黄昏の姫と緑の勇者   作:nocomimi

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ミドナの勇気

リンクの目の前にいて、こちらに剣を向けているのは他ならぬゼルダ姫だった。

 

この城に侵入したときから、ガノンドロフという男はどれほどの猛者なのだろう、とリンクは何度も想像し、戦う覚悟を決めてここにやってきた。それなのに、目の前にいるのはゼルダ姫なのだ。戦ったらゼルダ姫を傷つけてしまう。リンクは盾と剣を構えながらも逡巡した。そうしているうちにゼルダ姫はふわりとリンクの上空に浮かび上がった。

 

肩越しに入り口のほうを見ると、ミドナは魔法結界の外に倒れていた。気を失っているのだろうか?再び前方を見上げると、ゼルダ姫は空中に浮遊したまま剣を掲げていた。剣の先端にみるみるうちに雷が満ちるとともに光球がそこから膨れ上がっていった。

 

憑依されたゼルダ姫は剣を振りかぶった。ガノンドロフの声による気合いとともに剣が振り下ろされると、魔法弾が真っ直ぐこちらに飛んできた。リンクは咄嗟に横飛びしてそれを避けた。

 

魔法弾は小さな稲妻を撒き散らしながらリンクのすぐ横をかすめて飛んでいった。額に冷や汗が流れるのを感じながらリンクはゼルダ姫に向き直った。相手は五メートルほど上空の宙に浮いたままだ。捕まえるどころか攻撃を当てることさえできない。それに、もし攻撃を当ててしまったら今度はゼルダ姫を傷つけることになる。どうすればいい?

 

「リ‥‥リンク」

 

そのとき、魔法結界の向こう側で倒れていたミドナが顔を上げた。

 

「ミドナ!大丈夫か?」

 

リンクは肩越しに振り返った。

 

「身体を打ったがなんとか大丈夫だ。それよりリンク、聞け」

 

彼女は顔を歪めながらも言った。憑依されたゼルダ姫が剣をかざすと、呪文を唱えた。リンクの足元の床に大きな三角形が浮かび上がり光を発し始めた。まずい。本能が危険と知らせた。全力でダッシュし前転した。一瞬後に今までいた床から黄色い光が刺すように飛び散った。もしあのまま上にいたら無事では済まなかっただろう。立ち上がってゼルダ姫のほうを見上げると不気味な微笑みを浮かべている。完全に憑依されていると分かっているとはいえ、なんという気味の悪さだろう。

 

「あいつをゼルダの身体から追い出すには魔法弾を跳ね返して当てるしかない」

 

ミドナはそう言うと、痛みに呻きながら上体を起こした。

 

「だけどそんなことをしたら‥‥!」

 

ゼルダ姫の動きを見据えながらもリンクは言った。

 

「あの魔法弾は電撃系だ。食らったらしばらく身体が麻痺するが即死するような代物じゃあない」

 

ゼルダ姫が今度は剣をかざしたあと身体全体を倒し、一本の槍のようにして宙を飛び襲い掛かってきた。反射的に盾を掲げる。恐ろしく重い突きの衝撃が左手に感じられる。どうにか足を踏ん張って堪えるとリンクは盾と剣を構え直した。

 

「リンク、ガラス瓶を使え!」

 

ミドナがまた言った。

 

「ガラス瓶だって?」

 

リンクは次の攻撃に備えて相手の方を向き用心深く身構えながらも、ミドナの意外な言葉に面食らって聞き返した。

 

「ガラス瓶だ。とにかく私を信じろ!」

 

ゼルダ姫が剣を振りかぶる。今度は何だ?その剣の先に稲妻が生じ始めたのを見てリンクは剣を納めポーチに手を伸ばした。

 

彼我の距離は十メートルほどだ。ゼルダ姫の剣の先端にみるみるうちに魔法弾が形成される。憑依されたゼルダ姫が剣を振り下ろすのと、リンクはガラス瓶を取り出すのとはほぼ同時だった。

 

小さな白い稲妻を無数に帯びながら魔法弾がこちらに向かってくる。リンクは無我夢中でガラス瓶を突き出した。

 

眩しさに目がくらむ。だが一瞬後、リンクの手を包んだかに見えた魔法弾が空中のゼルダ姫のほうに向かって飛んでいった。反射したのだ。

 

反射し飛んで行った魔法弾を、だがゼルダ姫が剣を振り下ろして叩いた。リンクは咄嗟に再びガラス瓶を突き出した。跳ね返った魔法弾がゼルダ姫に向かっていく。ゼルダ姫がまた剣を振り下ろし、魔法弾を弾き返す。向かってきた魔法弾を、リンクがガラス瓶を突き出して反射させる。数度にわたる魔法弾の打ち合いのすえ、ゼルダ姫が剣を振り下ろすのが一瞬遅れた。

 

途端に魔法弾の電撃がゼルダ姫を包んだ。小さな稲妻がその身体の表面を走り回り、憑依されたゼルダ姫は空中で身体をのけ反らせ、ガノンドロフの声で苦しみの呻きを漏らした。

 

姫様、お許しください。リンクは心の中で念じた。数秒間の呻吟のあと、ゼルダ姫を苛んでいた稲妻は消え去った。彼女は元に戻っただろうか?リンクがそう思った次の瞬間、空中のゼルダ姫は黄色い目を見開きリンクを睨みつけた。

 

まだだ。ゼルダ姫は剣を掲げると、身体を倒して槍のように一直線にこちらに飛んできた。リンクは横っ飛びに転がって避けた。

 

立ち上がって振り向くと、ゼルダ姫は剣先を上げその先端で魔法弾を膨らませながらリンクの上方に迫ってきた。打ち返す余裕を与えないつもりだ。ゼルダ姫が魔法弾を放つ。リンクは再び転がって逃げた。身体のすぐ横を稲妻の塊が音を立てて通り過ぎていく。

 

今度はゼルダ姫が剣を掲げ呪文を唱える。足元に巨大な三角形の光が浮かび上がる。脱兎のごとく走り、その光の範囲から飛び出した。次第に息が切れてきた。だが魔法弾を打ち返す以外に反撃の手段はない。リンクは機会を待ち続けた。

 

ゼルダ姫が浮遊してリンクの上空にやってきた。剣を上げてその切っ先に雷を溜めている。もうすぐだ。リンクは相手の攻撃を誘うためその場に留まった。とにかく魔法弾を打たせなければ始まらない。

 

此彼の距離は五メートルほどだ。ゼルダ姫は剣の先端の魔法弾を膨らませながら大きく剣を振りかぶる。リンクは距離の違いから魔法弾の打ち合いの早さを咄嗟に頭の中で割り出した。前回の二倍だ。

 

ガノンドロフの気合いの声とともにゼルダ姫が魔法弾を撃ち出した。リンクもガラス瓶を突き出す。ガラスに反射された魔法弾がゼルダ姫に向かう。憑依されたゼルダ姫も剣を振り下ろして応じた。

 

恐ろしく早いペースの打ち合いが何往復も続いた。リンクは全身全霊を集中し、半ば心を無にして魔法弾を打ち返した。眩いばかりの光球が迫る。再びガラス瓶を突き出して跳ね返す。

 

リンクには何十分もの時間に思えた。だが実際には数秒だったかも知れない。とうとうゼルダ姫の動きがごく僅かな遅れを見せた。他人の身体を操るガノンドロフと自分自身の身体を使うリンクの違いが出たのだ。

 

打ち返しの遅れたゼルダ姫に魔法弾が直撃し、全身が稲妻に包まれる。苦痛の呻きを上げながらゼルダ姫が体をのけ反らせる。だが、憑依された姫はそれでも数秒すると立ち直ってリンクをねめつけた。

 

「この小僧がぁぁぁぁ!」

 

怒りの形相で剣を掲げると、たちまちリンクの足元に三角形の光が浮かび上がる。横っ飛びしたあと、できるだけ遠くの地面に飛び込み前転した。背後の床から光が立ち上り、空気が焼けこげるような臭いがした。次いでゼルダ姫が身体を倒して突きを放ってきた。片手に瓶を握ったまま、リンクは強烈な突きを予期して盾を上げ、足を踏ん張った。

 

だが肩透かしだった。ゼルダ姫はリンクの脇を通り過ぎながら剣を振り、その手にあったガラス瓶を切っ先で叩き壊して飛び去った。リンクは思わず振り向いて相手のほうを見た。迂闊だった。同じ攻撃ばかりが来ると思っていたのだ。

 

「小賢しい小僧め。その程度の猿知恵で太刀打ちできると思うか?」

 

再び浮上したゼルダ姫がガノンドロフの声で言った。リンクは剣を抜くと相手を見上げた。二度は電撃が効いたのだ。もう一度当てるにはどうすればいい?リンクは一計を案じた。多数の壮麗な柱が立ち並ぶ広場の隅に走り、柱の一本の陰に身を隠した。

 

「鼠のように逃げたとて無駄だぞ。鼠には鼠らしい死を与えてやるわ」

 

ガノンドロフの声が聞こえた。早く来い。早く来い。リンクは剣を鞘に納めながら念じた。柱の陰から覗くとゼルダ姫が浮遊しながらこちらに近づいてくる。リンクは五感を研ぎ澄ませ、敵の気配を探った。

 

リンクは考えた。ただ一つ方法がある。回転斬りだ。空気をも震わせるリンクの大回転斬りで魔法弾を跳ね返すことができるかも知れない。リンクはゼルダ姫が柱の向こうにいることを確かめると、攻撃を誘うようにその場から飛び出した。

 

ゼルダ姫が身体を倒し剣を突き出して後ろから突進してくる。リンクは肩越しにその軌道を見極めながら壁に向かって走った。横に飛んでギリギリのところで相手の切っ先をかわすと、壁際に立って大きく肩で息をした。半分本当だが半分演技だ。

 

「鼠め観念せい。今ふさわしい仕置きをしてやる」

 

ガノンドロフの声でゼルダ姫が言った。リンクの前方に立ち塞がるように位置を占めたゼルダ姫が剣を持ち上げるとその先端に稲妻が走り魔法弾が膨らんでいく。

 

「喰らえい!」

 

ゼルダ姫が剣を振りかぶりガノンドロフの声で叫んだ。リンクはその途端にダッシュし剣を抜いた。憑依されたゼルダ姫のすぐ下方に飛び込むように入り込む。その瞬間ゼルダ姫が剣を振り下ろし、大きく膨らんだ魔法弾をリンクに向けて撃ち下ろした。ほぼ同時にリンクが回転斬りを放った。

 

凄まじい威力の回転斬りが、放たれた魔法弾をそのまま上方に打ち返した。憑依されたゼルダ姫は剣を振り上げる暇がなかった。反射された魔法弾が空中のゼルダ姫を直撃し、稲妻が全身を包み込む。魔王に憑依されたゼルダ姫は苦痛の呻きを上げて剣を取り落とした。剣が床に落ちてけたたましい音を立てると同時に、数秒間の責め苦からようやく解放されたゼルダ姫は床に落下して倒れたあと、よろよろと立ち上がった。

 

リンクは剣を構えながらも迷った。どうやらこちらを攻撃する力は失われたようだが、まだガノンドロフは彼女の中にいる。妖しい黄色い目の光も、全身の肌を覆う毒々しい文様も消えていない。

 

「リンク、どいてろ!」

 

ミドナの声が背後から聞こえた。入り口を振り返ると魔法結界が消えている。ミドナは立ち上がっていた。その身体の周囲を影の結晶石がぐるぐると回っていたが、やがて結晶石が合体して面甲を形作り彼女の顔を覆った。

 

リンクは横っ飛びに身を避けた。ミドナの髪の毛が凄まじい勢いで膨れ上がったかと思うと、蛸の化け物の触手のように伸びた。その触手がゼルダ姫の身体を素早く攫っていき、玉座の上まで運んだ。

 

ミドナの触手がゼルダ姫の身体を包む。そこから光が発するとともに、黒い破片のようなものが触手の間から漏れ出て空中に浮かび上がった。取り憑いていたガノンドロフの魂だろうか?ゼルダ姫の身体を握り締めていたミドナの触手が開く。ゼルダ姫は目を閉じて玉座に座っていた。意識は戻っていないようだが、以前とは違い眠ったような表情だ。

 

リンクは心から安堵した。ゼルダ姫は生きている。だが次の瞬間、背後の広間に異様な雰囲気を感じてリンクは振り返った。

 

ゼルダ姫の身体から出ていった黒い破片の奔流が、今度は広間の中央に流れ込んで渦を巻いている。それは少しづつ形を取り始めていた。

 

だが、元々のガノンドロフの形ではない。一体何が現れようとしているのだろうか?黒い破片が大きな塊となり、やがてその形が明らかとなってきた。

 

巨大な動物だ。次第に、色や細部の形状が見えてきた。猪の化物。だがただの猪ではない。ブルブリンたちの乗る巨大猪よりも十倍くらいは大きい。しかも、前肢と後ろ脚が長く筋肉質で、胸部も恐ろしく発達していた。

 

猪の化け物は部屋が揺れるような吠え声を上げて後ろ足で立つと、再び四つ足でリンクに向き直り、前足で床を掻いて突進の準備をした。

 

来る。リンクは剣を抜いて構えた。魔獣が突進を仕掛けてきた。魔獣の足音が地響きとなる中、リンクは横に転がって回避し、立ち上がるとすぐに振り返った。

 

だが、驚くことに、化け物が広間の隅まで走るとその身体が吸い込まれるようにして消えた。魔法だ。ザントとの戦いで経験したように、消えては現れてこちらを撹乱し、死角から襲ってくるつもりだ。

 

リンクは盾を掲げると剣を構え直した。相手が大きいからといって臆するリンクではない。今まで巨大な魔物たちと何度も戦ってきたからだ。そして、魔獣が横を通り過ぎたとき、その額に宝玉がつけられているのをリンクは見逃さなかった。宝玉は魔力の印だ。リンクは直感した。

 

奴はどこから来る?次に現れたら額に一撃を喰らわせてやる。そう思いながら背後も含め油断なく周囲に目を配っていると、リンクの前にミドナが進み出た。

 

「リンク、待て」

 

彼女は前方に向けて手のひらをかざした。

 

「ミドナ、どうするんだ?」

 

リンクは尋ねた。

 

「転送場検知の魔法だ。奴が次に出てくる場所を探ってる」

 

ミドナが真剣な表情で答えた。リンクはミドナの顔を見たあと、そのかざした手のひらの向いている方向を見た。赤紫色の渦巻きのようなものが、二十メートルほど先の空間に浮かんでは消えていく。

 

「あれはお前たち剣士が言うところの『気配』みたいなもんだ。あれがひとつところにとどまったときが勝負だ」

 

「わかったよ。ところでミドナ、奴の額の宝玉が怪しいと思わないか?」

 

リンクは言った。

 

「同意だ。私も魔力の集中を感じた。そこを叩くには飛び道具を使ったほうがいいぞ」

 

リンクは頷いた。今はミドナを信頼することに心を決めた。剣を納め、弓を背中から下ろして矢をつがえると、ミドナとともに前方に目を据えた。

 

赤紫の渦巻きが浮かんでは消える。消えると数メートル横に新たなものが現れる。だが、やがてひとつの渦巻きが空中に残り、青色に変色してきた。

 

「来るぞ」

 

ミドナが言う。リンクは弓を引き絞った。

 

その刹那、渦巻きの中から魔獣の頭が現れた。たちまち全身が出てくると、化け物はこちらに突進してきた。リンクは敵の額の宝玉を狙って矢を放った。外す距離ではない。矢は一直線に飛び化け物の額に命中した。矢は刺さらなかったが、宝玉と激しい衝突音を立てた。

 

こちらに迫りながらも魔獣は苦痛の吠え声を上げた。横倒しになり、突進の勢いで十メートルほど床の上を滑った後停止した。効いたのだ。リンクは背中から剣を抜くと走り寄った。動物の身体の一番柔らかい部位は何といっても腹だ。敵の腹側に回り込むと、魔獣の胸から腹にかけて白い傷が走っている。魔獣に変身しても、以前賢者たちに刺された箇所は傷として残っているのだ。

 

躊躇わずリンクは渾身の突きを放った。剣の刃が魔獣の分厚い皮膚に食い込む。だが簡単には貫けないとみるやリンクは作戦を変え、魔獣の傷跡に沿って横斬りを矢継ぎ早に繰り返した。一度、二度、三度、四度。五度。とうとう魔獣の皮膚がバッサリと切り裂かれ、血が飛び散った。

 

だがその痛みで目が覚めたのか、魔獣は轟くような吠え声を上げて体を起こした。リンクが飛びのくと、敵は地響きを上げて広間の隅に向かって走っていった。立ち並ぶ壮麗な柱に魔獣の身体がぶち当たり、次々に崩れていく。やがて魔獣は宙に吸い込まれ姿を消した。

 

だが手応えはあった。リンクは剣を納めると、再び弓に矢をつがえた。ミドナは前方に手をかざしている。だがふと首を傾げると言った。

 

「おかしいな。気配がなくなったぞ」

 

その瞬間、リンクの背中を悪寒が襲った。嫌な予感がする。

 

「上だ!」

 

二人は同時に叫ぶと転がるようにダッシュしその場から逃げた。リンクが跳躍して身を投げ出すと、上方から巨大な影が現れ、一瞬前まで二人がいた床の上に魔獣が激しい音を立てて落下した。地響きで部屋全体が震える。

 

リンクは跳ね起きた。魔獣がリンクに向き直り、吼え声を上げて突進してくる。リンクは再び身を投げ出すようにして魔獣の突進を避け床に転がった。すぐ横を魔獣が通り過ぎる。目で追っていると、魔獣は広間の端まで走りそこでまた宙に吸い込まれた。

 

「ミドナ、大丈夫か?」

 

そう言いながらリンクは放り出した弓矢を拾い上げると再び構えた。

 

「私は大丈夫だ。お前は上を警戒しろ」

 

ミドナが答える。リンクは頷くと上方を見回した。二人の目で見張れば見逃すことはない。ミドナと共に戦うことがこれほど頼もしいと感じられたことはなかった。

 

「来るぞリンク!」

 

ミドナが警告した。前方を見ると、赤紫の渦巻が空中に浮かび上がっては消えている。消えたと思うとその横に新たな渦巻が現れる。だがやがて一つの渦巻が赤紫から青に変色していった。矢を弓につがえ引き絞ると狙いをつけた。

 

来た。魔獣の頭が渦巻から飛び出てくる。リンクはその額を狙って矢を放った。だが、放ったその瞬間に魔獣かふわりと宙に飛び上がり、そのまま姿を消した。

 

「くそっ。手を変えてきたな」

 

ミドナが言った。

 

「リンク、弓矢はもう通じない。狼になれ」

 

「狼に?」

 

リンクは尋ねた。

 

「お前と私で奴を迎え撃つんだ。幸いなことに奴はまだ私の力を知らない」

 

「懐かしのコンビ復活だね」

 

リンクはミドナの意図を理解し始めた。リンクが狼姿であれば、自らの獣の力とミドナの魔法の力とを合わせて使うことができる。ミドナは指を鳴らしてリンクの服と装備を素早く取り去ると、その姿を狼に変えた。リンクは四つん這いになると唸り声を上げた。獣の力が身体中に満ちているのを感じた。

 

魔獣は姿を消したままだ。だが二人は用心深く周囲を警戒した。数秒後、上から大きな影が覆った。リンクは瞬時にダッシュしその影の下から走り出た。いまや狼の脚を持つリンクだ。上方から押しつぶそうとして落下してきた魔獣が地響きを立てた頃には、リンクは素早く相手に向き直って牙を剥いていた。

 

だが魔獣はすぐに方向を変えると広間を斜めに横切って走り始めた。魔獣の身体と接触した柱が次々と崩れる。魔獣はすぐに宙に吸い込まれて消え、あとには柱の残骸が散らばっていた。リンクが首を曲げてミドナの方を見上げると、彼女は前方に手をかざしていた。

 

「今度は確実にこっちだ。ぬかるなよ」

 

ミドナが言った。見ると、前方に赤紫の渦巻が浮かび上がっている。渦巻は現れては消え、消えたかと思うと数メートル横に発生する。だが、とうとう一つの渦巻が青色に変わった。

 

渦巻から魔獣の頭が飛び出てきた。次いで全身が現れ、こちらに突進してくる。リンクは相手を真正面から迎え撃つ構えをとった。リンクの背に乗ったミドナの髪の毛が膨らむと手の形に変形する。全速力での魔獣の体当たりをその手が受け止めた。

 

ミドナが唸り声を上げる。その頭の髪の毛でできた巨大な手が魔獣の頭と押し相撲を演じた。魔獣も唸り声を上げて押してくるが、ミドナも負けじと押し返す。双方渾身の力を込めた押し引きの末、ミドナが叫びながら投げを打った。魔獣がとうとう地響きを立てて横倒しになった。

 

リンクは全速力で倒れた敵の腹側に走ると、獣の闘志を剥き出しにして相手に飛び掛かった。先だって剣の刃で切り開かれた傷跡に渾身の力で噛みつく。牙を相手の肉に食い込ませると狂ったように首を振り、また噛み付いた。たちまち傷口が広がり、血が飛び散った。五、六回ほど噛み付き、傷口が大きく開くと、魔獣が苦痛の吼え声を上げて体を起こした。

 

魔獣が身体を揺すってリンクを振り落とそうとしたときには、リンクは既に脇に飛びのき、相手の次の出方を警戒して注意深く構えていた。容赦するつもりはない。徹底的に傷を広げてやると決心していた。魔獣はもう一声吠えると走り始めた。広間を横切ると、そこで魔獣はまた宙に吸い込まれた。

 

「よしワンちゃん、いい仕事だ。もう一回行くぞ」

 

ミドナがからかい半分にリンクの頭を叩く。軽く吠えて応えると、リンクは上方と前方を交互に警戒した。ミドナは前方に手をかざし始める。どこからでも来い。ミドナとならどんな敵も怖くはない。リンクは再び上方からの影に気づいた。素早くダッシュし跳躍し、身を避ける。すぐ後ろに魔獣の巨体が落下して轟音を立てた。

 

上からの不意打ちが効かないと悟ったのか、魔獣はすぐにリンクたちから離れて走り去り、広間の隅で姿を消した。

 

「効いてるぞ。やはりお前はこっちの姿のほうがいいな!」

 

ミドナが言う。リンクは周囲を警戒した。上か。それとも前か。前方を見ると、赤紫の渦巻が浮かんでいる。やはり前から来る。渦巻が浮かんでは消えるのを繰り返したあと、やがてひとつの渦巻が前方に残り、青色になった。

 

リンクが身構えると同時にミドナも髪の毛を手の形に変形させた。青い渦巻が膨らんで魔獣の頭が突き出てくる。魔獣は吼え声を上げながらこちらに突進してきた。リンクは相手と正面から向き合った。魔獣の頭とミドナの髪の毛が変形した手がぶつかる。ミドナの手が巨大な化け物の頭を押さえつけ、押し返した。

 

ミドナが呻き声を上げ魔獣を投げようとする。魔獣も必死だ。リンクも全身全霊で足を踏ん張り押し返した。数秒の押し引きの末、魔獣の身体ががぐらりと傾き、そして横倒しになった。

 

「リンク、結界攻撃だ!」

 

ミドナが叫んだ。地響きも収まらぬうちにリンクは敵の腹側に走り寄った。ミドナに頷くとたちま黒い結界が彼女を中心に広がる。瞬く間に結界が化け物の胸の傷を覆うとともに、その身体の上を赤い稲妻が走った。

 

「今だ!」

 

リンクは力を解放した、跳躍し矢のように飛んだリンクは敵の胸に大きな傷を負わせた手応えを感じた。肉が裂けて血が飛び散る。

 

リンクが着地すると同時に、猪の化け物は苦し気な吠え声を上げてのけ反り、地響きを立てて床に倒れた。その巨体から黄緑色の気体が立ちのぼってくる。辺りは異様な臭気に包まれた。

 

「リンク、人間に戻すぞ」

 

ミドナが言った。たちまちリンクの身体が人間に戻り、服と装備がつけられた。リンクは服のボタンを点検し装備ベルトを締め直しながら言った。

 

「これで奴が死んだなんてのは考えが甘すぎるかな?」

 

「当たりまえだ。奴は絶対にまた来るぞ」

 

ミドナが答える。二人は動かなくなった魔獣を油断なく見張っていた。

 

すると、ミドナの身体から光の粉のようなものが浮かび上がった。二人が驚いて見ていると、その光の粉はゆっくりと空中を流れ、玉座のほうに漂っていった。

 

光の粉は意識を失っているゼルダ姫の身体の中に入っていった。その光の粉が一つ、また一つと彼女の中に流れ込んでいくにつれ、ゼルダ姫の顔は少しづつ生気を取り戻していった。やがて光の粉の移動が終わると、ゼルダ姫はゆっくりと目を開けた。リンクとミドナは顔を見合わせると互いに安堵の微笑みを浮かべた。

 

「ゼルダ」

 

ミドナはゼルダの傍らに行った。

 

「私を蘇らせたことでお前はひどい目に...」

 

ミドナは苦し気な表情で言った。

 

「ミドナ、何も言わないで」

 

ゼルダ姫は静かに言った。

 

「短い間でしたがあなたと私とはひとつでした。私もあなたを助けたかった。あなたの受けた苦しみに比べたらこのくらいの犠牲は払わなければと思ったのです」

 

ミドナは俯いていた。その顔は見えなかったが彼女の肩が震えているような気がした。だがそれを見ながらリンクは黙っていた。ゼルダ姫の覚醒に大きな安堵を感じつつも警戒を解かず、魔獣の死体のほうを振り返る。

 

ところが、死体はそこには無かった。リンクは驚いて辺りを見回した。その瞬間、広間の中央に巨大な球形の炎のようなものが浮かび上がってきた。燃え盛る黄色い炎のようだ。その中心にはおぼろげに顔が見えた。

 

ガノンドロフの顔だ。

 

「これで一泡吹かせたと思ったか?」

 

ミドナとゼルダ姫も驚いて振り向いた。どこからかガノンドロフの声が聞こえた。

 

「弱き者の力をどれほど束ねても強くはならぬ。強き者に叩き潰されるのみ。それがわからぬとは度し難い愚か者どもよ」

 

目の前のこれは一体何なんだろう?魂なのだろうか?それとも幻影なのだろうか?だがリンクは考えるより先に剣を抜いて盾を構えると、ゼルダ姫を庇うようにその前に立った。ミドナも身構えて呟いた。

 

「思念体だ。くそっ...肉体があれば何度でも蘇る奴だ」

 

その時、ミドナの背後から影の結晶石が三つ飛び出してきて宙に浮いた。

 

「リンク、お前は行け」

 

ミドナが言った。結晶石が彼女の回りを空中でぐるぐる回っている。

 

「行くって‥‥どこに?」

 

リンクは当惑して尋ねた。

 

「ゼルダを取り返したいま、お前がここに残る理由はない。あとは私がやる」

 

ミドナがそう言うのを聞いてリンクは言葉が出なかった。

 

「お前はゼルダ姫と逃げろ。あいつは私がけりをつける」

 

「ミドナ‥‥待ってくれ。いつだって一緒に戦ってきたじゃないか」

 

リンクはやっとの思いでそう言った。

 

「リンク、ゼルダ姫を救ってハイラルを守るにはこれしかないんだ」

 

ミドナはリンクを見た。彼女は少し微笑んでいた。そのオレンジ色の瞳が僅かに揺れ動いているようにリンクには見えた。

 

「正直‥‥私はいつでも自分で戦うのが怖かった。だからいつもお前を戦わせてばかりいた。でも今こうしてお前の大事な人を救う役に立てるって思うと、やっと勇気が出てきたよ」

 

「ミドナ‥‥」

 

リンクが言葉を発しようとすると、ミドナは右手を上げた。その途端に、リンクの体がみるみるうちに黒い破片に変化し始めた。

 

「ミドナ!」

 

そう叫んだ口も、すぐに黒い破片となって宙に吸い込まれた。ミドナの短距離ワープ術だ。周囲の風景があっという間に暗くなると、数秒後にはリンクは野外の平原の上に立っていた。

 

ここはどこだろう?空は暗く雲が立ち込めており、時刻も見当がつかない。荒々しい風が吹き、草を揺らしている。ハイラル城の尖塔がシルエットととなって平原の先に見える。地形から、リンクはハイラル西平原と見当をつけた。

 

「リンク」

 

呼び掛ける声に振り向くとゼルダ姫が立っていた。

 

「姫様。ご無事ですか」

 

リンクは剣を納めて駆け寄った。

 

「ミドナは私を逃がすため残ったのですね」

 

ゼルダ姫は言った。その表情には沈痛さが漂っていた。

 

「姫様、ミドナは賢いです。そう簡単にあいつにやられるとは思えません」

 

リンクはそう請け合ったが、ゼルダ姫の表情は晴れなかった。

 

「僕は彼女を信じます。いつも一緒にいたから彼女のことは理解しているつもりです」

 

リンクは重ねてそう言った。再び荒々しい風が吹き、ゼルダ姫の服が煽られる。自分でそう言い、また本当にミドナの力を信じてもいたが、暗い空と平原を荒れ狂う風を見ると、眼前の危険が遠のいたとは到底思われなかった。

 

そのときだった。ゼルダ姫は何かに気づいたように顔を上げた。

 

「リンク、来ています」

 

「来てるって‥‥まさかあいつがですか?」

 

リンクは身構えると剣の柄に手を掛けた。

 

「いいえ、そうではありません。あなたを恋い慕う魂が近くに来ているのです」

 

ゼルダ姫は平原のかなたに目を向けた。

 

「魂?」

 

リンクは見当がつかず尋ねた。

 

「リンク、あなたの居場所を知らせなさい。その者はあなたを探していますから」

 

ゼルダ姫が言う。

 

「でも、いったい誰が‥‥」

 

リンクはそう言ったあと気づいた。エポナだ。雷のように記憶が蘇った。かつて彼女はラネールの影の領域の入り口からハイリア湖のほとりまでリンクを追いかけてきたのだ。

 

リンクは懐から笛を取り出した。イリアがくれた陶器の馬笛だ。その吹き口を唇に当てると、リンクは思い切りそれを吹き鳴らした。

 

その笛はちょうどトアルの森の泉に生えていたあの草と同じような音がした。リンクは何度も笛を吹き鳴らした。笛の音が平原に響き渡る。

 

しばらくすると、はるか遠くから蹄が地面を蹴る音が聞こえてきた。リンクはそれに応えるように笛を吹いた。すると蹄の音が次第に近づいてくる。平原のゆったりとした起伏と草むらの向こうから、馬の姿が見えた。その馬はまっすぐこちらに向かっていた。

 

「エポナ!」

 

リンクは笛を吹き鳴らすのをやめて叫んだ。この厳しい時にあって心強い援軍だ。走り寄ると、彼女の首に抱きついて思い切り撫でてやった。

 

「エポナ、ひとりでよく来てくれた。お前は本当にいい子だ」

 

リンクはひとしきりエポナを撫でて話しかけてやると、ゼルダ姫に向き直った。

 

「姫様、どうか僕の馬に乗って南にお逃げ下さい」

 

リンクはエポナの手綱を取ってゼルダ姫のほうに歩かせ、姫に乗るよう促した。

 

「崖に挟まれた小道を抜けた先に村があります。南端にある礼拝所にお逃げください。そこの祭司は僕の友人です。安全な隠れ場所もあります」

 

だがゼルダ姫は静かに首を振った。

 

「それはできません」

 

彼女は拳を握り自分の胸の上に押し当てた。

 

「私は一度悪に屈して戦うことから逃げました。もう二度とそのようなことはしたくありません」

 

リンクは姫の肩に手を掛けた。

 

「でも姫様、戦うのは僕の仕事です。姫様は‥‥」

 

ゼルダ姫は顔を上げてリンクを見た。その目には驚くほどの強い光が宿っていた。

 

「それは違います。リンク」

 

彼女はその肩に乗っていたリンクの手をそっと取りのけた。

 

「私はこの国を統べる身。そして彼が求めているのはまさにこの私です。彼はどこまでも私を追ってくるでしょう。だから私自身が戦わねばならないのです」

 

ゼルダ姫の決然とした語調にリンクは面食らった。

 

「ですからリンク。いえ‥‥」

 

ゼルダ姫は再び口を開いた。

 

「神に選ばれし勇者リンク」

 

彼女は言い直すと、深々と頭を下げた。

 

「どうか今一度だけ、あなたの力を貸して下さい」

 

リンクはあまりのことに呆気にとられたが、思わず歩み寄ってその手を取った。

 

「姫様、顔をお上げください」

 

リンクは言った。

 

「僕はいつもハイラルの皆のために戦ってきました。今このとき姫様のために戦わないなどということがどうしてあるでしょうか?」

 

それを聞くとゼルダ姫は顔を上げてほんの少し微笑んだ。リンクは努めて明るい声で続けた。

 

「でも姫様、もしかするとミドナがあいつを倒しちゃうかも知れません。そうしたら僕もお役御免ですね。農民に戻ります」

 

「残念ながらそうはならないでしょう」

 

ゼルダ姫がうつむき、その顔が曇った。

 

「でも姫様...どうしてわかるんです?」

 

リンクは尋ねた。

 

「トライフォースを宿すものの気配は簡単には消すことができません」

 

ゼルダ姫は言った。

 

「その気配はまだ残っています。私はむしろミドナの身が心配です」

 

彼女がそう言った瞬間、大きな爆発音が聞こえた。リンクとゼルダ姫が驚いて音のした方を向くと、東にシルエットの見えるハイラル城の方角から大きな煙が上がっていた。

 

落雷だろうか?その方向に目を凝らすと、草原の上に立ちのぼるもうもうたる爆煙の向こう側に、馬に乗った人影が見えた。黒い馬に跨がり、黒い鎧で身を固めた大柄な男だ。

 

まさか?

 

黒い馬がいななき、後ろ足で立った。恐ろしく大柄な馬で、その目は真っ赤に光っていた。明らかに尋常な馬ではない。

 

馬上の男はやはりガノンドロフだった。そしてその手の中にあったものを見てリンクは目を疑った。

 

それはミドナの冠だった。

 

魔王は高々とそれを差し上げると、片手で冠の装飾の角を握ってへし折った。

 

黒い石の破片が飛び散る。ミドナの冠は魔王の手を離れ、地面に落下すると草の中に転がっていった。

 

リンクは呆然と目を見開いて立ち尽くした。

 

まさか。ミドナが。

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