アメリカの最小のウマ娘   作:SKT YKR

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お別れ

 

「ほら早く早く!」

 

「分かったから……もう少しそっち詰めて」

 

「二人ともはぐれないようにね」

 

 二人のウマ娘と一人の少年がサンタアニタパークレース場の観客席で席を確保していた。小さな黒鹿毛のウマ娘が同じく幼い少年の腕を引っ張り、それを年上のウマ娘がやれやれと見ている。

 

「あ、出てきたよ!」

 

 彼女の指さした先には小学生と見間違えるほど小さな黒鹿毛のウマ娘がいた。青のブラウスに白のスカート、日の光に当たりその輝きはさらに高まる。胸に鎮座する三つのティアラはただの飾りではなく、全てに実績が伴っており、ティアラ路線を目指すウマ娘たちの憧れの的だ。

 

「今日も勝つかな?」

 

「うーん、どうだろうね。他の子も強いから分からないね。前回のレースも今までの圧勝劇を見ていると少し調子が悪く見えちゃったし……」

 

「勝つに決まってるよ!だってフォンセミラージュだもん!」

 

 ここまでにミラージュが重ねた勝利は計12、さらに現在10連勝中である。期待しない方が酷というものだ。

 

『サンタアニタパークレース場へお集りの皆さま!お待たせいたしました、間もなくG1サンタマルガリータHスタートです!フォンセミラージュをはじめ多くの有力なウマ娘が集います』

 

 観客の緊張が高まっていくのを感じる。皆それぞれの夢をウマ娘に乗せ、レースを楽しみにしているのだ。それは勿論彼らも同じであった。

 

 少し離れたところに栗毛のウマ娘が座っていた。学生らしく制服を着て応援用のメガホンを持っている。

 

「シュッドヴィ……気合い入れすぎ」

 

「いえ、これくらいで丁度いいです!」

 

 シュッドヴィも薄々感じていた。ミラージュのレースがもうすぐ見られなくなってしまうことを。だからせめて、一戦一戦を目に焼き付けておきたいとわざわざカリフォルニアまで足を運んだのだ。

 

「にしても凄い気迫ねミラージュ先輩。対戦したら泣いちゃうかも」

 

「元々はもう少し柔らかいイメージだったんですが……」

 

 どちらの姿も好きだが、やはり気負いすぎず笑っている姿が似合うとシュッドヴィは思っていた。体の小ささも相まって今の雰囲気は異常と言ってもいい。大きな身体から発せられる覇気はある程度予測して受け止められるが、小さな者の覇気は意識の隙を突くように体に染みる。

 

(楽しんで下さい!ミラージュ先輩‼)

 

『今スタートです‼』

 

 たくさんの人の多様な思いを乗せたウマ娘が走り出す。高まった緊張は爆発し、大歓声となってレース場に響き渡った。

 色とりどりの勝負服がコースを駆け抜け、設置された大きなビジョンにウマ娘たちが映し出される。

 

「「頑張れー!」」

 

「……何か苦しそう?」

 

 元気に応援する幼い二人とは違い、そのウマ娘はミラージュの表情が険しいことに気づいていた。目は血走り、体の芯が揺れ、固く閉じられた口からは少し血が流れている。

 

「……」

 

 レース場の一角で、体中に重りを付けたウマ娘が腕を組み険しい顔をしてレースの行く末を見守っていた。その横には彼女のトレーナーと、品のよさそうな白衣の男性が座っている。

 

「チッ」

 

 舌打ちをして立ち上がるメディックファーガーをトレーナーがなだめる。彼女もまた、ミラージュに期待をする一人であった。

初のティアラ三冠とはいえ、昨年のミラージュの活動は約半年。それなのに彼女に勝利したダモクレスなどを差し置いて年度代表争いに食い込んできたウマ娘だ。注目しない理由がない。

 

 お互いの活動がひと段落してからしっかりと話をしてみたい。なぜか分からないが彼女とは話が合うという確信がある。デラウェアオークスの時に声をかけたのもそれが理由だ。あの場で彼女はまだ理解していなかったが、あと一年もすれば気づくだろうと思っていた。

 だが、彼女はもう持たない。その時はやってこない。

 

 故に、この結果が見えたレースは見ていられない。

 

「……ドクター、準備をしてくれ」

 

「まさか……」

 

「……あいつはもう限界だ」

 

『あ……』

 

 実況が何かに気づいた。観客の一部がざわめく。それは波のように伝わり、レース場全体に嫌な雰囲気が立ち込めた。

 

『こ、故障発生!フォンセミラージュ競争中止です‼』

 

 彼らの多くは夢見ていた。あの小さなウマ娘がクラシック路線の猛者を蹴散らし活躍していく姿を。ティアラの希望になることを。

 

 夢が散っていく。これまで以上に小さく見えるそのウマ娘が救急車で運ばれていくのを、観客たちは黙って見ていることしかできなかった。

 

◇  ◇  ◇

 

 病院に着き手術を受け、一命は取り留めたらしい。ケガをしたのは去年と同じ右足。もうレースで走ることはできない。引退だ。

 

 結局私は何がしたかったんだっけ、と思い返す。何か達成できた気もするが、何も達成できていない気もする。世間は私のことをどう判断するのだろうか。

 

 まあ、どうでもいいか。

 

「──」

 

 誰か来た。誰だろう、あまり今の姿は見せたくないな。麻酔の効きが良すぎてきっと寝起きのような顔をしているだろうから。

 その人が去り再び病室に一人になると、途端に感情が溢れてきた。

 

 何をすればいいんだろう、これからどうなるんだろう、早く退院して頑張らないと……

 

(何を?)

 

 分からない。

 

◇  ◇  ◇

 

 窓の外に広がる景色は私を過去に置き去りにする。雪は完全に溶け、茶色だった景色は今や緑に支配されていた。

月日が経つのは早い。そうだ、早いんだ、だからこうしているわけには。

 

 何もできない自分がもどかしい。入院を終え既にトレセンに戻ってきてはいたが、それでもほとんど何もできない。まるで自分だけ時間を止められているような錯覚に陥る。この足さえ動けば、動けよ。

 

「動け」

 

 誰にも届かないその言葉は呪いのように自分の体に吸い込まれていく。願ったところで、呪ったところでも何も変わらない。いつの間にか私は未来を想像することさえしなくなっていた。途切れた未来を誰が見たいと望むのだろう。少なくとも私は望まない。

 

「邪魔」

 

 枕元に立つ黒い影に吐き捨てるように言う。

 

「私に何がしたいの?私の体をこうしたのもあんた?」

 

“違う”

 

 初めて返事が返ってきた。自分と全く同じ声。ああ、もう何もかもが気に障る。

 

「もう出てこないで、三女神像で会った時から、ずっと煩わしく感じていた。慰めるようなことをしたのも何かの作戦?最近は消えてって言っても私の周りをふらふらして……疲れるのよ」

 

 自分でも何を言っているのか分からない。自分の幻覚を勝手に敵に見立て攻撃する姿は傍から見ればさぞ滑稽だろう。

 私はベッドから立ち上がり、黒い影を壁側に追いやる。

 

「消えて」

 

 影はそれでも何か反論しようとしていた。しかしそれを口に出すことはしなかった。無いはずの表情を、困惑、絶望、そして悲しみと何度も変化させながら最後は顔を隠すように下を向く。

 

“ごめんなさい”

 

 小さな、小さな声が聞こえ、影は消えた。

 

「っ痛」

 

 瞬間、右足が痛みとっさに左足に力を入れる。

 

 パキッ

 

「あ」

 

 何か、決定的な何かが壊れる音がした。

 

 私はどこまでも愚かだった。あの黒い影は恐らくこの事態を防ぐために……

 

「はは」

 

 もうここにはいられない。皆を傷つけたくはない。せめて、その一線だけは守らないと私はもう二度と自分を許せない。

 

(忘れてほしくないな)

 

 この期に及んで自分の欲が出てくる。早く去ろう。この気持ちが変わらないうちに。

 

◇  ◇  ◇

 

 翌日、フォンセミラージュのルームメイトがトレーナーに青ざめた顔でミラージュがいないことを告げた。そしてその机の上に一つだけ残っていた手紙を手渡す。

 その封筒の中には三つの紙が入っていた。休学届の書類、そして詳しいことは後で送ると書いてある手紙、そして最後に“さようなら”とだけ小さく書かれた手紙。

 

 ああ、結局こうなってしまうのか。俺は最後まであの子の背中に追いつけなかった。支えることが出来なかった。

 

(あれ……?ここにあった写真)

 

 勝負服を作った時記念に撮った写真を探すがどうしても見つからない。笑った顔を思い出したいのに、頭に浮かんでくるのは黒い髪とその隙間から覗く虚ろな表情だけだ。

 壁に飾ってあった百合のレイも並んでいるトロフィーも全て幻のように見える。

 

 どこで歯車が狂ってしまったのか。過去にはもう戻れない。

 

◇  ◇  ◇

 

 8月に入りミラージュが消えて一月が経とうとしていた。初代ティアラ三冠ウマ娘が消えたというニュースは一時世間を騒がせたものの、すでに引退していたということもあり長くニュースなどで取り上げられることはなかった。

 世間は相も変わらず平常運転だ。

 

「……」

 

 ここ一か月ほど生徒会室は以前からは考えられないほど静かである。メンバーが欠けたわけでもないのに部屋が急に広くなったように全員が感じていた。

 

「む……」

 

 黙々と作業を進めていたビッグレッドが小さく声を上げる。部屋にいたアトミックとアサルトもそれに反応し、ビッグレッドの机の上に広げられた書類を覗き込んだ。

 

 そこにあったのは一つの退学届けと薄い青色の封筒。名前欄にはここ三年間で見慣れた名前が記されている。

 

 ビッグレッドはいつものように書類に不備がないことを確認すると、横に添えられた青色の封筒を丁寧に開けた。

 

 

 遠くから見るグラウンドはいつもと変わらぬ光景が流れる。もう夕闇が支配する時間だ。

 

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