黄昏の姫と緑の勇者   作:nocomimi

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獣人の住処

王子の旅立ちを見送ったあと、墓地から礼拝所に戻る道すがらリンクは自分もじきに出発することを皆に告げた。コリン、タロとベスはやはり残念そうな顔をした。だがタロが口を開くと他の二人に言った。

 

「俺たちも出来ることをやろうぜ。いまハイラルは大変なんだ。まずこの村をもとに戻そう」

 

村の復興と住民の再定住は進んではいたがまだ以前の三割ほどだとレナードは言った。本来なら城下町とをつなぐ馬車の高速便がオルディン大橋南の平原を経由してカカリコ村にやってきていたという。その定期便があったときは鉱山も麓の諸施設も繁忙を極めていたのだ。

 

礼拝所に戻り、昨晩から竈の上にかけて乾かしておいた自分の服に着替えると、リンクは外で皆に別れの挨拶をした。次にリンクはマロとともに商店に寄った。ゴロン長老のドン・エビーゾとドン・レゲーヌは既に出勤してきており店の扉の前で座って待っていた。リンクが声をかけると二人とも心から驚いた声を上げて立ち上がった。エビーゾが手を差し出してきた。

 

「いつぞやのお若い方ですな。お元気そうで何よりじゃ」

 

「長老がたもお元気そうで。鉱山のほうはいかがですか?」

 

リンクは二長老の手を握りながら言った。

 

「まだまだ暇でのう。わしら年寄りなんぞは出る幕もないわい」

 

エビーゾが言った。

 

「じゃからこうしてこの店の手伝いをするのが日課での。ほれ、ボケ防止にうってつけじゃからな」

 

レゲーヌも言うと高い声で笑った。

 

「エビーゾ、募金箱を持ってきてくれないか。リンクが協力してくれるって言うんだ」

 

マロが店の扉を開けながら声をかけると、エビーゾはすぐにマロに従って店に入った。リンクも店に入ると、マロがカウンターの裏で開店準備をしている間に長老が一抱えもありそうな木の箱を持ってきた。

 

リンクは箱にいくばくかのルピーを入れると、マロに頼んで矢束を二つほど出してもらって代金を支払った。

 

「ありがとうございます。募金目標額達成まであと千七百七十五ルピー!」

 

エビーゾがそう叫ぶと頭を下げた。リンクは恐縮するとともに、まだまだ多額の資金が必要だということにやや心配の念を持った。

 

店を出てレゲーヌにも挨拶をすると、リンクは早速礼拝所前の泉のほとりの茂みに身を寄せた。二人はゾーラの里近くの川下り小屋上空に新たにできたポータルに飛んでそこから獣人出没地点の周辺でニオイマス釣りをすることに相談をまとめた。リンクが服を全て脱ぐとミドナが狼の姿に変身させ、ワープ魔法を行った。たちまち周囲が暗くなり、数秒後にはリズの小屋の前の川岸に降りたっていた。

 

リンクは上流に向かって走り、橋状の自然岩を渡って右の岸に移ると、里の滝の下に向かった。

 

滝の下に出ると数人のゾーラ兵がいた。こちらの姿を認めたらしいが騒ぎにはなっていない。

 

「リンク、対岸に草原があっただろう。あそこに登れ。人間に戻すから」

 

ミドナが姿を消したまま言った。リンクは頷くと水に飛び込んで川を横切った。ちょうど向こう岸の近くに大きな岩と小さな岩が水面から突き出ている。その岩の脇を通り抜けると、這い登れそうな岸が見えた。リンクは以前ここが影の領域だったときに蟲探しに来たことを思い出した。

 

岸に這い登ると、念のため対岸のゾーラ兵たちに見られないよう物陰に隠れてミドナに人間の姿に戻してもらった。服を着て装備を身につけると、釣竿を取り出して糸から釣り針を取り外し、かわりにラルス王子にもらった耳飾りをつけた。

 

「王子は無事に里にたどり着けるかな」

 

リンクは釣糸を目の前の水面に垂れると地面に腰を掛け、ミドナに言った。

 

「リンク、あの子はたぶん大丈夫だ。賢い子だからな」

 

ミドナは姿を表すと言った。

 

「でも水路に魔物が潜んでいたらと思うと心配だよ」

 

リンクはそれでも呟いた。

 

「ミドナ、君のワープで一緒に連れて来るとかは出来なかったのかい?」

 

それを聞くとミドナは吹き出した。

 

「アホか。光の属性の生き物をポータルでワープさせたらそれこそどうなるかわかったもんじゃないぞ。以前の私みたいな瀕死状態になるか、悪くすれば身体がバラバラだ」

 

それを聞いてリンクは俯いた。

 

「リンク、魔物というものは理由がなければ発生しないんだぞ。誰かが意図的に連れてくるとか、魔力源が置かれていたりしなければあの水路に湧いて出ることはないさ」

 

ミドナはそう言うと続けた。

 

「それに王子が折角自分の足で立つ決心をしたんだ。信頼してやれよ」

 

ミドナが言うのを聞いてリンクは渋々頷いた。それはまさに王子自身が言ったとおりだった。自ら危険を通ることがなければ成長はないのだ。

 

水面を覗き込むと、ブルーギルやラネールマスが何匹も泳ぎ回っている。皆栄養がいいのか、丸々太っていた。

 

「おい、あの赤い奴がいるぞ!」

 

ミドナが言った。見ると、やや深いところに鮮やかな赤い色が目立つ大きな魚影がある。

 

「リンク、もっと糸を下げろ。これじゃあ食い付かないじゃないか」

 

ミドナが急かすのでリンクは笑った。

 

「ミドナ、釣りっていうのはそうやるもんじゃないよ」

 

「なに?」

 

「餌が勝手に動いて自分の目の前にやってきたら魚だって怪しむだろ?釣りは忍耐が肝心なのさ」

 

「ふん、そうか」

 

ミドナはやや不服そうだったがそれ以上何も言わなかった。釣りについてはリンクに一日の長があることくらいは理解しているようだ。

 

リンクは待った。珊瑚を好む魚は他にいないこともないから、別の雑魚を引き当ててしまう可能性もある。だがその時はやり直せばいい。それにラルス王子が釣れると言ったのだから間違いはないと確信していた。

 

時間が過ぎていく。滝壺から漂ってくる爽やかな霧が高く昇った午前の太陽に照らされキラキラと光を放っている。ミドナは腕を組んでリンクの周囲を浮遊していた。時折何か言いたそうしているが我慢しているようだ。

 

その時、釣竿の先にピクッと感触があった。リンクは起き直って竿を持ち直した。次の瞬間力強い引きが来て、釣竿が大きくたわんだ。

 

「来たぞ!」

 

ミドナが叫んで近くに来た。

 

「わかってる」

 

リンクは答えると竿を引き上げた。だが強い。竿をへし折らんばかりの強烈な引きが何度も訪れる。リンクは足を踏ん張って竿を引いていたが、やがて糸を自分の手に巻き付けると竿を手放して強引に魚を手繰り寄せた。

 

周期的に襲ってくる引きで糸が手に激しく食い込む。籠手をしていなかったら怪我をしたかも知れない。ようやく魚が水面から姿を表した。ニオイマスだ。しかも大きい。リンクとミドナは歓声を上げた。

 

リンクは暴れる獲物をやや後ろの草原まで持っていって地面に置き、その口から針を外した。ミドナがリンクの服を取り去って狼姿に変える。リンクは狼の鼻をニオイマスに近づけてその匂いを嗅いだ。

 

思わず辟易してリンクは顔を背けた。人間にこんな名前をつけられるくらいだから、相当な匂いなのだ。この匂いは二度と忘れないのは確実と思われた。

 

「リンク、覚えたか?」

 

ミドナが尋ねた。リンクが頷くとミドナは地面に置かれたリンクの服や装備を全て回収した。リンクは暴れる魚を鼻先でつついて水の中に押し戻してやると、ミドナの顔を見て吠えた。

 

「よし、行くぞ!」

 

ミドナの掛け声に応えるようにリンクは水に飛び込んだ。川を渡ると、対岸に這い登り洞窟に入る。真っ直ぐ奥へと走りながら鼻を利かせると、早くもニオイマスの匂いが感じられる。そのまま前進しているとしばらくして出口の光が見えてきた。

 

出口から吹き込む冷たい風を感じながら向こう側に出た。前回と同じように、里と対照的などんよりとした曇り空だ。リンクは道をそのまま進んでその終端から下に飛び降りた。

 

再び鼻を利かせる。匂いの痕跡は思いの外鮮明で、湖のほとりまで歩いても途切れることはなかった。湖面の左側から水面上の氷の上まで続いているようだ。獣人は氷の上を伝って向こう岸に渡ったものと思われた。ここまでの匂いの鮮明さからすると、獣人はリンクたちが一旦この地方を離れた間にまた魚を取りに来たのかも知れない。

 

「どうだ、たどれるか?」

 

ミドナが顔を見せて尋ねた。リンクは自信をもって頷くと軽く吠えた。匂いに導かれるように岸から湖面上の氷に飛び移る。そこから飛び石を渡るようにして氷を渡って向こう岸の雪の平原に到達すると、リンクは改めて鼻を利かせた。

 

匂いは平原を奥へ向かっている。リンクは速度を上げて平原を走り始めた。前方が次第に傾斜になってくると、雪雲の下に入ったのか雪片が風に乗って舞い降りてくる。予想通り幽霊狼たちが積もった雪のそこここから這い出してきた。リンクは化け物どもを視界の隅に捉えながらも走り続けた。

 

幽霊狼どもがリンクを追いかけて並走してくる。一匹が吠え声を上げるとともに襲いかかってきた。リンクはその瞬間横っ飛びして攻撃をかわすと軽く顎の一撃を食らわせ、またダッシュした。

 

一匹は雪面に転がったあと逃げ出したが、次々と他の幽霊狼どもが追いすがってくる。リンクは右に左に方向を変えて走り、敵の攻撃をかわした。さらに速度を上げて幽霊狼たちを撒くと、斜面が次第に急勾配になり岩肌が剥き出しになった崖が近づいてくる。だが、同時に降雪も激しくなってきていた。山肌から吹き下ろす風に乗って顔に貼り付いてくる雪を振り落としながらリンクは進んだ。

 

崖のふもとまで来るとリンクは匂いを見失わないよう速度を緩め立ち止った。匂いはやはりここを通っている。間違いない。だが顔を上げると、前方にも新たな幽霊狼たちが出てきている。リンクは唸りを上げると身を低くして戦闘態勢をとった。

 

「リンク、私の結界を使え。奴らに邪魔されて匂いを見失ったらたまらんからな」

 

リンクは頷いた。ミドナがその背中に乗った。幽霊狼が三匹ほどリンクに走り寄る。一匹が高く跳躍して襲いかかってきたのを、ジャンプし顎の一撃を食らわせて返り討ちにすると、リンクはミドナに合図した。たちまち結界が周囲に広がる。

 

無傷な幽霊狼ども二匹が嘲るようにリンクの周囲を走り回る。リンクはタイミングを待ちながら、わずかに相手方のほうに間合いを詰めた。一匹が接近してくる。その身体が赤い稲妻に包まれる。もう一匹もその後ろから走り寄ってきて結界に足を踏み入れた。最初の一匹が跳躍して襲いかかってきた瞬間に力を解放すると、リンクは魔法の力で空中を飛び二匹の幽霊狼に致命傷を与えた。

 

結界攻撃を食らった幽霊狼どもが悲鳴を上げて倒れると、先にリンクに噛まれた奴は尻尾を巻いて逃げ出した。リンクは再び鼻を利かせて匂いを追尾し始めた。

 

岩肌を剥き出した斜面が目の前まで来た。吹雪はいよいよ激しく吹き付けてきていて、長い間目を開いていられないほどだ。左手には丸い岩が顔を出している。前回はこの地点からもう少し進んだところで断念したのだ。

 

リンクは足を踏みしめて前進すると目を細めながら顔を上げた。剥き出しになった岩の崖の合間に雪の急斜面が見える。だが、同時に鼻を利かせると匂いはそちらに真っ直ぐ向かってはいない。リンクは目より鼻を信頼することにした。

 

鼻を頼りに雪中を再び前進する。轟々たる吹雪のせいでもはや視界はゼロに近い。すると、匂いの痕跡が急に右側にカーブしはじめた。目を上げると、先ほど見上げた岩崖の隙間に脇からアプローチするなだらかな雪の傾斜があった。獣人がたどったコースだ。

 

リンクは心を強くすると斜面を登り始めた。前方の雪面にまたぞろ幽霊狼たちが這い出してくる。リンクは一声吠えると速度を上げた。登坂していくと右手から幽霊狼が一匹襲ってきた。身体を一回転させて弾き返すと、深追いはせず再び坂を登り始めた。他の幽霊狼が追ってくるなか、リンクは限界まで速度を上げた。

 

斜面はやがて両側を岩に挟まれた小道になった。匂いは続いている。リンクは息切れを感じながらも小道を走り先を急いだ。不思議なことに、視界を覆い尽くすほどの重たい吹雪が弱まってきている気がした。幽霊狼どもも撒いたようだ。

 

小道を抜けると再び雪原に出た。左右にゴロゴロとした岩が雪から顔を出している。再び鼻を利かせながら前進すると、やがて前方にある巨大な岩壁に行き当たった。匂いは岩壁を登っていっている。だが壁は高さ二十メートル以上はあり、リンクが跳躍しても越えられそうにない。

 

しかし、左右を見回すと、雪の小道がそれぞれ岸壁沿いに走っており、右手の道は登り勾配になっている。降雪はさきほどとはうって変わって穏やかになっていて、道の行く先を見通すことができた。リンクはその道に入ると勾配を駆け登った。道は途中で鋭く左に分岐している。方向を変えて分岐にはいると、思った通り道は獣人が登ったと思われる崖の方に戻っていっていることがわかった。

 

分岐路は次第に高度を上げ、やがて人の身長ほどもある段差が粗っぽく刻み込まれた岩壁に出た。またあの匂いも戻ってきている。リンクは段差に飛びつくと、前足を引っ掻けてどうにか這い登った。その上にあったもうひとつの段差をよじ登ると、リンクは新たな雪道に出た。鼻を利かせると、はっきりと匂いの痕跡がした。獣人の通り道に戻ったのだ。

 

匂いの跡を辿って雪道を右手に進んだ。降雪はもはや疎らだ。雪雲を抜けたのだ。雪道はしばらく行くとまた鋭く左に分岐して登っていく。匂いも分岐のほうへと続いている。リンクがそれを辿って分岐路を進んでいくと、やがて雪は完全に止み、空に太陽の光が見えた。

 

「やっと危険地帯を抜けたな」

 

ミドナが言った。

 

「いい子だワンちゃん。やはりお前は役に立つな」

 

ミドナがふざけて言うのをジロリと睨むと、リンクは先を急いで雪道を走った。すると、また匂いが山側の崖に登っていってしまっている箇所に出た。だがリンクは慌てなかった。同じようなやり方で辿れるはずだ。

 

左手に目を向けると針葉樹の高木が散在する雪原が広がっている。だが山の上方まで登れそうな箇所は見当たらない。リンクは右手と見当をつけて道を進んだ。すると道はほどなく左手に分岐した。分岐路を辿るとやはり途中で匂いの跡と再び行き当たった。正解だったのだ。

 

路は目の前の崖に沿って丸く右にカーブし、それからゆるやかな上り坂になっていた。まだ午前中なのに、太陽からの光線が雪雲に反射しているせいなのか周囲の空がまるで朝焼けのような色調だ。坂を登りきると、そこは高さ五メートルほどの段差に行き当たっていた。匂いを確かめると、確かに獣人はここを通っているようだ。

 

段差は岩肌が見えないほど分厚い雪に包まれている。雪を掻き分ければ登り口が見つかるかもしれない。リンクは上を見上げると、思いきって目の前の壁に体当たりしてみた。

 

たちまち段差の上から雪が小さな雪崩となって落ちてきた。飲み込まれそうになったリンクはあわてて後ろに飛び退いた。

 

だが、雪が崩れたおかげで段差と見えた地形には登り口があることがわかった。崩れた雪がなだらかな傾斜となって上に続いていたからだ。リンクが雪を登り始めると、頭上で何かが羽ばたく音がした。目を上げると、蝙蝠が二羽上空を飛び回っている。よく見ると、その身体の周囲は強い冷気を思わせる白い霧で覆われていた。

 

異様な雰囲気を感じたリンクは唸り声をあげた。蝙蝠たちはこちらに気づいたのか高度を低くしてきた。リンクは立ち止まると、こちらに目を付けたように低空飛行を始めた一匹に狙いを定め、跳躍して一気に噛み殺した。

 

もう一匹は僚友があえなく死んだのを見て警戒したのか高度を下げてこない。リンクは敵から目を離さないまま斜面を駆け登り、また鼻を利かせた。右だ。リンクはその場を離れ、匂いの痕跡を追って雪の峠道を走った。

 

しばらく進んだところでリンクは聞いたことのある音色を耳にして立ち止まった。風の音が狼の遠吠えに似たメロディを奏でている。左右を見回すと、右手前方に崖側に大きく突き出た張り出しがあり、その上に石碑があった。石碑の中央に穴が空いており、そこを通る風がまるで狼の遠吠えのような音を立てるのだ。

 

リンクは覚えずしてその石碑に走り寄った。目を閉じてその音に耳を傾けると、師の顔が思い浮かんだ。最初に出会ったときは魔物か死神かと疑ったあの骸骨の顔も、今となっては自分を最もよく理解してくれている慈父のように思えてきた。

 

リンクはそのメロディを真似て遠吠えをした。眼下には今までに踏破してきた広大な山の斜面と、そこにかかる雪雲が形づくる雲海が見える。ひとしきり吠えると、リンクの中にはまた師に会えるという予感が湧いてきた。

 

リンクが吠えている間、ミドナは黙って待っていた。リンクは吠え終わると元の道に戻った。鼻を利かせると、自分が雪崩を起こした斜面からずっと続いていた匂いは山側にある崖の麓に向かっている。匂いを辿りながら走っていると、いなくなったと思った幽霊狼がまた出てきた。リンクは襲いかかってきた奴に逆に噛みついて引き倒すと、他の奴らが様子をうかがっているうちに匂いを追って走った。それを追跡していくと、やがて匂いは吸い込まれるように崖下の雪の中に消えていた。

 

頭上には蝙蝠が一匹飛んでいる。その身体が白い霧に包まれている。リンクはふとアッシュの話を思い出した。先ほど同じような奴に行きあった際は何も考えず攻撃したが、もしかするとあの蝙蝠が雪山の魔物なのだろうか。リンクは用心深くその蝙蝠に目を配りながらも匂いが消えた先を探して周囲の雪を前足で掘った。

 

すると地面に積もった雪は思いの外簡単に崩れた。さらに掘っていくと雪が落ちて穴がぽっかりと空いた。思い切って穴に身体を突っ込み掘り進めていくと、やがてリンクは自分が薄暗い空間に顔を出したことに気づいた。崖の中には洞窟があったのだ。

 

リンクは雪の中から這い出すと、洞窟の中を見回してみた。前方左右の壁は白く凍りついているが、そのほかの部分は自然岩を削りだして作ったと見える岩壁が前方に続き、少し行くと左にカーブしている。カーブまで進むと、その先は高さ五メートルほどの梯子になっていた。

 

リンクが梯子の足元まで行って軽く吠えると、ミドナはその意図を察してリンクを人間の姿に戻した。

 

「寒っ」

 

リンクは震えながらミドナが出してくれた服を着て装備を身に付けた。身支度が済んだところで一休みとばかりに地面に腰かけようとしたが、なにぶん寒い。吐く息が真っ白だ。リンクは休憩はやめにして目の前の梯子を登り始めた。

 

「まずは順調かな?たぶんここから先は吹雪はなさそうだよ」

 

リンクは言った。

 

「だが防寒着を持ってこなかったのは失敗だったかもな。この先もできるだけ狼でいたほうがいいぞ」

 

ミドナが言った。

 

「確かに寒いけど外は晴れだし、身体を動かしていたら暖まるさ」

 

リンクが答える。

 

「やれやれ気楽な奴だな。そりゃ凍死しそうになってもワープで脱出はできるが、また一から登山のやり直しになると面倒だぞ」

 

二人は梯子の上に出た。通路は奥に続いており、数段の段差を経て突き当たり、その右手奥の壁は上までびっしりと蔦が生えている。また、粗い作りの木箱がそこいら中に放置され、さらには頭蓋骨までがいくつか転がっていた。

 

「おい、これのどこが王室の避暑地に至る道なんだ?」

 

ミドナが言った。

 

「確かに王族が通る道がこんな雑なわけはないよね」

 

リンクも応じた。通路の作りはまるで軍事トンネルのように素っ気ない。

 

薄暗い中を歩いていると頭上から羽音が聞こえた。見ると二匹ほど蝙蝠が飛んでいる。リンクはミドナに頼んでクローショットを出してもらうと右手に嵌めた。慎重に前進して蝙蝠の影に狙いをつけると、撃った。飛び出した鉤爪に羽を引き裂かれた蝙蝠が地面にポトリと落ちる。もう一匹も同じように撃ち落したあと、バタバタともがくそいつの身体を見るとやはり白い霧で包まれている。リンクはそいつらを足で踏みつけて大人しくさせると、前進を再開した。

 

念のためクローショットを嵌めたまま段差を乗り越え、突き当たりに達すると上を見上げた。高さ十メートルほどの壁の先に続く通路の天井が僅かに見えた。壁には梯子は見当たらなかったが、びっしりと生えた蔦を登っていけば、その上に続いているであろう通路に到達できそうだ。

 

だがその壁の上の天井をよく観察していると、蝙蝠らしきものが止まっているのが見えた。これでは蔦を登っている間に襲撃を受けるかもしれない。

 

リンクは一計を案じた。クローショットで目の前の壁の上の通路の天井に生えている蔦に狙いをつけて撃った。撃ち出された鉤爪が目標地点に引っ掛かり、リンクの身体はたちまち引き上げられた。リンクが素早く鉤爪を開いて通路の床に飛び降りると、蝙蝠は案の定天井から離れてリンクを付け狙い始めた。リンクが問答無用で蝙蝠を撃つと、そいつはキイッと悲鳴を上げて落ちていった。

 

リンクは向き直って前進した。通路はすぐに扉に行き当たっていた。馴染みのある、転がすタイプの円い扉だ。

 

だがそれに手を掛けようとした瞬間リンクは気づいた。異常なほどの大きさの手形がついている。形状はほぼ人間のものだが、縦横三倍くらいで指が恐ろしく太い。獣人だろうか。

 

「どうやら規格外のヤバい奴に会うことになりそうだな」

 

ミドナが言った。

 

「お姫様は規格外の珍しい巨大動物はお嫌いかい?」

 

リンクは扉に手を掛けながらからかった。

 

「バカ。この手形を見てふざけてる場合か。それにいざ戦うとなったら苦労するのはお前なんだぞ」

 

そう言われてリンクは舌をだした。扉を押し転がして向こうに出ると、そこは雪に包まれた広大な尾根だった。周囲を見渡すと想像もしなかったような絶景だ。澄み渡った空に高く登った太陽に照らされて、途方もなく背の高い周囲の山岳群が銀色に光輝いている。だが高山特有の空気の薄さゆえか、空はほとんど黒みがかったほどの群青色だ。

 

だが美しい風景に水を差す者たちがいた。白蝙蝠だ。十匹近くの群れが五十メートルほど先の尾根の中ほどの上空にたむろしている。リンクは再びクローショットをつけると前進していった。

 

距離が二十メートルほどに縮んだところで、相手方もこちらに気づいたようだ。高度を下げて近づいてきた一匹にクローショットを向けて撃ち、叩き落とした。リンクは構えたまま前進すると矢継ぎ早にクローショットを撃って蝙蝠どもを屠った。

 

だが四匹ほど倒したところで上空から不気味な音が聞こえてきたかと思うと、リンクの周囲百メートルほどを包囲するように魔法結界の柱が次々と落下してきた。

 

上空を見ると、いつのまにか空中にできた黒い渦の中心からおぞましい形をした黒い塊が落ちてくる。

 

一体。二体。三体。結界の内側にドサリと落ちると、そいつらは身体を起こした。影の使者たちだ。

 

リンクは突如白い霧をまとった蝙蝠たちと三体の巨大黒鬼たちとのただ中で結界に閉じ込められたことに気づいた。リンクはクローショットを腰に引っ掛けると盾を背中から下ろし剣を抜いた。

 

三匹の影の使者たちのうち二匹がこちらに走り寄ってきた。だが今両方倒したら無為に復活させてしまうだけだ。

 

二匹の黒鬼どもの周囲には白い霧をまとった蝙蝠たちがいる。リンクに狙いをつけたのか、一旦ホバリングすると勢いをつけて飛び掛かってきた。

 

リンクは盾を上げて蝙蝠の攻撃を弾き返した。だが二匹の黒鬼のうち一匹がずいと前に出てきて攻撃態勢をとった。その刹那、蝙蝠の一斉攻撃に間隙ができたのをとらえてリンクは前転して黒鬼の爪をかわすと、二匹の先発の影の使者たちの背後にいたもう一匹の鬼に向けて走った。

 

雪原に足をとられる。だがそれは敵も同様のようだ。二匹の鬼どもがリンクの意図に気づいて振り返る。だがそのときには、リンクはもう一匹の鬼に向けて真っ直ぐ走っていった。

 

そいつがリンクを迎え撃とうと手を振り上げた瞬間、リンクはダッシュして距離を詰め、盾を上げた。攻撃が来るが早いが強烈な盾アタックを食らわせ、よろめいたところで突きを四連続で喰らわせた。崩れ落ちる鬼の身体に足をかけて剣を引き抜くと素早く振り返った。先発の二匹が背後に迫ってきている。どうやら蝙蝠どもはリンクの位置を見失ったのか追ってこない。リンクはあえて二匹に向けて前進し間合いを詰めると、盾を下げてその攻撃を誘った。

 

組みやすしと見たのか、二匹が同時に腕を振り上げる。リンクはやにわに裂帛の気合いを発して回転斬りを放った。聖剣の刃が黒鬼どもの腹を深く抉る。臓物が飛び出た鬼どもは雪の上に倒れて黒い血をぶち撒いた。

 

黒鬼どもの死骸が崩壊し、上空の黒い渦に吸い込まれていく。リンクは血払いして剣を納めると盾を背負った。

 

蝙蝠どもはまだリンクの位置を捉えていない。狼に戻って匂いを辿り直そうかと思案していると、リンクは前方に見えた登り坂の上に巨大な動物の後ろ姿があるのに気づいた。

 

岩を思わせるような筋骨たくましい巨大な背中が白い毛に覆われている。また、その臀部にはふさふさとした尻尾がついていた。

 

獣人だ。

 

獣人は坂の上の高木の脇でこちらに背を向けたまま座って微動だにしない。片手にはこれまたひときわ巨大なニオイマスを提げていた。魚が時折ピクピク動いているところを見ると、やはりリンクが推理したとおりつい先刻里に降りて魚取りをしていたのだろう。

 

「奴さんだ。気を付けろよ」

 

ミドナが低い声で囁いた。リンクは少しの間獣人の後ろ姿を見上げていたが、やがてミドナに言った。

 

「ミドナ、僕が話してみるよ」

 

「話す?」

 

ミドナは驚いたのか高い声を上げた。

 

「おいリンク、冗談もたいがいにしろ。相手は獣人だぞ?」

 

「わかってる。だけどどうしてだか悪い気配を全く感じないんだ」

 

「お前の直感を信じろと言うのか?」

 

ミドナが言った。リンクは少し考えたあと答えた。

 

「ほら、あの帽子を見てくれ」

 

リンクは獣人の後頭部を指差した。そこには、帽子のような形で馬の鞍がちょこんと載せられていた。

 

「本物の野獣なら自分で帽子を被ったりなんかはしないよ。それにあの人は‥‥」

 

リンクは言ったあと言葉を探した。

 

「誰かのためにあの魚を取ってきたって気がする。野獣なら取った魚をあんな風に手つかずで大事に運ぶとは思えないんだ」

 

ミドナはふうと溜め息をつくと言った。

 

「まあお前の言っていることも筋は通っているっちゃあ通ってるな。だが相手は未知の生物なんだぞ。何が起こるか分からないと思ったほうがいい」

 

「大丈夫。それに僕は相手が野生動物だったとしてもちゃんと扱う自信はあるよ」

 

リンクはそう答えると斜面を登っていった。獣人の後ろ姿は最初に見た位置から動いていない。坂を登り切って獣人の隣に立つとリンクは声をかけた。

 

獣人は首を回してこちらを向き、黒い大きな目でリンクを見た。よく見ると獣人の口からはいかつい牙が飛び出しており、唇の左右の端からはひと際長い犬歯が突き出ている。だがリンクは自分の直感を信じ、挨拶して名乗った。

 

「んんんん?」

 

獣人は物凄い唸り声を上げた。だが、威嚇のニュアンスではないとリンクにはわかった。獣人は頭から足の先までリンクを眺めまわすと口を開いた。

 

「おんやま、ニンゲンの子供でねか!珍しいのお」

 

獣人はリンクに向き直るとその顔を覗き込むように背をかがめた。

 

「おめはこんな山奥まで一人で来たのけ?」

 

「そうです」

 

やはり会話が通じた。リンクはホッとして答えた。

 

「おめは歳は?親はどこさいる?」

 

問われてリンクは改めて自己紹介した。獣人は納得したのか相槌を打って頷いたがそれでも興味津々の様子で質問を続けた。

 

「なしてこんな田舎さ来たのけ?流行りの自分探しちう奴かいの?」

 

獣人は言った。

 

「いいえ、違います。実は鏡を探してるんです」

 

リンクは答えた。

 

「鏡?」

 

「そうです。とても古い大きな鏡の破片なんです。多分これくらいの大きさなんですが」

 

リンクは陰りの鏡に残っていた破片を思い浮かべながら手を広げてその大きさを示した。

 

「鏡といやオラこないだ何かの欠片を拾っただ。キラキラ光っとったからあれかもしれんのう」

 

獣人が言う。リンクがその在処を聞こうとすると獣人が先に申し出てくれた。

 

「んならおめ、オラん家に来て見てみい。美味い魚もとれたしのう。飯くらい食わしちゃる」

 

「ありがとうございます、おじさん。おじさんは何ていう名前なんですか?」

 

「オラはドサンコフちうんじゃ。ずっと前からこの辺りに住んどる」

 

獣人は答えると、やにわに立ち上がってその極太の腕で傍らにあった高木を小突いた。物凄い振動がして、高木から巨大な葉が一枚、坂の向こう側の斜面の上に落ちた。葉の幅は一メートル、長さは二メートルほどある。長い間尾根の冷たい風に晒されていたせいか、まるで板のように硬く凍り付いていた。

 

「オラの家は滑って行くんじゃ。真似してついて来ぉい」

 

ドサンコフはリンクの方を見て言った。何をするのかと思ったら、獣人は落ちてきた葉の上に乗ると雪の斜面を滑り始めた。器用なもので、片手に大きなニオイマスを提げたまま、歓声を上げながら斜面を滑り降りていく。

 

斜面は百メートルほど行くと数メートルの幅のある間隙があった。だが獣人はそれも器用に飛び越えると、その先に姿を消してしまった。

 

「やれやれ、田舎のことは田舎者に聞け、ということか」

 

ミドナが姿を現して呟いた。

 

「僕の言ったとおりだったろ?」

 

リンクは得意げな顔をしてミドナを見やった。

 

「しかも鏡の有力情報も手に入ったよ。あとはマス料理をご馳走になりながらそれを確かめればいいんだろ?」

 

「わかったわかった。今回は完全にお前の勝ちだリンク」

 

ミドナは肩をすくめた。

 

「だが滑ってついていくって言ってもどうやってやるつもりなんだ?」

 

そう言われてリンクは傍らの高木を見上げた。初めてだが見よう見まねでやるしかない。まず高木に走り寄って体当たりをしてみた。何度か試みると、獣人が乗っていったのと同じような葉が落ちてきた。こちらも硬く凍っている。葉を獣人が去った斜面に置くと、リンクはその上に乗ってみた。

 

たちまちリンクは斜面を滑り降り始めた。冷たい風が頬を撫でる。みるみるスピードが上がってくる。リンクはそのスリルに思わず声を上げた。

 

「おいリンク!落ちるなよ!」

 

ミドナが傍らを飛行しながら言った。すぐ目の前に獣人が飛び越えていった間隙がある。リンクは獣人がやっていたのを見た記憶を頼りに、膝をかがめると軽くジャンプした。気づくとリンクは軽々と間隙を飛び越えてその先の斜面に着地していた。

 

「ミドナ、これ楽しいよ!」

 

リンクは傍らのミドナに言った。下り斜面の左右には雪化粧した巨大な自然岩がいくつも並んでいる。岩たちの間を挟まれた斜面は左右にくねりながら下っていた。リンクは膝を使って体重移動しながら斜面を滑り降りた。

 

「調子に乗るなよ。ちょっとでもコースを外れたらお陀仏だぞ!」

 

ミドナの警告もよそに、リンクは歓声を上げながら滑っていった。道はいつしか積み重ねられた雪に挟まれ狭くなっていった。もしかしたら獣人が定期的に雪をかいているのかも知れない。やがて眼下に小さな吊り橋が見え始めた。だが目を凝らすと、橋の上空に蝙蝠たちが群れをなしている。

 

リンクは蝙蝠どもに目を付けられる前に突破することを企図して、橋目掛けて自分の方向を調整し身体を傾けて一気に速度を上げた。リンクが橋に近づいていくと、橋の床板が欠けてぽっかり穴が開いている箇所があるのが見えた。橋に突っ込んでいくと、膝を使って板をジャンプさせて穴を乗り越え、リンクはあっという間そこを走り抜けた。

 

その先は両側を岩壁に挟まれた広い斜面だった。だが二百メートルほど下ると唐突に斜面は切れており、リンクは空中に飛び出すことになった。

 

道を間違えたか?リンクは一瞬パニックになりそうになった。目の下には雪を被った針葉樹が立ち並んでいる。リンクの乗った葉は針葉樹の上に積もった雪の上をバウンドすると、無事に地面に降り立った。勢いが減じないまま滑っていくと、リンクはすぐに針葉樹の林を抜けて開けた斜面に出た。ところどころに尖った氷の柱が立っている。数百メートル滑り降りると再び左右の岸壁が迫ってきた。目を上げると前方に短いトンネルがあり、その先は道が左に大きくカーブしている。

 

トンネルを抜けてカーブに入ると、左手のほうは見当もつかないほどの深さの奈落だ。リンクはミドナの警告を思い出して、やや後ろに体重を戻して速度を抑え気味にしながらそこを通り抜けた。だが目を上げると、道は前方で雪の積もった岩の足場を挟んだ広い間隙に行き当たっている。二度ジャンプしなければならず、速度が足りないとかえって飛び越えられないと判断したリンクは体重を前に移動して急加速した。

 

間隙の寸前まで滑ると思い切って膝を使いジャンプする。どうにか間隙の中途の足場の上で葉をバウンドさせるとリンクはもう一度ジャンプして向こう岸に降り立った。

 

すると前方遠くに巨大な建造物が見えた。左手にある奈落に気を付けながら滑り降りつつ、リンクは建物に目をやった。立派な大屋根の上に尖塔が立っている石造りの館だ。外見から見れば王家の別荘と言われてもおかしくはない。

 

自分が滑っている雪道は左右にくねりながらも最終的にはその館に繋がっていることが見てとれたので、リンクは速度を落とした。さらに滑り降りると左手の崖の手間に金属の柵がかけられていて、人の生活の気配が感じられた。左手に現れた巨大な岩の脇を通り抜けると、もう館は目の前だ。

 

館の前には先ほどのみすぼらしい吊り橋と違う立派な欄干のかかった橋がしつらえられていた。リンクが道なりに滑り降りて橋に入ると、橋の中途から雪は消えていた。乗っていた葉は橋の石畳に擦れて摩擦音を立て始めた。リンクは葉から飛び降りた。

 

目を上げると、橋の終端は幅五十メートルほどの石敷きの広場になっており、そこから館の扉に至る登り階段が伸びている。周辺は綺麗に雪が取り除けられていた。獣人の仕事だろうか。だが館の建物には窓らしい窓がないのがやや奇異な印象を与えた。

 

「あいつ獣人のくせに大層な家に住んでるんだな」

 

ミドナはリンクの傍らで呟いた。

 

「僕らにとっても助かったじゃないか。中で寒さを凌げるからね」

 

リンクが答える。広場を横切り、階段を登ると立派な両開きの扉を開けた。内部に入ると、足元の床から赤い絨毯が広がり、左右にはいかつい鉄製の鎧が飾ってある。そこは古びていながらも念入りな装飾が施された柱廊だった。やはり王家の別荘地だったのか、と納得したリンクだったが、歩を進め玄関の間に入ると、建物の酷い荒廃ぶりが目に入ってきた。

 

縦横四十メートルほどの広大な玄関の間の中央部分は、絨毯が剥がれ床板もところどころ欠落しており、そこは硬い氷が剥き出しになっている。また、天井に大穴が開いているうえ、左右にしつらえられた階段もあちこちが崩壊し、床にはその残骸が乱雑に散らばっている。

 

極めつけは、玄関の間の中空にいつか見た幽霊のカンテラが漂っていた。こんな様子では幽霊屋敷と呼ばれても仕方がないだろう。リンクは幽霊は後で片付けることに決め、まずは獣人に改めて挨拶に行くことにして、玄関の間を足早に横切ると突き当たりの扉を開けた。

 

だが扉の向こうは、打って変わってよく整備された居間だった。床の絨毯も綺麗なままだ。扉から見て突き当たりにある暖炉には薪がくべられ、その周辺には椅子や小机、ソファが転がっている。

 

「どなた?」

 

女の声がしてリンクは目を上げた。暖炉の前に、丸い大きな塊があった。リンクが最初目にしたときは貴族が使う大きな家具の一つと早合点していたが、よく見るとまるで座り込んだ白熊のようなシルエットが動いている。生き物だ。

 

そのシルエットに何気なく近づいたリンクは驚かされることになった。全身を白い毛に覆われた体高二メートルほどの生き物が座っている。だが、近づいて目を凝らすと、その顔の辺りには毛は生えておらず、浅黒い顔は女の柔和な顔立ちだった。女獣人だろうか。リンクはようやく驚きから我に返ると名乗った。

 

「リンクと申します。ドサンコフさんにお招きいただいたんです」

 

「すみません、ちょっと体調が悪いものですから。近くに来てくださる?」

 

その生き物は言った。リンクはもう少し近寄ると改めて自己紹介した。

 

「あら、主人が言ったとおりだわ。可愛いお客様ね」

 

女獣人は少し微笑んだが、その後軽く咳き込んで顔をしかめた。

 

「奥様のお具合が悪いと知りませんでした。お邪魔してすみません」

 

リンクが頭を下げると女獣人は名乗った。

 

「マトーニャと呼んで下すって構わなくてよ。鏡を見にいらっしゃったんでしょう?」

 

女獣人は目を閉じると続けた。

 

「主人が拾ってきたの。とても素敵な鏡よ。でも...」

 

「でも...?」

 

「鏡を家に置いてから風邪を引いたり魔物が出たり悪いことがよく起きるのよ」

 

リンクは逸る心を抑えた。これはいきなり大正解に行き当たったらしい。ミドナも同じ気持ちだと想像しながらリンクは何気ない様子を装って尋ねた。

 

「それはお気の毒でした。魔物が出るなら僕が退治して差し上げます。その代わり鏡の場所を教えていただけますか?」

 

「三階の寝室に飾ってあるの。今は鍵をかけてあるから、鍵の場所をお教えしますわ」

 

女獣人は大儀そうに立ち上がると、近くの小机の上にあった文箱を開き、中に入れてあった紙をリンクに渡した。どうやらこの館の見取り図のようだ。

 

「熱でぼうっとしててあまり思い出せないんですけど、確かこの部屋に置いてあったと思うわ」

 

女獣人が指先で一階左手奥の部屋を指さした。ドサンコフに比べ細くて華奢とはいえ、普通の婦人の二倍くらいの大きさはある指だ。

 

リンクは女獣人をまた暖炉の前に座らせ丁寧に礼を言った。

 

「お客様に取りに行かせるなんて申し訳ないけど、取ってきてくださる?」

 

マトーニャは言った。

 

「もちろんですとも。ゆっくりお休みになっていてください」

 

「ありがとう。じゃああちらの部屋から行けますから、お願いね」

 

彼女は部屋の西側にある扉を目線で示した。リンクは見取り図を握ってマトーニャの元を辞すると、歩いて居間を横切り扉を開けた。

 

扉の向こうは台所のようだ。粗い石敷きの床で二十メートル四方はありそうだ。この屋敷が王族に使われていたころは相当の人数に食事が供せられていたのだろうと想像させた。

 

部屋の中央にある大きな竈の前にはドサンコフが座っていた。竈には巨大な鍋がかけられており、そこから盛大に湯気が立っている。

 

「おう、おめ来たか!」

 

獣人が大きな声を上げた。

 

「お邪魔します」

 

リンクは手を振って微笑むと獣人に近づいた。

 

「オラの嫁さん、顔色さ悪かったろ?鏡ぃ拾ってから元気なくってのお」

 

獣人は言うと少し俯いた。

 

「お気の毒です。何かご看病とか手伝えることはありますか?」

 

リンクは尋ねた。

 

「いんや、今嫁さんのためにスープさぁ作っとるだよ。ゾーラの里の魚は栄養タップリだからのお。それ飲めばきっと元気さぁ戻るだよ。おめも腹減ったら飲んでええぞ!」

 

獣人は答えた。リンクが背伸びして鍋の中を覗き込むと、グツグツと沸騰した湯の中から、乱暴に切られた玉ねぎや人参とともにブツ斬りにした巨大なニオイマスが頭を出している。

 

狼の姿だったころはその臭いに辟易していたニオイマスだが、こうして調理されている状態で匂いを嗅いでみると悪くない。リンクは急激に腹が減ってきた。

 

「おじさん、じゃあさっそく頂きます」

 

リンクは獣人に断ると、ポーチから出したガラスの瓶を流しで洗い、竈の脇にあった台に登って鍋の中身を掬った。熱々なのを手ぬぐいで持ち、息を吹きかけて冷ましながらスープを飲んだ。まだまだできかけだったが、それでも魚と野菜の出汁が出ていて、冷えた体が芯から温まってきた。

 

「おじさん、今のままでも美味しいけど、カボチャを入れたら最高ですよ」

 

リンクは瓶を仕舞うと獣人に言った。

 

「カボチャ?」

 

ドサンコフは聞き返した。

 

「そう。本当は僕の出身地のトアル村のカボチャが最高なんですが。でもどこのカボチャでも構いません。奥さんの食欲が進むと思うんです」

 

「カボチャのう..」

 

獣人は顎に手を当てて考えていたが、やがて口を開いた。

 

「普段は料理は嫁さんがしとるんでのお。オラはどこに何が仕舞ってあるかとんとわからんでのお」

 

そう言うと獣人はリンクのほうを見た。

 

「そうじゃ。おめさん探してきてくれんかの」

 

探すって...この巨大な館の中から?リンクは一瞬躊躇したが、マトーニャの辛そうな顔が目にちらつき、了承することにした。リンクは差し当たりマトーニャに示された部屋に向かいがてらこの副次的な任務を行うことにし、地図を見ながら台所の北側の扉を出た。向こう側の部屋は物置のようだ。縦十五メートル横十メートルほどで、中央付近の床板があらかた欠落し、つるつるした氷が剥き出しになっている。部屋の奥には頑丈そうな造りの木箱が大量に積んであった。

 

「またおかしな仕事を抱え込んじまったな」

 

ミドナが笑いながら出てきた。

 

「でも彼女が可哀そうで放っておけなかったんだ。あのご主人も慣れない料理で大変そうだったよ」

 

「ご主人、か?」

 

リンクが何気なく言った言葉にミドナが笑った。

 

「何が可笑しいんだい、ミドナ。彼らは普通の田舎のご夫婦だよ。外見を除いたらね」

 

リンクがやや腹を立てて抗議すると、ミドナは申し開きした。

 

「そうだな。笑って悪かった。だがお前は不思議だと思わないのかリンク?」

 

「そりゃ不思議だけど。でも彼らは人には何の害も与えていないし、僕は気にならないよ」

 

「いや、そのことを言ってるんじゃあないんだ」

 

ミドナは言うとリンクに向き直って顔を近づけてきた。

 

「リンク、よく聞け」

 

「なんだいミドナ?」

 

リンクは尋ねた。ミドナは唇の端を上げると囁いた。

 

「この施設はマジでヤバいぞ。激ヤバだ。ある意味砂漠の処刑場よりもはるかにな」

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