黄昏の姫と緑の勇者   作:nocomimi

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地下牢と黒い妖精のこと

さて、黄昏の姫君と緑の勇者の冒険譚について語り部たちが語ってきた事柄の中には、俄かには信じがたいような奇妙な話もいくつか含まれている。フィローネの森を覆う黒雲に引きずり込まれたリンクの身にその後起こった出来事がまさにそうで、これについては完全な作り話だと決めつけてしまう者もいる。何しろ人が獣に姿を変えるなどという現象を自分の目で見た者は王国には一人もいないからだ。だが一方で、トアル村における誘拐事件の後より、青灰色の巨大な狼がハイラル各地で目撃されるようになったことや、その狼が到底獣とは思えぬような賢い行動をとったことなどから推察するに、その狼はどう少なく見積もっても王国の危機に際して神から遣わされた特別なものと言わざるを得ない。そして、その目撃された場所と緑の勇者の行動範囲を照らし合わせると、狼は勇者本人であると結論するのが最も妥当であると筆者は個人的に考えるのである。

 

いずれにせよ、ここから先の話は直接の目撃者を欠いており、語り部たちの話を元にした筆者自身の推論が若干含まれていることをお許し願いたい。黒く背の高い悪鬼に捕えられたリンクが気絶から目を覚ましたのは地下牢の中であった。リンクが周囲を見回すと、そこは荒々しい石の壁に三方を囲まれた部屋で、廊下に面して太い鉄格子が嵌められている。自分の前腕は大きな手枷と太い鎖で床と繋がれていたので、リンクは自分がこの部屋の中さえも自由に歩き回ることを許されていないことを悟った。

 

さらにリンクは奇妙なことに気がついた。自分の指が異様に短いのだ。まさか気絶している間に悪鬼に斬り落とされたのだろうか?リンクはそう焦ったが、それ以外にも異状を見つけ、ますます混乱した。腕全体が青灰色の毛皮で覆われている。温暖なラトアーヌ地方の民の間では毛皮を身に着ける習慣などない。だがリンクはラネールの北方ゾーラの里よりさらに北にはそのような服を着る者もいると聞いたことはあった。しかし、囚人を牢に閉じ込めるのにわざわざ暖かい服を着せ掛ける親切な看守などいるのだろうか。ともかく、リンクはどうにかして手枷を外せないかと試してみた。だが自由なほうの左手も、その指が短くなっているうえ全く動かない。しかし、自分の上腕、腹、そして下肢がその目に入ったときリンクは驚いて息を呑んだ。身体の全てが毛で覆われている。いったい何なんだこれは、と声を上げようとした瞬間、口も喉もうまく動かず、ただ獣のような唸り声だけが自分の耳に聞こえてきた。

 

リンクは首を回して改めて自分の身体を眺めてみた。その両足の指もまたほとんど消え去ったかのように短くなり、足そのものは細長く変形していた。対照的に、太ももは野獣の力強い筋肉が毛皮の上からでも見てとれるほど太くがっちりとしている。焦りの声を上げようとすればするほど、犬か狼を思わせる唸り声しか出て来ない。自分は獣になってしまったのか。いや、悪鬼に魔法をかけられ変身させられてしまったのか。

 

混乱と焦燥に気が狂いそうになったリンクは、本能的にとにかく手枷を外そうとしゃにむに暴れた。手が使えないので、思い切って口を開いて鎖に嚙みつく。だが鎖は頑丈でビクともしない。そのようにしてしばらく手枷と格闘していると、部屋の奥のほうに誰かが立っていることにリンクは気づいた。

 

薄暗いのでよく見えなかったが、シルエットから子供だとわかった。よく目を凝らすと、四歳かそこらのようで、肌は青白く、体には黒い服を身に着けていて、頭には真っ黒な色の冠のようなものを被っている。冠は木か焼き物かでできたような粗い質感の素材に見たことのない文様を施されたものだった。自分と同じように牢に入れられたのだろうかと思い、リンクがその子供の顔をよく見ると、大きなオレンジ色の目、小さな鼻と口、丸い頬の形から女児だと思われた。だが次の瞬間、その女児がニタリと笑ったのを見てリンクの背筋に悪寒が走った。

 

妖精の中には悪い妖精もいると村の年寄りから聞いたことがあった。こいつがそうなのだろうか?出で立ちといい、この笑い方といい、普通の子供では絶対ないということは明らかだった。そうこうしているうちその幼女はぴょんと空中を高く飛ぶと、リンクの前に降り立った。やはり邪悪な妖精に違いないとリンクは確信した。

 

「見ぃつけた」

 

妖精は気軽な声で呟いた。リンクは、お前は何者だ、と叫ぼうとしたが、やはり唸り声しか出てこない。

 

「おお怖っ」

 

黒い妖精はからかうような調子で言うと腕を組んだ。

 

「そんな態度しちゃってもいいのかなぁ?残念だなぁ。場合によっては助けてあげようと思ったんだけど」

 

助ける?確かに魔力を持った妖精ならリンクの手枷を外し牢の扉を開けるくらい簡単なことかも知れない。そう思ったリンクは唸るのをやめて立ち上がった。

 

「そうそう、人間素直が一番。あ、人間じゃなくてもう獣かな?」

 

妖精はそう独りごちながら、まるで飼い主が飼い犬にするようにリンクの顎を撫でた。明らかに侮蔑するようなその仕草にとたんに怒りが湧いたリンクはまた低い声で唸った。もはや言葉をしゃべるのは諦めるしかないということが分かってきたリンクは、今までにないほどの苛立ちが心に湧いてくるのを感じた。だが妖精は少し後ろに飛びのいただけで、たいして気にする風でもなく呟いた。

 

「よしよしいい子だ。少し大人しくしてな」

 

彼女は自分の両手を上下に合わせて少し目を閉じていたが、やがて軽い気合の声とともにその両手を広げた。その瞬間リンクの手枷が弾けるような音を立てて外れた。リンクが目をぱちくりして自分の腕を眺めていると、妖精がその顔を覗き込んできた。

 

「驚いた?」

 

彼女は笑うと、空中に浮きあがり、廊下側に嵌めてある鉄格子をするりとくぐり抜けた。リンクはまた目を見張った。幼女なみの大きさしかないとはいえ、こうも難なく格子を通り抜けるとは、普通ではない。手枷のことといい、彼女が驚くべき魔力を持った妖精であることがリンクには分かってきた。だが、どう見ても善良な妖精ではないことも明らかだ。

 

「さて、ここはどこでしょう?ここまで来れたら教えてやるよ」

 

妖精は片手を腰に当てリンクに手招きした。だが自分は魔力などないし格子を抜ける手段を持っていない。リンクがまごまごしていると、彼女は退屈そうに言った。

 

「おいおいどうしたんだ?自力で抜けられないなら抜け穴でも探せばいいだろ?」

 

抜け穴?確かに人ならぬ姿の今の自分なら、どうにかして穴を掘って脱出できるかも知れない。牢の中を見渡すと、床も壁も堅牢なつくりでひび割れ一つない。だがリンクは、鉄格子の右端に壊れかけた大きな木箱が置いてあることに気づいた。その周囲をよく調べてみると、木箱の下の床のタイルが割れて崩れているのが見える。リンクは木箱をどけようとしたが、手が思うように動かない。頭を押し付けてどけようとしてもうまく行かないので、彼はとうとう焦れてその木箱に噛みついた。すると、大きな木箱は粉々になってしまった。壊れかけとはいえ、自分の顎の一撃の威力にリンクはびっくりしてしまい、一瞬呆然としてしまった。

 

「ほら、遊んでないで早く!」

 

妖精の声で我に返ると、リンクは木箱があった場所の床を前足で掘り始めた。やはり予想したとおり、床材がボロボロに崩れていて下の土が見えている。箱は、牢の番兵が上司の見回りの際に整備の不行き届きを誤魔化すために置いたものだろう。どうにかして床材をどけて土を掘り返すと、リンクは自分の体を穴に無理やりこじ入れて堀り続け、何とか鉄格子の向こうに抜けることに成功した。

 

リンクが体をブルブル震わせて毛皮についた土を払いのけていると、妖精がいきなりその背中に飛び乗ってきた。

 

「ふん、まあバカではなさそうだ」

 

彼女はリンクが嫌がって暴れるのも意に介さずそう呟くと、彼の耳をグイッとつかんでこう言った。

 

「よし、気に入った。逃がしてやる。だがそのかわり私の言うことをよぉく聞くんだぞ」

 

リンクは自分の心に絶望感がヒタヒタと迫ってくるのを感じた。牢から抜けることはできた。だが自分の姿は狼のままだ。そしてこの邪悪な妖精は、リンクを囚われの身から逃がすことを条件に、自分をまるで家畜のように使役しようとしている。自分は悪鬼に魂を売ってしまったということなのか。たとえ村に帰ることができても、誰も自分をリンクと認識しないだろう。元の姿に戻ることができなければ村の生活にも戻れない。第一この悪賢こそうな妖精がそう簡単に解放してくれるとは思えない。

 

「それ出発!」

 

妖精に促され、リンクは怒りと焦りで唸り声を立てながらも、結局言う通りにせざるを得ないとの諦念が勝った。彼はまず廊下の突き当たりを調べたが、分厚い鉄の扉に阻まれた。こちらは穴を掘ったくらいでは抜けられそうにない。そこでさっきまでいた牢の隣の牢に入ってみた。しかしよく調べるとその部屋は牢ではなく便所のようだった。左手奥の壁が床と接するところにある、鉄格子が嵌まった穴から排泄物が流れ落ちていく構造になっている。天井からは鎖がぶら下がっており、これを引っ張ると掃除するときのため鉄格子が開く構造になっているようだ。ここからなら出られるかも知れない。

 

「どうした?獣のくせに汚いところは嫌いか?」

 

逡巡しているリンクに妖精は尋ねてきた。

 

「ま、私もだけどな。でも脱獄しようってんだから四の五の言ってる場合じゃないだろ?」

 

確かにその通りだった。リンクは天井の鎖に飛びついて口に咥えた。その体重で鎖が引っ張られガチャリと重い音がして格子が開く。リンクは床に降りると、開いた穴に体をねじ込み前に進んだ。中は長い間使われていなかったのか乾燥していたのが幸いだったがそれでも酷い悪臭が鼻を突く。やっとリンクが穴の出口から抜け出すと、そこはどうやら下水施設のようだった。床の中央は汚い水がチョロチョロと流れる水路で、天井の高い通路が壁沿い五十メートルほど前に伸びており突き当たりがT字路になっている。

 

「おい待て」

 

妖精は声をかけてリンクを停まらせた。彼女の指さすほうを見ると、奇妙なことに気づいた。白い炎のような影が通路の隅で揺らめいている。だが、発せられる光が天壁にも床にも反射していないことから、松明でもランプでもないのは明らかだ。

 

「面白いもんを見せてやるよ。ほれ、よくよく感覚を研ぎ澄ませてみろ」

 

リンクは怪訝に思ったが、確かにその不思議な炎が気になる。その瞬間、彼は自分の感覚が以前とまるで違うことに気づいた。通路を流れる汚水の音、どこかにわずかに開いている隙間から流れてくる空気。嗅覚は、周囲の恐ろしいほどの悪臭でさすがによく効かなかったが、いずれにせよ五感が驚くほど鋭敏になっている。よく集中してみると、リンクにはその炎がとっている形がおぼろげに感じ取れるようになってきた。

 

人間だ。

 

一度見えるようになると、さらに明確にその形や色がわかるようになった。それは兜と鎖帷子を身に着け槍を携えた兵士だった。だが、これらの装備に関わらず、戦う気を全く失った状態でいるのがわかった。槍で体を支え、恐怖に激しく震えている。耳を澄ましたリンクにはその怯えに満ちた喘ぎ声さえも聞こえてきた。

 

リンクは混乱した。兵士がいて、地下牢があるということはここは城下町、いやそれともハイラル城なのだろうか?

 

思案しつつもリンクは水路に降り、つきあたりのT字路のほうに向かって歩き始めた。突き当たったところで右を見てみたが何もない行き止まりだ。そこで左に折れ、水路を塞いでいる鉄格子を避けて通路に登ると、行く先に再び奇妙なものが見える。数メートル先の水路の中で蛸のような(リンクは蛸は絵本でしか見たことがないが)生き物が、うねうねと体をうねらせながら浅い汚水だまりを泳いでいるのだ。その気色の悪さにギョッとしたリンクが立ち止まって唸り声を発すると妖精が言った。

 

「まだ獣の姿に慣れていないみたいだが、まあお前も戦いの方法くらいは知ってるんだろ」

 

彼女は気安くリンクの頭をポンポンと叩くと続けた。

 

「それを思い出すことだな。本能ってのは姿が変わってもそうそう変わるもんじゃないさ」

 

リンクは再び前進した。あの程度の大きさなら狼の顎の一噛みで一撃だろう。だがあんな気色の悪いものを口に入れたくはないので彼は静かに通り過ぎた。すぐ前に十字路があり、右はその先に進むことのできそうな奥行のある水路だったが、床から五十センチくらいの金属の棘が大量に突き出ている。正面はやはりすぐ行き止まりだった。仕方ないので左手の岐路を調べると、突き当たりにの壁に水門のような金属の板がはめ込まれており、その下からチョロチョロと水が流れていた。この水門から水を放出してやればあの棘を越えることができるかも知れない。周辺を見回すと、水門の左脇の通路には鎖が垂れ下がっていた。リンクはその鎖に近づいて飛びつき、先ほどと同じ要領でぶら下がってみると、水門が重々しい音を立てて上がっていき、堰き止められていた水が一気に流れ出して水路を満たした。

 

「ほぉ、上出来だな」

 

妖精は初めてリンクを褒めた。最初から正解を知っていながら黙っていて、リンクがどのように切り抜けるかを見極めようとしていた様子だ。

 

「さ、次だ次だ。喜んでる暇はないぞ」

 

促されたリンクは水面を眺めた。どうやら街から流れてきた汚水のようで、食べ残しの食物、鼠の死骸、さらには汚物がところどころ浮いている。しかし意を決してリンクは中に飛び込み、犬かきで泳ぎ始めた。身体が十分浮いているので水路の床から生えた棘は無事回避できる。リンクは正面に向かって泳ぎ続け、再び十字路に着いた。右手を見ると、二十メートルほど先の鉄格子の向こうに螺旋階段のある広間が見えた。出口だ。

 

すると妖精はリンクの背中から離れて空中を飛び立ち、また鉄格子を抜けるとその向こう側の中空に留まり手招きしてきた。

 

「さあ、こっちこっち」

 

リンクはそちらに泳いで行きながらも気づいた。鉄格子にはどこにも通れる場所はない。左右のどこにも扉らしきものはなかった。また謎をかけようというのか。ふと鉄格子の脇を見ると水面の下、左側の壁に穴がある。だがこんな穴に潜ってもしも体が引っ掛かりでもしたら即溺死するのは見えていた。なにか方法はないか?この水を抜くことができれば。

 

リンクは水路を逆戻りすると、今度は反対側の端にまた水門があることに気づいた。左右に水を被っていない通路がある。右側の通路に登って行き止まりまで近づいてみると、またあの白い炎が揺らめいているのが見えた。感覚を研ぎ澄ますと、先ほどの兵士と同じような武具を身に着けた男が見える。だがその男は、もはや恐怖に完全に打ちのめされてしまったかのように、両手で頭を抱えて座り込んでいた。その荒い呼吸は発狂寸前のようだ。リンクがさらに耳を近づけてみると、その呟きがかすかに聞こえた。

 

「な....なんなんだよ...あの黒いバケモノは!」

 

それを聞いたリンクの頭の中で記憶が弾けた。リンクを引きずり込んだ恐ろしく背の高い黒い悪鬼。その悪鬼がこの場所にも来たというのだろうか?

 

「おおい、まだかぁ?こっちは待ってるんだぞ」

 

妖精が呼ぶ声でリンクは再び水門の調査に戻った。この水門を開けたところで、水が流れ込んでますます脱出が難しくなる可能性もある。だが、よくよく水面に顔を近づけてみると、表面を浮いているゴミや油の動きから、水門の隙間から水が向こう側に少しづつ流れ出しているのが推測された。これなら大丈夫だ。リンクは水門の脇にある鎖に飛びついて噛みつき、先ほどと同じ要領で引き下げた。水門が引き上げられると、水路に溜まった水が急激に引き始めた。

 

リンクは妖精がいるほうに急いだ。鉄格子の左の壁の穴に体をねじ込ませ通り抜けると、壁の裏の空間に出る。床に骸骨が転がっている。ここはもとは物置か何かだったようで、右に抜ける通路があり妖精が待っている螺旋階段の広場にすぐに出ることができた。

 

「はい、遠回りごくろうさん」

 

そう言うと、彼女はまるで当然のようにリンクの背中にどっかと腰かけた。その重さは子供なみで軽くはあったが、相手を背中に乗せるという行為そのものが、邪悪な妖精への服従を示すようでリンクは酷い嫌悪感を感じた。

 

「ここはいったいどこだろうねぇ」

 

彼女は自分が完全に答えを知っているのにも関わらず相手を焦らす目的で教えないというニュアンスをあからさまにしながら尋ねてきた。地下牢があり兵士たちがいる。ほぼ間違いなくここは城だ。しかし、同時に彼らは自分たちの守るべき城の内部にいるにも関わらず甚だしく怯えていた。何かがとてつもなく異常だとリンクには感じられた。それに「黒い化け物」という言葉。

 

「さ、逃げたいだろ。出発出発!」

 

妖精に背中を叩かれてリンクは螺旋階段に向き直った。下水施設に接したここは尖塔のような構造で、汚水が溜まっている中央部の床を囲む螺旋階段で上に登れるようだ。塔の上のほうから光が幾筋も見えるから、どこかの窓から抜け出せるかも知れない。リンクは階段を快速に駆け上っていった。四つ足だけあって、足の速さは以前の倍近くにもなっている。すると、階段が途中で崩壊しているのが見えたが、リンクは今の自分なら飛び越えられそうだと見当をつけ、速度を上げてジャンプした。だが、向こう岸に到達した途端、リンクが足をついた段が崩れ落ち、頭から下の汚水だまりに墜落してしまった。リンクは慌ててまた犬かきで泳いで岸に登った。

 

「あぁまったく。何をやってるんだか」

 

妖精が肩をすくめ溜息をつく。リンクは気を取り直してまた階段を上っていった。だがさっき崩してしまった箇所まで行き着くと、もはや獣の体でも飛び越えられないほど彼我の間隔が開いてしまっている。

 

「はあぁしょうがねぇなあ」

 

そう言うと妖精はリンクの背中から空中に浮きあがり、崩壊した段の向こう側にまでふわふわと飛んでいくと、そこで手招きをした。

 

「ちょっと手伝ってやるからここまで跳んでみろ」

 

リンクは戸惑った。距離は十メートルはありそうだ。いくら狼でもそこまでは跳べない。魔法で彼を飛ばそうというのだろうか?しかし、妖精が見せた数々の不思議な技を考えると、もはや彼女を信頼して飛ぶしかないとリンクは覚悟を決めた。少しかがんで力を溜めると思い切って床を蹴る。すると、自分が一瞬だけだが鳥のようにまっすぐ空中を飛んでいるのが感じられ、次の瞬間には妖精が待ち受けていた向こう岸に降り立っていた。だが喜ぶ間もなく、その先を見るとそこでも階段が幅広く崩壊している。

 

「そうだそうだ。ほれあと一回!」

 

妖精はすぐさま次の目的地へ浮遊していく。その手助けを借りてリンクはさらにその向こう岸に飛び移った。ところが、しばらく上っていくと、その先は螺旋階段そのものが一周分ほど消失しているのが分かった。目の前には上から崩落した石材が五メートルほど積み上がっており、さらにその上で階段が再開しているのが見える。妖精はまた空中に浮きあがり、リンクに手招きした。鳥でもあるまいし、そんな上のほうに?だがリンクはもはやこの妖精の力を疑うことをやめた。またその余裕もなかった。彼がジャンプすると今度はまるで巨大な手で持ち上げられたかのように石材の上に降り立ち、それから再開している階段の開始点に飛び移った。リンクはダッシュした。この分ならここからの脱出は意外と早く成功するかも知れない。自分が狼の姿であることは、ひとまず無理やり忘れることにした。まずはイリアとコリンを探さねば。

 

途中、階段がまた途切れていたが、建設物資をやり取りする目的で階段の間に張ったまま放置されたロープがあった。リンクは注意深くその上に乗ると、綱渡りの要領で慎重に進んだ。綱渡りは村でよく遊んだ遊びだ。だが今リンクは自分の筋肉や平衡感覚が格段に強くなっており、単純な運動なら以前よりはるかに簡単にこなせることがわかった。それが獣の姿と引き換えだと思うと、喜びは全く湧いてこなかったが。

 

やがて綱渡りと魔法の助けを借りたジャンプとを繰り返し、リンクは尖塔の最上部に辿り着いた。床は丈夫な金網でできており、外に続く扉があったがそれは固く閉ざされていた。大きな石材と箱がいくつか散らばっているほかはその他に何もない。しかし、キイキイという耳障りな鳴き声を聞いてリンクは反射的に上を向いた。蝙蝠だ。蝙蝠たちはリンクの姿を見つけてその上を飛び回りはじめた。あのフィローネの森で見た吸血蝙蝠と全く同じ飛び方だ。だが貴人の住む城に吸血蝙蝠が居るなど聞いたことがない。一体ここはどうなっているんだ?そうこうしているうちに蝙蝠たちはリンク目掛けて飛び掛かってきた。リンクは反射的に吠え声を上げると獰猛な野獣の力で飛び上がりその一匹に噛みついた。仲間の一匹が牙で串刺しにされ骨まで嚙み砕かれて果てたのを見て、残りの蝙蝠どもはたちまち逃げ去っていった。リンクは口に蝙蝠の血が入ってひどい不快感を覚え、首を振りながらどうにかしてその残滓を吐き出した。

 

「おい、遊んでばかりでないで脱出方法を考えろ」

 

妖精に言われてリンクは上を見た。どこかの窓に飛びつければいいのだが。閉ざされた扉の十メートルほど上には兵士が歩哨に立つための見張り窓らしき大きな窓がある。だがそこに行き着くための階段もまた崩壊しており、再び魔法の力を借りる必要がありそうだ。リンクは顔を妖精に向けて上目遣いで見上げた。

 

「はい正解。ここがどこかってこともだいたいわかってきたろ?」

 

彼女はこの狼の「調教」が進んで素直になってきたのに気を良くしたのか上機嫌で答えると、見張り窓の下の壁にある階段の跡まで浮き上がっていった。リンクはその力で一気にそこまで飛び上がると、次の跳躍で見張り窓にまで到達した。

 

見張り窓から外の歩哨台に出たリンクは息を呑んだ。

 

今いる場所の高さは地上百メートルはゆうにあるだろうか。ここが巨大な城の一角であることはすぐわかった。周囲の構造物の壁は全て白い大理石で、ところどころ青い屋根の尖塔が立っているのが見える。幼いころ絵本で見たハイラル城そのものだ。遠くには、城下町の家々なのか、赤や赤紫色の低い建物がみっしり連なっているのが見える。

 

リンクは激しく混乱した。自分は城に行って献上品を届ける予定だったのだ。それが今、まさにそのハイラル城に自分は立っている。だが、城の兵士たちは幽霊のようなぼうっとした炎になってしまっており、しかも城を守るという任務を忘れ果てて恐怖に怯えている。さらには城の内部には蛸のような化け物や吸血蝙蝠がうろついている。一体何がどうなってるんだ?

 

彼はあたりを見回すと、もう一つの甚だしい異状に気づいた。こんな明らかな変化に今までどうして気づかなかったのだろう、と不思議に思えた。太陽は上のほうにあるのにその光が極めて弱弱しい。そして周囲の光の色が夕暮れのようなオレンジ色になっている。今まで見たことのないような、この説明のつかない奇怪な現象に加えて、見渡す限り、黒い霧のような、粒子のような、形容し難い何かが空気中を漂っていた。

 

「やっと抜け出せたな。さ、さすがにここがどこかもうわかったろ?」

 

妖精がリンクの背中でそう言ったあと、おおきく伸びをした。

 

「今日も黄昏の黒雲が綺麗だねぇ」

 

黒雲。黒雲だ!リンクはイリアとコリンを探しに行こうとして、フィローネの森が黒雲に覆われているのを見たのだ。そしてその後出会ったあの「黒い化け物」!

 

彼の頭の中でいま全てが符合したような気がした。そしてそれにより、今まで想像もしたことのないような、あまりにも酷く屈辱的で恐ろしい一つの事実が目の前に浮かび上がってきた。

 

ここは間違いなくハイラル城だ。そしてここの兵士たちも、自分が見たのと同じような真っ黒な悪鬼に襲われたのだ。彼らは勝つことができず逃げ出し、地下に隠れた。そして、ハイラル城と城下町も、フィローネの森と同じ黒雲に包まれてしまった。

 

つまり、ハイラル王国は、あの黒い悪鬼やその一味に侵略され、敗北を喫し、今その王城は魔物たちの巣となり果てたのだ。

 

今まで村の外の世界を全く知らず、ただ、いつかは城に行って王族の威光を示す旗印や城内をそぞろ歩く貴人たちをせめて遠くから眺めてみたい、というささやかな願いを抱いていたリンクは自分というものが根底から揺り動かされるのを感じた。もう献上品どころではない。村の生活も、皆に買って帰るはずだった城下町の土産も何もない。大ハイラル国の権威と栄華を象徴する王城そのものが魔物の手に落ちてしまったのだから。

 

「おい、お前にはもう少しつきあってもらうぞ」

 

呆然と立ち尽くすリンクの耳に妖精がその顔を近寄せて囁いた。

 

「ちょっと会わせたい奴がいるんだ」

 

 

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