私の今のストレス発散方法は、学園内の散策だ。ゆっくりとしか歩くことはできないが、それはそれでこれまで見えてこなかったものが見えてくる。
(花と花を移り飛ぶ蝶に追い越される経験をしたことがある人はあまりいないだろうなぁ)
そんなことを思いながら道を歩いていると聞き覚えのある声が聞こえた。声の方向を振り向くと、そこには真っ黒の服に身を包み、サングラスとマスクをした大きなウマ娘がいた。体格の差もあり傍から見れば完全に事案である。
「えーっと、ちょっと時間ありますか?」
「うん、大丈夫だからその恰好は止めようか。余計目立つよ」
私が変装していた時もこんなふうに見えていたのだろうか。流石にここまで下手ではなかったと思いたい。しかし、彼女の方から会いに来るのは意外だ。普段であれば私が帰ってくるまで生徒会室の前で待っているはずなのに。
「カフェテリア、今の時間は混んでないだろうしそこ行こうか」
「あ、はい」
午後の授業がある生徒は教室にいるし、それが免除されている競争ウマ娘もグラウンドで準備運動を始めている頃だ。
黒ずくめの不審者…クラークは私の歩くスピードに合わせて長い足を窮屈そうに動かしている。その恰好でぎこちない動きをされると一緒にいるこっちまで変な目で見られそうだ。
「抱えていきましょうか?」
「それ本当に通報されるからやめてね」
何とか通報されずにカフェテリアまでたどり着いた私たちは一番奥の目立たない席に座り、運ばれてきた紅茶を一口飲んでから話を始める。クラークは少し疲れているのか、声にいつもの張りがなかった。
「ミラージュさん、新しい生徒会の役員選び手伝ってくれませんか?」
「いきなりだね。まあ構わないけれど……どんな人を登用したいとかは決めてるの?」
「ええ、一応は。ミラージュさんに近い年代を基準に若く実績のある者を。それとできれば年齢を分けられればなと思っています」
なるほど、彼女なりに色々考えてはいるのか。確かに私に近い年齢の者を登用すれば新世代に生まれ変わったという印象を与えることはできる。クラシック三冠の達成者がいないのが懸念点だが、目の前の彼女がそれを知らないはずがない。ビッグレッドさんやその他の人物との話しで三冠にこだわる必要はないという結論に達したのだろう。
「私の年齢に近い人ねぇ……大勢いるけどすぐに思いつくのはメディックさんくらいかな。あとメディックさんつながりでダモクレスさんも受けてくれそうだね。後輩だと……ハロは能力は十分だけど気分屋だから難しいかもなぁ」
他にも思いつくウマ娘はたくさんいるが選択肢を与えすぎるのも混乱させるだろうと思い、三人を挙げたところでクラークの反応を見る。学園に常駐する生徒会の人数について特に制限はないが4、5人程度がいいと私は思っている。この大きな学園をまとめるのに人数不足感は否めないが、人が多くなればそれだけ動きづらくもなる。私たちは事務もするにはするが、最大の役割は生徒と運営側の懸け橋だ。業務もビッグレッドさんを除いてそこまで膨大というわけではない。
「なるほど……確かにその先輩たちだと実績も十分ですね。キャラクターさんとかはどうなんですか?」
1970年の年度代表ウマ娘の一人、キャラクターは確かに調子の浮き沈みが激しいところがあるが、努力家でセンスもいい。生徒会に入ってくれるのなら積極的に登用したい人物である。しかし……
「キャラクターは日本に行っちゃうんだよね」
「えっ、そうなんですか」
経済成長の著しい日本に興味を持つウマ娘は後を絶たない。レース文化も、まだ時間はかかるだろうがこれから発展していくことは間違いないだろう。そんな中に飛び込み、成長の一助となりたいという気持ちは理解できるし生徒会としても卒業後の生徒の活躍先として周知していきたいと思っている。貴重な人材がいなくなってしまうのは痛いが、生徒の選択が最優先だ。
「ムムム……それじゃあ取り敢えずさっきミラージュさんが挙げた先輩たちに会ってみようと思います。まずは最低限の2人は決めたいんですよね。それ以上はこれから活躍するだろう私の後輩たちを入れてもいいですし」
「メディックさんは言えば受けてくれると思うよ。私からも言っておこうか?」
「ありがとうございます。……あのー、出来ればハロさんも」
「……ガンバレ。彼女はトレーナーを経由した方がいいかもね」
ハロは本当に気性が荒い。気が立っているときは先輩だろうが先生だろうが噛みつく。彼女が育った環境を思えばそれも仕方のないことだが、もう少し落ち着いてほしいというのが本音だ。そんな彼女だが、後進育成に関しては天才的だ。あの能力をもっと生かしてあげたいが私では手に余る。
「ありがとうございます。相談に乗ってくれて。ミラージュさんは結構人脈広いんですね」
「生徒会やっていれば自然に広くなるよ。アドミラルさんとかには全く敵わないけどね」
クラークの目つきが人を観察するようなものに変わったことを私は察する。浅薄に見えてこういうところがあるから彼女は侮れない。
私が気づいたことに気づいたのか、クラークは息をつき、紅茶を口に含んだ。お互い、もう少し腹の探り合の上達が必要だな。
「ミラージュさんはどうして生徒会に入ったんですか?」
「元々生徒会と距離が近かったのもあるけど……一番はあの時の私にもう一度期待してくれた人たちがいて、それに応えたい、応えられると思ったからかな。分かりにくくてごめんね」
クラークは何を思ったのか、驚いたような、しかしどこか納得したような表情で固まっていた。
「期待されたから、応えられるから……ですか」
「うん。まあその辺りは色々あってね」
積極的に話したい記憶ではないが間違いなく今の私を形作っているものだ。それは否定しても仕方がない。それに今はそれがプラスの方向に向いている。結果オーライというやつだ。
しかし、クラークは何に驚いたのだろうか。そこに至るまでの過程はともかく、答え自体はよくあるものだと思うけれど。
「逆に、何で会長になろうと思ってくれたの?」
彼女から言葉の出る気配がないため私から話しかけてみることにする。クラークの置かれている立場は私では想像の付かないくらいの重圧を受けるものだ。その立場に立とうと思ってくれたのが何故かくらい知っておかないと彼女を補助しきれない。
「……私もこの国のウマ娘に貢献したいという気持ちはあって、それを果たせるというのならやってみようと思ったんです」
嘘ではないのだろう。しかし、答えまでに微妙に間があったことが気になる。普段であれば気にもしなかった間。だが、ここまでクラークと話していて少しずつ溜まっていた違和感が無視することを許さなかった。
「あなたはその思いに応えられる自信がないんだね。だからまだ、その言葉が自分のものになっていない」
クラークが何か言おうと口を開くが、私はそれを遮るように話を続ける。
「忙しかったレースの日々も終わって、ゆっくりと、気のままに過ごしていたいんだよね。勿論そんな生活の中で社会貢献できることがあればやってみるけど、それを仕事として毎日したいかと言われるとそうでもない」
よく考えれば多くの人が同じように考えるであろうこと。だが、今の彼女であればこのまま押し通すことが出来る。
「じゃあ私は……私にはどんな選択肢があるのか教えてください。会長になることは私も決めた決定事項です。協力してくれる友人も居ますが数は少ない。私の気持ちの整理は……お察しの通りまだ完全ではありません」
私はビッグレッドさんにクラークのことを頼まれてからずっと考えていた。どうすれば焦る彼女を落ち着かせ、かつ世間の望み通り会長の職に据えることが出来るのかを。
そして考え付いたのはこれまた当たり前のことだ。今のクラークはそんなことにも気づけない程に混乱し、視野が狭くなっている。そしてこれは、私だからこそ……とは言えないが、ビッグレッドさんたちよりも私の方か思いつきやすい案だろう。
「時間を空けるんだよ。学生生活が終わって急に働けってこと自体中々に難しいことだし、それが会長という責任重大な職ならなおさら。学生時代からその職を本気で目指して勉強していたり、天性の才能があればまた別だろうけれど、あなたは違うでしょ?」
私はレースを引退し、死んだように生きていた期間を思い出す。私の場合、そこからさらにビッグレッドさんなど周りのサポートを受けたうえで1年の時間が必要だった。
クラークには、好きなことをして過ごすことのできる時間が必要だ。世間もまるで今すぐに会長が交代するといった空気ではあるが、適切な業務の引継ぎのためにもう少し待ってくれと言って反対する人はいないだろう。
「それは……いいのでしょうか」
クラークは困惑しつつ、しかし若干の期待を込めて声を出す。彼女は何度も体験しているのだ。道端や学校で会う人々からすでに会長であるかのように扱われることを。故に彼女は、今すぐにでもトップに立ち人々を導いていく義務があると思っているはずだ。
「いいんだよ。時間っていうのはあなたが思っている以上にあるし、皆はあなたが思っている以上にあなたに優しいんだよ」
だからこそ、誰かが彼女のその脅迫めいた考えを緩めてあげる必要がある。そんな張りつめた状態のままで、一生徒から会長になるという環境の変化には耐えられない。
会話の無い時間が少し続き、遠くから生徒の声が小さく聞こえてくる。そろそろ放課の時間だ。
「ありがとうございます。その言葉が聞けて、少し救われました」
「そう言ってもらえると嬉しいね。まあ、あまり長く待ってるわけにはいかないけど……2年程度であればいいんじゃないかなと思ってるよ」
クラークの目が少し潤み、肩から力が抜けたのが目に見えて分かる。良かった、何かしら彼女の力にはなれたようだ。
「そうですね……ではお言葉に甘えて、1年間好きに過ごそうと思います」
「ここで決めちゃっていいの?」
「ええ、こういうのは後回しにするとそのままズルズルといっちゃいますから。特に私の性格だとですね」
余りの即断即決に今度は私が驚かされる。クラークに迷いはなさそうであるため、本当にここで決めてしまったのだろう。まあ、本人がそうと決めたのであれば私にとやかく言う筋合いはない。
「そろそろ混み合う時間ですね」
「そうだね。外に行こうか」
私たちは立ち上がり、代金を払ってカフェテリアを出る。外に出た私たちが向かったのは私もよく練習使っていた堤防だ。
「ビッグレッドさんが言ってましたけど、領域に入ったミラージュさんも凄かったみたいですね」
「ああ……うん、まあね」
ビッグレッドさんがそれを感じ取った時の状況はあまりよいものではないため、コメントは差し控える。
そんな私の気持ちを知らないであろうクラークは、見てみたかったなぁと頭の後ろで手を組み呑気に口笛を吹いていた。
「私も、走るのが好きで昔からよくそこにはない景色を見ながら走ってたんですよ」
クラークはその景色の話をしだす。
終わりのない荒野と草原の入り交じった台地。少し行くと遠くの方に大きな都市が見える。走り疲れてスピードを落とすと、ちょうどそこにレモネードを売っている少年がいる。お礼を言ってレモネードを受け取り、大きな農園を抜け、山稜を横目にまだまだ続く道を駆け抜ける。
何というか、特に大きな展開はないのにワクワクする話だ。そんな光景を見ながら走れるのであればそれは確かに楽しいだろう。
「最近、走ってもそんな風景を見れなくなってたんです。でも今日は、何か調子がいい」
「へぇ、いいね。今、周りに人はいないし思いっきり走ってみたら?」
私は足を止め、クラークに走るよう促す。一緒に走ろうと言えないのが残念だが仕方のないことだ。
「何言ってるんですか。一緒に見るんですよ。ミラージュさんが教えてくれたんじゃないですか。領域の景色を共有することはできるんだって」
クラークは太陽のような笑顔をこちらに向ける。私のあの黒歴史をそんな風に解釈するのか。どこまでも前向きで、マイペースで、彼女らしい。
「でも私一緒に走れないし……わっ」
少し下を向き遠慮気味に話す私をクラークが軽く持ち上げる。
「ミラージュさんは軽いので、こうして走りましょう。しっかりつかまっててくださいよ!」
「ちょ、まっ」
混乱する私を無視してクラークは走り出す。段々とスピードが上がり、私も経験したことのないような速度に達した。
「ははッ楽しいですね‼」
クラークのそんな言葉が聞こえる。それとほぼ同時に、私たちを包む空気が変わった。
「……すごい」
視界が開け、クラークがさっき話していた景色と同じようなものが目の前に広がる。一つ違うのはそれが昼ではなく夜だということだろうか。遠くの都市の夜景が美しい。
見上げるとそこには星の降る夜空。月はなくそれが星々の光をさらに目立たせている。クラークも同じ景色を見ているのか、驚いたような表情を浮かべていた。
ビッグレッドさんとは全く違う、同じビッグレッドの領域。それはこれからの時代にふさわしい、自由とゆとりの感じられるものだった。
そんな体験ができたのはほんの一瞬。しかしあの景色は瞼に焼き付いている。忘れることはできないだろう。
「久しぶりだったな、あの感覚」
「いやぁ良かったですね。心置きなく休めそうです」
「それは良かった」
クラークの腕から降り、杖を手に取って地面に立つ。クラークがこの調子であれば、もう私のすることはないだろう。後は彼女に任せておけばいい方向に向かうはずだ。
「今日はありがとうございました。これからも何かあったら相談させてください」
「勿論いいよ。あなたが会長になってからもたまに遊びに行くからよろしくね」
私がそう言うと、クラークは少し首をかしげる。何か変なことを言っただろうか。
「いいえ、私が会長になった後もほぼ毎日顔は合わせると思いますよ。副会長」
「ええっ⁉」
すでに決定事項らしい。まあ構わないが。これからも忙しい日が続きそうだ。