上中下の三つに分けて投稿予定です。
「ミラージュさーん!どこですかー⁉」
「……ここよ」
クラークの荷物をかき分け、私はひょっこりと顔を出す。それにしてもこの子の荷物何が入ってるんだろ。異常に大きい。ベッドでも入れているのか?
「私大きいですから。服だけでも結構スペース取るんですよ」
私たちは空港の人ごみをかき分けながら歩く。まあ、かき分けているのはクラークで私はその後ろをついていっているだけだが。ビッグレッドさんも言っていたがこういう時は大きな体が便利である。
「はー、にしても日本ってこんなに人多いんですか。来るんじゃなかったかなぁ」
そう、私たちが今回訪れているのはニューヨークから遥か1万キロ、日本である。ここ数十年で驚くべき発展を遂げたこの国はウマ娘レースにおいても発展が見込まれており、日本レース界との関係作りは急務だ。
「えーっと、ここから日本のトレセンまではどう行くんでしたっけ」
「まずここから下に降りて駅に行くの。そしてこの便に乗って……」
私は鉄道の路線図を指さしながらクラークに説明する。日本に来るとなった時、当然車での送迎が提案された。しかし、クラークが日本の生活を感じたいと言い出したので、彼女の意向を反映させ公共交通機関を使うことになったのだ。人混みが苦手なくせによくやると思う。既に意気消沈してるみたいだし。
「普段来ない場所の路線図とか頭こんがらがっちゃいますよね。ミラージュさんは何でそんなにすらすら読み解けるんですか?何かコツでも?」
お土産屋の店頭に並ぶ商品に気を取られながら歩くクラークが尋ねてくる。
「コツというか……事前の準備だよ」
さすがの私も東京の複雑な路線図を初見で理解できるはずがない。書店等に並んでいる外国の路線図を入手し、見慣れない地名を何とか読み解きながらつなぎ合わせる。面倒だが出張等で移動をスムーズに行うのには必要だ。
私はこの作業が苦ではなく、むしろ好みであるためメディックさんと遊ぶ時も移動の案内は私が行っているのだ。
「移動の時は毎回ミラージュさんの案内に任せきりですもんね。毎回ありがとうございます」
「いいのよ。これも私の仕事の内だから」
私はあくまで随行という立場であり、主役はクラークである。主役が会議などの重要な場面でしっかり力を発揮できるよう支える人も必要だ。
「お、電車が来ましたよ……ほんとに時間どおりですね」
「アメリカもいつもこうだとありがたいんだけどね」
「走った方が速いって思うことも多々ありますからね」
「実際田舎の駅なんて30分以上遅れるのがデフォルトだし、あなたは走った方が速いでしょ」
私たちは日本名物、時間どおりに来る電車に感心しながら席に座り、しばらく車窓からの眺めを楽しんだ。
◇ ◇ ◇
『Japan Uma Musume Training Schools and Colleges』、通称トレセン学園。施設、在籍ウマ娘、教育者に事務職、全てが日本最高水準の競争ウマ娘育成機関である。
「おおー、移動中に見た建物と比べるとここだけ別世界みたいに大きな施設が並んでますね。ほら見てくださいよミラージュさん、あの高い尖塔、絶対ラスボスがいますよ!」
ここまでの道中、何度クラークに落ち着くよう言っただろうか。五回目以降はもう数えていない。まあ、元気でいてくれるだけありがたいと思うことにしよう。
それにしても予想外に早く到着してしまった。流石にどこかで電車に遅れが出るだろうと思って余裕のあるスケジュールを組んでいたが杞憂だったようだ。
校門の前でクラークとこれからの行程を確認すること数分、一人の職員が駆け足でこちらに向かってくるのが見えた。……人にしては足が速いな。
「お待たせしてしまって申し訳ございません。本日理事長に変わりまして学園を案内させていただきます、駿川たづなと申します」
緑の服に身を包んだたづなさんが流ちょうな英語であいさつをする。
「こちらこそ慌てさせてしまって申し訳ございません。また、お忙しいところ時間を割いていただきありがとうございます。オフィスクラークです。よろしくお願いいたします」
二人が握手を交わした後、私も自己紹介をしてたづなさんと握手をする。日本のトレセンの理事長はあいにく欧州に出張中で今日は同席できないらしい。
「それでは会議室まで案内いたします」
「よろしくお願いします」
クラークはたづなさんの隣に、私はそのクラークの斜め後ろに立ち会議室に着くまで適当な会話を交わす。うーん、後ろから見てもたづなさんに尻尾は見えないし……本人も話をしないから無視しといたほうがいいか。
学園の広い道を歩いていると通りすがったウマ娘から元気な挨拶が飛んでくる。クラークはそれらに手を振って応え黄色い声援を沸かせていた。流石二代目ビッグレッド、異国の地でもその人気は計り知れない。
「え、本物のビッグレッドじゃん!」「サイン貰っていいかな」「一緒にいる小さい子誰?」「知らないの?アメリカの初代ティアラ三冠ウマ娘だよ」「小さいなぁ」
ところどころ聞こえてくる簡単な日本語を脳内で英語に翻訳して話していることを推測する。とりあえずこちらの印象が悪く映っていなくてよかった。
そんなこんなで会議室までたどり着いた私たちは席まで案内される。日本の生徒会長もすぐに来ると言われ、しばしクラークと二人で待つことになった。
「日本の生徒会長のシンボリルドルフさん……どんな方ですかね。事前に聞いた話だと競争ウマ娘としても一流でまだデビューしていないとはいえこれまでの練習試合では無敗。品行方正、清廉潔白、有智高才……ちょっと緊張してきました」
「緊張するようなたちじゃないでしょ、あなた」
適当な会話をすること約3分。ドアがノックされ、たづなさんの手がドアを開ける。私たちは服を正して立ち上がり、シンボリルドルフさんが入室するのを待った。
「お待たせしてしまい申し訳ない」
そう言いつつ現れたのは、まさに先ほど話していた人物像を現す言葉をそのまま形にしたようなウマ娘だった。雰囲気から醸し出されるオーラがただ者ではない。
「こちらこそ、急がせてしまって申し訳ない」
シンボリルドルフさんは私たちと握手を交わし、席に座るよう勧めてくる。その勧めに従い、再度ふかふかの椅子に腰を下ろした私たちは向かいの椅子に座ったシンボリルドルフさんと目を合わせた。
「遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます。本日は日本とアメリカ、両国の生徒会の交流として、日本のトレセンで現在行っている取り組みの説明と施設の紹介等をさせて頂きます」
「こちらからも、事前に資料を送付していましたが、まずはアメリカのトレセンでのウマ娘育成に係わる取り組みとその成果を簡単に説明させていただきます。その後、それに対する質疑応答と今後の課題について意見交換できればと思います」
私は話し終わると、持ってきた資料をシンボリルドルフさんとたづなさんに渡す。今日持ってきたのは事前送付した資料の簡易版だ。念のため元の資料も持ってきたが、二人はしっかりと事前送付した資料を持参していたためこれは出す必要がなさそうだ。
「それではまずは私たち、日本トレセンから……」
◇ ◇ ◇
「……それでは、意見交換はこのあたりで。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
約3時間、私たちは会議室で意見を交わした。日本は引退したアメリカのウマ娘をさらに引き入れ、ウマ娘全体のレベルアップにつなげたいと考えているようだ。
「それでは少し休憩を挟んで、次は学園の施設案内を……」
「あー、最後に私から少しいいですか」
クラークが手を挙げ、席から立ち上がろうとしているシンボリルドルフさんとたづなさんを引き留める。
「えっと、もし失礼だったらすみません。ここからは改まった話し方ではなく普通に話してもいいですか?お恥ずかしい話ですけれど私があまり慣れてなくて……」
うん、言うと思った。ここまで約3時間、敬語で話し続けたクラークに私は敬意を表したい。
シンボリルドルフさんとたづなさんは一瞬フリーズしていたが、すぐに表情が柔らかいものとなる。良かった、受け入れてくれたようだ。
「はははっ、炉辺談話。そうしましょう。それと私のこともぜひルドルフと呼んでください」
「そうですね。お互いに気軽に協力できる関係を作ることも今回の目的ですし、気楽に話してもらって構いませんよ」
クラークはその言葉が耳に届くとほぼ同じタイミングで大きく息を吐き、たまった疲れを体外に押し出す。私も背伸びをして、こった体を癒した。
「はー、よかった。こちらもクラークと呼んでもらって大丈夫です」
「私もミラージュで構いません」
クラークのおかげで会議室の空気が一変し、一気に談笑できる空間となった。こういうところがクラークが人の上に立つことが出来る所以だろう。ビッグレッドさんもここまで自然にこの空気感に持っていくことは不可能なはずだ。
「それじゃあ1時間半後、また会いましょう。お疲れでしょうし、今日は管理棟とトレーナー室の方だけ案内します」
「よろしくお願いします」
本格的な施設の案内は明日だ。広い施設をめぐるため、しっかりと体を休ませなければならない。
穏やかな雰囲気のまま会議室から退出した私たちは用意されていた控え室に入り、資料の整理等を行うのであった。
◇ ◇ ◇
シンボリルドルフは生徒会室に向かいながら考える。
(オフィスクラーク……噂にたがわぬ海闊天空なウマ娘だ。先代のビッグレッドとは全く違うタイプだな)
生徒会室に入ると、そこにはマルゼンスキーがいた。会議の始まる前にはミスターシービーもいたが、奔放自在な彼女が三時間も同じ場所にとどまっているはずがない。
「お疲れ様、ルドルフ。どうだった?アメリカのウマ娘は」
「うん……想像以上に堅実な方だったよ。勿論、噂にたがわぬ精金良玉さも持ち合わせていた」
マルゼンスキーの用意してくれた紅茶を飲みながら私は息をつく。流石の私も3時間同じ姿勢で話を聞いていれば疲れも溜まる。しっかり回復しなければならない。
「フォンセミラージュさんは?通路を歩いているときチラッと姿を見たけどホントに凄く小柄な方よね」
私はオフィスクラークの左に座っていた小さなウマ娘を思い出す。非常に体格の良いオフィスクラークの横にいたのもあってその背丈以上に彼女は小さく見えた。
ティアラ三冠ウマ娘と言われても、彼女を知らない人からすると信じられないだろう。当然のことだが体格は競争能力に直結すると言ってもよい重要な要素だ。そこに大きなハンデを抱えながらあの輝かしい成績を残したというのはにわかには信じがたい。
(だからこそ彼女からは多くのことを学びたいな)
この学園でも体の成長が芳しくなく、デビューを迎えられないままターフを去る者も多くいる。そのような者たちに対し何かしら道を示すことが出来るかもしれない。
「……彼女は剛毅木訥、しっかり者といった印象だな。最初はクラークさんのブレーキ役として随行しているのかと思っていたが、話をしてみると彼女自身の中にもしっかりとした芯があり譲れないところはしっかりと主張してくる」
マルゼンスキーはにこにこしながら私の話を聞く。私とこうして対等に話をしてくれる友人は数少ないためありがたい限りだ。
「面白そうな方たちね。私も明日の施設見学に同行しようかしら」
「そうだな。あちらも少しでも多くのウマ娘と話してみたいと希望されているし、断る理由はないだろう。君なら言語の問題もない」
明日はたづなさんも別用があり、私一人で案内することとなっていた。マルゼンスキーが付いてきてくれるのであれば心強い。
「よーし、そうと決まれば張り切っちゃうわよ!ルドルフもしっかり体を休めといてね。何なら今日私が車で送るわ」
「ははは、気持ちだけ受け取るよ。ありがとう」
◇ ◇ ◇
「クラーク、着替えられた?」
「ばっちりです」
日本出張二日目。私たちは取材と写真撮影に備え勝負服に着替えて宿泊場所を出る。久しぶりにこの勝負服に着替えるな。少しくらい背が伸びて勝負服がきつくなったりしていないか期待したのだがその期待は裏切られて終わった。
「今日は昨日と違って無礼講でいいですからね。気が楽ですよ」
クラークの勝負服は軍服を基調にした服だが、下はパンツではなく丈の短いスカートであり、あくまで軍服をモチーフにした一つのファッションとなっている。真っ赤な髪には金色の王冠が輝き、青と白のチェック模様のスカーフが風に揺れる。
「こうして二人して勝負服で並ぶといいとこのお嬢様とその護衛みたいですね」
「守ってくれるの?」
「それは勿論!ご命令とあらば」
「あはは、ありがとう。その調子だと昨日はしっかり休めたみたいね」
迎えに来た車の中で適当な会話をしながら時間を潰す。クラークは学園内の寮の空き部屋に泊まりたいと言っていたが流石にそれは止められた。勿論私も控えるよう言った。絶対に夜学園内を走って騒ぎになり、翌日寝坊するからだ。
校門の前で降ろされた私たちは待っていたルドルフさんと合流する。ルドルフさんの隣には、赤い勝負服を着たウマ娘が立っていた。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「疲れは取れましたか?今日は私と横にいるマルゼンスキーが案内いたします」
「初めまして。マルゼンスキーと申します。お二人とも勝負服がお似合いですね」
これまた流ちょうな英語だ。言語教育にも力を入れているのだろうか。
「それではさっそく、行きましょうか」
「よろしくお願いしまーす!」
クラークの元気な声とともに私たちは学生たちの学び舎、教室の並ぶ学生棟に向って歩き出す。
移動しながらルドルフさんはクラークの現役時代の走りについて話をしていた。
「フォンセミラージュさんはアメリカ初のティアラ三冠ウマ娘なんですよね?素晴らしいです」
一人でいた私にマルゼンスキーさんが話しかけてくる。
「ありがとうございます。マルゼンスキーさんも現役時代は他を寄せ付けないほどのスピードをお持ちだったと聞いています」
ここまで話して、私はクラークがこちらをチラっと見たことに気づいた。ああ、しまった。癖で固い口調になってしまっている。
「こほん、えっと、マルゼンスキーさん。私のことはぜひミラージュと呼んでください。それと改まった話し方でなくとも大丈夫です」
「あら、それならお言葉に甘えて。前々から聞こうと思っていましたが、ミラージュさんはその小柄な体でどうやってポジション争いとかを行っていたんですか?」
よかった、マルゼンスキーさんはすぐに順応してくれるウマ娘だったようだ。
「そうですね……これが答えになっているかどうか不安ですけど、ポジション争いをできる限りしないように気を付けていました。他のウマ娘が走れない埒すれすれを走るとかですね。どうしても囲まれてしまったときなどは冷静に状況を俯瞰して道を探していました」
細かく話せば他にも色々あるが、マルゼンスキーさんもそこまで専門的な答えは求めていないだろう。それに私の場合、最後は能力による力押しだ。
「走りながらの情報処理能力も驚異的だったと聞いたことがあります。何かコツが?」
「練習中でも常に考えることをやめず、今何をしているか、どこが鍛えられているのか意識することが重要ですかね。あ、勿論これもやりすぎは良くないです。トレーナーさんや先輩、友人と話し合いながらするのがいいと思います」
私の場合、一人でやりすぎて精神的に追い詰められてしまった苦い経験がある。一人で考えることも重要だが孤独になるのは良くない。
マルゼンスキーさんはなるほど、と言いながら何か考えているようだ。彼女の方から話しかけさせてばかりなのも悪いと思い、今度は私から話しかけてみる。
「マルゼンスキーさんの趣味は何ですか?」
何かコミュ障な感じになってしまったが、仕方ない。私にクラークのようなフレンドリーさを出すのは無理だ。
「えーっと、運転とか好きですよ?敷地内しか走れませんけど」
もしかして昨日学園を回っているときに見たあのカウンタックだろうか。ルドルフさんにあれは展示品かと尋ねた時、知り合いの私物だと言っていたことを思い出す。
クラークは乗ってみたいと言っていたが、ルドルフさんはそれを割と本気で止めていた。その理由を深くは聞かなかったが、話しているとき顔が青くなっていたのでそういうことなのだろう。
「いつかミラージュさんも乗せて旅行にでも行きたいですね」
「私が旅行好きな事知っていたんですか?」
「ええ、少なくとも私たちの間では有名な話ですもの」
恐らく日本に移住したアメリカのウマ娘から聞いたのだろう。通りで今回訪日するとなった時電車での移動を許してくれたわけだ。
そんな話をしていると、学生棟にたどり着いた。中では緊張した面持ちのウマ娘たちがダートの走り方についての授業を受けている。
「日本とアメリカのダートは土の質が全く違うので皆さんが学んだものと内容が違うところもあると思います」
「そうですね。日本のダートはクッション性が高くて私たちが走るとなると結構走りにくいです」
「アメリカのダートの土もレース場によってかなり違いがあるので、砂の構成比が高いレース場を主戦場としているウマ娘だと対応しやすいかもしれません」
ルドルフさんの説明にクラークと私はそれぞれ反応する。実際に走ったことはないので分からないが、日本のレース場で走るとなった際、私たちはともすれば芝の方が走りやすく感じるのではないだろうか。
「ちなみに、まだ完成はしていませんがアメリカのダートコースを再現したものも用意しています。今日は試走として、数人の生徒に集まってもらっています」
私たちは再度移動をはじめ、少し離れたところにある、私とクラークにとっては見慣れたダートのレース場に到着した。コースには一部簡易的な埒のみが設置されていたり、近くに土の山とショベルカーが置かれていたりと工事中であることは確からしいが、ただ走るだけなら問題はなさそうだ。
コース上には運動着を着た5人のウマ娘がおり、ルドルフさんが声をかけると駆け足で近づいてきてくれた。私たちの前に並んだ彼女たちをマルゼンスキーさんがそれぞれ簡単に紹介してくれる。
「今日は彼女達の走りを見て、よろしければアドバイス等を頂きたいと思います」
「アドバイスかー、私苦手なんですよね。ミラージュさんにお願いしてもいいですか?」
クラークが走りのアドバイスが苦手なのは私も知っている。何度かアドバイスをしている場面を見たことがあるが、その時も、ガーッと行く、とかもっと自由に…みたいな抽象的が過ぎることを話していた。
「構わないけど……何で準備体操をしてるの?駄目だからね?」
「ははは、一緒に走っていただけるのならそれ以上のことはありません」
屈伸したりやアキレス腱を伸ばしたりしているクラークはルドルフさんの言葉に瞳を輝かせスタート地点へ一目散に向かっていく。本当に彼女の自由奔放さにはついていけないことがある。
スタート地点に並んだ6人。日本の5名のウマ娘たちは改めて近くで見るビッグレッドの迫力に圧倒されているようだ。
「ミラージュさんも走りたくはないですか?」
皆がレースの準備をしている中、マルゼンスキーさんが話しかけてくる。
私もウマ娘だ。走りたい気持ちは確かにある。しかし、今の私は歩くのが精いっぱいだ。当然走ることはできない。
彼女が私の足の状態を知らないはずがないため、この質問にも何か意味があるのだろう。
「ふふ、ミラージュさんにも後からプレゼントがありますので、ぜひ楽しみにしておいてください」
いたずらに笑うマルゼンスキーさん。そう言うのであれば楽しみにして待たせてもらおう。
「それでは模擬レースを始めます。各々、ケガの無いように十分気を付けて!」
ルドルフさんの声で場に緊張が張りつめる。
静寂をピストルの音が打ち破り、レースが始まった。6名のウマ娘たちが土埃を巻き上げて目の前を通り過ぎていく。
「日本皆さん、スタートが上手ですね!慣れないコースのはずなのに走りも安定している」
「今回集まってくれた子たちは中央でも実力者と呼ばれるウマ娘です。それに今回の模擬レースのために気合を入れてこのコースを何度か走っていたみたいです」
各ウマ娘たちは第二コーナーに差し掛かったところだ。一名のウマ娘が隊列の後ろの方に押しやられてしまっている。それ自体は仕方ないことだが、土が顔にかかるのを嫌って必要以上に前と距離を取っている印象だ。
「うーん、あの距離の取り方は癖になる前に直した方がいいでしょうね」
そんな中、クラークはというと先頭を走るウマ娘の少し後ろを、外に大きく膨らむ形でコーナーを曲がっていた。彼女の場合、体が大きいのであのようなコーナリングになるのは仕方がない。
向こう正面に入って列も縦に伸びてきた。この辺りでレースの勝者候補が段々絞られてくる。このレースは恐らく、今先頭を走っている葦毛のウマ娘とクラークの勝負となる。
先頭の葦毛のウマ娘はまだ体力も十分そうだ。姿勢も低く、これからさらにスピードも出してくるだろう。
「クラークさんは流石ですね。悠々としている」
「そうですね。彼女の走りにそう感じる方は多いと思います。それにしても結構スピードが出ているような……あっ」
一瞬、クラークの顔に笑みが見えた。それと同時に場の雰囲気が一気に変わる。その中心にいるのは、言うまでもなくオフィスクラークだった。
「クラーク、楽しみすぎ……」
◇ ◇ ◇
(いやー、慣れない環境で走るのもいいね)
正直言ってクラークはこのレース自体にはあまり期待していなかった。ただ誰かと一緒に走れそうだから走りたいという、ミラージュに伝えれば叱られるだろう理由だけでこのレースに出ることを決めていた。
その気が変わり始めたのは向こう正面の直線に入る直前。目の前を走る葦毛のウマ娘の走りが、模擬レースにしてはやけに気合が入っているなと気付いたところからだった。
自分もそれなりにスピードは出している。普通のウマ娘であればそろそろ私に先頭を譲る頃合いだ。しかし、目の前のウマ娘は私が付いてきているのを確認すると、一段階スピードを上げた。
(おっと、これは……)
もしかすると、と思った。ただの接待レースにはない、熱を感じる。
私もさらにスピードを上げる。それでも前のウマ娘は先頭を譲らない。
肌に当たる風の感触、聞こえる音、過ぎていく風景。段々と通常のレースに近い感覚に近づいていく。それらは同時に私のボルテージを上げていった。
(良い!面白い!)
開放感が近づいてくる。あと一つ、何かきっかけがあれば。そう思っていた矢先。目の前の葦毛のウマ娘の吐息に交じり、言葉が聞こえた。日本語だったから断片的な情報しか分からないが、それで十分だった。
「ただの模擬レースだとしても負けたくない!勝って見せる!」
「君、最高!やっぱりレースはそうじゃないと!」
ビッグレッドと呼ばれる私に対しても、闘志を失わず己のエゴを押し出す意志の強さ。それを見せられて黙っているなんて不自由、私は許容しない。
領域に入り、私は隣を見る。葦毛のウマ娘はひどく驚いた表情をしていたが、それは一瞬で、すぐに目の前に広がる大荒原に走り出していった。
私の領域は一緒に走っている者に世界観を共有させることもあるらしい。自分では分からないが今回はそれがプラスに作用したようだ。
私もすぐさまギアを上げ、前を走るウマ娘に追いつき、そのまま追い抜く。葦毛のウマ娘はそれでも諦めることなく歯を食いしばって私の背を追いかけた。
だが流石に地力の差がある。ゴール版を過ぎるころには私と彼女の間には約15バ身程度の差が開いていた。
レース後、急いで近づいてくるミラージュさんを横目に見ながら、私は後ろで肩を落とすウマ娘に近づく。
「えーっと、日本語日本語……あー、すごくよかったです。一緒に走ってくれてありがとう」
葦毛のウマ娘は日本語で話しかけられたことに困惑した様子だった。私何か間違ったこと言ったかな。
「英語で大丈夫です。私もある程度勉強してるので。こちらこそ、一緒に走っていただいてありがとうございます。途中景色が……いえ、何でもありません」
葦毛のウマ娘は頭を下げて感謝をしてくる。私はそんな彼女に、胸ポケットに入れていた紙を一枚取り出して渡した。そこに書かれているのは私の携帯番号である。
「私は今から仕事に戻るからあまり話せないんだけど、何かあればそこに連絡してね。見えたと言っている景色についても話してあげられると思うから。君のようなウマ娘はぜひアメリカにも来てほしいし、もし来るとなったら私が準備するよ」
「え⁉あ、ありがとうございます!」
またまた頭を下げようとしていたので、私は彼女の頭にポンと手を置きそれを防ぐ。感謝されるようなことじゃないし、素晴らしい体験をさせてくれた彼女に私の方こそ感謝したい。
いよいよミラージュさんの姿が近くなってきた。私は葦毛のウマ娘にそれじゃ、と言うとミラージュさんの方に向き直った。
「あ、あの、私、アメリカに行って勝てるでしょうか?」
葦毛のウマ娘の声が聞こえる。アメリカに行って通用するかは、正直分からない。今日の走りを見るにアメリカのダートへの適性はあるようだが、やはり日本とアメリだと環境が大きく違う。食生活、対人関係、その他諸々の文化、何か一つ合わないだけでも繊細な競争ウマ娘には致命的となる。
しかし、今彼女が欲しい答えはそう言った理屈じゃないだろう。
「それは分からないよ。でもレース中、君がこぼした言葉。あの気持ちを忘れない限り、大丈夫。強くなれる」
それだけ言うと、私は今度こそミラージュさんたちの方に走って行く。もう一度、あの葦毛のウマ娘と会えるかは分からないが、もし会えた時は明るく声をかけてあげよう。
「クラーク、あなたねぇ……ん?何、にやにやして。何かいいことでもあったの?」
「いいえ、何でも」
その時まで、しばしの我慢だ。
中は明日投稿します。