先生はいつものようにトリニティ自治区の古書館に訪れます。
古書館の魔術師、とも呼ばれている司書の生徒と一通り談笑した後、彼は自分好みの本を探し始めます。

生徒も同様に本を手に取り読み始めるのですが……。

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ある日の古書館

どうしようもなく、恋をしていた。

手に持っている『子』から少し視線を外し、私は彼を見つめる。

本棚で眠っている子達を物珍しそうに見つめる彼の一挙手一投足に釘付けになる。

 

「ウイ、この子見て良い?」

 

「は、はい。優しくしてあげて下さい」

 

子。本をそんな風に呼ぶのは私くらいしかいない。

人によっては気持ち悪がられる事を、彼は嫌な顔ひとつせず受け入れてくれた。

小さな事なのかもしれない、彼にとって⋯⋯否、先生にとっては。

でも、私にとっては大きな事だった。

 

「⋯⋯」

 

目の前の子には申し訳なかったが、最早私は読書を止めていた。

パラパラと読む彼の姿を、目の裏にまで焼き付けるように、ジッと見つめる。

今すぐにでも立ち上がり、彼の元まで走っていきたい。

話したいことが山ほどある。

その子について、先生自身について、そして⋯⋯。

 

「ウイ?」

 

「へぇあぁっ?!!」

 

「ご、ごめん!読書中だったよね」

 

「い、いえ。気にしないでください」

 

貴方の事を見ていて、急に目があったから叫んでしまった。なんて口が裂けても言えなかった。

ドクドクと収まる様子がない胸をギュウと抑えながら、私は辛うじて声を出す。

 

「どう、なさいました?」

 

「あぁいや、本当に些細な事なんだけどさ」

 

「はい」

 

「ウイの持ってる子、逆さまだなぁ、って思ってさ」

 

愕然とする。

よく見てみると、この子確かに逆さまだ。

どばっ。

汗が吹き出す。

視界がブルブル震えている。

 

「い、いいいい、いえっ!!こういう子、なんです⋯⋯!表紙が逆さまに描かれていて⋯⋯!」

 

見え透いた嘘。何故ここで、このタイミングでこんな嘘を吐いてしまったのか。

自分でも分からなかった。

彼に格好悪いところを見せたくなかったからだろうか。

彼に失望されると思ったからだろうか。

先生はそんな人じゃない。そんな事、私自身が一番分かっていたはずなのに。

 

「へぇ!面白い子だね。僕にも見せて」

 

「へ、へぇあっ?!!だ、駄目ですっ!!」

 

「え、どうして」

 

「そ、それは⋯⋯」

 

心底残念そうにする先生を見て、私の心はズキリと痛む。

顔が青くなり、涙すら出そうになる。

このまま嘘で通そうか、適当な嘘をまた取り繕えば、先生の中での私は変わらない。

 

二人の間に小さな沈黙が横たわった。

 

それは私にとって決して居心地の良いものではなかった。

早くこの沈黙から解放されたい。

その一心で私は口を開く。

 

「⋯⋯ごめん、なさい」

 

「急に謝らないで。その子、ウイが先に読んでたんだもん。楽しみ奪おうとしちゃって、ごめんね?」

 

「そう⋯⋯じゃ、ないんです」

 

席を立ち、恐る恐る先生へと足を進める。

彼は不思議そうな顔をしていた。

私だって不思議だった。

嘘を吐くつもりだったんだ。

この子は、先生が読んじゃいけない『女の子の内容の子』なんです。とか、『浦和ハナコの日増写真集』だとか⋯⋯。

あれ、もしかして素直に謝っていて正解だったのかもしれない。

つくづく、自分は嘘が下手だ。

げんなりしながら、背中を丸めて、おずおずと先生の前に立つ。

 

「その、どうぞ」

 

「え、良いの?」

 

「私、今日はその、読書する気になれなくて。でも、先生にそんな格好悪いところ見せられなくて⋯⋯嘘、吐いちゃいました」

 

先生が持っていた子を開いて見せる。

特に何の変哲もない。でもとても深く、感動する内容の恋愛小説。

 

「表紙が逆さまなんてとんでもありません。この子が伝えたいことはそんな事じゃありません⋯⋯。それなのに私は、先生に変なところを見せまいと⋯⋯この子を侮辱してしまいました」

 

ごめんね。

私は表紙をそっと撫でる。

思い出す、この子の伝えたかった事。

ある一説を思い出す。

 

「先生も、嘘を吐いてごめ⋯」

 

「ウイ、大丈夫だよ」

 

ぎゅう、と抱きしめられる。

何で、どうして急に?

何が起きたのか分からなかった。

でも、すぐに分かった。

私は泣いていたんだ。

ボロボロと瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていく。

頭が焼き切れそうな感覚が後から遅れてやってきた。

 

「よしよし、大丈夫。大丈夫だからね」

 

「ぐすっ⋯⋯うぅ⋯⋯」

 

最悪だ。先生の前でこんな醜態を晒してしまうなんて。

でも、頭の焼き切れそうな嫌な感覚はすぐに鳴りを潜めていく。

大好きな人の温もりを感じていられるからだろうか。

それとも、匂いに安心したのだろうか。

私には分からなかった、こんなに知識に囲まれた場所で暮らしているのに。

私は『恋』というものに、何の知識も持ち合わせていなかった。

 

「先生がウイの嘘を見破れないと思ってた〜?」

 

「ぐすっ⋯⋯じゃあ、最初から⋯⋯言って下さいよ」

 

「あはは⋯⋯面白くて乗っちゃった」

 

もう⋯⋯この人は。

そんな所も好きだ。

先生の顔の横、肩に顔を埋めながら私は微笑む。

彼の顔を、今直視することなんて到底できないだろう。

直視したら。目と目を合わせたら。それこそ私が何をするか分からない。

 

「うぃ⋯⋯」

 

「おわ。ウイ、今日はだいぶ積極的だね」

 

彼の背中に手を回す。

もう恥ずかしさで顔が燃えそうだったが、顔を見られることがないという安心感のもとで決行した。

頭の中は真っ白だ。自分の体が、自分のものではないような感覚。

無限に続く穴に落ちてしまったかのような浮遊感が体に付きまとう。

 

『自分に正直であり続けること。恋に誠実であり続けること。好きな人に素直であり続けること』

 

先生に渡した子に書いてあった一説を再び思い出す。

回した手で先生の着ていたワイシャツをギュッと掴んだ。

 

 

「先生、大好きです」

 

 

古書館に、私の声がいつもよりも大きめに木霊した。


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