黄昏の姫と緑の勇者   作:nocomimi

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二つの再会

リンクは泉のほとりで目を覚ました。草の上に横たわり何時間も眠っていたようだ。周囲を見回してみる。天井の隙間から入る光からするともう朝だ。

 

あの影の領域特有の重苦しい霧は消え去っている。鳥の鳴き声がどこからか聞こえた。

 

リンクは上半身を起こしてみた。以前と同じように、ミドナが服を着せてくれたのだろうが、その着せ方が実にぞんざいだ。リンクは一旦武装を下ろし、チュニックと鎖帷子を脱ぐと、ズボンを引き上げ、ポーチのベルトを締め直し、その後全てを付け直した。

 

だがそうしながらもリンクは夢で精霊に語られたことを思い返していた。

 

リンクは学問を積んだことがないから、ハイラルの歴史などは村の年寄りが語る昔話で断片的に知った以外なんの知識もなかった。だが、すべて揃ったら教えてやるとミドナが約束した結晶石の正体について、うっすらとではあるが精霊が手がかりをくれたのだ。

 

魔術に長けた者たちとは一体誰だろう?その者たちはどこにいったのだろう?なぜミドナがその「黒き力」の存在を知っているのだろう?

 

そう思い至った瞬間、リンクは寒気がして覚えず手を止めた。もしかするとミドナはその「魔術に長けた者たち」の末裔なのではないか?

 

「おいリンク、やっと目覚めたか」

 

するとミドナがリンクの影の下からひょいと半透明の姿を現した。

 

「言っとくがここからが本番だからな。影の結晶石は湖の底だ。ところでお前、泳げるんだろうな?」

 

リンクは返す言葉に詰まってミドナの顔を見た。

 

「なんだ、私の顔になんかついてるのか?」

 

ミドナが空中に浮遊しながら片方の眉を顰める。

 

「いや..ミドナ。その..知りたいんだ。君は一体どこから来たんだ?」

 

リンクはおずおずと尋ねた。

 

「またそれか。前にも言ったろう。影の結晶石を全て集めたらその正体を教えてやるとな」

 

ミドナはふんと鼻を鳴らすと腕を組んだ。

 

「それがわかればまあいろいろわかるだろうよ。だが今はお預けだ。仕事が先だ」

 

再びはぐらかされたリンクは困惑顔でミドナを見上げた。

 

「ぼうっとしてないでとにかくとっとと服を直せ」

 

ミドナに活を入れられ、リンクは慌てて身支度を再開した。帷子と服を着て帽子を被り直し、武装のストラップを締め直す。準備ができたところで強烈な空腹感が襲ってきた。もう三日間も何も食べていない。

 

「ミドナ、出発の前に食べ物を探さないと」

 

「食べ物だと?」

 

ミドナが聞き返した。だが彼女も納得したようですぐ頷いた。

 

「ああ、それももっともだ。いいだろう、調達しろ。私はもうしばらく休んでいよう」

 

「いや...その...」

 

「なんだ?はっきり言え」

 

ミドナにそう言われリンクは思い切って尋ねた。

 

「その..ミドナ、君は何か食べ物持っていないか?その...君が食べ物に困ってるところを一度も見たことがないし、持ってるんだったら...分けてほしいんだ」

 

「何だと?」

 

ミドナはリンクの情けない顔を見ると次の瞬間笑い出した。

 

「そんなことか。ああ、なるほど。確かに食べ物の備蓄は持ってる。だがな、残念だが分けてやるわけにはいかない」

 

「どうして?」

 

リンクはびっくりして尋ねた。

 

「私の世界の食べ物は組成が違う。お前が食べたって栄養にはならん。いや、腹を壊すのが落ちだな。だから言ってるんだ。別にケチなわけじゃないからな」

 

そう言うとミドナはリンクの頭をポンと叩いて姿を消した。

 

「ま、がんばれ。終わったら起こしてくれ」

 

リンクはため息をついた。空腹のあまり動き回るのも億劫だ。だがこの状態で食べ物を探し回らないとならないなんて。

 

するとまたミドナが現れて言った。

 

「言い忘れてた。ルピー探しを忘れるなよ。特にこの湖畔は広いから埋蔵ルピー探しにはもってこいだ。じゃあな」

 

唖然としてリンクは立ち尽くした。この空腹状態で食べ物だけでなくルピー探しまで?冗談じゃない。

 

がっくりとうなだれるとリンクは泉を後にしようとした。だがその途端脳裏にある考えが浮かんでしまった。

 

ここは願掛けの泉なのだ。信者たちが投げ入れたルピーが沢山あるのでは?

 

しかし、その考えはリンクを激しく葛藤させた。人々が精霊に捧げたルピーを横取りするなどもってのほかだ。だが一方で、自分は精霊を影の領域から蘇らせた本人なのだからそれくらいの取り分は当然だろう、と心の中で囁く声があった。

 

リンクは頭を掻きむしって悩んだ。そして、泉の中には入らないがその周辺のルピーは貰う、ということにして、その自主規則のもとルピー集めをしようと結論した。

 

リンクは泉の周辺を囲う天然の歩道を見回した。蛇の形をした精霊を模したものなのか、左右に蛇の像が据えてある。像の周囲に落ちているルピーはないかと探してみたが見当たらない。

 

人々は像の上にルピーを置いているのかも知れない。そう考え、思い切って像に体当たりしてみた。すると一ルピーが落ちてきた。たった一ルピーでも有難い。頂いておくと、次にその周辺の草むらを探してみた。剣を抜いて草を刈ってみる。すると一ルピーではあるが次々と草の間から転がり出てきた。

 

こうして泉の周辺で十ルピーほどを集めることができた。だがルピーを食べることはできないので空腹なままだ。リンクは水筒を紐で泉に降ろして水で満たすと、そこを後にして湖畔に出た。湖畔には爽やかな風が吹き天気もよい。これで満足な食事ができていたら最高の場所だ。

 

リンクは釣り竿を持っていたことを思い出した。ポーチから取り出して組み立て、試しに泉の洞窟の前の回廊から垂らしてみた。だがしばらく待っても引きがない。考えてみれば餌を付けていないので当たり前だ。釣り竿を畳んで仕舞うとリンクはまた溜息をついた。

 

回廊から右にある木道に入り進む。終端の広場から、さらに木道を辿って以前影の使者たちと戦った場所に行った。ルピーか食べる物がないか見回す。どちらもなさそうだったが、以前狼の姿だったときに行ったことのある脇道に入ってみた。以前は左に折れたが、右を見るとわずかな草地がある。草地に分け入って剣で草を刈ってみると、思いがけず一ルピーが五つほど落ちていた。これは幸先がいい。

 

もしかするとかつては多くの観光客が訪れていた湖畔にはルピーが沢山あるのかも知れない。リンクは広場に戻ると、まだ行ったことのない木道が南東の方角にあるのを見つけた。そちらに進み、やや登り勾配の木道を渡ると、その先には五メートルほどの崖を登る梯子がある。梯子を登って崖の上に出る。見回すと、湖畔を北のほうまで歩くことのできる、とほうもない広い岸辺に繋がっている。近くにやはり草地があったので近寄って草を刈ってみると、一ルピーをいくつか手に入れることができた。

 

だがもはや空腹でこれ以上動く気力が湧かない。どうしたものか。するとちょうどミドナが二度寝から目を覚ましたらしい。

 

「どうだリンク、はかどってるか?」

 

「一ルピーづつだけど、何とか二十近くは集まったかな」

 

リンクは力なく笑った。

 

「たったそれっぽっちか?前に言ったろう。これからは百ルピー単位で金が飛ぶぞ」

 

ミドナが事も無げに言う。リンクはもうお手上げというふうに両手を上げた。

 

「そんなこと言ったって無理だよ。確かに湖の周りにはたくさんありそうだけど一ルピーづつ集めてたら日が暮れてしまう。第一腹が減って死んでしまうよ」

 

「だが今の手持ちのルピーで城下町に行ってみろ。一時間で一文無しになるぞ」

 

「本当に?」

 

リンクはさすがのミドナも誇張しているのではと疑った。

 

「お前は都会で暮らしたことがないんだろう。都会では全ての沙汰に金がかかる。住む、着る、食べる。下手したら水さえもな」

 

「み‥‥水も?」

 

リンクは絶句してしまった。皆で力を合わせて働き、自然の恵みを分かち合いながら時に物を融通し合って暮らしてきたトアル村の生活しか知らないリンクには想像もつかなかった。

 

「と‥‥都会ってそんなに怖い場所だったなんて知らなかったよ」

 

リンクは呟いた。

 

「ま、知らなかったなら仕方ない。だがこれからたっぷり知ることになるだろうな」

 

ミドナが答える。リンクはもう言葉を返す気力もなかった。

 

「さ、わかったら仕事だ仕事だ」

 

リンクはへたり込んでしまった。影の領域を晴らしたらすぐにイリアと再会しエポナを迎えに行けると思っていたのに、現実はあまりに厳しかった。

 

「おいおい、どうした?」

 

「もう動けないよ。三日も食べないでルピー探しは無理だ。どこかで何かを食べてからまたここに戻ってきてもいいだろ?」

 

リンクは小声で答えた。いつもの活気のあるリンクと違う様子にミドナもさすがに心配したのか、やや語調を変えてこう言った。

 

「やれやれ、仕方ないな。じゃあルピーは後にして城下町に向かえ。そこで食料を調達しろ。まあ今の手持ちではギリギリになるだろうがな」

 

リンクは頷いた。ようやくのことで立ち上がると、もと来た崖に戻って梯子を降り、木道を通ってあの広場に戻った。

 

だがはたと気づいた。いったいどうやって湖畔から上に上がればいいのだろう?その落差は百メートルはありそうだ。見回しても、上に登る階段のようなものはどこにもない。

 

リンクは今いる広場に繋がった木道から、あの派手な扮装をした老人の小屋に行けることを思い出した。

 

彼に聞いてみよう。リンクは北に向かう木道に入った。数十メートル進むと中洲に繋がっている。

 

すると中洲にはゾーラ人が一人立っていた。リンクは、あの里の有り様を思い出して思わず声をかけた。

 

「ああ、私は湖の警備を担当していましてね。他の者たちは湖の中で警備に当たっています」

 

兜を被り槍を手にしたゾーラ兵士はハキハキと答えた。ほぼ完璧なハイリア語だ。

 

「里は大変だったでしょう?今はどんな様子ですか?」

 

リンクが尋ねるとゾーラは溜め息をついて答えた。

 

「もうお聞き及びでしたか。数日前まで全く酷い状況でした。全てが氷の魔法で凍りついていたのです。幸い、不思議なことが起こって、その氷は溶けたのですが。その後は負傷者の手当てやら何やらで追われていまして、今日やっと通常業務に戻れたところです」

 

「不思議なことっていったい何ですか?」

 

リンクが尋ねる。

 

「突然氷が溶けるまでは皆が氷に閉じ込められていましたから、直接見た者はいないのですが、後で調べてみますと大広間の泉の中に奇妙な巨石が沈んでいたのです。学者に見せたところ火山からの噴石に相違ないとのことでした。ですからそれが氷を溶かしたことは間違いありません。しかし、里の周辺には火山などありません。それで皆不思議がっているのです」

 

それを聞いてリンクはホッとするとともに、自分たちのやったことはいずれにせよ伏せておこうと思った。第一、狼に変身して違う世界から来た妖精もどきと一緒にデスマウンテンから噴石をワープさせたなんて言っても誰も信じないに違いない。

 

リンクはゾーラ兵士のもとを辞すると、中洲から西への木道に入り尖り屋根の小屋に向かった。

 

老人は以前見たのと同じ道化師のような扮装をしていた。リンクが近づいて挨拶したが、そのまま一人で何やら呟いている。

 

「ゾーラの連中湖と一緒に干からびたんじゃねえのか。結局生きてやがったんだな。まあ湖が戻ったのはいいけどよぉ」

 

そう言うと老人はリンクに向き直った。

 

「なあ兄ちゃん知ってっか?なんでもこの湖の底に昔ゾーラどもが作った神殿ってのがあるって噂なのさ。勿体ぶって何を祭ってやがるのか知らねえけどよ。人間には潜れないような深い所にあるってのがまたムカつくんだよな」

 

そこまで言ってから、突然気づいたように老人はリンクに尋ねた。

 

「兄ちゃん、もしかして客かい?だったら天にも登るぶっ飛びアトラクション、今なら十ルピーポッキリだぜ」

 

リンクには何が何だかわからなかった。

 

「あ‥‥あの、そのアトラクションっていったい?」

 

「へへ‥‥兄ちゃんはまだやったことないみてえだな。俺の大砲でな、ほれ、あそこにある着陸台までポーンと打ち上がるって寸法さ。気持ちいいぞぉ?」

 

老人は崖の上を指差しながら立て板に水の調子で説明した。崖の上にも小屋があり、その前に木製の広い足場があるようだった。

 

「そ‥‥それで十ルピーですか?」

 

リンクが尋ねる。

 

「安いもんだろ?スリル満点、景色はサイコー。おまけにな、あの崖の上で俺の甥っ子がトリトリップってアトラクションやってんだ。鶏の足につかまって湖に向かって落下するってえんだが、スリル満点ってだけじゃねえぞ。なんと宝島に着地したら豪華景品目白押しってやつでよぉ。で、これを合わせてトビー&ラッカのワクワク水上遊園って言うわけよ」

 

放っておくと老人がいつまでもしゃべり続けそうなのでリンクは思い切って気になっていたことを尋ねてみた。

 

「あ‥‥あの、上にいく方法って他にないんですか?」

 

「上に行く方法?」

 

「そうです。山道とか、階段とか、そういうので無料で上まで行くことってできないんですか?」

 

リンクが聞くと、老人はさも当然のように答えた。

 

「んなものはねえよ。この湖に登り降りするにはトビー&ラッカのワクワク水上遊園を利用するしかねえんだよ。兄ちゃんそんなことも知らねえでここに来たのか?」

 

リンクは唖然としてしまった。ある場所に行くのに必ずルピーを払わなければ行くことができないなんて。そんな不自由があるなんてリンクは想像もしたことがなかった。

 

「さ、兄ちゃん上に行くんだったら十ルピー。そうでなかったらまあもう少し湖で過ごすのも悪くないがな。だけどここにはいいレストランもないし、遅くなる前に上に上がっといたほうがいいぜ?城下町までは歩いて二時間はかかるからな。どうする?」

 

リンクは結局十ルピーを支払い、老人に頼んで上げてもらうことにした。まいどあり、と挨拶してニヤリと笑うと老人はリンクを小屋に誘った。正面に大きな丸い鉄の扉が開いている。いかにも胡散臭そうだったが、他に上に行く方法がないなら仕方ない。リンクが中に入ると、老人は それじゃいってらっしゃい、と言ってまたニヤリと笑い、扉を閉めた。中は薄暗く、天井にあるらしい隙間からわずかに光が漏れるのみだ。

 

すると突然、陽気な音楽が鳴り出した。何かハンドルのようなものを回している機械音がする。リンクのいる部屋そのものがガタンと動くと、屋根が開いた。上に丸くぽっかり空いた穴から空が見える。小屋全体が激しく振動し始めた。リンクは不安を感じ始めたが、もはやどうすることもできない。次の瞬間爆音がしてリンクは空に放りあげられた。眼下の湖を見ると自分がみるみる高度を上げているのがわかる。数秒後、リンクは崖の上の木の足場の上に投げ出されていた。苔か何かで作った柔らかいマットレスの上だった。

 

思ったよりも安全な旅だった。安堵して体を起こし、埃を払うと、リンクは立ち上がった。目の前に小屋があり、足場に接した小さな入口から中に入れるようになっている。覗いてみると、トアル村で嗅ぎなれた鶏小屋の臭いがした。目の前にある通路の左手にある梯子を降りると、鶏たちの鳴き声が聞こえた。

 

梯子を下りた下は広い床の右手に鶏たちが放し飼いにされていた。どれも大柄で羽の大きいハイラルニワトリだ。そのフロアの壁は格子状になっていて湖の情景が垣間見えるようになっていた。右手奥の壁には人ひとり通れるほどの隙間が空いていて、そこに、先ほどの老人と同じような扮装をした若い男が立っていた。リンクの顔を見ると、その男が人懐こく手を振ってきた。

 

「ハアイ、ようこそぉ!ラッカお兄さんのトリトリップはこちらでぇす!」

 

男のけばけばしい化粧と、妙にしなを作った口調にリンクは一瞬ギョッとしてしまった。

 

「夢いっぱい、ボーナスいっぱいでコッコと一緒に空の旅!楽しいわよぉ!」

 

リンクはどんな相手であろうとも人に話しかけられて無視するのは良くないとボウから厳しく躾けられて育ったので、内心タジタジとしながらも近づき、手を上げて挨拶した。

 

「ど...どうも」

 

「今日は、おおきいお友達、ひとりかな?」

 

「ひ...ひとり?そうですが...」

 

「じゃあ宝島行きチケット一人分、二十ルピー。くれるかな?」

 

二十ルピーだって?リンクはまた愕然とした。さっきあの老人に十ルピー支払ってしまったから、二十ルピーも払ったらほとんど一文なしになってしまう。ミドナの言葉が脳裏にまざまざと蘇った。この辺りでは何をするにしてもルピーをふんだくられるのだ。

 

「い..いや....ちょっと...」

 

「宝島には豪華景品がいっぱい!失敗して湖に落ちても大丈夫よ?トビーおじさまがボートで迎えに来てくれるから。ね?」

 

「す...すいません。いいです!」

 

リンクは固くなってしまい、それだけ言ってその場を立ち去るのが精一杯だった。何か、この若者と話しているだけで体中がムズかゆくなる気がした。踵を返すと、正面にあった扉に足早に近づいて、建物を出た。

 

建物を出ると、リンクは安堵に胸を撫でおろした。田舎育ちのリンクには想像もつかないような都会の風習や文化に圧倒されていた。溜息をついて歩き始める。とはいえ老人によれば城下町までは歩いて二時間だとという。木道の上をとぼとぼと進むと、狼だったときに飛び降りた壮麗なハイリア大橋が左手に現れた。以前見た大きな岩と看板もある。その向かい側に生えていた草を見てリンクはふと足を止めた。

 

馬笛草だ。トアル村でイリアのために吹いて聞かせたものと同じだ。リンクは懐かしさから手を伸ばして一本摘んだ。実際には数週間前なのに、あれから一年以上経ってしまったような気がする。リンクは花弁を口に当てて吹いた。あのメロディだ。草笛の旋律は人気のなく風通しのよい橋のたもとでよく響いた。

 

エポナを迎えに行きたい。だがエポナを置いて行った地点から、狼の足でさえここに来るまでは一昼夜以上かかったのだ。空腹と疲労に打ちのめされた今の自分が徒歩で行けるわけがない。エポナは無事でいるのだろうか。それを考えるとリンクは目から涙が溢れてきた。あんなにも自分を信頼してくれていた彼女を、自分は危険な不毛地帯に置き去りにしてきてしまったのだ。自分はなんと情けない飼い主だろう。

 

「ごめん....ごめんよエポナ...」

 

リンクは思わず嗚咽の声を漏らして泣いた。エポナに許しを請いたかった。彼女の無事な顔を見たかった。

 

途方に暮れながらも、リンクは草を捨てて城下町に向かって歩き始めた。とにかく先に進まなければ。日差しからするともう昼をとっくに過ぎているだろうか。出ない力を振り絞って、リンクは道を一歩一歩歩き始めた。

 

だが、しばらく歩いたところで、遠くから物音が近づいてくるのを聞いて、リンクはふと顔を上げた。何だろう?何かが近づいてきているのは間違いない。もしかすると敵だろうか?リンクは用心のため弓を背中から下ろした。音は城下町の方面から聞こえているようだ。リンクは背に負った矢立てから矢を一本とったが、その途端に物音は馬の蹄の音だと気づいた。リンクは覚えず矢を地面に落とした。馬?馬だって?

 

城下町に通じる、低い崖に挟まれた道のほうを見ていると音が次第に近づいてくる。やがて遠くで西に曲がった道の向こうから、馬が一頭姿を現した。鞍をつけているが、乗り手はいない。その姿を見たリンクは一瞬呆然とし、そして次の瞬間エポナの名を大声で叫びながら走り出した。

 

リンクは疲れも忘れ懸命に走った。こちらに駈け寄ってきたエポナの首にしがみつくと、激しく嗚咽しながらその顔を何度も撫でた。

 

「無事...無事だったんだな...お前」

 

リンクはほとんど言葉も出なかった。彼女はおそらく影の領域が晴れてからひと時も休まずにリンクを探して走ってきていたに違いない。自分と同じように疲れ切っているだろう。リンクはひとしきりエポナの顔を撫でまわすと、自分の水筒の水が空になるまで彼女に飲ませてやった。

 

「大丈夫なのかい?城下町に着いたら一杯食べさせてやるからな。今はこれで勘弁してくれよ」

 

リンクはそう話しかけると、エポナの手綱を引いて手近の草むらで草を食ませた。草を食べながらも、エポナは懐かしいのか自分の鼻づらを何度もリンクの腕に擦り付けてくる。リンクはエポナの腹が紛れるほどに食事させてやると、城下町に向かってゆっくり歩き始めた。

 

「良かったなリンク。こっちは正真正銘の感動の再会ってやつだったな」

 

ミドナが現れた。

 

「ありがとうミドナ。だけど僕はもう二度とエポナを置き去りになんかしたくはない。それは分かってくれるか?」

 

リンクの言葉に、ミドナは腕組みをして少し考えていたが、やがて答えた。

 

「いいだろう。いずれにせよ影の領域はもう消滅した。今後馬のことはお前が考えてずっと面倒を見るなり誰かに託すなりすればいい。それに必要な時間的猶予は与えてやる」

 

だがミドナはすぐ続けた。

 

「お前はあと二つやるべきことが残っている。あのゾーラの王子を助けること、そして湖底から結晶石を回収することだ。どちらも一筋縄ではいかないだろうが、まずゾーラの王子を助けるのは必須だろうな。死んだ女王は助けられればお前に自由に水を泳ぐ力を授けると言っていた。湖底にある神殿に向かう前にその力を手に入れておけ。わかったな?」

 

「わかった」

 

リンクは答えた。もとよりゾーラの王子を助けるのは必ずやると自分でも決心したことだ。異存はなかった。

 

「ところでリンク、このままのんびり歩いて城下町まで行くつもりか?着くころには日が傾くぞ」

 

ミドナが尋ねる。

 

「あれだけ苦労をかけたんだ。当分乗ってなんか行けないよ」

 

リンクの答えを聞いて彼女は噴き出した。

 

「全くお前を見てるとどっちが馬でどっちが主人かわからなくなるな。お前の体重なんぞ馬の十分の一くらいしかないんだ。少し疲れているからといって乗っただけで潰れると思うか?」

 

「確かにそうだけど...」

 

「私はそういう非効率でノロノロとしたやり方は嫌いだ。休むなら休む、進むなら進むでどっちかにしろ。こいつも城下町で馬丁なりに預けて早くプロに手入れをして貰え」

 

言われてみればそうだった。カカリコ村を出発してもう四日にもなる。体もろくに洗ってやっていない。またルピーをふんだくられるのでは、という不安が一瞬頭をよぎったが、今は考えないことにした。

 

リンクはエポナに跨ると、軽い速足で進ませ始めた。幸いエポナにはまだ余力があるようだ。崖に挟まれた小道を上っていく。道がしばらく西に向かってカーブしたかと思うと、城下町の壁が見える場所に出た。

 

城下町入口に馬を乗り入れ、跳ね橋を渡る。すると、ちょうど向こう側にある門からも誰かが出てきたところだった。よく見ると、なんといつぞやのポストマンだ。

 

「いた、リンクさん!お手紙がありますよ」

 

ポストマンは相変わらずの珍妙な赤い帽子を被り、白い袖なしシャツに短いズボンという出で立ちだ。以前のとおり、背中の箱から手紙を取り出すとリンクに渡し、手を振ってすぐに走り出してしまった。一体彼はいつ休んでいるのだろう?リンクは他人ごとながら心配になった。

 

手紙はバーンズからだった。水中でも使える新たな爆弾を開発したとの旨と、前回教え忘れたという弓矢と爆弾との併用方法についてだった。何でも、爆弾の底には矢じりを差し込むスリットがついており、そこに矢を刺して、導火線に火を点けて弓につがえて放つというやり方で遠距離の物を爆破できるとのことだった。リンクは感心しながら手紙を仕舞った。次にカカリコ村に行ったときにはその新式爆弾というのをぜひ見てみたい。

 

ともあれ、リンクはエポナを進めて跳ね橋を渡らせた。門から城下町に入る。ところが、邸宅の並ぶ通りをエポナを歩かせていると、どうしたわけか通りがかりの住民たちの視線を感じた。首を傾げながらも馬を進め、ハイラル城前の噴水広場に着くと、そこでも同じだった。不審者を見るような視線を感じる。すると、城の前の回廊入口左右に立っていた衛兵たちが槍を構えながらこちらに走り寄ってきた。

 

「こら貴様!城下では王族以外馬に乗ってはならんという決まりを知らんのか!」

 

兵士たちは左右からリンクに槍の穂先を突きつけ、馬を降りるように命じた。

 

「ちょっと待ってください...僕は別に怪しい者では...」

 

「やかましい。馬を降りろ!話は詰所でゆっくり聞かせてもらうことにする」

 

一人の兵士が言う。リンクは困惑しながら馬を降りた。二人の兵士はリンクに近づくと、体の上から下まで調べ始めた。リンクは二人の隙だらけの身のこなしを見ていて、彼らが明らかに戦闘をしたことのないのを見てとった。剣の平でノックアウトしてやろうかと一瞬思ったが、人間と争っても意味がないので大人しくしていた。結局兵士たちはリンクの武装を取り上げると、回廊入口の脇にある詰所まで連行して行った。

 

「分隊長。馬に乗ったまま入城した不届き者を連行しました」

 

回廊の脇の扉からレンガ造りの質素な詰所に入ると兵士の一人が言った。中では恰幅の良い中年の兵士が机の後ろに座って書類仕事をしていた。兵士たちはリンクをその机の前に立たせた。

 

「まったく法律も知らない田舎者はこれだから困る。お前、名前と出身地は」

 

分隊長はため息をつくと尋ねた。二人の兵士はリンクの左右に立って見張っている。

 

「僕はリンクです。トアル村から来ました」

 

リンクは言った。

 

「トアル村?....トアル村....」

 

リンクの答えを聞いて分隊長は何かを思い出すように顎に手を当てて下を向いていたが、突然顔を上げた。

 

「あのトアル村か!てことはお前ボウの知り合いか?」

 

「え...ええ。ていうか僕はボウの息子です」

 

「何?」

 

分隊長は驚いて声を上げると椅子から立ち上がった。

 

「ボウの息子だって?こいつは傑作だ!いやいや、悪かったな兄ちゃん」

 

そう言うと分隊長は相好を崩し、部下に椅子を持って来させるとリンクをそこに座らせた。

 

「俺はボウとは同期の入隊でな。俺は未だにうだつの上がらない兵隊稼業だが、お前の親父は今や村長だろ?どうだ、元気でやってるのか?」

 

「はい、元気です」

 

答えたあと、リンクは付け加えた。

 

「もっとも頭はツルツルに禿げ上がってしまいましたが。でも相撲はまだまだ強いです。こないだも取らされて一勝一敗でした」

 

それを聞くと分隊長は大笑いした。

 

「そうかそうか。いや兄ちゃん、実はこないだな、城下町で馬に乗っちゃならねえっていう法律が急にできたんだよ。例外を作るわけにいかねえから今回兄ちゃんにも注意処分って形にさしてもらうが、まあ以後間違えねえようにすりゃ問題ない」

 

分隊長は手を振るとすっかり打ち解けた様子で身を乗り出して続けた。

 

「それより兄ちゃん、トアル村からなんだってはるばる城下町まで来たんだ?あれか?村が嫌になったから町で一旗上げようってのか?」

 

「実は..」

 

リンクは言いよどんだが、顔を上げて切り出した。

 

「実はイリア..僕の姉が何者かに攫われたんです。それで風の便りで城下町でそれらしい少女を見たって聞いたので......」

 

「なんだって!そいつは災難だったな。それではるばるここまで来たってわけか」

 

分隊長は目を丸くした。

 

「で、その子が町のどこに居るか見当はついてるのか?」

 

「ええ。何でもテルマさんの酒場で女給をやってるって」

 

すると分隊長は驚いて言葉を失った。左右にいる部下たちも顔を見合わせている。

 

「兄ちゃん、これはなんとも偶然だ。俺たちはその子を知ってる。たぶんあの子だ」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。あの酒場は俺たちの行きつけでな。つい最近新しい子が入ったんだ。ちょっと素朴な感じだけどずいぶんな別嬪さんだったな。おっと、勘違いしねえでくれよ。俺たちは店の女の子に手を出したりはしねえからな」

 

「わかってます」

 

「だったらすぐ酒場に行ってやれ。きっとお前さんが迎えに来るのを待ってるぞ」

 

リンクは安堵とともに笑顔を浮かべた。分隊長はリンクの装備一式を返すよう部下に命じ、詰所の外まで見送ってくれた。リンクは分隊長に礼を言い、外に繋がれていたエポナの手綱を引いて歩き始めた。こんな都会にも人情があることを知って慰められた気持ちだった。

 

もうすぐだ。もうすぐイリアに会えるのだ。心は踊っていた。ここまでの苦労の全てが報われる。リンクはエポナを引きながら噴水広場を横切り目抜き通りに入った。露天商たちが売るパン、干し肉、果物、野菜などの匂いが漂ってくるとたまらなく腹が減る。だけどもうすぐなのだ。全てはイリアに会った後で構わない。

 

リンクはほとんど夢心地で目抜き通りを歩き続けると、酒場に入る裏通りで右手に折れた。階段を降り、広場でエポナを待たせると、酒場の扉へ向かった。

 

扉を開けた。するとすぐ目の前に、眼鏡をかけ頭が禿げ上がった痩せた老人がいた。白衣を着ているところを見ると医者のようだ。

 

「何度言われても無理じゃよ。ゾーラの治療はわしの専門外じゃ」

 

老人は首を振ると、ちょうどリンクが入ってきた扉に向かって歩き出した。それでリンクと鉢合わせになり、老人は分厚い眼鏡越しにリンクの顔を見上げたが、ふんっと鼻を鳴らすと脇を通り過ぎていった。

 

「先生、このままじゃこの子は‥‥」

 

そう言いながら追いすがってきたのはイリアだった。だが医者がその面前で扉をバタンと閉めて出て行く形になってしまった。

 

イリアは意気を挫かれたように下を向いていた。リンクは彼女の顔を見た。やっと会えたのだ。

 

イリアが顔を上げた。そしてリンクと目が合った。イリア、迎えに来たよ。その万感の思いを込め口を開こうとしたとき、彼女は当然のように目を逸らし、店の奥に向かって歩き始めた。

 

なぜ?リンクは息を呑んだ。咄嗟に状況が理解できなかった。

 

「あ‥‥あの‥‥」

 

リンクはかろうじて声を出した。

 

「なんでしょう?」

 

イリアが振り向くと言った。あくまでも他人行儀な語調だった。

 

「あ‥‥イリア。僕だよ」

 

驚きのあまり、やっとの思いでそう言った。だがイリアは眉をひそめると答えた。

 

「私たち、初対面ですよね?どうして私の名前を知ってるんですか?」

 

あまりのことに、リンクは言葉も出ない。一体彼女は何を言ってるんだ?

 

「ああ、私が教えたのさ、買い出しの途中この剣士さんに会ってね」

 

店の奥からあの恰幅の良い女主人が出てきてそう言い、親しげにイリアの肩を抱いた。

 

「そうだったんですね」

 

イリアはホッとした顔で呟いた。だが、その後目を伏せるとこう言った。

 

「でもご期待に沿えなくて済みません。私もう当分ホールには出ないことにしたんです。あの子の治療が終わるまでは‥‥」

 

「そ、そうなんだ」

 

リンクはその場の奇妙な雰囲気を感じて、話を合わせるように答えた。イリアは店の奥に下がると、広間の端にしつらえた即席ベッドに寝かせられたゾーラの少年のところに向かった。

 

「ちょいと剣士さん」

 

女主人はイリアと入れ替わるように足早に歩み寄ってくると、リンクに顔を寄せ声をひそめて話しかけてきた。

 

「あんた、あの子の知り合いなのかい?」

 

そう問われてリンクは頷いた。知り合いもなにも幼いころから一緒に育ってきたのだ。

 

「だったらねえ‥‥本当に気の毒なんだけどね」

 

テルマは腕を組むと言いにくそうに切り出した。

 

「あの子、一週間前に城下町の外で一人で歩いてたところを私が見つけてね」

 

「は‥‥はい」

 

「そのときはかなりやつれてたけど大きな怪我とかはなかったのよ。でも一応医者に連れてったら、頭を打ったとかなんとかでね‥‥」

 

彼女は溜め息をつくと言った。

 

「自分のことを何も覚えてないっていうのよ。それこそ自分の名前もね」

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