黄昏の姫と緑の勇者   作:nocomimi

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最後の戦い

ガノンドロフの手にあったものを見てリンクは目を疑った。

 

それはミドナの冠だった。魔王は高々とそれを差し上げると、片手で冠の飾り角を握りへし折った。魔王が手を離すとミドナの冠は落下し、草地に落ちて転がった。

 

「ミ...ミドナ...」

 

リンクは呆然として呟いた。信じられなかった。魔獣に変身した敵にかなりの手傷を負わせたはずだ。そしてミドナは影の結晶石全てを使って戦いに臨んだはず。それなのに。

 

次の瞬間リンクの胸の中に今まで感じたことのないほどの強烈な憤怒が燃え上がった。許さない。絶対に許さない。リンクは剣を抜くと身構えた。

 

ガノンドロフは黒い馬の手綱を操ると、ゆったりと草原の上を並足で近づいてきた。

 

「影の結晶石ごときで我が力に立ち向かえると考えるとは愚かなものよ」

 

魔王は腰につけた長剣を鞘走らせると続けた。

 

「無知とは哀れなもの。結晶石などトライフォースの模倣品に過ぎぬ。貴様らの力など蟷螂の斧よ」

 

「僕に止めを刺してほしいのか。望むところだ。来い!」

 

リンクは叫ぶと盾を背中から下ろして剣を構え直した。だが、その時ゼルダ姫が前に進み出た。

 

「ガノンドロフ殿。休戦を申し入れます」

 

突然の意外な言葉にリンクは彼女を見つめた。

 

「ほほう、休戦とな」

 

ガノンドロフもまた剣を下ろして馬を止めゼルダ姫を見た。

 

「ハイラル王国の王女ともあろうお方が異なことを申される」

 

彼は逸り立つ黒馬を宥めながら言葉を継いだ。

 

「して、休戦により我が方にどんな利益があるとお答えかな?その条件は?」

 

「条件は私自身です」

 

ゼルダ姫は極めて平静ながら断固たる口調で言った。

 

「もし休戦を受け入れて下されば、この若者があなたに負けた場合には私は自らあなたのものになります」

 

リンクはあまりのことに息を呑み、絶句してゼルダ姫の方を見た。

 

「私を殺してトライフォースと王権を手に入れるよりそのほうがよほどあなたにとっては利益になるはず。それが条件です」

 

ガノンドロフはしばらく黙っていたが、また例の微笑みを浮かべた。抜き身の刃のような微笑みだ。

 

「結構だ」

 

彼は言うと、手綱を操作して黒馬の鼻先を向こうに向けた。

 

「貴殿らの気の済むまで待とう。だが念のため申し添えておく」

 

魔王は剣を納め片手を上げると、平原の向こうを指差した。

 

「この平原からの出口には全て魔法結界が張ってある。逃げることはできぬぞ」

 

「やはりさすがはゲルド族の王子。感謝いたします」

 

ゼルダ姫は膝を曲げて丁寧に一礼をした。

 

「姫様、こんなことをしたら‥‥」

 

リンクは剣を納めるとゼルダ姫に向き直った。

 

「リンク、これは戦争なのです。私は勝つためならどんな手段でも使うつもりです」

 

「でも‥‥」

 

リンクが言葉に詰まっているとゼルダ姫は言った。

 

「リンク、あなたの弓を貸してください」

 

リンクはその顔を見て意外の念に打たれた。豪奢な城の中で保護されて暮らしてきた姫の顔ではなく、武人を思わせる引き締まった顔だった。

 

何か考えがあるのだろう。リンクはすぐさま弓を背中から下ろして手渡し、矢立てのストラップを外した。ゼルダ姫は弓を背負い、矢立てを受け取るとその中身を捨て、慣れた手つきでストラップを自分の身体につけた。支度が整うと、彼女は両手を上下から向かい合わせにし目を閉じた。

 

「ラトアーヌ、フィローネ、オルディン、そしてラネール」

 

精霊たちの名を呼び祝詞を唱えると、彼女の両手からまばゆい光が発せられた。

 

「現し世をあまねく照らす大いなる力を任されし光の精霊たちよ。今こそ退魔の矢を我に与えたまえ」

 

リンクは思わず手を顔の前にかざし目を細めた。いつの間にか、ゼルダ姫の手には矢束が握られている。だが普通の矢ではなく、矢尻も柄も矢羽も金色に光輝いていた。その矢束を背中の矢立ての中に入れると、彼女は矢立てを背負い直し弓を手に取った。

 

「私は光の矢でガノンドロフを狙います。倒すことはできなくとも一時的に動きを止められます。あなたは矢の届く距離を保ってください」

 

ゼルダ姫はてきぱきと指示を与える。リンクは全てを理解して頷いた。これはブルブリンたちと戦ったことのある騎馬戦だ。リンクはエポナの上に跨るとゼルダ姫に手を貸して引き上げ、自分は手綱を取った。

 

リンクはエポナを歩かせて魔王の待つ方へ近づくと、剣を抜いて切っ先を相手に向けた。

 

「ガノンドロフ、覚悟しろ」

 

リンクは怒りを込めて叫んだ。

 

「この剣を嫌というほど食らわせてやる。蘇ったことを後悔するくらいにな」

 

「口の減らん小僧だ」

 

ガノンドロフは余裕たっぷりの表情で応じた。

 

「今に貴様も知ることになろう。本物の力というものがどれほど恐ろしいかをな」

 

二騎は互いに向かい合った。そしてどちらからともなく手綱を鳴らすと馬の脇腹を蹴って加速の合図を出した。みるみるうちに彼我の距離が縮む。すれ違いざまガノンドロフが長剣を振るった。リンクは手綱を操作してエポナのコースをわずかに横に逸らした。敵の剣先が数センチのところでリンクの顔をかすめる。だがその直後、前方に白い幻影のような騎兵たちの姿が浮かび上がってきた。

 

リンクは咄嗟に手綱を操って大きくエポナを左にカーブさせた。幽霊のような騎兵たちが横一列で突進してくる。紙一重で、一番左にいた幽霊騎士が振り回してきた剣を躱した。肩越しに振り返ると幽霊騎士たちは数十メートル走ったあと掻き消すようにいなくなった。

 

リンクとガノンドロフは距離を大きく離していった。もう一度振り向いて相手の位置を確かめる。魔王は左にカーブを描いてこちらに向かってきている。この戦いはただのぶつかり合いではない。犬の追いかけ合いの要領で相手の背後を取ったほうが勝ちだ。リンクは自分も左にカーブした。エポナの体力を温存することを考え、加速は控えた。

 

だが敵の馬は大柄な割に小回りが利くようだ。ガノンドロフの馬がこちらにコースを合わせみるみるうちに猛追して来る。速度も速い。リンクはエポナの手綱を操って必死にカーブを切った。だが距離が縮み黒馬の荒い息遣いが聞こえてくる。リンクはエポナの脇腹を蹴って加速の合図をした。エポナは嘶きを上げて速度を速めた。僅かに距離が延びる。だがすぐにまた距離が縮み始める。

 

リンクはエポナを駆って左右にコースを変え始めた。後ろを取られるわけにはいかない。ガノンドロフの黒馬は執拗に追ってくる。速度だけでなくスタミナも驚異的だ。重い蹄の音が迫ってくる。リンクは額に冷や汗が流れるのを感じた。後方から気配と影が近づいて来る。リンクはエポナの脇腹を踵で蹴って加速の合図をしながら大きく右にカーブを切った。

 

カーブを切り続けていると、後方の敵の気配が薄れていった。振り返ると、撒くことに成功したようだ。だが安心してはいられない。今度はこちらが後ろを取らなければ。だがもう一度背後を確認すると、敵の姿がない。どこに行った?リンクはエポナを旋回させながら周囲を見回した。

 

その時蹄の音が急速に近づいてきた。魔王の馬が死角から突進してくる。撒かれたと見せかけたのは油断させるための罠だったのだ。相手はこちらのコース上だ。リンクはエポナの手綱を操って回避しようとした。だが一瞬遅かった。ガノンドロフの長剣の刃が顔の真横にあった。咄嗟に頭を下げたが、額に強打を喰らってリンクは気が遠くなった。バランスを崩し馬の背から落ちる。無意識のうちに受け身を取り、草地を転がった。

 

頭を振りながら必死で手をついて上体を起こす。額から温かい血がダラダラと流れてくる。手をやると、帽子も脱げていて、手に血がべったりとついた。リンクは半ば無意識のうちにポーチから手拭いを取り出すと、頭にきつく巻いた。周囲を見回すと、落ちていた帽子を被り直し、剣を拾ってエポナのほうに戻った。

 

「姫様、大丈夫ですか?」

 

リンクは馬上のゼルダ姫を見上げて尋ねた。ガノンドロフは悠然とカーブを描いてこちらに戻りつつある。

 

「私は大丈夫です。あのような約定を交わした以上、彼が私を殺すことは決してありません。私を気にせず戦いなさい」

 

ゼルダ姫は答えた。リンクは頷くと、再びエポナに跨って手綱を鳴らした。発進すると、ガノンドロフの馬に向かってエポナを駆り、次いで右にカーブを切ってから左からの回り込みを試みた。魔王もまた同じ方向に回り込もうとする。リンクは咄嗟の判断でエポナを急停止させると、ぐるりと直角に方向転換して魔王を追った。長年の付き合いが物を言った。エポナはすぐにリンクの合図に追随し、方向を変えると急加速した。

 

魔王はリンクの初動に惑わされたらしい。ガノンドロフが大きくカーブを切っていった軌道の後方にエポナがついた。リンクは加速したくなるのを堪えながら魔王に追随した。距離が少しづつ縮む。その時魔王の上方に白い何かが飛び上がったのが見えた。

 

何か仕掛けてくる。リンクは剣を抜いた。一旦空に飛びあがった白い光の塊が地面に落ちる。次の瞬間幽霊騎士の一隊が横一列になって突進してきた。騎士たちのうち二騎が、リンクたちの左右を通り過ぎざま剣を振り下ろそうとしてくる。リンクは咄嗟に回転斬りを放ち聖剣で払った。一瞬早く聖剣の刃が幽霊騎士たちの身体に触れる。手応えがあり、幽霊どもの身体は砕けて霧のように飛び散った。

 

邪魔はさせない。リンクは小出しにしつつもエポナに加速の合図を送った。距離が縮んでいく。背後でゼルダ姫が弓を構えるのがわかった。眩い光がゼルダ姫のつがえた矢の矢尻から溢れ出て周囲を照らす。いける。距離が二十メートル、十五メートル、十メートルと詰まっていった。

 

だがその途端にガノンドロフが左にカーブを切った。ほとんど直角に曲がっていく。同時にゼルダ姫が矢を放ったが、矢は的を外し平原のかなたに飛んでいった。双方の距離が開いていく。リンクはエポナの手綱を操作し、外側に逸れたコースを修正しながら敵の馬に追随した。

 

エポナ、頼む。念じながらリンクはエポナを加速させた。ガノンドロフは不規則なタイミングで左右にカーブを切ってこちらを攪乱してきた。リンクは全神経を集中してその行く先を追いつつエポナを駆り立てた。距離が再び縮む。ゼルダ姫が再び弓に矢をつがえて構えた。距離二十メートルあまりに近づいた瞬間にゼルダ姫が矢を放った。だが僅かに逸れた。もっと距離を縮めなければ。乗馬した状態での弓矢での戦闘を経験したことのあるリンクにはそれがいかに難しいことかがよく分かっていた。

 

リンクは一度だけエポナに加速の合図を送ると、あとは距離を広げないことだけを念頭に置いて敵を追尾した。あの黒馬とてスタミナは無限ではないはずだ。しばらくの追跡のあと距離がわずかに縮み始めると、ガノンドロフが大きく左にカーブを切った。だが僅かにタイミングが早い。撒かれる前にリンクはエポナの手綱を操作し追尾した。もうすぐチャンスが来る。確信したリンクは数秒間に一度エポナに加速の合図を送り、着実に距離を詰めていった。ゼルダ姫が弓に矢をつがえて構える。二十メートル。十五メートル。この間合いに入ったらあとは読み合いだ。リンクはゼルダ姫に全てを託した。

 

魔王は黒馬を右左に小さく方向転換させて攪乱しようとしてきた。だがゼルダ姫は撃たなかった。しかし、ガノンドロフが手に白い光の塊を持ちそれを放り上げようとした瞬間、ゼルダ姫が矢を放った。魔術を行っている間は手綱を取れないと読んでいたのだ。飛んでいった矢がガノンドロフの背中に命中した。

 

不思議なことが起こった。矢が刺さる代わりに、魔王の全身を小さな稲妻のようなものが覆った。魔王は首をのけ反らせ苦しみの呻きを上げている。リンクはここを先途とエポナを加速させた。頼む。心で念じながら続けざまにその脇腹を踵で蹴る。距離がぐんぐん縮んでいく。ゼルダ姫の矢が命中したことで、魔王は少しの間動くことも剣を振るうこともできず、黒馬の上に乗っているのがやっとのようだ。リンクはエポナを魔王の横につけると渾身の力で突きをぶち込んだ。

 

ガノンドロフの胴巻きの隙間に聖剣の刃が食い込む。魔王は苦痛の呻きを上げると目を覚ましたように顔を上げた。リンクが相手の身体から剣先を抜くと、血が噴き出した。さらにもう一撃を加えようとリンクが剣を振るうと、意識を取り戻した魔王も武器を跳ね上げてそれを弾き返した。

 

二騎は一旦行く手を別った。リンクは立ち直った魔王に背後を取られないよう大きく右にカーブを切った。魔王は自らの馬が減速したのを利用して今度はリンクを追尾してくる。今度はやられないとリンクは決意していた。蹄の音が背後から聞こえてくる。ガノンドロフは同じ軌道でカーブを切って後ろから追ってきているようだ。リンクは左右にエポナを動かして追跡を振り切ろうとした。ひとしきり攪乱したあと、リンクはエポナに連続して加速の合図を送った。エポナの動きについてこれず、魔王の黒馬が遅れを取り始めた。それに気づいたのか、ガノンドロフは馬を急加速させてきた。

 

そこでリンクは一気に右にカーブを切りながら減速した。勢いのつき過ぎたガノンドロフの馬がコースから外れていく。前後が逆転することを警戒してか、自ら離れていくガノンドロフの姿が見えた。今度はこちらの番だ。エポナの方向を変えて速足に加速させる。蹄の音が草原に響いた。上から立ち込める低い雲が分厚く太陽を遮っていて、雲の間からはオレンジ色の空が垣間見える。まるで影の領域に戻ったかのようだ。

 

リンクがガノンドロフのはるか後ろにつけると、魔王は突然馬を減速させ始めた。黒馬はすぐに停止し、巨体に似合わぬ素早さで方向をこちらに変え、走り始めた。今度は正面から来るつもりだ。ゼルダ姫が弓に矢をつがえ、矢の先端から光が生じ始めた。だが両者の距離が急速に縮んでいく。リンクは咄嗟に右にカーブを切った。ガノンドロフが長剣を振り上げリンクの横を通り過ぎた。だがやや間合いが広く斬りかかることができなかったようだ。

 

これで仕切り直しだ。リンクは背後を振り返って魔王の位置を確認した。今度は左にカーブを切って後ろを取ろうとしている。そうはさせない。リンクも左にカーブを切った。一瞬相手が自分の視界から消えた。だがリンクはエポナを信じた。敵に追いつかれる恐怖感に駆られて加速することをせずに、むしろエポナが減速するに任せ、カーブを切ることだけに集中する。

 

予測通り、回り込み合いの末ガノンドロフのコースは僅かにリンクの外側になった。相手が視界に入った瞬間にリンクはエポナを急停止させ、前方を走り抜ける魔王の馬に対して一気に加速させた。数回加速の合図をすると、距離がみるみる縮んでいった。ガノンドロフは左に直角カーブを切って逃げようとする。リンクはどうにかその後ろにつけた。相手がさらにカーブを切ろうとするところに、落ち着いて方向を合わせていった。

 

見切った。リンクはピタリと後ろをとった。距離は二十メートルを切っている。ゼルダ姫が矢を放つ。だが外れた。魔王が急激に右カーブを切ったからだ。だがリンクは慌てなかった。距離が開くのをそのままにして追随すると、相手の真後ろに位置を定めてからエポナを加速していった。だが魔王の上方にまた白い光の塊が飛びあがっていき、それが草原に落ちた。途端に幽霊騎士たちの一隊が横並びになって突進してくる。リンクは幽霊騎士どもとの間合いが迫るのを見極めると回転斬りを放った。正面から襲ってきた二騎の身体が砕け散る。

 

リンクは再びエポナに加速の合図を出した。ゼルダ姫が新たな矢をつがえる。リンクは次第に戦いの要点を呑み込んできた。慌てて敵に近づき過ぎると警戒されるのだ。二十メートル余りの距離を保ち、辛抱強く追尾する。ときおり敵が馬の方向を動かすのを注意深くなぞって追随しながら、小出しにエポナを加速させていった。ゼルダ姫が弓を引き絞り、その矢の先端から眩い光が放射し始めた。距離が小刻みに縮んでいく。だが、まだまだ遠いとリンクには思われた。

 

しかしゼルダ姫は矢を放った。矢は過たず飛んで行きガノンドロフの背中に当たった。驚くべき腕だった。リンクは立て続けにエポナに加速の合図を出すと、一気に距離を詰めていった。魔王の巨大な背中が近づいてくる。まだ敵は麻痺したままだ。エポナを駆って横につけると、リンクは思い切り剣を横に払い、ガノンドロフの胴巻きの隙間を狙った。刃が食い込み、血が飛び散る。だがまだだ。リンクは意識を取り戻した魔王の反撃を警戒してやや距離をとるとわざと加速を控えた。魔王が再び手綱を取って黒馬を操り、左にカーブを切った。リンクも後方をとると追随した。一度取ったこの位置は是が非でも守りぬくつもりだった。

 

魔王が今度は右に急カーブを切る。黒馬は驚くほどの小回りの良さだ。だがリンクは加速を堪えて追尾に徹した。距離が開いていく。しかし、リンクはゼルダ姫の腕を信頼し始めていた。慌てて敵を追う必要はない。間合いさえ正しければ矢は当たるのだと気づき始めた。

 

魔王の頭上に白い光の塊が浮上し、次いでその背後の草原に落下していった。幽霊騎士たちが瞬時に現れてこちらに突進してくる。右手に持った剣を左腕の後ろに引き寄せ、回転斬りを放つ。左右をかすめながら斬りかかってきた幽霊騎士どもは聖剣の斬撃に触れてたちまち霧消していった。

 

リンクは控え目に少しづつ加速しながらガノンドロフの背中を追った。やがて、前方に平原の縁が見えてきた。その先は峡谷だ。だとしたらガノンドロフは右か左にカーブを切るはずだ。これは賭けだとリンクには分かった。外れれば引き離されるが、当たれば一挙に後ろにつけられる。

 

二騎は蹄の音を立てながらひた走る。草むらが高速で後ろに去って行き、次第に峡谷の手前の崖が近づいてきた。あと百メートルほどだ。みるみるうちに行き止まりが迫る。

 

右か?左か?リンクはほんの一瞬の間に忙しく頭を巡らせ、勘を働かせた末に右にカーブを切った。全く同時にガノンドロフも右にカーブを切った。当たりだ。

 

ここぞとばかりにリンクはエポナに加速の合図を出した。ガノンドロフは左に方向転換できず直進した。リンクは斜めにコースを切り込むかたちになり、両者の距離が一気に縮んだ。真後ろにつけると、ゼルダ姫が弓を引き絞って弦が鳴る音が背後から聞こえた。絶対に外す距離ではない。彼女が矢を放つと、それは真っすぐ飛びガノンドロフの背に命中した。この機は逃さない。リンクは立て続けに加速の合図を送ってエポナを駆り立てると、ガノンドロフの左側につけた。右手の剣を左腕の外側に引き付け、裂帛の気合とともに回転斬りを放った。刃が魔王の胸のあたりに直撃し、胴巻きを叩き割って肉を切り裂いた。

 

ガノンドロフは馬の制御を失った。呻き声を上げながらも、その身体はゼルダ姫の矢で麻痺させられたままだ。彼が手綱を手放すと、その馬はしばらくの間は勝手に走っていたが、やがてドウと音を立て草地に横倒しになった。魔王もまた落馬し、馬の傍らに転がった。

 

倒したのだろうか?いや、こんなに簡単なはずがない。リンクは直感でわかった。エポナを減速させて止めると、リンクは下馬して魔王に近づいた。予想通り、ガノンドロフは体を起こしてゆっくりと立ち上がりつつあるところだった。

 

リンクは盾を背中から下ろして剣を構えた。だが今の戦いでかなりの手傷を負わせたのだ。このまま圧倒してやる。リンクは敵に近づくと、しかしすぐに立ち止まった。立ち止まらざるを得なかった。

 

ガノンドロフは片手に鞘に納めた長剣を持ち真っすぐ立っていた。その姿は最初に謁見の広間で見たときと殆ど変わっていない。リンクは驚きに目を見張った。三度も聖剣の打撃を食らわせたのに。効いていないのだろうか?

 

両者が相対していると、やがてガノンドロフは含み笑いを漏らした。それはすぐに大きくなり、洪笑に変わった。

 

「見事な剣だ。なるほど勇者というに相違はないようだな」

 

魔王は笑うのを止めてそう言うと、自分の長剣を前に掲げた。

 

「我が望みがわかるか?」

 

リンクは盾を上げて剣を構え、魔王の顔を見た。余力をたっぷり残していると見える相手の表情から、ここからが本当の戦いだと直感的にわかった。

 

「この忌まわしき剣をもって全ての光を葬り去ること」

 

ガノンドロフは剣を鞘走らせ、下段に構えた。相手はリンクと違い盾を持っていない。だが、それでもその立ち姿に一分の隙もなく、容易に手傷を負わせることはできないとリンクはすぐに見て取った。

 

ガノンドロフがゆっくり歩み寄って来る。途端に魔法結界が突然二人の周囲に浮かび上がった。ゼルダ姫を乗せたエポナが激しく嘶き、後ろ足で立った。ゼルダ姫は素早くエポナの手綱を掴むと馬を鎮めた。遠くの空に稲光が光り、数秒すると雷鳴が轟いた。雲行きが急に怪しくなってきたようだ。

 

今やリンクとガノンドロフの周囲直径三十メートルほどが結界で包囲されていた。二人は少しづつ間合いを詰めていった。こちらのリーチに入ってもガノンドロフは動かない。余裕を見せ、後の先を取るつもるらしい。

 

間合いが交錯した瞬間リンクは横斬りを放った。魔王が余裕の表情で長剣を縦にかざしそれを防御する。間髪を入れず突きを放つ。だがそれも魔王の長剣で弾かれた。その刹那魔王が剣を払った。恐ろしい重さと衝撃に、リンクはほとんど盾を取り落としそうになった。本能的に追撃を警戒し、バックホップしながら盾を構え直す。距離が開いたところで突きが飛んできた。人の身長ほどの間合いがあるにも関わらず、魔王の突きはリンクの盾に激しい衝撃を与えた。身体がぐらつきそうになるのを踏ん張ってこらえた。

 

相手としてはまだ小手調べのようだ。だがリンクは闘志を燃やした。剣を握り直すと、摺り足で進み出る。盾をかざしながら相手の攻撃のタイミングを読もうと試みた。斬撃が来たら盾で跳ね返しカウンターする心づもりだった。

 

だがその時ガノンドロフが前蹴りを繰り出した。強烈な力が盾を叩く。裏をかかれたリンクは二、三歩後ろによろめいた。あの鎧武者よりも力が強い。さらに縦斬りが飛んできた。喰らう前に素早く盾を構え直したが、ほとんど左手が痺れるぼどの衝撃を受けた。後ろに退いて距離を取らざるを得ない。

 

攻撃の糸口がつかめず、リンクは再び慎重に構えて間合いを測った。だが魔王とて万能ではないはずだ。リンクは機を伺いながら前、後ろ、横と少しづつ摺り足で移動した。

 

両者の間合いが交錯した瞬間リンクは動いた。突進して横斬りを放つ。だが魔王が長剣を縦にかざし防御した。次いで縦斬りを繰り出す。だが同じだ。魔王は長剣を捧げ持つように左手を添えていとも簡単にリンクの斬撃を弾いた。

 

だがこれはフェイントだ。リンクは横っ飛びすると前転し、相手の後ろに回り込んで跳躍し、剣を払った。だが魔王は巨体に似合わぬ速さで振り向き、長剣を縦にかざした。リンクの体重の乗った背面斬りを完全に防御し、その身体は揺らぎさえしない。

 

着地したリンクは盾を上げながらも驚きに目を見張っていた。剣技ではあの鎧武者よりもはるかに上だ。ガノンドロフはリンクの心の隙を見てとったのか、いきなり突きを放ってきた。リンクの身長ほどもある長剣をフルに使った突きがリンクの盾まで届く。その恐ろしい重さにリンクは身体がグラグラと揺れた。リンクは必死で脚を踏ん張ってこらえ、反撃の機会を探った。

 

再び間合いを詰める。だが蹴りで崩されないようにリンクは慎重さを保った。間合いに入ると防備を崩さずにコンパクトな突きを放つ。魔王の長剣で防がれた。だがそのとき、魔王が驚くべき速さで突進してきた。やおら放たれた肘打ちがまるで破城槌のようにリンクの盾に衝撃を与える。構えを崩され後ろによろめいた瞬間に、魔王がその巨体に似合わぬ流れるような動作で長剣を払った。

 

リンクの鎖帷子の胸が切り裂かれた。まずい。さらなる追撃を予期したリンクは必死で後ろに飛び下がって敵から距離をとった。胸の傷からたちまち温かい血が流れてくるのが感じられる。なにくそ、と呟いて盾を上げようとしたとき、リンクは左手の感覚が鈍いことに気づいた。

 

さっきの一撃で左腕の内側まで怪我を負ったのだ。籠手に覆われていない左前腕の内側に刀傷が走り、そこからもどくどくと血が流れていた。リンクは剣を地面に突き立てると、手拭いを取り出して自分の左腕の肘に巻きつけ、きつく縛り上げた。

 

感覚の鈍った手で辛うじて盾を持ち上げる。剣を構え直して魔王に向き直ると、敵は僅かに微笑みさえ浮かべながら悠然とこちらに歩いてきている。まるで本気を出してさえいないようだった。リンクは歯ぎしりすると、摺り足で間合いを縮めていった。

 

「その程度の剣技で儂に挑もうというのか。復活した張り合いがないというものよ」

 

ガノンドロフは言った。リンクは言い返す言葉も浮かばなかった。喉がカラカラに乾く。馬を降りてからまだ一太刀も浴びせられていない。盾を上げたまま前進すると、剣を振り上げ袈裟斬りを繰り出した。ガノンドロフが長剣を上げて防いだところへ、起死回生のジャンプ斬りを放つ。防がれても体勢を崩せるかも知れないと思ったその瞬間、ガノンドロフが蝶のように宙に飛び上がり、数メートル横の地面に降り立った。

 

降り立った場所でガノンドロフはリンクに向き直り、片手を前に出して差し招いた。リンクは怒りに燃えて相手に走り寄り、縦斬りと横斬りを放った。だが、ガノンドロフは見事なまでの滑らかな太刀さばきでリンクの剣を防御した。それでもさらに踏み込み、乾坤一擲の回転斬りを放つ。だがリンクの刃は虚しく空を切った。魔王の巨体が空中に垂直に急上昇したのだ。

 

あまりにも不自然な動きだった。魔法だろうか?目で追うこともできないままリンクは敵を見失った。次の瞬間何者かがリンクの背後に降りてきた。咄嗟に振り向いて盾を掲げる。それと同時に魔王が気合いとともに突きを放った。

 

切っ先が盾の守りの甘い箇所をすり抜け、脇腹への痛撃を与えた。リンクは呻き声を上げると、座り込みそうになるのを辛うじて堪えた。肋骨が折れたのが感覚でわかった。鎖帷子を着ていなかったら致命傷だっただろう。じりじりと後ろに下がりながら、リンクはそれでも盾を上げ、剣を構えた。しかし、どう戦えばいいのだろう?双方の蓄えてきた力が違い過ぎるのは歴然としていた。

 

これでは勝てない。リンクの心に初めて絶望感が浮かび上がってきた。

 

ここまで来たのに。これで終わるのか?悔しさに唇が震えた。あれほど鍛錬を重ね、あれほど覚悟を決めたのに。

 

「リンク、戦うのです!」

 

そのとき背後からゼルダ姫が叫ぶ声が聞こえた。

 

「見なさい、私たち三人の手の刻印が呼び合っています」

 

リンクは肩越しに振り返った。ゼルダ姫はその手袋を取り去り、左手の手の甲をこちらに向けた。そこには眩いばかりの光を放つ三角形の印があった。

 

「その力が聖剣に宿るときあなたも力を受けます。さあ、リンク!」

 

姫の檄を受けてリンクは敵に向き直った。魔王は悠々と長剣を提げてこちらに歩いてくる。自分は満身創痍で、鍛え抜いた奥義はどれひとつとして通用しない。こんな自分がまだ戦えるのだろうか?

 

その時、魔王が剣を両手に構えると身体を前傾させてこちらに走り始めた。リンクも反射的に迎え撃った。敵に走り寄ると気合いとともにジャンプ斬りを放つ。

 

魔王がそれを受け止めると、二つの剣が激しく火花を散らし、鍔迫り合いになった。体格ではるかに勝る敵がたちまちリンクを押す。リンクは左手の盾を剣の刃の根元に押し当てて必死で押し返した。だがみるみるうちに押され、脚を踏みしめてもじりじりと後退させられていく。

 

だが、にわかにリンクの剣の刃が光を放ち始めた。その光は急激に強くなり、やがて目も眩むばかりの強烈な光になった。

 

魔王の顔に初めて驚きの表情が浮かんだ。光の強さに比例するように、今度はリンクが敵の剣を押し返していく。ガノンドロフは歯を食いしばって力を入れた。だがリンクが押していくと、魔王の額に汗が浮かんだ。

 

リンクは自分でも何が起きているかわからなかった。だが思い切り両脚で地面を蹴ると、唸り声とともにガノンドロフを向こうに押しやった。盾アタックの応用だ。力負けした魔王は後ろによろめいた。

 

リンクはここを先途とばかりにダッシュすると裂帛の気合を発してジャンプ斬りを叩きつけた。長剣を上げて防ごうとした魔王の動きが一瞬だけ遅れ、リンクの刃がその額に深く食い込んだ。着地するが早いが回転斬りを放つ。手応えがあった。剣の刃が魔王の胴巻きを割った。さらに突きを放つ。切っ先が魔王の胴巻きの胸についた亀裂に食い込む。

 

袈裟斬りでさらなる追撃を加えようととしたとき、魔王は武器を跳ね上げてリンクの剣を弾き返した。あれほどの深手を立て続けに負わせたのに、まだその動きは衰えていないことにリンクは驚嘆した。だが、それなら倒れるまで斬りつづけるのみだ。リンクは追撃を止めて慎重に間合いを取り直した。もはや自分の命を捨てる覚悟を決めていた。刺し違えてもこいつを倒せればいい。

 

摺り足で前後に移動して間合いを測る。対して魔王は長剣を片手で下段に構え、泰然たる佇まいを保っていた。額にも胴にも深手を負っているとは到底思えない。それでもリンクの決意は揺るがなかった。ジリジリと間合いを詰めると、踏み込んで突きを放った。魔王が長剣を上げてリンクの切っ先を逸らす。リンクは縦斬り、横斬り、さらに袈裟斬りを矢継ぎ早に繰り出した。魔王は長剣を巧みに操り、ことごとくリンクの攻めを防御した。さらに踏み込んで突きを放とうとすると、突如魔王が空中に飛び上がってリンクの視界から消えた。

 

また来る。だが同じ手に二度は引っ掛からない。リンクは咄嗟にダッシュすると前転して距離を稼いだ。降り立った魔王が放った突きが頭の上をかすめる。敵に向き直ると、横っ飛びした後前転し、後ろに回り込んで跳躍しながら剣を払った。今度は技が徹った。聖剣がガノンドロフの背中を真一文字に切り裂く。

 

「小僧がぁ!」

 

苛立ちに顔を歪めた魔王は剣を跳ね上げてリンクの横斬りによる追撃を防いだ。両者が再び真正面から向き合う。何度も攻撃を喰らい高い授業料を払った上でだったが、リンクは次第に魔王の手の内を読み始めていた。その剣技は優れてはいても無敵ではない。間合いを詰め、また開き、用心深くタイミングを測る。

 

間合いギリギリでの読み合いに入った。リンクはむやみに仕掛けず様子を見た。相手の呼吸に耳を澄ます。心臓の鼓動さえ聴き取ろうと意識を集中した。仕掛けてくるか?いや、まだだ。今か?いや、まだだ。一秒を何百にも分割したようにリンクの意識が忙しく働く。

 

だが頭に弾けるものを感じた瞬間リンクは横っ飛びした。ガノンドロフの突きが空気を切り裂き、リンクの数センチ横をかすめた。リンクは踏み込むと渾身のジャンプ斬りを放った。

 

剣の刃がガノンドロフの首から肩にかけてを切り裂く。さらに袈裟斬りを放つ。肩当てから胴巻きにかけて大きな亀裂を作った。だがその次に繰り出した横斬りを弾かれると、リンクは素早く防備を固め直した。

 

ガノンドロフが長剣を袈裟斬りに振り下ろした。それをかろうじて盾で受け止めた瞬間、魔王は間髪を入れずに逆袈裟斬りに斬り上げた。リンクは盾ごと吹き飛ばされ、後ろに尻餅をついた。凄まじい斬撃の力だ。必死で立ち上がり構えをとる。

 

魔王の目が燃える怒りで爛々と光っている。今の斬撃で胴を逆袈裟斬りに斬られたのがわかった。もはや鎖帷子はボロボロだ。新たな傷口から血が流れ出すのがわかる。

 

リンクはもはや生き残ることを考えるのをやめた。自分の安全を考えながら強い敵を倒すことはできないと経験で分かっていた。だがもう一太刀でも多く浴びせる。命のある限り。

 

ガノンドロフとの間合いが重なる直前まで近づきまた離れる。リンクは距離を測りながら相手の気配と呼吸を読んだ。剣を握り直すと、進み出てジャンプ斬りを放った。

 

魔王がふわりと跳躍力して攻撃をかわす。だが読み通りだ。リンクはそこからの突きを予期して横飛びし、前転して相手の後ろに回り込んだ。だが読みが外れた。リンクが跳躍し剣を払ったところを、ガノンドロフは振り向き長剣を立てて防いだ。魔王はそこから横斬りを放った。盾が吹き飛ぶほどの衝撃を左手に受ける。リンクは後ろに転がると急いで立ち上がった。

 

間合いギリギリでの探り合いがしばらく続いた。仕掛けてこい。仕掛けてこい。リンクは念じた。魔王が突きを放った。盾で受ける。体がぐらりと揺れる。しかし怯まずに一歩踏み出し、袈裟斬り、縦斬り、突きと繰り出す。全て防がれた。だがリンクは後ろに引かず、前に飛び込んで横斬りを放った。ガノンドロフは剣を縦にして防御した。間合いが詰まる。

 

リンクの頭脳の中で何かが弾けた。ガノンドロフが片脚を上げる。その動きの始まりが見えた瞬間、リンクは横にステップして回り込んだ。丸太のような太い脚による強烈な蹴りがリンクの脇をかすめて空を切る。

 

リンクはその隙を逃さなかった。相手の脇に入り回転斬りを放つ。剣の刃が魔王の胴巻きを大きく割り、血が飛び散った。さらに突きを放つ。切っ先が魔王の胸に深く食い込む。だが追撃の横斬りは剣で防御された。間合いが再び広がっていく。互いにこれ程の深手を負いながらもなお戦い続けられるのが不思議だった。

 

だが、リンクは気づいた。盾を持たない魔王がリンクの剣を剣で防御した直後、その左右にほんの僅かな隙が生じる。勝てる。そこを突けば勝てる。

 

「面白い」

 

リンクの心を読んだかのように、魔王は唇の端で微笑むと言った。

 

「我が技を見切ったつもりか。ならばその身でさらなる我が剣の技を味わうがいい」

 

魔王はその声にも目の光にも全く衰えが見られなかった。あれほど血を流しながら痛みも感じないのだろうか?

 

だがリンクは頭を振って、その浮かんだ疑問を払いのけた。昔の勇者だって不死身と思える悪神を倒したのだ。リンクにはもう分かっていた。昔の勇者も自分と同じだったのだ。弱く不完全でも、勇をもって運命に身を委ねたのだ。

 

リンクは摺り足で前進すると、縦斬りを放った。魔王が剣を横に差し上げ防ぐ。リンクはさらに相手に迫りながら横斬りを繰り出した。魔王が剣を縦にしてリンクの刃を止めた。まだ浅い。もっと踏み込まなければ。リンクは突きを放とうと剣を引いた。

 

だがその刹那、魔王が右から左への横斬りを放った。重い斬撃を防ごうと盾を上げたとき、リンクの本能が危険信号を発した。

 

これは一撃で終わらない回転斬りだ。気づいた時には遅かった。重い一撃目で盾を撥ねのけられたところに、回転後の二撃目が襲う。盾が間に合わない。リンクは咄嗟に剣を立てて防ごうとした。だが十分ではなかった。横から襲ってきた魔王の長剣の刃が左肩を撃った。身体ごと吹き飛ばされ地面に転がったリンクは、もはや獣のように本能だけで手をついて体を起こし、剣を構え直した。しかし肩の負傷で左腕が思うように動かない。

 

リンクの守りが甘いと見て取るや、ガノンドロフは長剣を両手で持って突進してきた。剣を振りかぶると、上段から拝み打ちにしてくる。リンクは辛うじて横にステップしてかわした。魔王の剣の長い刃が数センチ横をかすめる。雄牛でも真っ二つにされそうな凄まじい斬撃がさっきまでリンクが立っていた地面に食い込んだ。

 

ほとんど意識を失いかけながら、リンクは全力を奮い起こして盾を上げた。ガノンドロフの突きが来る。それを盾で上に跳ね上げ自分は袈裟斬りを放つ。だがいとも簡単に剣で防がれた。魔王の横斬りが来た瞬間にバックホップした。顔の前を魔王の刃が唸りを上げて通り過ぎる。

 

脳裏にイリアの顔が浮かんだ。彼女の微笑みを、その温かい手を思い出した。「ただ君がいてくれるだけで支えになるんだ」リンクは彼女に言った自分の言葉を思い出した。生きてイリアの元に帰るなどということはもう諦めていた。だがそれでも自分は彼女のために戦えるだろうか?

 

それでも戦う。リンクは思った。彼女の元に帰れなくても。彼女を守るためですらない。自分は彼女の生のため死なねばならない。一瞬でも長くイリアの命を輝かせられるなら、自分の命はここに捨てていこう。最後の最後まで、彼女のためにこの命を注ごう。

 

足がふらついた。魔王の前蹴りが飛ぶ。盾で受けるとよろめいて何歩か後ろに下がった。リンクはまたゼルダ姫のことを思った。いま結界の背後でリンクの背中を見守っているのだ。彼女は究極の犠牲を払う覚悟を見せた。民を守るため、そしてリンクの戦いのため。それに対して自分がゼルダ姫のため戦うのは何故だろう?

 

勇者の務め?喉から血が上ってきた。胸がゴボゴボと鳴っている。血が口から吹き出してきた。この戦いはゼルダ姫の戦いでもあるのだ。姫はリンクの勝ちに賭けた。それはただの賭けではない。全ての民の安寧が掛かっている。そして彼女は自分自身の全てを賭け金として差し出したのだ。だとすれば自分は喜んで駒となるべきだ。どのように死のうと、敵に背を向けて死ねばそこに未来は無い。だが前を向いている限りはチャンスはあるのだ。

 

リンクはまたミドナのことを思った。魔王が剣を中段に捧げ持つと突進してきた。こちらが弱ったと見て押し潰すつもりだ。自分の国ではないにも関わらず、ミドナはハイラルを救うため命を捧げた。ミドナは死んだのだろうか?ミドナはなぜそのようなことを?

 

ゼルダ姫のため?リンクのため?「お前の大切な人を守るために役に立てると思うと初めて勇気が出てきたんだ」彼女は言った。僕のためではない。僕の大切な人のためだ。それに気づいたとき、リンクは初めてミドナの心がわかった。大切な人を守ろうとする人を思う。それはミドナを思うリンクと同じ心だった。

 

それは真の絆なのだ。リンクは今、ミドナと自分が完全にひとつとなっていたことに気づいた。

 

たった一瞬の間に目まぐるしいほどの事どもが頭に浮かんだ。ガノンドロフはもう目の前に迫ってきている。回避しなければ長剣で頭から斬られる。横に飛べ。飛ぶんだ。リンクは自分に言い聞かせた。だが足が動かなかった。

 

ならばいっそのこと前に飛び込め。リンクがそう念じた瞬間、足が動いた。リンクは前に飛び出してガノンドロフを迎え撃った。刃と刃が激しくぶつかり合い、暗い平原に火花が飛び散る。再び鍔迫り合いになった。相手の方が明らかに優勢だ。リンクはたちまち後退していった。だが押されつつも、リンクは自分の手の甲が異様な熱を持っているのを感じた。その熱が瞬く間に全身に広がった。見ると、ガノンドロフの左手の甲からも、手袋を通してもわかるほどの光が発せられている。両者が呼応しているのだ。そしてリンクの聖剣もまたその光に照らされたかのように輝き始めた。

 

リンクを潰そうと、魔王が全体重をかけて押してくる。だがリンクの剣の輝きがみるみるうちに強烈なものになり、ほとんどリンク自身さえも目を開けていられないほどになった。魔王もまた目を開けていられないようだ。リンクは唸り声を上げながら渾身の力で押し返した。少しづつ魔王が押され始める。ガノンドロフはやがてリンクの力を受け切れず棒立ちとなった。

 

リンクは脚をフルに使ってガノンドロフを押しやった。魔王はバランスを崩して後ろによろめく。リンクは自分の体を自分で動かしていることをもはや感じられなかった。だが何か駆り立てられるようにリンクは跳躍した。

 

これは苦しめられたイリアの分だ。リンクは裂帛の気合いとともに相手にジャンプ斬りを叩きつけると、着地するが早いが袈裟斬りを食らわせ、さらに深い突きをぶち込んだうえで最後に回転斬りを放った。リンクの体重の乗り切った斬撃にぶち当たった魔王が後ろによろめいて膝をついた。ここを先途とリンクは敵に殺到した。

 

だが頭から縦斬りを浴びせようとしたところで、魔王は膝立ちのまま長剣を跳ね上げて防いだ。正面が駄目なら横からだ。リンクが再び斬りかかって袈裟斬りを囮にすると、魔王は立ち上がりながら長剣を横に差し上げて防御した。その瞬間脇に回り込む。これはゼルダ姫の分だ。リンクは相手の開いた脇腹に逆横斬りを叩き込み、さらにもう一度回転斬りを放った。深手を負った魔王が再び後ろによろめいて片膝をついた。そしてこれはミドナの分だ。リンクは突進した。真正面から行くと見せかけ、フェイントの横斬りを放ちながら真横を通り過ぎ後ろに回り込んだ。立ち上がりざま剣を立てて防御の構えをとった魔王は、ほんの一瞬の間リンクの姿を見失った。

 

リンクは魔王の背後からジャンプ斬りを浴びせ、着地と同時に渾身の回転斬りを放った。血しぶきが飛び散り、ガノンドロフは数歩後ろに下がると仰向けに倒れた。リンクは攻め疲れで息が切れていた。だが魔王はリンクの前に倒れている。今しかない。リンクは盾を投げ捨てると、剣を逆手に持って跳躍した。魔王の上に飛び掛かり、剣をその胸に突き立て上から覆い被さって全体重を掛けた。

 

眩い光を放ったリンクの剣が、鍔まで埋まらんばかりに魔王の胸に突き刺さった。切っ先がガノンドロフの身体を貫き地面にまで刺さった。魔王は驚愕の表情で口を大きく開けて呻いた。

 

その呻き声は、断末魔や苦痛の呻きというより、怒り、苛立ちや屈辱の呻きだった。

 

「き‥‥貴様ぁぁぁ‥‥」

 

身体を貫いた刀傷によるものか、それとも聖剣により魔力を打ち消されたからなのかは明らかではなかった。だが魔王はいずれにせよ長い呻き声を口から漏らしつつも、その身体を激しく痙攣させていた。地面に釘付けにされ動くことができないようだ。

 

リンクは剣の柄から手を離すと、よろめいて座り込み、尻餅をついた。

 

やった。勝ったのだ。

 

それと同時に、急激に意識が遠のいていった。きつく縛ったつもりの頭と左腕の傷からおびただしい血が流れているのがわかる。

 

終わった。全ては終わった。視界にあるものがぼやけ、消えていく。リンクは後ろに倒れ込みながらゆっくりと目を閉じ、やがて意識を失った。

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