リンクは洞窟の壁に寄りかかって座ると、カンテラを取り出して火をつけた。暖を取るにはいささか頼りないが無いよりはましだ。
「リンク、悪いことをしたな。考えたてみたら昨日の今日でお前を働かせ過ぎた。もっと時間をかけて作戦を練ろう」
ミドナが言った。
「いや、君のせいじゃあないよ。山を登る前は元気だったんだ」
リンクは答えた。カンテラの傘を逆さにすると、そこに水筒の水を注いで温めてみた。それを飲んでいるとようやく身体が暖まってきた。
「けどアッシュの言った通りだったよ。魔物とまともに戦ってさえいないのにこの有り様さ」
自嘲気味に言うとリンクは続けた。
「それにやっぱり彼女はいい人だったね。本当に僕のことを心配してくれていたんだ。いきなり斬りかかってきたときは驚いたけど」
「おいリンク。ああいう女はやめといたほうがいいぞ」
ミドナは藪から棒に切り出した。
「一体何を言い出すんだい?」
リンクが尋ねると、ミドナは人差指を立てた。
「あの妙な言葉遣いは貴族コンプレックスを持った親からうるさく躾けられたんだろう。おそらく平民から無理やり出世した家系なんだろうな。有能ではあってもガツガツし過ぎてるタイプだ」
「君はどうしてなんでもそうやって一目で判断できるんだ?」
リンクはやや疑って言った。
「彼女は剣の達人だし頭も良さそうだよ。君ほどではないかも知れないけどね」
「まあ剣のことはお前のほうが詳しいだろう。だがそんなことはどうでもいい。問題は性格だな。だいぶ拗らせてるぞ」
「拗らせてるって?」
「あの年であんな喋り方してる時点で背伸びし過ぎだ。人間の内面ってものはそんなにすぐに成熟するものではない。だからああいう女は折れるときはポッキリ折れる」
「そんなものかなあ」
リンクはまだ納得がいかなかった。
「でもやめておけってどういう意味だい?僕は今後彼女の仲間になることはあってもそれ以上のことはないよ。それとも仲間づきあいもまずいってことなのかい?」
そこまで話すとリンクは改めて驚きの感情を漏らした。
「ミドナ、彼女は僕らが城の中で見た真実に自力で推理して辿り着いたんだ。これは凄いことだよ。今後僕らは彼女たちと共闘していくべきだ。そうしないとあまりにも勿体ないよ」
「ああそうだった、まずはあの連中とどう付き合うか、ということからお前に教えてやらないといけないみたいだな」
ミドナは少し間を置くと続けた。
「あいつらとの共闘はあまりお勧めしない。あいつら全員がお前の部下として間接的に私の指揮下に入るっていうなら話は別だがな。もっともお前の年齢からするとそんなわけにもいくまい」
「全員が僕の部下って...そりゃ無茶だよ」
リンクも肩をすくめる。
「そうだな。奴らにしてみればお前は手駒の一つということになる。だが考えてみろよ。私とお前はザントの正体も実力もこの身を持って経験している。だけど連中は城を支配しているのがザントだということさえ知らないんだ。それでは有効な作戦なんて立てようがないだろう?」
「それもそうだね」
リンクは少し落胆して顔を伏せた。
「だからお前はこうしろ。奴らに利用される振りして奴らを利用する。奴らのいうことは全て真に受けたふりをしろ。試験や何かをしろと言われたらやれ。だが深入りはし過ぎるな」
「なんだか世知辛いね」
「リンク、仲間を欲しがっているお前の気持ちは痛いほどよくわかる。私も長い間たった一人で闘ってきたからな。だが人を容易に信用するな。簡単に自分の仲間になってくれると思うな。それが私からの忠告だ」
ミドナの言葉はいつもの皮肉っぽい口調ではなく真剣なものだった。リンクは渋々ながら頷いた。するとミドナはまた喋り始めた。
「で、話はまだ終わっていないな。ああいいう女はやめておけ、っていう言葉の本当の意味だ」
「本当の意味?」
「そうだ」
ミドナは言うと、リンクの肩を叩いた。
「リンク、冒険が終わったらお前は田舎であのイリアと一緒になれ。お前にはあれがお似合いだ。間違ってもああいうわけのわからない女と結婚なんかするなよ」
「ちょ...っ...ええっ?」
リンクは度肝を抜かれて言葉に詰まった。
「ま...待ってくれミドナ。僕はまだ十六だ。そんなこと想像もしたことないよ」
そう言ったあとリンクは付け加えた。
「だいいち僕にはまだやることが沢山ある。冒険が終わって村に帰っても僕はまだ半人前だ。自分の畑地も持っていないし、恋愛や結婚なんて早すぎるよ」
「お前にその気がなくとも向こうからやってきたらどうする?」
「む....向こうから?そんなことってあるのかい?」
リンクは半信半疑だった。それを聞いたミドナは溜め息をついた。
「まったくお前というやつはとことん世間知らずだな」
そこまで言うとミドナは言い直した。
「まあいい。知らないものは知らないんだから仕方ない。いいか、教えてやる。お前はいまやちょっとした有名人だ。オルディン地方では緑の勇者リンクと言えば知らない人間は一人もいないほどだ。気づいていたか?」
「知らなかったよ」
「二度にわたって緑鬼の群れを蹴散らし鬼の王を橋から叩き落したことでお前は英雄扱いだ。そうすると何が起こるかわかるか?」
「いいや...わからないよ」
「そうするとな、有名人狙いのミーハーな女が寄ってくる。お前の人間性とか性格とかはどうでも良くて、ただ何か世間に自慢できるような男と付き合いたいっていう馬鹿どもさ」
リンクは混乱した。自分がそうなるなんてことを想像したこともない。
「んで、お前みたいな田舎から出てきてうぶな男は女の手練手管を知らないから簡単に落とされるってわけだ」
「そ...そんなふうに決めつけなくてもいいじゃないか」
リンクは辛うじて反論した。だがミドナは聞き入れなかった。
「さっきから私は真剣にお前のことを心配して言っている。それはわかるな?お前には圧倒的に経験というものが足りない。それはまあ当然だな。今まで農業と牧畜しかしてこなかったんだから。ともかくだ」
ミドナは首をやや傾けると両手を広げた。
「そういう女はお前の仕事を支えることになんて全く興味はないから、ことあるごとにお前の邪魔をするようになる。そしてお前の人生が何かうまくいかなくなると途端に手のひらを反す。それでお仕舞ってわけだ」
リンクは何も言えなかった。ミドナが何歳なのかは知らなかったが、彼女は一国の王女であるうえに、リンクよりはるかに賢く、ものをよく知っているのは明らかだったからだ。
リンクは軽く食事をしようやく元気を取り戻して立ち上がった。雪山を登る方策を探さないとならない。二人は相談してゾーラの里周辺で情報を集めることに決めた。
洞窟を戻りゾーラの里に抜けると、ゾーラ兵たちが二人ほど川沿いに立っていた。リンクが挨拶すると気さくに応えてくれた。
「あなたはもしかしてリンクさんですね?」
一人が言った。
「よくご存知ですね」
リンクは驚いた。
「ほら、ハイリア湖でお会いしたじゃないですか。私はあのとき神殿の入り口の警備をしていたんです」
相手が言うのを聞いてリンクは相槌を打ったが、兜を被っているうえにゾーラ族は体格にあまり個人差がないので分からなかった。
「我々は皆あなたを知ってますよ。瀕死のラルス王子を医術師のもとまで護衛しただけでなく、神殿に巣食っていた魔物どもを打ち払って下さったんですからね」
別の一人が言うのを聞いてリンクは照れ笑いした。
「だけど、魔物を全て倒せた訳じゃないので。神殿は使えるようになったんでしょうか?」
リンクが尋ねると、最初のゾーラ兵が答えた。
「何しろ指導者不在の状態でずっとゴタゴタしていたんですが、最近やっと神殿再建の話が本格的に動き始めたところですよ」
彼はそう言うと続けた。
「確かに魔物たちはチラホラ残っているとの話ですが、我々だって兵士です。いつまでもあなたに頼っているわけにはいきませんからね」
「確か西棟に巨大な蛙がいましたよね?それに最深部の集会所にも鰻の化け物がいたはずです。そいつらがいなくなっていたので偵察に行った者たちがびっくりしてましたよ。一体どうやって倒したんですか?」
もう一人が尋ねてきた。
「ああ、蛙は口に爆弾を二発ほど放り込んで。それから鰻はクローショットで取りついて目を攻撃して倒しました」
リンクは何気なく答えたが、ゾーラ兵たちは感嘆して首を振るばかりだった。
「やはり勇者というものは違いますね。我々の中の最精鋭でもそんなことができるものは一人もいません」
リンクは恥ずかしくなってきたので話題を変えた。
「ところで、この辺りを獣人が出没するって聞いたんです。見たことはありますか?」
リンクはアッシュがくれたスケッチを取り出すと二人に見せた。
「ああ、確かに最近よく目撃されています。まだ危害を加えられた者はいませんが、ここのところ我々が警備を強めているのはこいつが原因です」
一人が言った。
「この抱えている魚はニオイマスですね。栄養たっぷりなんですがなかなか釣れないので有名でしてね。獣人はこの魚が目当てでたびたび里に来ていたんですかね」
もう一人も絵を覗き込むと獣人が手に提げた赤い魚を指差した。
「そう言えばラルス王子はニオイマス釣りが大変お上手でした」
最初の一人はそう言うと頭を振って溜め息をついた。
「ああ、私たちが王子を迎えに行ければどんなにいいか」
「我々は陸上を長い間移動できないんですよ」
リンクがその兵士の顔を見るともう一人が説明した。
「水の中であればいくらでも泳げるんですが。カカリコ村からハイリア湖まで陸路で旅するのはゾーラにとっては大人でも不可能なんです」
「そうだったんですか」
話を聞いてリンクはいつかラルス王子を里に連れ帰ることを心に誓った。彼らのもとを辞すると、リンクは川の流れに沿って歩いた。いくら獣人といえども滝の上まで行くとは考えにくい。少し下流に人間の住む小屋があったはずだ。そう思い出すとリンクはそこでも聞き込みをすることにした。
川岸を西へ歩くと、自然岩でできた橋状の通路を渡って向こう岸に出た。そこからさらに進むと、右手の崖に扉がしつらえられており、その前に「ヘナの釣り堀」と書いてある。リンクはやや気になったがそこは後で調べることにして、西に歩き続けた。
やがて突き当たりに小屋が見えてきた。小屋の前に人影がある。近づいてみると、ここが影の領域だったときに見たことのある女だった。黒く縮れた髪を頭上にまとめ、肌の露出の多い都会的な服を着ている。
リンクは近寄って話しかけてみた。だが女はリンクに目をやると溜め息をついて首を振った。
「あ~、今ちょっとうちの店休業中なのよ。また今度来てくんない?」
店?リンクにはよくわからなかった。獣人を見なかったか尋ねようとスケッチを取り出すと、女は煩そうに手を振った。
「だから休業中って言ってるじゃん。それとも何?新手のナンパのつもり?」
リンクは途方に暮れてしまった。このゾーラの里周辺は田舎だと思っていたが、この女と話しているとまるで城下町にいるみたいな気分になる。仕方ないのでリンクは諦めてその場を辞した。釣り堀を訪れれば管理人から何か聞き出せるかもしれない。
そのとき、上空から不気味な音がした。巨大な管楽器を吹くような音。見上げると、黒い渦巻きが空中に現れてきている。その渦の中心から、黒い塊が押し出されるように出てくると、女のいる小屋の近くに次々と落ちてきた。一体、二体、三体。影の使者たちだ。
時を同じくして周囲に魔法結界の柱が落下してきて次々と地面に刺さった。女が驚愕の表情を浮かべ金を裂くような悲鳴を上げて頭を抱え座り込んだ。
小屋の傍らに落ちた影の使者のうち一匹が顔を上げ辺りを見回している。化け物はその近くにいた女に目を止め、一瞬動きを止めた。女は腰を抜かしたように座ったまま首を振りながら後じさりした。
「ミドナ、弓矢を!」
リンクは叫んだ。たちまち矢立てがリンクの背に装着され、左手に弓が握られた。リンクは素早く矢をつがえると女の傍らにいた影の使者を狙って撃った。矢は真っ直ぐ飛んでいき鬼の胸に刺さった。致命傷ではない。鬼は怒りの声を上げて立ち上がるとこちらに向き直った。
リンクは弓を背負い剣を抜くと、一番近くに落下してきた黒鬼に走り寄った。そいつが攻撃態勢をとろうとしたところを裂帛の気合いとともに問答無用でジャンプ斬りを叩きつけた。鬼は頭をバックリと割られて地面に倒れ伏した。
残り二匹に目をやると、こちらに前進してきている。幸いなことに川岸の地形に邪魔されてかまだ散開せず二匹並んでいる。リンクは鬼どもを一気に倒す心算を固めた。盾を背から下ろして構えると敵に駆け寄る。距離を詰めると一匹が腕を振り上げ攻撃態勢をとった。
リンクは前転し、横に払われた黒鬼の爪を躱した。二匹の鬼たちの間に割り込むといきなり回転斬りを放った。胴体に深手を負った鬼どもがのけ反りながら倒れる。みるみるうちに三匹の鬼たちの死骸が崩れていき、その破片が上空の黒い渦に吸い込まれていった。
周囲を取り囲んでいた魔法結界の柱も消滅した。女は震えながら地面に座り込んでいたが、リンクが近寄ると顔を上げた。
「お怪我はありませんか?」
リンクは手を差し伸べた。女はあたりを見回して、それからリンクの顔を見た。
「ああびっくりした。一体あんた何者なの?あんな化け物と平気で戦ったりして‥‥」
リンクが名乗ると彼女はその手をとって立ち上がった。
「あたしはリズ。そこで貸し舟屋をやってんだ。でもちょっと問題があっていまは店休んでるんだけどね」
彼女はズボンについた土を手で払うと自己紹介し、背後の小屋を指差した。横に長い赤い屋根の平屋だ。
「そういやあんたよく見るといい男だね。何にもないけどちょっと店に寄ってかない?」
リズはリンクの顔を覗き込んで言った。彼女が勧めるのでリンクはお邪魔することにした。彼女の後をついて歩きながらふと脇を見ると看板がある。「リズの川下り小屋」と書いてあった。リンクはやっと合点が行くとともに、以前油屋のキコルからラネールには川下りの店があると聞いたことを思い出した。
小屋の前の階段を登り中に入ると、内部はちょうど洞窟に流れ込む川の流れを見渡すテラスのようになっていた。幅は十メートルあまりで、右手の奥の階段を下ると係留されたボートに乗り移れるようになっている。
リズはリンクを椅子に座らせ、茶を沸かすと菓子を添えて振る舞ってくれた。その立ち居振舞いがどう見ても都会風なのでリンクは思い切って尋ねてみた。
「リズさんは城下町出身なんですか?」
「ああ、やっぱわかる?」
彼女は自分もカップを持つと、まんざらでもないといった顔をして壁にもたれかかった。
「親の商売を継がなくっちゃならなくてね。本当は田舎は性に合わないんだけどこうして貸し舟屋なんかやってんのよ」
「貸し舟って、川下りをさせる商売ですよね?」
「ああそうよ。あんたもやりたかった?でも生憎だったね。あんたみたいなワイルドな男の子なら絶対気に入ると思ったんだけど」
彼女は言った。リンクは彼女の縮れた髪を見ているうちに急に心のなかにある推量が浮かんできた。
「リズさんってもしかして油屋のキコルさんのお姉さんですか?」
それを聞いたリズは信じられないといった顔で口を開けた。
「うそ。あんたなんであいつ知ってんのよ」
「僕はラトアーヌの出なんです。村の近くでキコルさんが商売してたものですから」
リンクは説明した。
「あいつどうしょうもないダメ男でしょ?」
リズは少し唇を曲げて肩をすくめた。
「ろくに働かないのに泣き言ばっかりでね。ちょっと強くどやしつけてやったらとうとう家出てっちゃってさ」
リンクはキコルの小屋を思い出した。キコル自身は善良で好感の持てる青年だったが、あの小屋の散らかりようを思い返すと、細やかな気遣いの必要な商売には向いてなさそうだ。
「まあ今思うとあたしも言い過ぎたんだけどね。だけど親が年取ってから生まれた男の子だったから、あいつとにかく甘やかされててさ。何とかしてしっかりした男になってくれりゃあいいんだけどね」
リズは呟くと茶を啜った。
「でも店が休業って何かあったんですか?」
リンクは尋ねた。
「あれよあれ」
リズは片手で川が流れ込む洞窟を指差した。よく見ると、洞窟に至る川の中途に大きな岩が立ち塞がるように鎮座している。水はその左右から流れているが、これでは舟を出すのは難しそうだ。
「ひと月くらい前のことなんだけど、ここら一帯にヘンな霧が出たことがあってね。それである日起きたらいきなりよ。こんな岩誰がどうやって運んだか知らないけどさ」
彼女はそう言うと溜め息を吐いた。
「うちの店、バイトも女の子ばっかでさ。男手があればなんとかなるんだけどね」
リズはまた溜め息をつくと黙った。リンクは立ち上がってテラスの柵に手を掛けて岩を眺めた。距離は二十メートルもない。爆弾矢が届く距離だ。
「僕が何とかします」
リンクは振り向くとリズに言った。すると彼女の顔がみるみる輝いた。
「本当?助かるわ~!」
リズは壁際の物入れを開けると爆弾袋を取り出してリンクに渡した。
「じゃあこれであの岩を片付けてくれる?あたしやろうとしたんだけど怖くってさあ」
リンクは爆弾袋を受け取ると、弓を背中から下ろした。爆弾を袋から一つ取り出すと、その底面に矢尻を差し込み、導火線のキャップを捻って点火する。
リズは両手で耳を塞ぐと後ろに下がった。リンクは爆弾矢を弓につがえると岩めがけて放った。
爆弾矢が命中し、爆発音とともに岩に亀裂が入った。だがまだ崩壊していない。リンクはもう一つ爆発矢を作ると岩に向けて撃った。ちょうど亀裂に入った爆弾が爆発し、岩は複数の断片に割れて川の中に沈んでいった。
「やった!」
女は手を叩いて喜んだ。
「ねえ実はさあ、下流の方にもう一つ同じような岩があるのよ。それも片付けてきてくれない?」
リズはリンクの手を引くと、強引に奥の階段に連れていきボートに乗り込ませた。
「川の途中にうちのバイトがいるんだけど、あたしに頼まれたって言えば話通るから。じゃあお願いね!」
リズは舟のロープを外すとテラスから手を振ってきた。何だか上手いことリズに乗せられた気もしたが、乗りかかった舟ということでリンクも最後まで手伝うことにした。
「あ、それから終わったらその爆弾袋ごと持っていっていいからね!」
リズが舟をこぎ始めたリンクの背中に声をかけた。リンクは手を振って別れの挨拶をすると、今しがた粉砕した岩があった場所を通り過ぎ、洞窟の中に進んでいった。
しばらく行くと水流は下りになった。急流だが、舟の制御が効かないというほどではない。リンクは櫂を操って舟の姿勢を保った。緑の苔がむした洞窟の天井がやがて開け、空が見えてきた。
ボートは急峻な崖に挟まれた峡谷に出た。途中右手に木製の足場の残骸らしきものが水面近くの岸壁に引っ掛かっている。
ボートが足場の残骸に当たって方向が逆向きになりそうになるのを、櫂を使って立て直す。夕暮れが近づいているのか、峡谷に差し込む陽光は途切れ途切れだったが、清らかで透明な水の上で谷川の香を胸一杯に吸い込みながら舟を駆るのはやはり気分がいい。
舟が岸壁の上からから降り注ぐカーテンのような水流の下を通り、リンクは水しぶきを頭から被って思わず歓声を上げた。リズの言ったとおりかなりワイルドだ。
下っていくと再び壊れた木製の足場の残骸が川を塞ぐように残っていた。リンクがやむなく舟を突っ込ませるとそれは容易に壊れた。
上から蔦が垂れている岸壁をかすめるように進んでいくと、やがて流れが急傾斜になった。滝に落ちてしまうのだろうか?そう心配したが、すぐに角度が戻り、舟はやや開けた場所に出た。
前方に丸い岩が水から顔を出している。その右側の水面に人影らしきものがあるのを見たリンクは思わず目を見張った。だがよく見るとゾーラ人だ。立ち泳ぎしながらこちらに手を振っている。
リンクが舟を近づけると、そのゾーラ人はこちらに泳いできて舷に手を掛けた。銀灰色の輝く肌をしている。どうやら若い女のようだ。
「店長に頼まれて来てくれたんですね?」
ゾーラの女は弾む声で尋ねてきた。リンクは頷いて自己紹介した。水の流れはどこかで塞き止められているらしく、リンクのボートは進むのをやめて漂い始めた。
「わたしバイトなんですけど、あの岩が水を塞き止めちゃってて」
目を上げると、ちょうど丸い岩の反対側に流れ落ちていくはずの水流が、明らかに人為的に置かれたような岩で塞がれている。
「爆弾で片付けてもらえますか?面倒かけちゃってごめんなさい」
リンクは快諾し、ゾーラの女に下がっているように言った。舟を岩のほうに少し進めると、爆弾を袋から取り出して矢尻を差し込み、点火して弓につがえた。
岩を狙って撃つと、命中した爆弾が爆発し岩に多数の亀裂が走る。何ヵ所かはボロボロと崩れ始めた。だが、狭い渓谷に挟まる形でまだ残骸が同じ位置に留まっている。リンクはもう一発の爆発矢を作ると弓につがえて撃った。
再び爆弾が爆発すると、岩の残骸が完全に崩壊し、水の中に吸い込まれていった。
「イエイ!」
ゾーラの女が叫んだ。
「やっと流れた。ありがとうございます!」
リンクが弓を仕舞って櫂を手にすると、ゾーラの女はハイリア湖までガイドすると申し出てくれた。折角なのでリンクは無料の川下りを楽しむことにした。
ゾーラの女の先導に従って岩を破壊した場所を通り抜けると、再び開けた場所に出た。今度は三つほどの岩が水面から突き出ている。周囲を囲む岩壁のところどころからレースカーテンのような水流が薄い滝となって落ちてきている。それが峡谷の上から差し込む僅かな陽光を反射してキラキラと輝いていた。
岩の間を通り抜けると、そこから先はさらに起伏に富んだコースだった。水流の傾斜が増したかと思うと、目の前に上から垂れ下がった縦長の岩がいきなり現れ、リンクは慌てて櫂を操って回避した。
両側の岸壁に木製の足場がまだ多数残っている。進んでいくと川の傾斜はまた緩やかになったが、水面のそこここに突き出た岩のせいで水流が不規則になっていて、舟の方向が定まらなくなってきた。苦労して櫂を操りながら下っていくものの、どうしても舷が岩に当たってしまう。だが舟は丈夫な作りなのか、多少の衝突ではビクともしないようだ。
やがて再び傾斜が急になり、舟は勢いを増した。前方には、左右の崖に張り付いた木製の足場の残骸ととともに、中途で折られた岩の柱が倒れて岸壁にもたれ掛かっているのが見える。
水面から突き出た岩を回避しながら目を上げると、同様の岩柱が前方に幾つか倒れている。リンクはこの辺りが影の領域だったころ目撃した光景を思い出した。白仮面の鬼どもが足場の上から爆弾矢を放って手当たり次第に岩を爆破していたのだ。
あの鬼どもはリンクたちが凍りついたゾーラの里の水源を回復させたことで押し流されたのだろう。リンクは思った。たとえ自分の働きが誰にも知られていなくても、人々の普通の暮らしを回復させることができたのならやはり苦労した価値があったのだ。
水面近くにまで迫った岩の下に残った足場を首をすくめて躱し通り過ぎると、しばらく足場や岩の残骸は姿を消した。だが、また傾斜が急になると、前方の岩天井が水面すれすれの高さになっており、その周辺に木組みが残っていた。リンクは注意深く舟の軌道を調整して、なんとかそこを潜り抜けた。
「もうすぐハイリア湖ですよ」
ゾーラの女が前から声をかけてきた。
「どうでした?結構ダイナミックで面白いコースでしょ?」
リンクは同意した。最初にキコルから川下りで客からルビーを取ると聞いたときは意味がわからなかったが、実際やってみると楽しい。有料でもやる価値はあると思えた。
前方が大きく開け、はるか向こうにハイリア大橋が見えてきた。終点だ。舟は急傾斜を滑るように下ると、湖の水面に降りて落ち着いた。湖の上の空はすっかり夕暮れ色だ。
「お疲れさまでした!」
リンクが舟を手近の岸に着けるとゾーラの女が言った。
「本当に助かりました。これで店も再開できるし。何しろ休業してる間店長の機嫌が悪くって」
ゾーラの女は肩をすくめた。
「お役に立てて良かったです。それに川下りって楽しいものですね」
リンクは答えた。
「でしょ?店のほうにもまた遊びに来て下さいね」
そう言ったあとゾーラの女は思い出したように付け加えた。
「そういえば店長、お礼に何渡すとか全然言わなかったんじゃないですか?」
リンクはそう言われて足元の爆弾袋を見た。
「ああ、そう言えば爆弾袋を持っていってもいいって‥‥」
「それだけ?」
ゾーラの女は困った顔をした。
「あの人こういうとき何でもそこら辺にあるもので済ませちゃうんですよね。ケチっていうか‥‥」
しかし、リンクが袋を持ち上げるとそれはずっしり重く、まだまだ沢山入っていると思われた。
「構いませんよ。僕は冒険でよく使いますから助かります」
「良かった」
ゾーラの女は微笑んだ。リンクが爆弾袋を持って舟から降りると、彼女は舟の舳先にロープをくくりつけ、それを自分の腰に巻き付けた。
上流に戻るかと聞かれたが、まさか自分を乗せたボートを彼女一人の力で引けるとも思えなかったので遠慮すると、彼女は「じゃあまた今度!」と手を振って上流に向かって泳ぎ始めた。みるみるうちに急流を遡っていくのを感心しながら見ていると、彼女の姿はすぐに見えなくなった。
辺りを見回すと、以前影の領域を払うための蟲探しに来たことのある、ラネールの泉の西側にある岸辺にいるとわかった。夕焼けの色が水面一杯に反射し、それがトビーの大砲小屋の屋根の色と相まってまるで絵画のような風景だった。
「ミドナ、ごめんごめん。すっかり道草食っちゃったよ」
リンクはミドナに話しかけた。
「全くお前らしいな。だがまあ構わんさ。爆弾も余分に手に入ったことだしな」
ミドナが姿を表すと言った。
「ミドナ、道草ついでにもう一つやりたいことがあるんだ」
リンクは切り出した。
「今度は一体なんだ?」
ミドナが苦笑いした。
「ゾーラの王子のことなんだ。折角回復したのに、カカリコ村から里に帰る手段がない。何とかしてあげられないだろうか?」
「まったくお前って奴はあっぱれなほどのお人好しだな」
ミドナはやや困り顔をした。
「馬車の用意やら何やらで何日もかかるぞ。そんなことはあのゾーラ兵どもに考えさせればいいだろ?」
「わかってるよ。だけど僕らがカカリコ村まで連れていった以上、最後まで面倒を見てあげるべきじゃないかって」
「やれやれ」
ミドナは腕を組むと思案していたが、やがて何か思い付いたように顔を上げた。
「待て、リンク。お前とりあえずカカリコ村に行って王子に会ってみろ」
「じゃあ賛成してくれるんだね?」
リンクは言った。
「いや、それは気が早い。だが私に考えがあるんだ」
ミドナが言った。
「何だい?話してくれ」
リンクが促す。ミドナは説明し始めた。
「あの獣人が持っていたのは確かニオイマスという魚だったよな?」
「そうだね。でもその魚がどうかしたのかい?」
「ラルス王子はその魚を釣るのが上手いって確かゾーラ兵どもが言ってたよな?お前は王子のところに行ってその魚の釣り方を教われ」
「いいけどそれってどういう‥‥」
「そしてその魚を釣って匂いを狼の鼻で覚えれば、獣人が山を登った道筋を辿れる。何しろニオイマスってことは独特の匂いがするわけだろ?」
ミドナはリンクの鼻を指差した。リンクはやっとミドナの言わんとすることがわかった。
「それで雪山に登る方法が分かるってことだね。凄いよミドナ。君は何て頭がいいんだろう」
「まあ誉められても別に嬉しくはないな。これくらい当たり前の推理だろ」
ミドナは真顔で言った。リンクは苦笑いしたが、いずれにせよ王子に会いに行くのは賛成だった。
装備と服を脱いだリンクをミドナが狼姿に変え、ワープ魔法を行った。たちまち二人して空中に浮かび上がると、数秒後にはカカリコ村の泉の近くに降り立っていた。
一旦泉のほとりの茂みに身を寄せ、そこで人間の姿に戻り服と装備を身に付けると、礼拝所に向かって歩いていった。もう日が沈みかかっている。
礼拝所の扉を開けると、中ではレナードとイリアが向かい合わせになって椅子に座っていた。奥のほうではルダが何か作業をしている。レナードはリンクの姿を見ると顔を輝かせて立ち上がった。
「リンク!元気そうじゃないか」
二人は抱擁を交わすと、互いの無事を喜び合った。リンクはイリアにも挨拶した。彼女は挨拶を返し少し微笑んだが、やや沈んだ表情で黙ってしまった。
「イリアの状態は以前よりはだいぶ良いんだ」
レナードはリンクに言った。
「過去の事を思い出そうとしても前のように強い頭痛に見舞われることはなくなった。それでなんとか記憶を取り戻すための対話療法を試みているんだ」
ルダがリンクに茶を持ってきてくれた。リンクは挨拶して礼を言うと、施療を再開したレナードの後ろのベンチに座った。
「思い出そうとしてるんですけど、やっぱり何も浮かんで来ないんです」
イリアは言った。
「どんな断片的な物でも構わない。順番も気にしなくていいんだ。食べ物、匂い、音、何か連想することなどはないかね?」
レナードが尋ねた。だがイリアは首を振るばかりだった。
「今日のところはこれまでにしておこう」
レナードは切り上げて立ち上がると、リンクに向かって言った。
「実際まだ始めたばかりでね。私としても初めての症例だから手探りなんだ。すぐに結果が出なくても堪えてくれたまえよ」
「いいんです。先生には本当に感謝してます」
リンクは答えた。
「君が来たからには子供たちに知らせないといけないな。きっと皆大喜びだよ」
レナードはリンクの肩を叩いた。
「君も久しぶりだから驚くと思うぞ?特にコリンとタロは見違えるほどの成長ぶりだよ。今も畑の手入れをしてくれているんだ」
「そうなんですか?」
リンクは少なからず驚いた。コリンはともかく、農作業を好まなかったタロがそんなふうになるとは。
「お互いライバル意識があるのか、競うように働いてくれていてね。やり過ぎないよう少し止めたくらいだよ」
「マロの店はどうですか?」
リンクは尋ねた。
「順調だ。ベスも時々店番をやってる。彼女もさすが商売人の子だ、客あしらいも上手いもんだよ」
「そういえばゾーラの王子はどうですか?回復したって聞いたんですが」
リンクが聞いてみるとレナードは少し黙り込んだ。
「どうしました?」
リンクが尋ねるとレナードは言葉を探しながら説明し始めた。
「身体的には問題ないと言えるところまで回復したんだ。だが心のほうがね」
「心のほう、ですか」
リンクが聞き返すとレナードは少し溜め息をついた。
「ああ。あの年齢では考えられないほどの極限状況を経験したんだ。その上に母君を失ったのだから無理もないんだが‥‥」
「今どこに?」
「父上の墓前だよ。歩き回れるようになってからはほとんど毎日そこに行っているらしい」
リンクは窓から外の様子を見た。夕闇が広がるなか、あの暗い墓地に子供を一人で居させるのはいかにも塩梅が悪い。
「僕が迎えに行きます」
リンクは申し出た。
「すまん。その間夕食を準備しているよ」
レナードが言った。リンクは礼拝所を出ると裏手の道に回って墓地への小道を駆け上がった。
墓地はもうすっかり暗くなっている。墓石の間を急ぎ足で横切り、奥の階段から石舞台の上に登った。壁の突き当たりの穴に身体を屈めてもぐり込むと、這いつくばって進んだ。
穴を抜けると、泉の向こう岸にある墓石の前に座る少年の後ろ姿があった。リンクは声を上げて呼び掛けようかとも思ったが、祈りを捧げているのかも知れないと思い気が引けたので、装備を床に置いて服のまま水に飛び込み対岸に向かって泳いでいった。
リンクが墓石の前の石床に這い上がると、少年は振り向いて不思議そうな顔をしたが、すぐリンクの顔を認めて微笑んだ。
「リンクさんですね?」
ラルス王子は言った。
「覚えていてくれたんだね」
リンクも微笑んだ。とりあえず膝を屈めて頭を下げ挨拶した。服もずぶ濡れでバツの悪い思いだったが、王族と呼ばれる相手とちゃんと会話するのは初めてだったからだ。
「母が夢枕に立って教えてくれたんです」
ラルスは墓石の方を向くと言った。
「緑の勇者に僕のことを託したって。それであなたが僕を守るため命をかけて戦って下さったことも皆から聞きました」
リンクは照れて肩をすくめた。ひどく気を落としていると想像していたが、心の状態は思いの外しっかりしているようだ。するとラルス王子は呟いた。
「でも僕は誰かが命を賭して救うほどの価値のある存在なんでしょうか?」
「それはどういう意味だい?」
リンクは尋ねた。
「僕は母から言われた使いさえちゃんとできませんでした。ましてや王として一族をまとめるなんてことができるとは思えません」
少年は目に涙を溜めて俯いた。
「僕はどうしたらいいんでしょうか?こんなことでは民たちに合わせる顔がないです」
「王子、聞いて欲しいんだ」
リンクは少し考えるとラルスの肩に手を置いた。
「君は子供が経験するはずのないことを経験してしまったんだ。君の里を狙ったのは大人たちでさえ勝てないような恐ろしい敵だったんだよ」
自分を見上げる少年の顔を見ながらリンクは言った。
「僕は今もその敵と戦っている。勝てるかどうかはわからないけど戦い続けるつもりだよ。ゾーラの大人たちも今里を建て直そうと頑張ってる。だけど君がすべきことはそれとは少し違うと思うんだ」
ラルスは黙って聞いていた。リンクは続けた。
「君はまだ子供時代を送るべきだと僕は思う。里には君を自分の子のように大切に思っている人たちが沢山いる。皆君が戻るのを待ち望んでいたよ」
「本当ですか?」
ラルスは聞いた。
「ああ、本当さ。彼らはただ君が彼らの中にいてくれるだけで沢山の力をもらえる。それくらい君のことを愛してるんだ。君はそういう人たちの中で過ごすべきなんだ」
リンクが答えるとラルスは下を向いてしばらく考えていた。
「さあ、礼拝所に戻ろう。もうすぐ夕飯だから」
そうリンクが促すと、少年は静かに頷いた。二人は泉を泳いで横断すると墓地を抜けて礼拝所に帰った。
礼拝所にはレナード、ルダ、イリアのほか、子供たち四人も揃っていた。コリン、タロとベスの三人はリンクと会えて大喜びしたが、マロは相変わらずクールだった。
「ふむ。あれから修羅場の一つや二つはくぐってきたようだな」
マロはリンクの顔を見るなり言った。
「相変わらずだね。商売はどうだい?」
リンクが笑いながら尋ねるとマロは肩をすくめた。
「店は問題ない。売上は営業再開時から右肩上がりだ。だが僕の目標もっと大きいがな」
「目標?」
「ああ。城下町西の橋の再建。それが済んだらいよいよ城下町セレブショップの買収工作に着手だ」
「買収?なんだいそれは?」
リンクは仰天して声を上げた。
「あとで詳しく話す。まずは着替えろ。風邪を引くぞ」
リンクはレナードが貸してくれた服に着替えると皆と食事を囲んだ。マロは城下町の内情を驚くほどよく知っていたのでリンクはまた仰天した。
「最近の不景気で他の店が潰れたのをいいことにセレブショップは法外な値付けをしているらしい。僕は庶民の敵は許せない。だから奴らを買収して乗っ取ることにしたのさ」
マロは言った。普段は冷静なマロがそんな正義感を胸のうちに燃やしていたことにリンクは意外の念を持った。
「城下町西橋の再建の資金繰りにもようやく見通しが出てきたとこさ。リンク、お前も協力しろ。出せる範囲で構わないから」
リンクは協力を請け合った。イリアとルダ、そしてベスがが姉妹のように仲良くおしゃべりしている傍ら、コリンとタロが食べる量を張り合うのをラルスは笑いながら見ている。レナードはリンクに近寄ってくると声をかけてきた。
「リンク、王子に一体何を話したんだ?」
「え?何って、ちょっと励ましただけで特に何も‥‥」
リンクはシチューを食べる手を止めて答えた。
「彼があんなに笑うのは今夜が初めてだよ」
レナードは言うと少し微笑んで溜め息をついた。
「何しろ強いトラウマを受けただろうからね。彼にも精神的な施療が必要かも知れないと思ってたんだ」
リンクは改めてラルスの横顔を見た。今度はコリンとタロがトアル山羊とラネールアイベックスとどちらの角が大きいかということで言い争いをしているのを見て王子はクスクスと笑っている。
「だが子供の心は弾力性がある。あのぶんだと元気を取り戻してくれるかも知れない」
皆は十分に食べ終わると、明かりを落としてマットを床に敷いた。女子たちはイリアが来て以来気を遣ったレナードがしつらえた布のパーティションの向こう側の区画に移った。レナード自身はまだ仕事があるとのことで書斎に引っ込んだが、コリンとタロとマロは昼の労働の疲れが出たのかすぐに寝息を立て始めた。
リンクは寝床に入っても上を向いたまま目を開けていたラルスに声をかけた。
「王子、実は頼みたいことがあるんだ。聞いてくれるかい?」
ラルスはびっくりした顔で傍らに横たわったリンクの顔を見た。
「僕にですか?何でしょう?」
「実はニオイマスという魚をどうしても手に入れる必要があって。里の人たちから君がその魚を釣るのが上手だって聞いたんだ。釣りかたを教えてくれないか?」
王子はきょとんとした顔でリンクを見ていたがやがてクスクスと笑い始めた。
「ごめんなさいリンクさん。なんだか可笑しくって」
ラルスは言うとこちらに体を向けて続けた。
「確かにあの魚はすばしこくって警戒心が強いからなかなか釣れないんですけど、僕はズルしてたんですよ」
「ズル?」
リンクは尋ねた。ラルスは自分のポケットから小さな耳飾りを取り出してリンクに見せた。
「僕の仕掛けはこれです。ニオイマスは里の水底にある貴重な珊瑚を好むんです。この耳飾りはその珊瑚でできてるんですけど、もともと母のものだったのをねだって僕がもらったんですよ」
その耳飾りはよく見るとゾーラ特有の細かく美しい彫刻が施されたもので、部屋を照らす火鉢の薄明かりを受けて白く光っていた。
「これリンクさんに差し上げます。釣竿に付ければ面白いようにニオイマスが釣れますよ」
ラルスはそう言うと耳飾りをリンクの手に渡した。リンクは驚いて尋ねた。
「いいのかい?お母さんの形見の品を」
王子は首を振った。
「僕にはもう必要ありません。それにズルしてあの魚を釣ってたなんて臣下たちに知られたくありませんから」
ラルスはまた上を向くと続けた。
「リンクさん、僕は里に帰ろうと思います」
「本当に?」
リンクはラルスの横顔を見つめた。
「はい。リンクさんを見ていて自分がどうするべきか分かった気がするんです」
ラルスはそう言うと微笑んだ。
「レナード先生からリンクさんのことを聞いたんです。勇者だって最初から強いわけじゃなく、皆に支えられ助けられながら戦って成長していくんだって」
リンクは黙って聞いていた。火鉢からの明かりがラルスの端正な横顔を照らし、少年の深緑の瞳が静かに輝くのが見えた気がした。
「僕は最初から皆を従える強い王様にならなきゃと思ってました。でもそれは違うって分かったんです。僕は里の皆の子供なんだから、まずそこから始めないと」
「そうだね」
リンクは相槌を打った。ラルスはすっきりした表情で寝息を立て始めた。リンクも一日で三つの地方を巡る冒険の疲れが出てきたのか、すぐに眠りに落ちていった。
翌朝の朝食では皆が大騒ぎになってしまった。ラルスが里に帰りたがっていることを知ると、コリンはひどく気落ちした。自分の世話が至らなかったから居心地の悪い思いをさせたと早合点したらしい。イリアも、自分の状態をよそにして王子の回復が十分かどうかをしきりに心配した。
だがラルスの決心は固かった。また王子はなぜ里に帰らなければならないかを、その年齢からは考えられないほどきちんと順序立てて説明できる高い知性を持っていた。ラルスの説明を聞くと、コリンは涙ぐみながらも納得した。
だが里までの旅程が問題になった。イリアはテルマに手紙を書いて馬車で迎えに来てもらい、自分が添乗して里の近くまで送ると提案した。だがそれだとどれだけ期間がかかるか分からないのが難点だった。しかも、今回はリンクがエポナを連れてきていないので、魔物に襲撃された際に対応できない。一方ラルスは里の再建にゾーラたちが奮闘していることを聞いて一刻も早く戻りたがっていたのだ。
その時レナードが口を開いた。
「ゾーラ王の墓所の泉にはハイリア湖に至る地下水路の入り口があるんだ」
皆が口を閉ざして祭司を見た。
「十年ほど前ゾーラ王の埋葬に立ち会って祭儀を行ったとき見た。彼らはその水路を通って王の遺体を運びその水路を通って里に帰っていったんだ」
レナードの言葉を聞いてラルスが目を輝かせた。
「じゃあ僕もそこを通って帰ります。僕らは泳げば早いですから」
だが祭司は首を振った。
「実は最近の火山の振動で崖から落ちてきた岩で塞がれてしまったんだ」
レナードはリンクを見た。
「かなりの大きさの岩だ。あれを取り除けられればいいんだが」
「僕に任せてください」
リンクは立ち上がると、爆弾袋を一つ持って礼拝所を出てバーンズの店に走った。工房の扉を開けて左手の階段を上がり、ロフトベッドで寝ていたバーンズを揺り起こし、水中爆弾を売ってくれるよう頼んだ。
眠い目を擦りながらもカウンターに降りてきたバーンズが言うには、違う種類の爆弾を同じ袋に入れるのは良くないとのことだった。リンクは自分の袋に残っていた爆弾を下取りに出し、その代金で水中爆弾を三つほど買った。
礼を言って工房を出ると、今度はレナードを伴い墓所に向かった。墓所の泉の水中には、レナードが指差す東側の崖の下に茶色く丸い岩が転がっていた。リンクは服を脱いで水に入ると爆弾袋を持ち泳いで岩に近づいた。コリンやタロもやってきて興味津々で見守っている。
岩は直径二メートルほどで大きいものだったが、この地方特有の脆い砂岩のようだ。リンクは水中に顔をつけその位置をよく確認すると水中爆弾の導火線のキャップを捻って点火し岩の前に放った。
リンクが浮上して数秒すると鈍い爆発音と衝撃があった。再び水に顔をつけて見てみると岩は真っ二つに割れ、その後ろに水路の入り口が見えている。ラルスの体格なら容易に通り抜けられそうだ。
リンクが岸に上がり身体を拭いているとラルスがやってきた。墓地と泉を隔てる壁の向こうにイリア、ルダ、マロ、そしてベスも来ていて、既に別れの挨拶を済ませてきたという。
ラルスはコリンとタロとも抱擁を交わした。コリンはひどく泣きじゃくっていた。ラルスも目に涙を浮かべながら言った。
「君のことは忘れないよ。これから先もずっと友達だよ」
コリンは辛うじて頷いた。タロは唇を曲げながら涙を堪え、不器用な微笑みを浮かべてラルスの肩を叩いた。
「立派な王様になれよ」
「うん。タロもいつか遊びに来てよ」
ラルスも微笑んだ。そしてレナードとリンクの顔を見上げると言った。
「先生、リンクさん。本当にありがとうございました。ご恩は一生忘れません」
レナードは王子の肩に手を置いて旅の無事と祝福を祈った。祝祷が終わるとリンクはふと思い立ってラルスに言った。
「王子、僕は君の父君が作ったゾーラの服を持ってるんだ。それがあればずっと泳ぎ続けられる。だから君さえよければハイリア湖に着くまで護衛させてくれないか?」
それを聞いたラルスは少しきょとんとした顔をしていたが、やがてクスっと笑った。
「リンクさん、あなたの優しさは本当にありがたいです。でも‥‥」
王子は言葉を探しながら続けた。
「リンクさんはゾーラが本気を出したらどれくらい早く泳げるか知らないでしょう?」
そう言われてリンクははたと気づいた。陸上と違って水中では自分がついていっても足手まといになってしまうだけなのだ。
「それに僕はこれくらいのささやかな冒険は一人でやり遂げたいんです。民たちにも少しは成長したところを見せないと格好がつかないですから」
ラルスはそう言ってウィンクした。リンクは頷き、王子の望む通りにさせることにした。
ラルスは泉に入ると水から顔を出して手を振った。朝の太陽がようやく泉の周囲を囲む岩壁の上から差し込み始め、水面をまぶしく照らしていた。
「皆さんどうかお元気で」
レナードとリンクは手を振り返した。コリンはタロが貸してくれた手拭いで涙を拭っている。
ラルスが水中に潜った瞬間、リンクは何かに弾かれたように動いて服のまま水に飛び込んだ。
「王子!王子!」
リンクは叫びながら泳いだ。ラルスは再び浮上してきて水から顔を出した。
「ひとつ言い忘れていたことがあったんだ」
リンクは立ち泳ぎしながら言った。
「君の母さんからの伝言だ。君のことを永遠に愛しているって」
ラルスはそれを聞くと少し黙ったあと微笑んで答えた。
「僕、知ってました。でもそれなのに僕、母が生きてたときは不満ばっかりだったんです」
王子は目を伏せると続けた。
「どうしてもっと甘えさせてくれなかったんだろうって。母が死んだあとも、どうしてずっとそばに置いてくれなかったんだろうって、そればかり思ってました。でもリンクさんと会ってからわかりました。母は一番僕のことを考えていてくれてたんですね」
「君の母さんは偉大な女性だった。世界一偉大な女王だよ」
リンクは言った。ラルスは頷いた。二人は水中で抱擁を交わした。やがて王子はリンクのもとを離れると手を振って水路の入り口に向かっていった。
リンクは水中に潜って王子の後ろ姿を見送った。地下水路に入ったあと、王子の銀灰色の身体が一瞬きらりと光った。だがそれはすぐ見えなくなった。
リンクはそれでも息の続く限り水の中に留まり、ラルスの行った先を見守っていた。