは桁違いと思っといたほうがいい」
リンクは泳ぎながらも吠えて返事をした。どんな化け物蟲であろうと倒す。蟲の気配に向かって泳いで行くといつしか岸から離れてきた。水面にはところどころ上流から流れてきた木の足場の破片が浮いている。
「近いな」
ミドナが言う。目の前に二メートル四方ほどの木製の足場の残骸が浮いている。リンクはその上に這い上がって周囲を見渡した。強烈な気配が近くにある。それなのにあたりは静まり返っていた。すぐ近くに十メートル四方ほどの大きな木の板が浮いている。リンクは一旦水に飛び込んで大きな板のほうに移った。
また雷鳴が聞こえる。いかにも不穏な雰囲気だ。ふと脇を見ると水面に気泡が浮いてきている。
下だ。気泡がみるみる増えてきたかと思うと、水面から雷を発しながら飛び出してきたものがあった。
蟲だった。だがその大きさが桁違いだ。全長は三メートルくらいあり、腹の部分が異様に大きく肥っていて、そこだけで体の大部分を占めているようだ。
巨大蟲は羽ばたいて滞空し、前足を擦り合わせながら威嚇するような音を発すると、リンクのほうに体当たりしてきた。雷を全身から発している。リンクは反射的に横っ飛びしてかわすと、水に飛び込んだ。
蟲はリンクの居場所を見失ったのか、少しの間板のすぐ上に滞空ししていた。リンクは再び板の上に這い上がり、攻撃に移ろうとしたが、相手は一度飛んでその場を離れ、板の周囲を水面すれすれで飛び回り始めた。水しぶきが飛び散る。
ひとしきり飛び回ると、巨大蟲が再びこちらに突っ込んできた。また雷を発している。だがリンクはその軌道をギリギリまで見切ると、板から飛び降りずにかわした。巨大蟲は少し浮上すると、こちらの様子を伺うようにしばらく滞空していたが、今度は急角度で上から突っ込んでくる。
リンクは跳躍して飛び掛かった。だがそれと同時に相手が再び雷を発する。激痛と痺れが走り、リンクは板の上に落下し転がった。
「大丈夫か!」
ミドナが叫ぶ。だがリンクはすぐ起き上がると吠えて答えた。
痛みと痺れが全身を走る。だが、既に子蟲で経験した痛みと大差ない。こいつは倒せる。リンクの心に自信が湧いてきた。
雷鳴が響くなか、母蟲は再び浮上し、攻撃の準備をしているようだった。リンクは一計を案じ、板の端に立って待ち構えた。
思った通りだ。蟲が雷を発しながらリンクのほうに突っ込んできた。その瞬間に板の反対側にダッシュし回避する。
攻撃が空振りになった蟲は困惑したように板の上に滞空していた。そいつが雷を発するのを止めた途端にリンクは動いた。跳躍して大蟲に飛び掛かり、前足でしがみつくと腹に思い切り牙を連続で突き立てた。蟲がたまらず悲鳴のような鳴き声を上げた。リンクを振り落とそうと暴れまわる。何度目かに噛みついたところでリンクは振り落とされ水面に落ちた。
怒りに燃えた大蟲は周囲を飛び回っていた。リンクは再び板の上に上がった。こいつは恐ろしい敵ではない。確信したリンクはまた板の端に陣取った。
大蟲がまた浮上し、雷を発しながらこちらに突っ込んできた。横にダッシュしてかわすと、相手が雷を発するのを止めた瞬間に襲いかかる。腹脚に足をかけ駆け登り腹の上部の付け根に深く牙を立てた。相手が暴れても決死の覚悟で牙を食い込ませた。
蟲は身体を大きく反らせると自ら水に突っ込んだ。水しぶきが上がる。リンクも投げ出され水面に浮いた。
だが大蟲はまだ死んでいないようだった。少しの間動かずにいたのが、すぐに起き上がり、リンクの周囲を飛び回り始めた。攻撃の機会をうかがっている。リンクは板の上に這い上がり、さらに深い傷を与える方法を考えた。
「おい、奴は見た目どおりノロマだが結構しぶといぞ。次に奴を気絶させたらその腹の上に乗れ」
ミドナが言った。
「私が結界を出す。合図したら奴の腹脚を全て潰せ」
リンクは頷いた。蟲が突っ込んでくる。水に飛び込んでかわすと、相手が通り過ぎてから再び板の上に乗る。蟲は高度を上げるとリンクに向き直ってきた。
これで最後だ。リンクはじりじりと板の端に近づくと相手の攻撃を誘った。蟲が突進してくる。横にかわす。
蟲が雷を止めたのとリンクが飛び掛かるのがほぼ同時だった。横から相手の身体を登り、背から腹の付け根に痛撃を与える。噛みついたままで相手が暴れ飛び回るに任せる。蟲が水に突っ込む直前で飛び降りる。水面に顔を出すと、大蟲が数メートル先に仰向けに浮上してきていた。
動いていない。リンクは必死に泳いで近づくとその腹の上に這い上がった。ミドナが結界を広げ始めた。結界が、蟲の腹脚を次々と包んでいく。
「今だ!」
すべての腹脚が赤い雷に包まれた瞬間にミドナが叫んだ。
リンクは跳躍した。腹脚の一本に噛み付き引きちぎる。ミドナの魔法の力によってリンクは弾かれたように対角線上に飛んだ。腹脚が次々と引きちぎられていく。
六本の腹脚全てが引きちぎれた。ミドナの結界が消えリンクは再び水面に落ちた。蟲が致命傷の痛みに断末魔の鳴き声を上げ、身体を丸めたかと思うと、その身体が破裂した。
やがて大蟲の死骸から光の雫が浮かび上がってきた。
「こいつが最後の雫だ!」
ミドナが言った。リンクは雫に向かって泳いだ。雫に近づくとミドナが器を手に持って差し上げた。雫が器に納められた瞬間にまばゆいばかりの光が周囲を包んだ。
一瞬にして視界の全てが光になって、リンクは困惑した。それと同時に自分の身体が宙に浮いたような気がした。
何が起こったのだろうか。リンクは気を失っていたらしい。かなりの時間が経過したようだ。
夢なのだろうか、現実なのだろうか。
リンクは自分がいつしかラネールの精霊の泉の前にいることに気づいた。
影の領域特有の重苦しい霧のようなものは消え去っている。泉の上の天井に開いた隙間から朝の光が差し込んできている。
周囲は静かだった。鳥の鳴く声がどこかから聞こえる。
ふと泉のほうを見ると、水面から白い光が発している。見たこともないほどのまばゆい光の塊が水から昇ってきた。
その光はリンクのいる場所の高さまで来ると、形を変えた。蛇のように見える形だ。だがその大きさはリンクを圧倒するほどだった。
リンクが呆然として見上げていると、光が言葉を発した。
その声は、以前聞いたラトアーヌやフィローネ、オルディンの精霊の声に比べるとはるかに明瞭だった。
「我は汝に甦らされし精霊ラネール、
勇者よ、汝の求めし黒き力は湖の底にあり
されど勇者よ、我の告げしことに心を留めよ
かつて神は混沌からこの世界を創り出し、
生命と秩序を与え天に戻りたもうなり
神の降り立った地は聖地となり、
信心深い者たちが長くその平和を守りしものなり
しからば人は聖地ハイラルを巡り争いを始め、
魔術に長けた者たちが聖地の支配を企むなり
神は我ら精霊を遣わしその者たちと戦わしめ
彼らをその力とともに封じたもうなり
その力こそが汝の求める、湖の底に眠る黒き力なり
だが心得よ、力の持つ危うさを知らぬ者の命運を
力に魅入られ力によって操られし者の末路を」
精霊の不思議な力によるものなのだろうか、その言葉を聞くにつれリンクの心に語られたその情景がありありと浮かんできた。日々の糧に感謝しながら生きる素朴な人々。だがやがて強大な力を持つ一握りの者たちが現れ全てを支配しようと企んだ。そのような者たちに下される神の怒り。封じられた者たちは今いったいどこでどうなっているのだろう?
多くの幻が心の中を巡り、それが次第に急速になっていったかと思うと、精霊の全ての言葉もまた頭の中で繰り返し繰り返し再生され始めた。
自分は頭がおかしくなってしまったのだろうか?リンクは一瞬心配になった。
だがリンクはその刹那はっと目を覚ました。人間に戻ったあと何時間もラネールの泉のほとりで眠っていたのだ。