「その場所はここからオルディン大橋を渡ってさらに北上したラネール地方との境目あたりさ」
長老は北の方角を指差すと言った。
「いわゆる『忘れられた里』さ。今じゃあ誰も住んじゃあいねえ。少なくとも表向きはな」
「シーカー族は既に滅んだとばかり思っていたが‥‥」
レナードは驚きも覚めやらぬ様子で長老から受け取った像を手に呟いた。
「そりゃあ世間からはそう思われても仕方ねえさ。ハイラルが出来た頃から王家の腹心として陰に陽に活躍していたのが、ある時期からめっきり姿を消しちまったんだからな」
長老は答えた。
「だが、その木彫りの像はシーカー族のものに間違いはねえ。ほれ、この天辺にある丸い目玉模様を見てみろ」
レナードは長老が指差す箇所を改めて見た。
「単眼‥‥か。確かに王家に代わって常に王国の情勢を見守り危急を救ってきたシーカー族を象徴するものだが‥‥」
「祭司さま、私‥‥」
イリアが立ち上がった。
「どうした、イリア?」
レナードは彼女に駆け寄るとその体を支えた。
「私‥‥思い出したの。ああ‥‥その助けてくれた人‥‥」
イリアは再び両手で頭を抱えていたが、やにわに顔を上げた。
「その人、私を逃がした後、一人で残ったの。その人の身が危ないわ!早く助けにいかなきゃ‥‥」
「イリア、大丈夫だ。私たちに任せてくれ。今は君は無理をしちゃいけない」
レナードが声をかけ、イリアの背中をさするとベンチに座らせた。だが彼女は急に湧き上がってきた不安と焦りに心を搔きむしられているかのように自分の胸を押さえた。
「祭司さま、僕が行きます」
リンクはレナードに言った。
「待て兄ちゃん、その場所への抜け道は今大きな岩で塞がれちまってるんだ」
ゴローネが手を上げた。それを聞いた瞬間、リンクの脳裏に記憶が甦った。確かに、オルディンからラネールに通じる山道の途中に、洞窟が大岩で不自然に塞がれた箇所があった。その時、ゴローネが族長ダルボスを顧みた。族長は何も言わずに立ち上がると、礼拝所の戸口に巨体を捻り込むようにして外に出ていった。
「こういう時こそ俺たちゴロンの出番さ」
ゴローネはリンクに向き直った。
「ダルボスの奴は先に行った。兄ちゃんも後から行きな」
「わかりました」
答えたあと、頭の中で以前その近辺を通りがかった時の記憶を振り返った。
「確か、狭い峡谷の上にかかった小さな木の橋を越えて少し行ったあたりの右側ですね?」
「驚いたな。さすがは勇者の兄ちゃんだ」
長老は感嘆の声を上げた。
「族長が行ってくれたのに、僕だけここでゆっくり地図を眺めてるわけには行きませんからね」
リンクはウィンクした。その時イリアが立ち上がってリンクに言った。
「リンクさん、私の記憶なんてどうでもいいんです。どうか‥‥早くその人を助けてあげてください!」
リンクは頷いた。装備をまとめて礼拝所の外に出て、泉の側に放しておいたエポナに近づくと、声をかけながら鞍と轡をつけた。泉の奥に行って清い水で水筒を満たすと、リンクは愛馬に跨がった。
エポナに乗って目抜き通りを北上する。以前より格段に人通りの増えたのを見て、リンクは最初並足に押さえていたが、バーンズ爆弾工房を過ぎたあたりで通行人が少なくなると一気に加速した。
「ミドナ、向こうに行く前にひとつやらなきゃならないことを思い出したよ」
目抜き通りの北端で右手に折れ、村の境にある門を抜けると、リンクはミドナに声をかけた。
「今度は何だ?」
ミドナが姿を現して腕組みした。
「オルディン大橋が切れたままなんだ。一旦ゲルド砂漠に飛んで橋の一部を‥‥」
「それならもうやっといたぞ。お前が寝てる間にな」
リンクはミドナの答えを聞いて絶句したが、やがて笑いながら首を振った。
「知らなかったよ。君みたいな相棒を持って僕は幸運だ」
「無駄な時間を過ごすのが嫌いなだけだ」
ミドナはにこりともしない。
「それよりリンク、用心しろよ。お前の見立て通り、おそらくその『忘れられた里』ってのはブルブリンどもの基地になっている可能性が高い。装備は十分なんだろうな?」
「ああ。矢立ても満タンだし爆弾も持ってる」
リンクは答えた。二人は両側を岩で挟まれた小道を抜けた。右手に鋭く深い峡谷を見ながら早足で進んでいると、やがて前方に広々とした平原が現れた。
平原に入ると、猪に乗ったブルブリンどもが西の方角に二騎ほどいるのが見えた。こちらを見つけると、加速して追跡してきた。
ブルブリン騎兵の後席にいる弓兵どもが矢を射掛けてくる。今は相手をしている時ではない。リンクはエポナを左右にカーブさせながら矢を回避すると、相手のスタミナが尽きるのを待った。
騎兵どもをようやく撒くと、今度はカーゴロックが上空から目をつけてくる。リンクは一旦速度を落とし、相手が降りてきたところで剣を振り回し、軽い手傷を負わせた後エポナを加速した。
怪鳥どもを引き離すほど加速すると、しばらくしてオルディン大橋の門とそれを取り巻く遺跡が見えてきた。石畳の上にエポナが足を踏み入れると、蹄が乾いた音を立てた。崩れた柱を避けながら橋の門に近づく。門の上にも見張りのブルブリンがいて、リンクに気づくと火矢を射掛けてきた。
リンクは舌打ちすると、背中から盾を下ろして頭の上に掲げた。飛んできた矢が盾をかすめて金属音を立てた。後で戻ってきて鬼どもを一掃することを心に誓い、リンクは戦わずに大橋の門に入り、橋を渡った。
橋の向こう岸の門の手前の段差の上にもブルブリン弓兵がいる。リンクは用心のため頭上に盾を掲げたまま走り抜けた。そいつもリンクに火矢を放ってきたが、高速で走る馬の上にいる標的に当てられるほどの腕はないらしい。橋を渡り切って向こう岸の平地に入ると、リンクは盾を背中に戻した。弓兵たちの待ち伏せは全て通り過ぎたようだ。
平地を横切り、北端あたりにある岩壁の間を通る小道に辿り着くと、リンクはエポナを減速させた。この先は不毛の地だから、彼女を酷使してしまうと不味い。
リンクは一旦彼女を休憩させ、自分の水筒から水を飲ませると、自らも遅い昼食をとった。このペースなら日没には目的地に着くかもしれない。リンクはいずれにせよ、鬼どもの基地には夜襲をかけることに決めていた。
リンクは再び愛馬に跨がると前進を再開した。灰色の岩壁に挟まれた道は、しばらく進むと右に曲がった。
日が傾き始めたのか、早くも道に太陽の光が射なくなってしまった。そうなると、実に寒々しく荒涼とした風景になる。どこを見ても灰色の岩ばかりで、道端には雑草もろくに生えていない。
道が今度は左手に折れた。エポナを早足で走らせていると、気温の下がり始めた風が頬を撫でる。何の人気も無ければ木々のさざめきさえもないこの地域にイリアが閉じ込められていたのかと思うと胸が痛んだ。
日没が近づいたのか、空が染まってきた。暗くなり始めたなか目を凝らすと、前方遠くの方で道が右に折れている。だが、その先の崖の上でブルブリン弓兵が歩き回っているのが見えて、リンクは馬を止めた。
「待ち伏せがいるな」
ミドナも気づいたらしい。
「あいつらはもともとあそこが持ち場なんだろうか?それとも僕らが来るのを待ち受けているのかな?」
リンクは呟いた。
「族長がここを通過したことで奴らを警戒させた可能性があるな」
ミドナが言った。
「てことは僕らが襲撃に行くことはもう敵に気づかれてる可能性が高いね」
リンクが言うとミドナが笑った。
「なんだ、農夫のクセに私みたいな喋り方だな」
「お陰さまで。何だか最近僕まで頭が良くなってきた気がするよ」
リンクは冗談めかして言ったあと、真顔に戻った。
「夜中まで待って夜襲を仕掛けようと思ったけど、出来るだけ早く行って強襲したほうが効果的かも知れないね」
「同意だ。奇襲なら時間を置いて油断させてからのほうがいいが、そんなに待ってもいられないだろう」
二人は相談をまとめた。リンクはエポナの首筋を撫でてやると、声をかけた。
「頼んだよ。ちょっと荒っぽいことをやるよ」
リンクはエポナを走らせると、その脇腹を踵で蹴った。たちまち加速すると、リンクたちはぐんぐん道を進んだ。小道が右に折れている地点に近づくと、前方の崖の上に陣取ったブルブリン弓兵が喚いて警戒を呼び掛けた。たちまち火矢が上から飛んできた。
目を上げると、右にカーブした道を挟む岩壁の上、左側に二匹、右側に一匹、計三匹のブルブリンたちが陣取ってこちらに弓矢を向けている。
リンクは姿勢を低くするとエポナを再び加速させた。背中の盾を矢がかすって火花が散った。頭上に飛んできた矢を首をすくめて躱すと、一気に走り抜けた。
ブルブリンどもの喚き声が背後に遠くなっていく。リンクはそのままエポナをしばらく走らせ続けたあと減速した。一気に日が落ちて、あたりが暗くなってしまった。だが、以前ここを通ったときの記憶では目的地までは遠くはないはずだ。
果たして、暗くなった道の前方に短い木の橋が見えてきた。エポナを並足にして慎重に近づくと、橋の向こう側にブルブリンが三匹ほどうろうろしているのがわかった。
蹄の音でいずれ接近を気づかれる。リンクはエポナを加速すると剣を抜き放った。全速力で橋に突進してこれを渡ると、道の左側にいたブルブリンが慌てた様子で火矢を放ってきた。上体を横に倒して矢をかわすと、リンクは敵に馬を突進させ、その横を通り抜けながら剣を薙ぎ払った。
ブルブリン弓兵の首が飛んだ。右手に棍棒を持った歩兵が二匹ほどいたのを横目に走り抜けると、リンクはエポナを減速させながらその背中から飛び降りて地面を転がった。
立ち上がると、盾を背中から下ろしてブルブリンどもに走り寄った。仲間を呼びに行くか、戦うか迷ったような素振りを見せた鬼どもに、考える暇も与えず突進していく。
手前の一匹が棍棒を振り上げたところを素早く突きで刺し貫き、抜いた剣を袈裟斬りに叩きつけると、二匹目が払った棍棒を盾で弾き、気合いとともにジャンプ斬りを繰り出した。頭をパックリと割られて仰向けに倒れた鬼の胸に逆手に持った剣を突き立てて止めを刺した。
リンクは盾を背負うと剣を血払いして納めた。周囲にほかの敵はいない。エポナのほうに歩み寄ると、手綱を引いてもう少し道を進ませ、頭上に岩の庇があって真っ暗になっている場所の先まで連れていった。そして、ブルブリンどもの立っていた場所からは道の死角になっていて見えにくい箇所にエポナを休ませると、よく撫でて安心させた。
「すぐに戻ってくるからな」
リンクは道を戻って、以前巨大な岩で塞がれた洞窟の入り口を見かけた地点に行った。南側の壁を見てみると、ダルボスが既に岩を取り除けたのか、道からの段差の上に洞窟がぽっかりと口を開けている。
段差をよじ登ると、リンクは洞窟に入った。中は真っ暗だ。カンテラを点けて先に進むと、奥から男の唸り声と固いもので岩を叩く音がひっきりなしに聞こえる。
数百メートル進んだところで、突き当たりにダルボスの巨大な後ろ姿があった。族長は両の拳を振るって洞窟出口を塞ぐ岩と格闘していたところだった。
リンクは少しの間、驚嘆しながら族長の仕事振りを眺めていた。その拳は岩をも凌ぐ固さで、一撃するたびに目の前に立ち塞がる巨岩に亀裂が走っていく。
やがてひび割れだらけになった岩に族長が最後の一撃を加えた。巨岩が崩壊してできた多くの欠片を取りのけるためにリンクが傍らに行って手伝おうとすると、族長が振り向いた。
「兄ちゃん、これは俺の仕事だ。そこで待ってな」
族長が言うので後ろで控えていると、ダルボスは両の拳を振り上げ、床にゴロゴロと転がった岩の破片に思い切り叩きつけた。二、三度それを繰り返すと、一抱えもあった岩の破片が全て粉々になった。
もうもうとする粉が舞い、足元には無数の石屑が転がる。洞窟は完全に開通し、前方に出口が見えた。
「この先が例の里だ」
リンクがカンテラを消すと、ダルボスは腰に手を当てて一息ついた。
「ありがとう、族長。恩に着ます」
リンクは礼を言った。出口から向こうを見やると、高い崖に挟まれた土地に小さな村があるようだ。
「礼を言うのはまだ早いぜ。魔物どもの臭いがプンプンするからな」
族長は額の汗を拭うと続けた。
「数は二十匹くらいか‥‥強い奴にのみ従い略奪を事とする薄汚ねえ連中だ」
やはりブルブリンの基地なのだ。リンクは手持ちの武装を頭の中で点検した。敵の数に比して不足はしていないが、無駄遣いできるほどではない。
「まあ勇者の兄ちゃん一人で問題は無えだろ。俺はこれで失礼するぜ」
「族長、あとは任せてください」
リンクは言った。
「頼もしいな。まあ余計なこととは思うが念のため助言しといてやる。奴らに見つかる前に殺れ。それがコツだ」
ダルボスは体を丸めて岩の塊のような形にすると、転がって洞窟を戻っていった。リンクはその後ろ姿を見送りながら、錯乱状態になっていたとはいえあんな男と戦った自分の無謀さに改めて驚いてしまった。
洞窟の出口に向き直ると、リンクは盾を背中から下ろして構え、用心深く前進した。
前方を見ると、岸壁に両側を挟まれた幅五十メートルほどの平地の上に、北から南に伸びる目抜き通りを中心として二階建ての平屋根の長屋が身を寄せ合うようにして並んでいる。建物の手前には大きな看板が掲げられていた。昔日には鮮やかに彩られていたのだろうが、今は打ち捨てられた村を象徴するかのようなボロボロの看板だった。
族長の見立てによれば相当数の鬼どもがいるはずだったが、物音が一切聞こえてこない。
「良くない傾向だね。僕らが来るのを予測して迎え撃つ用意を整えてるみたいだ」
リンクは小さな声でミドナに囁いた。
「そうだな。危険過ぎるから諦めるか?」
ミドナがからかってきた。
「まさか。どっちにしてもやつらは全滅だよ」
リンクは言い返した。盾を背中に背負うと、弓を手にして矢を一本つがえた。洞窟の出口から離れ、集落の最初の建物に近づく。
目抜き通りの真ん中に足を踏み入れたら、左右から待ち伏せされ射たれるかも知れない。そう思ったリンクは姿勢を極力低くして右手の崖に近づいた。崖を伝って前進し、打ち捨てられた物置小屋を通り過ぎ、村の最初の建物の際に到達してから、壁に体を寄せた。
リンクのいる壁には二階部分に大きな窓がある。窓から狙われないように壁にぴったりと体を押し付けてそっと移動すると、建物の際に置いてあった大きな木箱の陰から目抜き通りの方へ顔を覗かせてみた。
闇夜に目が慣れてきた。比較的開けた地形のせいか、月明かりで各所に立ったブルブリンたちのシルエットが浮かび上がってくる。皆武器を手に取り周囲を警戒しているが、侵入者に気づいた様子はない。
リンクは忍び足で隠れ場所から出た。通りを挟んで向かい側の建物のバルコニーに二匹のブルブリンがいる。リンクはその左側の鬼にゆっくりと狙いをつけ、矢を放った。ひょうと音を立てて飛んでいった矢が鬼の胸に刺さった。
バルコニーに立った一匹がゆっくりと崩れ落ちて通りに落下していく。右手の一匹は僚友の死にパニックを起こし、弓に矢をつがえながら辺りを見回した。だが、まだリンクの位置を把握していない。リンクは二の矢をつがえて慎重に狙いをつけると、そいつも射殺した。
こちら側の建物のバルコニーから鬼の喚き声が聞こえた。泡を食って飛び出してきたようだ。リンクは弓に矢をつがえると通りに出て右手のバルコニーの上に狙いをつけた。ブルブリン弓兵の身体のシルエットの真ん中に向けて放つと矢がそいつの腹を貫いた。鬼はバルコニーの手摺に覆い被さるようにして倒れ、動かなくなった。
その時、目抜き通りの十メートルほど先に動くものがあった。ブルブリンが一匹、リンクの方を向いて棍棒を構え走り寄ってくる。リンクは咄嗟に矢を弓につがえた。放った矢が敵の顔面の真ん中を貫く。
歩兵が倒れると右手の建物の奥からも魔物の声がした。そちらの建物の通り側の壁に走り寄り、扉のついていない戸口から覗き込もうとすると、中から棍棒を携えたブルブリンが出てきて鉢合わせしてしまった。リンクは咄嗟に剣を抜いて回転斬りを叩きつけ倒した。
その瞬間矢が飛んできた。リンクは横っ飛びに転がって躱した。顔を上げると、二階の奥側の壁にしつらえられた通路に立ったブルブリンがこちらに弓矢を向けている。
リンクはその通路の真下に向けて走り込み敵の死角に入ると、剣を納めて弓に矢をつがえた。再び建物の床の真ん中に飛び出し、敵が射掛けてきた瞬間に横に倒れて躱すとそのまま狙いをつけて矢を放った。次の矢をつがえようとしていた鬼は胸に矢を受けて絶命した。
その弓兵が通路に崩れ落ちた頃には村のそこここから魔物どもの耳障りな喚き声が聞こえてき始めていた。
リンクは建物を飛び出すと、素早く目抜き通りを横切って走り、向かい側の建物の壁際に身を寄せて次の矢をつがえた。身を低くしながら右手の奥の建物の方を観察すると、どうやらバルコニーの上に一匹ブルブリン弓兵がいる。
だが、こちら側の建物の庇が邪魔をしていてまだ正確にはリンクの位置を把握していない。リンクは弓に矢をつがえて静かに狙いをつけながら忍び足で前進し、庇の下から出て距離を詰め、矢を放った。矢が命中し、ブルブリンは呻き声を上げて倒れた。
後退りして再び左手の建物の壁際に退避すると、五感を研ぎ澄ませて残りの敵の位置を探った。まだ十匹以上残っているはずだ。
リンクは向かい側、西側の二番目の建物に踏み込むことにした。走って目抜き通りを横断し、建物の北側に近い壁際に立つと、道路と同じ高さに立ち並んだガラス窓から中を伺った。薄暗くてよく見えないが、確実に気配がある。
覚悟を決めると、弓を背負って剣を抜いた。剣で窓を丸ごと叩き壊すと、建物の中に飛び込んだ。左手には、通り側の壁から木箱がぎっしり積み上げられており、その木箱の列が切れた先にブルブリンの姿があった。リンクは盾を背中から下ろすと、敵に突進した。相手が喚きながら棍棒を振り上げた瞬間に前転し、起き上がりざまに鋭い突きを放って刺し貫いた。
だが、奥の二階の壁にしつらえられた通路に弓兵が立っていてこちらを狙っていた。リンクは咄嗟に今しがた刺殺した敵の身体を盾にした。飛んできた矢がその敵兵の背中に刺さる。
目を上げると、二階の奥右手の天井に穴が空いていて、そこからもブルブリン弓兵が顔を覗かせてリンクを狙っていた。リンクは盾を上げると、もはや力の抜けた敵歩兵を突き飛ばして後退りした。二人の弓兵たちから飛んでくる矢がリンクの盾に当たり、立て続けに金属音を立てた。
木箱の列の後ろにまで退避すると、リンクは盾を背負って剣を納め、弓を手にした。矢をつがえ、慎重に遮蔽物の陰から二階通路の通路の上の敵に狙いをつける。天井の穴の向こうにいた敵は今の位置からは互いに見えない。
通路上の敵もこちらに矢を射掛けてきた。木箱に火矢が刺さる。だがリンクは惑わされずに確実に狙って矢を放った。矢は敵の胸を貫き、絶命させた。
さらに矢をつがえ、慎重に前進した。だが、天井の穴の向こうの敵が矢を放ってきて、リンクの足元に着弾した。慌てて飛び下がると、リンクは再び木箱の陰に退避した。
天井の板が遮蔽物となり、こちらからは相手を狙いにくい。リンクは矢を地面に置き、ミドナに爆弾袋を出してもらうと、爆弾の底面に矢尻を差し込んだ。
導火線に火をつけて矢を弓につがえると、地面に落ちていた石を拾って木箱の向こうの左手奥の壁に投げつける。壁に石が当たると、音のした場所めがけて天井の上の弓兵が矢を射掛けた。リンクは物陰から飛び出して前進すると、天井の穴に爆弾矢をぶち込んだ。爆発がして鬼が吹き飛ばされ、その姿が見えなくなった。
リンクは木箱の陰に戻ると、もう二本ほど爆弾矢を拵えてから爆弾袋をミドナに収納してもらった。片手に剣を抜き、崖側のガラス窓を叩き壊して外の様子を伺うと、そこは狭い中庭で、鶏がうろうろしている。奥の方には風の力で狼の遠吠えの音を立てる石碑があった。後程ここを訪れることにして、リンクは目抜き通りに戻ることにした。
入ってくるときに使った窓枠から用心深く外を観察する。足元に爆弾矢を置いて、向かい側の建物の様子を見ると、正面の建物のバルコニーに一匹弓兵が出てきていた。リンクは普通の矢を一本弓につがえると、敵の方向を狙いながら低い姿勢で前進した。
こちら側から踏み出すと火矢が飛んでくる。リンクは矢を仕舞って一旦建物の中に下がると、爆弾矢をとって導火線に点火し、弓につがえて前進した。ジリジリと進み、自分の姿をさらす前に向かい側のバルコニーの手摺りの隙間越しに敵の足元に向けて爆弾矢を放つと、命中した爆弾が弓兵を空中に吹き飛ばした。
そのとき右手から鬼の喚き声がした。棍棒を持った歩兵が建物から飛び出して来る。リンクは矢を弓につがえて狙いをつけるとそいつも射殺し、後ろに下がった。出てきた建物の戸口で次の爆弾矢をとって再び目抜き通りに出る。
向かい側右手奥の建物にはバルコニーがついていない。二階部分の壁にはガラス窓がついており、その奥に動くものが見えた。爆弾矢を点火すると、ガラス窓へ向けて放った。爆発で窓が吹き飛び、鬼の悲鳴が上がった。
リンクは矢を一本矢立てから取り弓につがえると、素早く通りを横切った。だがその時、左手の方向から火矢が飛んできた。咄嗟のことで避け切れず、矢が左肩に突き刺さった。建物の間に弓兵が潜んでいたのだ。苦痛を堪えながら自分の弓を引き絞り、相手がもう一本の矢を放たんとしたところで地面に伏せた。
頭上数センチを矢が通過する。相手が慌てて次の矢をつがえようとしているところを、胸に矢を撃ち込んで射殺した。リンクは敵がいた建物の隙間に走り込むと一息をついた。鎖帷子の間にねじ込むようにして刺さった矢尻を引き抜くと、血が流れていくのを感じた。火矢の火は消えたが、チュニックが多少焦げている。
「おいリンク、大丈夫か?」
ミドナが声をかけてきた。
「平気さ、これくらい」
リンクは帷子の袖の間に手拭いを押し込んで傷口を上から押さえながら答えた。
「もう半分以上は片付いたよ。残りも逃さない」
リンクはもう一枚手拭いを取り出すと、左肩に巻いてきつく結んだ。立ち上がって壁づたいに移動すると、先ほど爆弾矢で窓を吹き飛ばした建物の扉のない戸口に駆け寄った。
そうっと中を覗くと、床には今さっき吹き飛ばされたブルブリンの死骸が転がっている。その奥に歩兵が一人、向かい側の壁の二階部分にしつらえられた通路に弓兵が一人いた。
リンクは咄嗟に歩兵の顔に矢を撃ち込んだ。頭上から火矢が飛んできた。咄嗟に戸口の陰に飛び込んで躱すと、二の矢をつがえた。慎重に狙おうとするが、敵も次々と射掛けてくる。
自分の弓に矢をつがえると、リンクは敵矢が飛んできた直後に物陰から飛び出した。敵が次の矢を放つギリギリまで待ち、横に飛んでそれを躱した。弓を上げて狙いをつけると、敵も素早く矢をつがえた。双方が放つ。だがリンクが一瞬早かった。矢に胸を貫かれた鬼は、明後日の方向に火矢を飛ばすと、通路の上から床に落下していった。
敵は残りわずかだ。リンクは矢を弓につがえると慎重に戸口から外を見た。今までクリアーしてきた建物群の奥、目抜き通りの終端の左手に他と違って窓が小さく通りに向かってきちんとした扉がついた建物がある。
その建物の前にある低い壁の向こうに二匹の弓兵がいるのが見えた。その建物の高い屋根の上にも一匹。さらに、建物の右手には見張り台がありその上にも一匹だ。
リンクは奥の建物の前にいる二匹の周辺をよく観察した。二匹の陣取ったあたりに円い樽が幾つか置いてある。
「おい、あの樽に見覚えがないか?」
ミドナが聞いてきた。それを見たリンクの脳裏に記憶が蘇った。ゴロン鉱山で見かけたものだ。
「火薬が入っていて爆発しやすい奴だね」
リンクはニヤリとした。ミドナに爆弾袋を出してもらうと、爆弾を取り出して爆弾矢を二本ほど作った。
爆弾矢を一本弓につがえて、導火線に点火しながら目抜き通りに飛び出した。生き残りの鬼どもが気づいて一斉に矢を射掛けてくる。
敵の狙いが定まる前にリンクは二匹の鬼の近くにあった樽に向けて爆弾矢を放ち、すぐに横飛びしてもといた建物の戸口の陰に伏せた。大きな爆発音がして樽が炸裂した。しかも三度だ。爆発音が止んで顔を上げ、戸口から敵のいた方向を見やると、二匹の鬼どもは陰も形もなくなっていた。
いま見えている敵はあと二匹だ。高い位置にいる鬼どもは絶望的な喚き声を上げながらリンクのいる建物に向かって時折火矢を放っている。右手の見張り台の上を見ると、そこにも例の樽が置いてある。
リンクはもう一本の爆弾矢をとると戸口の壁際に身を寄せた。そこから敵の位置を確認する。
見張り台の敵から狙われない場所を確保したまま、物陰から少しだけ顔を出した。台の上の火薬樽は狙える。爆弾矢をつがえて導火線に点火すると、一歩戸口から出て樽に狙いをつけて放った。すぐに戸口に退避すると、爆発音がして弓兵が喚きながら見張り台の上からぶっ飛んでいった。
左手奥の建物の上に陣取っていたブルブリンは喚き散らすのをやめた。戦うか逃げるか思案し始めたようだ。だがリンクは逃がす気はなかった。矢を弓につがえて目抜き通りに進み出、大声を上げて注意を引くと、向こうも矢をつがえて放ってきた。
だが距離がある。矢が飛んで来るとリンクは後ろに飛んで避けた。自分の矢を相手に向けると、相手の次の矢が放たれた瞬間に撃った。自分の矢の行方を確かめる間もなく横に倒れて転がった。身体のすぐ横を火矢がかすめる。屋根の上から呻き声が響き、ブルブリンが倒れる音がした。
リンクは立ち上がると弓に矢をつがえて耳を澄ませた。動くものの気配はもうない。だが、突き当たりの建物の扉の内部をまだ確かめていない。
リンクは念のためそこも捜索することにした。建物に近づいて扉の取っ手に手を掛けると、そこは鍵が閉まっていた。
敵が立て籠っているのだろうか?一瞬蹴破ろうかという考えも浮かんできたが、族長の予測によればもうこれ以上の魔物はいないはずだ。リンクは扉を軽くノックすると待った。
一分ほどすると、扉が内側から開いた。顔を覗かせたのは、小柄な白髪の老女だった。歳のころは八十くらいだろうか。レナードが来ている寛衣に似たゆったりとした特徴的な服を着ている。
「お母さん、大丈夫ですか?」
リンクは歩み寄って声をかけた。
「安心してください。魔物どもはもういません。僕は人間の剣士です」
「おお、なんということ‥‥」
老女はリンクに気づくと祈るように両手を組み地面に膝をついた。
「全て言われた通りに、この村に救いの主がやって来るとは‥‥」
「お母さん、僕はただの人間です。そんなふうに膝をかがめないで下さい」
リンクは老女の腕を取って助け起こした。
「もしや、あなた様のお名前はリンクとおっしゃるのでは?」
老女は立ち上がりながら尋ねた。リンクはびっくりして答えた。
「そうですが、どうしてそれを‥‥」
そう言ってからリンクは気づいた。
「もしかしてイリアが僕のことを?」
「そうですじゃ。あの子はいつも私に言っていました。いつかあなた様がこの村に助けに来てくださると‥‥」
イリアの無事を告げると、老女は大いに喜び、リンクを家の中に招いた。老女はインパルと名乗り、手料理を作ってリンクに振る舞った。料理とは言っても、豆を煮たものに塩を振りかけただけの粗末なスープだったが、リンクはありがたく頂いた。
リンクに食事をさせながら、インパルは彼女がイリアと会ってからの経緯をことごとく話して聞かせてくれた。
インパルは古代からハイラル王家に仕えるシーカー族の末裔であった。だが時代の流れにより一族は衰退し、村人たち全てがここを出ていった後も彼女は一人で村に住んでいた。そんな彼女の村に緑鬼どもの群れがやってきたのは奇妙な黒い霧が一帯を覆う少し前のことであったという。
彼らは入り口の洞窟からやって来たあと、てんでに空き家を自分達の住みかにし、インパルを見つけると捕まえて自分達の小間使いにした。
鬼どもの奴隷として使役されながらも、老婆は彼らの親玉と思われる大鬼が人間の少女を連れて来たことを知った。少女は矢傷を負っており、鬼の王はすぐ治療するよう老女に命じたという。
(老女は魔物と人間の戦いが始まった大昔から王家に仕えてきたシーカー族の子孫であるため、言語が人間語と魔物語に分かれる前の古代語に通じていた。そのため魔物の言葉もある程度理解できたのだそうである。)
インパルの治療により少女は回復していった。また、鬼の王は少女を自分の妻にすることに決めていたため、他の鬼たちが彼女を玩ぶことを許可しなかった。
それを知ったインパルは一計を案じた。イリアが怪我から回復した後も、草の根から作った白い粉をその唇にまぶすなどして血色が悪いふうを装い、彼女が矢傷から来る感染症にかかってしまったと言って、一刻も早く夫婦の契りを結びたがっていた鬼の王を騙したのである。
それを聞いた鬼の王は激怒し、完治させろと老婆に厳命した。インパルは怪しまれないよう細心の注意を払いながら、イリアの状態が良くなっては悪くなるのを繰り返しているように話を仕立て、鬼の王を彼女の寝床に近づけないようにした。
一度などは、堪えきれなくなった鬼の王がイリアの寝室に押し入って来たこともあった。だがインパルは、今ことを急いたらイリアは容態が悪化してすぐ死ぬと言い張って譲らず、決死の覚悟で鬼の王を追い返した。彼女はイリアを守るためなら自分は殺されてもいいと心を決めていた。
そうしたある日、鬼の王が出掛けた夜、インパルはイリアにありったけの食料を持たせ、誰にも知られていない抜け道を教えて逃亡させた。
「あの子は別れ際にこの老婆にこれをくれたのです」
老女は懐から何かを大事そうに取り出した。それは陶器でできた小さな笛だった。リンクがいつかイリアに吹いて聞かせた馬笛草と同じ形だ。蹄鉄型にカーブした真ん中のあたりに紐を通してあり、首にかけられるようになっていた。
「『お礼に渡せるものが何もないから』と言って‥‥それで私はあの木彫りの像を代わりにあげたのですじゃ。その像が巡り巡ってあなた様をこの村に呼んだとは何たる神のお計らいでしょう」
彼女はそう言うと笛をリンクの手に握らせた。
「どうか、これをあの子に渡してくだされ。そしてこの老婆は無事でいるとあの子に‥‥」
「お母さん、イリアを守って下さって本当にありがとうございます」
リンクは深く礼を言った。
「彼女は僕の幼馴染みできょうだい同然に育ったんです。僕は何をしてでも彼女を取り戻したいと思っていました。でもインパルさんがいなければきっとイリアは戻って来なかったでしょう」
「いえいえ、この老婆は至らぬ手伝いをしたまで。感謝は神に捧げてくだされ」
老女は言った。リンクはインパルから聞いたことを報告するため、イリアの笛を携えて一刻も早く戻ることにした。老女に暇を告げると、リンクは村の目抜き通りを洞窟のほうに戻った。洞窟を抜けて外に出るとラネール方面に山道を進み、エポナを休ませておいた場所に行った。
「さあ終わったよ。もう帰ろう」
エポナは同じ場所で待っていた。リンクは声をかけて彼女を撫でてやると、股がってオルディンの方面に方向転換し、走り始めた。
だが、エポナに食事をさせていないし、このあたりは水源も乏しい。しかも道の両側の崖が月明かりを遮るので道は暗かった。リンクはやや速度を押さえめにしてエポナを走らせた。
橋を渡り、しばらく走るとブルブリンどもの待ち伏せ地点に近づいた。リンクはエポナを減速させると下馬し、弓を手にして徒歩のまま前進した。
暗闇に目を凝らす。前方の、道が二つに分岐している場所の手前の左右の崖の上に、来たときと変わらずブルブリンが三匹陣取っている。
左手にいた一匹は、遠くから響く蹄の音を聞き付けたのか、頭を上げて周囲を警戒していたが、右手の二匹は睡魔に勝てなかったらしく壁に寄りかかって眠りこけていた。
リンクは弓に矢をつがて、目を覚ましている一匹に向けながら忍び足で前進した。こちらは崖の下だから、月明かりが届きにくく、かえって都合がいい。外さない距離に近づくと、矢を放った。矢が命中し、勤勉な見張り兵はあえなく絶命し倒れた。
物音で目を覚ました右手の二匹が頭を上げた。リンクはこちらの位置を気取られる前に矢をつがえ、手前の一匹を狙って放った。矢が敵の胸に命中し、そいつは派手に喚きながら墜落した。
最後の一匹がこちらの位置を把握して火矢を射掛けてきた。リンクは横に転がって敵矢をかわしながらもう一本の矢を弓につがえた。相手も必死に二の矢をつがえてこちらを狙ってくる。敵が放つまで待ち、横にステップしてその矢をギリギリで回避すると、リンクは相手が次の矢をつがえている間に狙い撃った。
矢が敵の腹を貫いた。ブルブリンは他の魔物たちと比べて脆い。その弓兵は武器を取り落とすと座り込み、バランスを崩して崖から落下し動かなくなった。
リンクは弓を背負って夜道を戻ると、エポナに跨がって再びオルディン方面に進み始めた。隠れ里周辺の鬼どもはこれでいなくなったから、老女が再び囚われの身となることはもうないだろう。分岐を左に進むと、抑え気味の早足で夜道を走る。
道が右に折れ、しばらくすると左に折れた。オルディン大橋の手前の平地にたどり着いたころには、既に東の空が明るくなってきていた。
リンクは大橋の上にまだブルブリンが二匹いることを思い出した。エポナから降りて休憩させ、自分の水筒から水を飲ませてから再び跨がった。
エポナを加速して平地を走り抜け、橋の門をくぐった。ブルブリンが矢を射掛けてきたが、やはり当たらない。一気に橋を渡り切り向こう岸の橋の門を抜けると、左にカーブして門の上にいた弓兵からの攻撃を避けた。石畳の上を抜け、平原に出る。
東を見ると、既に日が昇っていた。しばらくまたエポナの速度を押さえた。だが、まだ猪に乗った連中がいたはずだ。果たして、二十分ほども走ると右手のほうからブルブリン弓兵が二騎近づいてきた。しかも、カーゴロックも上空から降りてきた。
「エポナ、もう少しだ。頑張ってくれ」
リンクは声をかけるとエポナを加速した。ぶっ続けの旅にも関わらず、彼女は驚異的なスタミナを見せた。左右にカーブしながらなんとか猪騎兵どもの火矢とカーゴロックの爪を回避し、とうとう平原を横切った。
赤茶けた岩壁に挟まれた小道を辿ってカカリコ村に到着した頃は既に昼を過ぎていた。リンクはエポナを泉のほとりに止めて装具を外した。彼女が水を飲んでいる間に飼い葉を集めて、目の前に置いてやった。
リンクは老女から受け取ったイリアの笛を手に取ると、礼拝所の扉を開けた。コリンとタロは畑に出たようだ。マロとベスも店に出たのか姿がない。イリアはルダと一緒に布を繕っていた。リンクは迷ったが、レナードの立ち会いのもと笛を見せることにして、ルダに祭司を呼ぶよう頼んだ。
「剣士さま‥‥」
イリアは手仕事をやめて立ち上がった。
「イリア、安心してほしい。君を助けてくれた人は無事だったよ」
リンクは微笑んだ。
「よかった」
イリアは安堵の溜め息をついて胸に手を当てると、リンクのために茶を入れようとして台所に行った。
「剣士さま、お疲れでしょう?ゆっくりお休みになってくださいね」
彼女は振り返ると言った。
「大丈夫だよイリア。僕は旅には慣れてるから」
「リンク、相変わらず君は仕事が早いな」
リンクが茶を飲んでいるとレナードがルダと一緒に書斎から入ってきた。リンクはレナードを礼拝堂の隅に引き寄せると言った。
「例の隠れ里でイリアを助けたお婆さんに会いました。彼女の話によると監禁されていた時イリアは恐ろしい目に遭ったみたいです。その記憶を思い出させても大丈夫なんでしょうか?」
レナードはしばらく考えていたが答えた。
「私は問題ないと思う。勿論最初のうちは苦しいかも知れないが」
「苦しいって‥‥どれくらい?」
リンクは恐る恐る尋ねた。
「それは本人にしかわからないな」
レナードは首を振った。
「だが彼女は大丈夫だ。私もルダもここにいて支えるからね」
そう言うと、祭司はリンクの肩を叩いた。
「リンク、君が戦いと冒険の専門家であるように私たちは治療の専門家なんだ。あまり心配しないで任せてくれ。きっと最後はよい結果になると私は思っているんだ」
レナードが請け合うのでリンクは信頼することにした。イリアはまたルダと作業に戻っていた。リンクは彼女に近づくと、老女からもらった笛を取り出して手渡した。
「君を助けてくれたお婆さんがくれたんだ。元々君のものだったって言ってた」
イリアは笛を手に取った。彼女は数秒間の間不思議そうな顔をして笛を見つめていたが、やがて顔を歪めて目を固く閉じ、両手で頭を抱えて座り込んだ。
「先生‥‥これは?」
リンクはレナードを顧みた。イリアは鋭い悲鳴を上げたかと思うと、肩を震わせて嗚咽し始めた。ルダが素早くイリアの傍らに座り、その頭を抱き締めて慰めた。リンクは混乱し、祭司の顔を見上げた。
「祭司さま、彼女は大丈夫なんでしょうか?」
レナードは存外落ち着いていた。
「リンク、最初は仕方ないんだ。こうやって彼女が感情を吐き出すのを見守る段階なんだよ」
だがリンクは心中穏やかではなかった。もしかすると自分は間違ったことをしたのではないか?イリアは時折パニックが襲ってきたように悲鳴を上げると、首を激しく左右に振って暴れる。ルダはそれをしっかりと抱き締め、頭を撫でてやりながら慰藉の声をかけている。
それを見てリンクは意気を落とした。やはりこんなことはするべきではなかったのだ。リンクは落胆の溜め息をつくと下を向いて呟いた。
「僕が手掛かりを持ち帰ったらすぐに彼女の記憶が戻って何もかもが元通りになるって思ってました。でもこんなことになるんだったらいっそ‥‥」
するとレナードはその肩を抱いて言った。
「リンク、そうじゃあないんだ。君は誤解しているよ」
相手の顔を見上げるリンクにレナードは語りかけた。
「今イリアは自分の記憶と戦わなければならない時なんだ。君が沢山の魔物たちと戦ってきたのと同じようにね」
祭司はイリアのほうを見ると続けた。
「私はイリアがこの戦いを戦い抜けると信じているよ。コリンもそうだった。コリンもまた同じような経験をした。そしてその厳しい戦いを耐え抜いてきたことで今の彼があるんだ」
そう言われてリンクは思い出した。コリンはその幼い歳では考えられないような過酷な経験を通り抜けてきたのだ。リンクはまだあどけなく朗らかなあの少年が、実際にはどれほど厳しい内面の試練を乗り越えたのかを改めて想像した。
「人は皆多かれ少なかれ思い出したくない記憶と格闘するものだ。だがそれを忘れ去ってしまうというのは本来あるべき姿じゃあないんだ。それは自分が自分であるということを忘れるのと同じだからね」
レナードはリンクをいざなって礼拝所の外に出た。
「人間は何から逃れることはできても、自分自身から逃れることは絶対にできない。だから戦う以外に選択肢はない。私たちの役割は彼女の戦いを見守り、倒れたときに助け起こすことなんだ」
リンクはまた溜め息をついた。レナードの言うことはよく理解できた。だがそれでも気分は晴れなかった。イリアが少し落ち着くと、祭司は礼拝所の中でリンクの服を脱がせて矢傷を縫合したうえで、よく休むよう勧めてきた。
だが、リンクはコリンとタロを追って畑に行った。二人とともに鍬を振るって土を耕し、作物から雑草や害虫を取り除き、水を撒くなどして体を動かしていると多少なりとも気分は晴れた。昨晩戦闘をしたにも関わらず一睡もしておらず体は疲れ切っていたが、それでも眠る気分にはなれない。
一通りの作業を終えるともう夕方だった。リンクはくたくたの身体で礼拝所に帰ると、子供たちと一緒に晩飯の用意をした。イリアの具合はまだ悪く、レナードとルダが常時付き添っていた。リンクは食事中もあまり話す気になれなかった。それを察してか、子供たちは普段にも増して明るく振る舞ってくれていたが、それを見ると余計胸が痛かった。
それから二、三日は同じような日が続いた。リンクは朝早くから起きるとひたすら畑仕事に没頭した。イリアは一日のほとんどをレナードがしつらえた静かな寝室で休むか、ルダに付き添われて軽い散歩をするかして過ごした。その顔に笑顔が浮かぶこともあまりなかった。
リンクは慚愧の念と失望に押し潰されそうになっていた。イリアのために戦うことならいくらでもできる。だが、イリアが苦しい戦いをしているのを、自分が直接救ってやれないというのはなんというもどかしさだろう。次の旅に出るべき時かも知れないとリンクは思った。
「リンク、お前がイリアの記憶を取り戻すことで頭が一杯かと思って言わなかったんだがな」
ある朝早く、物陰でミドナと相談していると彼女が言った。
「イリアが『天空の杖』っていう言葉をあの婆さんから聞いたらしいじゃないか。その杖っていうのはもしかして‥‥」
「なんで気づかなかったんだろう!」
リンクは言った。
「あの杖は天空に関係があるのは間違いない。あの婆さんは詳しいことを知ってるんじゃないか?」
ミドナが言う。リンクは同意した。立ち上がると、リンクは泉に行き近くに放しておいたエポナに装具をつけた。そして自分の装備を取りに礼拝所に戻った。
礼拝所の扉を開けると、イリアとレナードが向かい合わせに座っていた。ルダは、イリアの気分が良くなるよう良い香りのする香を焚いていた。
「今日は少し調子がいいみたいだ」
レナードは座ったままリンクに微笑みかけた。
「イリア、よく思い出してくれた。そして‥‥」
祭司は立ち上がると右手を伸ばしてリンクを指し示した。
「これが君が会いたがっていたリンクだよ」
レナードはリンクのほうを向いてウィンクすると、扉のほうに向かって歩いていった。
「先生‥‥?」
リンクは戸惑って祭司を見たが、彼は扉を開けて外に出てしまった。ルダも、微笑んでリンクに目配せすると父に続いて礼拝所を出た。
「リンク‥‥?」
イリアは心もとない様子で椅子から立ち上がるとリンクを見つめた。その両目は涙で泣き濡れていて、深緑色のその瞳が激しく揺れていた。
「イリア‥‥もしかして‥‥?」
リンクは尋ねた。イリアは一歩一歩を少しづつ踏み出してリンクに近づくとその手をとった。
「ずっと昔から‥‥子供の頃から私と一緒にいてくれた‥‥」
彼女はリンクの胸に思い切り顔を埋めると、その背中に両腕を回した。
「ごめんなさい‥‥あなたはずっと前に私を助けに来てくれていたのに。私は気づかなかった」
「いいんだよ、イリア」
リンクは彼女の頭を撫でると囁いた。
「聞いたわよ、リンク。エポナに沢山たくさん無茶なことをさせたんですって?」
イリアはリンクの体に抱きついたままその顔を見上げた。彼女はその両の眉をしかめ、リンクを睨み付けるような顔をしたが、たちまちその両目から涙がこぼれ落ちた。
ふと顔を上げると、子供たちが窓からこちらを覗き込んでいる。だが、レナードが声をかけたのか、一人また一人と離れていった。最後までこちらを覗き込んでいたタロの首根っこを掴んで引っ張ると、レナードは窓を外から閉めてしまった。
「ごめんよイリア。約束を守れなくって」
リンクは謝罪した。イリアはまたリンクの胸に顔を埋めて少し含み笑いしたが、すぐにそれは嗚咽に変わった。リンクは彼女が泣き止むまで、ずっと抱き締め続けていた。