1973年 帝都
会議室の雰囲気は最悪だった。
その雰囲気の原因となっていたのは、この会議室の中で大多数を占める特徴的な制服に身を包んだ男たちだった。
男たちに直接関わりがない者でも、この国の軍事組織について少しでも知識があるなら男たちの正体が大日本帝国空軍の将校であることに気づけただろう。
会議そのものはBETA(Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race──『人類に敵対的な地球外起源生命』)と呼称される、人類が数年前に接触した地球外生命体に対する対応策を検討するため、という名目で行われていた。
同様の目的を掲げた会議は帝国各軍においてBETAとの接触当時から繰り返し行われている。
BETAと呼称される生命体は、まさにその呼称が示す通り、接触当初から人類に対して敵対的な行動を取っていたからだ。
だが当時は月面におけるBETAとの戦闘──通称『第一次月面戦争』──に関わっていた航空宇宙軍以外では、BETAに関する問題の重要度は低かった。
しかし第一次月面戦争における人類側の敗色が濃厚になると、BETAに対する対応策の検討も真剣味を帯び始めた。
その頃には月面での戦闘で得たデータからBETAの性質や能力の把握も進んでいたから、必要とされる兵器や戦術について具体的な提案もされるようになっていた。
機械化歩兵装甲の導入と研究開発の開始はその成果の一つだ。
だがこの時点での帝国軍の認識では、持ち込める機材や物資が著しく制限される月面とは違い、人類がこれまで開発した兵器を存分に活用できる地上の戦闘ではBETAに対しても有利に闘うことができるはずだった。
実際、1973年7月19日に中国新疆ウイグル自治区の喀什(カシュガル)にBETAの着陸ユニットが落下してからBETAと人民解放軍の間で行われた戦闘では、当初は後者が優位に立っていた。
だが、BETA側の戦力として光線属種が出現し航空戦力が無効化されたことで力関係は逆転。
一時は落着地点の数km手前まで迫っていた人民解放軍は戦力の9割以上を喪失して撤退し、ソ連軍が戦闘に加わってもBETAの勢いを押し留めることができず、戦術核を使用した焦土作戦に頼らざるを得なくなっている。
BETAは今のところ西進を続けているが、いつその矛先を帝国に向けるか予想ができず、帝国各軍ではBETAとの戦闘に備えて規模の拡大、ドクトリン(戦闘教義)の見直し、兵器の更新などを進めている。
その流れに取り残されているのが空軍だった。
なぜか、と理由を問うまでもない。
航空戦力を持たず、また光線属種によって絶対的な防空能力を誇るBETA相手の戦闘では航空戦力を活用することは難しかったからだ。
むろん、光線属種が存在しないか既に排除された地域なら航空機を用いてBETAを攻撃することも可能だった。
だがそのような状況なら航続距離と積載量に優れる大型の爆撃機が少数あればよかった。
後方での輸送を担当する輸送機部隊などと合わせても、その程度の規模や限定された任務では空軍という独立した軍種を維持する必要はあまりなかった。
このままでは空軍は数年以内に航空宇宙軍をはじめとする各軍に吸収されてもおかしくない、とも囁かれていた。
この部屋で開かれる会議は、この状況で空軍を存続させようと画策する有志の会合と言ってもよかった。
しかし、そもそも国家に奉仕すべき軍人が組織防衛を目的として行動することが不健全であり、また会合で議論される方策が有効性や実現性に乏しいものばかりであったことから、良心的な、あるいは目端の効く者ほどこの会合から距離を置いていた。
「この戦術機というやつだが、固定翼機でも同じことができないか
つまり低空飛行で光線級の迎撃をかいくぐってBETAに攻撃を仕掛けることが出来るんじゃないかという意味だが」
煮詰まった空気の中で不意にその発言を行ったのは会議室にいる中でも年嵩の男だった。
その視線は昨年帝国が導入を決定した新兵器である戦術歩行戦闘機(Tactical Surface Fighter TSF)の資料に向けられていた。
「平坦な地形なら昔の攻撃機のように低高度を飛ぶだけなら出来るかもしれんが、固定翼機でこんな機動をとるのは無理だろう」
反論したのは向かいにいた太り気味の男だ。
反論の内容自体は常識的なものだった。
大型MMUの技術を転用した陸戦兵器として誕生した戦術機は、陸戦兵器でありながら低空域での驚異的な機動性を見込まれ、光線属種によって無力化された既存の航空戦力の代替としても期待されていたからだ。
だが発言者を追えたのはそこまでだった。
「いや、空中での戦術機の運動性は跳躍ユニットによるもののはずだ。つまり固定翼機でも跳躍ユニットがあれば」
「いざとなれば地上に降りられる戦術機と違って飛び続けるしかない航空機で同じことをやるのは危険すぎるんじゃないか」
「戦術機の全高は18mあるんだからそれより低く飛べれば」
「高速を発揮する必要はないわけだからいっそ複葉機に」
不規則発言の連続に、議事録の作成を担当していた若い士官は発言者の記録を放棄して聞こえた内容を殴り書きし始めた。
混乱が続く中でいくつもの反論が行われた。
たが、それに対してもさらに反論がなされ、結局その場では年嵩の男が提示した可能性が否定されることはなかった。
いや、その正否を論じるには材料が足りなかったと言うべきだろう。
議論の中で戦術機と固定翼機の比較が行われるうちに、戦術機を構成するコンポーネントが現用の固定翼機を構成するそれを大きく凌ぐものであることが明確になったからだ。
無論、米国製の新兵器である戦術機に高度な技術がつぎ込まれていることは男たちも理解していた。
しかし詳細な資料などがなくてもこの場で行われる検討だけで、戦術機を構成する技術が既存の航空機を構成するそれとは全く次元違いの高度なものであることが明らかになっていた。
空軍将校である男たちの視点とって最も明確に異常な性能を示していたのは跳躍ユニットだった。
現代のジェット戦闘機は第二次世界大戦当時のレシプロ戦闘機に比べかなり大型化が進んでいたが、それでも燃料や兵装を含んだ運用時の重量は大型のもので20トンを少し超える程度だった。
そして超音速戦闘機であってもその推力が運用時の重量を上回ることは少なかった。
航空機の場合、重力と拮抗する揚力よりずっと小さな抗力と釣り合うだけの推力があれば巡航出来るから、その程度の推力でも飛行することが可能だった。
一方で戦術機の場合はまずその重量がジェット戦闘機より遥かに大きかった。
例えば身長180cmの人間を10倍に相似拡大すれば戦術機に匹敵するサイズになるが、その体積は相似比の三乗、つまり元になった人間の1,000倍になる。
そして密度が同じならその体重は体積に比例し、主力戦車を超える重量になるはずだった。
実際、資料に示されている戦術機の重量は主力戦車を上回っている。
武装や装甲、燃料なども含む値として考えるとサイズに比して驚異的に軽い兵器ではあったが、それでもその重量は戦闘機の数倍ほどになるはずだ。
その上、戦術機の空力性能は固定翼機と比べ物にならないほどに劣悪であると考えられるため、巡航時にはその自重に匹敵する推力を発揮し続ける必要があると思われた。
さらに、米国から提供された資料映像の中では、空力を用いた機動が難しい低速域から推力のみで大加速度の機動を行っていると思われる場面もあった。
つまり跳躍ユニットの推力は戦術機の重量の数倍、ジェット戦闘機の推力の数十倍に達する可能性が高かった。
そして驚くべきことに跳躍ユニットは推力ゼロの状態からミリ秒単位で最大推力を発揮することができた。
それ以外にも、既存のあらゆるアクチュエータの性能を上回り、戦術機の自重を優に上回る力を発揮する電磁伸縮炭素帯(カーボニック・アクチュエータ)や、その荷重に耐える軽量なフレームを構成する炭素系素材など、既存の航空工学の常識を超える技術が惜しげもなくつぎ込まれていた。
そしてこれらの技術は米国で秘密裏に開発されたわけではなかった。
というより、戦術機というシステムやそれに適合するコンポーネントの製造ノウハウはともかく、基礎となる技術自体は最先端のものではあるが宇宙開発で広く使用される技術にすぎず、帝国の産業界も近い水準の技術を保有していることが戦術機導入時の調査で判明していた。
つまり帝国空軍や世界中の同業者たちは航空機に革新的な変化をもたらす技術が次々と生まれるのを目にしながら、全く旧式の技術の産物となってしまった航空機をなんの疑問も覚えず使い続けていたことになる。
会議の混乱が長引いたのはこの現実を受け止めることを男たちの常識が拒んだせいでもある。
そして混乱が収まり、男たちが現実を受け止めると、最初に年嵩の男が提示した可能性の成否を検討するためには材料が足りないことに気がついた。
会議は出席者各位が検討に必要な情報の収集や叩き台となるコンセプトの作成を次回の会議までに行うこととし、解散した。
しかしそれ以降男たちが会議を行うことはなかった。
原因は会議の内容が空軍内で拡散したことにある。
そもそも男たちの会議は名目上空軍の公的な業務として行われており、空軍内ではかなり多くの人間がその議事録を閲覧できる状態にあった。
普段は誰もその内容に興味など抱かないが、今回に限っては議事録係の男を起点として情報が瞬く間に拡散。
会議で提示されたコンセプトの検討は空軍全体にとっての重要タスクと化し、男たちの手を離れた。
そして空軍内で行われた検討では、戦術機と同様に宇宙開発技術を応用して低空運動性に優れた航空機を開発することで、光線属種の存在する地域でもBETAに対して航空攻撃を行うことは可能であると判断された。
しかし、同時にいくつかの問題点も指摘されていた。
最も大きな問題は常識外れの推力と極めて良好なレスポンスを併せ持つ推力発生装置・軽量強靭なフレーム・高速で精密な機体制御を実現するアビオニクスなど、機体全体にわたって航空機への適用経験のない技術を組み込んだ新規コンポーネントの開発を必要とするにも関わらず、開発に費やすことが出来る期間が短すぎることだった。
すでに空軍の解体は既定路線となりつつあり、早期にある程度コンセプトを形にしておかなければ、空軍の解体が決定し開発そのものが中止される可能性があった。
この問題への対処としてまずBETA梯団内部での戦闘を考慮に入れないことが決定された。
戦術機を用いた戦闘では想定される戦術の一つだが、必要とされる判断・機動が複雑すぎ、アビオニクスやそれ以外の要素の開発期間増大の一因となる可能性が指摘されていたし、そもそもどの程度の能力が必要となるかもよくわかっていなかった。
また低空での運動性については野心的な目標が掲げられたが、それ以外の航続距離や積載量、巡航速度などの性能についての基準は大きく引き下げられた。
宇宙開発技術の導入により既存の航空機を全ての点で大きく上回る革新的な機体の開発も可能となっていたが、開発段階での技術的トラブルの発生や、それ以前の仕様策定の段階での検討の長期化を回避するために、容易に実現可能と思われる最低限の性能のみを要求する形となった。
コンセプトの具体化に伴い、検討は防衛省や帝国内の軍需関連企業が加わった新型機の開発プロジェクトに移行した。
概念研究だけならともかく実機の開発や製造については空軍内で完結する問題ではなかったからだ。
プロジェクトでは各社から様々な設計案が提案された。
革新的な技術の導入と最低限に抑制された性能要求が、多様な設計案の存在を許容する余地を生んでいたのだ。
設計案の作成においては性質が近い地上攻撃機や攻撃ヘリについての知見が大いに参考にされたらしく、過去に開発されたそれらの兵器の派生形ととれるような案も多く見られた。
最終的に採用されたのは富嶽重工の設計案だった。
その設計案は大雑把に言えば機体重量数トン程度の比較的小柄なターボプロップ機の左右の翼端に、戦術機の跳躍ユニットに近い形式で補助ロケットエンジンを搭載したものと表現しても構わないだろう。
この形態には巡航をターボプロップエンジンで行い、翼端のロケットで低空での運動性を確保する思惑があった。
うまく行けば、機体姿勢を変化させることで航空力学的な作用による機動を行う既存の固定翼機とは異なり、低空でも大胆な機動を取ることができるはずだった。
あるいは技術的側面から見れば最も冒険的なコンポーネントであるロケットエンジンの開発に失敗した場合でも、翼面荷重を低く抑え操縦員に低空飛行に特化した訓練を積ませることでBETAへの航空攻撃を実現する可能性を残す意味もあったのかもしれない。
その後の開発はスムーズに進行した。
既存の航空機とは大きく異なる形態の機体だったが、技術的には十分な余裕があったからだ。
試験で通常なら改設計を余儀なくされるような強度計算の誤りが発覚しても、大きくとられた設計余裕により吸収することが可能だった。
懸念されていたロケットエンジンについても大きなトラブルの発生はなく、むしろ既存の固定翼機とは大きく異なる特性を持った機体を操縦するためのインターフェースやソフトウェアの開発により長い時間が必要とされた。