リンクが洞窟をしばらく進むとやがて入り口から差し込む光が全く見えなくなった。こうなるとカンテラの明りだけが頼りだ。何かが天井あたりでパタパタと羽音を立てて飛んでいる。リンクがカンテラを差し上げて見てみると、蝙蝠が何羽かいるようだ。フィローネの蝙蝠は人の生き血を吸うと聞いたことがあったから、リンクは首をすくめてそうっと通り過ぎることにした。だがふと横を見ると、明らかに人の手によるものと思われるものを見つけて足を止めた。子供くらいの高さの木の柱の上に燭台がしつらえられている。リンクが試しにカンテラから火を移してみると、燭台にはまだ油が残っていたらしく弱弱しい炎を上げ始めた。不純物が油に混じっているのか、時々パチパチと弾ける音がするし、火もごく小さい。だが、この洞窟は自然のままの姿ではなく、かつては人間が行き来するために整備されていたものだとわかってリンクは少し安心した。
うねうねと曲がった道を進むと、今度は地面のほうでガサガサと音がする。見ると、鼠が餌を探し回っているようだ。だがリンクはその鼠の大きさにぎょっとしてしまった。鼠というより猫くらいの大きさなのだ。そいつはリンクに気づくと歯を剝きだして威嚇してきた。リンクは反射的に木刀を振り上げるとそいつを上から思い切り叩いた。手ごたえはあったが、フィローネの鼠はこれくらいではまだ死なないらしく、悲鳴を上げて退散した。リンクはそこでもまた燭台を見つけたので火をつけておいた。帰り道にカンテラの油が足りなくなるかも知れないからだ。
暗闇に目が慣れてくると内部の様子がだいぶわかるようになった。洞窟の床が板敷になっていることから、昔はよく整備されていた通路だったのだろう。しかし放置されるようになって長い年月が経っているのは明らかだった。壁にはところどころ蜘蛛の糸に巻き取られた壺がぶら下がっている。蜘蛛が羽虫や何かを自分の食料ストックとして巣にぶら下げているのはリンクも見たことがあるが、そもそも壺をぶら下げる力がある蜘蛛など聞いたことがない。フィローネでは蜘蛛までも巨大なのか、とリンクは思った。普段のリンクならそんな蜘蛛がいるならぜひ見てみたいと心が躍っただろうが、今はそれどころではない。
どれくらい進んだだろうか。注意深い歩調ではあったがもう百メートルは進んだはずだ。洞窟は右に、左に、そしてまた右に曲がる。途中、デクババが生えている箇所が何か所かあったが、反対側の壁際に退いて注意深く進めば噛みつかれることはなかった。しかしリンクはやがて目の前が蜘蛛の巣でびっしりと塞がれていてそれ以上進めない場所に着いてしまった。やはり巨大な蜘蛛がいるのだろうか。意を決してリンクは蜘蛛の糸に手を伸ばし、それを取り除けようとしたが、手に粘りつくばかりで一向に切れる気配がない。木刀で払いのけようとしても同じことだった。リンクは途方に暮れて左右を見渡した。タロがここを通らされたはずだとしたら、こんな短時間で巣を張るような大きな蜘蛛がいること自体、ここが子供にとっていかに危険かを示している。しかもこの巣を除去しなければ先に進めない。一刻を争う状況でこんな場所で足を止めている場合ではないのに。
焦れたリンクは左手のカンテラを乱暴に横に振り払った。すると、カンテラの炎が蜘蛛の巣に移ったかと思うと、巣はメラメラと燃え上がりものの数秒で燃え尽きてしまった。リンクは一瞬あっけに取られて思わず手に持ったカンテラを見つめた。こんな使い方があったとは。
リンクは気を取り直して前進した。蜘蛛の巣はあったものの蜘蛛自身はどこか別の場所に行ってしまったらしい。また、洞窟の中に潜んでいる生き物も、蝙蝠と鼠とデクババくらいしかいないとわかってきたのでリンクは歩を早めた。もう一度蜘蛛の巣に行き当たったが、それも焼き払って進むと前方に光が見えた。出口が近いのだ。
リンクは走って洞窟の外に出た。そこは日当たりの悪い盆地のような場所だった。周囲を高い岩壁で囲まれており、高木がところどころ立っている。また、かつては祭壇だったのか見張り台だったのか、木でできた大きな構造物の残骸がほうぼうに散らばっている。リンクはタロの名を大きな声で呼んだ。だが周囲は静まりかえっており、小鳥のさえずりさえ聞こえない。リンクはカンテラを消すと、目の前にある、盆地の上に伸びて途中で崩壊している板張りの通路の先端に立ち、何度かタロの名を呼んだ。すると、左前方の、岩壁からなだらかに下りるスロープのあたりに動く人影があった。タロだろうか!?
リンクは木道から飛び降りて走り寄った。だが次の瞬間息を呑んで立ち止まる。
その人影はあきらかに異形のものだった。頭の毛はぼうぼうに伸び、肌は全身がどす黒い紫色で、下半身に腰蓑のようなものをつけているほかは裸だ。灰色の瞳には光がないが、目の形は邪悪に釣り上がっている。手には粗い作りの鉈のようなものを持っていた。
食人鬼。ボコブリンとも呼ばれている。気が荒く、旅人を見ると捕まえて身ぐるみを剥ぎ、最後には丸ごと食べてしまうという危険な魔物だ。
相手もリンクに気づいたらしい。威嚇の喚き声をあげながら近づいてくる。リンクはしかし、恐れよりも先に激しい憤怒の念が自分の心に湧いてくるのを感じた。タロを攫ったのはお前か。よくもタロを。
リンクは木刀を握り直すと一気に相手との距離を詰めた。ボコブリンがこちらに向かい鉈を振り上げる前に横斬りで払う。木刀が相手の上腕に直撃し、強い手ごたえがあった。だが悪鬼は委細構わず鉈を振り下ろしてくる。リンクはすんでのところで上半身を右に逸らしてそれを躱した。縦斬りで相手の頭部を狙う。鈍い音がしてリンクの木刀がまたも痛撃を与えたのがわかった。だがボコブリンは少し眩暈がしただけなのか、軽く頭を振ると、たちまち立ち直って鉈を構え直した。
ほとんど効いていない。リンクは相手が何度も鉈を振り下ろしてくるのを木刀で払いながらじりじりと後退していった。その手にじっとり汗がにじみ、口の中がカラカラに乾く。リンクの木刀は刃がついていない。そのうえ、悪鬼は自分が思っていたよりはるかにタフなのだ。リンクは後じさりしながらちらりと背後の洞窟を見やった。村に戻ってモイの助けを求めるべきだろうか?だがそんなことをしていたらどれだけ時間がかかるだろう?今こうしている間もいつタロが喰われてしまうかわからないのだ。
リンクは目の前の悪鬼を見据えて覚悟を固めた。相手は口を開けて歯を剥きだして喚き、いましもリンクを打ち据えようと再び鉈を振り上げる。だがリンクは木刀をだらりと垂らして棒立ちになった。
「やい、そんなへっぴり腰で当たると思うのか、この唐変木の茄子野郎」
リンクは口を尖らせ左手を自分の顔の横でヒラヒラさせて侮蔑した。相手はその意味がわかったのかわからなかったのか、一瞬きょとんとした表情になったが、途端に怒りの形相で呻きながら鉈を思い切り振り下ろしてきた。リンクが横っ飛びに躱すと、鉈が地面に深く食い込む。悪鬼は一瞬動けなくなった。リンクは突進して右左と袈裟斬りにそいつの肩口に打ち込み間髪を入れず横切りで胴を払う。さらに、悪鬼が態勢を立て直す前に仕上げの突きをくれてやると、ズブリと嫌な感触がして、木刀の先端がボコブリンの腹に刺さった。リンクの木刀は木製といえども先端は鋭く尖らせてあるのだ。
リンクが木刀を引き抜くと、ボコブリンは初めて狼狽した表情を浮かべ、鉈から手を放し、どくどくと血が流れる自分の腹の傷口に手をやった。だがリンクは攻撃の手を緩めなかった。雄たけびを上げジャンプすると渾身の力を込めて相手の頭部に木刀を叩きつける。ほとんど木刀が折れてしまうかと思うくらいの衝撃を手に感じた。悪鬼は白目を剥くと、背中からバタリと地面に倒れた。
倒した。リンクは片膝をついて荒い呼吸を鎮めようとした。全身からどっと汗が噴き出している。悪鬼は傷を手で押さえながら首を左右に振り、弱弱しい声で何事か喚いていた。
「おい、タロをどこにやった」リンクは立ち上がると問い詰めた。だが無駄だということはわかっていた。人間には魔物の言葉は理解できないし、魔物も人間の言葉は理解できないのだ。
悪鬼はやがて絶命したのかその体色がみるみるうちに真っ黒になってきた。だがリンクは生まれて初めての本物の戦いに勝利したことを喜ぶ気には到底なれなかった。タロはまだ見つかっていないし、手がかりも今のところ全くない。
ようやく呼吸が落ち着くと、リンクは改めて周囲を見回した。森は再び静けさを取り戻した。そこここに立つ高木はよほどの樹齢なのか、見上げてもその天辺が見えないほど高く、その木肌はほとんど岩石のように硬い。また食人鬼に見つかると面倒なことになるので、リンクは身を低くし木の陰を伝いながら慎重に周囲を捜索した。広い盆地の中央あたりには、岩なのかそれとも巨木の切り株なのか、十メートル四方ほどの円形の高い舞台のようなものがある。そこから辺りを見回せたら捜索もしやすいかと思ったが、そこに登る方法が何もなかったのでリンクは諦めて再び忍び足で歩き始めた。岩の影のじめじめした場所にはデクババが生えており、リンクが近づくと人の高さほどの茎がぐいっと縦に伸び、先端の花弁がパカリと開いて狩りの態勢に入った。
「静かにしてろ、でないとその頭かち割ってやるぞ」
リンクはそう呟きながら慎重に食人植物を回避しようとしたが、そいつはシャーシャー音を立てリンクの方を向いた。目が見えるわけではないが、体温か何かで獲物を認識しているようだ。仕方ないのでリンクはその茎を素早く横斬りで切断し、頭の部分を木刀で叩き潰したうえで足で踏みつけて大人しくさせた。岩舞台からしばらく進むと、やがて視界に盆地の北に立ちはだかる岩壁が見えてきた。北東にあたる箇所に洞窟があり、そこにも門がかかっている。門の前にボコブリンが二匹いるのを見つけたリンクは慌てて物陰に隠れた。頭だけをそうっと出して様子を伺うと、門は大きくがっちりとした造りで固く閉ざされている。よくよく目を凝らすと、門にはゴツい形の錠前がかかっているようだ。さらに、門の向こうにも食人鬼の影が見える。
どうやら悪鬼どもの根城に近づいてきているようだ。だがリンクはこれをどう突破するかをよく考えた。ボコブリンに鍵と錠を扱うという知能があること自体リンクには驚きだったが、ともあれタロがもしあの門の向こうに連れ込まれたのならまずはあの錠前を開けないとならない。だが、しゃにむに突入しようとしても、錠前と格闘している間にボコブリンたちにやられてしまう。かといってボコブリン二匹を倒してから錠前に取り掛かっていたら、奥にいるもう一匹に増援を呼ばれてしまうかもしれない。
リンクは、悪鬼どもが門に鍵をかけた意図を考えてみた。もし自分たちの本拠を防衛するつもりなら内側にかんぬきを作りつければ済む話だ。そうしていないところを見ると、あの門はボコブリンではなく元々この地域に住んでいた人間たちが作ったものだろう。そして錠前は人間が持っていたのをボコブリンが奪って転用したものと思われた。子供を取り戻すため人間たちが武装してやってきたときに備えているのだろうか。いや、むしろ閉じ込められた人間が脱出するのを阻むためかも知れない。
いずれにせよ門の外側についているということは外側にいるボコブリンのうちの誰かが鍵を持っているということだとリンクは判断した。門の手前にいる悪鬼たちをよく観察したが、彼らはほぼ裸同然の恰好だったから、鍵を携帯しているとは思われない。いまさっき倒したボコブリンもそうだった。リンクは、盆地のどこかに鍵を持ったボコブリンがいると推測し、まずはそいつを探すことにした。再び物陰に身体を引っ込めると、東西を見回して手がかりを探す。洞口のあたりから続く東側の岩壁は険しく、到底盆地から行き来できるような道はない。リンクは身を低くして、門の前にいる連中から見つからないように、西のほうに動き始めた。
幸いにも身を隠す障害物は豊富にあったが、折れた巨木にできた洞やアーチ状の岩の影にはまだ日が高いのに蝙蝠が何匹か取り付いている。リンクは息をひそめながらその下を通過しつつ、まだほとんど捜索していない西の岩壁のあたりをよく見てみた。しばらくすると、盆地から盛り上がっている斜面の上に別の洞窟があるのを発見した。こちらには門やその他の障害物はない。リンクは身を低くしたまま近づいたが、その入口に吸血蝙蝠が群れをなして逆さに止まっているのを見て思わず立ち止まった。もしあんな数が襲ってきたらさすがのリンクでも逃げ切れないかも知れない。その瞬間、リンクはパチンコのことを思い出した。
「頼むぞ、大枚はたいたんだ。役に立ってくれよ」
リンクは木刀を背中に差し、帯からパチンコを取り外すと、袋から種を取り出して狙いをつけながら、すり足でじりじりと蝙蝠たちに接近していった。確実に当たる距離まで近づく。そしてスリングを放すと種は一直線に飛んでいき、蝙蝠のうちの一匹を直撃した。そいつがキイッと断末魔の悲鳴を上げてバサリと地面に落ちると、残りの蝙蝠たちはたちまち逃げ去った。リンクはパチンコを仕舞うと、カンテラに火をつけ木刀を構えながら洞窟の奥へと進んだ。
洞窟に足を踏み入れると、それは短く真っすぐなつくりだとすぐわかった。カンテラをかざすと、薄明りの向こうに終端がぼんやり見える。だが内部の天井にも蝙蝠がいて、リンクが通りかかるとその頭上を飛び回り始めた。まずい、目をつけられた、と思った瞬間、奥のほうでガサリと音がして人影らしきものが立ち上がった。そいつが振り向いて顔をこちらに向けると、薄暗い中灰色の目がギラリと光るのが見えた。ボコブリンだ。リンクは弾かれたようにダッシュして殺到した。食人鬼は喚き声をあげて手元の鉈をつかみ上げたが、リンクは有無を言わさずその頭にジャンプ斬りを叩きつけ、次いで十回ほど滅多打ちに強打した。もはや剣術も何もなかったが、不意を突かれたボコブリンはフラフラになってしまい膝から崩れ落ちた。
他に悪鬼の姿はない。リンクはしかし、安堵する間もなく蝙蝠の鳴き声で我に返った。羽音がすると自分の首筋あたりを何かがかすめたのが分かった。慌てて手を振り回して追い払ったが、まだ蝙蝠が頭上を行き来している。暗い中をヒラヒラと飛び回る蝙蝠の位置を捉えるのは至難の業で、木刀やパチンコで叩き落とすのも難しそうだ。だが、リンクは洞窟の行き止まり近くにまた燭台があるのを発見し、片手で自分の首筋を庇いながらそこにカンテラの火を移した。
洞窟の中がやや明るくなった。リンクは木刀を置き、しつこく飛び回る蝙蝠にパチンコで狙いを定めると一撃で撃ち落とした。やっと一息つくと、彼は周囲を見渡した。ここは先ほど門で守られていた場所とは別にボコブリンの根城として使われていたのだろうか。リンクが先ほど倒した一体の身体を調べてみると、やはり腰蓑一丁しか身に着けておらず鍵らしきものは持っていなかった。どうやら食事中だったらしく、その傍らには首の無い大鼠の死骸が転がっていた。リンクが顔をしかめて脇に目を移した瞬間、彼の背筋が凍った。人間の骨だ。まさかこいつらタロを?
しかし、絶望と憤怒が押し寄せる前に、リンクは冷静さを取り戻した。人骨は埃だらけで乾燥しきっており、随分古いものらしい。悪鬼に捕まった気の毒な旅人のものとは思われたが、明らかに昨日今日喰われた犠牲者ではない。リンクは大きくため息をついて捜索を続けた。あたりは旅人たちから剥ぎ取られた衣類や悪鬼たちの糞などが散乱し乱雑かつ不潔極まりなかったが、リンクは丈夫そうな金属の箱があるのを発見した。箱の蓋を開けてみると、黒光りする鉄でできた鍵が入っている。
これだろうか?リンクは木刀を背中に回して帯に挟み、見つけた鍵を握り締めるとすぐ洞窟の出口に向かった。タロの救出についてはほとんど希望を失いかけていたが、もしかすると無事に見つけ出してやれるかも知れない。いや、もし殺されていても、せめて遺体が損なわれる前に父親であるジャガーのもとに届けてやりたかった。リンクは外に出るとまた身を低くしながらも、先ほどの門のついた洞窟のほうへ急ぎ足で向かっていった。
門が見える場所に辿り着くとリンクは一計を案じた。物陰からわざと出て、悪鬼どもからよく見える目立つ場所に立つ。
「おおい、茄子ども、こっちだぞ。ここに人間がいるぞ」
リンクは大声で叫んだ。二匹のボコブリンたちはたちまちリンクの姿を見とがめて鉈を手に走り寄って来る。リンクは慌てた振りをして一旦後ろに下がったが、悪鬼たちを十分引き寄せると今度は真っすぐ相手に向かってダッシュした。するとボコブリンたちは鉈を構えてリンクを待ち受けたが、リンクは彼らの脇をすり抜けて門に真っすぐ向かう。悪鬼たちがリンクの意図を測りかねてまごまごしているうち、リンクは持ち前の俊足でたちまち門に辿り着いた。鍵を錠前の穴に差し込んで捻る。油が切れているのかやや固かったが、錠前はガチャリと音を立てて開錠した。肩越しに後ろを見ると、やっとリンクの企みに気づいた鬼どもが追いすがってきた。リンクは慌ただしく錠前を引っ張って取り除けると、門を開いて中に飛び込んだ。目の前にはもう一匹のボコブリンがいたが、まさかリンクが門を開くとは思っていなかったのか、肩に鉈を担いで悠々と歩き回っている。そいつがリンクに気づいて鉈を構えたときにはもうリンクは目の前に来ていた。だがリンクはここで時間を潰す気ははなかった。ボコブリンが慌てて振り下ろした鉈を前転で躱すと、洞窟の奥に全速でダッシュして先に進んだ。
こちらの洞窟はごく短いもので、すぐに開けた場所に出た。フィローネの入り口近くに似た広場で、岩壁に丸く取り囲まれ、正面にある壁の切れ目にはその先に続く小道がある。後ろからボコブリンが追ってくる前にこの場所の捜索をしなければとリンクは最初考えたが、見回してみると、下草しか生えていない視界のよい広場には子供でも隠れられそうな場所はないとわかったので、リンクはまっすぐ広場の出口に向かって走った。タロ、どうか生きていてくれ。悲しみで涙が出そうな、それでいて激しい憤怒に満ちた、今までにない感情の嵐に激しく心を揺さぶられながらリンクが広場を抜けると、そこは敷石で舗装された広大な回廊になっており、左右は高い岩壁とそこに溶け込むかのように生えている高木群で挟まれていて、正面には高さ百メートルはあるかと思われる、呆れるほど大きな巨木があった。巨木の左右は崩れ落ちた崖で、もはや先には進めないことがわかった。
タロがもしここに居なければ、鬼どもに食われてしまったということになる。右手の一角には柵がしつらえてあり、その中にはいくつかの大きな壺が陳列してある。脇に立ててある止まり木には色鮮やかな羽を持った鳥が止まっていた。左手を見ると遠くの木の根元でボコブリンが座り込んでいる。うたた寝でもしているのか、まだこちらに気づいていないし、その周辺にも異状を思わせるものは何もなかったので、リンクはこいつを刺激せず通り過ぎることにした。
正面の巨木の太さは、トアル村で一番大きな家よりもはるかに大きい。その根っこは何本もが大蛇のように下に向かって蛇行しており、その一本がリンクのいる回廊の終端に届いている。驚くことにその根自体数メートルの太さがあり、それがU字型に掘り込まれていて、どうやら巨木に行き着くための通路として使われていたのであろうと思われた。
リンクは逸る呼吸を抑えながらその通路を上っていった。タロ、どうか生きててくれ。一心に念じながら歩いていくと、猿がキイキイ喚く声がする。目を上げると巨木のふもとには二十メートル四方ほどの広場があり、そこには木でできた粗雑な作りの檻が置いてある。檻の中には人間の男の子と猿が隣り合わせになって詰め込まれていた。
タロだ!
リンクに気づくと、タロは顔を上げ檻の格子をつかんで叫んだ。
「リンク!助けてよ!ここから出して!」
タロは涙でべちゃべちゃに濡れた頬を格子に押し付けるようにして懇願する。猿もまた、リンクの姿を見て捕食者ではなく救助者と判断したのか、ますます高い声でキイキイ叫んだ。だがリンクの本能は危険に気づき、その頭の毛が逆立った。広場の左右にボコブリンがいたのだ。鬼どもはそれぞれ鉈を持って立ち上がり威嚇の声を上げた。
挟み撃ちにされると不味い。リンクは木刀を抜くと右手にいた一体に猛ダッシュで殺到した。そいつが鉈を振り上げるより早く裂帛の気合とともにジャンプ斬りを叩きつける。息もつかせず横斬りで首筋を痛撃し、さらに相手が奇襲で怯んだ瞬間に重心を沈めて回転斬りを放った。体重の乗り切った斬撃がボコブリンの横っ面に直撃し、メキっと嫌な音がして歯が何本か吹っ飛ぶ。頭部が不自然な角度に曲がってしまった悪鬼がドウと音を立てて倒れた瞬間、視界の端でもう一匹が迫っているのが見えた。横に転がって逃げる。鉈の刃が目の前をかすめた。ほんの数センチの差で首を狩られるところだった。残りの一匹は喚きながら鉈を横に払ってくる。リンクは咄嗟の判断で今度は後ろに飛びのいて躱した。だが後ろは壁で、もうそれ以上は下がれない。悪鬼が気持ちのわるい喚き声を上げながら再び鉈を振り上げる。だがもうリンクの心に恐れはなかった。相手が再び鉈を払ってきた瞬間に前転しリンクは突きを放った。こんな技は教わったことがなかったが体が自然に動いたのだ。勢いがついた木刀は相手の腹に深々と突き刺さって背中から抜けた。立ち上がって木刀を引くと、たちまち悪鬼の腹から血と臓物が飛び出してくる。さしものの食人鬼も自分の腹を両手で押さえて驚愕の表情でリンクを見つめ、次いで通路に向かって逃げようとしたが足を縺らせてうつ伏せに倒れてしまった。
リンクは木刀を投げ捨てると檻に駈け寄った。タロに声をかけ落ち着かせながら檻の格子に手をかけたが力の強いリンクでもビクとも動かせない。何度押し引きしても駄目だ。素手では壊せないとわかると、リンクは木刀を拾い上げ、タロに伏せるよう言って格子に木刀を叩きつけた。十回ほど繰り返すと格子がグラグラと緩んできた。リンクは再び木刀を捨てると格子を両手で握り片足を檻にかけて渾身の力で引っ張った。バリッと音がしてようやく格子が外れ、子供なら辛うじて通れるスペースができた。
タロを引き出してやると、少年はリンクに抱きついてしばらく咽び泣いていた。リンクがタロの頭を撫でてやっていると、猿も檻から出てきたが、逃げずにいて、しばらく興味深そうな顔で二人を眺めていた。
「お前も逃げな。今度はあんな連中に捕まるなよ」
リンクが声をかけると、猿はクルリと向こうを向き、器用に大木を登っていった。タロはひとしきり泣いてしまうと顔を上げて言った。
「あいつ本当は良い奴だったんだ。俺が追いかけられてるとき庇おうとして自分も捕まっちまったんだ」
リンクは驚いた。まさか猿がそんなことをするなんて。昔、捨てられた人間の赤子を猿が拾って育てたなんて話を聞いたこともあるが、作り話かと思っていたが本当にあるのかも知れない。
普段はしゃべりっ放しのタロも、帰り道の道中はずっと黙っていて、その足取りも遅かった。デクババの生えた狭い洞窟を抜けた頃には日が傾き始めていた。
「なあリンク」
タロは足を止めると言った。
「今日のことは父ちゃんには黙っててくれないかか?」
リンクは逡巡した。リンクにとってもこれほどの事件は初めてだ。それを誰にも言わないなんていかにも収まりが悪い。
「一人で森に行ったなんて父ちゃんに知られたら絶対怒られるからさ. . . . なあ、頼むよ!」
リンクが答えに窮しているとタロは一人で走り出した。一旦立ち止まるとリンクに向き直り、両手を口の横に添えて叫んだ。
「約束だからな!」
タロはさっさと走って行ってしまった。リンクはやれやれとため息をついて、エポナの姿を探した。エポナはデクババが気持ち悪かったらしく、洞窟から少し離れて小屋のほうで草を食んでいた。焚火をしていた若い男は中に引っ込んだのか、姿が見えない。リンクは愛馬に近づくとその頭をひとしきり撫でてやった。今日は随分苦労をかけたから、帰りは乗らないで引いて帰ろうと決めた。
「おおいリンク」
遠くから声がする。エポナを引いて洞窟の手前まで行くと背中に剣を背負ったモイが立っていた。軽く息を弾ませているところを見ると村からここまで走ってきたらしい。
「タロが一人で森に行ったって倅から聞いてな。何かあるといけないと思って来てみたがお前がいてくれて助かったよ」
タロが去ってからそれほど時間は経っていなかったから、確実にモイとはすれ違っただろうし、第一コリンがモイに話していたのなら、もうタロとの約束には何の意味もないということになる。そうこうしているうちにモイはリンクの木刀がひどく汚れていることに気づいて真顔になった。
「おいリンク、こりゃまた随分派手に汚してくれたな。そいつは一体どうしたんだ?」
仕方がないのでリンクは村に向かって歩きながらことのあらましを話した。モイは真剣な顔をして食人鬼のことや、リンクがそいつらをどうやって倒したかの話を聞いていたが、リンクが話し終わると静かに頷いてその背中を叩いた。
「これが初めての実戦ってわけだったんだな。俺が側に居ないのによくやった」
リンクは自分がしたことを思い返してもあまり実感が湧かなかった。今日一日で四匹もの鬼を倒したのだ。
「おい、そうだ。帰ったらそいつはよく掃除しておけよ。魔物の血がついたままだとボロボロに腐っちまうからな」
モイはリンクの背中の木刀を指差して注意を与えたあと、その肩を親しげに抱いて、頭をくしゃっと撫でながら嬉しそうに言った。
「ともかくお前は剣士見習いの役目を立派に果たしたんだ。お前はやっぱり剣士に向いてる。俺の目に狂いはなかったみてえだな」
リンクは考えてみた。悪鬼どもと相対したとき、恐れや焦りも感じたが、それよりも敵への怒りと、親しい誰かを守りたいという気持ちのほうがはるかに勝っていた。いずれにせよ初めての戦いは自分が想像していたものとは違っていた。もっともっと複雑で、湧き起こった多くの感情と頭の中を忙しく巡った計略とで、なんだか一気に歳をとってしまった気がした。
「剣士に向いてる、のかな. . 」
リンクが呟くとモイは請け合った。
「ああそうだ。剣士の俺が言うんだから間違いは無え。俺も鼻が高いよ。お前なら明日の仕事も立派に果たせるはずだ」
リンクは言われて思い出した。明日はハイラル城に向けて出発なのだった。すっかり忘れていた。
「ま、大丈夫さ。今日みたいな経験をした後なら遠足みたいなもんだろうよ。それにほれ、もしかすると運が良ければゼルダ姫にも会えるかも知れねえぞ」
モイはそう言うと、リンクの肩に自分の肘を乗せウインクした。
「噂に寄りゃあ、誰も想像したことも無えくらいの物凄っげえ美人らしいぜ。どうするリンク?」
リンクがたちまち顔を赤らめると、モイは大きな声で笑った。
リンクは道すがらモイと談笑しながら、あの青年のいた小屋の背後の柵の先にあった道の向こうに何があるのかを想像した。あの道の先にあるのはハイラル平原だろうか。きっとまだ見たことのない広い土地が広がっているはずだ。明日、その世界をこの目で見るのだ。リンクは再び心が踊り始めるのを感じた。
だか、その想像さえも遥かに超える冒険がその身を待ち受けていたとは、この時の彼には知る由もなかった。