切り札の男   作:古野ジョン

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最終話 目標

 球審が、右手を突き上げた。塁上からそれを見た久保が、思わず天を仰いだ。

 

「アウト!!!」

 

 間もなく、地響きのような歓声が巻き起こった。二対一で自英学院高校の勝利。大林高校の夏は、終わった。

 

「よっしゃああ!!」

 

「ナイスプレー!!」

 

 右翼手の好返球に対し、自英学院の選手たちが一斉に褒め称えた。ホームベース付近に集まってくる選手たちに対し、輪に加わっていない者たちがいた。そう、八木と松澤だ。

 

「健太、甘かったか?」

 

「いや、最高のボールだった。あれを打たれるとは思わなかった」

 

 二人にとっては、試合に勝った喜びよりも、決め球を打たれたショックの方が大きかったのだ。試合に勝って勝負に負けた、そんな気分だった。

 

 大林高校の部員たちは、ただうなだれていた。神林は本塁上から起き上がれず、その目に水滴を浮かべている。久保はヘルメットを抑えて俯きながら、二塁から歩き出した。まなは口元を覆いながら、ぽろぽろと大粒の涙を流していた。

 

「よくやったー!!」

 

「惜しかったぞー!!」

 

「ナイスバッティングー!!」

 

 強豪校を追い詰めていた大林高校に対し、観客席からは惜しみない拍手が送られていた。皆席から立ち上がって、大林高校の選手たちを励ましていた。

 

 竜司はというと、しばらく目を瞑って空を見上げていた。しばらくすると、晴れやかな表情で皆に声を掛けた。

 

「お前ら、整列だ!! 元気出してけ!!」

 

 その声を聞き、部員たちははっとした。ホームベース付近に向かい、整列する。自英学院の選手たちと向かい合い、背筋を伸ばして立っていた。やがて、審判が試合終了を宣言する。

 

「二対一で自英学院高校の勝ち。ゲーム!」

 

「「「「ありがとうございました!!!」」」」

 

 両校の部員たちが、互いに握手を交わしていた。竜司は自英学院の選手たちに次々に声を掛け、この先の健闘を祈っていた。久保は戻ろうとしていたが、八木に声を掛けられた。

 

「久保!!」

 

「ああ、八木先輩。完敗ですよ」

 

「いや、俺の負けだ。あのストレートを打たれたら、どうしようもない」

 

「試合に負けたのは俺たちですから」

 

「そうじゃない、このままじゃ俺の気が済まないんだ。久保、もう一度やろう」

 

「え?」

 

「来年、もう一度夏の大会で会おう。今度こそ、抑えてやるからな」

 

 久保はその言葉を聞き、胸が高鳴るのを感じた。そう、彼には来年以降も残されているのだ。ならば、もう一度八木と試合をするチャンスもあるはずだ。

 

「分かりました。今度は、うちが勝ちますから」

 

「おう、楽しみにしてるからな」

 

 そう言って、二人は握手を交わした。高校野球は、負ければ終わり。敗者は、勝者にその夢を託していくしかないのだ。

 

 久保はベンチに引き上げ、じっとグラウンドの方を見つめていた。部員たちは道具を片付けている。まなは未だに泣き止まないでいた。彼はそっとハンカチを差し出し、彼女に告げた。

 

「まな、試合は終わった。帰ろう」

 

「ありがとう、でも汗まみれだからヤダ」

 

 まなはハンカチを突き返すと、少し笑みを浮かべた。彼女にとって、兄と一緒に戦った最初で最後の夏が終わったのだ。最初は喪失感に包まれていたものの、久保のおかげで少しずつ前を向き始めた。

 

 やがて、竜司もベンチに戻ってきた。もちろん、彼の中にも悔しさはあったが、全力を尽くしたという実感もあった。自分が自英学院の打線を二失点で抑え、久保が一点差まで追い詰めるタイムリーを打ってくれた。やり切ったという思いで、どこか爽快な気分だったのだ。

 

 ベンチで片付けを始めていた久保に対し、竜司が声を掛けた。

 

「久保!!」

 

「なんですか? 竜司さん」

 

 すると、竜司は久保の手を取った。久保が戸惑っていると、竜司は口を開いた。

 

「ありがとう。お前が打ってくれたおかげで、悔いなく高校野球を終えられるよ」

 

 久保はその言葉を聞き、黙り込んでしまった。しかし、彼の意図に反し、目から涙がこぼれだした。

 

「……すいません、竜司さん!! プロ野球に行かせるって言ったのに、二回戦負けなんて」

 

 久保は目を赤くしながら、竜司に謝った。自分の打球が外野の間を抜けていれば、柵越えしていれば。そんな後悔が今になって押し寄せてきたのだ。

 

「お前はよく打ったよ。最後のだって、当たりが良すぎたから神林が帰れなかったんだ」

 

「でも、でも……!」

 

「なに、終わってしまったことは仕方ない。それより、お前に言いたいことがあるんだ」

 

「なんですか……?」

 

 すると、竜司はニコリと笑った。久保がその意図を理解できずにいると、竜司が告げた。

 

「もう一度、投手に復帰しろ。そして、プロ野球を目指すんだ」

 

「え……?」

 

「お前は俺よりずっと良い投手になる。そんな気がするんだ」

 

 竜司はまっすぐ久保の目を見つめ、そう言った。久保はそれを聞いて、最初は困惑した。一方で、もう一度マウンドに立ちたいという感情も心のどこかで湧き出ていた。出来ることなら、かつてのように打者と対したい。彼は何も言えずにいたが、やがて口を開いた。

 

「……分かりました。もう一度、ピッチャーやってみます」

 

「おう、頑張れよ!!」

 

 そう言って竜司はハハハと笑った。久保は涙を拭き、少しはにかんだ。やがて片付けも終わり、大林高校の選手たちは球場から引き上げていった。

 

***

 

 結局、この年の県大会は自英学院が制した。自英学院はそのまま甲子園でも勝ち進み、ベスト四という戦績を残した。八木は二年生ながらエースとして奮闘し、全国にその名が知れ渡ることとなった。

 

 一方、大林高校野球部では新チームが始動した。新キャプテンには、二年生の三塁手である岩沢が選ばれた。秋の大会に挑んだものの、エースの竜司と主砲の神林が抜けた穴は大きく、早々に敗れることとなった。久保はというと、とある理由から秋の大会には出場しなかった。

 

 季節は進み、ドラフト会議の当日となった。その日、授業が終わったまなはとある病院を訪れていた。病室の前に立ち、ドアをこんこんとノックした。

 

「入るよー」

 

「ああ、いいぞ」

 

 まなはガラガラとドアを開け、病室に足を踏み入れた。そこにいたのは、右腕に包帯を巻いた久保だった。

 

「久保くん、調子はどう?」

 

「病院食の味が薄くてかなわん。早く退院してえな」

 

「もー、わがままなんだから」

 

 そう言いながら、まなはベッドの側の椅子に腰かけた。そして鞄からラジオを取り出し、周波数を合わせていた。

 

「ラジオでもドラフト中継してるんだって」

 

「へー、そうか」

 

 あの試合のあと、何と竜司のもとに調査書が届いたのだ。一球団のみだったが、プロ入りに近づいたとまなと竜司は大いに喜んだ。あの試合で八木を見に来ていたスカウトが、投球を見て竜司に注目したようだ。

 

「でも、指名されるかは分からないんだろ?」

 

「うん、そうみたい。だからドキドキだよ」

 

 まなはそっとラジオを置いた。二人とも黙って中継を聞いていたが、久保が口を開いた。

 

「悪かったな、秋の大会出られなくて。まさか二回も手術することになるとは思わなくてさ」

 

「仕方ないよ。どのみち、早く治さないといけないんだから」

 

「ああ、三年までにはきっと治すさ」

 

 そうこうしている間にも、ドラフト会議は進行していく。結局、支配下ドラフトで竜司の名が呼ばれることは無かった。会議は育成ドラフトに移っていく。

 

「……選択終了」

 

 とある球団が指名を終えたことを知らせるアナウンスが流れた。徐々に、指名を続ける球団が少なくなっていく。

 

「おにーちゃん、大丈夫かなあ」

 

「待つしかないな」

 

 二人とも、不安げな表情で待っていた。毎年多くの人間がプロ志望届を出すが、指名漏れなど珍しいことではない。焦りと緊迫感で、二人の心が満ちていく。

 

 もはや諦めかけていた二人だったが、最後の最後に、アナウンサーが指名選手を読み上げた。

 

「……滝川竜司。投手、大林高校」

 

「「えっ!!!」」

 

 二人は思わず顔を見合わせた。両方とも何も言葉が出なくなり、病室内に沈黙の時間が流れた。

 

「久保くん!!!」

 

 いきなり、まなが久保に抱き着いた。久保は慌てて、左手で彼女を受け止めた。

 

「本当にありがとう!! おにーちゃんをプロに連れて行ってくれて!!」

 

 目を見開いて驚いていた久保だったが、やがて左手でぽんぽんとまなの背中を叩いた。

 

「俺は何もしていない。竜司さんが実力で勝ち取ったんだよ」

 

「そんなことない!! 久保くんは頑張ったもん!!」

 

「……そうか、俺の方こそありがとな」

 

 久保がバッティングセンターで声を掛けられてから、半年が経っていた。最初はいがみ合っていた二人も、竜司のプロ入りという目標に向かって団結した。毎日の練習や、綿密なミーティング。二人の努力が、実を結んだ瞬間だった。

 

「あ、そうだ! おにーちゃんに電話しないと」

 

 そう言って、抱き着いていたまなが久保から離れた。竜司は学校でドラフト会議の中継を聞いていた。今頃は他の部員たちとともにお祭り騒ぎだろう。

 

「ここ、電話して大丈夫かな?」

 

「看護師さんがいいって言ってたぞ」

 

 久保がそう言うと、まなは携帯を取り出して竜司に電話していた。一通り竜司と会話したまなが、携帯を久保に差し出した。

 

「おにーちゃんが、代わってくれだって」

 

「オッケー」

 

 久保は電話を取り、竜司と会話していた。いろいろと会話したあとに、竜司がコホンと咳ばらいをした。

 

「それでだな、久保。お前に置き土産があるんだ」

 

「何ですか?」

 

「お前、打つ方は来年から復帰出来るんだろう?」

 

「ええ、まあ」

 

「なら良かった。あとはまなから受け取ってくれ、じゃあな!」

 

 そう言って、竜司は電話を切った。携帯を返そうと久保がまなの方を向くと、彼女は袋を手にしていた。

 

「まな、何だそれ?」

 

「はいこれ、おにーちゃんから」

 

 まなは袋を手渡した。久保が不思議に思いながら袋を開けると、そこに入っていたのはグローブだった。彼がそれを取り出してみると、左利き用のものであることに気づいた。右投げである彼は、困惑してまなに問いかけた。

 

「これ、左投げ用だぞ」

 

「久保くん、来年から野手として復帰しない?」

 

「え?」

 

「この秋から、頑張って左投げを練習してみないかってこと」

 

 右腕を使えない間、左投げで野手として復帰する。それなら、代打でなくスタメンとして出場することが出来る。まなはそのことを説明した。

 

「バッターとして実績を残せば、スカウトも見に来るだろうって」

 

「竜司さんがそう言ってたのか?」

 

「うん、そう」

 

 久保はグローブを手に取り、右手にはめた。まだ新品で堅いが、不思議と手に馴染んだ。すると、まなが口を開いた。

 

「久保くんも、プロ目指すんでしょ!」

 

 まなはニッコリと笑っていた。二年で野手として復帰し、三年でようやく投手として復帰する。それでプロ野球に入るなど、容易ではない。それでも、久保なら成し遂げられるのではないか。彼女はそんな期待を抱いていたのだ。

 

 久保はまなの言葉を聞き、返事をした。

 

「そうだな、俺の目標はプロに行くことだ」

 

「久保くん、違うよ!!」

 

 そう言って、まなは久保の左手を取った。そして、強調するようにこう言った。

 

「『私たち』の目標でしょ!!」

 

 それを聞き、久保は苦笑いした。そしてまなの手を握り返し、こう宣言した。

 

「『俺たち』の目標はプロに行くことだ。手伝ってくれるか?」

 

 すると、まなは満面の笑みで快諾した。

 

「もちろん!!!」

 

 病室が二人の笑い声に包まれた。竜司をプロ野球選手に――という目標は、今日をもって達成された。そして、新たな目標が二人に与えられた。

 

 二人は再び、前に向かって進んでいく。一度諦めた夢を再び目指す久保と、それに協力することを誓ったまな。彼らには、どのような未来が待っているのか――




ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
これにて、第一部は完結となります。第二部以降は、ストックが書き上がり次第投稿します。
最後になりますが、感想等お寄せいただけると大変嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。
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