黄昏の姫と緑の勇者   作:nocomimi

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揺るがぬ道

「痛い‥‥痛いよぉ」

 

目の前に倒れたその男は弱々しく呻いていた。嗚咽とともに涙と鼻水と涎を垂れ流している。どうやら失禁したらしく、その周囲に悪臭が漂ってきた。

 

「ザント」

 

ミドナは腕組みすると僭王を睨み下ろした。

 

「今すぐ決めろ。お縄について法の裁きを受けるか、それとも今すぐ私に殺されるか。だがこの忌々しい呪いを今すぐ解くならしばらくの間生かしておいてやる」

 

ザントはしばらくの間すすり泣いていたが、やがて空元気を出したように笑い始めた。

 

「何が可笑しい!」

 

ミドナが怒鳴った。

 

「無駄だ‥‥無駄だよミドナ。僕を殺したってお前にかかった呪いは消えやしない」

 

「なんだと‥‥どういうことだ?」

 

ザントはうつ伏せに倒れ泣き笑いしたまま続けた。

 

「僕の力は我が神から‥‥あのお方から与えられたものだ」

 

「そいつは誰なんだ?答えろ!」

 

ミドナは問い詰めた。

 

「もうお前たちには手遅れだ。あのお方‥‥ガノンドロフ様は既に受肉され蘇られたんだから」

 

ガノンドロフ。賢者たちの語っていたことの記憶がリンクの頭の中で弾けた。悪逆非道を成し魔盗賊と恐れられた男。

 

「ガノンドロフ様は光の世界を統べる。そして僕には影の世界の王座が与えられるんだ」

 

ザントは呟いた。

 

「たわごとを。お前はどっちにしろ終わりだ」

 

ミドナが吐き捨てた。

 

「愚かなのは君だよ、ミドナ。なぜなら僕は我が神の力で何度でも蘇る。何度でも。だから君たちは僕を殺すことはできないんだ」

 

ザントは含み笑いをし始めた。ミドナはしばらくの間黙っていた。

 

「気が変わった」

 

彼女はザントから背を向けると唐突に口を開いた。

 

「ミドナ?」

 

リンクは彼女を顧みた。

 

「この手で殺してやろうと思ったがやめにした。表にいた近衛兵たちが意識を取り戻したらこいつを逮捕して投獄するだろう」

 

ミドナは腕組みをして顎に手を当てた。

 

「途中からおかしいと感じ始めていたんだ。こんな小物がハイラルと影の世界両方の支配を企てるなんて話が不自然だってな。そして思った通りだった。本当の敵は別なところにいたってことだ」

 

「ガノンドロフ‥‥」

 

リンクが呟いた。

 

「ガノンドロフ!まさかあの男が裏にいたとは私も気づきませんでした」

 

リンクの腰のベルトに挟んだブーメランから声がした。

 

「ゲイル、お前何か知ってるのか?」

 

ミドナが尋ねた。

 

「ガノンドロフは処刑された盗賊だよね?」

 

剣を血払いして鞘に納めると、リンクも尋ねた。

 

「ガノンドロフは魔盗賊というだけではありません。ハイラルの歴史において多くの大厄災には彼が関わっているのです」

 

「ちょっと待ってくれ。でも彼は人間だろう?一体何歳なんだい?」

 

リンクが口を挟むとゲイルが説明した。

 

「彼は何度も蘇っています。私の想像ですが、おそらく彼もまたトライフォースの力を持っているのではないかと」

 

「なんだって!」

 

ミドナとリンクは同時に声を上げた。

 

「ある人々は彼を、かつて最初の勇者と戦った『終焉の者』の転生者ではないかと推測しています。それについては私も確信は持てませんが」

 

「リンク、こいつはここに置いておいてハイラルに戻ろう」

 

ミドナは倒れたままのザントに顎をしゃくった。

 

「ガノンドロフを探すのかい?」

 

「奴はおそらくハイラル城だ」

 

リンクが聞くとミドナは答えた。

 

「ガノンドロフがもしトライフォースの力を持っているとしたら、真っ先にゼルダを狙うはずだからな」

 

「おっしゃる通り。私もそう思います」

 

ゲイルも同意した。

 

「離散した三つのトライフォースのうち二つを手に入れるつもりだね」

 

リンクが呟いた。

 

「リンク、おそらく奴はお前がゼルダを助けにいくことも計算済みだろう」

 

ミドナは続けた。

 

「じゃあ、最終的に僕を殺して三つのトライフォースを自分の物に‥‥?」

 

「そうだ。だが、そこで現れるのがこのミドナ王女というわけさ」

 

ミドナは胸を張った。

 

「私の存在は奴にとって誤算だったはずだ。このザントは‥‥」

 

彼女はそう言うと、汚物でも見るように顔をしかめてザントを一瞥した。

 

「このザントは、私に横恋慕していたがゆえに私を殺さなかった。考えるのもおぞましいがな。結果として、奴は影の一族の長であるこの私を敵に回したというわけだ」

 

ミドナはリンクの肩に手を掛けた。

 

「リンク、今度は私がお前を助ける番だ。ゼルダ姫を救いに行くぞ」

 

「ミ‥‥ミドナぁ‥‥」

 

そのときザントが顔を上げた。

 

「ミドナ‥‥どうして‥‥どうして僕を無視するのさ?僕はこんなに君を思っているのに‥‥」

 

「まだ起きてたのか」

 

ミドナは冷めた視線でザントを見た。

 

「君はいつもそうさ。いつもいつもお高く止まって、僕のことなんて気にもしなかった。どうせ僕が平民だからだろう?」

 

「貴族だろうが平民だろうが関係ないぞ」

 

ミドナはピシャリと言った。

 

「私は最初から気づいていた。お前には一族への愛も王国の安寧を願う気持ちもない。自分の出世欲と自己顕示欲だけだとな。私がそんなお前に心惹かれるような愚か者だと思うか?」

 

「じゃあ‥‥じゃあ僕はどうすればよかったんだ?どうすれば君は振り向いてくれたんだ?」

 

ザントは再び泣きながら呻くように言った。ミドナは深い溜め息をついた。

 

「救いようのないバカ野郎だな。自分の望むものがいつだって努力次第で手に入るはずだってどうしてそう安易に考えられるんだ?」

 

「は‥‥初めて会ったときから‥‥僕は決めたんだ‥‥君を‥君を妻にするって。この気持ちだけは絶対譲れなかったんだ」

 

ザントは両手を地面につくと、痛みに呻きながらも上体を起こした。

 

「お前、気持ち悪すぎるぞ」

 

ミドナは言った。その語調にはもはや嫌悪感すらなく、平板きわまりないものだった。

 

「リンク、行くぞ。こんな奴に使っている時間が勿体ない」

 

リンクに声をかけると、ミドナは王の間の出口のほうに向いた。その瞬間だった。

 

「ぼ‥‥僕のものになってくれないんなら‥‥」

 

ザントは両の拳を握りしめた。その様子を見て、リンクは本能的に警戒を強め、剣の柄に手を掛けた。ミドナはザントに背を向けたまま出口に向かっている。

 

「いっそのこと一緒に‥‥!」

 

ザントは突如立ち上がると懐から小刀を取り出し、ミドナの背後から襲いかかった。リンクは剣を抜き放った。一歩前に進み出る。袈裟斬りに切り捨てようとしたその瞬間、ミドナのオレンジ色の髪の毛が一瞬にして槍のように伸び、ザントの胸を貫いた。

 

瞬く間にミドナの髪の毛が元に戻る。ザントは小刀を持ったままぼんやりと立っていたが、やがて膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れた。倒れたまま微動だにしない。死んだのだ。

 

「こんな奴でも自分の手にかけて殺すのは重いものがあるな‥‥」

 

しばらくの沈黙のあと、ミドナはこちらに背を向けて立ち止まったまま呟いた。

 

「ミドナ、君は悪くない。自分の身を守っただけさ」

 

リンクは剣を納めると声をかけた。

 

「私はこうなることを望んでいたのかも知れない。それを思うと何とも言えず私自身を嫌になるんだ」

 

ミドナは首を振る。

 

「ミドナ、君は賢こ過ぎるんだよ。僕は君が何もしなかったら躊躇わず奴を切り捨てていたはずだ。僕がやるべきことを君が代わりにやったんだ」

 

リンクはそう言うとミドナの肩に手を掛けた。

 

「お前のやるべきことを?それは違うぞ、リンク」

 

ミドナは振り向くとリンクの顔を見上げた。

 

「私はこの国の王位継承者だ。この国を守るためなら何をすることも厭わない。どんな重荷だって背負ってみせる。だが‥‥」

 

彼女はやや目を伏せた。

 

「お前が相手だと油断してちょっと愚痴ってしまっただけさ」

 

リンクは驚きの眼でミドナを見つめたが、彼女はすぐに顔を上げるとリンクの肩を拳でつついた。

 

「行こう。ハイラルに戻って作戦会議だ」

 

二人は王宮から出ると、野外円形広場の先に急いだ。影の世界に来たときに使った陰りの鏡による転送口はまだ稼働していた。互い違いに回転する紋章が地面に映る円形の足場の向こう側の空中に見える。足場に乗ると、リンクは風のような音とともに自分の体が回転する紋章に吸い込まれていくのを感じた。

 

数秒すると、砂漠の処刑場の鏡の間に戻っていた。傾きかけてはいるが、太陽の光が頭上から射し込みリンクはまぶしさに顔をしかめた。

 

それと同時に疲労感と空腹感がどっと襲ってきた。それに魔法弾を食らった肩と化け物に噛まれた太腿が痛み始めた。リンクは円形広場の日陰の部分に入ると、水を飲んで食事をし、一息ついた。

 

二人は相談すると、まずカカリコ村に戻ることにした。怪我の手当てと装備品の補給のためだ。ミドナはリンクを狼姿にするとワープを開始した。たちまち二人の身体が空中に吸い込まれ、ほどなくしてカカリコ村の泉の前に降り立った。

 

服を着て装備を付けたリンクが礼拝所に戻ると、コリン、タロ、ベスが歓声を上げて迎えてくれた。夕食の準備を始めていたイリアとルダも手を止めてやってきた。

 

「ほら、ちゃんと帰ってきただろ?」

 

リンクはイリアに言った。イリアは涙を浮かべながらも頷いて、リンクに抱き着いてその胸に顔を埋めた。

 

「ちょっとちょっと。そういうことは外でやってくんないかなぁ」

 

タロが文句を言う。ベスが横から口を出した。

 

「人の恋路を邪魔する奴はなんとやらって言うじゃない。こういうときは私たちのほうがいなくなるのが礼儀ってもんでしょ?」

 

「ねえ、二人とも何の話をしてるの?一体何がいけないの?」

 

コリンだけは話に着いていけず戸惑うばかりだった。

 

「子供にはわかんねえんだよ!」

 

タロがからかう。リンクとイリアは笑うと、抱き合うのをやめ互いに離れた。ルダが笑いながら書斎に行き、レナードを連れてきた。

 

他の皆が夕食の準備をしている間、レナードがリンクの負傷を調べた。リンクの左肩を見たレナードは少しその手を止めた。

 

「どうしました?」

 

リンクは尋ねた。祭司は少し黙っていたが口を開いた。

 

「この傷痕に見覚えがあってね。誰にやられたんだ?」

 

リンクが答えに詰まっていると、祭司は自分から話し始めた。

 

「ゾーラの王子も同じような傷を負っていた。彼の場合全身にだったがね」

 

「治りますか?肌に痕が残ったらどうしようかって不安で不安で」

 

リンクが冗談めかして言うと、レナードは真剣な声で言った。

 

「笑い話ではないんだ。君はただの魔物退治に行ったんじゃなかったのかね?」

 

「すいません。先生」

 

リンクは神妙になった。

 

「まあいい」

 

レナードは溜め息をついた。

 

「時が経つにつれ君はより危険な冒険へ赴き、より危険な敵と戦うようになってきたのが私にも見えていたんだ。イリアの胸中を思うと私も気が気じゃなかった」

 

祭司はリンクの肩に薬を塗って包帯を巻いた。

 

「だがこれで最後という話だったからな。そうだろう?」

 

そう言われたリンクはただ黙って頷くしかなかった。ザントと戦いこれを倒した結果、より強大な敵が背後にいることがわかった。そいつを倒さねばならない。そしてそれこそが文字通りの最後の戦いになるだろう。だがそれをどうやってイリアに説明すればいいだろう?

 

リンクは皆と夕食を囲み、その夜は寛いでぐっすりと寝た。だが翌朝は夜明け前に目が覚めた。礼拝所から出ると、ミドナを呼び出して相談した。

 

「城の見取り図があればいいんだがな」

 

ミドナは言った。

 

「影の宮殿は私の家のようなものだから迷うことはなかった。だがハイラル城は私も入ったことがあるとはいえ全体像を把握してるわけじゃない」

 

「ミドナ、魔法防壁はどうしようか?破る手立てはあるのかい?」

 

リンクは尋ねた。

 

「それは任せろ。影の結晶石を総動員する」

 

ミドナが言う。

 

「なんだか凄いことが起きそうだね」

 

リンクが応じると、ミドナが答えた。

 

「実のところ私もあれを全部いっぺんに使ったことはないんだ。だが見たところあの防壁は自己再生型ではない。一度亀裂を入れられれば突破は可能だと思う。それよりリンク」

 

彼女はリンクに向き直った。

 

「お前、あのラフレルという爺さんから城の見取り図を入手できないか?あの爺さん、現役時代には城には毎日のように出入りしていたはずだろう?」

 

「それはちょっと無理だよ。信用されていないもの」

 

リンクは渋った。

 

「なら仕舞ってある場所をアッシュかシャッドから聞き出して盗み出すって手もあるな」

 

ミドナは事も無げに言う。

 

「ミドナ、そういうのは勘弁してくれないか。僕はこれ以上あの人たちと問題を起こしたくないんだ」

 

リンクは首を横に振った。

 

「おいリンク、いつものことだがそんなことを言ってる場合じゃないだろ?」

 

ミドナは両手を広げた。

 

「それに物事には結果オーライという考え方もある。お前と私が首尾よくガノンドロフを倒したら、そんな細かいことは誰も気にしなくなる。すべてチャラだ。そうだろ?」

 

リンクは溜め息をついた。

 

「まあとにかく一度テルマの酒場に行ってみるよ。だけど期待はしないでくれよ」

 

「ダメ元でいいから言ってみろ。それから装備は足りてるな?」

 

「爆弾はまだある。矢はだいぶ使ったけど城下町でゴロンの闇市場で買えるから問題ないよ」

 

「念には念を入れたほうがいいぞ。敵が何匹潜んでるかわからないからな」

 

話し合いが終わると、リンクは泉の前に放しておいたエポナをよく洗ってやった。彼女にじゅうぶん飼い葉を食べさせると、今度は自分の手持ちの武装を点検し装備を全て身につけた。

 

「リンク!」

 

礼拝所の扉が開き、コリンが外に出てきた。

 

「おはようコリン。ずいぶん早いじゃないか。よく寝れなかったのかい?」

 

空はまだ白み始めたばかりだ。コリンは駆け寄ってくると、リンクに尋ねた。

 

「リンク、またどこかに行っちゃうの?」

 

「ああ、ちょっと城下町にね。テルマおばさんに会いに行くだけだよ」

 

リンクは反射的に答えた。コリンは少し下を向いていたが、リンクの顔を見上げた。

 

「リンク、本当のこと言って?またどこかに冒険に行っちゃうんでしょ?」

 

リンクは困惑して少年を見た。やはり自分は嘘をつくのが下手らしい。だがそれでもリンクは言った。

 

「ちょっとした用事を済ますだけだよ。じきに戻ってくるから安心して待っててくれていいよ」

 

「嘘だ!リンク、さっき誰かと話してたじゃない。突破するとか、爆弾と矢がどうとかって」

 

コリンは言った。なんと迂闊だったのだろう。リンクは困り果てて何も言えなかった。

 

「きっといつも悪い奴らと戦ってるんだなってことは僕にも分かるよ。でもどうして僕に話してくれないんだろっていつも寂しかったんだ」

 

少年は顔を伏せると続けた。

 

「パパも城下町に行ったっきり戻ってこなくなっちゃったし‥‥僕はパパに言ったんだ。『パパもリンクみたいに戦って』って。パパはきっとその通りにしてくれてるんだと思う」

 

コリンは目に涙を溜めてリンクを見上げた。

 

「だけど僕、知りたいんだ。いまパパやリンクがどんな場所でどういう戦いをしているのかって。昨日だってリンクがどうして肩を怪我したのか、少しも教えてくれなかった。僕は自分も将来剣士になって戦いたい。だから子供扱いで何も教えてもらえないなんて嫌なんだ。それに‥‥それに‥‥」

 

少年の両目から涙が溢れ出てきた。

 

「僕に‥‥僕にだってわかるよ。戦い続けていたらいつかパパもリンクももしかしたら死んじゃうかも知れないって。僕だって何も知らないわけじゃないもの」

 

リンクは思わず少年を抱き寄せた。コリンはリンクにしがみつきながら嗚咽して泣いた。

 

「だけど、どういう風にどこで戦ったのか知らないで、死んだっていう知らせだけ受け取るなんて、そんなのは絶対嫌なんだ。嫌なんだよ」

 

リンクはしばらくコリンを抱き締めていた。泣き止んだあとも少年はしばらく黙っていた。

 

「コリン、今まで黙っててごめんな」

 

リンクは心から謝った。まだ躊躇いはあったが、リンクは本当のことを話す決意を固めた。

 

一呼吸置いたあと、リンクは少年の両肩に手を置いてその顔を覗き込んだ。

 

「コリン、君のパパは今ハイラル城を乗っ取っている悪い魔物たちと戦おうとしているんだ」

 

コリンは真剣な顔で聞いていた。

 

「いま、ハイラル城には魔物たちがたくさん隠れている。ゼルダ姫も奴らに捕らえられているんだ。君のパパは命を懸けてでもハイラル城を取り戻すつもりだって言ってたよ。コリンたちが将来暮らすこの国が元の自由な国に戻るようにって」

 

「リンクも一緒に戦うの?」

 

そう問われてリンクは頷いた。

 

「だけどコリン、このことは皆にはしばらく黙っていてほしいんだ。君のパパは万が一失敗したとき、残された君やママや赤ちゃんに悪い奴の手が及ぶことだけを心配していたんだ。だからことの成否がはっきりするまで、君は知らない振りをしていたほうがいい」

 

「リンク、じゃあ僕も連れてってよ!僕も戦うから」

 

リンクは少年の思わぬ言葉に心底驚いた。

 

「パパに習った剣術の型だって毎日練習してるんだ。きっと足手まといにはならないから。ね?」

 

しばらく絶句したあと、リンクはようやく言葉を探して口を開いた。

 

「コリン、君はここにいてほしい。それは足手まといだからじゃないんだ」

 

リンクは少年に慈しみの目を注いで続けた。

 

「タロやマロやベスを守っていてほしいんだ。この村は平和になったとはいっても魔物が周囲から全員消えたわけじゃないからね」

 

コリンは渋々納得したようだ。リンクは少年の頭を撫でると、別れを告げた。泉の前から平原への小道に向かうリンクを、少年はずっと見送っていた。やがて小道が曲がり、コリンの姿が見えなくなると、リンクは物陰に入ってミドナを呼び出した。

 

「私との会話を子供に聞かれるなんてお前もうっかりした奴だな」

 

「ごめんごめん。でもことが終わるまではきっと黙っててくれるはずさ」

 

リンクは弁解した。

 

「まあいい、とにかく出発だ。まずは城下町で情報収集しよう」

 

服を脱ぐとミドナはリンクを狼の姿に変え、ワープを開始した。数秒するとリンクたちは城下町東門前に降り立っていた。

 

リンクは服を着て装備を身につけると跳ね橋を渡った。夜が明けて太陽の光が背後から射し込んでくる。まず、ポーチの中に黄金の虫があったことを思い出し、東通りから歓楽街に入って下っていった。

 

歓楽街に人通りは少ない。時おり飲み明かした酔っぱらいが路上に座り込んでいる。だが以前訪問したときもアゲハは比較的朝起きだった。リンクはアゲハの家の前に来ると、扉をノックしてみた。

 

しばらくすると、扉が中から開いた。

 

「あら、剣士さん。随分お早いのね。アゲハに何かご用ですか?」

 

彼女はそう言いながらリンクを家の中に招き入れた。リンクは彼女とともに部屋の奥に向かいながら、いつか手に入れたテントウムシをポーチから取り出した。

 

「あらあら、テントウムシさん!私、小さくなってあなたの背中に乗ってみたいわ!」

 

アゲハは歓声を上げた。彼女はテントウムシを受け取ると、作業机の引き出しからルピーを取り出してリンクに与えた。紫ルピーだ。リンクは礼を述べると、少し迷ったあと付け加えた。

 

「アゲハさん。もしかすると僕、これからはあまり虫さんを連れてこれないかも知れません」

 

アゲハは不思議そうな顔をしてリンクを見つめた。

 

「その‥‥剣士の仕事が忙しくなってきちゃって。あんまり各地を旅する余裕がなくなっちゃうかも知れないんです。たった三匹だけですみません」

 

リンクが続けると、アゲハはにっこりと微笑んで言った。

 

「構わなくってよ、剣士さん。あなたが三人も虫さんたちを連れてきて下さったのはアゲハにはとても嬉しいことでしたわ。でも剣士さん、虫好きをやめるわけじゃないのよね?」

 

「もちろんです。いまでも虫は好きです」

 

リンクは答えた。

 

「じゃあいつでも時間のできたときに遊びにいらしてくださいな。一緒に虫のことについて語り合いましょ?」

 

アゲハはリンクを戸口まで見送ってくれた。通りに出て一礼しアゲハの元を辞すると、リンクは歓楽街を下って目抜き通りに入り、そこから中央噴水広場に出た。カフェの右隣にある城壁の扉を開け、薄暗い廊下を進んだ。

 

ゴロンの行商人親子はまだ起きたばかりだったらしい。父親は大きく伸びをすると、二人の子供に早く顔を洗うよう促していた。彼はリンクに気づくと声をかけてきた。

 

「おう、勇者の兄ちゃんか。早いご出勤だな。何か入り用か?」

 

「矢を買いにね。景気はどうだい?」

 

リンクが尋ねるとゴロンは答えた。

 

「良くねえな。最近じゃ冒険者なんて会うのは兄ちゃんくらいさ」

 

「だけど西の橋が再建されることになったんだろう?」

 

水を向けるとゴロンは肩をすくめて言った。

 

「よく知ってるな。こないだ突貫工事が始まってな。駆り出されたダチから聞いたところじゃもう八割がたできてるって話だ」

 

「じゃあこれから景気も上向くんじゃないか?」

 

「だと良いがな。だが何にしても城の偉いさんたちが表で商売をさせてくれねえことにはなあ」

 

リンクはゴロンの元を辞すると階段を登り展望台に向かった。展望台には以前矢を売ってくれたゴロンがいた。リンクは代金を支払うと矢立てを矢束で一杯にしてもらった。

 

「城の様子はいつも通りだね」

 

リンクが水を向けると矢売りのゴロンが答えた。

 

「まったくだ、ここから眺めてると気が滅入ってくらあ」

 

「それも今日までかも知れないよ」

 

リンクが言うと彼は驚いてこちらを向いた。

 

「おい、そりゃあどういう意味だ?」

 

「まあ、見ててごらんよ。ちょっとしたことが起きるかもしれないから」

 

怪訝な顔をしたゴロンを後に残し、リンクは展望台から出て階段を降り、ゴロン親子に挨拶すると扉を開けて広場に戻った。

 

リンクはすぐ目の前にあるカフェに入り、茶と軽食を頼んだ。朝食をしたため、そこでしばらく時間を潰した。カフェで朝食を食べるなどという都会的なことを自分がするとは思いも寄らなかった。テーブルに頬杖をついて賑わい始めた噴水広場の路上を眺める。

 

ゲイルの言ったとおり、この戦いが終わってもハイラルには問題が山積したままだろう。むしろ、冒険と剣技で解決できない問題とずっと戦い続けることのほうが大変かも知れない。そう彼が言ったことの意味がリンクにも次第にわかってくるようになってきた。

 

近くの野外席には老夫婦が座っていた。リンクが暇そうにしているのに気づいたのか、老人のほうが声をかけてきた。

 

「珍しい、若い剣士さんですな。この町は仕事で?それとも観光で?」

 

リンクは迷ったが当たり障りのない返事をすることにした。

 

「たまたま仕事で近くを通ったものですから。やっぱり城下町はお洒落ですね」

 

「展望台にはもう行かれましたかな?」

 

「はい、行きました」

 

リンクが答えると、老女が言った。

 

「あそこからの眺めは最高よねえ。私はもう目が悪くて見えないから最近は行ってないけど」

 

「実は私がばあさんにプロポーズしたのもあの展望台だったんじゃ。もう五十年も前のことじゃがな」

 

老人はそうリンクに言うと笑った。

 

「あら、そうだったかしらね?もう覚えてないわ」

 

「まったくばあさんは最近何を聞いてもこうだから困るよ」

 

リンクは老夫婦としばらく世間話をして時間を潰した。彼らはもう仕事を引退しているのか、たっぷり時間がある様子だった。結局昼頃までカフェで時間を過ごしたあと、老夫婦はリンクに暇を請うて帰っていった。

 

城の見取り図を手に入れられるかどうか試さなければならない。リンクもようやく立ち上がった。中央噴水広場から目抜き通りに入って南下する。そこから右に折れて裏通りに入ると、人通りのない広場を通り過ぎ、酒場へのトンネルに入って扉を開けた。

 

居酒屋の中は思ったより賑わっていた。ランチ客もいれば早くも飲み始めた呑兵衛たちもちらほら入っている。時間帯が早い割に盛況のようだ。テルマは客の注文を聞いていたが、リンクに気づくと笑顔で手を振ってきた。リンクも手を振り返した。

 

奥の客間を見やると、ラフレル、アッシュ、モイ、そしてシャッドがいつもの席に腰かけている。リンクは急ぎ足で近づいた。テーブルの傍に立つと、手短に皆に挨拶した。

 

「リンク、あんとき以来だな。無事でよかった。どうしてたんだ?」

 

モイが立ち上がろうとするのを手で制して、リンクはラフレルに向き直った。

 

「ラフレルさん、お願いがあります」

 

リンクは相手が反応するのを待たず単刀直入に切り出した。

 

「ハイラル城の見取り図をお持ちではないですか?もしお持ちなら見せていただきたいんです」

 

ラフレルは呆気にとられた顔をしてしばらく絶句していた。

 

「城の見取り図です。よければ見せていただけませんか?」

 

リンクが繰り返した。

 

「い....いったいそんなものをどうされるおつもりですかな。何に使われるので?」

 

ラフレルは辛うじていつもの慇懃な口調で尋ねた。リンクは何かうまい言い訳をでっち上げて目的を遂げようという考えが浮かぶのをすぐに捨ててしまった。面倒なことはもうたくさんだ。

 

「何に使うかですって?」

 

リンクはその場にいた四人を見回した。

 

「僕らはこれからハイラル城の魔法防壁を破って中に突入します。そして魔物どもを倒します。だから必要なんです」

 

ラフレルはほとんど口をポカンと開けていた。シャッドも言葉を失ったままリンクを見つめている。モイは茫然と目を見開いていたが、やがて慌てて立ち上がった。

 

「おいリンク、冗談だろ。お前ひとりで一体何をやろうって....」

 

その瞬間アッシュが席を立った。

 

「おのおのがた。何を迷われる?」

 

彼女は決然とした語調で述べた。

 

「今我らはハイラルの興亡を分かつ岐路に立っている。なぜリンク殿がひとり敵地に向かわれるのを手をつかねて見送ることができようか?」

 

「アッシュ嬢、まあ待たれよ」

 

ラフレルは手を上げて宥める仕草をした。

 

「考えてみなされ。リンク殿かその助力者が魔法防壁を破れる保証を我々は持たぬ。そもそも老輩が以前述べたとおり影の王女とか申す者を信頼できるかどうかは....」

 

「ラフレル殿、もはや我々は待ち過ぎた」

 

アッシュは遮った。

 

「ハイラルが腐敗していくのを何もせず眺めているよりは剣をとって進むことを私は選ぶ。たとえそれが死に至る道だとしても」

 

「それを蛮勇と呼ばずとして何と呼ばれるのかな?」

 

ラフレルも言い返した。だがリンクはすぐに割って入った。

 

「このことが皆さんの間に喧嘩を引き起こすなら取り下げます。僕らは自分たちの力だけでやります」

 

そう言うとリンクは皆に背を向けた。

 

「お邪魔しました」

 

こんな形になってしまったのが心残りだった。モイやシャッドとももっと話がしたかった。だが仕方がない。

 

「おいリンク!」

 

モイが追いかけてきた。彼はリンクに追いつくと肩に手をかけて引き止めた。

 

「一体どうしたんだ?何があった?お前らしくもねえぞ。一人で突っ込んでいくなんて」

 

リンクは振り向いた。

 

「モイ、できれば君には生きてコリンたちのところに帰って欲しいんだ」

 

「リンク、そいつはこっちのセリフだぞ。イリアはどうなる?だいいちお前はまだ十六なんだぞ」

 

モイがリンクの両肩をつかんだ。リンクは少し俯いたあともう一度モイの顔を見た。

 

「僕も本当は村に帰りたい。皆の誤解を解きたいから。でもその前にこのことを片付けないと。だから行くよ」

 

リンクは微笑むと師の両手をそっと持ち上げて自分の肩から離した。

 

「君の真似をしたわけじゃないんだ。これが僕のやるべきことだからだよ。避けて通りたくはないんだ。絶対に」

 

リンクは踵を返すと、モイのもとを離れ、足早に出口に向かった。

 

「おい待て、リンク!リンク!」

 

モイの叫び声に、他の客に給仕していたテルマが振り向いた。リンクは敢えて彼女のほうを見ずに扉に向かって歩き、店を出た。裏通りの広場を走って横切り、目抜き通りに入ったときにテルマが呼ぶ声が聞こえたような気がした。だがリンクは立ち止まらなかった。雑踏の中に入り、一路北を目指す。しばらくすると目抜き通りが終わり、中央噴水広場に入った。そこも午後の仕事で忙しく行き来する町民たちで溢れかえっている。

 

リンクは噴水の縁に腰を掛けた。自分はミドナに頼まれたものを手に入れることができなかった。だがミドナもリンクがこんなことを上手くやり遂げるなどと期待はしていなかっただろうと半ば思っていた。

 

「確かにダメ元でいいとは言ったが、まったく単純な奴だなお前も」

 

ミドナが耳の中に話しかけてきた。

 

「ごめんミドナ。でもあれが精いっぱいだよ、僕には」

 

リンクは小さな声で呟いた。幸い、人込みの中ではリンクの声は搔き消されていたし、周囲を往来する人々も噴水の縁に腰かけて独り言を呟く少年を気にするほど暇ではないようだ。

 

「まあいい。とりあえず次どう動くかだな」

 

ミドナが言った。

 

「壁を突破するのかい?」

 

「いや、それより前にまずあそこに立ってる兵隊どもを何とかする必要がある」

 

中央広場の噴水の向こう側を見ると城へと通じる柱廊の入り口のアーチの左右に槍を携えた衛兵が立っている。リンクは尋ねた。

 

「どうするつもりだい?」

 

「兵隊に近づいて話しかけろ。十秒くらい時間を稼げ」

 

「話すって..何を?」

 

「適当でいい。あとは私に任せろ。揉め事にならないようにしたいだろ?」

 

一体何をするつもりなのだろう。だがリンクは彼女を信頼することにした。立ち上がると、広場を横切ってアーチの前の左側の兵士に近づいた。

 

「いいお天気ですね」

 

話しかけると兵士はヘルメットのバイザーを上げて微笑んだ。

 

「まったくだね。まるで真夏が戻ってきたみたいだ。君はどこから来た?」

 

「トアル村です」

 

「ずいぶん遠くから来たもんだな。城下町で仕事でも探すのか?」

 

「いえ、行くところがあって」

 

リンクは少し言葉を濁したが、本題に入った。

 

「あの....実は僕城まで行きたいんですが」

 

リンクが言うと衛兵はすぐに首を横に振った。

 

「ダメダメ。城には誰も入れるなと上からの命令なんだ」

 

入口の反対側にいたもう一人の衛兵も近寄ってきた。

 

「城はダメだぞ。さあ行った行った。ここから先は一般市民の入れる場所じゃないからな」

 

その瞬間、指を鳴らす音がして二人の衛兵は宙を見つめたまま動きを止めた。次いで、彼らはゆっくりと目を閉じると、立ったまま寝息を立て始めた。

 

「よし、先に進め」

 

ミドナの声がした。リンクは半信半疑ながらも、兵士たちの脇をすり抜けてアーチをくぐり、城へと通じる柱廊に足を踏み入れた。

 

左右にハイラル王家の旗印が下がる柱廊を進むと、突き当りは大きな両開きの扉だった。僅かに隙間が開いているのを押し広げてすり抜ける。そこから先は城の前の堀を渡る立派な石造りの橋だった。その先には橋の終端に再び扉がある。だが、その手前にはあの魔法障壁が立ち塞がっていた。

 

「よし、とりあえず一休みだ。夜になったら動くぞ」

 

ミドナが姿を現して言った。

 

「あの兵隊たちは大丈夫かな?」

 

リンクは後ろを振り返った。

 

「大丈夫だ。眠ってるだけだし、目が覚めてももうお前のことは覚えていない」

 

ミドナが答える。

 

「お前も休め。体力を温存しておけ」

 

彼女はそう言うと姿を消してしまった。リンクはやや戸惑った。陽気が良く、静かな昼下がりだ。城の正門前の堀を渡る橋は城下町の賑わいとは隔てられていてとても静かだった。城側にある魔法防壁のほうを見ないかぎりは、物思いに耽るのにうってつけな環境だった。

 

リンクは橋の壁にもたれて路面に腰を掛けた。これから最大の敵との戦いを控えているとは思えない平和さだ。ガノンドロフは一体どんな人物なのだろう?リンクは考えた。ザントは単なる傀儡だった。戦さも剣術も知らない、ただの小物だ。リンクには戦ってみた実感としてそれがわかった。だがガノンドロフは違うだろう。盗賊として数々の襲撃や強奪を指揮してきたのだろうし、きっと剣術の心得もあるに違いない。しかも賢者たちの一人を殺したくらいなのだ。相当の猛者に違いない。

 

リンクは目を閉じた。わが師、骸骨剣士はいまひとつの奥義を教えてくれると言っていた。リンクはそれを切に求めていた。不思議なことに恐れや不安はほとんど浮かんでこなかったが、師の最後の教えを受けてから戦いに臨みたかった。

 

心の中に師のことを念じていたリンクがふと目を上げると、目の前の路面に座る大きな獣の影があった。驚いて跳ね起きると、それは巨大な黄金の狼だった。

 

「時が来たな」

 

頭の中で声がした。師の声だ。目の前の狼はリンクに向き直ると、ゆっくりとこちらに歩いてきた。それがいつの間にか、骸骨剣士の姿に変わった。リンクたちの周囲も、いつの間にか白い霧の立ち込めた平原に変わっていた。

 

「最後の奥義をお前に伝えるときが来た。心備えはよいか?」

 

骸骨剣士は尋ねた。円盾と剣を両手に提げている。リンクは懐かしさで胸が熱くなるとともに、最後の訓練の始まりを期して気を引き締めた。

 

「はい」

 

そう答えたリンクには、次に求められることが完全に分かっていた。まずは以前教えを受けた奥義が身についているのかを試されるのだ。すぐさま剣を抜き、それを左手を添えた上段の構えに持った。同時に両脚をやや開いて腰を落とす。

 

骸骨剣士は盾を上げ剣を構えると、自らの姿を三つの分身とした。三人の剣士がじりじりと間合いを詰めてくる。この技の神髄は読みと溜めだ。性急に斬りかからず、リンクは五感を研ぎ澄ませた。仮想的である骸骨剣士三人との間合いが縮む。今か?いやまだだ。今か?

 

その刹那、リンクは力を解放した。裂帛の気合とともに跳躍し、三人の仮想敵のただ中に斬撃を叩きつける。骸骨剣士三人は衝撃波を喰らって仰向けに倒れた。

 

「わが奥義『大ジャンプ斬り』確かにわが物としたようだな」

 

骸骨剣士は分身をやめて立ち上がった。

 

「次なる、そして最後の奥義は『大回転斬り』だ」

 

「『大回転斬り』......」

 

リンクは呟いた。

 

「凄まじい威力の反面、そなたが心身ともに力が充実していなければ決して出すことはできない。まずは見ておれ」

 

骸骨剣士は剣を構えると、凄まじい気合とともに回転斬りを放った。一見して、その勢いも威力も格段に大きいことがわかった。周囲の空気まで震えていることが肌で感じられた。一体どうやって?リンクが驚きに半ば茫然として立ち尽くしていると骸骨剣士は付け加えた。

 

「己れから力が剣を通じて放たれること。儂が心身ともにと言った意味をよく考えよ」

 

リンクは剣を抜いた。心身ともに力が充実しているとはどういう状態だろう。今は負傷箇所も手当てし、疲労もない。だとすれば必要なものは何か。リンクには次第に見えてきた。心の迷いに打ち勝つことだ。

 

リンクは自らの心残りを考えた。モイたちとともに戦うことができれば、と僅かな希望を抱いていたが、それは叶わないかも知れない。本当なら、モイを生き延びさせて、彼がコリンを迎えに行き、妻と赤子のもとに帰るまでを見届けたかった。また、この戦いを終えたあとイリアと再び会えるだろうか?その保証は全くない。イリアを悲しませることはしたくない。かといってこの戦いから身を引くわけにはいかない。

 

全ては委ねるしかない。リンクは悟った。ゲイルのくれた助言を思い出した。人は変わる。物事は今見えていることだけで終わるわけではない。リンクは剣を構えた。自分はただ全力を尽くして戦うだけだ。その戦いが勇者の道にかなうものであったなら、それでいい。自らの振るう力と流す血の行く末は全てこのハイラルの運命の流れの中に委ねよう。

 

裂帛の気合とともにリンクは回転斬りを放った。見様見真似だったが、確かに凄まじい力が自分の中から剣を通じて伝わり、周囲の空気を激しく震わせたのを感じた。

 

「確かにわが最後の奥義をおのれのものとしたようだな」

 

骸骨剣士は盾を下し、剣の先を地面についてその柄に手をかけた。戦いに備えた気迫あふれる師の姿勢しか見たことのないリンクは意外の念を持った。

 

「思い出すがよい。そなたはかつて儂が誰かを知りたがった。対して儂はそなたに本当の自分は誰かを答えよと問うたのだ。その問いに答えられるか?」

 

「はい」

 

リンクは頷いた。

 

「僕は勇者です。自信や自負があってそう言っているのではありません。ただ自分がその道を生きるべき、その道だけを生きるように呼ばれていると思い知ったからです」

 

骸骨剣士は黙って聞いていた。

 

「僕はこの冒険で学びました。勇者の生き方は強いかどうかで決まるのではなく、今この時代にあって何を選ぶかで決まるんだってことを。僕はそのことを知れてよかったと思っています。それを知った今、迷いはありません」

 

「ならば儂も答えよう」

 

骸骨剣士は口を開いた。リンクは驚き、また期待をもって師を見つめた。いよいよその正体が教えてもらえるのだろうか。

 

「わが子よ」

 

骸骨剣士は一言だけ言った。驚きのあまり、リンクは言葉を発することができなかった。わが子?

 

「勇者の血筋はひとつ。これは最初の勇者がハイラルに現れて以来決まっておる。そして儂の授けたこの奥義もまた勇者以外には使いこなすことはできぬ」

 

「じゃあ先生......あなたは....?」

 

骸骨剣士は静かに頷いた。わが子、と言われた意味がリンクにはようやく理解できてきた。この剣士はかつての勇者だったのだ。そして自らの遠い子孫であるリンクのことを、時を超えても案じ思い続けてくれていたのだ。

 

「ただ、儂はその血に属する者でありながら勇者として名を成すことも剣の技を誰かに伝えることもできなかった。その心残りを今晴らすことができて嬉しく思うぞ」

 

骸骨剣士はリンクに背を向け歩き始めた。

 

「揺るがぬ道を見い出したそなたにもはや儂の導きは必要ない。迷わず進め、リンク」

 

リンクは言葉を探した。だが何も出てこなかった。その代わり涙が目から溢れ出てきた。唇が震え、辛うじて ありがとう という言葉が漏れ出てきた。衝動的に追いかけようと手を伸ばしたが、リンクはすぐにそれを引っ込めて拳を握った。今は師に縋るときではない。

 

その時は終わったのだ。リンクは目を上げた。目の前にあった白い霧の平原はいつの間にか消えて、ハイラル城前の橋の上に戻ってきていることがわかった。涙が途切れることなく流れ、目の前に映るもの全てが激しく揺れ動いていたが、それにも関わらずリンクは微笑んでいた。

 

自分が何者でどこから来たのか、いま本当にわかったのだ。

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