英雄が欲しいと、彼女は言った。
「足りないのです」
「足りないかぁ」
ややのんびりと彼は返した。
「魔王を倒す勇者。しかし彼や彼女が単独で打倒せしめた伝説はあまりに少ない」
「そう。それを補佐する英雄がいなくては、魔王を撃破することは叶わない」
だが、しかし。
「私は、我々では勇者を導くだけで精一杯でした。世にあまねく豪傑を集めても、英雄には僅かに届かない」
「それでボクの力を借りたい、と」
ふんふんと気安く頷く彼。そんな彼の様子を緊張の面持ちで見やる彼女。
「オーケイ、分かったよ。大丈夫、しっかりと
その言葉を聞いても彼女の緊張はほぐれない。この後に続く言葉を理解しているから。
「ただし」
そう、ただし。奇跡の代償はタダではない。必ずそれを支払うモノがいる。今回は、世界を救う為に彼女こそがその代償を支払うことになる事を覚悟していた。
そうして告げられた条件に、彼女はしばし呆然として。
そして背に腹は代えられないと、苦渋を味わいながらも頷かざるを得ないのだった。
001話 トンヌラ、リュカと
船が行く。目的地まであと少し。
「ん、んんん……」
ベッドの上で微睡んでいるのは双子の兄、リュカ。その声を聞きながら、窓際に備え付けられた椅子に腰かけて本を読む。
ぎしぎし軋む木の音がするのにももう慣れた。最初は不気味に感じていたが、気にしていたのは自身とリュカの2人であるから、船乗りの間では聞こえて当たり前の異音なのだろう。
窓から入ってくる日光を頼りに本をめくる。
ぺらり
ぺらり
リュカはまだ文字が読めないが、それでいつか困るのは自分である。慣れない文字を必死に習得したのは、ひとえに昔の記憶があるからだろう。
(日本では文字が読めて字が書けて当たり前だったからなぁ)
やや呆れた感情を含ませて思う。義務教育の素晴らしさというものをひしひしと感じざるを得ないというものだ。今世では、まともに自我が成立したのが2年前である4歳の頃。2年もかけて必死で異世界の文章を覚えたのを、褒めてくれるのは父さんのみである。
(父さんもオレにかかりっきり、って訳にもいかなかったからなぁ)
単純に同い年の兄がいることでかかる手間は倍。その上で自分たちには何も告げていないが、この頃の父さんは妻でありオレたちの母であるマーサの行方と、天空の勇者とその装備を探すという多忙を極めているのだ。年相応に幼いリュカはともかく、前世の記憶がある身としてはそんな父さんにワガママも言いにくい。むしろ率先してリュカと一緒に遊び、父さんの手間を減らすことを意識したくらいである。
(少しは遠慮しなくてもいいんだぞ、だっけ)
そんなオレを少しだけ心配そうに気遣ってくれたのは父さんだった。それを聞いて文字を覚えようと本を読んでくれるようにせがんだのを、微笑ましく見つめてくれたのを覚えている。
ぺらり
ぺらり
つらつらと益体もないことを考えていたが、ギッギッギッと鋭い歩調で部屋の外の階段を踏みしめる音が聞こえてくる。
噂をすれば、といつヤツだろう。すぐにがちゃりという音を立てながらドアが開き、黒い髪と髭の偉丈夫が部屋に入ってくる。オレたちの父であり、そしてグランバニア国王でもあるパパスが姿を現す。
「ぅうん…」
そのドアが開いた音でリュカも目を覚ました。ベッドの上で四つん這いになりながら、くしくしと小さな手の甲で自分の瞼をこすっている。
「なんだ。二度寝をしていたか、リュカ」
少しだけ呆れた声を出す父さん。それを聞いたリュカは、どこか覚束ない視線で部屋に入ってきた父さんを見やる。
「あれ? お城は? お父さんは王様?」
その声を聞いた父さんが一瞬だけギクリと体を強張らせるが、すぐにくすくす笑いでその場を流す。
「ワシが王さまだと? 寝ぼけているな、リュカ。それだとお前たちは王子さまだな。わっはっは」
事実をそのまま述べているにも関わらず、冗談の体でリュカの言葉を聞き流してしまう。
(見事なものだね)
その手腕を目にしたオレは脱帽せざるを得ない。父さんの笑い声を聞いて意識が覚醒してきたリュカの頭の中には、先ほど見た夢はもう残っていないように見えた。
「さあ、寝ぼけている暇はないぞ。先ほど船長に話を聞いてきたが、もうすぐビスタ港に着くらしい。
ワシは荷物をまとめておくから、お前たちは表に出て目を覚まして来なさい」
「うん、分かったよ。お父さん」
そう言って、リュカはぴょこんとベッドから飛び降りて、んーと年相応の伸びをする。
オレはそれを確認しつつ、父さんが作ってくれた無骨な木の栞を本のページに差し込んで閉じた。
パタンという本が閉じられた音と同時に、リュカの瞳がオレの方を向く。吸い込まれるような美しい黒の瞳で、オレを優しく見つめていた。
「行こうか、リュカ」
「行こう、トンヌラ」
トンヌラ。
それが今世に与えられたオレの名前。
いつか勇者の叔父となる運命を与えられるだろう、オレの物語が始まるのだった。