アメリカの最小のウマ娘   作:SKT YKR

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本編
始まり


 沢山の人がこちらを見ている。何か言っているようにも見えるがその内容は聞き取れない。皆楽しそうだから悪い内容ではないのだろう。私も楽しくなってそちらに向かって手を振る。

 そんな時間がどのくらいだろうか、かなり続いている気がする。するとこちらを見ていた皆が反対側を向き遠くへ行ってしまった。それが寂しくて、追いかけようとするが足は動かない。何もない空間に一人取り残され、私は泣くわけでもなくぼー、としている。

 何となく、皆が私のことを忘れていくのが分かる。嫌だな、忘れられるのは。

 

 あの人たちは私に何か求めていたのだろうか。それに応えられなかった?分からない。

 

 そんな夢を見ていた。起きたら内容も覚えていない。何でもないただの夢だ。

 

◇  ◇  ◇

 

 私は体が小さい。それはもう、他に類を見ないほどである。生まれながらにいろいろ心配され、レースに出るなど私自身あまり考えてこなかった。歴代ウマ娘たちの勝負服レプリカなどは合うサイズがなかっただけでなく重くて何分も着ることさえできなかったほどだ。

 そんな圧倒的な不利を抱えたままレースに出るなど夢のまた夢。中学校に入学してすぐのころまで、勝負事とは全くと言っていいほど縁のない生活を送っていた。

 転機が訪れたのは中学校の3年生になってから。体力測定の際、久しぶりに全力で走った時だった。

 

(あれ?やけに体が軽い……視界がぼやける……)

 

 最初は熱中症か何かだと思った。空気抵抗さえ感じられない。足はそんな脳の混乱をそっちのけで回転を上げる。皆の視線が私に集まり、あっという間に前を走っていたウマ娘たちを追い抜いて私は先頭に立っていた。それでもなお、まだ足りぬというように私の体は大きく動き速度を何段階も引き上げる。最終的には二着に20バ身ほどの大差でゴールしていた。

 

 その後、数回走ってみたがあの時のような感覚には全く至らない。速いことには速いのだが地方で好走できる程度のものだ。あの中央にも届きうるようなスピードはただの夢だったと私含め皆がそう思っていた。

 

 しかし、中央のすごいウマ娘たちは私のレースを見て何か感じ取っていたらしい。領域がどうのこうの言っていたようだが、中央からやってきた伝説的なウマ娘を前にして圧倒されていたため話は頭に入ってこなかった。

 

「お前、中央に来い。期待している奴は少ないがお前は必ず大成する。この私が言うんだ、間違いない」

 

 無知な私でも知っている、栗毛の髪を持つウマ娘は、私に書類を突き出してそう言った。

 

「え、いやでも……、あれ以来全く同じように走れませんし……。それにほら、あなたと比べるととても分かりやすいですけど、私、小さすぎでレースには不向きで……」

 

「確かにその体はレースにおいて不利だ。重い勝負服は満足に着ることもできないだろう。だが、それは絶対の力の差ではない。前に壁ができても体が小さければその間を抜けていけるだろう?」

 

「接触すると終わりそうですけど……」

 

「まあいいからこの書類にサインしてくれ。これでも結構無理してここまで来たんだ。何の手柄もなしに帰る戦争などただの無駄。……本気で嫌なら仕方ないが」

 

 さっきまでの高圧的な雰囲気からは一転して、ビッグレッドさんは肩を落とす。そんなに期待してくれているのだろうか。私は半信半疑になりながら、中央入学申請の書類に名前を書いた。

 

◇  ◇  ◇

 

「これが中央か。みんな大きいなぁ……」

 

 入学初日、私は自分よりも大きいのではないかと思われるようなキャリーバッグを転がしながら門を見上げる。正直、自分がここにいるのは今でも場違いだと思うし、道中では何度も家に帰ろうかと悩んだ。しかし、その考えが強くなる度に中央入学が決まった日から世話をしてくれたビッグレッドさんの顔が思い浮かぶ。手続きや入学金の支援などをしてくれた彼女の期待をここまで来て裏切るわけにはいかない。

 

(でも走り方の指導とかはあまり参考にならなかったなぁ)

 

 ビッグレッドさんのレースは何度か見せてもらったが、私の体が小さいとかそんなの関係なく参考になるものではなかった。100バ身差とか意味不明である。

 

「とりあえずトレーナーを探すところからだったよね」

 

 レースに出走するにも練習するにしてもトレーナーの存在は必須だ。これもビッグレッドさんに相談したのだが、トレーナーは自分で見つけるのが一番いいらしい。確かに歴史に名を遺したウマ娘たちはそのトレーナーと運命的な出会いをしている。

 

 寮に荷物を置き、初日の授業を無事に終えた私は、練習がてらトレーナーを探すためグラウンドに出た。準備運動をしながらコースが空くのを待っていると、後ろから声を掛けられる。私とてトレーナーとの運命の出会いを期待していないわけではない。がつがつ行こうとは思わないが、チャンスがあるならものにしたいと思う程度の欲は持ち合わせている。

 若干紅潮した顔で、それでも笑顔は崩さぬように声をかけられた方を向くと、いかにもベテランといった雰囲気のトレーナーが数人のウマ娘を連れてそこに立っていた。よく見ると胸元には優秀なトレーナーとして表彰された証であるバッジをつけている。

 

「あ、あの……」

 

 私は勇気を振り絞り、驚いた表情のまま動かないトレーナーに声をかける。目の前の彼は実力も経験もあるだろうし、スカウトされるチャンスを逃すわけにはいかない。それに今の私には西日がいい感じに差し、いい感じに見えているはずである。

 

「君!どこから入ったんだ!ここは選手用のグラウンドだよ?」

 

「へ?」

 

「あなた小学生?かわいわねぇ。一般に開かれてるグラウンドもあるから、そっちに案内しようか?申請すればすぐに使えるはずよ!ちょっと待ってて!」

 

 変な声を出し、固まってしまった私をよそにベテラントレーナーとその担当であると思われるウマ娘たちは動き出す。申請書が届くまでの間、私は他のウマ娘たちに散々かわいがられ、気が付けば一般ウマ娘用のグラウンドに置き去りにされていた。

 

 うん、まあ分からなくもない。私はとても小さいから、間違えられることはもはや通常運転だ。気を取り直していこう。

 その後、私は再びトレーナーを見つけるため校舎のいたるところを歩きまわった。暗くなってきてからは私の方から声をかけにも行ったが、誰も私との契約を前向きに検討してくれなかった。

 

「別に期待されているわけでもないし、いい成績を残しているわけでもないから当然か……、明日も頑張ろ」

 

 結局、私にトレーナーがついたのは、一月程度経ってのことだ。ビッグレッドさんに紹介をしてもらっての出会いだったが、彼は私を見て何か特別なものを感じると言ってくれた。初めてビッグレッドさん以外の人から認めてもらえたのだ。自信を無くしキャリーバックに荷物を詰め込んでいた私は、この時やっとここにてもいいのだと思うことができた。

 

「とりあえず、一本走ってみてくれないか?」

 

 初めて行うトレーナーとの練習の日、私はやっと始まるのだと気合を入れてゲートに入る。あの時の感覚はまだ一度も出せていない。着実に速くなってきてはいるが、今のままでは未勝利戦でも勝利はできない。

 

 ゲートが開く。併せて走ってくれるウマ娘たちは二人。一人は私のすぐ後ろ、もう一人は私のすぐ前に出た。これまで何度か走ってきて自分の脚質はわかってきている。私が得意なのは先行。王道のレースで勝利を目指す。

 

 第三コーナーに入り、少し外にずれる。中からまっすぐ突っ切りたいが邪魔をされた時点でその作戦は破綻してしまう。それなら多少不利になろうとも外を回った方がいい。

 

「ハァッハァ……!」

 

 後ろの方から大きな呼吸音が聞こえてくる。もう前に出るつもりなのだろうか。もし今前に出られたら、私の道がなくなってしまうかもしれない。少し早いがここから仕掛けようと私はギアを一つ上げ、逃げる前のウマ娘に並んだ。

 前のウマ娘は並ばれるまいと第四コーナーを過ぎた辺りでスピードを上げる。それに食らいつくため私は足の回転を上げるが、なかなか差は縮まらない。

 

(ストライドの差が大きすぎる!)

 

 三冠を取るような強いウマ娘はストライド走法であることが多いらしい。足への負担やリズムの崩れなどを克服すれば大きなストライドは強力な武器になる。

 対して私はストライド走法が得意ではあるものの、そのストライドは並のウマ娘と比べても短い。単純に体格が違いすぎるのだ。周り以上に加速するためには、足の回転を速めるしかない。

 

 結局私は前のウマ娘を追い越すことはできず、もたもたしているうちに後ろからやってきたウマ娘の体が当たってよれてしまい、最下位という結果になってしまった。その後も何度か併せをしてみたが、一着になれることは稀であった。

 

「本格化がまだ来ていないのかもしれないな。デビューは予定より遅らせるか?」

 

 練習が終わった後、トレーナーさんがレースの予定が書かれた紙をバインダーに挟み見せてくる。ちなみに私が目指すのはティアラ路線、ビッグレッドさんからクラシックよりも距離の短いこっちの方が合っているだろうとアドバイスしてもらっての路線決定だ。

 

「いえ、こちらの環境にも慣れてきたところです。一度レースにも出てレースそのものに対する経験が欲しい。デビューは予定通りお願いします」

 

 後になって思い返すと、この時の私はかなり焦っていたと思う。せっかく中央に来たのに思ったように成長できずクラスにもあまりなじめていなかった。体が小さすぎてどうしても周りに気を使わせてしまうのだ。このままだと私は中央にいられなくなる、そんな強迫観念が私を突き動かしていた。

 

 そして迎えた三月のデビュー当日。やはり思ったような結果は出せず、結果は惨敗。二戦目は人気が全くなかった中でもなんとか頑張り二着。その後はトレーナーさんの制止も聞かずにレースに出続け、最終的に15戦2勝という結果でジュニア期を終えた。

 全く期待されていなかった状態からのスタートであったため、二勝しただけでも皆に驚かれ喜ばれたが、私は全く満足できていなかった。そのもどかしさの根っこにあるのは、やはりあの時の感覚である。あのすべてを置き去りにしたような感覚を私はいまだに味わえておらず、その焦燥が私の心を蝕んでいた。

 

「トレーナーさん。私には何が足りませんか?再びあの走りをするために、何が……」

 

「とにかく今は落ち着こう。君自身分かっているとは思うが、君の体は頑丈じゃない。このペースでレースに出続けていると近い将来必ず限界が来る。それだけはトレーナーとして避けたいんだ」

 

「ですが……いえ、そうですね。確かに私は熱くなりすぎていたかもしれません。少し散歩して頭を冷やしてきます」

 

 私はそう言うと、飛び出すようにトレーナーの部屋を出る。一月の冷たい風が私の熱くなった頬を切り裂くように吹き付けた。

 

 一度だけ、ジュニア期のレースであの時の感覚に近いものを感じたことがある。

 秋のガーデニアステークスでのことだ。ガーデニアSはジュニア期において最も格の高いレースの一つである。重賞で善戦を続けていたゲイマテリアルの他、多くの有力ウマ娘も出走しており私は掲示板にも入れないだろうという評価であった。

 レース中盤、いつも通り前の方に付けチャンスをうかがっていたが、中盤になると後方から上がってきたウマ娘や前方から下がってきたウマ娘に揉まれ展開不利となっていた。そもそも体の小さい私のことである。こうなってしまってからは自分で道を切り開くことは難しい。

 

(今日も大敗か……)

 

 大レースということで、中学の旧友も見に来てくれていたのに、情けない姿を見せることになってしまった。半ば諦めながら最終直線を向いたその時、一瞬だが私の足に熱が走った。いける、そう思った私は前に抜けていったウマ娘の空けた穴を縫うようにして突っ込んだ。その時点で私の足の熱は消えてしまっていたが、壁の前に出たことは大きく、先頭から二バ身半差での5着と健闘といっていい内容だった。

 

(あれは蜃気楼だったのかな……ガーデニアでもつかめそうでつかめなかった)

 

 歩くスピードが上がる。私の体には、いつの間にかいやな熱が戻っていた。その熱は再び私に蜃気楼を見せる。遠くを走るあの時の私が見える。どんなに走っても、距離は縮まらないまま彼女はそこで、そこにいる自分を証明している。私はそれから目が離せない。

 

「待って……」

 

 私はいつの間にか走り出していた。蜃気楼を追っても意味はない。ああなった私にはもう追いつけないのだから。

 

「誰が、何に追いつけないと?」

 

 冷たい風が吹き付け、大きな影が横を抜ける。その影が通り抜けた後、そこには戦場が広がっていた。草の一本さえも生えない土地、響く銃声と爆発音、そんな目を覆いたくなるような戦場。私の幻影は、その戦争に殺された。

 

 気が付くと私は地面に座り込みその小さな体を震わせていた。体に籠っていたいやな熱はすでに引き、凍えるほどに冷え切っていた。そんな私に戦場の主が手を差し伸べる。

 

「久しいな。挙動不審なウマ娘がいると聞いてやってきたが、まさかお前だったとは」

 

「ビッグレッドさん……」

 

 突如現れたビッグレッドさんに連れられ私は生徒会室のソファーに座る。彼女は積極的に話をするタイプではないため、生徒会室は静寂に包まれていた。

 静かなのはうるさいのよりも好きだが、さすがに二人きりの空間でこれだと気まずい。ビッグレッドさんも何の考えもなしにここに連れてこないはずだし、いつか彼女から話しかけてきてくれると勝手に期待して私はその時を待っていた。

 

 そしてその期待は外部から現れた黒鹿毛のウマ娘によって破られる。

 

「ヘイヘイヘイ!レッドさん今日も仕事かい?そっちの子は誰?」

 

「アドミラル、静かにしろ。あと紅茶を淹れてこい」

 

「はいはい、人使い荒いなぁ。……その子おびえているけど、レッドさん変なことしてないよね?」

 

 黒鹿毛のウマ娘は頬を膨らませながら隣の部屋に消えていく。何となくビッグレッドさんとつながりを感じるが、まあ気のせいだろう。

 

「……あいつはウォーアトミック。見ての通り変な奴だ。アドミラルと呼んでやってくれ。あとすぐ機嫌を悪くする」

 

 ウォーアトミック、アメリカで4番目の三冠ウマ娘。オーシャンビスケットとの世紀の対決は知らぬ者はいないほどの伝説である。

 

「ちょっと変なこと教えるのやめなよ」

 

 アドミラルさんは私の前に紅茶を置くと、奥で書類の整理をしているビッグレッドさんに突っかかりに行く。淹れてくれたのはカモミールティーだろうか、優しい香りは私の不安を和らげてくれる。

 そんな私の隣で二人のじゃれ合いはだんだんとエスカレートしていき、数分経った頃にはお互い怪我をし始めていたため慌てて止めに入ることになった。

 

「いやー、お見苦しいところを見せてしまったね。それで、君は何をしにここに?」

 

「疲れてそうだったから私がここに連れてきた。なかなか勝てず悩んでいるらしい。お前も体が小さい方だろう、何かアドバイスでもしてやれ」

 

「それって君とかに比べてって話でしょ。この子、今まで見た中でも一番小さいよ。僕のアドバイスは参考にはならないさ」

 

 その後、予定があるといってビッグレッドさんは出かけてしまい、アドミラルさんと二人きりになった。彼女は積極的に話しかけてくれて、落ち込んでいた私もだんだんと元気を取り戻していく。そしてある程度打ち解けた後、私は気になっていたビッグレッドさんのことについて尋ねてみた。

 私をここに連れてくる前、彼女が纏っていた雰囲気は明らかに異常であった。本物と思わせるほどの幻覚をただ横を通り過ぎるだけで見せるなど、凄腕の催眠術師でも無理だろう。

 

「ここに来る前、走っているビッグレッドさんに追い越されたんですけど……あの時感じた威圧感の正体が何かわかりますか?私の成長につながる気がするんです」

 

「レッドさん領域まで出したのかよ。やりすぎだよ。君大丈夫?あれ至近距離で感じると僕でも気分悪くなるんだけど」

 

「もう大丈夫です。そして、その領域について教えてください。理解はできないかもしれませんが、せめてそれが何かだけでも知りたいんです」

 

 アドミラルさんは少し悩んだようだったが、せっかくの機会だということで領域について教えてくれた。領域は簡単に言うと極度の集中状態、ゾーンのようなものらしい。時代を変えるウマ娘たちは辿り着くとかそうでないウマ娘もいるとか。勿論身体能力が極端に上がるわけではないため、あくまで自分の100%を引き出すことができると捉えていた方がいいそうだ。

 

「君、おそらくその体力測定の時に領域に入ったんじゃないかな。それであのレッドさんがめちゃくちゃ期待しているんだ」

 

 その後もアドミラルさんはいろいろなことを教えてくれた。領域は一部の例外を除いて狙って入れるものではない、その一部の例外がビッグレッドさんだそうだ。ビッグレッドさんがいなくなった後に褒めだすあたり、この二人は本当の意味で不仲というわけではないのだろう。自分事でもないのに私は胸をなでおろす。

 

「あ、そうだ。保健室にも領域に入れるやつがいるから顔出しときなよ。彼女は面白いぞ」

 

 別れ際、アドミラルさんそういって保健室の方を指さす。何というか、割と領域に入れるウマ娘っているんだなと、移動しながら私は思った。勿論一握りであることは確かだし、三冠ウマ娘である彼女だからこそ知っていることなのだろうけれど、中央に来てまともに話したウマ娘は皆領域に入っている。

 そんなこと考え友達が少ないことを再確認して心を痛めながら、私は保健室の扉を開けた。

 

「こんにちは」

 

「ゴッホッ!ゴホッ!あ“―どちら様でしょうかッ……」

 

 見るからにやばい状態のウマ娘がそこにいた。点滴を打ち、横には血のにじんだハンカチが落ちている。足も曲がっているようで、もはやなんで入院していないんだろう状態である。

 

「きゅ、救急車呼びますか!?確か番号は……」

 

「あ、いいのいいの、私はッ!ゴホッ!……いつもこんな調子だから……」

 

 それは大丈夫ではないのでは?私の疑問をよそに、水を飲んで呼吸を整えた栗毛のウマ娘は小さな声で話し始めた。

 

「初めまして。私はアサルトです。アサルトってちょっと物騒だからアソールトって呼んでくださいね。あなたのことはレッドさんから聞いてるわ」

 

 あまりに思っていた姿からかけ離れていたため気づかなかったが、彼女はあの七番目の三冠ウマ娘であるアサルトさんだったらしい。めちゃくちゃ病弱なのに三冠を取り、彗星と呼ばれたウマ娘だ。

 

「あの、アドミラルさんと話してて、領域というものを知ったのですけれど……アソールトさんも領域に入ったんですよね。どんな感じでしたか」

 

 我ながらひどい質問だと思う。だが、今の私は一刻も早くあの時の走りを再現したいという思いが先走り、他人を気遣う余裕はあまりなかった。アソールトさんはそんな私の様子に何か言うわけでもなく、ニコニコと笑って見守っている。唇の端から血が流れているのが気になるが、本人が大丈夫というのだからそうなのだろう。

 それにしても聞きしに勝る病弱ぶりだ。

 

「そうねぇ……私は調子の浮き沈みが結構激しい方だったから狙ってとかじゃないのよね。『今日は体の調子いいな』って思った時にいつの間にか入ってるっていうか……」

 

 多分アソールトさんは体のどこかが悪い状態が普通なのだろう。まともに走れるだけで、生きているだけで奇跡なのだ。そして、走れる日に合わせて100%を出せる実力を持っている。いつ体調がよくなるかもわからず、それがレースの日と被るかどうかも分からない中ドンピシャで実力を発揮するのは並大抵のことではない。

 

「聞きに来てくれたところ悪いんだけれど、結局のところ本人にもわからないの。アドミラルさんも多分そんなことを言っていたと思うわ。条件はウマ娘ごとに違うし、そもそも領域に入らなくても強い子はたくさんいる。でもひとつアドバイスするとなれば、その時の状態をもう一度追体験しようとするのがいいかもしれないわね。ルーティンみたいな感じで。私の体調がいいという条件だって、まあ一種のルーティンみたいなものでしょう」

 

 口に着いた血をふき取り、アソールトさんは話を続ける

 

「後はそうねぇ、自分の欲望に向き合うというのもよく聞く話だけど、これはあなたが走る中でいつか突き当たるはずよ」

 

 話が終わるとアソールトさんは気絶するように眠ってしまった。アドミラルさんが言うように面白い人ではあったが、本気で心配しなければならない人だ。見ているこっちとしても心臓に悪い。

 

 少し気分の良くなった私は、アドミラルさんにお礼を言おうと再び生徒会室に立ち寄った。しかし、既にアドミラルさんはそこにおらず、いつの間にか帰ってきていたビッグレッドさんが書類の山と向き合っていた。

 彼女は一応生徒として在学はしているものの、やっていることはトレセンの管理職とそう変わりない。一番生徒に近い、そして自ら生徒として生活していく中で気づくことも多いのだろうか。

 

「あの……ビッグレッドさん、今よろしいですか?」

 

「ん、ああ、いいぞ。何か得たものはあったか?」

 

「はい、たくさん。その上であなたにもお聞きしたいのです。領域についての話を」

 

 迷っていた私に領域を見せつけ、それを教わるきっかけを与えてくれたのは彼女だ。それに彼女の領域は三冠ウマ娘から見ても一線を画すものらしい。さらに、彼女は自分で狙って領域に入るという離れ業をやってのける。領域というものを知るためには彼女の話も必要だ。

 

「……私にとって、レースは戦争だ。ただの戦争ではない。大戦争で、何よりも……」

 

 空気の密度が極端に上がる。環境が彼女におびえているかのような、異様な感覚。

 

「私の戦争だ。」

 

 窓の外の鳥が一斉に飛び立つ。気になるが、そちらを見たくはない。そこには、またあの戦場が広がっている。

 

「例外もあるが、少なくとも私はレースに勝つことは、すなわちそのレースを支配するということだと考えている。支配できてしまえば、相手が何をしてきても勝てる。囲まれるのが分かっているのであれば、それ前提の作戦を練ればいい。大逃げがいるのであれば、真後ろからプレッシャーをかけ続け満足に逃げさせなければいい。厄介な追い込みがいるのなら、自ら先頭に立ち、誰も追いつけないハイペース、また有利をつぶすスローペースを作り上げればいい」

 

 確かにレースを支配するというのは大事なことだ。だが、それができるのは圧倒的なスペックがあってのもの、私には……

 

「自分にはできないなどと思うな。圧倒的なスペックはお前も持っている。それはお前自身分かっているだろう。今のお前を支配しているのは、調子が良かった日の、ただの幻影だ。そんなものに、お前のレースを支配させるな」

 

 私はハッとする。私の練習でも、レースでも、私の前にはあの日の自分がいた。私はそれを目指し、何度も加速をし、結局届かなかった。私の走りは過去の私に支配されていたのだ。だから彼女は、あの時私の幻影を殺して見せたのだろう。あの場を支配していたのは私ではない。あの幻影だったから。私は戦場にさえ立たせてもらえなかったのだ。

 

「……というのは私の持論だ。お前はお前の主義を見つければいい。焦らずとも結果は出るさ。この私が見込んだのだからな。いつか、私と戦争しよう。君はまだ神髄には至れていない。だが、近い将来それにたどり着く可能性がある。期待しているよ『フォンセミラージュ』」

 

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