プロローグ『英雄賛歌』
一面には【黒】が広がっていた。
獲物を探す真紅の眼をギラつかせ、全身を【黒】で覆った化物の軍勢が、燃え盛る都市を蹂躙している。悲鳴はとっくに消えていた。あるのは炎が弾ける轟音と、奇妙な化物共の鳴き声だけ。この情景を見る度に、腹の奥底からぐらりと粘着質な違和感が込み上げる。
肌を焼く炎の熱さも、鼓膜を劈く咆哮も、カラカラに乾いて、それでも視線を逸らすことが出来ない眼球の痛みも。
両目が限界を迎え、流れてもいない涙を拭うようにゴシゴシと擦った。
悲劇を奏でる破壊の音を聞きながら、画面に映し出された少女は、自分とは正反対の、傍観者の視線で黒煙を見上げていた。それは凄惨が支配する景観を映しているとは思えない、まるで蕩けたような恍惚とした瞳だった。
『お前で最後か』
『……――ッ!?』
声を頼りに彼女が振り返る。
視界を埋め尽くしたその姿は、惨劇の最中でも美しかった。
細身の身体を包むのは【白銀】を帯びる軽装。そこから伸びるしなやかな四肢は、同性の彼女すら釘付けにする。細腕から視線を這わすと、右手には血に濡れた一振りの細剣が握られていた。腰まで伸びるしなやかな銀髪は、きっと絹糸ですら褪せて見えるだろう。
華奢な身体から視線を上げる。現れたその女性は、誰もがよく知る人間種(ヒューマン)だ。しかしあまりに精緻に象られたそのパーツは、精霊ですら劣るほどの美貌だった。
全身が白銀で統一された女性。その中で唯一異彩を放つ紫紺の瞳が、見惚れる彼女をただ見つめていた。
『すまない。随分と待たせてしまったな』
『そんなっ、謝らないでくださいティーラ様っ! 私はこうしてお会い出来ただけでも、光栄なのですから……!』
胸の前で手を組み、彼女はどこか懺悔でもするように現れた女性へと跪く。
女性は答えない。代わりに、美しく輝く細剣を掲げた。
これから少女は死ぬ。掲げられた聖剣は、寸分の抵抗もなく彼女の首を落とすだろう。
その生涯を彩り、活力を与え続けた最愛の『英雄』の手によって処断される。
『ああ……。なんて、なんて綺麗なんでしょう……』
それを理解して、彼女は満面に心からの笑みを浮かべる。
その胸はいっぱいに満たされていた。
あの白銀が、あの紫紺の瞳が、ただ自分だけを認めている。
その事実だけで、彼女は今にも飛び跳ねてしまいそうなほど表情を綻ばせた。
だが、彼女にそれを可能とする足はない。長い丈のスカートから覗くのは、鮮血と、纏わり付く【黒】の影。
よく見れば首から下はほとんど【影】に飲まれており、彼女に迫る最期の刻は刻一刻と迫っている。
それはこの街を襲った厄災の結実。
かの敵の浸蝕を一度受けてしまえば、その人物はどうあっても助からない。
『盟約に基づき、『ラストオーダー』を履行する。マルティール・カンディッド――』
自らの名を呼ばれ、彼女の全身が歓喜に打ち震える。眦に薄らと涙を浮かべ、やがて炎を受けて衒う白銀の輝きを受け入れるように瞳を閉じた。
『どうかこの最後が、お前にとって幸福であることを願うよ』
鋭い刃が空気を撫でる。
切っ先が触れた傍から彼女の体は蒸発し、炎の海の中へと溶けていった。
仕事へ取りかかる準備を済ませた『英雄』が、踵を返して炎の海へと歩み出す。
建造物はほとんど倒壊し平野と化した景観の向こう。夥しいほど蠢く【黒】の大群へ、【白銀】を携えた『英雄』は迷いなく飛び込んでいった。
そこから始まるのは、大敵を悉く屠る『英雄』の雄姿。
見守る彼らからは、悉く歓声が飛んでいる。
この光景が歪だと感じたのは、いったいいつからだったろうか。
「やっぱり《デュランダル》はかっこ良いよなぁ! あんなに沢山のロストをバッタバッタと倒しちゃうんだぜっ!」
「こーら、《デュランダル》様を付けなきゃダメじゃない。そんな乱暴なこと言ってたら、いざというとき助けて貰えないわよ?」
「へっ、あの人はそんなケチ臭くねぇよっ!」
同じくらいの年頃の一団が各々の持論を掲げながら、しかしその本質ではしっかりと足並みを揃えて白銀の戦士を賞賛する。
街頭のサイネージに映る、この世界で最も有名な『英雄譚』。
人類の天敵であるロストのあらゆる驚異から人々を救った救世主の一幕。
じっとしていればよかった。
ただその時は、イタズラに歓声を送る彼らがどうにも身勝手に見えて、どうしようもなかったんだ。
「ねぇ、どこがかっこいいって思ってるの?」
「あん? なんだお前――って、お前は《デュランダル》の……ッ!」
リーダーらしき少年が明らかに狼狽するのが分かった。
目を、髪を、そして体を。
まるで『化物』を見るような怯えた目が、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。
ぼそぼそと、耳に届かない絶妙な声音。
勝ち気そうな少年も、心優しそうな少女も。
この【色】を見たその傍から黙り込み、まるで見てはいけないモノを見たとでも言うように逃げ出していった。
その様子を認めながらも、周囲の大人は見て見ぬ振りで過ぎ去っていく。
「……やっちゃったなぁ」
服の裾をギュッと握り込んで、溢れ出しそうな涙を力ずくで抑え込む。
悔しいとか、悲しいとか、そんな話じゃない。
まるで自分だけ世界から見放されたような圧倒的な疎外感が、どうしようもないほど胸を締め付けている。これまで自分と面と向き合ってくれた人なんかひとりだって……いや、ひとりだけ居た。こちらの都合はそっちのけで突進してくるような子が。
「お~~~~~~いっ」
ほら、そんなことを考えてるからつい幻聴が聞こえてきた。
なんだか変に意識しているようで最悪だ。
あの身勝手の化身みたいな少女にどれだけ迷惑を被ったか――。
「――リぃいいいいいアぁああああああああああっ!」
「えっ、えっ!? ちょちょちょちょぉおお――ッ!?」
幻聴ではないと気付いて大声に振り向くと、たったいま全力で身を投げた少女がこちらへ射出されたところだった。
受け止めるか回避すべきかを思案している隙に間を詰められ、小さな体はもつれ合うように地面を転がる。
ぐるぐると三回ほど回転したところでようやく止まった。
「ねぇリアっ! もしも英雄が魔王を育てたらどうなると思う!?」
「……はいぃ?」
飛び掛かって馬乗りの姿勢のまま。
陽光を背に満面の笑みを浮かべ、息を荒げる少女は捲し立てる。
あまりに突飛な問いかけに少年は思わず聞き返した。
輝く瞳いっぱいに好奇心を宿しながら、少女は少年を照準する。
「セーゼン説よセーゼン説! お父様が教えてくれたの! どんな悪人でも、産まれたときはみんな善人だったんだって! ねぇねぇ、リアはどうなると思う? 面白いと思わない? ねぇったらっ!」
「分かった、分かったから! 早くそこからどいて……っ!」
「むぐっ!?」
ずいっと寄せられる少女の顔を押し戻し、ようやく倒れたままの体を起こす。
長く伸ばした茅色の髪が、突いた反動で少し頬に触れた。
体に着いた砂を払いながら、鼻息を荒くする少女を軽く睨む。
少女は好奇心に飛行魔法を与えたような性格だ。新しく得た知識を披露したくて仕方がないと、その翡翠の瞳が訴えている。
悪の象徴たる魔王が、善の象徴たる英雄に育てられたなら。果たしてそれは世界の脅威と成り得るのか否か。
先の圧倒的に情報量の足りない発言から、どうにかこうにか話の要約に成功した。
そうだなぁと呟いて腕を組む。
この話には少しだけ、本当に少しだけ、興味があったんだ。
「やっぱり、それでも本人の性格に寄るところが大きいんじゃないかなぁ。あとはどういう環境で育ったかも大いに関わってくるよね。英雄と一括りにしても、ソイツが狂人って可能性だってあるわけで――」
「ちょっと待って、いまいいところだから後でお願い」
「あーあそういうこと言っちゃうんだ! いいか良く聞けエルッ、ぼくだって怒るときはちゃんと――ぶへぇ……ッ!?」
仕返しとばかりにバチン! と、小さな手のひらが口を塞いだ。塞ぐなんて表現は生やさしく、実際は勢い的にも手の作り方的にもほとんどビンタだったのだけれど。真剣に取り合うのが馬鹿らしくなって、赤くなった口元を庇いながら小さくため息をつく。
休日の真っ昼間から流れていた物騒な映像は、十年前に起きたと言われている『大感染(パンデミック)』の一部だ。ロストと呼ばれる化け物。並び立つ漆黒色の大群が、サイネージを所狭しと埋め尽くしていた。
人がロストに浸蝕された暴走種、『ロスト墜ち』はどこにも見当たらない。肉体と精神が奴らに蹂躙される前に、その『英雄』が全ての人間を救ったからだ。
『既に一時間は戦い続けています。しかしその剣筋は衰えることを知りません! 剣を携える右手を振るうたびに、何十という数のロストが消滅していくではありませんかッ!』
都市一番の巨大なサイネージ。
そこに残っているのは魂のない化物の群れだけ。先刻のとは別物の、一縷の慈悲もない超火力で状景を切り裂く。
場に満ちる死の群れを、たった一人で切り払う白銀の剣閃。払った後には塵も残らない。映像から流れるキャスターの音声も見る間に熱を帯びていく。
事実、その光景に彼らの胸は躍った。
「あの人は、きっとどんな人だって救ってしまうのね」
取り憑かれたような瞳が強烈な憧憬を映した。
情景は刻々と変化する。
黒一面が支配する大地に白銀の剣閃が刻み、覆い隠されていた地表を瞬きのうちに取り戻していく。白銀が駆けるそのたびにキャスターの熱の籠もった大声が届き、体を揺らしてそれを見守る少女は自然と前のめりになっていた。
それはもう蹂躙が如き快進撃だ。やがてすべての地表が漂白されるまで、さほど時間はかからなかった。
周囲が歓声で満ちる。
圧巻で、圧倒的。どれほどの絶望を前にしても、人々に一縷の恐怖も与えない、正しく最強の名に相応しい規格外の実力者。
少女は瞬きも忘れて、ただ、サイネージに映る白銀の残光を見つめている。
対して自分は、ただ押し黙って、何かを堪えるように拳を固めていた。
「ねえ、リアは約束覚えてる?」
「……覚えてるよ。全部助ける『アンカー』になる、でしょ?」
嫌々な様子を隠さず答える。
それを知ってか知らずか、少女は全てを見透かしたような微笑みを返した。
「頑張ってなろうね。どんな人も助けられるような、そんなかっこいい『アンカー』に」
「……うん、そうだね」
無垢で綺麗な言葉を隠れ蓑にして。純真のままに語る少女の夢すら謀って。こうして生涯拭えない『約束』を確かめた今このときですら、本心は炎のような激情で燃えているのだから。
「……『英雄』なんて、冗談じゃないよ」
誰の耳にも届くことのない小さな声が、サイネージから溢れる歓声の中に溶ける。
サイネージ越しの観衆と一緒に拍手を送る少女を目の端で眺めながら、退屈な心情を押し隠すように手近な街路樹に体を預けた。
――こんなクソッタレな世界、ぜんぶ壊れてしまえばいい。
積もり積もった魂からの鬱憤を、背に隠した拳の内に秘めながら。
第一章『未定』
振り下ろされた剣閃が、青年の数ミリ先を通過した。
埒外の剣速に薄く冷や汗を掻きながら、しかし臆することなく前へと踏み込む。
「ふっ…………ッ!」
相手の剣が切り替えされる僅かの間を縫って、人型の自動人形(オートマタ)の懐へと飛び込む。左肩を前にし、踏み込みの勢いを乗せて渾身の力で切り払うが、繰り出した一撃は加速しきる前に迎撃態勢に入った人形の剣によって打ち払われた。
(速すぎんだろ……!?)
心の内で悪態をつきながら、機械の鎧で全身を覆った青年は即座にその場を離脱する。バックステップの勢いを手足に取り付けたジェット機構で加速させ、次いで放たれたカウンターの射程を脱する。
瞬間、先ほど青年が居た地面を豪速の剣が打ち砕いた。お互いに得物は試合用の木剣だが、一撃の威力はあまりにも掛け離れている。
やや遅れたブレストプレートが切っ先を掠め、その掠り傷で胸部装甲は抉り取られたように吹き飛ぶ。直撃すれば即死も免れない相手の力量に、青年は戦慄した。
人形は位置が固定されているため、この一騎打ちから離脱することは容易だ。しかし青年は斬り結ぶ度に気迫を増していく。
己の命運を分かつこの戦いに、青年は勝利すること以外を考えていなかった。
「20秒経過しました。その調子ですよ、特クン……!」
青年と人形の死闘を、傍らで少女が見守る。
肩口で綺麗に揃えた流水のように流れる白藍の髪を乱しながら、小さな体をいっぱいに使って声援を送る。
少女の蒼の瞳が、祈るように両者を見つめる。
「……ぜってぇブチのめす――ッッ!!」
設定された制限時間は30秒。側で見守る少女の声援に膂力を漲らせ、青年は見出した勝機に己の全霊を注いだ。
「ら……ぁああああああああッ!」
一秒にも満たない思考の末に、青年は超近接戦闘(インファイト)を選択した。
先程回避に使ったジェット機構を巧みに操り、剣戟の猛攻を空を舞う蝶のようにひらりと躱していく。隙を見つけては青年も木剣を繰り出すが、やはり純粋な速度はあちらに分がある。弾かれた剣の勢いすら利用して、青年はひたすら加速し続けた。
膂力と速度は確かに人形が上手だが、この人形には致命的な欠陥がある。
人形の機能は単純で、測定エリアに侵入されればそれを防ぎ、そこから逆算して挑戦者の位置を感知し迎撃する。つまり裏を返せば、防御の後には必ず攻撃が来るのだ。
付け入る隙はある。だが、それを引いても有り余るほどの実力差が彼らにはあった。
その差を埋めるための駆け引きを、青年は仕掛けた。
「残り5秒。もう少しです……!」
「ッ、おおおおおッ!!」
深紅の瞳から闘志が迸る。
関節の可動域、攻撃前の僅かな挙動から察知し、青年は紙一重で人形の攻撃を先読みして回避していく。
しかし完全に回避仕切れているわけではない。肩を、腹を、足を僅かに掠めたその一発一発が、青年を守る外装を削り取っていく。
苛烈を増していく攻防の中、青年は極めて冷静だった。
(タイミングは掴めてきた。……いけるッ!)
残りの数秒で青年は勝利の可能性をたぐり寄せた。
大きく息を入れ直し、自らを奮い立たせるように最後の駆け引きに出る。
(――単純なカウンターは防がれる)
人形の挙動は極めて俊敏で、攻撃に合わせてカウンターを打っても即座にはたき落とされてしまう。過去100戦以上を交えてきた青年はそれを十分に理解していた。だがその中の一度だけ、人形は他の時とは違う挙動を見せたことがあった。
物は試しと攻撃に合わせカウンターを打ち出したとき、人形の剣が防御に切り替わらなかったのだ。その時判明したこの人形の欠陥。命令を複数個同時に処理することが出来ないという、システムの穴だった。
だがそのタイミングを狙うには常軌を逸する精密さを要求される。
(あんときゃ手痛くやられちまったが、来ると分かってれば怖くねぇ……ッ!)
挙動が防戦から攻勢に転じる瞬間ならば、後は相手を捉える剣速の勝負だ。
いたずらに攻撃を打ち出しても速度では向こうが上だ。故に相手の攻撃は射程を予測して逃れるしかない。
これが失敗すれば、前回同様、あばらの一本や二本は覚悟しなくてはならないだろう。
だがそれでも。
もし、自分の剣が勝つことができれば。
その一歩を踏み出すことで、理想を遂げることができるのなら。
この死線は、踏み越えるべき一歩に違いない。
そんな不確定のたらればに全霊を注ぎ、青年は捨て身の大博打に出る。
当たり前のように弾かれた木剣。
とどめを刺すように迫る自動人形の一撃。
これまで寸前で回避してきた人形の切っ先が、真芯で機械の鎧を撃ち抜いた。
しかし。
「ぉぉおおおおおおおおおおおおお――――ッッ!!」
引き千切られた機械の鎧の背後から、漆黒の髪を靡かせて青年が飛び出した。
大敵を見据える真紅の双眸が、猛火の如く揺らめく。
丹精込めて造り上げた己の武装を犠牲にした、まさに捨て身の陽動。
敵を捉え完全に振り抜かれた人形の剣。
これまでにない巨大な隙を狙って、青年の剣は閃く。
だが同時に、まだ戦闘は終わっていないと、人形の剣も挙動を開始した。
打ち出された剣が行き違い、定めた標的へと迫る。
パンッ――と。
弾ける木剣の快音が響き渡った。
『――レベル10クリア。勝者、リアド・ティーラ』
「はぁ……はぁ……は――っ」
リアドは浅い呼吸を繰り返し、信じられないモノを見るように硬直する。
自らの放った最後の一撃は見事人形の頭を打っている。対して人形の剣は、リアドのすぐ傍らで制止している。
あまりに分かりやすいその構図を目視し、理解し、咀嚼して、リアドの手のひらは自然と拳を作った。
「ぃよっしゃああああああ――ッ!!」
咆吼が空気を揺らす。
決着を見届けた少女はたまらず駆け出した。
一心不乱に、瞳には涙すら浮かべながら――。
「ああ特クン、ついに負けてしまったのですね。ううっ、可哀想に……」
――咆吼する青年を過ぎ去って、物言わぬ自動人形へと縋り付いた。
「おいテメェ! だからなんでそっちばっか応援すんだよ! 勝ったんだぞ!? 散々無理って言われたあのレベル10にさあッ!!」
「ふんっ。確かにワタシはこの家に仕える精霊ですが、この『特クン』はワタシにとって同僚とも言うべき存在です。生意気な小僧とどっちが優先かなんて明白でしょう」
「やかましいわ! まっ、今の俺は気分が良い。多少の不義理は許してやるよっ」
「相変わらず、リアドは機嫌が良いと気持ちが悪いですね」
「その『久しぶりに再会した幼馴染みがする呆れ笑い』みたいな表情やめろ! 使う場面全然ちげぇからなっ!」
フンと鼻息を荒くして捲し立てるリアドに、精霊の少女は蒼の瞳を冷ややかに細めた。
この精霊――ウルはまだ未成熟の精霊だ。人間を模倣して姿形を取る精霊は、その成熟度合いによって感情の起伏が変わる。恐らくドラマかなにかで見た取って付けた表情を試してみたのだろうと、リアドは未だ熱を持つ思考の奥で推察した。
「もうなんでもいいや。だが約束は守って貰うぜ? ほら、早く報酬を出せ」
指定されたレベルの最高ランクを討伐したリアドの心境は、その成果報酬のことで埋め尽くされている。
戦闘の果てに彼が望むモノ。
それは自分が、往年願い続けても得られなかったモノに違いない。
その核心がいたずらにリアドの心境をざわつかせていた。
「ワタシに言われても困ります。それに、報酬はもう発射されていますよ」
「おおっ、ホントか――って、え? 発射? 発送とかそういうのじゃなく?」
「はい。ですのでそこを動かないでください。直撃すれば即死ですので」
「んだよそれ。砲弾でも降ってくるってか? いくらあの人でも自分ちにそんな――」
続く声は轟く爆発音に掻き消された。
天井が粉砕されるのと同時に、強烈な爆風がリアドの全身を叩いた。着弾と同時にウルは水の防壁を展開し、透明なその壁にあらゆる欠片が冗談みたいに突き刺さる。
「……………………」
炸裂した文字通り即死級の一撃に、リアドは声を発することも出来ず立ち尽くす。
呆気にとられすぎて開きっぱなしの顎を、ウルがグイッと押し上げた。
「……おい、こんなの来るって聞いてねぇぞ」
ウルの計らいで言語を取り戻したリアドは、晴れていく砂塵の向こうに鎮座するそれを指差した。
それは送り主からは想像も付かないほどの、黒一色。
柄から刀身まで全てが禍々しい黒く彩られた一振りの直剣が突き刺さっていた。
「報酬は武器……か」
「そのようですね」
「よりにもよって真っ黒な剣とか……。ウルは母さんからなんか聞いてるのか?」
「いえ、ワタシもそこまでは。そんなことよりワタシの後ろに隠れるのやめてくれませんか? 絵面は過去最高に最悪です」
「薄情なこと言うなって。ここじゃお前が最高戦力なんだからさぁ」
「ああ特クン。貴方はこんな男に負けてしまったのですか……」
精霊ではあるが、ウルの外見は年端もいかない少女そのものだ。その背に隠れる情けなさを、リアドは死力を尽くして思考から追いやった。
眼前に飛来した剣は、それほどの異彩を放っていた。
「リアド、ちょっとアレ抜いてきてくれませんか?」
「食事中にソースねだるトーンで無茶ぶりすんな」
「だって【黒】ですよ? あんなのワタシが触れるわけないじゃないですか」
「んなこと言われてもよう……」
漆黒の剣なんてものが、自然発生したものであるはずかない。こういった異質な物体は総じて魔力由来だと相場が決まっている。
なればこそ、【黒】はこれ以上ない危険色だ。
「じゃあアレが近づいた途端、ドンッて爆発したらどうすんだ?」
「その際は盛大に弔って差し上げます」
「いや諦めるなよ助けようという気概を見せてくれよ精霊だろう?」
「見たところあの物体Xからは魔力を全く感じません。例え【黒】でも貴方なら問題ないでしょう。ほら、行った行ったです」
「あしらい方が雑すぎんだわ……。んじゃ、俺が吹き飛んだらそんときゃよろしくな」
諦めたように呟き、リアドはぽんと手を置きウルの頭を軽く撫でる。
ウルはむず痒いように身動ぎし、しかし依然と警戒は解かなかった。
その様子に苦笑して、リアドは黒剣の前へと躍り出る。
「ビビってんじゃねぇぞリアド。アイツと約束したじゃねぇか……ッ」
ゴクリと生唾を飲む。
意を決して、リアドは剣の柄へと手を伸ばし――。
「――なっ!?」
絶句した。
いざと覚悟を決め、剣を握ろうと伸ばした手のひらが、逆に握られている。
感触は想像していた硬質なものとはほど遠く、人肌のような柔らかさが伝わってきた。
驚愕に揺れる瞳は、勝ち気に笑う黄金の瞳に釘付けになる。瞬きの瞬間に、黒剣は人間の少女のような姿へ変身していた。
現実に追いつけない俺を他所に、少女は勝ち誇るように声を上げる。
「くっ、くふふ、くははははっ! ついに吾輩と手を取ったな、リアド・ティーラッ!」
踝まで伸びる髪はリアドとは正反対の純白。白く透き通る肌は些末な布1枚にくるまれており、高貴さを醸し出す身体からはあまりにも不釣り合いな衣装だった。
だが数ある少女の特徴の中でも最も看過できないのは、異彩を放つ黄金の瞳だ。
人の形を取る武器自体には、リアド自身にも僅かに心当たりがある。
人知を超越し、人間へ多大なる恩恵をもたらす存在――精霊だ。
しかしその予想が的中した場合、この少女の外見は完全なる異常事態(イレギュラー)へと変貌する。
「……お前、何者だ?」
精霊の起源からは絶対に有り得ない『黄金』の瞳。【黒】などという、精霊が司るモノと対極を表す剣。見ず知らずの異様な存在が自分の名前を知っていることへの畏れ。
次々と湧き出る疑問を押し込め、リアドは声音を落とす。
想定通りの問いかけに、少女は満足そうに口元をつり上げた。
「吾輩はシェディム! 世界を壊すべく顕界した、【魔王の精霊】であるっ!」
「魔王の……精霊……?」
「そうだともっ! ほれほれ畏れよ崇めよっ! 吾輩を称えるがよい!」
自称魔王の精霊は胸を張って威張り散らす。
魔王が精霊を従えていたという伝承は聞かないが、その外見的特徴はあらゆる文献で統一して明記されている。
外観は人間に似ており、色彩が抜け落ちたような白い髪と、月光が如き黄金の瞳。
精霊の外観はその力の由来を示すモノだ。その外見だけでも、この精霊が『本物』であることは疑いようもない。
ない、んだけど……。
「疑うのであればこれを見よ! お主の母より文を預かっておる!」
「……………………」
差し出された一枚の封書を受け取る。
随分としわが寄ってるな。どうやら書いたのはかなり前のことらしい。
封筒をひと思いに破き、中の用紙を取り出す。
入っていたのはたった一枚の便箋。そこに添えられた文章は――。
『約束通りお前の望む力を授ける。上手く使え。使えるかは知らんがな。英雄より』
「ぶっ飛ばすぞクソババアッ!!」
「なぁにするんじゃぁああっ!」
渡された手紙をビリビリに引き千切り絶叫する。
パラパラッと紙片が宙を舞い落ちていく。散らばったそれらをこれでもかと踏みつけるが、俺の溜飲は下がるどころか上昇の一途だ。
「約束がちげぇぞ! こんなのが俺の望む力だと? よりにもよって精霊寄越すとか、おちょくんのも大概にしろってんだッ!」
「随分と荒れとるのぅ。そんなに怒ると眉間からしわが取れなくなるぞ?」
「煽ってんのかテメェ! ここまで来るのに俺が何年かけたと――ッ。いや、悪かった。お前には関係ないことだったな……」
力尽きて項垂れる。
『自動人形のレベル10を倒せ。そうすれば望む力を与えてやる』
母さんにそう言われてからはや10年。
生身でボコボコにされた後、人形の速度に追いつこうとスーツの開発に勤しみ、纏って稼働してみれば予想外の方向に吹き飛びまくりあちこちの骨を折って、スーツを制御するためにパルクールなんかを死に物狂いで習得したり……。
あれ、後半ほとんどスーツの攻略になってねぇか?
まあなにはともあれ、こうして晴れてにくき人形を打破したわけだ。
魔王の精霊と名乗ったコイツは、きっと本物に違いない。
由来が由来だ。さぞ優れた能力を持っているのだろう。
でも、精霊の時点で意味がない。ただの武器だったほうがどれだけマシだっただろうか。
「関係ないだと? たわけたことを! 気負うでない、吾輩とお主は一蓮托生なのだからっ!」
「あーはいはいそうですか。もう勝手にしてくれ」
「なぜそうも邪険にする? やはり吾輩が魔王の精霊だからなのか?」
「関係ねぇよ。精霊ってだけで、俺とは相性最悪だっつーの」
「吾輩、そこそこ強いと思うんだがのう……」
指先を合わせてモジモジと分かりやすく落ち込んでしまった。
そんな反応をされると何か悪いことをしてしまったような気になってくるな。
いやまあ、割と最低な行動を取っている自覚はあるのだが。
「じゃあ一応聞いてやる。魔王の精霊様は、いったいどんな力を持ってるんだ?」
「ふふん、よくぞ聞いた! なんと、吾輩はロストの魔力を操れるのだッ!」
「操ってどうすんだよ」
「え、ええっとぉ……。そうだっ、お主に魔王の加護を授けることが出来るぞ……っ!」
「はんっ、角でもにょきっと生えるってか?」
あ、ちょっと涙目になってる。
やりづれぇ……。
でもいまのはコイツが悪いって。ロストは魔王の魔力が由来なワケなんだし、魔王由来の恩恵が与えられるのは前提条件だ。
だからそう、大事なのはそこじゃない。
「んで、その発動条件は?」
「吾輩がロストの核に触れることだ」
「よしっ、説明ありがとう。んじゃもうお前に用はないから、荷物纏めてさっさと帰んな」
「うわぁあああああああああああんっ!!!!!!!!」
とうとう泣き出してしまった。
だってしょうがないだろ。だってロストの核に触れなきゃダメって事は、その間は生身で戦えってことじゃん? 普通に順当に死ぬって。もし生身でアレに勝てる奴が居たのなら、ソイツとっくには人間辞めてるね。
さてと、無駄話してたらそろそろ出発の時間になっちまった。
「お、おいこらぁ! 吾輩を置いてどこへ行こうというのだっ!」
「仕事だよし・ご・と! こんな理由で遅刻なんて首が飛んじまう」
「お、遅れるだけで斬首なのか!? 恐ろしい世の中だのう……」
酷くおぞましい曲解をされているようだが、もう訂正する気力もない。
訓練場の隅に纏めておいたカバンを肩に担ぎ、早足で玄関へ向かおうとして――はたと思い出した。
「っと流石にこのままじゃ行けないよな。ウル、いつものヤツ頼めるか?」
「……後ではダメなのですか?」
「あとっていつだよもう出てくんだって」
「それもそうですが……。はあ、我が儘な坊ちゃんですね」
「なにが坊っちゃんだッ! 俺だって今年でもう18に――ぐ、ぬぬ……」
反射的に飛び出そうとする反論を飲み込む。それなりに成熟した年齢をわざわざ言ってしまったことで、余計に気恥ずかしくなってしまったから。
コイツ、まさかそこまで計算して……?
なにやら勝ち気なウルを尻目に、わざとらしく周囲の景観に目をやる。
この訓練場は極東にあるらしい『道場』と呼ばれる施設を模していて、ここらでは珍しい木造の建物だ。精霊シェディムの落下によってぶち抜かれた天井と床。水の精霊であるウルは木材たちの生命力を活性させ、その修繕を手ずからやっていてくれている最中なのだ。
先とは違う極々自然な『嫌な顔』を作って、ウルはこちらに向けて手を翳す。
「【洗い流しなさい】」
「おおっ!?」
言葉と共に奔流する水の塊に飲み込まれる。
息を止めて数秒待つと、パンッと弾けて水球は消失した。
濡れている箇所なんかひとつもなく、汗ばんでいた肌はスッキリ爽快だ。
流石は水の精霊。水は出すのも取り払うのも片手間でやってのけてしまう。
「さんきゅーウル。んじゃ、行ってくるわ」
「行ってらっしゃいませ。夕飯はご馳走を期待しています」
「は? 何だってそんなこと――」
んっ、と。
ウルは無言で背後を指差す。
つい先程までバキバキのぐちゃぐちゃだった、今やそんな事実は無かったかのようにピカピカに輝く道場を。
……なるほど。
「ぜ、善処するよ」
早くとも帰りは日が落ちてからになる。翌日も無論仕事が待っているのであまり時間を後ろ倒しにも出来ない。その限られた時間で作れる『ご馳走』とは……ふむ。
「まっ、行きながら考えるか」
頭の隅で思いつく限りの献立を列挙しながら、俺は玄関を飛び出した。
人霊防衛拠点『ニュー・フィローヴ』。
53の拠点都市と約30億の人口を抱えるステアフィロート聖王国、その中心に位置する、人類にとっての最終防衛ラインだ。
この街には、『剣』が突き刺さっている。
それもお伽噺に出てくる泉の剣のようなモノではなくて、雲をも突き抜けるくらいにドデカいやつだ。
過去の大戦で魔王を封印したとされる魔素で出来たこの剣は、人類の大敵ロストに対する唯一の対抗手段だ。これを失ってしまえば、人類は瞬く間に滅亡するだろう。
そんな超重要な『遺物』を抱えるこの都市は様々な特徴を持っている。
なによりも特筆すべきは、この都市は半分が精霊で出来ている点だろう。
これは比喩でも何でもなくて、事実、そういう風に作られている。
事の発端は今から500年も昔らしい。
起源は大陸全土を雪で埋め尽くした極寒のとある日のこと。遭難し死の淵に立ったひとりの人間が、そこで『火』を起こした事から始まったのだとか。
火は恩恵であり、精霊が人々へ与える超常の賜物だ。
それをたったひとりの人間が原理を解明し、追求し、超常を紐解いて、あろうことか生還の喜びと共に民草へと流布してしまった。
84762体。
辺境の小さな村に火の起こし方が浸透した頃には、それだけの数の精霊が世界から消失していた。
人間の信仰心を原動力とする彼女らにとって、人類が文明を開いていくというのはこれ以上とない脅威だった。囁かれる噂話、自然現象への畏怖や恐怖。そういった現象が解明されるだけでも、低位に属する存在の希薄な精霊は抵抗することも出来ず消滅してしまう。
でも人間は探求する生き物だ。精霊がどれだけ止めようと、その探究心を押さえ込むことは不可能に近い。
そこで精霊たちは、人間と話の場を設けることになったんだ。
『ちゃんと人類の発展に貢献するからさ、文明拓くのやめてくれない?』
実際はもっとお堅い条約なのだけれど、要約すれば内容はこんな感じになる。
それを期に、超常だった精霊の魔法は、日常になくてはならない必需となった。
精霊たちは見事、人間の探究心を『摂理の解明』から『魔法の探求』へと変換することに成功したんだ。
『――というわけで、今朝のケイティーうんちくコーナーでした。まあ、うんちくと言うほどの情報でもないのですが』
『いやいや立派な抗議でしたよケイティーさんっ! さてさてそれではっ、ステアフィロート公共放送、ニュースSSBのお時間がやって参りましたっ! 人間も精霊も、今日も張り切って頑張っちゃいましょうっ!』
『では、今週のダンジョン予報からお伝えします。まずは――』
空中を飛ぶ飛行船からホログラムで投影された二人のキャスターが、天気予報と一緒にダンジョンの最新情報を並べていく。
ニュー・フィローヴの最新情報を取り上げるのが、SSBという番組だ。漫才さながらの掛け合いをする担当のふたりはもちろん、その情報の有用性も評価されかなりの人気番組となっている。
なんとも巡り合わせの良いもので、道すがらシェディムにしようと思っていた都市の説明は大体ふたりがやってくれた。うんちくコーナー、やっぱりタメになるぜ。
「なるほどのう。そこら中から精霊の気配がするのはそういうことじゃったのか。なんとも面妖な世の中だのう」
「面妖ねぇ。まっ、そう思うのも分からんでもないけどさ」
ドラゴンよりも高いビル。
頭上を走る空中道路の迷宮。
その近代的な外観とは不揃いに立ち並ぶ、レンガや石造りで構成された街並み。
眼下のあちこちで輝きを放つ転移ゲートの光。
そして、遠方に聳える巨大な【聖剣】の輝きを見ながら、少し前に学校で習った知識を反芻する。
今から約10年前に起きた大事件。
あの《デュランダル》の初陣としても知られているパンデミック。
その時一度、このフィローヴという都市はロストの侵攻によって滅んでいる。いまあるニュー・フィローヴは、その土地を再利用して修復された近代都市だ。建造物が新旧入り乱れているのは、急速な復旧に知識のアップデートが追いついていなかったり、中世的な外観にこだわる精霊の説得に時間を要したりしたからなんだとか。
新旧入り混じるキメラ的な街並みを眺め歩きながら、キョロキョロと忙しない傍らの少女に目をやった。
「なあ、本当に着いてくるのか?」
「当たり前だ! お主あるところに吾輩あり。言ったであろう? 吾輩達はもはや一蓮托生なのだっ!」
「勝手に託生すんじゃねぇよ」
吐き捨てるように言い放つ。
一応目立たないようにと、あのボロボロの衣装はあり合わせで取り替えた。ぶかぶかの帽子とシャツでうまい具合に白い髪が隠れている。
「そうツンケンするでない。吾輩達は契約を交わしたのだから、仲良くしようぞ!」
「いや仲良くなんてそんな――え、契約? いつ俺とお前が契約したんだよ」
「最初に手を交わした時にちゃちゃっとなっ。契約とは謂わば双方の合意あって成立するモノ。力を求めて伸ばした手を、吾輩は受け取った。ほれみろ、これ以上なく完璧な契約であろう?」
「おいホントに何してくれてんだよ……」
リアドは精霊シェディムと契約を結んだ!
胃痛の酷さが5上がった!
頭痛の鋭さが10上がった!
ドロップアイテム、悩みの種を獲得した!
「くふふっ、楽しみだのう。お主は相当デキる! いったいどんな戦いっぷりを披露してくれるのだろうなっ!」
なんつー脳天気な奴だ。しかしこの俺が本当に精霊と契約を?
もし本当に契約出来ているなら、俺の【色】に必ず変化が出てるはずだ。
ちょっと期待して体をグルリと見回してみる。うん、どこもいつも通りで至って正常。なんだよ、適当なことばっかいいやがって。
「勝手に話し進めんな。んで、買い被りだ。俺はそんな凄い奴じゃねぇよ」
「なにを言うっ! お主はあれほど恐ろしい人形に勝って見せたではないかっ!」
「だからそれは――いや、もういっか……」
反射的に反論しようとして、今朝方の記憶がフラッシュバックした。
出勤時に切られた『着いてくるのを拒む俺』対『どうしても俺に着いてきたい精霊』の戦いは、精霊の玄関先で泣き叫ぶという最恐の一手を以て幕を閉じた。
世の中の親たちは、こういう苦労を日常的に背負ってるんだろうなぁ。
しかしこんなガキっぽいのが魔王の精霊ねぇ。
精霊ってのは肉体を形成する発生の『起源』と、精神を形成する存在の『命題』の二つを以て、ただの魔力からひと柱の生命として世界に定着する。
『世界を壊す』なんて物騒なワードを命題にする精霊だ。連れていくなんて危険この上ないのだが、一応ウルも『魔力の欠片も感じない』って言ってたし、大丈夫だろ。たぶん。きっと。おそらく。……大丈夫だよな?
「なあ、お前精霊なんだろ?」
「お前ではない、吾輩はシェディムだ!」
「分かった分かった。んでシェディム、一応これが最後通告だ。おっと泣くんじゃないぞ。いいか? これから行くとこは冗談じゃなく、精霊にとってめちゃくちゃ危険な場所なんだ。下手を打てば簡単に死ぬ。それでも着いてくるのか?」
「くははっ! 無論だともっ! どうせ相手がロスト故の心配なのであろうが、そんなもの吾輩には関係ない! なぜなら吾輩は魔王の――むぐっ!?」
大慌てでシェディムの口を塞ぐ。が、少し遅かったか。
精霊が跋扈する都市の真ん中で、その大敵である『魔王』なんか禁句中の禁句だ。
そんなのを大声で叫びでもしたら――。
「ねぇねぇアレ、通報した方がいいんじゃない?」
「誘拐……? にしては大胆だけど……」
「あの黒髪って……確か昨日ホットチャートに載ってた隊員じゃない?」
「あーまっずいぞこれ」
冷静に考えたらそりゃそうだ。大声聞いたら声より先に状況把握だよな。
「ぷはっ! おいリアド、いきなり口を塞ぐとはどういう了見だ!」
「いやあ悪い悪い。ちょっとほら、アレがコレでそういうことだったんだよ。んじゃさっさと行こうぜっ」
「なに言っとるかさっぱり分からんのだがっ!?」
思考は速戦即決速離脱の一択だった。
弁解すれば余計に拗れるのは分かりきってる。シェディムの手を引いてメインストリートをズンズン前へ。一回話を付けなきゃらちがあかないと考え、俺はそのまま、適当な路地裏へと身を隠した。
「のうリアドよ。こんな辛気くさいところがお主の仕事場なのか?」
「んなわけねぇだろ。なあシェディム、お前ってまだ都市に霊基登録してないだろ」
「しとるしとらん以前にそれが何かを吾輩は知らんっ」
「なんで得意げなんだよ……」
思わず額に手を当てる。
俺も迂闊だった。数度言葉を交わしただけの関係だが、コイツが問題を起こすタチなのは目に見えている。連れて行くとなってしまった時点で、初めに説明しなきゃいけなかったのに。
「いいかシェディム。精霊は自分の情報を都市に登録しなきゃいけない。都市機能を使う権限を付与することが目的の大半だが、これはある種の制御装置の役割も持っているんだ」
「ほう、制御とな?」
「そうだ。ほら、歩いてる暇そうな連中を見てくれ」
「言葉尻に棘がすごいのぅ」
「持たせてんだよ。アイツら全員、衣服に光る線があるだろ? あれは【ライン】と言って、装備者の魔力回路と連動してる。アイツらと契約してる精霊はそこに入って、人間が魔力を使えるようにしてくれてるんだよ。その技術を普及させたのが――」
おあつらえ向けに正面に掲示されていたサイネージを指差す。そこにはボサボサの髪のまま、汚れた白衣を羽織る20代半ばの女性が映し出されていた。つーか宣材写真ぐらい身なり整えろよ。彼女が本来持っているはずの銀色掛かった薄紫の髪も、油と煤で汚いったらありゃしない。
「ヒルデ・ギアボルト。開発からたった半年で【ライン】を量産段階まで持っていった、超の付く天才だよ」
道を行く人々の衣服を見る。一昔前までは無骨に備わっていた【ライン】も、今や衣服の刺繍に溶け込みどんどん自然さを増していた。
初期型の頃とは最早別次元の技術である。
「魔力を保存する、外付けの魔力回路か。その【ライン】とやらのお陰で、精霊はここまで人と馴染めたのだな?」
「そういうことだ。人ひとりにつき精霊ひと柱が与えられて、誰もが魔力を使える。でもそいつらが全員好き勝手出来たら大惨事じゃないか?」
「なるほどのう。それ故どの精霊も気配が希薄だったのか」
繊維型回路補助術式――【ライン】。あれを装備することで転移ゲートや料金の精算とか、そういったのがワンタッチで全部できるようになる。通貨も今じゃほとんどが魔素化されていて、現金を扱ってる店なんかほとんど見ない。つまり【ライン】とは、俺たち人間にとっては生活の必需なのだ。
「逆を言うと、登録のない精霊は害と見なされて問答無用で捕縛される。精霊単体での行動は許可されてないから、捕まりゃ契約相手が見つかるまでそのままってわけだ」
「な、なんと恐ろしい街なのだ……」
「ましてやお前、【魔王の精霊】なんだろ? そんな危なっかしいヤツ、最悪処分されたっておかしくない」
「処分だと……っ!?」
本当ならこんな事にはならない。教わった話では、精霊は都市に入る際にそういった手続きを踏まないとゲートを潜れないって話だし。
空から家屋ぶち抜いて降ってくるヤツなんて、都市広しといえどコイツくらいのものだろう。
「あれ、そういやなんで警報が出ないんだ?」
「警報とな?」
「ああ。都市の中にロストが発生した場合、市民を避難させるために警報が鳴るんだよ」
コイツが【魔王の精霊】だというなら、扱うのは当然ロストの魔力だ。幾ら魔力が枯渇しているとは言え、こうして顕界している以上少なからず魔力は持っているはずだ。
「何を勘違いしとるかは知らんが、吾輩はロストではない。吾輩の中に魔王の『怨嗟』はないのだから、警報が鳴らぬのも道理ではないのか?」
「怨嗟がないって……あっ、そういうことか」
ロストは討伐されたあと、聖剣の魔力によって浄化され都市機能を動かす魔力源となる。だがその魔力を警報は感知しない。
由来は同じでも作りは違うってことなんだろうな。
「さて、次は吾輩の番だ」
「ん、なんか気になるのか?」
「お主の事だ。のうリアドよ、街の人間は皆【ライン】とやらを身に付けているのだろう? ならばどうして、お主にはなぜそれがないのだ?」
「それは、だな……」
しまった。そりゃそう来るよな……。
いや別に、今更隠すようなことでもないが、やっぱり変に気を遣っちまうな、コレ。
「さっき【ライン】は回路と連動してるって言ったろ? だから単純な話だ。俺にはその回路が――」
「ねぇシア先輩、ホントにこっちから声がしたんですかぁ?」
「間違いないよピティ。私の『耳』のことはよく知ってるでしょ?」
「っ、この声は……ッ!」
路地に立って声の方を伺ってみる。
すると辺りをキョロキョロと、探偵気取りのが人影がふたつ。
ひとりは薄桃色のツインテールを靡かせるエルフの少女。もうひとりはエルフと比べて二回りくらい小柄な、新緑色のショートカットの少女だった。
「アイツなんだってこんなとこに……あっ」
反射的に腕に巻いた時計を見る。今日はアイツとシフトが被る日だ。そんでもって集合時間はいまから数えて5分前。大方集合場所に現れない俺を探しに来てくれたのだろう。全く良い友人を持っちまったぜっ。
「シェディム! お前姿を変えれるんだろ? なんでもいいから変身してくれ!」
「そんなことをしたら吾輩が街を歩けぬではないかっ! 嫌じゃ、そんなのつまらんっ!」
「話を聞いてなかったのか馬鹿っ! 人が来るんだぞ? 見つかったらお前だってタダじゃ――」
「むっ、こっちからリアドの声がしたような。ねぇリアド、そこに居るの~?」
「しくったクソ……っ!」
足音がこっちへ近付いてくる。ああ不味い不味い不味いッ! アイツらなら説得すれば見逃してもらえるような気もするが、こんなトンチキな精霊の存在、どうやって説明しろって言うんだッ。
「なあシェディムはやく!」
「仕方がないのぅ……ほれっ!」
ぴょんとシェディムがジャンプして、着地した頃には今朝見た剣の姿になっていた。
間近で見る超常に感嘆するが、しかし……。
「悪い、今すぐ元に戻ってくれ」
「なんでじゃ!?」
「こんな物騒なモン持って出歩けるわけねぇだろ! 弁解の余地なく豚箱行きだわっ! なんかこう、別の物に変身出来ないのか!?」
「きゅ、急に言われても無理だ! 自慢じゃないが、吾輩は物をほとんど知らんのだ!」
「ホントに自慢にならねぇなっ! つか、知ってれば何にでもなれるのか?」
「うむ、構造を理解すれば変身は可能だっ!」
「絶妙に使いづらいな……っ!」
かつてない速度で思考を回す。
目立たなくて、それでいて小ぶりで取り回ししやすくて、かつ身に付けられる物……。
「じゃあ、コイツはどうだ?」
「あん? なんじゃこの美味しくなさそうな板は」
これは信号連動型魔素通信端末(シグナル・リンクト・マナ・ホスト)と言って、通称『スマホ』と呼ばれる魔導具だ。
日常のメッセージのやり取りや音声の通話などに用いる端末で、この都市の誰もが持ってるモノになる。これなら他人の目も誤魔化せるはず……!
「お主こそ話を聞いておらぬのか? こんな複雑で奇っ怪な魔導具、吾輩がひと目見ただけで解明できる筈もなかろう」
「だからなんだってそんな偉そうなんだよッ! ……そうだその手があった! シェディム、こういうのならどうだ?」
スマホで適当に検索をかけ、めぼしい画像をシェディムに突き出す。
期待通り、シェディムの黄金の瞳が輝きを放った。
「うむ、これならいけそうだっ! だがしかし、見えぬ部分をどうするのが良いか……。むぅ……」
「結構手こずってるようだけど、まだ時間掛かりそうか?」
「あまり急かすでないわっ! あと2秒、いや5秒……10秒くらいは必要だっ!」
「任せろ20秒稼いで来てやるっ!」
「頼む!」
シェディムをスマホごと適当な物陰に押し込み、それを庇うように急いで前に立つ。
無駄に脈打つ鼓動を抑えようと息を入れた直後。
路地の影からひょっこりと淡桃色の頭が飛び出した。
「あーやっぱりここに居た! もう、こんなところで何やってたの?」
「お、おはようシアストラ。ちょっとほら、ソレがコレでその、アレだったんだよ」
「なんの説明にもなってないんだけど!?」
「諦めてくださいシア先輩。リアド先輩はその、残念なんです、色々と」
「出会い頭に言いたい放題だな、お前」
呆れるように腰に手を当て、シアストラの後ろからひょっこりと小さな影が飛び出す。橙の瞳を剥いて、ピティアスはわざとらしく驚いて見せた。
俺の謎発言について真剣に考えているのが、シアストラ・ミリアム。純粋なエルフの血を引く彼女は、常人に比べてありえないくらい耳が良い。本人曰く、声音から相手の感情だって読み取れるのだとか。天然の嘘発見器である。
防衛部隊の候補生になるシアストラは、まだ真新しい装備に身を包み、どこか初々しさを感じる雰囲気を放っていた。
そんで口が悪いほうが、ピティアス・フリークス。通称ピティ。職場で俺が担当してる二つ下の後輩だ。
かなり小柄な彼女は、ハーフエルフとハーフドワーフの両親を持つ、世界でも珍しいクォーターだ。エルフ特有の容姿の良さとドワーフ特有の低身長を引き継ぐ彼女は、実年齢よりもずっと幼く見られがちなのが生来の悩みなんだとか。
「そんなことよりリアド。女の子の声が聞こえた気がしたんだけど、こんな路地裏でなにやってたの?」
「女の声だぁ? いや、俺はずっとひとりだったぞ」
「言い逃れはできないよ? 私の耳は誤魔化せないんだからっ」
「でもでもシア先輩。このヘタレ芋野郎のリアド先輩ですよ? こんな朝っぱらから、幼気な女性を連れ込む甲斐性がありますかねぇ?」
「すっげぇな。もうどこからキレれば良いのか分かんねぇよ俺」
「そうだよピティ! 路地裏に女の子を連れ込むような外道でも、一応人権はあるんだからねっ!」
ちょっと泣きそうになってきた。
だが堪えろ、我慢だ俺。返答は慎重に行わなければ。
「まあまあ落ち着けよお前ら。さっきまで、ウルと電話してたから、その声を聞いたんじゃないか?」
「う~ん、なんだか嘘っぽい声音だなぁ……。やっぱり、何か隠し事してない?」
「な、なにを根拠にそんなことを……っ!」
「動揺しすぎでしょ先輩。さっきからそこを動こうとしないですし、隠してるとしたらその物陰とかですかねぇ?」
こんな僅かな言動からそこまで推理するとは。コイツ実は頭良いな!?
ああくそっ、この位置からじゃシェディムがどうなってるか全然見えない。
やっぱりエルフの耳を誤魔化すのは不可能だったようだ。
「お、おお俺はべべべべつになにも隠してないぞ」
「そうですか? じゃあ、その裏を見に行っても問題ないですよね」
「それについては諸説あるかもしれんですぞ!」
「口調とっちらかりすぎでしょう。どんだけ嘘つくの下手くそなんですか」
こちらの弁解も聞かずにピティは進撃を開始した。
ダメだもう誤魔化せねぇ。20秒はギリ稼げた。信じるぞ、シェディム……ッ!
身を固くする俺の脇をすり抜け、ピティが物陰の裏へ首を伸ばす。
「こ、これは……っ!」
ピティによって掲げられたそれを見て、俺は自分の浅はかさを呪った。
突然だけど、ラバーストラップと言うものをご存知だろうか。
アニメのキャラとか、観光名所とか、そういうのをデフォルメにあしらったゴム製のキーホルダーのことだ。
使い方としてはシンプルで、主に普段遣いする物に付けられることが多い。いつも持ち歩いてる物に付けることで、ちょっと気分が上がったりするんだとかしないんだとか。
付ける場所は人それぞれで、普段の通勤バッグとか、紛失防止で鍵に付けたりとか、それこそ、誰もが身に付けてるスマホとか。
「いっ、いやぁ驚きましたっ。まさか先輩にっ、あはっ、あんな趣味があっただなんてっ。ひっ、ひひひっ」
「ダメだよピティ? 趣味は人それぞれって言うし……。そんなに笑ったらリアドが可哀想じゃん」
「やめろシアストラ。その優しさは逆に効く……」
羞恥が顔を紅くしてるのが分かる。自分で頼んでおいてこう言うのが勝手なのは重々承知しているが、流石にこれはキツイ。
「いやっ、無茶言わないでくださいよぅ! 黒い剣のキーホルダーだなんて、今どき学生だって付けませんって! しかもラバストってのがもうっ! ホントは金属のイカツイ奴にしたかったけど、この年になってそんなギラついたの買うのもなぁ……じゃあ、ラバストくらいで抑えておくかっ! ってな具合で妥協した姿が目に浮かびますよぅ」
「もう勝手にしてくれ……」
身を縮めてケタケタと笑う後輩を全力で視界から外す。
きっと形状を真似るのに手一杯でデザインが追いつかなかったのだろう。独特なゴムの質感は大変上手なのだが、肝心の飾りがあの剣の形そのままだ。
一言で言えば拗らせ系。
ドラゴンじゃないだけまだマシって感じだ。
「で、本当にどうしたの? 君って私と一緒で、付けない派の人間じゃなかったっけ?」
「ありがとうシアストラ。こんな俺を人間扱いしてくれて……」
言いたい放題の後輩と瀕死の同期に挟まれて、シアストラはやり辛そうに目を細めた。この場で唯一の味方の機嫌を損ねるワケにもいかず、俺は普段の調子で言葉を続ける。
「コイツはその、報酬だよ。母さんから貰ったんだ」
一応間違ったことは言っていない。あれから色々考えてみたけど、やっぱりシェディムの存在はひとまず隠しておいた方が良さそうだと判断した。
側に置いておいて俺に得なんか欠片もないのだが、だからってコイツがむざむざ捕まるのを眺めるってのも寝覚めが悪くなりそうだったから。
母さんはやることなすこと全部ぶっ飛んでるけど、正規のルートをわざわざ回避するような手間はかけない。つまり、剣の形で通過儀礼を無視して送ってきたことには意味があると俺は睨んでいた。その意味が分かるまでは、しばらく様子を見ようと思い直したのだ。
「親からのプレゼントを報酬って……倫理的にどうなの?」
「実際そうなんだから仕方ないだろ? 今朝特クンのレベル10倒してさ、そしたらコイツが送られてきたんだよ」
「へぇ~。それはまた意外性のある贈り物で……待ってくださいなにを倒したって?」
「いやだから特クン――訓練用の自動人形だよ」
「倒したレベルは?」
「エルフの耳もけっこう適当なんだな」
「10だよね聞こえてるし理解できなかっただけだから飛ばすよ!?」
「めちゃくちゃ怒るじゃんごめんって」
鼻息を荒くするシアストラをどうどうと宥める。やっぱり種族的なあれこれは色々とセンシティブだもんなぁ。気を付けよう。
「優しさとデリカシーの無さって両立するんだね」
「正直で裏表がないのがわたくしの長所ですから」
「うっさい。それはそれとして、リアド――」
「ん?」
トッと小走りで俺の前に回り、シアストラはスッと姿勢を正す。
「人間卒業、おめでとうございます」
そのままなぜか深々とお辞儀をした。
ついにシアストラまで様子がおかしくなってしまったぞう。
「やめてくれ。なんか普通に気持ち悪い」
「当たり前のように暴言吐かないでくれる?」
「正直で裏表がないのがわたしの」
「ウケてもないネタを擦るの、普通に寒いかも」
「えっ、いやその……ごめん」
なんと手厳しいお言葉だろうか。しかもさっきまで俺の肩を持ってくれてたシアストラに。うん、結構その、つらいな……。
いつもならここにもうひとり、俺の親友が加わる形なのだけれど、今日アイツは早番で既に現場入りしてる。
きっと一緒に居たらこの心の痛みも分散できていたのだろう。
まさかこんなところでアイツのありがたさを痛感するとは思わなかった。
「さて。そんなしょんぼり気味の先輩に朗報があります」
「誰のせいでしょんぼり気味なのか、良く考えてみてくれよなっ」
「それは先輩の自滅なので。責任転嫁しないでくださーい」
「ぐぬぬ……」
全くよく回る口だこと。
いつの間にか笑いの悪魔の呪縛から解き放たれていたピティは、意気揚々とスマホを取り出す。ぶら下がってるラバストがぶらぶらと揺れる。
それは茅色の髪を持つ、とある防衛隊員のグッズだった。
「今日のホッチャー、なんと大見出しは先輩特集なんです!」
「え、俺の?」
そういえば道中でも、俺を見かけた誰かがホットチャートが云々言ってたような気がする。あれは気のせいじゃなかったのか。
「また記事になったの? やっぱりリアドって凄いのねぇ」
「先輩のお陰で、わたし達の部隊も大躍進中ですからねぇ。ほら、見てくださいよこのキャッチコピー!」
「……どれどれ」
差し出された記事を覗き込むと、『ロストを喰らう者!? 魔王リアド・ティーラ本日も大手柄!!』というふざけた見出しが飛び込んできた。
しかしホッチャーに載ること自体は大変嬉しい。これで俺の目的にも少しは――。
「って、オカルト特集じゃねーかッッ!!」
「わあこわい」
浮かび上がるホログラムを叩き落さんと平手を振り抜くが、これは魔力由来のホログラムなのでスッと手はすり抜けてしまう。魔力許すまじ。
こんな言われようそりゃ怖くもなるだろう。誰がオカルトだぶっ飛ばすぞこん畜生。
「おっと。そろそろ着きますね」
「本当だ! じゃあ、私はこっちだから。またね、ふたりともっ!」
ブンブンと手を振ってシアストラが駆けていく。
背中に担がれた、まだ位置の定まっていない刀がバシバシと彼女のふくらはぎを叩いていた。そんなの気にせぬ素振りで、シアストラは人混みの向こうへと消えていった。
「それじゃあ先輩、正門まで競争ですっ!」
「えっ、普通にヤだけど――ってもう居ねぇ」
さっさと先を行ってしまうピティをやれやれと追いかける。
初めの頃はそれなりに可愛げもあったというのに、今じゃすっかり舐められたモンだ。
「のうリアド」
「おまっ、その姿でも喋れたのか」
「なぜ喋れないと思うのだ。形が変わっただけだぞ?」
「そういうのは先に言え。ビックリするだろ」
「態度に似合わず小心者だのう。してリアドよ、あのバカでかい建物が目的の場所か?」
「ああ、そうだよ」
「くくっ、ようやく辿り着いたか! 吾輩も高まってきたぞ……っ!」
「……期待するようなモンがあればいいんだけどな」
メインストリートの続く先。都市の中心部に設立された巨大な円形の防壁の更に向こう。
【聖剣】を背後に構える純白のビルを、ため息交じりに見上げた。
アンダーテイカー作戦本部。通称アンカーと呼ばれる、ロストと対峙する者達が活動する、この国にとっての最終防衛拠点だ。
その建物に窓は無く、見ようによっては要塞のようにも見える。白一色の外壁には巨大なモニターが取り付けられていて、ロストの侵攻状況やダンジョン警報、そしてロストと対峙するアンカー防衛部隊の戦闘風景が放映されている。
ほら、今だって。
「なんじゃあれは。あんかー、びるぼーど?」
「シェディムお前、字が読めたのか」
「読めんかったぞ? だが街を眺めて覚えてやったわっ! わっはっはっはっ!」
「意外とハイスペックなんだな……」
広告やらニュース記事やら、確かに街中は文字で溢れていたけどこりゃ凄い。
シェディムにつられて掲示される文字列に目を走らせてみる。
チャート上位者はプロフィールごと、スライド形式でセンターのメインモニターに放映される。改めてみると昔学校で見たような顔もちらほらとあるな。なんつーか、みんなしっかり頑張ってるんだなぁ。
「リアドは? リアドは何位くらいに載っとるんじゃ?」
「俺が載るわけないだろ。アイツらと俺とじゃ所属する部隊が違うんだ」
「つまらんのう。む? あやつの顔、どこかで……」
「知ってる奴が居たのか?」
「うむ! ほら、あやつだっ!」
「んん……? ああ、アイツのことね」
――エルフィア・リオライト。
タイミング良くモニターに掲示された茅色の髪の少女。彼女のことはよく知っている。
シェディムが知っているのも、きっと街のどこかで彼女の広告かなにかを見たのだろう。
防衛部隊の試験を首席で卒業し、本配属後もその活躍は止まることを知らない。
掲載されてるランキングも、デビュー早々にベスト10入りを果たしている。
昔は家が近いこともあってよく遊んでいた。その折に、小っ恥ずかしい約束なんかも交わしたっけ。当時は互いに競い合っていた仲だけど、いまじゃもう雲泥の差が付いてしまっている。
特クンを倒せばまた肩を並べられると思っていたけど、このざまじゃあ難しいだろうな。
「せんぱぁい! ぼうっとしてて良いんですか~! 負けた方が昼食奢りって分かってますぅ~っ!?」
「はぁ!? テメェ聞いてねぇぞ!」
「いま言ったから聞いてなくて当然ですよぅ。それじゃ、お先に失礼しますねぇ~!」
「このっ、クソピティッ!!」
酷いたるみ具合だ。こりゃあ久しぶりの『指導』をしなきゃだなぁ。
なにせ本部のゲートを超えた先で待っているのは、この世界で最も死に近い『戦場』なのだから。
それはそれとして――。
「昼飯奢りは、絶対に回避しないと――ッ!!」
まだ追いつける差だと、俺は全力で足を回した。
第二章『聖剣都市のアンダーテイカー』
シェディムは、眼前の『死闘』に瞠目した。
辺りには男共の怒号が飛び交っている。立ち込める熱気、切迫感。そこはさながら『戦場』の最前線だった。
吐き出された炎を辛くも防ぎ切る。身を覆い隠せるほどの大盾を掲げる巨漢たちが見据えるのは、漆黒に塗り潰された、楕円形の巨大な『石』。それが周囲を手当たり次第に炎の海に変えている。
『四班、シールドの耐久値は!?』
『半分は残ってる! まだ持ちこたえられるが……」
『舐めたこと言ってんじゃねぇ! ヤバくなる前にとっとと退けッ!』
『りょうか――うお!?』
『戦場』を映し出すタブレットをシェディムは黙り込んで見守る。リアドが『自分専用だ』と自負したこの広い部屋は、言葉の通り全くの人気がない。
タブレットはリアドが設置したカメラと繋がっている。人型へと戻ったシェディムは、戦場の熱に当てられ、タブレットを握る手には自然と力が籠もった。
「ぐぬぬ……良く見えないぞ! リアドはいったい何処へ行ったのだっ!」
現場を映す定点カメラでは、当然ひとりひとりの顔を伺うことは出来ない。
ぐおおおっと、唸りながらタブレットに額を押し付けながら睨み付けるも無意味。
痺れを切らしたシェディムは、振りかざした右手をタブレットへたたきつけた。
『エラー。操作権限が確認できません』
リアドの言ったとおり、都市の機能は登録のある精霊でなければ行使できない。デバイスに宿る小精霊の拒絶の言葉に、シェディムの苛立ちはピークに達した。
「自我も無い低級の分際でやかましいわっ! ぐおおおおおおおっ!」
シェディムの手から黒い魔力が靄のように発現し、タブレットを包み込んでいく。
『エラー。エ――エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエラララエラ――――』
パンッと何かが弾けた音が響く。
試しにもう一度右手で触れてみると、指先は僅かな抵抗もなくタブレットへ吸い込まれた。
「……ぐふふっ」
怪しげな笑みを浮かべ、シェディムは飛び込みの選手よろしく権限が解除されたタブレットに飛び込んだ。
都市のデバイスは精霊のネットワークで共有されている。
その類に漏れない解体員たちの【ライン】を伝って、シェディムは解体現場へと侵入した。
(これは便利だのう)
作業員の肩口、発光する【ライン】から半身を乗り出して、シェディムは戦場を覗き込む。現場の温度すら感じるほど向上した臨場感に、シェディムは心臓が高鳴っていくのを感じた。好奇心のままに人から人へ飛び移りながら、黄金の瞳はより克明になった『戦場』を精査する。
魔石解体はロスト討伐の最終段階。魔力源となる核を守護する防衛形態の総称だ。
ロストは害敵(にんげん)を阻むべく、魔石は癇癪を上げる子供のように暴れ回る。
火球が間髪入れずに盾を焦がす。ついにしびれを切らしたように、巨漢のひとりが魔石の上を見上げ叫んだ。
「おい! 穴はまだ開けられないのか!?」
「もうあと少し――あっ、開きましたッ! 核露出ですッ!!」
上に登っていた別の作業員が、巨大な魔導鋸をブンブンと振っている。すると手が滑ったのか、鋸は勢いよく宙に射出され、反対の壁に深々と突き刺さった。
「また始末書が増えちまう……。おいリアド聞こえたかッ! モタモタしてると修復されるぞッ!!」
一同の視線が天井を仰ぐ。聞き慣れた名前を聞いて、シェディムも集団の視線を追った。
天井の骨部分、ステップのようになっている見張り台に彼は居た。
『――承認。【イグニス・ヴァンテージ】』
赤髪の青年が、全身を真っ白な外装で覆ったリアドに炎の加護を与える。触れた手のひらから炎の包帯が伸びていき、外装を幾重にも巻き付けていく。その高台は鎮座する『卵』の真上まで伸びており、灼熱の地獄が眼下で大口を開けている。
「これで炎対策はある程度できたと思う。けどこれはこの防護服に掛かっているモノであって、君自身の体は護ってはくれない。ねぇリアド、本当にこの方法で行くのかい?」
「今更取り消しなんか利かねぇよ。分かってんだろフロム、安全を考えるならこれが最善手なんだ」
魔石化したロストにはおよそ理性と呼ばれるモノが存在しない。それが反撃を繰り出すのは防衛本能に従った結果起きる条件反射に過ぎない。リアドたちが居るのは魔石の真上。あろうことか、空を制する竜の更に上空を取っていた。
だが今にも触れられそうなほどの距離にあっても、彼らに炎の影響が及ぶことはない。
(竜は空の王とも呼ばれる個体。『空』は条件に含まれないということか)
事実として炎は周囲にばかり振り撒かれ、その上で殻を取り除いている隊員らには一切の抵抗を示していなかった。
「その安全って、君自身は勘定に入ってないだろ。やっぱり辞めにしよう、いまからでも作戦は――」
待ったをかけるフロムをリアドの手のひらが制した。
「なに言ってんだよ親友。そこはお前が護ってくれるんだろ?」
フルフェイスの向こうでリアドはニッと笑う。
これはもう止めても無駄だと、フロムは額に手を当てて溜息をつく。
口ぶりからしてこの作戦はリアドの立案した物なのだろうが……。
(上を取って、それからどうするつもりなのだ?)
シェディムは眼下の状況を確かめてみる。
卵の殻は見事に円形にくり抜かれていて、その中の様子までくっきりと見て取れる。
殻の中で満ちる粘度のある液体は、暴れ回る炎でグツグツと煮え滾っている。灼熱で熱されたあの液体の温度は、溶岩ですらぬるま湯と一笑できるまでに昇る。
その液体の奥に、漆黒に塗り潰された結晶が沈んでいた。
あの結晶こそがロストの心臓――核である。
「そろそろ行かねぇとな。ポーション、ダースで準備しといてくれ」
「リアド、それ冗談じゃ済まないから」
「わりぃわりぃ。んじゃ、パパッとキメてくるよっ」
「くれぐれも、気を付けて」
コツンと互いの拳をぶつけ合う。
リアドはもう一度笑って、一気に後方へと走り出した。
卵の直上まで伸びる『飛び込み台』を一気に走り抜け、跳躍する。
(冗談だろう!?)
驚愕するシェディムを置き去って、空中に身を投げたリアドは摂理に従って落下を開始した。シェディムも着いていこうとフロムの【ライン】から飛び移ろうとして――。
(――なっ!?)
まるで透明な壁でもあるかのように弾き飛ばされ、仕方なくフロムの肩にしがみつきながら、遠ざかっていくリアドの背中を見つめる。
魔石との距離は見る間に縮み、リアドの表情が戦士のものへと切り替わった。
その瞳が睨みつけるのは、先程上から照準したロストの核だ。
右腕をまっすぐに伸ばすと、手の甲あたりから強靭なワイヤーロープが射出される。卵の底へ鏃が食い込み、数度引っ張ってそれが固定されたことを確認する。
身を翻し、ロープをたどりながら、リアドは卵白を模した魔石の内側をかき分けるようにして潜航していく。
(――そういうことだったのか)
死ばかりが満ちる魔石の内で、しかしリアドは健在だった。
侵入者を察知し、粘液の奥で揺らぐ核から無数に伸びる漆黒の触手が迫る。
この黒い魔力こそ、全てのロストに共通する厄介なある特性――人体の汚染だ。
ロストは『魔王の残滓』とも呼ばれている、実体のない魔力の塊だ。その漆黒の魔力は人々に宿る精霊の魔力を食い千切り、魔力回路を通じて宿主たる人間を浸蝕する。
その汚染濃度が一定値を越すと、その人間は魔王の怨念に支配され『ロスト堕ち』となる。そうなればたちまち理性は蝕まれ、暴力を撒き散らす人形へと成り果てる。
多少の汚染ならばまだしも、回路を完全に浸蝕され、『ロスト堕ち』になった人間を救う術はない。
よってそれがどれほどの権力者でも、ロスト墜ちになれば即座に殺処分が下される。
魔石の魔力とはそれほどに危険な代物だ。
だが、それはあくまでも回路があればの話だった。
――『単純な話だ。俺には、その回路が――』
先刻リアドが口にした言葉の続きを、シェディムは遅まきながらに理解した。
リアドに入り込んだロストの魔力が、行き場を失って霧散している。
当然だ。
彼の体には、入り口となる魔力回路が存在していないのだから。
灼熱に全身を焼かれ、触手を引き千切りながら、リアドは口元を吊り上げて核を睨む。
懐に忍ばせていた杭を取り出し、核に向かって全力で振り下ろす。
切っ先が結晶の外郭を打ち砕き、漆黒の魔力は器を失って統率が乱れていく。
用済みの杭を投げ捨て、道具袋から大振りの瓶を取り出して差し口へ押しつける。
まるで吸い出されるように魔力は瓶の中へ収束し、形成を維持できなくなった魔石は粒子となって霧散する。
支えを失ったリアドの五体は、解体場の床へと墜落した。
「「「――うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」」」
歓声が巻き起こる。
文字通り人知を超えた偉業を成したリアドへ、惜しみない賞賛が送られる。
リアドは返す言葉を迷うように逡巡し、やがて諦めたようにはにかむ。
シェディムの思考はひとつの疑問に支配されていた。
リアドの体には人間にとって必須である魔力回路が無かった。
そのたったひとつでこれまで浮かんだ幾つもの疑問が解決する。
シェディムが精霊と判明した瞬間興味を失ったことも、リアドが実力者であることをひたすらに否定したことも、そしてリアドが他の人間をどこか羨むような視線で見ていたことも。
だからこそ気になってしまう。
リアドは何故、その境遇を背負って尚戦いに焦がれるのだろうか。
歓声に揉まれるリアドの笑顔は酷くぎこちない。
『――それでは、本日の功労者をお呼びしましょうッ!』
そこへ、歓声を貫いて快活な音声が飛び込んできた。
解体場の壁面にある巨大なサイネージが、めまぐるしく騒ぎ立てる。
「おおっ、見ろよエルフィアちゃんだぜ!」
「仕事間に合ってよかったわぁ。ほらほら場所開けて、よく見えないじゃない!」
「アカデミーを出て速攻二つ名持ちかぁ。いやはや、最近の若いのには恐れ入るぜっ!」
「明日からは『遠征組』に加わるんでしょう? 破竹の勢いとはこのことね!」
喧騒が去ったのと入れ替わるように、工場内に熱のこもった声が飛び込んでくる。すかさず工場の面々もざわつき出して、視線は吸い寄せられるように一点に集中する。
『あまねく大敵を根こそぎ捻じ伏せ、今期ビルボードでは新人部門で圧倒的の1位、そして総合部門でもベスト10にランクインした超新星――《ラビナス》のご登場ですッ!!』
登場した茅色の髪の少女は、精霊でも目を見張るほど美しかった。
腰まで伸びる茅色の髪は絹のようにしなやかで、歩く動作ひとつで視線を攫っていく。濃紺のドレスを纏った肢体はただ白く、新雪のような細やかさだ。とても戦いに身を置いているとは思えない。細長い四肢はモニター越しに見てもよく鍛えられていて、一切の無駄がない。ドレスに包まれた胸は衣装越しでも分かる確かな膨らみを持っていて、それらを閉じ込めるように乳白色の艶やかなストールを羽織っていた。
丸い快活な印象を与える翡翠の瞳が、流し見るようにカメラを一瞥する。解体場からは感嘆の声が静かに上がった。
(あれが、エルフィア・リオライトか)
シェディムが特に注目したのは、ドレスの刺繍を彩る青白く輝く【ライン】だ。
サイネージ越しでもひしひしと伝わる、尋常ならざる気配。
その気配から察するに、彼女が契約しているのは大精霊の類いだとシェディムは断定する。更に少女の情報を得ようとして、シェディムははたと気付く。周囲を見回すと、その姿は容易に見つかった。
サイネージを中心に集まる人だかりとは離れた場所。他の誰も居ない広場の隅で、リアドは何かを噛み殺すように俯いていた。
項垂れた深紅の瞳が小さく揺れる。
行く宛てのないその強烈な輝きから、シェディムは視線を外すことが出来なかった。
「――いってぇ! お、おいフロム、もう少し優しくぅううう…………ッッ!」
真っ赤に腫れ上がった右腕に消毒やら抗生剤やらがドバドバと塗りたくられる。炎症でヒリつく肌を包帯で締め上げられ、リアドは声にならない悲鳴を上げた。
「無茶ばっかりするからだよ。全く、こんなことしてたらいつか死んじゃうよ?」
「こんなことするの大物が出たときくらいだし、たまの一回くらい見逃してくれって」
「たまの一回? 昨日大蛇の体内に乗り込んでいったのは誰だっけ?」
「ああ、ありゃ最悪だったな。くせぇし服は溶けるしあっちぃし……いや、熱さなら今日がピカイチか」
場所は解体場内に設けられた治療室。
普段あまり使用されないこの場所は常駐の隊員がおらず、必然として怪我を負った客員が各々器具を使うフリースペースとなっていた。
「悪びれもせずに良くもまあ。そうやって笑って誤魔化すの、良くないと思うなぁ」
「誤魔化してねぇよ。皆の命が懸かってんだ。多少の無茶くらいは許してくれよ」
リアドの参入があって以降、大物解体時の死亡事故数はパッタリと止まった。
本来ロストと戦わない者たちが、よりにもよって最も侵食の危険性がある『魔石』と対峙するのだ。対策されているとはいえ、解体部隊の死亡事故率は防衛部隊のそれすら上回る。
それは正しく、偉業と呼ぶに相応しい功績だ。
その反面、リアドに掛かる負担も際限がない。
火傷に切り傷はまだ可愛い方で、酷いときは骨や内臓までダメージを負って、そのまま病院へ直行することだって、フロムにとっては最早見慣れた日常だった。
擦り傷、切り傷、打撲、火傷。
鍛え上げられたボロボロの背中にため息で抗議しながら、フロムは巻き終えた包帯の結び目をポンと叩いた。
「ほら、処置は済んだよ。動かしてみて」
言われたとおり軽く手を振ってみる。ガッチリと固定されてはいるが特に動作に支障は無い。指先も問題なく動くのを確かめて、リアドは満足そうに頷いた。
「相変わらず良い手際ですこと」
「誰のせいだよ全く。君は回復魔法がほとんど効かないんだから、もう少し自重して欲しいね」
呆れた様子を隠そうともせずに呟いて、フロムは広げていた治療器具たちを片付けていく。燃えるような赤髪と燃えるような炎の瞳が特徴的な青年――フロム・グロールとリアドは、この加工場で唯一の同期だ。
飄々としていておおらかな性格、しかしその内には滾る炎のような信念を持っている人物であり、防衛部隊への編入を見据える同志でもある。
「まあ俺のことはいいじゃんか。それよりフロム、今日の夜空いてるか? 新作の補助装置が出来てるから、お前にも試して欲しいんだけど……」
「いや、今日は遠慮しておくよ。ほら、明日も早番だしさ」
「それは分かってるけど、お前最近全然俺の部屋に来ないじゃんか。実証したいのが山積みで、そろそろ次に進めたいんだよ」
「…………」
リアドの予想に反して、フロムは思い悩むように押し黙っていた。
彼らはいわば、共通の課題を抱えている。
それは仮に防衛隊員になったとして、敵を倒しうる『火力』を有していないことだ。
フロムの魔法――【イグニス・ヴァンテージ】は、手のひらで触れた対象に炎の包帯を巻き付け、敵の攻撃やロストの侵食から効果時間中耐性を得る、というモノ。
だがそのように有用な魔法も、近代では誰も欲しがらない。
誰もが身に付けている【ライン】の最も重要な機能は、体外に魔力回路を有することで、ロストの侵食が体内に及ばないようにするための防御機構だろう。
侵食を受けた【ライン】をパージすれば、装備者は侵食の影響を受けずに避難することができるため、技術の拡充以降ロスト堕ちの発生頻度は激減している。
侵食緩和という絶大な効力を持ちながら、この時代に於いては無用の長物という他ない能力になっていたのだ。
「おい、どうしたんだよフロム。黙ってちゃ分かんねぇって」
リアドとフロムは、互いの利害の一致から、リアドの装備開発を共同で行っていた。
リアドは0を1にするために、フロムは1を10にするために。
リアドが作った装備を定期的に試操し、フロムが所感を伝えて改善を図る。
その協力関係はアカデミーに属していた頃から、ずっと継続してきた繋がりだった。
「……なあ、リアド」
「な、なんだよ」
「もう、やめにしようよ。こういうの」
「……は?」
閉ざされた口から放たれたのは、リアドの予想もしていなかった言葉だった。
「やめるって……あ、ああ。この無茶な解体のことか? そ、そうだよな。こうしてお前に残業させてるわけだし、負担だって――」
「違うよリアド。僕は、もう防衛部隊を目指すのをやめたいって、そう言ってるだ」
「冗談、だよな……?」
真意を探るようにフロムを見つめる。
だが、フロムはその視線から逃れるように目を伏せるだけだった。
「なんでだよフロム! だって俺達、ずっとそこを目指してたじゃねぇかッ!」
「そうだねリアド。でも、君だって分かってるんじゃないか? だって、もう5年も立つんだよ? それなのに僕らは、まだこの場所を抜け出せずにいる。どころか、僕らがもつ強みは、この場所にこそ価値がある。そうだろう?」
「……ッ!」
それは理想に向かって奔走するリアドにとって、最も理解したくなかった現実だった。
解体効率の超向上と、事故率の大幅な低下。
彼らが持つ能力は、この場所でこそ真価を発揮するのだと。
「だとしても、俺は理想を追ってここまで来たんだッ! それに、進歩はしてる! 今朝だって、お前に協力して貰って調整したスーツで、やっとあの人形に勝ったんだぜ?」
「……なん、だって?」
フロムの声音が変わった。
まだ引き止められると大きく息を吸い、リアドは捲し立てるように続ける。
「だから何にもなかったってことはないんだ! 着実に成果は出てる。俺達は、きっと防衛隊員にだってなれる! 俺みたいな無能にだって使えたんだ。才能のあるお前なら、俺よりずっと――」
「――うるさいんだよッ!!」
「ッ!?」
初めて目の当たりにするフロムの激情に、リアドは気圧された。
怒りに任せて、フロムは淡々と言葉を続ける。
「成果成果って、それは君にとっての成果だろ? 魔法は使えても、僕は君のような身のこなしはできない。理想は同じでも、僕と君は違うんだ。回路も持たないクセに、人助けはしたいと豪語する。なあリアド。君はそもそも――」
怒りに燃える炎の瞳が鋭くリアドを貫いた。
「――本当に君は、防衛部隊に――英雄になりたいのかい?」
「な……ッ!?」
全てを見透かすような瞳がリアドの核心を突く。
心臓が張り裂けそうな程の動悸を抑えながら、リアドは思考に捕らわれた。
その先には『英雄』しかしらない、リアドの中核が眠っている。
断崖に追い詰められた罪人のような切迫感がリアドを襲っていた。
葛藤が施行を鈍らせる。その先を『英雄』以外の前で口にすることを、リアドは未だ良しとしていなかった。
それは怯えや後ろめたさから来るモノではない。
晒す相手を一度でも間違えれば頓挫する、秘める野望の危うさ故の葛藤だった。
「ほら、言えないじゃないか。ならもう、僕から話すことはなにもない」
何も言い返せないリアドを見て、フロムは諦めたように治療室を出る。乾いた靴音が消えるまで、リアドは一言も発せないまま立ち尽くしていた。
「あっ、いたいた。リアド先輩、先輩の荷物持ってきましたよぅ」
「……ああ、ありがとうピティ」
「げっ、なんですかしおらしくて気持ち悪い。さっきグロールさんと擦れ違いましたけど、喧嘩でもしましたか?」
入れ替わるように治療室へ入ってきたピティアス。
興味深そうに、伏せるリアドの表情を覗き込んで、何故か満足そうに鼻を鳴らした。
「なるほど。これが青春、ってやつなんですかねぇ」
「んな大層なもんじゃねぇよ」
「わあ、いつにも増してキレがないですねぇ」
これは重症だと呟きながら、ピティアスはせっせとリアドの荷物を陳列していく。
「それじゃ、わたしは現場に戻るのでこれで。傷大した事ないなら、はやめに復活して戻ってきてくださいねぇ」
あんまり遅いと、サボってたってチクっちゃいますからぁ! と言い残し、ピティアスは小走りで解体場へ向かって行った。
「やっちまったかなぁ……」
「そうだのぅ。まあ、吾輩には何がなんだかさっぱりだったのだが」
「おい勝手に出て来るなビビるだろうがよ」
気付けばなって隣に座っていた精霊を半眼で睨む。
幸い周囲に人の気配はない。それでもあんだけ脅したのによく出て来る気になったな、とリアドは苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
「そんなことよりリアドよ、お主吾輩に嘘をついたな!」
「嘘って、なんのことだよ」
「とぼけおって! 人が来ないからと言うから安心しておったのに、危うく正体がバレかけたではないかっ!」
「……ああ~」
リアドがシェディムの隠し場所に選んだのは、この施設に備え付けられた更衣室だった。
アンダーテイカーの隊員は、それぞれの部隊に【リレイズ】という制服が贈られる。
その部隊章を装備者の【ライン】と繋げることで、魔力による補助機能を行使することができるのだ。制服に【ライン】を登録すれば起動する術式なため、彼らには着替えという概念がそもそも備わっていない。よって更衣室は実質リアド専用の大部屋となっていたのだが、今回はそれが仇となってしまったようだ。
「悪かったよシェディム。お詫びになんかしてやるから機嫌直してくれって」
「相変わらず適当な奴だのう。まあいいわい。丁度お主に聞きたいことがあったのだ」
「おっ、なんだ言ってみな」
「お主は何故、回路のない身体で戦いに身を置こうとするのだ?」
「なんて早い再放送なんだ」
予想外のド直球な問いかけにたまらず顔を覆ってしまう。
しかしリアドの表情は先の追い詰められたモノとは違い晴れやかだった。
「良く聞けシェディム。偉い人曰く、回路がないって欠陥は手足がないとかそんなレベルじゃないらしい。人としての前提が丸ごとないんだからな。小さい頃なんかめちゃくちゃ苦労したんだぜ?」
「ほう、苦労とな?」
「周りの人は声を掛けるのも躊躇うし、目を合わせると怯えて逃げる」
「な、なぜ逃げる必要があるのだっ」
「ほら俺って、黒髪と紅い目してるだろ? これがロストっぽいとかで避けに避けられてさ」
「い、いじめられたのか?」
「いいや? 触ったら侵食されるとか、適当なこと言って誰も寄ってこなかった」
「それを世間一般では、いじめと――リ、リアド?」
「たまにお人好しが寄ってきてたから、奇跡的にぼっちじゃなかったけどな。ああでも、学校の旅行行事の名簿から俺だけ外されてたこともあったっけ」
「それをいじめられてると言うのでは!? っておい目、目! お主目から光が……ッ!」
「そういえば診断してくれた医者に『是非私の研究室にッ!!』って懇願されたこともあったたなぁ。あんときゃ母さんが居なきゃ危なかった」
「な、なんと暗い目なのだ……! おい帰って来るのだっ、闇に飲まれてはならぬッ!!」
「着いてってたら、俺どうなってたんだろう。きっと体バラバラにされたり変な薬飲まされたり脳みそいじくられた――」
「――すとぉおおおおおおおっぷ!」
「あいてっ」
小さな手にポカンと頭を叩かれて我を取り戻す。
危うく戻ってこれなくなるところだった。
「まあ総括すると、こうやって人並みになるまで色々あったってことだ」
「笑顔が一周回ってめちゃこわなのだがっ!?」
「失礼なヤツだな。お前が訊いてきたんだろ?」
「吾輩はそこまで訊いておらんわっ!」
むう、そう言われてみれば確かにそうだ。昔の話はやっぱりするもんじゃないなぁ。
ぷんすか怒りをあらわにするシェディムに、俺は少しだけ安堵する。
俺の体質の話をすると大抵のヤツは気を遣って距離を取る。それをされると昔のトラウマが蘇って、こっちとしても接しづらくなっちまう。
どうやら、シェディムに至っては完全に杞憂だったようだ。
「安心しろ。こうなった以上、お前には話すつもりだったさ。世界を壊すだなんて言われたら、こっちだって伝えないわけにはいかないしな」
「? どういうことだ」
「俺も同じってことだよ」
純粋な問いかけに、リアドは誤魔化すように頬を掻いた。
リアドの深紅の瞳が、シェディムが見たあの『輝き』を放つ。その光は夢を語る子どものモノとは違う。現実を知り、その選択肢が無謀であると知りながらも尚、その輝きを追うことを諦めない。
「……俺さ、『魔王』になりたいんだよ」
そんな執着を色濃く宿しながら、リアドは重い口を開いた。
――最初の記憶は、辺り一帯を染め上げる【漆黒】だった。
灼熱を纏う炎が肌を焦がす。
呼吸一つする度に肺が熱を吸い上げ、燃え上がるように痛んだ。
地表を、建造物を、人を、あらゆるモノを【漆黒】が塗り潰している。
痛みに喘ぐ声。
愛する者を呼ぶ声。
轟々と怒りを叫ぶ声。
その最後の声すらも、『化物』の咆哮が消し去っていく。
いまから10年前に起こった大災害、旧都陥落。
少年は、その真っ只中に居た。
徹頭徹尾の地獄絵図。
少年はただひとり、取り残された迷い子のように座り込んでいた。
酩酊のようなぐらつく視界のまま、視線を上げた。
そしてすぐに、その視線はとあるモノに釘付けになる。
ただひとつ。
【漆黒】とは対極に位置する【白銀】があったからだ。
『……どうやら、間に合ったようだな』
鈴の音のような軽やかな声と共に、その女性は安堵のため息を吐く。
細身の身体を包むのは【白銀】を帯びる軽装。そこから伸びるしなやかな四肢。細腕から視線を這わすと、右手には血に濡れた一振りの細剣が握られていた。腰まで伸びるしなやかな銀髪は、きっと絹糸ですら褪せて見えるだろう。
華奢な身体から視線を上げる。現れたその女性は、誰もがよく知る人間種(ヒューマン)だ。しかしあまりに精緻に象られたそのパーツは、精霊ですら劣るほどの美貌だった。
全身が白銀で統一された女性。その中で唯一異彩を放つ紫紺の瞳が、少年を見る。
『あなたは……』」
辛うじて、少年は言葉を吐き出した。
唐突で要領を得ない言葉だったが、女性はすべてを理解したように静かに微笑む。
返答をしないまま振り返り、細い剣を構える。
辺りを埋め尽くす【黒】と対峙するように、その女性はたったひとりで立っていた。
『私は、人々に『英雄』と呼ばれている者だ』
『英雄……?』
『ああそうだ。そして――』
『……ッ!?』
突如視界は、激しく輝く【白銀】で上書きされた。
失明したと錯覚するほどの極光。
そして、轟音。
ややあって、手を払って見れば。
『――えっ?』
辺りは、白銀の更地へと変貌していた。
地獄を作り上げていた悉くが、放たれた【白銀】の一撃によって漂白されたのだ。
剣を振り払った姿勢で硬直する『英雄』。
数秒経って理解する。
この人物は、たった剣の一薙ぎだけで、景観を上書きしてしまったのだと。
『…………』
心臓が高速で脈打つ。
脳は爆ぜんばかりに熱を持ち、せっかく明瞭になった視界がグラグラと揺れる。
最早、黙りこくることしか出来なかった。
この世界を組み上げる、『最悪』を目の当たりにして。
その感情を言い表せるような便利な単語を、少年は持ち合わせていなかったのだ。
ゆったりとした動作で剣を下げ、女性がこちらを振り向く。
唖然とする少年の表情を見て、再びその人は笑った。
『そして、いつかお前と対峙する、『大敵』となる者さ』
まるで朝の挨拶のような軽やかさで、その言葉は放たれた。
忘れたくても忘れられない、鼓膜と網膜に叩き付けられた果たし状。
少年がその言葉に答えを出せたのは、そのしばらく後になってからだった。
厄災の後、少年はその『英雄』に拾われる形でその後の人生を送る。
だからこんな思想が芽生えてしまったのは、その境遇が原因だったのかもしれない。
それは、街中を衒うサイネージの点灯を観ているとき。
それは、画面一つ隔てた向こうで戦う母親を『英雄』と認知したとき。
それは、海原のように広がる【黒】の大群の所以を知ったとき。
それは、それらが繰り広げる激闘を、拳を振り上げて見守る、あの少女のようには観られなくなったとき。華やかに見えた世界が全て『ハリボテ』だと気がついたとき、少年は違和感の確信を得た。
仕組みはただ単純だった。
この世界には人間を喰らう化物が居て、喰われた人間が更に人間を喰らい、そしてその人間だった物を人間が殺す。
その事実に打ちのめされないよう、悲劇を喜劇と報じ、『英雄』を祭り上げる。
目の前に広がるその光景が『当たり前』だと気付いたその瞬間から、少年の内心には得も言えぬ違和感ばかりが埋め尽くしていた。
それは焦燥のようで、恐怖のようで、憤怒のような違和感だった。
拙い思考を巡らした末に。観念した少年は違和感の正体を求めて、あるがままを伝えたのだ。
この世界の最前線に立ち、世界に『救えない』と吐き捨てられた人間と相対し、結果世界から『英雄』と担ぎ上げられたその人物に。
――ロストに食べられた人を助けるには、どうしたら良いの?
久方ぶりの朝食を共にする日常の片隅で、少年は唐突に爆弾を投げ付けた。
少年は少女と、『全部を助ける』と約束をした。
ならば初めに着手すべきは、いま助けられない人たちについて考えるのが順当だ。
思考は至って単純明快。だからこそ難解だった。
対面する『母親(えいゆう)』は、呆気にとられるように硬直する。
その童心には確かに英雄への憧憬があった。
だからこそその言葉に心から驚愕し、同時に納得したのだ。
この少年は――リアド・ティーラは『英雄』の器ではないのだと。
『英雄とは民草から求められる物だ。だがリアド、お前のそれは違う』
救えないと断定された者を救うのだ。
その所業は正しく救済であり、偉業と呼ぶに相応しい行為だろう。
だがその感情は、民草からは求められていない。求められていれば、民草から処刑人が『英雄』等と呼ばれる道理はない。
『ロストが発生した最初期は違った。死にたい人間など存在しないからな。だが、浸蝕の克服は叶わなかった。肝心の精霊がロストへの耐性を持たないからだ』
ロストへの策を講じれば講じるほど、そのどうしようもなさが発覚するだけだった。
ロスト墜ちを救うことは出来ない。
何故ならば、浄化する手段が【聖剣の魔力】のみと限られていたからだ。
単純な火力で打倒することはできても、浄化するには至らない。
だから魔石化したロストは各地からフィローヴに集められ、解体部隊が【聖剣の魔力】を用いた浄化装置で根絶する。
しかしこの【聖剣】は『英雄』しか触れることを許さない。
人間も、精霊も、ロストも、認めた者以外が触れればたちまち『浄化』されてしまう。
これこそが、『英雄』を『英雄』たらしめる要因だった。
どうしようもないという事実ばかりが露呈し、結果として、対ロスト堕ちへの対策は逃避の一途を辿っていった。
その最たるものが『ラストオーダー』。
人が人であるうちに終わりを与えるという極論だった。
終わりを――救いを与えるのは感染者が指名した防衛部隊員。モニター越しに思いを馳せた、憧憬のその人だ。
例え終わる命だとしても、その事実は死にゆく者に希望を与える。
世界から救済が求められていないのは、救済に希望を抱けないからだ。
仮に誰かひとりがロストから人を救うことが出来たとして、世界を覆す異能を手にしたとして、その行為に価値はない。
それを偉業とするには確実性が足りない、物量が足りない、継続性が足りない。
たったひとりがその偉業を成したとしよう。だがいったい、そのたった一人にどれだけの人間を救うことができるだろうか。いいや、ロストの被害を被った人類の一割だって救えない。
偉業を成したその先にあるのは、ただの破滅だ。
ひとりが成せば、民草はそれを多勢に求めるだろう。救いの一手があるのなら、人々はなりふり構わずそれに縋るだろう。
そうして献身を注いだその果てに、大偉業を成したその人物は、やがて民草を惑わす魔の者として吊し上げられるだろう。
英雄に憧れる少年に、『英雄』はただあるがままの現実を語る。
『それでもお前は、全てを救うと?』
『うん、ぼくは全部助けたい!』
『……これはまた、大きく出たな』
あまりに真っ直ぐな即答に『英雄』はたまらず苦笑する。
これまでの『英雄』の功績を真っ向から否定していることを、少年は恐らく考えてもいないだろう。それほどまでに純粋で、直向きな瞳だった。
これだけ語っても尚褪せぬその輝きに、『英雄』はどこか期待するように言葉を続ける。
『お前の望むそれは最早英雄の所業ではない。その焦りは、その畏れは、その怒りは、世界が『魔王』と呼ぶに相応しい渇望だ。そうなれば遠くない将来、この私と相反する事となる。お前にその覚悟があるのか?』
少年の深紅の瞳が驚愕に見開く。
しかし輝きは増す一方で、まるで天啓を得たとでも言うような晴れた瞳だった。
小さな拳を握りしめ、つま先で立って意気込みながら、少年はハッキリと口にする。
『任せてよ! だってぼくは、母さんだって助けたいんだからさっ!』
今度は『英雄』が驚く番だった。
同時に納得する。
殺される者も、殺す者も。この少年にとっては、ロストと対峙する全ての人間が庇護対象なのだと。この深紅の瞳には、世界の全てが被害者として映っているのだと。
まだ10あまりのこの少年は、文字通り『全部』を助け出すつもりなのだと。
『良いだろう。ならば私は、全面的にお前を支援する。だがタダではない』
『どうすればいいの?』
『自動人形の入隊基準を突破しろ。そうすれば、お前の望む力を与えてやる』
欠陥を抱えた少年が、生身でそれを打ち倒すのは不可能だ。
だがもし、それを突破する事が出来たのなら。
打ち倒すまで折れぬ心を持ち、思考することを諦めず、この『輝き』を抱き続けることができたなら。
その者はどのような大いなる力も正しく扱う、『正義』の化身となるだろう。
『ならばせいぜい励め。世界丸ごと壊して見せろ。そしてその先で――』
――私と対峙するその日を、楽しみにしているよ。
突如現れた『宿敵』の宣誓に、『英雄』はただ獰猛に笑うのだった。
「正直に言うと、呼び名なんてどうでもいいんだ。でも『魔王』なんて分かりやすい記号があるんなら、まずはそこからだと思ったんだよ。世界を壊すにゃ、丁度良い名前だしな」
全てを助けると決めたのだ。
その果てで『魔王』と畏れられる愚者に墜ちようとも、世界の間違いを認めるわけにはいかない。その熱は、世界から無能を突き付けられても尚健在だった。
「解体部隊でもそうなれると思ってた。俺がロストの侵蝕を受けず、生還する姿を見せつける。今は良くも悪くも情報が早いからな。ホットチャートに載りでもすれば、きっと誰かが、誰かひとりでも、助かるんだって気付いてくれる人が居るかもしれねぇって……」
「リアド……」
「悔しいよな。どんだけ体張っても、結局はオカルト止まりで、いつも『英雄』が掻っ攫っちまう」
シェディムは先の光景を思い出していた。
大衆の眼前で大偉業を成し遂げ、しかし『英雄』にはなれなかったリアドの姿を。
無論その表層には他者を救済しようという思いがあるのだろう。だがその根底にあるのは、『人殺しこそ英雄視』する、世界そのものに向けられた破壊衝動だった。
「このまま解体部隊に居続けても、ここじゃ世界を変えられない。『英雄』を引きずり下ろすには、否が応でも見せ付けなきゃダメなんだ。そのためにはどうしてもロストと直接戦う必要がある。だから、だからその……」
急に歯切れが悪くなったリアドにシェディムは小さく首を傾げる。
羞恥を隠すように人差し指で頬を掻き、そして意を決したように向き直る。
「だから、俺にお前の――」
「待てリアド!」
「力を……っておい、いま結構大事な――」
話の腰を折られたリアドが半眼で睨むが、一変したシェディムの様子を見てその表情は張り詰める。それほどの異常を、シェディムの表情は訴えていた。
「この気配、まさか奴らの……?」
「……シェディム?」
つぶらな瞳を堅くつむり、シェディムは周囲を探るように集中する。
状況に取り残されたリアドは黙るしかない。
一転して静寂が支配していく。
ややあって、シェディムは驚愕するように目を見開いた。
「危ないッ!!」
「な――っ!?」
身を投げだしたシェディムが立ち尽くすリアドを突き飛ばす。
咄嗟のことで受け身も取れず腰を殴打し、その痛みに悶絶する最中、リアドは耳を劈く轟音を聞いた。
「うそ、だろ……?」
先ほどまで立っていた地点は吹き飛んだ瓦礫が積載している。衝撃の元を辿れば、側の壁が丸ごと吹き飛んでいた。
明らかな異常事態だ。
想定外の衝撃にグラリと揺らぐ視界の中、次に起きた事象にリアドはたまらず目を剥いた。
『――グルルルルゥ』
立ち上る煙の中に『ソレ』は居た。
人の子など人のみに出来そうな、大ぶりな口からはダラダラと涎が滴っている。影すらも溶け込みそうな漆黒の毛並みは逆立っており、湧き上がる怒りを伴って揺れていた。
タイルを砕く勢いで突き立つ脚は、毛皮越しでもその発達した筋肉が浮き上がっている。項垂れるような前傾姿勢から伸びる両手は、ギラリと光る巨大な投擲斧を握っていた。
「…………………………マジ、かよ」
犬人型のロスト――『エルダー・コボルト』の双眼が、絶句するリアドを照準した。
第三章『初陣』
指定の席に着いたフロムは安堵のため息をついた。
異様に座り心地の良いシートに深く座り直すと、備え付けのホルダーへ菓子と飲み物をセットする。気を入れ直して前を見れば、見上げるほどの巨大スクリーンが聳えていた。
「お前らちゃんと席着いたか!? 解体場に出たとありゃ大損害確定。そんでもってつい先程、この施設は二週間封鎖する通達が上から来たッ! つまり、こっから暫く、お前らは早めの夏休みってわけだッ!!」
第三解体場の責任者、ロックス・ストゥーディは拳を振り上げて絶叫した。
小柄マッチョが種族的特徴であるはずのこのドワーフは、あらゆる定石を打ち破ってその体長は2メートルを優に超える。ただでさえデカマッチョのうえ、上質なドワーフマッスルをこれでもかと全身に纏っている。
奇跡的に知能を得た筋肉。ついに人の形を取って動き始めた筋肉。知能まで筋肉に染め上げられた筋肉等々。彼が誇る謂れは数えてもキリがない。
「だが、この場の責任者である俺は違うッ! 上からの監査対応、大量の報告書類、再開するまでの設備点検諸々、暫くはハイパー残業デーのオンパレードだッ! お互い最後の楽しみと思って、全力で観戦するぞぉおおおおッ!!」
「「「「うぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」」」」
連なる男共のむさ苦しい歓声が轟く。
もう何に対して拳を振り上げてるのかも分からない歓声を他人事のように聞きながら、フロムはドリンクを一口啜った。
「……お熱いねぇ」
男共の熱気に苦笑いを浮かべるフロムだが、その心は別の方向へ向けられていた。
どうしてあのような言い合いになってしまったのか。血の滲むような努力を重ね、ひとつ偉業をなした友人を、ただ称賛すればそれで良かった話だ。
いまのフロムにはそれが最も難しい。
モニターに映し出される『彼女』の活躍を見れば、その陰気も吹き飛ぶのだろうか。
「間に合った~~~~~っ!!!!」
ピティアスは豪快に扉を開け放ちながら、両手いっぱいに菓子だのジュースだのを抱えて飛び込んでくる。
キョロキョロと辺りをうかがって、呆れた様子のフロムと目が合った。駆け足気味で寄ってきて、ピティアスはふぃ~と一仕事終えた職人さながらに息をついた。
ここは都市内でロストが発生した際の避難先、『シアター・シェルター』だ。
ロストの魔力を検知すると【ライン】が起動し、スイッチひとつでこのシェルターへと転送される。モニターにはロストと防衛部隊との戦闘風景が中継され、被災者たちは特等席でその模様を観戦することができるのだ。
ロストの脅威をエンターテイメントへ。都市に【ライン】を登録した者は誰でも入ることができるこの場所は、都市に住む人々の恐怖を和らげる役割も担っていた。
戦闘はまだ始まっていない。スクリーンにはこれまでのハイライトと、中央には刻一刻と減り続ける数値があった。大凡『5分』を示すそれは、その背景に映る少女――エルフィアが登場するまでのカウントダウンだ。
「大変なことになったね。その、色々な意味でさ」
「ホントもう最高ですよっ! 遠征前に生《ラビナス》を拝めるなんて幸運すぎますっ!」
「遠征に行くと暫くは帰ってこられないもんね。でもまさか、この場所でロストが出るだなんて思わなかったよ」
「本当珍しいですよねぇ。ここは【聖剣】も近いし、結界の力も凄い筈なんですけど……」
「出るときは出る、それがロストだもんね」
その神出鬼没さには、フロムも現役時代随分と手を焼いたものだ。
酷いときには街のあちこちで同時多発的に発生したりすることもあった。基本的に人類は、ロスト相手に後手に回ることが多い。
ロストと言えど、基本的には同じ魔力が起源だ。魔力の乱れが相当の規模で起きない限り、小物を一々特定するのは困難を極める。
【聖剣】から遠い郊外は毎秒単位でロストが産まれ落ちている。
故に防衛部隊は基本的に都市の外へ出突っ張りだ。
そこから都市内に帰還するのだから、防衛部隊の負担は尋常ではない。
「こざかしいというかなんというか。つくづく嫌になりますよねぇ」
「仕方ないよ。そのどうしようもなさがロストなんだから」
「その適当な感じ、先輩の真似ですかぁ? それ、面白くないのでやめてください」
「君って本当リアドに厳しいよね」
「それはお互い様じゃないですか?」
「ノーコメントとさせてもらうよ。それで、そのリアドはどこに……?」
そう言えば先から姿が見当たらない。
周囲をグルリと見回してみるも、やはりあの個性的な黒髪は視界に映らなかった。
「トイレですかね」
「にしたって長すぎるよ」
「お腹壊しちゃったんじゃないですか?」
「笑顔で釜茹でになってた頓珍漢がかい?」
「………………考えられませんね」
スクリーンを見れば、カウントは残り4分まで進んでいる。得も言えぬ焦燥に駆られ、フロムは視線を後方の通用口へ向けた。
「……まさか、ね」
豪奢な扉は、ただ静かに鎮座していた。
『第三解体場にて魔力の異常値を検知しました。当該区域の隊員は速やかにシェルターへ避難してください。繰り返します。第三解体場にて――』
「遅すぎんだろクソ警報~~~~ッ!!」
ゼェゼェと無様に空気を求めて喘ぐ。
パニックで定まらない呼吸のまま全速力で足を回した弊害か、視界がチラチラとスパークしている。それでも足は止めず、ぼやける視界をどうにか気合で繋ぎ止めてひた走る。
「……ッ!?」
黒い影が掻き消えたのを目視して、俺は適当な方向へ身を投げる。直後漆黒の投擲斧が空を切り、すぐ隣にあった壁一帯が爆散した。分厚い壁をぶち抜いて、辺りには何由来かも分からない粉塵が舞っている。
「これがステージ1って、冗談だろ……」
知ってはいたけど、目の当たりにするとその力量が良く分かる。
「でもこれで二本避けた。逃げるだけならこっちにだって分が……」
後方に視線を戻せばなんてこった。コボルトが新たな斧を生成しているではないか。
そっかそう言えばそうだった。武器持ちのロストは自分の魔力で得物を作るんだった。
「オッケー分かった一回お互い落ち着こう! 殴り合うにもまず話し合いからだって――」
『グルゥアアアアアッ!!』
「――うおっ!?」
咄嗟に身を躱した直後、背後から爆音が轟いた。
振り返れば背後の壁に深々と斧が突き刺さり、周囲のタイルは衝撃で弾け飛んでいる。
「イヤぁあああああああああああああッッ!!」
攻撃続行の合図にたまらず悲鳴が上がる。我ながら生娘みたいな奇声だったが、そんなこと気にしている場合ではない。
走れ、走れ、どうにかして逃げ切らないとっ!
このままじゃ本当に死んじまう……ッ!
「やべぇよマジで見えねぇよどうすんだよこれッ!」
コボルト種はロストの位分けをする指標、【ヴィラス・ステージ】では最底辺に位置する敵だ。その中でも現れたロスト――【エルダー・コボルト】は、コボルト種の中でも注意にランク付けされる個体だってアカデミーで習った覚えがある。
最底辺でこの速度、この破壊力。相手が踏み込む度に放たれる一撃一撃が、レベル10の自動人形を軽く凌駕していた。
そりゃあのトンデモ人形が、防衛部隊の加入条件になるわけだぜっ。
「ちっくしょぉおおおおおおおおおおおおおッッ!」
脳裏にこびり付いていた抵抗できる可能性を全て投げ捨て、俺は翻って全力で足を回す。
ロストが出たということは、即ちここに居た人は皆噂の『シアター・シェルター』に転移しているはずだ。本来なら俺も防護服経由で転移して貰えるはずなんだけど……。
「たぶん、これが原因だよな……」
ポケットからはみ出て揺れる、黒いストラップを半眼で睨む。。
避難用の緊急転移は座標指定で起動する魔法だ。その有効範囲内に転送してはならないモノ、即ちロストが居る場合転移は行われない。
何をするか分からない危険物。
そういう意味では、登録のない精霊も同じということなんだろう。
「こんなのどうしろって言うんだよ……ッ!!」
状況は既にどうしようもない佳境へ来ていた。
生き残るには、担当に宛がわれた隊員が来るまで俺一人でどうにかするしかない。
だが現状、それがどれくらいの時間待てばいいのか。
更には隊員が素早くこの現場に駆け付けてくれるのかも分かんねぇんだ。
「おいシェディム! お前【魔王の精霊】なんだろ!? 魔王パワーでなんかこう、どうにかできないのか!?」
「適当なことを言うでないわっ! 吾輩とてどうにかしてやりたいが、それをしようにも魔力が足りぬっ!」
「そういや空っ穴ってウルが言ってた気がするッ!」
「応とも! 自慢じゃないが、今の吾輩は人間の少女と大差ないぞっ!」
「お前はホント、自慢じゃない自慢しかしないよなぁ!!」
競り上がってくる焦燥を抱えながら、細い通路を無作為に何度も折れ曲がってひた走る。自宅にある戦闘用スーツならもっと機動力は出ただろうが、いま纏ってるのは解体部隊に残された支給品だ。
戦闘の補助になる機能なんか何ひとつなく、ただ重いだけの足枷になっている。せめてこれだけでも脱ぎ去りたいのだけど、生憎その隙を待ってくれる相手じゃなかった。
コボルトの最も警戒するべきはあの超速度の投擲だ。ただ走るだけでも速いのに、力を溜めたその一撃は視界で追うことも叶わない。
いつか役に立つかもとロストについて調べまくってて本当に良かった。
この峡所では、エルダー種の巨体をある程度制限できるし、投擲も踏み込みのタイミングさえ気を付けていればその射線から逃れるのはさして難しくない。
問題は打開の策がひとつもないこと。こちらに有効な攻撃手段が存在しないことで……。
「っ! 待てよそれって、つまり魔力があればなんとか出来るってことか!?」
「無論だとも!」
「なんとかして魔力回復出来ないのか!?」
「吾輩が司る属性は【魔王】だ! 簡潔に言えば、ロストを喰えば魔力に変えられる!」
「ロストを喰う!? いや、そう言うことか……ッ!」
例えば火属性の精霊が【火】を操れるのは、【火】を司る魔素を操る能力を持っているからだ。シェディムの属性が【魔王】だと言うなら、行使するための原理は同じ筈……!
「オッケー了解じゃあ楽勝だよなッ! それじゃあパパっとアイツ喰ってくれッ!!」
「楽勝なわけあるかぁっ! 奴らは言わば統率を失った有象無象だ。吾輩が主であると示さねば、例え同じ属性であっても従えられんっ!」
「具体的かつ簡潔に頼む!」
「だから初めに伝えただろう! 従わせるには吾輩が核に触れる必要があるのだッ!」
「そうだった忘れてたよこん畜生ッ! 精霊ってのはどいつもこいつもめんどく――」
せぇのはさておきちょっと待て。
従えるって、どういう意味だ?
力でロストぶちのめす。それが従わせると言うことだろうか?
いいやそれだけじゃない。ロストにとっての屈服とは、自らを形作る魔王の魔力を奪われたときだ。
だとしたら……ッ!
「おいシェディム! ロストを従えれば、お前の魔力は 回復するんだよな!?」
「そう言っておるだろうっ!」
「それってお前以外が従えたら条件が変わるのか!? 例えば俺が倒したロストとかさ!」
「お主が……? 無論変わらない。契約者たるお主が倒したとしても、条件は同じだ。だがそんな都合の良い物がどこに……いや、そうか。そういうことかリアド……ッ!」
「伝わったようでなによりだよっ!」
シェディムの声音が一気に晴れた。どうやら俺と同じ思考に至ったらしい。そうと分かれば希望も見えてくるというもの。
「そうと決まれば話は早いなっ!」
「ああ。急いで迎えに行かなきゃな……!」
俺は闇雲に逃げていた進路を、とある場所に定める。
最後の人踏ん張りと、両の足をしゃかりきになって回した。
「アイツを倒すぞ。俺と、お前でッ!」
その獣は焦燥に駆られていた。
それの魔力は腹から笑いがこみ上げるほどに乏しく、決して大敵とは成り得ない『獲物』だった。その事実は今も揺るがない。自分は未だ、狩る側に立っている筈だ。
なのに離される。追いつけない。あれほど足の遅い生き物に、魔力も持たない欠陥品に、自分はまだ一撃たりとも見舞えていない。
まるでこちらの挙動が全て読まれているような違和感に、エルダー・コボルトは恐怖に似た感情に駆り立てられていた。
故に、コボルトは獰猛に微笑む。
追走劇の果てに辿り着いたのは、場所は不得手な閉所から得意とする開所。標的の人間は、その最奥で足を止めている。
万策尽きたのだろうか? ああそうだ、きっとそうに違いない。
『グルルルゥ……』
唸り声を上げ、勝利を確信した口元は歪に曲がる。
しかし、コボルトは知る由もない。
窓から差し込む月光に照らされる景観。
障害になる物もない、広々とした殺風景なこの場所の名は『解体場』。
そこは相対する人類――解体部隊がロストを狩るために用意した戦場だと言うことを。
『グルァアアアッッ!!』
コボルトは自身が誇る膂力を惜しげもなく解放した。
捕らえた、と跳躍の直後に確信する。
まるでこちらの動きを把握されているかのような『先読み』。踏み込みの直後にその射線から消失していた、自身の最速を躱す最大の異常事態(イレギュラー)が来ない。
瞬きより早く飛来する投擲斧は、寸分違わず青年の喉笛へ飛翔し。
『ッ――!?』
瞠目する。
必殺だったはずの一撃が、『何か』に弾かれた。
深紅の眼が新たな異常を半自動的に認める。
標的の急所を目前にして阻む、その漆黒の直剣を。
「よお、随分と軽いじゃねぇか」
『ッ!?』
気配が一変する。
コボルトは直ぐさま距離を取り態勢を立て直した。
立て直して、燃え上がっていた闘志はたったの一吹きで吹き消された。
眼前に立つその人間は、気配も、纏う魔力も、先とは全くの別物へと変貌している。
左手には黒剣を。
そして剣を持たない右手は、【何か】が入っていたであろう大瓶を握っていた。
「ビックリしただろ? 分かるぜ、俺だって同じだ。我ながら反則だとは思ってるんだぜ?」
青年の纏う衣服、そこに施された人工回路から。収まりきらないというように、黒い魔力が溢れだしている。空っぽだった動力炉が、魔力に満ちて黒く発光している。
それは人間が纏えるはずのない、自分たちと同質の『王』の魔力だ。いや問題はそれだけではない。同質だからこそ、コボルトはその魔力の所以を感じ取ってしまった。
あれは、あの魔力は、自分などひと噛みで蹂躙する、『竜』の魔力であると。
「まさか解体した魔石を喰えるなんて、何事もやってみるモンだよなぁ……ッ!」
魔力が膨れ上がる。まるで己こそが『王』であると誇示するように、青年の深紅の瞳が【黄金】色に上塗りされる。
剣を肩に担ぐように構え、青年が足を溜める。
コボルトは動かない。
獰猛だった瞳は垂れ下がり、憤怒の震えは恐怖で塗り潰されていく。
その黄金の瞳――『王』の証が「お前を殺す」と定めているのだ。
抗う戦意など、保てる筈がない。
「――――ッ!!」
青年の姿が掻き消えた。
自らの知覚を振り払うほどの急加速。
それを知覚した直後。
エルダー・コボルトは自身の敗北を理解する。
『グルゥ――ァ――――――』
五体から力が奪われていく。
すれ違いざまに放たれた一閃が、寸分の差異も無くコボルトの核を両断していた。
核を穿たれ原型を止められなくなったコボルトは、魔石化することも出来ず霧散する。
漂う黒い魔力は、青年が掲げる黒剣に吸い込まれるように収束していった。
ひとしきり食べ終えた黒剣は、青年の手からひとりでに離れ少女の形へと状態を戻す。
同時に変色していたリアドの瞳も、もとの真紅へと戻った。
満足したというように腹を一つ撫でて、シェディムはそのまま腹を抱えて笑った。
「うわっはっはっはッ! 見事、見事であったっ! お主の機転、判断力、吾輩は脱帽したぞっ! やはり吾輩の見立ては間違っておらんかったっ!」
愉快そうに笑うシェディムに反して、リアドは言葉を失ったように無言だ。
シェディムが不思議そうにその顔を覗き込む。視界に映る黄金の瞳に、リアドはうわごとのように呟いた。
「なあ、シェディム。俺を一発ぶん殴ってくれ」
「何故じゃ!?」
「いやだって、おかしいだろッ!? 回路がないんだぞ? これまでだって、ずっと、魔力のまの字とも縁がなかったんだぞ? こんなの、夢だって言われた方が、現実的だ」
深紅に戻った瞳が混乱を映して揺れる。緊張の糸が解け、その両手は僅かに痙攣していた。その手のひらを、シェディムの小さな手のひらが慈母のように柔らかく握る。
「落ち着けリアド。これは現実だ。どうだ曲者。精霊も、存外捨てた物ではないだろう?」
勝ち誇ったように微笑むシェディムに、リアドは掛ける言葉を見つけられなかった。
静寂がゆっくりと過ぎていく。それは状況を理解し、精査するには十分な時間だった。
「約束、本当だったんだな……」
目頭が熱くなるのをどうにか堪える。グッと奥歯を噛み締め、強ばった表情はスッと和らいだ。
「ありがとな、シェディム。お前のおかげで、俺は……、やっ、と――――」
「お、おいリアド!?」
言い終えるより先に、リアドの意識が途切れた。
重力に従って倒れる身体を、シェディムは小さい体をいっぱいに使って抱き止める。
どうにか負傷を避けることができ、恐る恐るといった様相でシェディムはゆっくりとリアドをそこに寝かした。
「考えればお主は大敵との連戦だったな。今は休め。お主の話は、また後にでも聞いてやろう。だが……」
状況に反して、シェディムの表情は強張った。
システムに侵入した際に得た情報によれば、シアターシェルターは隔離していたロストが倒された時点で、そこに居た人々を逆転送する仕様だったはずだ。
倒れ伏すリアドと、討伐されたロスト。
これを見られでもしたら、シェディムの存在が世間に晒されるのも時間の問題だった。
「今のうちに少しでも遠くへリアドを運ぶか? いや、吾輩のぷりちぃアームでは、此奴を担ぐなど出来るはずも――」
「なーにひとりでぶつぶつ言ってるのかしら?」
「――ッ!?」
ロストと相対した時以上の緊張がシェディムの背筋を貫いた。
声を頼りに振り返れば、白い制服を纏った少女がひとり立っている。
茅色の髪を靡かせ、宝石のような濃紺の瞳を持つ人物。
右肩に担いでいるのは、その等身よりも巨大な超質量の大剣。
覚えたばかりの記憶をたどり、シェディムは彼女の名前を引き当てた。
「エルフィア・リオライト……?」
「あら光栄。精霊様にも、あたしの名前を知って貰えてただなんて」
「な……!?」
人目でシェディムの正体を言い当てた異質さに、シェディムは言葉を失う。
眼前の少女こそが、相棒、リアドの目標であり競い合う好敵手。
それは即ち、シェディムも挑むべき相手と相違ない。
魔力を取り戻し、対面して、放たれる異常なほどの魔力を受けて、痛感する。
今の自分たちでは、彼女の足元にすら及ばないと。
しかし戦慄するシェディムを他所に、エルフィアは飄々とした口調で言葉を続けた。
「貴方が、リアの相棒ってことかしら?」
「あ、ああそうだ。吾輩は、此奴の精霊だ!」
「そう。それじゃ、リアが起きたら伝えてくれないかしら」
「?」
どうやら殺処分される訳ではなさそうだと直感し、緊張しきっていたシェディムの身体から力が抜けていく。
その様子に微笑みながら、エルフィアはシェディムの耳元に口元を近づけ。
「――――――――――」
「ッ!?」
囁かれた言葉に、シェディムはつい両目を丸くする。
満足そうに姿勢を直すエルフィアを見て、シェディムはつい口を開いた。
「ま、待つのだ! そういうことは、お主から直接言ってやれば良いだろう!」
「いいえ。これで良いのよ。だって――」
「おー居たぞこっちだッ! お前らも早く来いッ!!」
剣を掲げたまま、顔だけで声の方へ振り向く。
そこには巨大なドワーフの男と、その部下と思しき数十人の解体部隊員だった。
「ほら、皆が来てしまうわ。貴方、変身できるんでしょ? 見つかる前に隠れてしまったほうがいいわ」
「なっ、何故お主がそれを――むぐっ」
すっと伸びた人差し指がシェディムの口を塞いだ。
不服そうなシェディムにウィンクで返し、エルフィアは振り返って衆目へ視線をやった。
「おーい《ラビナス》! 幾ら何でも速過ぎるぜ。予告が終わったと思ったら、もう全部終わっちまってるじゃねぇかっ!」
「凄いですよ生《ラビナス》です! 生で戦闘が見られなかったのは惜しいですけど、ああもうっ、本当に強すぎですよぅ!」
「いやぁすみません。遠征前で気合が入っちゃって、つい力んじゃいました」
照れ笑いを浮かべながら、エルフィアは群衆の中へ溶けていく。
リアドの傍らでストラップへ変身したシェディムは、ただ黙って、これから挑むべき好敵手の背中を見つめていた。
「……報告を受けてきてみれば、中々面白いことをしてるじゃないか」
歓喜に揺れる解体場の片隅で、その男は静かに周囲を観察していた。
丈長のコートと、目深に被ったフードに隠され、その姿は影に隠れている。
焼け切れたようにしゃがれた声で、男は呟く。
「【魔王の精霊】ねぇ。思ってたより有能、だが万能じゃない。まあ、及第点は超えてくれた、ってところか」
歓声とは真逆の、冷え切った声音だった。
解体場に倒れ伏すリアドから視線を切り、男は大衆へと視線を向ける。
「だが、《ラビナス》が目をかけてるのは予想外だった。持って帰るには大チャンスなんだけどな……。まっ、いっか。思わぬ収穫もあったしな」
そう言って見つめる男の手のひらには、異質な魔石があった。それは通常の黒ではなく、赤熱するような紅い色をしている。
男は満足そうにポケットへそれを押し込み、身を翻して影ばかりの通路を行く。
極端に曲がった猫背。唯一露出している両手は、肉など詰まってないというような細さで、伸びっぱなしの黒ずんだ爪が不気味さを加速させる。
「また会おう。期待してるぜ、我らが魔王様」
僅かな気色をはらんだ声を残して、男の姿は通路を染める影の中へと消えていった。
『──エラー。パスを検出できません。再認証をお願いします』
無機質な音声が、極めて機械的に告げた事実。
この都市に住む人間が通る通過儀礼。
10歳の誕生日を迎えた年に精霊より恩恵を授かる、降霊の儀。
その儀式場へ続く門の前で、俺は動けずに居た。
曰く、俺の身体には恩恵を受け入れるための回路が無いのだという。
周りの人々が期待に声音を高くして先を行く。
約束を交わした彼女も、門の向こうへと行ってしまった。
俺はただ、それを眺め、立ち尽くすことしか出来なかった。
俺の憧れは、その一歩目から瓦解した。
生活をするのも。
都市の施設を利用するのも。
化物と戦うのも。
何をするにも精霊の恩恵は必需だ。その前提を元に、この世界は作られている。
なのにあろうことか、俺にはこの世界でやっていくための大前提が備わっていなかった。
童心のままに夢見た将来なんか、もう目指すとかそういう次元じゃない。
世界が言うのだ。
お前は、人間ですらないのだと――。
『リアド・ティーラ――――ッ!!』
ドンッ、と。
爆発めいた音を辿って伏せていた目線を上げる。
そこには、あの少女が立っていた。
閉ざされたはずの門を、その細い足で蹴破った姿勢で。
『あたし、待ってるから! この先なにがアンタの行く道を塞いでも、どんな悪意がアンタに害を成してもっ! アンタは――リア絶対に、あたしに追い付くんだって……ッ!!』
突然大声を張り上げるエルフィアに周囲がざわつく。
騒ぎを収拾しようと、大人たちが暴れる彼女を門の向こうへ連れていく。
濃紺の瞳に涙をいっぱいに浮かべながら。
諦めることを絶対に許さない言うような、強い輝き。
彼女が門の向こうへ姿を消す。
儀式場の門が、無機質な音を立てて閉ざされていく。
『エルフィア・リオライト――ッ!!』
気付けば全力で叫んでいた。
悔しい。
それ以外の言葉なんか思いつかないくらい、悔しかった。
回路を持たずに生まれたことにじゃない。
たったそれだけのことで諦めかけてしまった、自分の浅はかさが、許せなかった。
『追いつくだと!? 舐めてんじゃねぇぞッ! いいかッ!? 俺は俺の道で、絶対にッ、お前を――エルを追い抜くんだ……ッ!!』
同時に、門は完全に閉ざされた。
それが俺とエルフィアの最後の会話だった。
あの言葉がアイツに届いていたかは分からない。
けれど、俺は――――――。
「――ここ、は……?」
微睡みをかき分け、ゆっくりと身体を起こす。
気がつけば見知らぬ天井だった――ということはなく、見慣れすぎた自室の天井だった。俺って解体場に居なかったっけ? なんだって俺の部屋に……。
「まさか、全部夢だった……とか? っ、そうだ!」
定位置に置いてあるリュックを弄り、目当てのものを取り出す。
二世代前の中古で買った、ありふれた黒いスマホ。
そこには……。
「まじ、か……」
あのクソダサなストラップは着いていなかった。あまりに見慣れた、見慣れすぎた俺のスマホだった。
「マジで、全部夢だったのか?」
「そんなわけないでしょう。問題児はひとり居れば充分です」
「ウル――うわっ」
深い、深い溜め息を吐くウル。
そのあまりに酷い状態を見て、思わず同情せざるを得ない。
「ぃよがっだッ、目が覚めたのだな、リアドおおおぉぉ……」
薄水色のワンピースに、涙と鼻水でベチャベチャなシェディムがへばりついていた。
心底疲れたような表情のウル。
流石に助けなきゃと思い、ちょいちょいっとシェディムに手招きをする。
勢いよく走り出したシェディムは、汚い汁を振りまきながら俺の胸へ飛び込んできた。
きっとこれもウルが洗ってくれるんだろうなぁと、我が家の世話焼き精霊の苦労を想像して少し泣いた。
「一応負傷は治癒しておきましたので。では、ワタシは少し休みます」
トボトボと部屋を去っていくウル。
あんなぼろぼろなウルは見たことがなかった。
「……ちゃんとご馳走、作ってやらないとな」
すっかりタイミングを逃してしまった約束を思い出し、このお礼は絶対にしなければと固く心に誓った。
そして、さてと気持ちを切り替える。
「ほら、もう泣くなって。よっと」
虫みたいにへばりつくシェディムを引き剥がし、隣へ座らせる。
「ううっ、もう動いて良いのか?」
「ああ。ウルが全部治してくれたからな」
完治をアピールするように右腕をぐるぐると回してみる。
多少痛んでも我慢しようとの行為だったけど、あれだけの火傷を負っていた腕も本当に治っていた。やはり精霊というのは凄まじい。
「なあシェディム。あの後、いったいどうなったんだ?」
「あ、ああ。お主が気を失った後、吾輩の前にあの娘が現れた。我らが好敵手、エルフィアがな」
「なっ、アイツが……!?」
状況から察するに、恐らくあのダンジョンにエルが指名されていたんだろう。しかし、直接会ったとなると……。
「もしかして、見られたのか?」
「さてな。どこまで知っておるのか見当も付かん。だが、我らの道を阻むつもりはないようだった。解体場の連中が戻ると、エルフィアはあのロストを自分が倒したと流布し、我らへの注目を攫っていった。恐らく、庇ってくれたのだろうな」
「そっか。まあ、アイツはそういう奴だったよ」
昔から破天荒が服を着て歩いてるような奴だった。それに加えて実力を兼ね備えた今、アイツに怖いものなんてないんだろうな。
「そして、去り際にお主に伝えろと、こう言った」
「アイツが、俺に?」
「……そうだ」
ごくりと生唾を飲み込む。
直接ではないとはいえ、久しぶりにアイツからの言葉を聞くんだ。
良くも悪くも、様々な懸念が脳裏をよぎっていく。
だが。
「『そんなペースじゃ、まだまだ追い付かせてあげられないわ』と、そう言っておった」
「……アイツ……ッ」
不意に目頭が熱くなって、たまらず眉間を摘んで強引に堪える。
届いてたんだ。
信じてくれていたんだ。
何の確実性もない、ただ見栄と悔しさから放ったあんなデタラメを。
「ったく、敵わないな……」
子供の頃に、ただ約束を交わしただけ。
俺達の関係はそれ以上でも以下でもない。
こんな無能の亀みたいな歩みなんか、気に掛ける道理がない。
それでも、アイツは――。
「なあ、シェディム。あらためて聞いてくれ」
「……ああ」
どこか期待するような眼差しを、俺は照れ臭くて直視できなかった。
今更言うのは虫が良すぎる。
そんなことは重々承知していた。
それでもこればっかりは、言葉にしなくては始まらない。
「俺に力を貸してくれ。例え世界を壊すことになっても、俺は全部を助けたいんだ。俺とお前の『壊す』は、違うモノかもしれないけど……」
「かかっ! 案ずるな、吾輩は世界の壊し方など知らんのだからなっ!」
「……お前は、本当になんにも知らないんだな」
「応ともっ! だがなリアド。壊し方は、お主に教えて貰ったのだ」
「っ!」
シェディムがはつらつと笑う。
まだどこか不安そうな俺を突き動かすように、シェディムは――【魔王の精霊】は声高に叫ぶ。
「魔王とは、『世界に挑む者』の名だ! 秩序を乱し、混沌を伝播させ、己の好みに世界を歪める『暴君』の名だっ!」
小さな手が差し出される。
黄金の瞳が勝ち気に揺れた。
「【魔王の精霊】が保証する。その大願は、正しく『魔王』と呼ぶに相応しいと」
「…………ッ!!」
全身の肌が粟立つのを感じた。
助けるために壊すという矛盾を、その根源から肯定されたのだ。
迷う余地など、どこにあるというのか。
「やってやろうぜ、相棒っ!」
「応ともっ! 目に物見せてやろうぞ、我が主よっ!」
固く握手を交わす。
今度はお互いがお互いを、心底から求めての契約だ。
だからといって身体に変化が起きたわけではないが、気分は随分と違った。
「してリアドよ。これからお主はどうするのだ? まさか解体員に甘んじる気はあるまい。なにか策はあるのか?」
「ああ、あるぜ。それも目ん玉の飛び出るようなとっておきがな。着いてこい」
「お、おおおっ!」
満月みたいに目を輝かせるシェディム。
俺は立ち上がって自室を出た。
そのまま玄関を出て、俺は出会の地、道場へと向かう。
虫の声が微かに反響する夜の道場は静謐で、どこか神聖さを漂わせる空気を纏っていた。俺はまっすぐにその一角へ向かい、豪奢な剣の飾りの前で立ち止まった。
「それは、街に刺さってるあの剣と似てるな」
「ああ、これは母さんの武器。【デュランダル】を模した模型だ。そんでもって――」
模造刀の柄を掴み、鞘から一息で引き抜く。
次いで轟音。
地震さながらに、道場全体が揺れ始める。
やがて正面の壁に隙間が生まれ、開いていく。
「俺の秘密基地の鍵にもなってる、ってわけだ」
「ほ、ほほぉおおお……」
壁の裏側から出てきた隠されたドアを見て、シェディムは興奮気味に足踏みする。
その無邪気さにたまらず笑って、俺はドアを開け放つ。
解放されると同時にシェディムが室内へ飛び込んだ。
「な、なんだこれは……ッ!?」
中に広がっていたのは、これまで俺が作り続けてきた発明品(ガラクタ)の山だった。
散乱する物々を掻き分け、シェディムは奥へ奥へと進んでいく。
そして、あるモノを目視して、動きを止めた。
「お、おいリアド。これは一体、なんなんだ……?」
それはまだ塗装もしていない、新しいスーツの完成版だった。
特クンの時に着用していたのとは違う、本番用のスーツである。
これまで作ってきたスーツや武装は、基本的に外観に凝った仕様ではなかった。どうせ壊れるし、壊れた後造るのは全く別の形になるだろうから。
だが、それは俺が無能力前提での話。
「【アポクリファ・システム】。俺はそう呼んでいる」
スーツだけではなく、傍には剣やナイフなど、様々な武装が陳列されている。それらは【ライン】を有しており、いうなれば俺専用の、自作の【リレイズ】だった。
「こんなモノを創るなど、並の技術ではない。な、なあリアドよ。お主はいったい何者なのだ?」
「まあ、そう来るよな」
別に隠すつもりはなかった。
だってこれは、声を上げてまで自慢するようなモノでもなんでもない。
ただ俺が夢を諦められなくて、あがいて、あがいて、あがいた末に行き着いた、執念の帰結というだけなのだから。
「魔力回路が無いと知った俺は、まずその体でどうやってロストと戦うかを考えた」
「あ、ああ知っておる。だからお主はあの人形と――」
「違うな。それは母さんから与えられた試練ってだけで、俺が選んだモノじゃない」
シェディムの隣へ歩み寄り、仰々しい外骨格に触れる。
「これがその成果だ。回路が無いのなら、外付けで回路を創ってしまえばいい。あの時門をくぐれなかった俺は、そう考えたのさ」
「話の流れがサッパリだ。だってそれは既に、世の中でも使われて……」
何かに気付いたようにシェディムが目を見開く。
当たりだと言うように微笑んで、俺は決定的な真実を告げた。
「ああそうだ。【ライン】ってのは、このスーツを原型にして作られている。いわばコイツの量産型だ」
制作当時、外付けの回路なんてのは世の中に存在していなかった。
そりゃ当然だ。
身体の中にあるモノを、わざわざ別で創ろうって考えるわけがない。
そんなことを考えるのは、それを持たない人間くらいのものだろう。
「ヒルデ博士が開発した【ライン】。その原型を創ったのは、俺だ」
「なん、と……ッ!!」
当然、その事実は世の中では知られていない。
言わないでくれと俺があの人に頼んだから。
だって、それで俺が注目なんてされてみろ。研究室に放り込まれて、こうやって自由に物を作れる環境と速攻おさらばする未来しか見えない。
「す、凄いではないかっ! お主、既に世界を一度壊しているというのか!?」
「俺が創ったのはあくまで原型だけだよ。それを量産段階まで持っていく技術なんか俺にはなかった。世の中で出回ってる【ライン】は、全部ヒルデ博士の功績だよ」
「何故変なところで謙虚なのだ、お主は……」
謙虚とは少し違う。
考えたのと、それを普及させるのとでは、使う頭が全く別物だからな。
「それじゃ、前座はこれくらいで。そろそろ本題に入るぞ、シェディム」
「そ、そうか! そういえば『とっておき』については、まだ話していなかったなっ!」
どこか緊張しているシェディムに苦笑する。
だが、これでようやく本題に入れる。
俺は緊張するシェディムの両肩に手を置いた。
何を言われるのかと身構える小さな体が、どんどん強張っていくのを感じる。
だが目だけはまっすぐに、こちらを正面から見つめ返していた。
「お前の能力。魔王の権能は、物質を模倣し具現化させる力――これで間違いないな?」
「あ、ああ。ロストがモンスターの形を取るのも、魔王の記憶から産まれた造物であるからな。その構造を理解すれば、吾輩は何だって……。お、おい。まさかお主……っ!」
「ああ、その通りだ」
察しのいい相棒に即答で答える。
瞬間、シェディムの顔面は一息で真っ青になった。
ガタガタと震えるシェディムを逃がすまいと、いっそう肩を力強く掴んで、俺はついに『とっておき』を口にする。
「じゃあこれ、全部覚えてくれ」
プロローグ2『黒が照らす光』
口から漏れる息は浅く、速い。
特段疲労しているわけでもないのに両の足は重く鉛のようで、いまやまともに歩くことすらままならなかった。
何故こんなことになったのだろうと、少女は涙で滲む視界で自問する。
ここに来るまで、昨日までと変わらぬ日常がそこにはあった。
朝起きて朝食をたしなみ、身支度を調えて職場へと赴く。いまは年度の変わり目だ。午前中は後から後から舞い込む事務作業に忙殺され、倒れ込むようにして昼休みの食堂へ。この日は運がよかった。なんと普段は間に合わない限定ランチに有り付けたのだ。
小さな幸せを噛み締めながら運ばれてくる食事を啄むと、ふとした視界の端に鬼気迫るあの人の横顔が映る。不意の出来事にひとつ心臓が高く鳴って、つい食事を運ぶ手が止まった。
昼食の時間に目当ての隊員を観れるなんて、そうそうあることではない。
ああ、そうだ。どちらかと言えば、今日はいつもよりも多くの幸運が散らばっていたはずだった。不運があったとすれば、たった一度転んでしまったことくらいで。
『ギギッ……ギギギッ……!』
躙り寄るのは漆黒を纏う小さな人影。
爛々と怪しく輝く深紅の瞳は、そのさまを面白がるようにぐにゃりと歪む。
【ヴィラスステージ1】、個体名称『ゴブリン』。
ロストは自然発生する害敵だ。地中から染み出すように現れたそれは、不運にも少女の足下から現れた。不意の異常事態と競り上がる恐怖に足を取られたのだ。
『警告。当該座標は転移可能な位置にありません。阻害対象から距離を置き、再度申請をお願いします』
震える耳朶に、無機質なシステム音声が届いた。
転移魔法は座標指定で起動する。同座標にロストが居ては転移が阻害され、取り残されてしまうのも道理である。
たった一度の不注意で、この街の日常は死へと直結する。
獲物が動かないのを確認して、ゴブリンが鋭い爪を振りかざす。
『ギギッ……!?』
しかしその爪は少女の柔肌を裂く手前で弾かれた。少女の纏う【橙のライン】が、高まる魔力に呼応して激しく明滅する。
対ロスト機能のひとつであるリアクターが、宿主の肉体を護ったのだ。
思わぬ反撃に狼狽するゴブリンだが、その仕組みを理解し、再び表情を歪ませる。
リアクターの防御力は契約した精霊の強度で決まる。少女の強度指標――【リンク・ステージ】はゴブリンと同等の1。少女の恩恵では、攻撃を耐え続けるにも限度があった。
『ィイイイヒヒヒヒッッ!』
「いやぁあああああああああっ!!」
リアクターを削りきるべく無作為な暴力が少女を襲う。
痛みはほとんどない。しかし最後が素直に訪れない事実が、痛み以上に精神を削った。
両腕で頭を抱えて蹲る。顔を覆った両手の隙間から、防衛部隊が現れるまでのカウントダウンが無慈悲に映った。
近場の隊員が現れるまで、残り1分。
この恐怖をあと1分も耐えねばならないということだ。
自分の中から魔力が失われていくのが分かる。これが尽きたとき、あの爪は自分の肌を裂くだろう。回路に侵入を許せば自分は人ではない何かに変質するだろう。
その1分は、あまりにも長すぎる。
「……ひっッ!」
ゴブリンの放った大ぶりの一撃が、少女の体を弾き飛ばす。
リアクターの出力は見る間に弱っていて、今度は確かな痛みが少女の頬を叩いた。
痛む頬に触れると、指先がしっとりと濡れた。
月光が照らすそれは赤い。
「……あっ、ぁあああ…………ッ!!」
自らが流した鮮血を認めた瞬間、少女の恐怖は一気に沸点を超えた。
助けはまだ来ない。【鎧】はもうすぐ剥がれ落ちるだろう。
だというのに、自分には、この化物を倒す術がない。
少女の両手が力なく項垂れる。
自分の死を決定付けるその『現実』に、少女の心はついに折れた。
自分はいったい何人の表情を恐怖で歪めるのか、殺すのだろうか、それとも、駆けつけた憧憬のその人に、化物と罵られながら死ぬのだろうか。
「……いやっ、そんなの、いや……ッ!!」
倒れ伏す少女の指が虚空を撫でる。
すると眼前に白く発光する光源が発生した。
光源に触れるとホログラムがゆらりと展開し、一枚の【契約書類(ギアスロール)】が出現する。
瞳が認めるのはその右下にある光点。
そこに触れれば、『ラストオーダー』は発令される。
「……は、……ははっ……」
無気力な笑声が零れた。
恐怖を忘れて、この痛みを受け入れてしまって。
まだ自分が人であるうちに、夢に見たあの人に最期を看取って貰えたら。
きっとその最期は、この絶望よりもずっと希望に満ちている。
『ギャ――――――――――ッ』
「…………えっ?」
明滅するリアクターが弾け飛ぶその寸前。
肉薄するゴブリンは真っ二つに分断され、核を失った矮躯は魔力へ還って霧散する。
開かれた景観を覆うのは、ロストと同じ漆黒の人影だった。
「……………………」
刀身まで黒く染まる剣を払い、人影が少女を睥睨する。
月光を背にしたその人物は、この街では有り得ない造形をしていた。
全身を夜闇より深い、漆黒の機甲に包んだその五体。機甲に走る色のない【ライン】は、装備者の身体機能を補助するように張り巡らされていて、純白の縁取りが施されている。
そのせいだろうか。
輝きが欠落したその【ライン】は、まるで黒く輝いているようにすら見えた。
その人の顔は、大袈裟なフルフェイスに覆われて窺えない。
防衛隊員は一般市民にとって『希望』であり、『英雄』的存在だ。
顔を隠す隊員など、少女はこれまで聞いた試しがない。
加えて、防衛部隊はロストからの浸蝕を防ぐために必ず口元を覆うマスクを装着する。
しかし黒い人影のフルフェイスには、鋭い牙を示す『口』が施されていた。
フルフェイスのバイザーはスモークがかっていて、その人の表情は窺えない。
バイザーの向こうでは、高まる魔力を映して【黄金】の輝きがふたつ覗いていた。
漆黒の人影が、倒れ伏す少女へ手を伸ばす。
「こ、こないで…………ッ!!」
反射的に拒絶していた。
黒い剣に黒い魔力。それを操る黄金の瞳。
その色彩は、この都市に住む人間が皆忌避する『最悪』を表すモノだ。
人影は拒絶された己の手のひらを数秒眺め、やがて少女を視界から外す。
「――――――――――」
「えっ?」
その言葉を脳が処理するより早く、黒いその人は少女の前から姿を消していた。立ち上がって周囲を伺うも、そこには変わらず鎮座する満月があるばかり。
呆然と立ち尽くす最中で整理する。
聞き間違いでなければ、あの黒い人物は最後にこう言った。
――気を付けて帰れよ。
最悪を体現する人物から放たれた労いに、少女は現実と夢幻の狭間で混濁する。
「――っと、到着か。さてと今回の相手は……アイツらか!」
「あっ……」
転送されてきた隊員は、わらわらと集まってくるゴブリンの群れへ視線を向けた。
隊員は、安心しろというように少女に微笑む。
「さあ観念しろゴブリン共! 貴様らのような外道は、この俺が成敗してくれるっ!」
啖呵を切って、街の英雄は走り出す。
放心する少女は、ただあの黒い影が消えた先を見つめる。
その様子を、煌々と輝く黄金の満月だけが静かに静観していた。