アメリカの最小のウマ娘   作:SKT YKR

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日本旅行 中

「えー、さっきのウマ娘ちゃんたちじゃないですか!」

 

 場所を移り、何か研究施設のようなところにやってきた私たち。そこにはいくつものケーブルが付いている椅子が円形に六つ並べられており、その中央には大きなモニターが設置されていた。

 そしてそこで待っていたのはさっきクラークと走った5人のウマ娘たちである。クラークは一人で驚いているが、何かあったのだろうか。

 

「あんなにかっこつけといて……顔合わせられない……」

 

「何言ってるのよ。ほら、堂々としといて」

 

 ルドルフさんもこちらが調子悪いのではないかと心配そうな顔をしている。傍らにいるいかにも研究者っぽい人も説明を始めてよいのか迷っているようだ。

 

「えーと、大丈夫なので。説明をお願いします」

 

「あら、そう?それならいいけど……」

 

「本来出席する予定だった博士の代わりを務めます、佐藤です。よろしくお願いします。それでは説明をさせて頂きます。」

 

 マルゼンスキーさんが合図をすると、白衣の女性…佐藤さんが説明を始めた。

 曰く、この設備は最先端のシミュレーションゲームの機械らしい。この椅子に座った者は意識を機械に移し、ゲームの世界をまるで現実のように感じながら体験することが出来るという。

 

「そして、あのモニターにゲームの光景が映し出される、というわけです」

 

 ちょっと見てみましょう、と佐藤さんが言うと、5人のウマ娘が椅子に座り、頭に大きなヘッドギアを付けた。そしていくつかのシステムチェックの後、中央のモニターに映像が映し出される。

 

「これは日本の東京レース場です。おーい、5人とも!ちょっと走ってくれるかい!」

 

 芝の生い茂るレース場を5人のウマ娘が駆けていく。走る時の癖が先ほど見ていたあの5人そっくりだ。

 

「すごいですね!こんな技術初めて見ました!」

 

 クラークも感動しているようで、興奮した様子で佐藤さんに話しかける。世界中の研究者が協力して高度のシミュレーションゲームを作り出そうとしているといううわさは聞いていたが、ここまで完成しているとは私も思っていなかった。

 

「博士は昔、ウマ娘としてレースに出ていたそうですけど、ケガで走れなくなってしまって……そういう背景もあって、意識を他のものに移し、走ることを体験できる研究をされています」

 

 なるほど、とても興味深い研究だ。一時期の私のように走れないストレスで精神的に弱ってしまうウマ娘も多い。そういった子たちを減らすことにつながるのであれば私も協力したい。

 

「最近、このゲームで走ることのできるレース場としてベルモントパークレース場が追加されたんです。ぜひ、ミラージュさんに走っていただきたいと思いまして」

 

 さっきマルゼンスキーさんが言っていたプレゼントとはこれのことだったようだ。どの程度臨場感のある体験ができるのか不安だが、物は試しだ。

 

「ありがとうございます。えーっと、席は空いてるところに座ればいいんですよね?」

 

「あ、その前にミラージュさんの詳細な情報を登録する必要があります。おおよその身体的な情報はミラージュさんが現役の時のものを参考に入力しているんですが、より現実とゲームの体験をリンクさせるために10分ほどお時間を頂きます」

 

 その後、私は別の部屋へ案内され、体に色々な装置を取り付けられた。されるがままとはこのような状況のことを言うのだろう。

 10分後、私は解放され、先ほどの椅子とモニターのある空間に戻る。

 

「どうでしたか?」

 

 ルドルフさんが笑顔で尋ねる。

 

「何というか、技術の進歩を感じました」

 

 正直、何をされているのか全く分からなかったので答えようがない。しかし、前準備があるとはいえ10分程度調べただけで本当に充分なデータが集まっているのかは疑問がある。

 その疑問は口には出さなかったが佐藤さんは感じ取っていたようで、苦笑しながら説明しだした。

 

「あはは……、本当にこのゲームを楽しむためには10分程度だと情報は全然足りません。ただミラージュさんの場合、今日この日、この時間に、ベルモントパークレース場で、一度のみ走る、という条件に条件を重ねているのであの程度の情報でも大丈夫なはずです」

 

 佐藤さんは説明を終えると、今度こそ私を席へ案内した。私は椅子に座り、他のウマ娘と同じようにヘッドギアを付ける。そして一瞬、視界にノイズが走ったかと思うと、次に見えたのはあの広大なレース場だった。

 

「成功したみたいですね。ミラージュさん!聞こえてますか?」

 

 私は空に浮かぶモニターに映る佐藤さんに手を振って応える。

 

「ちょっと細かい調整を行うので、軽く走ってみてください」

 

 走るのは本当に久しぶりだ。本当に思ったように体が動くのだろうか。

 私は不安を感じながら足に力を入れ、地面を蹴る。

 

「お、おお!」

 

 すごい、まったく違和感がない。この感覚、恐らくゲームに登録されているのは三冠レースを走っていた全盛期の頃の私の体だろう。すでにゲームという感覚はなく、現実で自分の体が動いているように感じる。

 しかし、少し走っていると私は何か見えない段差に引っ掛かりバランスを崩してしまった。

 

「あー、やはり新しいウマ娘を登録した直後は変なバグが起きますね。少しお待ちください。調整します」

 

 数分後、佐藤さんは私にもう一度軽く走ってくれと指示を出す。指示通り、足に力を入れ地面を蹴ると、先ほどよりも足裏の感覚が現実に近くなったように感じた。

 

「よし、大丈夫そうですね。それでは時間も限られていますし、軽くレースでもしてみましょう」

 

 佐藤さんが何か合図をすると、私の目の前にポンッとゲートが現れる。

 

「本当はここも再現度を高めるためにゆっくりとゲートが用意される仕組みを作りたいんですけど、アニメーションを作りこむ時間がなくて……申し訳ない」

 

 そこまで再現しようとしているのか。凄い熱意である。私も帰ってからこの研究についてさらに情報を仕入れないといけない。

 

「それでは、ここからはレースにより集中してもらうため、私たちから干渉を行いません。難しいかもしれませんが、今から走るレースは本番だと思いこむことがこのゲームを楽しみ、そして練習の一環として取り入れるために重要です。よろしくお願いします」

 

 そう言い残すと、佐藤さんたちの姿は消えた。そして、それに代わるように、レース場に大勢の観客が現れ、大歓声が聞こえてくる。

 

(集中、集中……)

 

 私は現役当時のことを思い出しながらゲートへ向かう。

 

(今の私は全盛期。なら……)

 

 足に軽く力を入れる。そしてイメージするのは燃えるような熱。早く解放しろと体の中で火花を散らすあの感覚。

 

(集中……)

 

 目を開き、自分の走るべきコースをしっかりと見据える。一瞬で何通りものレース展開を予想し、その予想全てで自分を勝利に導く。

 

(……)

 

 最後に、あまりやりたくないが、私はネガティブな感情を思い出すことにした。あの頃の私は孤独、諦観……近いうちに来る終わりを感じていたからこそ強かったという面もある。

 

(頼れるものは自分だけ。勝たなければ家族も、トレーナーさんも、私を見てくれる人がいなくなる……)

 

 深く、深く。頭の中が漆黒に染まり、目から光が消えていくのが自分でも分かる。それと比例して、体の輪郭はより鮮明に、思考は鋭くなっていく。

 

「……見ててね。……見て。……期待して。私は、出来るから」

 

 その呟きは誰の耳にも届かない。しかし、モニター越しにミラージュの姿を見ていたシンボリルドルフ、マルゼンスキー、そしてオフィスクラークは皆等しく感じ取った。

 

 かつて孤高の女王と呼ばれた漆黒の蜃気楼。その小さな体躯から放たれる重圧を。

 

◇  ◇  ◇

 

「ミラージュさん、何というか雰囲気が変わったわね」

 

「そうだな……クラークさんも感じますか?」

 

 マルゼンさん、ルドルフさんが表情を硬くして画面を見つめる。私もきっと同じような表情をしているのだろう。佐藤さんが私たちの方を見て少し戸惑っている。

 

「だけどこれは……」

 

 画面に映る彼女から目が離せなかった。それは普段の彼女とのギャップが激しくて驚いたこともあるが、それだけではない。

 

(自分の世界を持っているのは私と同じだけど、その種類が私とは全く違う)

 

 私が走る時にイメージする世界が自由で雄大なものだとすると、彼女から感じたものは真逆。真っ暗な道の中を誰もいない家に向かって帰るような、孤独と拒絶。

 

「……これがフォンセミラージュ」

 

 ともすれば壊れてしまう危うさ。いや、すでに壊れていると言ってもいい。割れたガラスがなおも輝き、人を魅了するように、彼女の危うさはもはやそれ自体が美しさのようにも思える。

 

(だけど……)

 

 あのウマ娘にあんな風にあってほしくはない。明るく、笑ってほしい。そう願わずにはいられない。

 

(なるほど……メディックさんがああ言っていたのも理解できる)

 

 ミラージュさんの走りについてメディックさんに聞いたことがある。しかし、メディックさんは何とも言い難い顔をした後、危うい走り、と表現した。

 何とかしたいが、当の本人は誰も寄せ付けない。見えているのに干渉できない。

 

(ミラージュさん……)

 

 私は静かにモニターを眺め続ける。あの状態の彼女がどんな走りを見せるのか。目に焼き付けるために。

 

◇  ◇  ◇

 

『全ウマ娘、ゲートに入りました……今スタートです‼』

 

 今回のレースは1800メートル。マザーグースSと似た距離だ。私はまあまあのスタートを決め、3番手の位置でこれからの展開を見守る。

 

(アメリカと比べて位置取り合戦が激しくない。やりやすいな)

 

 私が負けるパターンの一つはバ郡に揉まれて自分のレースが出来なくなることだ。アメリカではガンガン前に行こうとするウマ娘が多いため、特にスタート直後は接触が起こりやすい。これがないのは、私のように体の小さいウマ娘にとっては楽になる。

 

『フォンセミラージュは三番手、いつ前を狙うのか、そして周りのウマ娘はそれに反応できるんでしょうか⁉』

 

 カーブに入る前、私はスッと内側に入りロスを減らす。後方で一人のウマ娘が私の真似をして埒ぎりぎりに寄ってきたが、すぐに体制を崩し外へ流れていってしまった。まあ、私のこれは体格的な特徴も相まっての技なので真似しようと思ってできるものではない。各々に合ったカーブでの戦術を身に着けていくべきだ。

 

(そして……)

 

 前の葦毛のウマ娘の息が荒くなってきている。先ほどのクラークとのレースを見ていて気付いたが、目の前の葦毛の彼女は競り合いで必要以上に力を入れてしまう癖がある。それは勝負強さと結びついているが、同時に自分のペースで走ることをおざなりにしてしまっているということでもある。

 私はスタートから徐々にスピードを上げ、彼女が気づかないように体力を奪っていた。

 

(葦毛の子は何もしなくても沈む。問題はこっちか……)

 

 目の前を走る鹿毛のウマ娘の方を見る。この子は一緒に走っている5人のウマ娘の中で最も総合力が高い。私のペースの変化にもいち早く気付き、私がスピードを上げる少し前に自身のスピードを上げ、走りのテンポを乱されないようにしていた。

 しかし、恐らくだがトップスピードは私よりも低い。仕掛けどころを間違えなければ勝てる相手なはずだ。

 

「くッ」

 

 第四コーナーを越えてすぐ、葦毛のウマ娘が下がってきた。私はそれを避けようとちょっと外に逃げるが、予想よりも下がってくるスピードが速かったためぶつかってしまった。

 私も感覚が鈍ったな。あの程度を避けられないなんて。最初に位置取り争いがなく気が抜けたか。

 

 私はよろめき、必要以上に外に出されてしまう。その隙を見て、鹿毛のウマ娘はラストスパートの体制に入った。いいレース感をしている。

 

(落ち着け……こんなこと何度もあった)

 

 全身の感覚を研ぎ澄ます。最初に調節してもらった足裏の感覚。体を通る風の感覚。

 

(いくつか感覚が足りないな……)

 

 筋肉の疲労、土の匂い、纏わりつく汗、そういった感覚が薄い。やはり現実と全く同じとはいかないようだ。

 

(でも)

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ビッグレッドのようにならなければ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 声援がノイズに変わる。視界がぼやけ、体にかかる重力が増していく。

 

(まだ、出来る。出来るから。私を忘れないで。私を見て!)

 

 0か100ではない。-100か100か、だ。負けたら悔しいではなく、勝たなければ誰も私を見てくれない。次も、その次も。誰もが私を瞼に焼き付けるまで、私の後に続くものが道を見失わないため、私に期待をしている人、友人、トレーナーさん、家族、そしてあの影のため。頭の中のぐちゃぐちゃの感情を熱に変え、身をゆだねる。

 

 世界にノイズが走った。太陽が揺れ、黒い世界が広がる。しかしそれはほんの一瞬。その闇は全て一人の下へ収束する。

 

「……行こうか」

 

 視界が、割れた。

 

◇  ◇  ◇

 

「ん?」

 

 一瞬画面にノイズが走り、佐藤は首をかしげる。しかし、特に変わったところや不都合はないためレースは続行となった。

 

 しかし、その場にいるウマ娘は変化に気づき、先ほどよりもさらに表情を険しいものにしていた。

 

「……なるほど、現実の再現を高度に行うとこういうことも起こりうるのか」

 

 額に汗を浮かべながらルドルフは呟く。

 

「多分それだけじゃない。私もこのゲーム何度か試したけれど、ここまでの没入はできなかった。きっと何か別のものがトリガーになっているはずだわ」

 

 ルドルフとマルゼンスキーは原因について思考する。しかし、その時間はすぐに終わった。今は目の前で行われている現実さながらのレースの結末を、フォンセミラージュというウマ娘の姿を見たいという気持ちが勝ったのだ。

 そしてそれはオフィスクラークも同じであった。フォンセミラージュというウマ娘の本気の走りを見てみたい。その夢がゲームの中とはいえ叶うのだから。

 

◇  ◇  ◇

 

 鹿毛のウマ娘は自分の走りに手ごたえを感じていた。想定した通りの疲労具合、運も重なり警戒していたフォンセミラージュは後方に下がった。差は3バ身もないが、勝てる可能性は大いにある。

 

(さっきのオフィスクラークさんとの勝負の時は少しビビっちゃって力が出せなかったけど……)

 

 オフィスクラークは誰もが知る怪物である。もはやウマ娘とは別の生物ではないかと言われるほどの絶対的な実力者だ。そんな彼女を前にして、鹿毛のウマ娘は先ほどのレースで本来の実力を出せなかった。

 だが今一緒に走っているのは、自分たちより二回り以上小さいウマ娘だ。彼女は実績、実力共に自分たちより圧倒的な格上だが、それでも見た目の印象というのは大きい。

 

(よし、このまま差をキープ……は難しいけど、追いつかれずに……。これに勝てば、トレーナーさんだってもう一度私を……)

 

 スピードをさらに上げる。後ろから足音は聞こえない。

 

「……え?」

 

 そう、後ろから足音は聞こえない。聞こえてきたのは、横からだった。

 

「ひッ」

 

 一瞬見えたその横顔にぞっとする。余りにも暗い、周りのことなど何も感じていないような表情だ。さっきのオフィスクラークも途中から雰囲気が変わったが、その時感じたのはもっと晴れ晴れとした感情だった。晴天の大荒原さえ空見した。

 それが、今のフォンセミラージュはどうだろう。鮮やかな青と白の衣装は今や漆黒の装いに変化し、髪の隙間から垣間見える瞳には何も映していない。オフィスクラークの世界が開放的だったのに対し、どこまでも拒絶的。無理に入ろうとすれば闇に飲み込まれる。

 

 そういえば、と思い出す。フォンセミラージュの数ある二つ名、その中の一つに彼女の走りを現すものがあったことを。

 

闇夜(ホーム・バイ・ダーク)……)

 

 闇夜の帰り道。だが、彼女の帰る先は……。どこまでも暗く、破滅まで続く道。

 

(これがフォンセミラージュさんの走り……)

 

 小さくなっていく後ろ姿。それはどこまでも黒くて、破滅的で、それでも美しかった。

 

◇  ◇  ◇

 

『ゴーーーール!一着はフォンセミラージュ‼』

 

 いつの間にかゴールしていた。ああ、せっかく走れていたのに。もっと、もっと走らなきゃ。もっと期待に……

 

(あ、やばい)

 

 私はバクバクと跳ねる心臓を落ち着かせるために何度も深呼吸をする。大丈夫、大丈夫。私は一人じゃない。

 じわじわと、冷えきっていた心に温かさが戻ってきた。やっぱりこんなことするものじゃない。せっかく気持ちよく走る機会だったのに、それを自ら潰してしまった。もったいない。

 

(ま、いいか。この装置の限界を引き出せたとも思うし。もっと勉強してこのゲームをみんなができるようにしなくちゃね。その時はまた私も走れるかな)

 

 次の機会を夢見ながら落ち着きを取り戻した私は、再び空中に映し出された現実世界の映るモニターに目を向ける。

 

「おめでとうございます、ミラージュさん!いい走りでしたね‼」

 

「はは、ありがとう」

 

 いつも通り能天気な笑顔で話しかけてくる彼女が見える。何というか、一気に現実に引き戻された感じだ。

 

「皆さんお疲れ様でした。あと少ししたらログアウトさせますので、ちょっと待っててください」

 

 佐藤さんが何かしらの作業に入り、宙に浮かぶモニターが消える。私は一緒に走ってくれた皆にお礼を言おうと後ろで固まっている5人のウマ娘に近づく。

 

「お疲れ!一緒に走ってくれてありがとう。久しぶりに走れて楽しかったよ」

 

「……あ、えーっと、こちらこそありがとうございました」

 

 何となく歯切れが悪い。まだ怖い顔してるのかな。

 

「何というか、フォンセミラージュさんってやっぱりすごいですね」「オフィスクラークさんとはまた違った感じというか……」

 

 私が怪訝な顔をしていたからか、向こうから話しかけてきてくれた。

 

「ありがとう。クラークと私のタイプが違うのはそうだね。走り方の雰囲気というか、そういうのは本人が生来持つ性格とか環境とかで変わるから自分に合ったスタイル、自分のやりたいことを考えながら走るといいかもね」

 

 なるほど、と頷くウマ娘たち。領域について彼女たちに教える必要はないだろう。たどり着く者は教えずとも自然にたどり着くはずだ。

 聞きたいことが聞けたからか、はたまた私のことが怖いのか、二着の鹿毛のウマ娘の子を残して他のウマ娘たちは少し遠くの方へ行ってしまった。寂しいが仕方ない。

 

「あ、あの……フォンセミラージュさんは何を考えて走ってましたか?」

 

 鹿毛のウマ娘が尋ねてくる。私のことを一番怯えた目で見ているのもこの子だ。走るに際し気合を入れたはいいが、怖がらせてしまったのだとしたら申し訳ない。

 しかし何を考えて走っていたか、か。正直に言っていいものか悩む。私の真似は絶対にしてほしくないし、かといって適当言って胡麻化すのも気分が悪い。

 

 私が手を顎に当てて首をひねっていると、鹿毛のウマ娘がぽつぽつと話し始める。

 

「えっと、気分を害されたら申し訳ないんですけど……さっきのレース、フォンセミラージュさんの走りは何というか……破滅的でした。凄く悲しい気持ちを抱えて走っているように見えて……」

 

 私は目を見開く。何だ、そこまでバレてるのか。凄いなこの子。分析力も随一だ。

 

「私も分かる気がするんです。私、一時期全然結果が出なくて……最初に付いてくれたトレーナーさんは俺の実力不足だって言って……私のトレーナーを辞めちゃったんです。だから私、頑張らないといけない。私が勝たないと、私が期待に応えられるウマ娘にならないと……」

 

 声に嗚咽が混じりだした。止めようかとも思ったが、一旦全て吐き出させてしまった方がいいだろう。

 

「今日、フォンセミラージュさんの走りを見て、私にもあれができれば、と思いました。あなたみたいに強くて、孤独でもそれを背負って」

 

 鹿毛のウマ娘はそこまで言うと、顔を下に向け、話をやめた。

 似ている。境遇も環境も違うが、彼女の走りに対する原動力は私に近い。だけど、彼女と私には決定的に違うところがある。

 

 それは人を頼るという選択ができているということだ。私はそれができなかった。彼女のような思いを抱えたまま、勝手に一人で背負い込んでしまった。人を頼るという段階をクリアしている時点で彼女は私より優秀だ。

 

「話してくれてありがとう。……私はね、あなたが察している通り、いろんなことに絶望しながら走ってた。私の場合結果が出ないってわけじゃないんだけど、色々な事のタイミングとか噛み合いが悪くてね」

 

 鹿毛のウマ娘が顔を上げる。やっぱりそうなんだという気持ちと、それならば同じ方法で強くなりたい、という期待がその表情からは読み取れる。

 

「私は当時の自分のことを完全に間違ってた、とは思ってないよ。実際それで強くなって結果も残せたわけだし」

 

 過去の自分を完全に否定はしない。その過去があるからこそ今の私があるわけだし、当時は当時で精一杯頑張ってはいたのだ。

 

「勝つことへの執着は必要だよ。それが期待している人のため、っていうのもいいと思う。でもね……」

 

 勝ちにこだわることは悪いことではない。勝負の世界ではむしろ良い事だろう。実力が拮抗した相手と最後に勝敗を分けるのはやはり気持ちの部分によるものが大きい。だからそこは大切にしないといけない。

 しかし、だ。

 

「勝つことを義務にする必要はないんだよ。あなたの最初のトレーナーさんも、あなたに期待を裏切られた、とは思ってないと思うよ」

 

「で、でも……やっぱり負けることで親しい人が離れてしまうのであれば、私は勝たなきゃいけないんです!」

 

 確かに負け続けることで自分の親しい人が離れてしまう、ということはあるだろう。それを防ぐために勝たなければならないと思う気持ちも痛いほど分かる。

 私は彼女に近づき、そっと手を握った。びっくりしたのか、彼女は、はっと顔を上げ私と目を合わせる。

 

「レース場の外にも世界がある。競争の外の世界がある。離れてしまった人に、二度と会えないわけじゃない。大丈夫だよ、あなたは一人じゃない。一人にはならない。」

 

「負けていい……なんて勝負の世界だから言えないけど。勝つために自分を追い込んで、傷つけて……それはきっとあなたに期待をする人は望んでない。あなたが負けたことで離れていった人も、それはあなたのせいじゃなくてその人の選択。全部自分で背負いこむ必要はないよ」

 

 人には人の人生があり選択がある。人もウマ娘も他人の人生を背負い込むようにはできていない。キャパオーバーになるのは当たり前だ。

 

「私は勝つことを自分に科した結果、凄く苦しかった。レースの中、皆の期待の中にしか私に存在はないと思って外の世界に目を向けられなかった。あなたにはそんな思いをしてほしくはない」

 

 私の言葉に鹿毛のウマ娘は体を震わせた。私の言葉は届いているのだろうか。

 

「あなたは私に相談ができてるし、私ほど視野狭窄に陥ってはいないから大丈夫と思うけどね。私ならいつでも話を聞くから、アメリカのトレセンに電話してきてもいいよ」

 

 にこりと笑い、私は彼女から手を放す。彼女はまだ少し悩ましいという表情をしていたが、突然、大きな深呼吸をすると、遠くを見るような眼でレース場を見回した。

 

「……確かに、世界は広いですね。私、もっといろんな人に相談してみます。色々話して、悩んで……今話してもらったことを踏まえて、自分なりの強さを見つけます」

 

 彼女の目にはさっきまではなかった光が宿っていた。晴天の空のような青色の瞳にはもう涙は浮かんでいない。

 

 ビッグレッドさんならもっとスマートに話せたのだろうか。いや、ビッグレッドさんも口下手な所あるからそうでもないかもしれないな……。

 

「あ、体が透け始めた」

 

 威圧感溢れるビッグレッドさんのことを思い出していると、私の体が透け始めた。目の前の鹿毛のウマ娘も同じような状態となっている。どうやらここで体験終了らしい。

 





下は明日投稿します。
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