黄昏の姫と緑の勇者   作:nocomimi

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不意の邂逅

砂地から全身を現した化け物ウナギが辺りを睥睨するように泳ぎ回り始めたのを見上げ、リンクは思わず慄然とした。

 

その全長はゆうに百メートルは超えている。さっき砂の上に出ていたのはほんの一部分に過ぎなかったのだ。化け物は、二重の牙が生えたおぞましい形の口を大きく開け、頭の周囲に生えた触手を振り回しながら深度を下げてきた。

 

「やばいぞリンク、吞み込まれたらまずい!」

 

ミドナが警告した。リンクは武装を背負い、ミドナに合図してゾーラ服付属のブーツを履くと、急いで泳ぎ始めた。オクタイールは上から迫ってきている。だが、目玉は頭部の上についているらしく、リンクの位置を正確には捉えられていないようだ。

 

リンクは敵の下に位置するように必死に泳いだ。降下してきたオクタイールが振り回す触手が頭の近くを通る。目玉に発見されなくとも、触手に触ってしまったら同じことだ。リンクは身をすくめると、化け物の胴体の下に隠れるようにして逃げ込んだ。四角い鱗がびっしりと生えたオクタイールの長い長い胴体が頭上を通り過ぎていく。

 

リンクは頭上に化け物の尻尾が来たのを見届けると泳いでやや浮上した。オクタイールはこちらを見失ったらしく、水中を旋回しはじめた。その巨大な頭部が石造りの柱に当たった。地響きがして柱の石材が崩れ落ちていく。

 

オクタイールの後ろから泳いで追いかけようとしたが、到底速度が足りない。ゾーラ服に付属した足ヒレの力で普段より格段に速度が出ているが、敵に追いつくのは無理だ。リンクはベルトに引っ掛けておいたクローショットを右手に嵌めた。鱗のどこかに鉤爪が引っ掛かれば化け物の体に取り付くことが出来るかもしれない。

 

オクタイールが旋回を終え、こちらに向かってくる。リンクは急いで上に向かって泳いだ。剣で一撃を与えるには、敵の頭部、あの目玉の近くに取りついてやらなければならない。だがそれは敵に発見され、触手に捕まりやすくなることも意味する。リンクは触手の届かないギリギリの距離からクローショットで狙うことにした。

 

だが、オクタイールは突然口を今まで以上に大きく開くと、急速に水を吸い込み始めた。もはや委細構わずリンクを呑み込むつもりのようだ。リンクの体は水の流れに徐々に引っ張られていった。その先には化け物の口がある。

 

「ミドナ!」

 

リンクはミドナに合図した。足元が鉄のブーツに置き換わる。化け物の口に吸い込まれそうになったリンクは、鉄の重さを得て降下し始めた。オクタイールの口と触手が頭上を通り過ぎていく。

 

リンクは再び湖底に降り立った。これで振り出しに戻った形だ。敵の上から気づかれずに近づき、頭部のどこかにクローショットを撃つ。いったいそんな難行が自分にできるだろうか?リンクの心に逡巡が生まれた。だが彼はすぐそれを打ち消した。迷いを捨てろ。捨てなければならないのだ。

 

リンクはミドナに合図して再びブーツを元に戻した。敵との距離があるうちに高度を稼ぐことにした。時折化け物の動向を見ながら、一心に泳いで浮上する。オクタイールはまた侵入者を探して旋回している。さっきとは別の石の柱にその胴体がぶち当たり、石材が大きな衝撃音を立てながら崩壊していく。

 

怪物が旋回を終えたころには、リンクは敵の数十メートル上方にいた。リンクは、相手のあまりの巨大さから、自分が目玉に見つけられてから化け物が方向を変えて襲いかかってくるまでにはかえって多少の時間がかかるはずだと踏んでいた。

 

リンクは方向を真下に変え、全速力で泳いで下降した。オクタイールはまだリンクを探し回っている。リンクは右手のクローショットを構えながら足を動かして接近していった。距離が近づく。二十メートル。十メートル。敵もリンクに気づいた。目玉がぎょろりとこちらを向く。

 

だが化け物がこちらに向き直るより早くリンクはクローショットを撃った。鉤爪が、怪物の目の周囲のギザギザとした皮に引っ掛かった。リンクはたちまち化け物に引き寄せられその頭の上に取りついた。クローショットを左手に持つと、剣を抜いて逆手に持ち、敵の目玉に思い切り刺した。水中で素早く体が動かないが、それでも必死で切っ先を叩き込む。二度、三度。たちまちどす黒い血が噴き出し、周囲の水を染めて言った。化け物の全身にも痛みが伝わったのか、オクタイールは凄まじい唸り声を上げて暴れ始めた。だがリンクは相手にしがみついた。剣を順手に持ち、さらにもう一度敵の目玉に刃を叩きつける。

 

だがその刹那、化け物が思い切り身を捩り、頭を上下に振った。凄まじい力で振り飛ばされたリンクはその勢いで水中を高く上昇させられた。

 

オクタイールは壁のほうに進んでいくとまた派手な音を立てて柱を破壊しながら旋回してきた。今度はこちらに真っすぐ向かってくる。リンクは剣を納め、急いで上に向かって泳いだ。化け物の巨大な頭部が迫ってくる。死に物狂いで泳いだリンクは、こちらを呑み込もうとする敵の突進をかろうじて避けた。触手が足元をかすめた。

 

リンクは咄嗟に眼下を通り過ぎるオクタイールの頭部をクローショットで狙った。だが、相手の速度が速すぎる。怪物の頭部が一瞬で通り過ぎ、その後を長い胴体が続く。オクタイールの胴体の終端が差し掛かったとき、化け物がその尾ひれを跳ね上げ、それがリンクの背中を直撃した。あまりの衝撃に一瞬気絶しそうになる。リンクはかろうじて頭を振って意識を取り戻し、必死に泳いで浮上した。

 

「リンク、もうわかってると思うが奴の弱点は動きが鈍いところだぞ」

 

傍らでミドナが言った。リンクは頷いた。眼下ではオクタイールが壁際で旋回し、石の柱を崩しながら戻ってきている。リンクは相手から目を離さないまま、泳いで高度を上げた。相手がこちらに気づいて軌道を変える前に頭上を取り、クローショットで狙わないとならない。リンクは化け物の進路を予測して位置取りをした。

 

「ミドナ、僕が合図したら鉄のブーツを頼む」

 

リンクは言った。

 

「奴に取りついたあと振り飛ばされないためだな」

 

ミドナはリンクの意図を察して答えた。

 

「ああ。次に捕まえたらもう逃がさないよ」

 

オクタイールが下方に接近してきた。リンクは今度は全速力で相手の頭上を目指す。オクタイールの巨大な頭部が眼下に来た瞬間、リンクはクローショットを撃った。鉤爪が敵の眼窩の縁に引っ掛かる。

 

「今だ!」

 

リンクは叫んだ。リンクの身体が怪物の頭部に引き寄せられると同時に、足元が鉄のブーツに入れ替わった。リンクは化け物の目玉の脇に取り付くと、クローショットを左手に持ち剣を抜いて敵に突き刺した。一度、二度、三度。目玉の表面がみるみる傷だらけになる。さらに四度目。オクタイールがひどく暴れる。リンクは暴れ馬にしがみつくように必死ですがりついた。だが化け物が身を捩り頭を振った。

 

とうとうリンクは怪物の頭から上方へ振り飛ばされた。だが鉄のブーツの重みのお陰でそれほど敵から離れていない。リンクは剣の平でブーツを叩いてミドナに合図した。足元が足ヒレつきのブーツに入れ替わる。剣を納めると、リンクは右手にクローショットを嵌め、眼下の化け物を見据えた。距離は二十メートルほどもない。急速に方向を変えてこちらに戻ってくる。

 

これで最後にしてやる。リンクはクローショットで狙いをつけた。相手もリンクを呑み込もうと向かってきている。だがリンクは相手の動きの鈍さを見切っていた。足ヒレをゆっくりと動かしていたが、敵から離れすぎないギリギリの距離を保つことに決めていた。

 

化け物の巨大な口が迫ってくる。リンクはその刹那全力で足で水を掻いた。リンクの身体が急浮上する。大きく開かれたオクタイールのおぞましい口がリンクの身体のすぐそばを通り過ぎた。長い触手がリンクの足をかすめる。リンクは怪物の頭の上に位置をとった。距離は五メートルもない。クローショットで狙いを定め敵の眼窩を狙って撃った。

 

鉤爪がかかった。リンクは一挙に怪物の頭に引き寄せられた。両手で化け物の眼窩の縁にしがみつく。クローショットを外して剣を抜き、刃を目玉に叩きつけた。どす黒い血が噴き出す。化け物が苦し気に身を捩ったが、リンクは死に物狂いの力でしがみついた。

 

「リンク!傷のついた箇所を刺し貫け!」

 

ミドナが叫んだ。リンクは頷き、剣を両手で逆手に持つと、これまでの攻撃で深手を負わせた箇所目掛けて思い切り突き刺した。

 

刀身が鍔に至るまで化け物の目玉に沈み込む。断末魔の唸り声を上げたオクタイールは、最後の力を振り絞って全速力で泳ぎ始めた。

 

怪物はでたらめに旋回を繰り返し、上昇したり下降したりながら泳ぎまわった。リンクは剣を納めると、化け物の頭にしがみついていた。やがてオクタイールは底面近くに下降し、壁際にまだ残っていた石の柱を押しのけると、物凄い勢いで壁に激突した。

 

壁に大きな亀裂が走る。オクタイールは力を失ったように動かなくなり、水底にゆっくりと横たわった。

 

壁の亀裂から水が流出していく。リンクはオクタイールの頭から降りた。水位がみるみるうちに下がっていくのがわかる。しばらくすると部屋の水がほとんど抜けてしまい、リンクは砂地の上に両脚で立った。目の前に横たわる化け物の巨大な死骸はやがて真っ黒に変色していった。

 

化け物の体がボロボロと崩れ始める。ミドナは空中を浮遊してその頭部あたりを捜索していたが、すぐに戻ってきた。片手に黒い石でできた頭飾りのようなものを持っている。もう片方の手で、リンクの足元にハート型のガラスの容器を放ってきた。

 

「でかしたぞ、リンク」

 

ミドナは言った。右手の上に浮かせた黒い石をしばらく眺めていたが、やがてそれを仕舞い込むとリンクに向き直った。

 

「最後の結晶石だ。もらっていくぞ」

 

「ああ。約束だからね」

 

「これで私の目的は達せられた。今までお前を連れ回して悪かったな」

 

ミドナの口から発せられた言葉にリンクは再び意外の念を感じた。

 

「いいや、そんなことはないよ。とても不思議なんだけど...何と言うか...」

 

リンクは言葉を探した。

 

「君から指示された仕事はいつも僕がやるべきと感じたことと重なっていたんだ。だから思い返してみると、僕は自分で望んで冒険をしてきた。君から言われて嫌々やっていたわけじゃないんだ」

 

「そいつは良かったな」

 

ミドナは答えた。

 

「いずれにせよお前はこれで自由の身だ。カカリコ村に子供たちを迎えに行くなり、故郷に帰るなり好きにするがいい」

 

リンクは微笑んで頷いた。ミドナから正式にその言葉を聞いたとき、やはり安堵の念を抑えることができなかった。それと同時に猛烈な空腹と疲労感を感じた。

 

リンクはミドナに自分の荷物を出してもらうと、砂地に座り込み、残っていたパンと干し肉を平らげた。面甲を外すのも久しぶりな気がした。外に出ていないので時間の感覚がない。

 

「ミドナ、君はこれからどうするんだい?」

 

リンクは何気なく尋ねた。

 

「決まってるだろう。私はザントを倒す。この結晶石の力でな」

 

ミドナは答えた。

 

「奴は偽物の王だ。それを証明してやる」

 

彼女は既に次の戦いを見据えているのか、その横顔は厳しかった。リンクは躊躇いながらも、前から考えていたことを切り出してみた。

 

「ミドナ...その..君さえ良ければって話なんだけど...」

 

「何だ?」

 

「その、僕に手伝えることは無いかな、と思って」

 

「ほほう、お前は私の下僕でいることがそんなに心地よかったのか?」

 

ミドナはリンクを見てニヤリと笑った。

 

「い...いや、そうじゃないよ」

 

リンクは慌てて打ち消した後言葉を継いだ。

 

「君は君の民のために戦うんだろう?その気持ちは僕にも理解できる。だから手伝いたいんだ」

 

「ほう、勇者の務めに目覚めたってわけか?」

 

ミドナは再び皮肉っぽい笑みを浮かべた。

 

「まあ、それを自分で言うのは気恥ずかしいけどね」

 

リンクはバツの悪い顔をして下を向いた。

 

「ふん」

 

ミドナは顎に手を当てて少し考えていたが、やがて口を開いた。

 

「却下だな。気持ちだけはありがたい、と言いたいところだが」

 

「どうして?」

 

リンクは驚いて顔を上げた。

 

「残念だがお前の剣ではザントに傷一つつけられないだろう。奴はただの魔物と訳が違う」

 

「そうか..」

 

リンクはそう言われやや口惜しさを感じた。

 

「魔法戦では基本的に剣士の出る幕はない。お前が対魔法防御の施された特殊武器でも持っていたら話は別だがな」

 

「わかったよ」

 

リンクは答えた。足元にあったハート型のガラスの器を拾い上げ、その中身を飲み干した。噎せるほどの辛さだったが、たちまち体が熱くなり、力がみなぎってきた。驚いたことに、太腿の負傷箇所に残っていた鈍い痛みも消え去ってしまった。

 

「そうだリンク。お前を解雇する前に装備品を返還してもらうぞ」

 

ミドナが思い出したように言った。

 

「返還?」

 

「そうだ。そのゾーラの服なんかもな」

 

「ゾーラの服?..これを君が着るっていうのかい?」

 

リンクは目を丸くして言った。

 

「そうじゃない。私はこういった珍しい道具をコレクションするのが趣味でな」

 

「コレクション?」

 

「そうだ。あと弓と矢立て、クローショットも寄越せ。それと鉄の盾もだ」

 

「ずいぶんごうつくだなあ。それじゃあほとんど何もかもじゃないか」

 

リンクはさすがに不服の念を表した。

 

「言ったはずだ。お前はこの後平和な暮らしをするんだぞ。廃墟の探索は卒業して普通に暮らすんならそんな道具は必要ないはずだ。違うか?」

 

ミドナが言う。

 

「確かにそうだけど..」

 

リンクは認めながらも食い下がった。

 

「でも盾は僕が苦労して溜めたルピーで買ったものだ。あれは僕が持ち帰りたいよ」

 

「わかった。それならタダでとは言わん。退職金がわりにお前の財布をルピーで一杯にして返してやる。どうせほとんど空っぽなんだろうからな。それで新しいのを買えばよかろう」

 

「わかった。それで決まりだね」

 

「ともかく早いところこの穴倉から出よう。外で後片付けをして解散といこうじゃないか」

 

リンクも同意した。ミドナは右手を振ると、床面に黒い渦巻を発生させた。リンクがその渦巻の中心に立つと、強い風が吹くような音がして周囲が真っ暗になった。

 

次に気がついたときにはリンクはラネールの精霊の泉のほとりにいた。既に日没が過ぎたのか、あたりは暗い。

 

リンクは装備品一式をミドナに引き渡した。剣だけは元々トアル村のものなのでリンクの足元に置かれた。リンクはゾーラの服も脱いでミドナに渡すと、彼女が勇者の服を出してきてくれるまで下着一丁の姿で待っていた。

 

「ミドナ、どうしたんだい?」

 

ミドナがなかなか出てこないのでリンクは尋ねた。

 

「ちょっと待ってろ。お前の服は汗臭いから奥のほうに仕舞ったんだ」

 

ミドナの声がした。やれやれと溜息をつきながらリンクが待っていると、何か背後に気配を感じた。

 

振り返ると、僧のような長い寛衣を着た男が立っていた。リンクはその男から異様な雰囲気を感じた。真っ黒な衣に、奇妙な形の兜を被っている。兜には面甲が付属していて、それがまるで南洋トカゲのような形だった。黒く大きく丸い目が飛び出ており、口のあたりからは丸まった舌が突き出ているさまが精巧な金属細工で形作られていた。

 

その瞬間リンクの背後の泉で何かが動いた。振り向くと、水の中から光の塊が浮上してくる。以前に見たラネールの精霊だろうか。

 

ただならぬ雰囲気を感じてリンクは足元の剣に手を伸ばした。その刹那、寛衣の男から凄まじく大きな風圧が生じ、リンクは後ろに吹き飛ばされて倒れた。背後の泉に現れた光の塊も消え、周囲にたちまち重苦しい黒い霧が立ち込めた。影の領域で見たのと同じだ。

 

一瞬だがリンクは気を失っていたらしい。頭を振って立ち上がろうとした。だが、両脚で直立できない。開いた目に、毛むくじゃらになった自分の両腕が映った。まさか。

 

力を振り絞って顔を上げると、ミドナが空中を浮遊しているのが見えた。しかしいつもと様子が違う。まるで、自らの意志に反して見えない力に吊り下げられているようだ。その両腕は押さえつけられたように開いたままだった。

 

「そんな古びた魔力で朕に歯向かおうというのか」

 

男の声が耳に入ってきた。平板なしゃべり方で奇妙な訛りだが、確かにハイラル語だ。

 

「愚かなる反逆者よ。なぜ王に逆らう?」

 

「笑わせるな。お前が王だと?」

 

ミドナは懸命にもがきながら男を遮った。

 

「お前なぞ一族の魔力を利用してるだけだろ。この汚らわしい寄生虫め」

 

「朕の力がお前たちの古びた魔力と同じだと申すか」

 

ミドナの体が急に地面に落とされると、男の体の前に茜色をした光の球が現れた。

 

「神から与えられた朕の魔力を見たいか?」

 

完全に意識を取り戻したリンクは唸り声を発すると本能的に体を起こし、野獣の力で跳躍して寛衣の男に飛び掛かった。だがまるで壁に突き当たったような感触を覚えたかと思うと、体中に激しい痺れが走り地面に倒れ伏してしまった。

 

「おい、大丈夫か!」

 

倒れたリンクの傍らにミドナが駆け寄った。その手がリンクの頭に触れる。

 

「ミドナ...忘れたのか?」

 

寛衣の男が歩み寄ってくる。ミドナは再び目に見えない力に引き上げられるようにして男の近くに引き寄せられた。

 

「その獣は我らを虐げた光の世界の者ぞ」

 

必死で抗うミドナ。だが男は言葉を続けた。

 

「いくら望んでも交わることはできぬ。この世界ではお前は影に過ぎないのだから」

 

リンクは辛うじて意識を保っていた。ミドナを助けなければ。湧き上がるその激しい衝動とは裏腹に、体がピクリとも動かない。

 

「だがこの世界を朕のものとすれば影と光はひとつとなるのだ」

 

「お前の支配する世界に住むくらいなら今すぐ死んだほうがましだね」

 

男の言葉に、ミドナは精一杯の威勢を込めてやり返した。だが、男は構わずに彼女に顔を近づけて言った。

 

「姫よ、我が一族の歴史を忘れたか。今こそ影の一族の手に世界を取り戻すときなのだ」

 

リンクは目を上げた。先刻喰らった魔法攻撃の衝撃のせいだろうか、視界に霞がかかったようになっている。泉のほとりに寛衣の男が立っているのがぼんやりと見えた。その面甲の下半分が開いて、男の青白い顔がわずかに見えた。男は血の気のない唇を開いてミドナに囁きかけた。

 

「ミドナよ...朕の妃となれ。共に支配しようではないか」

 

ミドナが男の顔面に思い切り唾を吐きかけた。すると男が魔力を解いたのか、ミドナはまた地面に落ちた。彼女は立ち上がるとリンクの傍らに座った。

 

「生憎私はお前みたいな惨めったらしい男が一番嫌いでね」

 

ミドナは腕を組むと傲然と男を見上げた。

 

「あんたのいる影の世界に戻るくらいなら一生光の世界で過ごすさ」

 

「よかろう」

 

寛衣の男は答えた。その声色は相変わらず平板で抑揚がなかったが、その中に隠し切れない残忍さが漂い始めていた。

 

「戻してやろう。お前が望む光の世界に」

 

男がそう言った途端、周囲を覆っていた黒い霧が消失した。泉のほうでまた何かが動いた。水面から光の塊が浮上してくる。今度はさっきより強い光を放っていた。光の塊の周囲に巨大な蛇のかたちが見える。

 

精霊ラネールだ。

 

精霊が水から完全に姿を現し、いましも戦おうというさまで寛衣の男に向かって頭を上げた。光の塊からいっそうの強い光が発散されている。

 

その刹那、ミドナの体が再び宙に持ち上げられた。かと思うと、吊り下げられるようにして宙を運ばれていき、精霊の前の中空に置かれた。同時に精霊から凄まじいほどの光が発せられ、その光に包まれたミドナが鋭い悲鳴を上げた。

 

次の瞬間リンクは気を失ったような気がした。

 

ミドナの悲鳴が耳をこだまする。あの男がザントだ。自分はなんと無力なのだろう。奴に傷一つつけられなかった。それどころか、ミドナでさえもあの男に太刀打ちできないのだ。ぼんやりした意識のなか、苦い敗北感が胸に充満していた。

 

「神に選ばれし勇者よ.......」

 

声がどこからか聞こえてきた。

 

「闇の中に沈む城に捕らわれし姫を訪れよ」

 

リンクには聞き覚えのある声だった。精霊だろうか?

 

「その姫こそがそなたの姿を取り戻す鍵を持つ者なり」

 

姫...ゼルダ姫のことだろうか?だがどうやってゼルダ姫に会えというのだろうか。

 

リンクの頭の中で意識が次第に戻ってきた。やがて目を覚ますと、リンクは自分が草原の上にいることに気づいた。どれくらい時間が経過しただろう。周囲を見回すと、夜空に浮かぶ月の明りの中、遠くにハイラル城のシルエットが見える。リンクは自分の腕をもう一度確かめた。やはり毛むくじゃらだ。手も完全に狼のそれになってしまっている。声を出そうにも獣の唸り声しか出ない。

 

近くには石造りの橋があった。城下町の北側の平原にいるのだろうか。リンクはふと背後を見た。誰かがうつ伏せに倒れている。体の大きさからするとまだ幼児だろうか。

 

近付いてその姿を見た途端リンクは背中の毛が逆立つのを感じた。

 

ミドナだ。

 

いつも見ている半透明の姿ではなかった。実体があった。体の大きさは三歳児ほどしかない。そして黒い服の隙間から覗く肌は灰色に近いほど白い。

 

リンクは急いで顔を寄せてみた。手が思うように動かないので鼻先でその身体を触ってみた。まだ暖かい。ほんのわずかに身じろぎしている。

 

顔の近くに鼻を寄せてみた。呼吸をしている。生きている。だが深刻な状態なのは明らかだった。リンクは話しかけようとして唸り声を上げた。だが返答がない。リンクは思い切って、犬がするようにミドナの頬を舐めてみた。

 

「リ...リンク...」

 

蚊の鳴くようなかすかな声でミドナが言った。瞼がわずかに動いた。

 

いま助けてやる。しっかりしろ、いま助けてやる。リンクの中に強烈な焦りと悲しみと衝動が湧き上がった。だがいったいどうやって?

 

「は...は..やく...ゼル..ダ..姫の..ところ..へ..」

 

ミドナが再び口を開いた。

 

そうだ。精霊もまたゼルダ姫を訪れろとリンクに言ったのだ。迷っている時間はない。

 

リンクはうつ伏せに倒れたミドナの脇の下に鼻先を入れると、その片腕を軽く咥え、傍らに横たわってから体を起こし、どうにか自分の背中の上に彼女を乗せた。弱い力ではあったがミドナはリンクの毛皮を手でつかんでしがみついた。

 

ミドナを背に乗せたリンクは、夜の闇の中城下町を目指して一心に街道を走っていった。

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