日本最大の湖、琵琶湖。
その
「あれから、6度目の満月…ですね」
世界で唯一の魔術師“プリンセプス”を決める為の儀式、もとい争い。それが『グランベルム』。
かつて彼女、
多くの別れを経験しながらプリンセプスとなった新月は、自らの願いであった全魔力の消滅を完遂した。プリンセプスとして世界から永遠に隔絶され、孤独となりながら……。
しかし新月はその運命を受け入れていた。誰からも認識されないまま終わりのない生を享受することになっても、彼女の願いは揺らがなかった。
(───けど)
時折、新月は考えることがある。
“この世界から魔力が消えていない”と。
新月は魔力が本当に消えているのか試したことがある。
花に栄養を与えてみたり、風を起こしてみたり、トンカツマンを温めてみたり───。
それらの行動が成功したことは無かったが、一瞬花が咲いているように見えたり、風が過ぎて行ったり、トンカツマンを熱く感じたりと、錯覚にも近いほどの変化が起きることがあるのだ。
(あれらは…やはり私の勘違いなのでしょうか)
だが、もし本当に魔力が残っているならば、多くの衝突を経て叶えたはずの願いが水泡に帰す。
そんなことはあってはならないと思いながらも、脳裏によぎる不安感を拭えずにいた。
「でも…今の私がすべきなのは、普通の人間として生きること。彼女らが遂げられなかった日常を謳歌することが、私の責任なのですから」
と、追い風が新月のポニーテールを揺らす。
首元から髪を抑えながら風の吹く方向を振り向くと、そこには“いるはずの無い人”が彼女を見つめていた。
「……エルネスタ」
アンナ・フーゴ。
かつてグランベルムにおいて命を散らした彼女が、なぜか目の前にいる。
「マギアコナトスによる幻影……そんなまさか」
「……」
アンナは何も答えない。だが、相変わらず新月を睨みつけるその瞳には確かな生気が宿っていた。
それが例え自分の夢想だったとしても、本当に魔力が残存していた故に課せられた新たな試練だとしても、それでも───。
「アンナ───」
様々な感情が重なりあって、状況を整理しきれないまま、ただ新月はアンナに抱きついていた。
「アンナ! 会いたかった!」
新月は悠久の孤独を受け入れていたつもりではあったが、心のどこかでは寂しさを覚えていた。
本当は誰かと一緒に生きたかった。新月は自分のその秘めたる思いを、アンナの温かい肌に触れた時に初めて自覚した。
「離れなさい、エルネスタ」
そう言うと、アンナはふてくされた顔のまま新月を引き
「全く…貴方と仲良しこよしをするために
「アンナ…喋れて、あなたは幻では無い?」
アンナの発言に新月は困惑する。その姿にアンナはため息をついた。
「はいは~い♡ 新月ちゃんが困惑しているのでそこまでにゅん」
独特な口調と共に、もう一人やってくる。
「水晶…! あなたまで……」
「だ~いぶカオス極まっちゃってるけど、状況を整理するわよ…あとそれと───」
水晶の表情が一転、柔和な面持ちから真顔へと変化した。
「原因はともかく、私たちがここにいてあなたと話している時点で、魔力が残っているってのは確定よね……消せなかったのよ、アンタ」
「…っ!」
考えたくなかった事実が告げられ、新月は血相を変える。
誰よりも、新月よりも魔力に詳しいであろう水晶から語られるならば、それが疑いようの無いことであるのはすぐに理解できた。
だからこそ、悔しい。
「私は…あなたの思いを受けてなお、望みを果たせなかった…のですか」
「真偽不明~♡ だけどぉ、そうとしか思えないでしょ、現状」
新月は頭を抱えて顔をしかめる。
「そんな…それじゃあ…私は……何のために……」
目の前にいる2人が、自分が魔力を消しきれなかった、奇跡を願ってしまった結果だと言うのならば。
魔力を消し去るために戦い続けた意味はあったのだろうか。
多くの仲間の命と記憶を奪い、背中を押してくれた親友との別れを経てもなお、何もなし得なかったと言うのなら、自分は何のためにここにいるのだろうか。
「プリンセプスになっても何も変わらないのなら、私がここにいる理由なんか…無い」
涙をこぼし膝から崩れる新月だったが、彼女に言葉をかけたのは意外にもアンナであった。
「貴方がいる理由、そう言いましたの? そんなの私が勝利するためでしょう? 私がここにいるのも貴方を完膚無きまでに叩きのめすためですわ。貴方がいなければ私は誰から勝利をもぎ取れと言うの」
アンナはその鋭い眼光を新月に向けたまま彼女の脇を掴んで立たせると、互いの瞳を向き合わせる。
と、彼女らのいる場所を起点にして世界が禍々しい力に飲み込まれ始めた。
その様子は、グランベルムが始まる時と非常に似通っていた。
「これは一体…!?」
新月が状況を考察する間も無く、辺りの情景は黒く邪悪な力を感じる
「何が起こったと言うのですか…これではまるで、“グランベルムが始まった”みたいです」
「ふふ、ならば好都合と言うもの。誰が仕掛けたかは知りませんが、そこに戦の舞台があるならば! 私はそこに立ち、貴方と戦うッ!!」
アンナが叫ぶと、その服装はかつて魔術師候補として戦った時の法衣に変化していた。
「戦う…? 状況も分かっていないのにそんな…」
「状況も真実も知らないまま戦っていたのはグランベルムの時だって同じでしたわ! それにそんなことはどうでもいいのです、私は貴方に勝って、フーゴ家の名にふさわしい魔術師になる、それだけが私の生きる意味だから!!」
アンナが叫ぶと、魔力で編まれた糸、『
すると足元に浮かぶ巨大な魔法陣の中から、魔力の巨人が出現する。
『アルマノクス』、そう呼称される巨大な魔法人形から放たれる光にアンナが飲み込まれ、搭乗する。
かつてアンナが駆った
以前の騎体が持っていた盾、『バラ・エスクード』を両腕に装備したフォルムはまさしく閉じた花弁のようだった。
「アンナ、その騎体は……」
湖面に写される新たな姿の騎体に新月は何かを察知する。
「まさか、アンナの精神に感応し、アルマノクスがその姿を変えた、と言うのですか」
『アークナイトブローテ』。それがアンナの新たなる力の名。
前回のグランベルムにおいても搭乗者の成長に伴いアルマノクスが進化する例が見られたが、この騎体も同様であった。
「先程水晶から聞きましたわ。私は、貴方がザ・ウィッチになるためにマギアコナトスの力で用意された当て馬だったのだと」
「当て馬だなんて…」
「でもそれが真実。あの性悪女、ガラにも無く冗談無しに言い始めるものだから嫌でも信じるしか無いじゃない」
「水晶…どうして?」
彼女らと一緒に魔力の満ちた空間に送られていた水晶は目を閉じながら嬉々として語り始める。
「ホントのコトは知っとくに限るにゅ~♡ それと、アンナが無様に死んだ後のことも全部、話したわよ?」
新月は目を泳がせながらアークナイトブローテを見つめる。
彼女の闘志を表すように熱気を放つ騎体に、新月は決意を固める。
「……もう、あなたと戦いたくなかったのですが……ここで倒される訳には…いかない!」
アンナと同様に魔糸を手繰り、新月も自らの騎体を呼び出す。
『ヴィオラカッツェ
グランベルムにおいて初めて誕生した新しき騎体“新生アルマノクス”として、魔力を完全掌握した黒と白の
「貴方、自分のことをこれっぽっちも私に説明しませんでしたわよね? どうして何も言わなかったの?」
「それは…貴方を巻き込みたくなくて……」
と、アークナイトブローテから伸びた腕部がヴィオラカッツェFFを殴り付ける。
シールドを展開していたため大きなダメージは無かったが、先手を取られた新月は眉を寄せる。
「グランベルムに参加した時点で…いいえ、私が魔術師を志した時点で巻き込まずに済む道などありませんでしたわ! そのことから目を背けて自分勝手に何でもかんでも全部自分で片付けようとして! その結果私の魔術が成功したように見せかけ! 力の違いを見せつけ! 私の生きる道を導いておきながら絶とうとしてきやがった!!」
「私は…アンナに幸せになってほしくて…!」
「そうやって良かれと思って立ち回った結果! 私は幸せになれたのッ!?」
アークナイトブローテから放たれる炎がヴィオラカッツェFFを包む。恐ろしい火力を持つ炎に身を焼かれながらも、魔力ごと切り裂かんと魔糸を出すが、全て燃やされる。
「無限の魔力を持つヴィオラカッツェの魔糸が…効かない!?」
「貴方の力など届きはしない! 氷のように解けていく儚い、希望という呪いを私に植え付けた貴方の力など!!」
「呪い…!?」
幼少期、彼女の笑顔が見たいからと自身の魔力でアンナが魔術の奥義を成功させたように見せかけてしまった。その一瞬の甘い考えがその後の彼女の人生を歪めてしまった。
真実を知ったアンナがどれほど悲しかったか、苦しかったか…どれほどその気持ちを分かってあげられていただろうか。
新月の心が揺らぎ、ヴィオラカッツェFFのシールドが破られる。負けじとなおも燃え続ける爆炎をかいくぐるが、眼前にはアークナイトブローテが迫っていた。
魔糸で牽制する間も無くゼロ距離で砲撃を受けたヴィオラカッツェFFの装甲が砕けていく。
「あの新生アルマノクスが攻撃を受けるなんて…いくらアンナの精神が強くなってるからっておかしくない?」
激しい戦いを見守っていた水晶が呟く。
これらの戦いには何か裏がある、パワーバランスの崩れた目の前の戦闘から彼女はそう確信していた。
(戦いの場を用意できる存在なんてマギアコナトスしか思いつかないけど、既にプリンセプスを決定しその役目を終えたハズ……じゃあ誰が?)
思考を巡らせる水晶の背後に、人影が
瞬時に振り替える水晶だったが、人影は姿を消していた。
「ヴィオラカッツェがやられるなんて…!」
「お立ちなさい、エルネスタ。それともここに来て手加減をするほど愚鈍とは言わないですわよね?」
ヴィオラカッツェFFが大量の魔糸を解き放ちアークナイトブローテを拘束しようとするが、その全てが凍結されてしまった。
アークナイトブローテの持つ温度変化の属性が作用し、炎の次は氷を繰り出したのだ。
(全ての魔力を操作し封印する力を持っているはずの魔糸が凍らされた…最悪の予想ですが、アンナの魔力が私と拮抗し、力を上書きしている…のでしょうか)
「隙ありィ!」
アークナイトブローテの炎がヴィオラカッツェFFを焼き、瞬時に炎の温度を変化させ氷にしてみせた。
体を完全に凍結されたヴィオラカッツェFFを、アークナイトブローテはいとも容易く分解する。
「腕! 足! 頭ァ! 貴方の騎体、おバラバラですわァァァァ!!」
胴と頭、手脚の一部だけが残され無惨な姿となったヴィオラカッツェFFが地に沈む。
「まだ…負けられない…あなたや水晶が再び現れた謎を解くまでは…!」
「今まで“あなたは私には勝てない”とのたうち回ったエルネスタがそんな言葉を言うなんてねェ!」
「…ッ!」
痛い所を突かれる。かつて新月はアンナが魔術から離れるようにとわざと突き放すような物言いをしていたが、それが彼女の自尊心を傷付けていたことを理解できていなかった。
そんな過去の過ちが呪縛となって自分の心を締め付ける。
「アンナは…今でも私が憎いのですね」
「憎い? そうですわね、確かに憎しみはまだ消えていませんわ。けれど───昔の私の抱いていた憎しみとは少し違くってよ」
「……?」
「貴方が犯した過ちで私の人生も家族も滅茶苦茶ですわ…絶対に貴方を許したりはしない。でも、私に憎まれるような貴方の行動こそが貴方の優しさであったのだと、少し気付いてしまったのですわ」
確かに新月がアンナに繰り返してきた行動の多くは身勝手で、彼女の考えを無視したものであった。しかし、それらはアンナに敵意を持っていたのでは無く、彼女の真の幸せを願い、笑顔を見せてほしかったという純粋な慈愛の心によるものであった。
アンナが再び意識を取り戻し、水晶から事情を聞かされたのもほんの数時間前の出来事であった。だが、その中で彼女は新月が抱いていた慈しみと苦しみを感じ始めていた。
「一度あそこで、私が死んだからなのかしら。こんな感傷的なことを、エルネスタ…貴方に言ってしまうなんて、正直私らしくないですわ。それでも一つ思ったことがあったから、それを伝えますわ」
「…思ったこと?」
ヴィオラカッツェFFから距離を取って飛翔するアークナイトブローテが、腕部に魔力を蓄積させる。
右手から炎を、左手から氷を出しながら発生させながら手の平をヴィオラカッツェFFに向ける。
「私が貴方に勝てなかった理由……それは、私が貴方を知ろうとしなかったから…そう、思ってしまったのよ」
「…アンナが私を、知ろうとしていなかった?」
「私は貴方をずっと憎んでいた。殺したかった。でもそんな気持ちから脱せなかった私がマギアコナトスの
以前のアンナからは考えられないような冷静な発言に新月はそうですか、と素っ気無い返事をしてしまう。
「なんですの、私の言葉が信じられないと
「ええ、信じられません」
「! そういう顔と言葉が一致するような、お正直な物言いをしながら大事なことは嘘をつくところが! 本当に嫌いですわ!!」
アンナが顔をしかめながら叫ぶと、新月は少し笑ってしまった。
「今のアンナ、とてもアンナらしかったです」
「…!」
フン、とアンナが鼻で笑うと、魔力を最大まで込めた炎と氷のエネルギー波───
「貴方の考えていたことを知った今の私なら、貴方に勝てるかも知れない…そう思った時、貴方と戦いたくなった! 予想もしない状況ではありましたが、結果オーライと言うヤツですわ!! さぁ、これが今の私の力! 憎悪と殺意で歪められていない純粋な魔力による一撃、たんと食らいなさいッ!!」
魔糸によって防げず、シールドを破り、プリンセプスによる魔力操作も受け付けない、アンナの獲得した究極の魔力がヴィオラカッツェFFを焼き払う。そして、炎を一瞬で氷結させ、騎体を砕く。
内部の魔石を砕かなかったことでまだ存在を保ち続けている新月がアークナイトブローテを見上げる。
「私の負けです。アンナ、貴方は強い…私よりも」
「あの時、それを聞けていれば良かったのに」
そう呟くアンナだったが、少し微笑んでヴィオラカッツェFFを氷の中から救助する。
「はぁ…なんだかこれ以上のやる気が失せましたわ。貴方の騎体を完膚無きまでに破壊し勝利を収めただけでも良しとしましょう───」
と、アークナイトブローテの駆動が停止し、アンナの操作を無視して右手に炎を込める。
「ちょっと、一体何なんですの!?」
「───お疲れ様、あとはわたしに任せて」
少女の声がアークナイトブローテのコックピットに響く。
騎体からは黒い手のような影が映し出され、それがアークナイトブローテを強制的に動かしているのだ。
「…ッ! 止まりなさいッ!」
「無駄だよ、それに新月ちゃんの死は君が望んだことでしょ?」
「今は…違うッ!」
アンナが魔糸を思い切り引くが、騎体は全く言うことを聞かない。
彼女の意思に反して炎を放とうとするアークナイトブローテだったが、寸前で影が取り払われ、行動を停止した。
満身創痍のヴィオラカッツェFFが放った術、『
(それにしてもこの影…私の闇撫手に似ている…この魔力は一体)
考察を深める新月だったが、それより先に影の正体を暴くため一気に引き抜く。
「あなたがこの混乱を招いた者ですね…正体を表しなさい!」
新月の叫びを聞いた皮のように薄い影は、丸まりながら塊状に成形されると、アルマノクスと変わらない体格の人型を構成すると、内部から何者かを出現させた。
「久しぶりだね、新月ちゃん」
「───」
そこにいたのは、新月の親友───小日向満月であった。
「満月…これは、ど、どういう…ことですか」
「えへ、隙ありだよ」
満月のその言葉と共に、彼女を吸収した影が変容を始め、その姿を満月の騎体、『ホワイトリリー』と同様の形に変えた。しかしその騎体は以前までの純白さを失い、黒く染め上げられた禍々しい色となっていた。
そしてそれと同時に、ホワイトリリーの
アルマノクスの中でも群を抜く威力の光がヴィオラカッツェFF、アークナイトブローテを包み込み、大地をえぐり取る。
──────────────────
「あれは…ホワイトリリーの、
遠方からメルド・リュミエールの光を目撃した白髪の少女は、得も言われぬ不安感に襲われ、爆心地へと歩き始めた。
つづく