切り札の男   作:古野ジョン

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第二十八話 憧れ

 試合の日まで、部員たちは黙々と練習に励んでいた。史上初の準決勝進出とあって学校中がお祭り騒ぎだったが、当の本人たちはそれどころではなかったのだ。今日は試合前日だが、いつも通り練習を行っている。

 

「サード!!」

 

 グラウンドではノックが行われていた。まなが声を出し、三塁方向に打球を飛ばした。

 

「おっと!!」

 

 岩沢の手前で打球がイレギュラーしてしまい、彼は弾いてしまった。慌てて拾い直し、一塁へと送球した。

 

「ヘイヘイどうしたサード!!」

 

「しっかりー!!」

 

 他の選手たちも大声を出し、気合いを入れて練習していた。明日はいよいよ、リベンジの時。皆、試合に対する気持ちは強かったのだ。

 

 その後も一通り練習して、ミーティングの時間となった。まなが部員たちを集め、自英学院に対する戦略を話し合っていた。彼女はまず、先発投手について話し始めた。

 

「準々決勝で森山くんが投げてますから、明日は八木さんでしょう」

 

「やっぱ八木先輩を打たないとだな」

 

「そうだね、久保くん」

 

「今年は結構カーブを使うみたいだな」

 

「その通り。今年はカーブでカウントを取るのが多いみたい」

 

 八木の持ち球は高速スライダー、スプリット、チェンジアップ、そしてカーブである。去年の彼はカーブを使っていなかったが、冬の間に習得していた。この球を生かすことで、より直球の威力が増していたのだ。

 

 さらに八木は、去年に比べて制球力が上がっていた。低めにうまく変化球をコントロール出来るようになり、空振りを奪う能力が更に高くなっていた。高校三年間の集大成として、投手としての完成度はかなりのものになっていた。まなが一通り八木について説明すると、岩沢が質問した。

 

「滝川、八木の対策は?」

 

「低めは徹底的に捨てます。見逃し三振でも構わないので、とにかくゾーン高めでいきましょう」

 

 まなは淡々と答えた。去年は八木の対策を聞かれ「お手上げ」と言っていた彼女だったが、今年は具体的な対策を考えていたのだ。去年に比べ、選手たちの地力は段違いだ。八木の球に食らいついていくのも不可能ではない、彼女はそんなふうに考えていた。

 

「……ところで、森山はどうなんだ?」

 

 突然、久保が口を開いた。皆が驚き、一斉に彼の方を向いた。彼は構わず、さらに話を続けた。

 

「森山の対策はないのか? まな」

 

「そ、そうだね! 今から話すよ」

 

 久保は心のどこかで、森山のことを意識していたのだ。もちろん八木にリベンジすることも重要だが、春の大会で見たあの剛速球を忘れることは出来なかったのだ。

 

 まなは森山の特徴について話し始めた。彼の持ち味は、何と言っても時速百五十キロを誇る直球だ。コントロールは荒いが、ストライクゾーンに決まればそうそう打たれることはない。そして重要なのが、抜群の切れ味を誇るスライダーだ。

 

「球種はほぼ真っすぐとスライダーだけ。八木さんと違って、かなり荒々しい印象だね」

 

「狙いは真っすぐか?」

 

「そうだね。でも準々決勝で投げてるし、なるべく登板させないんじゃないかな」

 

「まあな……」

 

 久保はそう言うと、開会式の時の出来事を思い出していた。あの日、森山は何故か怒った様子で久保に迫ってきたのだ。なぜ背番号が「7」なのか――と問いかけながら。

 

 ミーティングを終えると、解散となった。選手たちは明日の健闘を誓って、それぞれの家へと帰っていった。まなも片づけを終えると、帰路に就いた。すると、彼女を後ろから追いかける者がいた。

 

「よう、まな」

 

「あれ、久保くんどうしたの?」

 

「なーに、ちょっと寄り道しようと思ってな」

 

「あ、分かった」

 

 まなは久保の意図を理解し、少し笑った。二人は一緒に歩いて行き、やがてある場所に着いた。久保は鞄を置き、中から小銭を取り出した。

 

「いやー、久しぶりだな」

 

 彼はそう言って、百円玉を機械に投入した。二人が来ていたのはまなの家、すなわち「滝川バッティングセンター」だ。彼はバットを握り、来る球を次々にセンターへ打ち返していた。

 

「去年もこうしたよねー!!」

 

「懐かしいなー!!」

 

 まなの言葉に対し、久保は打ちながら返事した。彼にとって、ここは高校野球生活の原点だった。ここに通っていなければ野球部に入ることもなく、再びプロ野球選手を志すこともなかっただろう。

 

 彼は一セット打ち終えると、ふうと息をついてケージから出た。ベンチにまなが座っているのを見て、その隣に座った。ふと周囲を見回すと、壁には竜司のサイン色紙が飾られてあった。

 

「まな、あれって」

 

「そう、おにーちゃんのサイン。プロになってから、一番最初に書いてくれたの」

 

「そうかあ、すごいなあ」

 

 二人は何も言わず、ただじっと座っていた。明日の準決勝は、大林高校にとってはとても重要な試合だ。まなは監督として、久保は四番としてチームを背負っている。二人にかかる重圧は計り知れなかった。

 

「ねえ、久保くん」

 

「どうした、まな?」

 

 しばらくしてから、まなが前を見たまま口を開いた。彼女は少し身を震えさせながら、話を続けた。

 

「私、負けるのが怖いって思っちゃった。皆があんなに頑張ってるのに、負けたら終わりなんだよ」

 

 チームを背負うというのは、並大抵のことではない。まなは監督として学校中の期待を背負い、試合に臨まなければならない。もともと強気な彼女でも、プレッシャーに打ちひしがれそうだったのだ。

 

「……そうか」

 

「久保くんは怖くないの?」

 

「俺は……」

 

 まなにそう尋ねられると、久保はしばらくの間考えを巡らせていた。そして、静かに口を開いた。

 

「俺は怖くない。それより、試合前に怯えて実力が出せないことの方が怖い」

 

「!」

 

 その言葉を聞き、まなは衝撃を受けた。久保はあくまで、選手として実力を発揮することだけに重きを置いている。彼は、それが自らが出来る唯一のことだと信じているのだ。

 

「……やっぱり、久保くんはすごいよ」

 

「え?」

 

「私、そこまで割り切れない。甲子園もだし、プロ入りもだし、八木さんへのリベンジだってあるのに」

 

「何言ってんだよ。その三つ、やることは全部同じじゃないか」

 

「えっ?」

 

「『打つ』だけでいいんだよ。打てば全て叶うし、打たなければそこで終わり。それだけなんだ」

 

 久保はそう言うと立ち上がり、再びケージへと入った。小銭を投入し、またセンター方向へと打ち返している。まなも立ち上がり、ケージの後ろでその姿を見届けていた。

 

「……私、久保くんと野球が出来て良かったなあ」

 

 彼女は小さくそう呟いたが、打球音にかき消されて久保の耳には届かなかった。

 

***

 

 翌日、いよいよ準決勝の日となった。大林高校の部員たちも試合会場に到着し、球場の外で集合している。

 

「すげ~!」

 

「ここで野球出来るなんてな~!!」

 

 準決勝からは、試合会場が県内で一番大きい球場となる。地元のプロ野球チームが本拠地としているため、設備も本格的だ。部員たちは既に興奮して、テンションが高くなっていた。

 

「久保くん、あれ」

 

「来たな」

 

 そんななか、まなはある集団を指さして久保に話しかけていた。その先にいたのは、自英学院高校野球部だった。専用のバスから、ぞろぞろと列をなして降車してくる。そのまま、大林高校の選手たちの近くを通り過ぎようとしていた。

 

「おっ、久保!!」

 

「あっ、八木先輩!」

 

 すると、八木が列を外れて久保のもとへとやってきた。

 

「まさか本当に準決勝で当たることになるとはなあ」

 

「ハイ、頑張りましたよ」

 

「お前、なかなか打ってるらしいじゃないか」

 

「ハハハ、いやいや」

 

 二人はそんな会話を交わしていた。その様子を見て、列の一番後ろから近づいてくる人間がいた。そう、森山隆だ。二人の前に来ると、ぺこりと頭を下げた。

 

「……久保、この間はすまなかった」

 

「あ、ああ!」

 

 一瞬戸惑った久保だったが、開会式のときのことを謝っているのだと合点がいった。

 

「いや、別に何とも思ってないよ」

 

「そうか、ありがとう」

 

「ところで、あの時は何だったの?」

 

「久保、君は俺の憧れだったんだ」

 

「えっ?」

 

「シニアの頃、大会で君を見た。あのピッチング、今でも忘れないよ」

 

 それから、森山は説明を続けた。中学二年の頃、久保はシニアの県大会で素晴らしい投球を見せていた。点を取られることなく、次々に打者を三振に打ち取っていく。その姿を見て、彼に憧れた選手も少なくなかった。

 

 そのうちの一人が、森山だった。当時の彼は平凡な投手だったが、久保の姿を見て大いに感化されたのだ。憧れの久保に追いつき、追い越したい。その一心で、必死の努力を続けていた。

 

 しかし――彼が中三になる頃、久保は野球をやめていた。彼はその理由を知らなかったため、ただただ名簿に久保の名前がないことに呆然としていた。半ば失意のまま大会に臨んだが、彼はその剛速球で一気に注目されるようになった。その結果、自英学院に進学することになったのだ。

 

「でも、去年はベンチにも入っていなかったじゃないか」

 

「ああ。自英学院に入ったはいいものの、当時の俺は目標を失っていた。練習も適当にやってたし、レギュラー目指そうなんて気もさらさらなかった」

 

「じゃあ、なんで」

 

「それもお前のおかげだよ」

 

「え?」

 

「去年の大会、お前が代打で出ていたじゃないか。まさか野球を続けてたなんて思わなかったから、衝撃だったんだ」

 

 その後、森山は八木を通じて久保の怪我について知ることとなった。来年になれば久保も怪我を治してマウンドに復帰するだろう。彼はそう信じて、再び熱心に練習するようになったのだ。持ち前の素質もあり、彼は晴れて春からベンチ入りすることになったのだ。

 

「それで――お前の背番号が『7』なのを見て、勝手にがっかりしちまったんだ」

 

「そうか、そうだったのか。悪いな、今年は外野なんだ」

 

「いや、こっちが勝手に勘違いしてたんだ。気にしないでくれ」

 

 森山はそう言うと、片手を挙げて改めて謝罪していた。すると、久保が左手を差し出した。

 

「俺は打者として試合に出る。お前が登板したときは、よろしく頼むな」

 

「……ああ。絶対抑えてやる」

 

 そうして、二人は固い握手を交わした。その後、八木と森山は自分のチームのところへと戻っていった。すると、その様子を見ていたまなが久保に駆け寄った。

 

「なーに話してたの?」

 

「……俺、いろんな奴に見られてたんだな」

 

「えっ?」

 

 久保はまなに対し、森山と何を話したのか説明した。久保雄大という人間は、いろいろな選手の目標であり、憧れなのだ。しかし、彼自身は今までそれに気づくことはなかった。森山の言葉を聞いて、彼は自らの立場を理解したのだ。

 

「リョウだって、野村だって、森山だってみんな俺を見ていた。だったら俺、下手なプレー出来ないなって」

 

「そうだね……。久保くんは、皆の憧れなんだね」

 

「ハハハ、照れるな」

 

「でも、それぐらいすごいってことだよ」

 

「ありがとな。あ、俺トイレ行ってくるわ」

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

 久保はキョロキョロと周りを見回してトイレを探し、そちらの方へ歩いて行った。遠ざかる彼の背中を見て、まなは一人で呟いた。

 

「……私だって、憧れてるもん」

 

 それから間もなく、選手たちは球場の中へと入った。試合前練習を終え、ベンチに戻って最後のミーティングをしている。

 

「とにかく、去年のリベンジです。頑張りましょう!!」

 

「「おう!!」」

 

 今日は大林高校が先攻で、先発投手はエースの梅宮だ。選手たちがベンチ前に整列すると、観客席からは拍手が巻き起こった。甲子園まで、あと二勝。全校から応援が駆けつけ、一生懸命に声援を送っている。

 

「整列!!」

 

「「しゃー!!」」

 

 号令が響き渡ると、両校の選手がホームベースへと駆けていった。本塁を挟んで、列をなしている。間もなく、審判が試合開始を告げた。

 

「これより、大林高校対自英学院高校の試合を始めます。礼!!!」

 

「「「「お願いします!!!!」」」」

 

 大林高校は、自英学院へのリベンジを果たすことが出来るのか――

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