切り札の男   作:古野ジョン

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第三十七話 死闘

 未だ興奮冷めやらぬ中、五番の芦田が打席に入った。勝ち越しを期待する声援が球場中から上がり、選手たちの背中を押している。八木は今の一発で気落ちし、集中力を切らしてしまった。

 

「倫太郎、まだ同点だぞ!!」

 

 松澤も必死に声を掛け、どうにか八木を励まそうと努めていた。しかしその努力も虚しく、八木は芦田にレフト前ヒットを食らった。さらに六番の門間も甘い直球をセンター前に運び、これでツーアウト一二塁となった。

 

「タイム!!」

 

 ここで、自英学院の監督がタイムをかけた。選手交代が告げられ、場内アナウンスが流れる。八木は悔しそうな表情を見せながら、レフトへと向かった。

 

「自英学院高校、選手の交代をお知らせします。二番に斎藤くんが入り、ピッチャー。ピッチャーの八木くんが、レフト。以上に変わります」

 

 三年生投手の斎藤が出てきて、マウンドへと向かった。彼は試合の後半になってから、ブルペンで肩を温めていたのだ。森山も準備を始めていたものの、準々決勝で登板していたこともあり、自英学院は斎藤をマウンドに送ったというわけだ。

 

「ここで斎藤さんか」

 

「スライダーが持ち味だね」

 

 ベンチでは、久保がまなに斎藤の特徴を確認していた。彼は大きく曲がるスライダーを武器にしている投手である。自英学院の三番手投手として役割を果たしているが、去年の練習試合では久保に本塁打を打たれている。大林高校にとって、印象は悪くない投手だった。

 

「七番、センター、中村くん」

 

「中村頼むぞー!!」

 

「勝ち越してくれー!!」

 

 二年生の中村が右打席に向かった。外野手は前進守備を取っており、二塁手の生還を阻止する構えだ。自英学院としても、これ以上失点を許して負け越すわけにはいかない。エースの被弾という想定外の事態に、必死に対処していたのだ。

 

 斎藤は、直球とスライダーを織り交ぜながら投球していく。中村は直球に狙いを絞って打ちにいくが、なかなか前に飛ばせない。六球目でインコースに直球が来たが、彼は詰まらせてしまった。ファウルグランドに、フライが高々と舞い上がる。

 

「ファースト!!」

 

 松澤が指示を飛ばすと、一塁手が必死に追っていく。最後は一塁側ベンチに突っ込みそうになりながら、なんとかスライディングキャッチした。

 

「ナイスファースト!!」

 

「ナイスー!!」

 

 自英学院の内野陣も、大きな声で一塁手を称えていた。斎藤もほっと息をつき、ベンチへと下がっていった。勝ち越しこそ成らなかったが、大林高校の選手たちの表情は明るい。

 

「よし、いくぞ!!」

 

「「おう!!」」

 

 岩沢が声を出すと、皆が元気に応えてそれぞれの守備位置へと向かっていった。リョウもマウンドへと向かい、投球練習を行っている。一方、自英学院の選手たちは円陣を組んでいた。

 

「勝ち越すぞ!!」

 

「「おうっ!!」」

 

 彼らはリョウが登板してから得点を挙げることが出来ていない。同点に追いつかれ、なおも球場全体が大林高校を応援する空気となっている。その雰囲気を変えようとしていたのだ。

 

「八回裏、自英学院高校の攻撃は、七番、セカンド、渡辺くん」

 

 アナウンスが流れ、七番打者が右打席へと向かった。芦田はその様子を窺いながら、サインを送っている。

 

(低めの直球を打たせて、内野ゴロにしたい)

 

 引っかけさせようと、芦田は低めの直球を要求した。リョウはそのサインに頷き、セットポジションに入る。彼は額に汗を浮かべ、やや表情を険しくしている。小さく足を上げ、第一球を投じた。

 

(高い!)

 

 芦田はその球を見て、ミットを上にずらした。しかし打者はそれを見逃さず、バットを出していった。カーンという金属音が響き、打球がセンター前に抜けていった。

 

「よっしゃー!!」

 

「ナイバッチー!!」

 

 これでノーアウト一塁だ。リョウは片足でマウンドをガツガツとならし、悔し気にしていた。その様子を見て、レイも厳しい表情になった。彼女はまなに問いかける。

 

「あの、まな先輩」

 

「リョウくん、疲れてきてるね」

 

 大林高校自体は勢いに乗っているが、ここに来てリョウのスタミナが切れつつあったのだ。五回からずっと自英学院打線のプレッシャーを浴び続け、必死にマウンドを守ってきた。一年生投手の彼にとって、限界が近づいていたのだ。

 

 その後、八番打者に送りバントを決められ、ワンアウト二塁となった。九番打者にはライト前ヒットを浴び、ワンアウト一三塁とされてしまった。打順が一番に戻ると、リョウは気を取り直して果敢に攻めていった。しかし見極められてしまい、フォアボールを与えることとなった。

 

「まな先輩、このままじゃ」

 

「分かってる。タイム!!」

 

 状況がワンアウト満塁となり、まなは三回目のタイムを取った。八木がレフトに下がった関係で、次の二番には投手の斎藤が入っている。梅宮が伝令としてマウンドへと向かい、集まった内野陣にまなからの指示を伝えた。

 

「内野は前進守備だ。何がなんでもバックホームな」

 

「次は斎藤だし、スクイズもあり得るな」

 

「そうだな。塁は詰まってるから、落ち着いてな」

 

 梅宮と岩沢がそんな会話をしていると、リョウが申し訳なさそうに口を開いた。

 

「……すいません。僕が頼りないばっかりに」

 

 すると、それを聞いた岩沢が勇気づけるようにリョウを励ました。

 

「何言ってんだ、お前はここまで一点も取られてないんだぞ。梅宮なんか三点も取られてんのに」

 

「おい、一言余計だ」

 

 次の瞬間、集まっていた皆がハハハと笑い声をあげた。リョウの表情も和らぎ、気持ちが落ち着いたようだった。

 

「とにかく、頑張ってリョウを助けてやろう。皆が頼りだからな」

 

「「おうよ!!」」

 

 梅宮の声かけに、内野陣が元気に返事をした。それぞれのポジションに戻り、守備隊形の確認をしていた。リョウはふうと息をつき、堂々とマウンドに立っていた。

 

「二番、ピッチャー、斎藤くん」

 

 そのアナウンスとともに、斎藤が右打席に向かった。自英学院のブラスバンドも懸命に応援歌を演奏し、彼を後押ししている。

 

「「かっとばせー、さいとー!!」」

 

 自英学院は何度もチャンスを作っておきながら、リョウに凌がれている。今度こそ得点をと、必死の声援が続いていた。

 

「プレイ!!」

 

 審判がコールして、試合が再開された。全ての塁がランナーで満たされ、緊迫した状況が作り出されている。外野フライでも一点が入る場面であり、ベンチにいるマネージャー二人は祈るようにグラウンドを見つめていた。

 

(こっちに来たら、左腕がちぎれてでも刺してやる)

 

 レフトの久保も、緊張した面持ちで守備に就いていた。送球難を抱える彼のところに外野フライが飛べば、失点の可能性が一気に高まる。芦田もそれを踏まえて配球を組み立てていた。

 

(カーブは拾われるとまずいし、内角の球を引っ張られるわけにもいかない)

 

 彼は直球のサインを出し、アウトローに構えた。そして三塁手の岩沢と一塁手の門間にアイコンタクトを送り、スクイズを警戒するように指示した。リョウは小さく足を上げ、初球を投じた。きっちりとコントロールされたボールが芦田のミットに収まると、審判が右手を挙げた。

 

「ストライク!!」

 

「オッケー、それでいいぞ」

 

 芦田はリョウに声を掛けながら、返球した。さっきのタイムでリョウは落ち着きを取り戻し、普段通りの制球力を発揮することが出来ていた。

 

(一球外して、様子見だ)

 

 スクイズを警戒し、芦田はウエストのサインを出した。リョウはそれに従い、第二球を投じた。大きく外れた投球に対し、斎藤はバントの構えを見せなかった。これでワンボールワンストライクとなった。

 

(一球は内角に真っすぐを見せたい。少々危険だが、インハイのボールゾーンに直球だ)

 

 三球目、芦田は直球を要求してインハイに構えた。レフトに運ばれるリスクもあるが、外角一辺倒では打者の目が慣れてしまうかもしれない。そういう判断だった。

 

 リョウはセットポジションから、小さく足を上げた。すると、その瞬間に岩沢が叫んだ。

 

「ランナー!!」

 

 三塁ランナーがスタートを切り、斎藤がバントの構えに切り替えたのだ。リョウは構わずインハイに投げ込んでいく。岩沢と門間は全力でチャージして、本塁へと迫ってきた。

 

「ッ!」

 

 インハイの球は予想外だったのか、斎藤はのけぞるようにバットに当てた。ガンという鈍い音が響き渡り、小フライが舞い上がる。三塁ランナーはそれを見て、帰塁しようと引き返した。

 

「サード!!」

 

 芦田がそう叫ぶが早いか、岩沢はグラブを伸ばして頭から打球に飛び込んだ。しっかりとそのグラブで打球を掴むと、審判の右手が上がった。岩沢は三塁に送球しようとしたが、体勢を崩してしまい不可能だった。それでも、これでツーアウト満塁となった。

 

「ナイスです!!」

 

「リョウ、ツーアウトだぞ!!」

 

 リョウが好プレーに感謝すると、岩沢もそれに応えた。スクイズを阻止し、再び大林高校の勢いが増そうとしている。しかし、それを遮るように自英学院の応援席から歓声が響いた。

 

「三番、キャッチャー、松澤くん」

 

「松澤打てよー!!」

 

「決めろー!!」

 

 アナウンスが流れ、ネクストバッターズサークルから松澤が歩き出した。彼は四打席目でリョウからヒットを放っており、今日は四打数四安打と大当たりだ。敬遠も出来ないこの場面で、リョウは嫌な打者を迎えることになった。

 

 ここで芦田はタイムを取り、マウンドへ向かった。二人は配球について確認し、松澤に対してどう攻めるか話し合っていた。

 

(ここまで来たら割り切っていけよ、二人とも)

 

 久保もレフトから念を送っていた。こういった大ピンチでは、中途半端に悩むよりも思い切った策の方が有効である。かつてシニアで全国大会を経験していた彼は、そのことをしっかりと理解していたのだ。

 

 確認を終えた芦田は本塁の方へと戻っていった。松澤が打席に入ると、自英学院の応援席からは歓声が巻き起こる。リョウは芦田のサインを見ると、セットポジションに入った。各塁のランナーは、隙を伺うようにリョウをじっと見つめている。

 

(満塁だし、カウントを取りに来る直球を狙う)

 

 打席の松澤は、直球に狙いを絞っていた。四球を出せば押し出しとなるため、変化球は投げにくいだろうと予想していたのだ。

 

 リョウは小さく足を上げ、初球を投じた。その指から放たれた白球は高く弧を描き、芦田のミットへと向かっていく。松澤はそのまま見逃したが、ボールはしっかりとストライクゾーンを通過していた。

 

「ストライク!!」

 

「ナイスボール!!」

 

「いいぞリョウー!!」

 

 芦田は頷きながら、リョウに返球した。狙いを外された松澤は首をかしげ、少し考えを整理していた。依然として球場全体が緊迫感に包まれており、観客たちも固唾を飲んで見守っている。続いて、リョウが第二球を投じた。

 

 再び、白球が弧を描いて本塁へと進んでいった。松澤はその山なりの軌道を見て、戸惑いつつもスイングをかけた。バットに当てたものの、カキッという音を響かせて打球は三塁線を切れていった。

 

「ファウルボール!!」

 

「よっしゃー!!」

 

「追い込んでるぞー!!」

 

 リョウは二球連続でスローカーブを投じ、松澤を追い込んだ。芦田は表情を緩めず、真剣な眼差しでサインを出している。リョウもそれを見て、セットポジションに入った。

 

(カーブを見せて、直球で刺すパターンだな)

 

 松澤はバッテリーの意図を読み、直球狙いを変えなかった。試合は八回裏、一点でも命取りの状況だ。このピンチを凌ぎ、大林高校は勝ち越しのチャンスを得ることが出来るのか。スタジアム全体が、マウンドに視線を送っていた。

 

 リョウは足を上げ、その左腕を振るった。放たれたボールは高く舞い上がり、緩い弧を描いていく。バッテリーが三球目に選んだのは――スローカーブだった。

 

(しまっ……)

 

 松澤は意表を突かれてしまい、バットを出すことが出来なかった。白球が芦田のミットに収まると、審判の右手が上がった。

 

「ストライク!! バッターアウト!!」

 

「よっしゃあああ!!」

 

 その瞬間、リョウが雄叫びをあげてマウンドを降りた。芦田はマスクを取りながら、安心してほっと息をついた。松澤はその場に立ち尽くし、自らの判断を悔いていた。

 

「リョウ、よく投げ切ったな!!」

 

「久保先輩!!」

 

 レフトから戻ってきた久保に声を掛けられると、リョウは元気そうに返事をした。これで同点のまま、九回表の攻撃を迎えることになった。大林高校対自英学院高校の準決勝もいよいよ大詰め。決勝へと駒を進め、甲子園出場への望みを繋ぐのはどちらなのか――

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